はてなキーワード: 性的マイノリティとは
Twitterで色々な意見を読んでいて、多くの点がこんがらがってないか?と思ったので書きまとめる
読みやすいように書いてないから読みにくいとか知らん 私が一番読みにくいわ
世界的には「パラフィリア 性嗜好障害」と断定されている。ただ、「忘れ物が多い人が全員ADHDである」ということではないのと同じように、小児への好意や性的な欲求、加害性などの諸々を鑑みて治療が必要か否かを判断するのではないだろうか。
「人を殺しまくるゲームが好きな人は全員現実でも人を殺したいと思っているのか」と同じ問いだと思う。
全員がそうでは無いし、そうである人もいる。単純にイコールでは結び付けられない事柄。
小児性愛は言ってしまえば特殊性癖でしかなく、社会に認められはしないものである。
それは、未成年に手を出すことは法律上犯罪とみなされているから。
ただ、個人の趣味嗜好を制限する権利は誰にもないため、小児性愛を抱えること自体は悪では無い、と私は思う。
もちろん、子を持つ親は小児性愛者が犯罪者予備軍のように見えると思う。我が子の身に降りかかりかねないことだからね。
だからこそ、あのレポ漫画はひっそりと仲間内で喋る程度に収めておくべきだったと思うし、「ラブドールいいぞ!!犯罪する前に買え!」という文章はまずかった。
あれだけを読んだ人は「この人はラブドールが無ければ罪を犯す人である」と思ってしまう。どれだけ作者が「現実に手を出しません」と言ったところで信憑性は薄くなってしまう。
ゲームで人殺してるんだ!現実で人を殺さないために!って言われたところで安心する?無理でしょ こいつヤベー奴だと思うでしょ
結局「小児性愛は社会からそう捉えられている」というのを認識できなかった点で落ち度があると思う。
仲間内でひっそり楽しむべきものなのか、公に喋っても大丈夫なものなのかを考えるべきだったのでは。
そもそも性的マイノリティというのは、マジョリティから外れたマイノリティの話で、それが性的嗜好、性自認などのタイトルが付いていること。(だと思っている)
なので広義的に捉えれば、社会的なマジョリティからは外れているという意味で小児性愛も性的マイノリティとすることは出来ると思う。
ただ結局、「未成年に手を出すことは犯罪」である社会で未成年に好意を抱くということの危うさは同性愛にはないと思う。(もちろん男性が男児に手を出したら同性愛だろうが犯罪)
もちろんこの理論は「同性愛が犯罪ではない」という社会でなければ成り立たないのだけれど、なによりは対象者が「大人が守るべき未成年者」である点ではないか。
対象が未成年だからってだけで犯罪とされるのか!未成年もひとりの人間!自由!って思う人は児童婚の実態とかを調べてね。
判断力のない幼い子どもを自分の欲求のために利用することがどんな事なのか目の前の箱で検索してね。
だからこの「小児性愛は同性愛と一緒」という意見は「社会に犯罪とみなされてきた性的嗜好」という点でしか見ていないのだろうと考える。
「なぜ小児性愛は批判されるのか」「なぜ同性愛は批判されるのか」に対しての回答は別物なのに…
と
ここまで書いたけどこれ「未成年者に手を出してもいい」と本気で思っている人には理解できない文章だよなぁ
未成年に本気で手を出してもいいと思ってる、未成年は守らなくても良いと思ってる人には分からないよな
結局「小児性愛は違法」という考えは「未成年に手を出してはならない 未成年は守らなければならない」という前提意識がないといけないので…
分からなくなってきたので一旦切る
追記すると思う
分かったかも
同性愛はそもそも「性的マイノリティ」と名付けされているだけで本来自由なものであるべきだし、公にしていいものなんだ
だけどペドフィリアは違って、行えば犯罪で好意を伝えたとしても人権侵害になりうるんだ
ぶっちゃけ未成年に手を出しもいいと思ってる奴は実際に手を出すんだよな
結論として
・ぺドフィリア自体は悪では無いけど、それを公にした時の反応を考えるべきだった
・実際には手を出すな
だな
セクションの付け方を教えてくれてありがとう心優しき人
小児性愛者が小児相手のセックスでしかその欲望を発散できないわけではないし
一般的に小児性愛の治療は性対象の変更ではなく、小児に対する行動の抑制だ
何を主張したいのかよくわからないのだが
バイセクやパンセクだって相手が小児じゃないから許されてんだろ
治療だって、苦しんでて本人がどうにかしたいと思ってんなら受けられるってだけで、一生性的満足を得られなくても苦しくないなら別に受けなきゃいい
大人の女相手に勃起できたらいいなあ、と思うやつだけ治療受けろよ
女子大生で普通に勃起すんのにただ「ロリエロでも抜きたい」ってだけで少しも苦悩してなさそうな奴らが都合のいい時だけ性的マイノリティーを引き合いにだして的外れな主張してるのクソ腹立つんだよ
