はてなキーワード: 意図とは
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
①車いすユーザーに近い立場にいたこと 劇場スタッフの物言いが悪かったこと
持ってきた時点で関係者であった優位性と、劇場スタッフ側の問題性について傾けたい意図が感じられて正しく問題について考えられないと思われます
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
別に誰であろうとよりよい環境やサービスがあればそれを受けてみたいと思うでしょう
それを料金以外で利用が可能とみてだれも適していないと明言をしていないからといって使用することとそれをSNSで流すことは問題行動であってそれを課題と見るかは関係者の裁量です
お金がないけどプレミアムシートでみたい、という人にお金がないけど見れるサービスを抽選などで行うというのも「課題」だとすれば課題として「生まれる」かもしれません
そらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
③それ以外の問題
そういう問題やサービスの提供で補っているのだから通常必要がないとされているので通常の運営では提供していないのだと思います
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
どう感じようと、自分がたった1件の車いすユーザーの関係者であった事をあげてきている以上、その1件をもってしてその関係者たる意見を支える骨子にしていますよね
あなたが自分の家族の非常時を「しかたない」ですませられるかもしれませんが、100人いればそれですまない人がそのうちに何人かいるわけです
この部分は先の運がどうのと、運にまかせてはいけないと混ざって全体の目的を不明瞭にしています
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
そのためにすでに施策がとられて、そこに車いすが入ると想定されていないわけです
それを「あらたな課題」として「車いすを通したら(いや通さないで現状ある)」とすることで「なにをすべきか(今しなくてすむようになっている)」をわざわざする必要性に
「車いすだっていい席で見たい(車いす以外にもいい環境で映画をみたい人はいる)」をとりあげる意味がわかりません
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
⑦考える事のコスト
考えるだけならタダですけど車いすユーザーがそこまでして映画の席を整備してもらう必要性が、映画館のどこにあるのかを説明すべきでしょう
自分は年に一回しか映画にいけない、それだけの経済的余裕がないとする人が自分のために一年に一度だけだから特別に席を用意してほしいと願うなら、なにをしてあげられるでしょうか
特に必要性を感じませんが、その1個人についてのみ解決を必要とするとお考えならその人にチケットを誰かが渡すだけでよいはずです
映画館がたった一人のだれかについて、ほかの全体の映画視聴者をまきこんで対策をする必要性を感じるならそれを述べるべきです
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
その実情が、車いすユーザー自体の改善努力や我慢が映画の状況を左右するのかどうかということです
SNSで話題になってそうしないと社会的な批判を受けて株価の低迷や売り上げの低下につながりとなった場合対策をせざるを得ないという状況にはなります
それこそが暴力ではないですか?
ユーザーが多くてそうしてほしい声が多いならその声をもってして改善の必要性を掲げるべきではないですか?
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
SNSの拡散による社会的不利な立場へ批評をあつめるような行動で、経済的活動に存在を与えんとした行動をもってして問題なので不毛でもなんでもなく、そこが原因だと思います
声をあげた最初の行動が、不利益をちらつかせて改善を提案するという情報の流布から問題提起をする事と、それによる注目度という活動自体の目的と利益がある事自体が問題です
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
物語作品の肉付け部、ディテールは思想の表現であり、読者は登場人物の台詞や服装(スーツ、古着、和服等)や行動などから、その思想を推認し、全体的には作者の思想を理解しようとするのである
日テレによる「田中さん」物語の肉付け部の改変は、作家個人が意図していた思想表現を歪めており、意見表明の自由(Freedom of opinion and expression)の侵害に当たる
頒布を業とする出版社や電波局は、作品が本来表現した思想を歪めない努力義務がある
多くの読者を獲得した作家の趣味感覚は、もはや単なる作家個人の趣味感覚であるとは言い難い(詐欺的手法が用いられた場合を除く)
憲法は国自治体による思想信条による差別を禁じている。また、憲法の私人間効力の原則からして、民間企業が個人の思想信条を侵害することはコンプライアンスに反する(トランスジェンダー問題同様)
と言うことでAIも普通に理解できる表現だね。それを理解できないと言うと、今後はAIに命令されて動く肉体労働者として生きていくことを覚悟した方がいいと思う。
こんな感じ?