→小児性愛者
大人の女にも勃起できる奴が性的マイノリティーを自称していると腹が立つ。
三次元の小児性愛者には、永久に満たされることがない苦しみがある。よって性的マイノリティーであり、治療対象になる。
「LGBTも昔は治療対象だった」と主張するアホがいるが、決定的な違いは相手の年齢にある。
現代社会において、個人の意思は尊重されるが、子供は大人が守るべき存在である。法律上でも小児との性的同意を取るのは不可能である。
LGBTは性的マイノリティの中でも数も多く、適切な手順を踏めば法をおかすことなく自らの欲求を満たすこともできる、そんな有利な条件の中にいて自分達はかわいそうなんて顔をしているこいつらが嫌いだ。欲求を持っているだけで非人扱いされる人々もいるのに。法をおかすことになるから一生欲求を満たせないことが確実な人々もいるのに。「ただの病気だから病院に入れろ」なんて酷い言葉をぶつけられる人もいる、かつてはLGBTも治療という名の矯正の対象だったのに。
自分達は認知や理解が進んで市民権を得てきたせいか、「性的マイノリティに小児性愛や動物性愛や死体性愛は含まれません」なんて言って他のマイノリティを切り捨てて自分達だけにマイノリティ故の同情票を集めている。性的マイノリティって括りを占有してる。マイノリティがマイノリティの場所を奪っている。まるで名誉男性ならぬ名誉マジョリティだ。
Twitterで話題になっているショタラブドールの話が気持ち悪すぎて、お前ら消えろよとしか思えない。
何がマイノリティだよ。
それは性的マイノリティには入らねえんだよ。
私はロリコンの標的になった女だ。
小学生の頃、私は同意の上で32歳のオッサンと性行為をした。私は同意したと思っていた。
ただその行為をしたかったのではなく、当時荒れていた家庭環境のこともあり父性を家庭外に求めた結果だった。
後に結婚し、子供を産み、それが如何におかしい事なのか気がついた途端、誰にも言えずにいた気持ちを旦那に話した。
すると「小学生に性的行為の同意がどうこうなんてわかるはずがない。そこを止めるのが普通の大人で、異常なやつがそういう家庭が荒れた女の子をターゲットにすることはよくある話だ」と言われ、初めてこれは同意なんて存在しなかったんだと気がついた。
今私はカウンセリングを受けている。
過去起きた事は変えられないが、辿ってみると私はその出来事にしっかり傷ついて、自傷行為ともなる行動をとっていた。
私は同意なんてしてなかった。
「寂しかった時に頼れたならいいじゃないか」「小学生だってもうしっかり判断できるだろ」とかいい歳したおっさんおばさん共が判断するなよ。
これは異常な愛だ。
それをわかってて被害者を生みそうならカウンセリングを受けろ。
いつまでエロ漫画で夢見てんだよ。
でもそれを「それを代替品として我慢してる」というならカウンセリングにいけ。
後でしっかり傷つく。
痛みに鈍感になっていた子供を利用する前に、目を覚まして欲しい。
あらかじめ言っておくと、例のショタラブドール購入した人のツイートを擁護するつもりは全くない。
おかげで自分たちも言葉遣い雑なくせに他人の揚げ足取りしてふぁぼりつ集めることが生きがいのクソフェミの恰好のえさになってる。
ショタのラブドールを買った人のルポ マンガツイートを読んだけど、「現実の男のに手を出す前に」と同好の士に訴えるの、自分たちから予備軍であるかのように語らんでもいいのに…と思った。予備軍扱いする視線を内面化しちゃわざるを得ない環境というのもあるのだろうが。— 半地下のH.イワシタ (@iwa_jose) August 30, 2020
不快に思う人がいるのは当たり前。
内輪に向けた発信だったのだろうが、ショタなどの性的マイノリティたちへの迷惑を考慮しなさすぎ。
ショタコン当事者にとって失礼すぎるので、ぼこぼこにされるのは当たり前。
改めて、ロリコンにおける専門漫画雑誌たるLOが毅然と“Yesロリータ、Noタッチ!”を掲げている意味を考えるとともに、男の娘界隈やショタ界隈は“Noタッチ!”をちゃんと言えてるのか見直して身を引き締めなければならないと思った。 >ラブドールのレポ漫画の件— マリオネット・ブックマーク (@Marionette_Book) August 29, 2020
ショタラブドールの漫画、現実に手を出す前にって文言はちょっと迂闊ではと思うけど、あるショタ絵描きの人が苦言呈してて同じショタコンと思われたくないつってたけど、そりゃ二次元のみのショタコンと三次元のショタコンは種類違うし、三次元ショタコンの苦しみなんて知る由もないんだなって— 鮎下魚 (@nyohonyohonyo) August 29, 2020
私は不快なお気持ちを表明して仲間からちやほやされたがってる承認欲求が強すぎて気持ち悪いツイフェミ界隈の人たちのお気持ちなどどうでもいいしこのツイートを消すべきだったとは口が裂けても言わないが「叩かれて言い訳しながら消すくらいなら最初からもうちょっと気をつけろ」とは言いたい。
作家がショタラブドールのレビュー書いたら性癖警察に偏った性癖は治すべきって騒がれちゃったお話、マジで一番怖いのは人様の性癖を矯正しようとする性癖だろ— 貴女(アニャンタ) (@morokoshiboy) August 30, 2020
ほんまこれ。
今回特にひどいなと思ったものとして、こういうツイートをしている人がいた。
「ショタのラブドールはもともとレ〇プ願望を満たすために作られた男児型の玩具」
これ性行為はすべてレ〇プって発想じゃないと出てこない言葉よな。
セックスレス性嫌悪おばさんは存在そのものが害だから他人の性的指向に口出すのやめてもらえませんかね。
それ言うならレイプ描写があるBL創作読んでる人間全員取り締まろうな?「購入するのはレイプ願望の発露」っていうならラブドールよりよほどこっちの方がアレだろ。
このツイートした人、自分がどのくらい醜い偏見持ってるかというのと、自分がふぁぼりつ欲しくて人を叩くことでちやほやされたがってる性癖が病気だからはやくカウンセリングいった方がいいよ。
って言われたら素直にいくんだよな? これだからキチガイフェミって嫌なんだよ。
ショタのラブドールについて
『犯罪に走らぬよう使用している』
ってみんな当たり前みたいに言ってるけど違うよ。
成人も性的対象だけどショタも大好きな人間を含めた、性生活の充実(娯楽)が目的の商材でしょ。
あれを犯罪抑止アイテムとすれば、使用者=犯罪者予備軍みたいになるからやめよう。— ハートレス@絵描き (@Heartless_point) August 30, 2020
・元ツイートの人はテンション上がってたんだろうけれど、そもそもが危ういテーマについて語るんだから言葉についてもうちょい気をつけろ
・今回つい主に対して病院にカウンセリングに行くべきだのショタコンは病気だから治療しろという趣旨のツイートをしたイツイフェミは、まずお前らが全員病院にカウンセリングに行け。
以上です
かつてのフェミニズムの議論は、表現や言葉遣いに乱暴な面があったが、少なくとも明るく元気があった。田嶋陽子はフェミニストの中でも評価は微妙だろうが、彼女から「元気をもらった」「心の支えだった」という女性は実際にたくさんいた。一男性として納得できない議論や腹の立つ面も多くあったが、反対する人間も含めて発言や表現を活発にさせるような力を与えていたと思う。
しかし今のフェミニズムは、表現や言葉遣いが非常に洗練された一方で、人々の発言や表現を抑制している面がある。個人的には議論の中身自体は古いフェミニズムよりもほとんど同意でき、腹が立つことも皆無なのだが、「じゃあ何か自分も言わせて欲しい」という活力がまったく沸き起こってこない。とくにPCが問題の中心になっているので、言葉は乱暴でも言いたいことを言えばいい、というかつてのフェミニズムの雰囲気はほとんどなくなっている。
たとえて言えば、昔のフェミニズムは教室でそれを語ったらガヤガヤと賑やかにみんなが喋り出すようなものだったのに対して、今のフェミニズムは教室がシーンとしてしまうようなものになっている。「下手なこと言うとジェンダー差別を肯定していると思われる」ことを非常に恐れているからである。
しかし、ネットに蔓延るアンチフェミも、「男女を逆にすれば…」という何の意味もない屁理屈をこね回すばかりで、議論の活性化を明らかに阻害している。kutooの石川優実氏が嫌がらせに耐えかねてネット論壇から撤退したが、「表現の自由」を標榜する彼らが彼女の自由を言論空間を必死に守ろうとした形跡はない。
昔がよかったということではない。でも昔がよかったかな。
(追記)
ちなみにここで言う「今のフェミニスト」の代表が小宮友根氏。書いているものは大変勉強になるんだけど、女性や性的マイノリティの人は小宮氏の本を呼んで逆に気持ちが沈んでしまうかもしれない、と感じることもしばしば。
池澤春菜もそうだけどさ
だってこれは「理解ができない」って言ってるのと同じ。
「理解が足りない」はあっても、「できない」はない。
年齢も性別も国籍も、生物としての特性でさえ、すべてを超えることができる。
っていうか‼︎
わたしが今まで演じてきた数々の不思議生き物どうするのさ⁉︎— 池澤春菜*帰国しました (@haluna7) July 10, 2020
お前らが例で出すのはいつだって空想上の宇宙人人や「不思議生き物」(ピカチュウだの)やそうでなかったら殺人犯だろ?