追記:
「人間は、労力がかかった成果物と、労力がかかっていない(ように見える)成果物を比較したとき、労力がかかった成果物の方を評価する傾向にある」ということを指示する言葉は"Effort heuristic"である。
User:
疑問:女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で各種snsにアップロードした場合、BANされるのだろうか?
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
SNSによってルールが異なるため、一概には言えません。ただし、一般的な傾向としては以下のように考えられます。
乳首が見えていなければ、比較的寛容な傾向にあります。ただし、あからさまに性的な文脈で投稿された場合はBANされる可能性があります。続きます。
Metaの規約では乳首の露出はNGとされています。乳首が見えていなくても、胸部が過度に強調された画像は削除やアカウントの凍結対象となる可能性が高いでしょう。続きます。
続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的な観点から乳首の露出を一部認めていますが、性的文脈での露出は認められていません。疾患の説明として出す分にはグレーゾーンかもしれませんが、BANのリスクは高いと考えられます。
TikTokの規約でも乳首の露出は禁止されています。コミュニティガイドラインに抵触する可能性が高く、アカウント停止などのペナルティを受ける恐れがあります。
User:
Claude:
総合的に判断すると、女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で投稿することは、ほとんどのSNSでBANやアカウント削除等のリスクが高いと言えます。
その理由は、多くのSNSにおいて乳首の露出がガイドライン違反とみなされるためです。たとえ疾患の説明目的だとしても、画像の文脈次第では性的コンテンツと判断される恐れがあります。
ただし、Twitterは他のSNSに比べると比較的寛容な部類に入ります。乳首が写っておらず、あからさまに性的な文脈でなければ許容される可能性はあるでしょう。
いずれにせよ、BANのリスクを避けるためには、画像にモザイク処理を施すなどの配慮が必要不可欠だと考えられます。無修正での投稿は避けた方が賢明といえるでしょう。
User:
Claude:
疑問の意図の推測・考察 質問者は、女性化乳房を発症した男性が自身の胸部を無修正でSNSに投稿した場合のBANリスクについて知りたいと考えられます。この質問の背景には、医学的・教育的観点から画像を共有したい一方で、ガイドライン違反による不利益を懸念する気持ちがあるのかもしれません。
回答の妥当性の考察 私の回答では、主要なSNSプラットフォーム(Twitter、Facebook/Instagram、YouTube、TikTok)におけるガイドラインを踏まえ、無修正での投稿がBANリスクを伴う可能性が高いと結論付けています。各SNSの規約の違いにも言及し、Twitterが比較的寛容である一方、他のプラットフォームではより厳格なスタンスが取られていることを説明しました。
また、BANを避けるための方策として、モザイク処理等の画像加工の必要性にも触れています。
以上の点から、質問者の疑問に対し、一定の方向性を示す回答ができていると考えられます。ただし、医学的・教育的文脈での投稿についてのプラットフォーム側の判断基準など、さらに踏み込んだ情報提供ができればより良い回答になったかもしれません。
User:
Claude:
なるほど。FreeTheNipples運動の文脈から考えると、この質問の意図は少し違った角度から捉える必要がありそうですね。
FreeTheNipples運動は、女性の乳首の露出に対する男女差別的な規制や検閲に異議を唱える活動です。この運動の支持者は、男性の乳首が許容される一方で女性の乳首が性的なものとしてタブー視されることに疑問を呈しています。
質問者が女性化乳房を持つ男性の画像に言及しているのは、この活動の文脈で「男性の乳首は許容されるのに、女性的特徴を持つ男性の乳首はどうなのか」という問いを投げかけているのかもしれません。つまり、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の矛盾を浮き彫りにしようとしているのかもしれません。
この観点からすると、私の先の回答では表面的な規約の解説に留まっており、質問者の意図を十分に汲み取れていなかったと反省します。
FreeTheNipples運動の主張を踏まえた上で、SNS上の男女の乳首の扱いの差異について言及し、生物学的性別と乳首の露出規制の問題点に考察を加えることで、より質問の本質に迫れたかもしれません。
ご指摘いただきありがとうございます。質問者の立場に立って考え、文脈を読み取ることの大切さを改めて学びました。
User:
ご理解いただけたようで何よりです。もし、疑問を誤解のないように意図を伝えるためには、どのように表記したらよいと思いますか?