それって結局お前らがミックスや黒人や性的マイノリティのことをそれらと同等に考えてる意識の現れでしかないわけ
黒人が黒人の役しか演じられなくていいのか!?って言ってるけど、それも一面では正しいけど、現状は多くの黒人(ミックス)は黒人(ミックス)の役すらできないっていう不均衡が起きてるってのが問題なのよ
個人的には「実態に即してないから」ポリコレ的でないみたいな論調だったのでそれは違うよなあと。
実態に即しているのがポリコレならまだまだ家事は女性が主体で育児はワンオペだらけなのでそういう描写をするのが「正しい」ことになるのでは?っていう。
ポリコレってもっと人権的なものとか平等だとかそういうものだと認識していたので、ポリコレ的観念からリバが主体であるべきと主張するなら受け攻めの固定が役割の押し付けであるからとか人格の否定であるからとかそういう方向で語るべきじゃないのかなーと。
あと男女で家事を両性が分担しているのが基本、っていうのもそもそもそれポリコレって言えるの?という疑問は感じました。
自分にとってのポリコレ的に正しい家事の描写は「互いに相談の上でどちらが何を負担するか納得した状態で運営する」であって、分担した家事をしてても不満があってそれを相手に伝えられないなら正しくはないと思います。
同じようにポリコレ的に正しい同性の性行為の表現は互いにどちらが攻めてどちらが受けるか納得の上で同意して性行為をすることであって、例え統計的に現状いわゆるタチもネコもやるリバの方が多数派であるのが実情だったとしても、それを根拠に本来希望している役割とは逆の役割をやらされるようであれば正しくはないんじゃないでしょうか。
女でも男でもかわいくなっていい、女でも男でもかっこよくなっていい、っていうのがポリコレじゃないんです?自分のあり方を自分で決められるのがポリコレだと思っていたけど違うんでしょうか。ポリコレ的にはステロタイプの押し付けって一番ダメなやつでは?
だからと言っていちいちBLで互いの役割決定シーンを必ず挟むべきとは思わないし、家事の描写がある作品では役割分担の相談をして互いに合意する場面が必要であるとは思いませんけどね。
偏った情報しか周囲にないせいで認識が歪んでしまう問題や役割を押し付けられてしまう問題そのものはよくないことであり、改善のために何ができるか考えていくべきだと思うし、当事者の声は素直に聞くべきだと思います。
でもその問題を考えるために現実に即してないから、とか実際の割合はこうだから、ってのを持ち出してそれを根拠にすると、それは必ずしも倫理的な正しさや公平さに繋がらないんじゃないかと思います。
問題のアンケの人は【追記:自分の志向と合わないジェンダーロールを押し付けられたことを、実際の因果関係は不明ですが当時溢れていたBL的表現のある創作物が原因だという想定のもとで】「若い性的マイノリティーの手に取る物に自身のロールモデルになるキャラがある程度の割合でいてほしい」って言ってるんですよね。その気持ちは特に悪いとは思わないです。
でもそれ【追記:=ジェンダーロールの押し付けをなくすという目的】を満たすためのものが「受け攻め表記を撤廃して、創作物のタチネコ固定とリバの割合を現実に即した割合にする」になるとは思えないんですね。
ご本人がその辺の割合がこれくらいになってほしいとかそういう話をされてます。
それって海外で問題になってるような一つの作品内のキャラの割合を現実に即した物にするとか黒人キャラを黒人が演じるとか(個人的にはこのあたりにも色々思うことはあるし必ずしもそれがポリコレとして本当に正しいとは思えないとかあったりしますけど)ともまた違うんですよ。
世の創作物全体の割合を現実に即した物にすることをポリコレとは言わないでしょう。言いませんよね?
表現の自由的な問題からしても「あなたの書いた受け攻め固定BLは既に世に規定数出回っているのでアウトです。リバBLを書いてください」とか言われたらふざけんなってなるでしょうそれは。
そしてそれは「あなたは受け攻めを固定しているけれど現実の同性愛ではむしろリバが主流であり表現として正しくありません」って話は(その主張を受け入れるべきかどうかは別として)別の話であって混ぜて語るべきじゃないんじゃないんですか?
ジェンダーロールを押し付けられない世の中にするために創作物内での表現に配慮するなら、そこに出てくる人がどんなジェンダーロールを持っているかよりもキャラが主体性を持って己の求めるジェンダーロールを勝ち取るシーンを入れるべきというのがあるべき主張では?(その主張が正しいかどうかは別の話)って思うんですけどどうですか、という話です。
あと、例えば実際の現実の割合に基づいた結果性的マイノリティーの人の前に自分と同じ属性のキャラが登場する作品としてお情けのようにほんの数冊の漫画をお出しされたとしたらどんな気分になるかを考えると、自分としてはそんな世の中が性的マイノリティーを救うとは思えないなーとは。
トランス女性に対する理解がまずありません。トランス男性やその他のLGTBQ+などについてもそうですがそれらはあまり語りません。
古くは単に「オカマ」だったのだと思います。女になりたい男だとか、そんな風に思われていたのでしょう。
だから、言葉がオネェ言葉だったり、女装している人だったり、あるいはニューハーフだったりするような人達と一括で「オカマ」にカテゴライズされていたのだと思います。
が、実はそうではなかったわけです。それらは全部種類が違う。種類というか全く別な存在だったわけです。
このことは、既に二十世紀中盤あたりで既に分かりつつありました。
ガチで、生物学的には男性だけど、その本人自身はどーーーーーーーーーしても自分自身を自分自身で「私は女性である」としか思えない人がいるとわかってきたのです。
最初は精神的病気だと言われていましたが、治せないことは分かっていました。
ですから治療は主に、ホルモン療法であるとか、性転換手術であるとか、その心・思いの方へ一致させる方向で行われました。
原因もさっぱりわかりません。それで病気なのではなく心と体の性別が一致しない障害なんだと、次に言われるようになりました。
それが性同一性障害です。
病気であると言われていた時代との違いは、「女になりたがるという病気」なのではなくて「自身を女だと誤解する障害」だと認識が変わったということ意味します。
この時点ではまだ、この人は「ほんとは男の人」だという認識は変わっていません。
性同一性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
ところが、1990年代くらいから、海外では自発的に、治らないんだったら治らないそのままでいいじゃないか、という動きが出てきます。
新しい性別という意味ではなく、性別を越境する人間なんだと認識しよう、というちょっと意味のつかみにくい用語です。
要は、もうありのままの自分として、マジョリティな性別・性志向な人達と同じように、自由に自分が思う通りに生きようじゃないか、という考え方です。
何故そんな事を言い始めたかと言うと、マイノリティとして苦しんできたからです。
保毛尾田保毛男事件を記憶している人は多いと思いますが、あれがなんであんなに批判されたのか、きちんと理解している人は意外に少ない印象です。
私自身は状況を知っていたので、正直絶句しました。もうそんな時代ではないのに・・・と。
「オカマ」と呼ばれていた時代、その存在自体が奇異に見られていたのです。
その時代、その「オカマ」の周りの人は、本人自身が苦しんでるだなんて全く知らなかったのです。
本人自身だって、世間がそう見るのだから、本人も自信をそんな存在なんだ、私は奇異に見られる存在なのだと、思い込まされていたのです。
ならばと、その特徴を生かしてテレビに出たり、オカマバーで働いたりしていたわけです。
自身の特徴を活かせば生きていける、と。
これってね、「差別」なんですよ。
だって、多くのマイノリティな人達はマジョリティと同じようには働けないんです。特徴を活かせた人なんて一部の人だけです。
普通の会社で普通に働くなんて、とてもじゃないけど、奇異に見られてばっかりで出来るわけありません。
出来たとしても、トランス女性ならば自分をとにかく女性に見られないよう男として無理やり振る舞って気づかれないよう苦しんで仕事していかなきゃ出来ないわけです。
そこまで考えた人は果たしてどれくらいいるでしょうか?