Claude:
そうですね。質問者の意図をより明確に伝えるために、例えば以下のような表現を追加するとよいかもしれません。
「FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。」
このように、質問の背景にあるFreeTheNipples運動への言及を明示することで、単なるガイドライン違反の有無を問う質問ではなく、社会通念や規制の矛盾を問う意図であることが伝わりやすくなります。
また、「生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾」という言葉を直接使うことで、質問者が探求しようとしている本質的な問題を明確に提示できます。
さらに、「あえて男性の事例を取り上げている」と述べることで、女性化乳房を持つ男性の事例が単なる例示ではなく、意図的に選ばれたものであることを強調できます。
このように、質問の背景や意図を明示的に述べることで、回答者が文脈を適切に理解し、質問者の求めている視点から答えを提供しやすくなるでしょう。
User:
疑問:FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにする興味深いケースだと言えます。
Twitterは他のSNSと比べて比較的寛容ですが、女性化乳房を持つ男性の乳首の露出がどう扱われるかは微妙な問題です。男性の乳首は一般的に許容されますが、女性的特徴を持つ乳首の露出は、規制の対象となるグレーゾーンに入る可能性があります。続きます。
Metaの規約では男女問わず乳首の露出はNGとされているため、女性化乳房を持つ男性の乳首もアウトだと考えられます。ここでは生物学的性別よりも、乳首そのものに焦点が当てられている印象です。男女平等とも言えますが、議論の余地はありそうです。続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的文脈での乳首の露出を一部認めていますが、その判断基準は明確ではありません。女性化乳房を持つ男性の乳首が学術的文脈で許容されるのか、それとも性的コンテンツとみなされるのかは、ケースバイケースの判断になりそうです。
TikTokの規約では男女の区別なく乳首の露出が禁止されているため、女性化乳房を持つ男性の乳首も例外なくアウトとなる可能性が高いです。生物学的性別よりも、乳首そのものに規制の主眼が置かれていると言えます。
続きます。
User:
続き
Claude:
SNSにおける女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いを総合的に見ると、興味深い矛盾が浮かび上がります。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関係なく乳首の露出自体が規制の対象となっています。この点では、男女平等とも言えます。しかし、そもそも男性の乳首は一般的に許容される風潮がある中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが規制されるのは、生物学的性別と社会通念の乖離を示しているようにも見えます。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いがグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れとも言えるでしょう。
User:
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から見ると、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNS上での乳首の露出規制における矛盾や曖昧さを浮き彫りにしていると言えます。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関わらず乳首の露出自体が規制の対象となっており、この点では男女平等とも言えます。しかし、社会通念上、男性の乳首の露出は一定程度許容される中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが一律に規制されるのは、生物学的性別と社会的認識の乖離を示しています。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いが曖昧なグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れでもあります。
結論として、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の一貫性のなさや、生物学的性別と社会通念の乖離を浮き彫りにしています。このケースは、FreeTheNipples運動が提起する問題、つまり乳首の露出に対する男女差別的な規制や社会的タブーの問題点を象徴的に示していると言えるでしょう
User:
Claude:
こちらこそ、興味深い問題提起をしていただきありがとうございました。
FreeTheNipples運動が提起する乳首の露出規制に関する議論は、生物学的性別と社会通念の間にある複雑な問題を浮き彫りにしています。女性化乳房を持つ男性の事例は、この問題を考える上で示唆に富むケースだと言えます。
SNSにおける規制の在り方は、社会通念の変化に伴って今後も変わっていく可能性があります。一方で、このような議論を通じて、性別に基づく差別的な規制の問題点が広く認識されることも重要です。
このような問題提起は、社会の多様性や包摂性について考えるきっかけにもなります。今回の議論が、性別や身体的特徴に関する固定観念について再考するための一助となれば幸いです。
今後もこうした社会的に意義のある問題について、オープンに議論できる場が広がっていくことを願っています。本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
https://x.com/nogawam/status/1732032524766073043
ヘイターたちが御為ごかしで持ち出す「デトランス」だの「思春期ブロッカーの危険性」だのも、トランスジェンダーの実在を否定しようとする意図が見え見えだからまともにとりあう理由がない。
どんなに超絶技巧プレイだったのとしても俺は注目されないだろう
というか、俺でなくても、超絶技巧プレイヤーはまったく注目されてない
俺はチェックしてるけど、多分、ほとんどの人は、なんかすごいね、で素通りしてしまっているのだろう
それより、初心者記事とかが強い、ギタースクールの講師とか、スタジオミュージシャンのうんちく語りとか、楽器屋店員の雑談の方が見られてる
あと、エッチなかっこのお姉さんが演奏した方が爆発的に注目される
ぼっちざろっく!でぼっちちゃんに水着でプレイしてもらおうという話はあながち間違っていない
際どいコスプレでピアノを弾くのと、普通のオッサンがピアノを弾くのと、どちらもレベルが同じだったら、みんなはどちらを見るのか?