だからね、差別するななんて言っても、差別してることに自覚的な人なんて実はあんまりいないんですよ。
たかだか、差別的なことを言わない、しない、くらいにしか分かってないんですよ。
要は、ずっと性的マイノリティな人は「差別」されてきたんです。
今でも例えば、カミングアウトなんて言ったりして、マイノリティな人が自分の性指向や自認を明かすのは勇気がいる時代が続いているのです。
しかもカミングアウトに失敗して自殺までする人だっているんです。
何故はまちゃんが黒人のように肌を黒く塗ったら批判されたのか。
それはそうやって「笑い」にするからです。黒人にしてみれば自分たちは笑われる存在なのかと、そりゃ怒るに決まってます。
話を戻します。
トランスの人達は今では「自認」とか言ったりしますけど、自認こそが性別であると認識が変わっています。
ところが、時代についていけない人達がまだまだたくさんいます。
「お前らほんとは男だろ? 何故こっちに入ってくるんだ? あっちへ行け」と。
これを支持する人達の中心はいわゆるフェミニストの一部なんですけど、トランスを差別するフェミニストという意味で「ターフ」と言います。
このターフがあまりに酷い。
加害など加えるつもりもない人が、怖がられるんです。ウィルス持ってるのと同じに見られるんですよ? ペニスが付いているというたったそれだけの理由で。
酷い場合には、性別適合手術を受けた男性ですらも忌避されるのです。
こうした状況ですから、当然トランス女性側も黙ってはいません。というより多くのトランス女性はターフに怒っているわけです。
怖がってるのは知ってるから、別に、日本ならば銭湯には入らないし、他の場所でも着替えだって時間を変えたり、こっそりやりますから、つってんのに、恐いと言って聞く耳持たないもんだから、とうとう怒って「だったら、ペニスを堂々と見せびらかして銭湯入ったろか! 何なら勃起までさせてやんぞ!」と反撃に転ずるわけです。
「何度言えば分かるんだ! トランス女性は女性だっつってんだろ!」と。
「あなた達とは違う。私達は子供を埋めるんだから。せめて性転換手術をしてよ」と。
「だったらお前らが私達と同じになれ! いくら掛かると思ってんだ! リスクを知らないのか! お前らの子宮を引きずり出して子供を産めない体になれ!」と。
こうした対立の原因を作っている一つの大きな理由は時代の流れなんですけど、ターフとトランス女性どちらが悪いと思いますか?
トランス女性はもうそのままで女性だとみんなが認識しなきゃならない時代です。
でも現実にはまだ追いついていません。
ターフだけではなく、まだまだ他の心ない男性などからも嘲笑蔑視の対象になっていますし、社会的理解がまだまだ未成熟なままです。
制度的にも戸籍変更要件が厳しすぎるとか、男性と見られるためのパス度という尺度を測られてしまうとか、性別「違和」なんて言われてしまうとか、日本社会全体の意識が低く、杉田水脈のような馬鹿なことを言う人までまだまだいっぱいいる世の中であり、進んでる海外だってまだ差別やってる人もいます。
でもほんとによく考えて欲しい。
マジョリティの人と同様に、トランスの人達も性別を自ら選んだわけではないのです。
おんなじ人間なんですよ。
なのに、特にトランス女性は同じ女性であるはずのフェミニストの一部から蔑視されるのです。
それらの一部のフェミニストが常に言ってる、トランス女性だって全く同じ性的被害暴行の被害対象者なのに。
もう一度言いますけど、
明らかすぎると思うんですけど。
右派、左派そのものは強者より、弱者寄りぐらいの意味しかない。
もともと封建主義(王様が決めた法律できちんと運用するのが良い)に対して自由主義が生まれた。
自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら、企業が保身に入り、金をため込んで設備研究投資をしなくなる。そして金をため込むから経済は悪化し、設備研究投資をしなくなるから、競争力が落ちていくという特性がある。
1930年世界恐慌で世界中はこの経済悪化の流れに乗りこまれた。1930年代時点では解がなかったためドイツはユダヤ人やジプシーが原因であるとヒトラーを選び、日本でも天皇親政がよいと226事件のようなクーデターを起こした。
それに対して、ケインズが金の回転をきちんと制御するのが良い。マルクスはそもそも大規模経済危機は過剰投資によるものが多いので計画的に生産がするのが良いという立場だった。自由主義は世界中から放逐された。
マルクスの計画経済がうまくいかなかったのはそうなんだが、ケインズも突発的な海外でのオイルショックといった供給不足には対応できないためケチがついた。そこで自由主義が新自由主義として再来した。
しかし自由主義は一度大規模経済危機を迎えたら不況と競争力低下が起きるという特性は変わっていない。1990年バブル崩壊で日本では経済悪化と競争力低下が起きている。
1980年以前は自由主義が放逐されていたため、ケインズ社会主義(右)、マルクス社会主義(左)でよかったが、自由主義が復活して主流を担ってるため、ケインズ社会主義もマルクス社会主義も相対的に左になる。
そもそも右だの左だの言ってる中心の連中は両方経済については自由主義だ。そして中国韓国北朝鮮だの、見たことも無い性的マイノリティ―や動物の権利だの国民経済と遊離した話題に注力している。
動物倫理寄りのフレキシタリアンの一人として以下のまとめ(とブコメ)を読んだ感想。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1541010
こういう発言ってあらゆるマイノリティーに常に投げかけられていて、そしてマイノリティーをじわじわと疲弊させていくんですよね
でも上記のブコメを見ると、例えば性的マイノリティーや反人種差別運動家にはそんなことを言わない、あるいはその種の発言を批判するような人達も、ヴィーガンに対してはそんなこと(特に「押し付けてこないなら…」というやつ)を言うんだなと、ちょっと残念に思ってしまった
いやもうそれ雑食、ていうかフツーのひとやん?!
フレキシタリアンの定義は「動物性食品の摂取量が少ない人」なので幅広い概念だけども、私の場合は肉も魚も卵も乳製品もずっと積極的には食べないようにしてる
ただ他の人と外食をする際とかは、できるだけ動物性食品を含んでないメニューを選ぶけど食べざるを得ないこともあるのでフレキシタリアンという自認
いや、本当に動物のことを考えてるなら食事を断れよ、って話なんだけれども、昔「ヴィーガンなので今回の食事には参加できません」と言ったら、ヴィーガニズムを押し付けるな!とか怒られて関係がぶっ壊れたのがトラウマになってて、今は公言してないです(まあ周りにはバレてるだろうが)
そういうこともあって「押し付けてこないなら…」という反応はすごく苦手
性的虐待被害者だったらラブドール規制に賛成して当然と思ってる時点で自他の区別がつかなすぎだろ。性的被害者かつ性的マイノリティなんていくらでもいるぞ。逆に、性的被害者でなければ傷つかないということも無い。全ては個々の考えによる。
強いていえば、女性は「自分ならこうする」「自分ならこう考える」という基準で他人をジャッジする傾向が強く(電車へのベビーカー乗り込みも女性の方が反対する人数が多いなど)、この思考がフェミニズムにどうしようもない腐臭を漂わせていることに自覚的になるべき。
女性の敵は女性だという定型自体はただの紋切り型にすぎないが、少なくとも前述の基準でお気持ち表明をしてしまうような女性は、確実に女性の敵だから。
差別問題を考えるとき、具体的な出来事にフォーカスしてしまうから自分の中にある差別そのものを見過ごしてしまう。
「黒人の待遇に怒りを感じる。自分は黒人に対して嫌悪感はない。差別されている現状に対して解決を望んでいる。」
しかし、これは間違っている。
この段階では、黒人の事件があまりにも遠くの出来事過ぎて、実感がないのだ。だから軽く「解決を望んでいる」なんて考えに及ぶ。
残念ながら遠い日本で1億人が怒りを感じたところで何も解決しない。それが差別問題だ。
遠い国の出来事に遠くで怒っていても何も変わらない。
それならば今何をすべきか。
遠い国の出来事で学んだことを、身近の出来事に置き換えて行動を省みるべきだ。
遠い国の黒人問題について、国内で論争しても何も良くならない。
どうせ怒った人間が意見の弱い人間を論破して気持ちよくなて終わるだけだ。
そうやってまた差別ポルノを消化しては終わるを繰り返しているだけではないか。
在日外国人、性的マイノリティ、障害者、依存症患者、、、数を上げればきりがない。
では、果たして差別ポルノ愛好家ではないと言い切れるのだろうか。
差別されているかもしれない人間に対して、可愛そうだと考えたことがないと言い切れるのだろうか。
目の前の個人を、集団から切り離して唯一の個人としてしっかり見据えること。
事前情報や先入観を切り離して、その人としての行動に目を向けること。
自分の中に差別意識があるかもしれないと常々思うことで、知りもしない情報を勝手に補完しようとしないこと。
問題が発生したときは背景にある集団を理由とせずに、その個人の問題としっかりと向かい合うこと。
自国が最も優れていると教え込んで、無意識のうちに他国民が劣っていると信じ込ませる。
集団行動をマジョリティへの依存だと教えこんで、マイノリティに対して劣等感を植え込ませる。
君たちが悪いのではない。そうした教育が許されていることがおかしいのだ。
そこにある原因は大人たちの都合だ。
そうして教え込んだほうがまとめて同じ教育をしやすいというだけなのだ。
団塊の世代で確立された手法が少子化の今も適用されている現状にこそ問題がある。
今や勉学はオンラインでいつでもどこでもできる。
それならば学校に求められることは、マジョリティ依存ではない個々の価値観を認め合う教育だ。
集団で集まることの利点は、いまやまとめて同じことを教えることにはない。
多様性がそこに存在してる事実を見て学び、お互いを受け入れることに特化すべきだろう。
君たちは被害者だ。
しかし、大人になった今もまだ、そうした被害者を増やし続けていることに目を向けようとしないのであれば、加害者と同じだ。
校長でさえ、いじめる側の理解者に付いている状態で、問題の根深さに頭を痛めているところだ。