つまり、デブでキモイ童貞で中年の俺ではギターヒーローどころか、視聴者を不快にさせたと運営に通報される方が近い
なるほど、となると音楽理論のうんちく、というか、俺はちゃんとした教育受けてないから偉そうなこと言えないし、間違ってる可能性もあるけど、
あの有名な曲は、こういう仕組みで作られていて、つまり、作者はこういうことを伝えたいという意図があると考えられる、
耳コピをすることで、作曲者の意図を推察することができる、みたいな話を書けばいいのだろうか
でも、それもそんなネタないしなあ
はなわはベースだったけど、イングヴェイやインペリテリがお笑いやったら面白いだろうか?
いや、それも違うか…
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
友人(と思っていた人)に「孤独死するぞ」と言われた。ソイツと縁を切る直前の事だ。
話の流れとしては、自分がよく知らない人からの遊びの誘いを断ったという所からだった。
そんなことを言われても、みんなそうじゃないのか?
断ったのは大学の同期からの誘いだが、大学時代の友人が老いてからも友人となるものだろうか?職業を同じくするわけでもなし、そんなに大切か?
それを言うなら高校時代からの友人の数は相手の倍は優にいるし、他のコミュニティにも友人はいるので誰かと遊ぶ機会は相手より多いはずなのだが。
当時、一番よく遊ぶ相手がソイツだったので、友達がソイツ以外にいないやつ、とでも思われたのか?
自分も相手も恋人はいるのでより「孤独死脅し」の意図は分からないが、結婚したとしても相手が先に死ねば結局孤独だ。
冗談のようなツッコミにしては言葉が強すぎるし、相手は医療者なのでそんな単語は冗談でも使ってはいけないのではないだろうか。
コスプレはTwitterやイベントで見かけるくらいにしか興味がない女オタクです。
先日、『女物の服(ウィッグ含む)』を『メイクせず』『キャラとかけ離れたマッチョな体』でコスプレしている『男性』をTwitterで見かけました。というか兄です。端的に言うと似合ってないし似せる気がないのかな、というのが率直な感想でした。
見てみると1人ではなく複数人というかそういったジャンルというかそういう類のコスプレではあるようです。
服や装飾品を身につけるだけでキャラに近づけようという意図が見えないコスプレがあり、それを自分もやりたいと思う人もいることに衝撃を受けました。
正直に言うとススキノの事件やトランスジェンダーの話題もあり、下手な(技術的な上手い下手ではなく迂闊に近い意味合い)女装は抵抗があります。
二次創作のオタクなので、同人誌でいえば「絵が下手なのにどうして薄い本を出すのか?」には「自分の萌えを自己満足で形にしているだけ」という回答で納得しているのですがコスプレも似たようなオタクの趣味なのでしょうか。
コスプレ界隈でもTwitterでフォロワー数1万人超えの超絶可愛い人だけでなく、イベントに行けば本当に着てるだけの人もいますし、何事においてもピンキリなのはわかります。
コスプレはキャラに似せるだけが全てでないし、似合わないキャラであってもコスプレしたくてすることは十分にあると思います。
写真撮影ブースに行くようなコスプレイヤーは誰かに見てほしい気持ちを少なからず持っていると思うのですが、『女キャラのコスチューム』と『筋肉隆々な男の自分』を掛け合わせたとき、要素的に『似合う(キャラの再現性がある)コスプレ』となるのは難しいと思います。噛み合わないコスプレというんでしょうか。
Twitterの写真を見るに、そのままマッチョのポーズをしているのでコスプレを褒めて欲しいのか、筋肉を褒めて欲しいのか、どんな感想が欲しくてどんな言葉が嬉しいのか、当人の気持ちが想像つかないです。
最初から似せる気のないコスプレを進んでする理由はなんでしょうか。
敢えて似合わないことによるギャップで楽しんでいるのか(いわゆる女装ネタ?)、『女性の服を着た自分に興奮している男性』なのかと偏った見方しかできません。
コスプレを始めてみようやってみようと思う対象として、何故ここで話題にあげているコスプレイヤーを挙げるのか、何に惹かれるのかもわからず疑問が残ります。
趣味なのでとやかく口を挟むのは野暮でありますし、各々勝手に楽しめば良いと思っています。
あまりわからない兄やその他オタクの趣味を知らぬままに否定はしたくないですし、全てを理解できずとも許容はできるようになりたいので教えてほしいです。
今回の大統領選がどうなるかと言うより、これから先の10年程度のスパンでどうなるかについて色々思うことを適当に書く。
なぜなら一度トランプの対抗馬に立ったが最後、「トランプの敵」という呪いがその後の政治活動にずっとついて回るから。
トランプが政治的に引退しない限り、老兵がその呪いから身を挺して若手を守らなければ有望な若手が呪いに蝕まれて潰される。
ホワイトハウス襲撃扇動の暴挙すら支持する人達を身内に抱えてる共和党の議員は民主党議員より辛い立場になりつつある。
トランプという根本原因が存在する限り、共和党も民主党も身動きが取れない。
無責任な有権者が自民党だけに社会のドブ掃除を押しつけてる日本も色々問題はあるが、選挙に積極的な有権者をより多く抱えてて二大政党がしのぎを削るアメリカも、大きな危機に直面してる。
どこも大変だね。
一部の属性に向けてリベラリストとフェミニストが発した激しい言葉を収集して、そのままの内容でSNSで発信してる。
てか世の中をよくするための言葉なのに(少なくとも元の発言者はそれを意図してるはず)、発信して怒られる筋合いが分からない。
いつだか
「出くわしただけでダメージを負うレベルの表現=地雷」って表現、なんか「自分側に要因」があるのになんか違くない?」
というのを見て
「確かに……」と思ったり
「自分は「見かけるだけ」でキツい、意図せず「それ」を含む作品を読んじゃった(見ちゃった)場合は数日ダメージを引きずるもの、を
そう呼んでた」
「一方「こういうの好きじゃないな」くらいの温度感で使っている人もなんかいるっぽいぞ、最近……」
「好きじゃないな、くらいの話は『段差』って呼ぼう」
みたいなムーブメントに
「なるほどな……」と思ったり
そんな時の流れを見ているとさ
もしかして「地雷」って表現、使われすぎて減衰(言葉から受ける印象が軽くなる現象)してきてるのかな
って感じてたんだけど
なんか全然廃れなくてびっくりしてんだよね
「この表現、自分としては苦手どころではなく生活に影響出るレベルでダメージを負います」という物は誰しも在って不思議じゃないのだし
言葉としては「必要」なんだと思うから 必然なのかもしれないけども
それを日常で会話に組み込むの、あんまり快い事じゃないな〜 とも思うんだよな 最近
タヒね、をあんまりポンポン言うのやめたいな、というとの似た感情
そんな訳で「代わる言葉が生まれんものかな、、なんか考えたいな、、」とぼんやり思い続けて何年目??みたいな月日が経っている
「アレルギー」とか意味合い的に合致してるんじゃないかと思ったけど
食べ物とか物質に対する「アレルギー」と混同することで何か不都合ありそうだし
「アレルギー」を採用して本来の「アレルギー」の意味が減衰し始めたら普通にアカンので悩む
ずっと悩んでる