そんな彼らが、道徳の授業でいじめ問題を取り上げていじめが良くないと口にしているのをポルノではなくてなんと呼べば良い。
私の考えは間違っているかもしれない。それならばそれでいい。
ならば解決のための行動を起こしてくれ。間違っていると論破して気持ちよくなって終わらないでくれ。
これを読んだ諸兄は、今後差別ポルノで気持ちよくなったくらいで、差別がなくなってほしいなんて二度と口にしないでいただきたい。
目の前に差別があることを認め、行動を起こしてくれ。
怒りのままに書いたので感情的な内容になったことはお許しいただきたい。
まず、性別問わず誰かに恋愛感情を抱くわけでもなく、性欲も湧かないという、いわゆる『無性愛者』であり、見た目は女性ではあるが、一部の男性的機能も持った半陰陽である。
半陰陽と言えば、フィクションの両性具有、いわゆるふたなりというものを想像する方もおられると思うが、現実世界では、両性の生殖能力を完璧に備えた人物はあまり存在しない。
かくいう私も、男性的機能はほぼなきに等しく、外見は完全に女性と言った出で立ちである。
そんな私が半陰陽だと発覚したのは二次性徴の折、女性よりも先に男性的特徴が強く出てしまったからなのだが、まあそれから数年、私は男として生きた。その方が面倒ではなかったからだ。
その後、なんやかんやで(治療したり)女に戻り、それ以来、一応社会的には女ということで生きている。
だがしかし、性が芽生える時期である思春期を男として生きた経験があまりにも強すぎて、いまだに女の子が好きなのである。
そして冒頭に書いた通り、恋愛感情と性欲が他人に向かない無性愛者。
前談が長くなってしまったが、まあそんなわけなので、生活の一部としてそういう話をしている。
理解されたいとかそういう目的ではなく、「好きな人が出来た」「こういう好みがタイプ」「体型が気になる」「髪型変えた」みたいなノリで発している。いわゆる日常会話である。
そんな私が突然、知らない団体から「DSDsについて未だに誤解が多いため情報アップデートして認識を改めろ(要約)」的なリプライをもらった。
DSDsって何?デュアルSIMデュアルスタンバイで合ってる?知らん人にいきなり失礼するならせめて専門用語やめませんか。
と思いつつ記事をポチッて現れたのは、まさかの『おまえの認識は半陰陽及びそれに類する人たちへの人権侵害です!!(要約)何故ならそれは〜』みたいな記事。
私はただ自分の性別についてツイートしただけなのに、まさかの差別者扱いである。
記事の内容は、男女どちらでもない肉体(半陰陽以外のものも含んでいたのでこう表現します)を持つ当事者たちはこんなに困ってる、尊厳を傷付けられている、と言った内容のもの。
私はただ自分の体と性指向の話をしただけで、私以外の苦しんでいる人々をどうこうという気持ちは全くなかったのに、いつの間にか人権侵害したことにされていた。
と言うか私は当事者ではないのか。
私の尊厳は他の何者でもないお前にたった今傷付けられたが。
あまりに腹が立ったので抗議したがウンともスンとも反応がなく、元気よく「悩んでいる人を救う!」とかツイートしてるので勢いでこうしてまとめた。
自分が自分の性別や肉体のことを話すのが人権侵害になるなら、例えば女性が「今日は可愛く化粧出来た、彼とのデートが楽しみ!」と言うのも、男性が「太ってきたかも、妻と子供と運動公園行こう」と言うのも同じく人権侵害のはずだ。
まあ当たり前の話だが、そんなことは全くない。その文脈で行けば、私が私の肉体と性の話をするのも私の勝手である。
それに人権侵害と噛み付いてくるのは、正直申し訳ないが、おまえが一番性別に関する差別をしていると、私は思う。
まあしょうがないよな、正義の棒で気に入らない奴を叩くだけでスーパーヒーローになれるなら、そんなに気持ちいいことはないからな。
最後に。
私はポリティカル・コレクトネスが必要なものであると思っている。
マジョリティマイノリティ関係なく、みんながより生きやすい世界を作るのには相互理解と許容が必要だとも思っている。
でも、行き過ぎると「当事者が許そうが私のポリコレ棒が許さん!」などと言った滑稽なことになってしまうので、程良いバランスの世界になればいい。
マイノリティな人間にも自分のことを発信する自由くらいくれや。
まあなんか、そういう感じです。