はてなキーワード: 性的マイノリティとは
https://twitter.com/nikejapan/status/1332519583882862595?s=21
このCMは、「被差別の外国人はいじめられてて可哀想だが自分らしく生きていこう」という、まあグローバル企業が好みそうな内容だ。だが、反発したい。
自分がオタクでクソ虐められていた時や精神障害者としてメンヘラってたときに、こんなCMを企業は日本で作らなかったし、現在進行形でヒエラルキーがクソ低い米国のナードを励ますCMは俺は見てない。
しかしそこで語られるのは「性的マイノリティ。外国人。女性」という安全牌ばかりだ。
逆に「精神障害者。オタク」あたりの扱いはクソいい加減で、まず取り扱わない。
こういうグローバル企業が「LGBT、身体障害者、外国人!」と連呼してる間、精神障害者を励ますCMや、キモオタを肯定するCMはまずお目にかかったことがない。
もう飽きた。
もう外国人差別、LGBT、身体障害者はいいよ。いつになったら俺たちの番はくるんだ?
オタクは経済力で世の中に認められて、それでいいかもしれない。しかし精神障害者を讃えるCM、励ますCMはいつできるんだろうね?
そりゃ危険牌だろうよ。「髪や肌の色が違うけれど世界は君の勇気で変わる」みたいなありきたりなストーリーで、「みんな感動しました日本の差別はひどい。グローバルは正しい」とはならないよねえ。
でもいい加減にしてくれねえかな?
そういうのをなんていうんだろうか?
差別問題を語る上で、みんな外国人、身体障害者、LGBT、とか語りたがって精神障害者になると途端に扱いが弱い。
そりゃ泣いてた奴がにっこり笑って円を組んで踊り出すなんて演出は不可能だがあまりにも安易に都合のいい差別だけ取捨選択しすぎじゃねーの?
いやいや、まずフェミニスト自体が女性の権利拡張の為に活動してるだけであって、性的マイノリティ(特に肉体が男性の人)のために活動してるわけじゃないじゃん何言ってんだ
性的マイノリティの当事者(特にゲイ男性)は腐女子を忌み嫌ってる人も少なくない。
もちろんBLを好むような当事者がいないとも言っていないが、腐女子が現実の同性愛者をおもちゃにしていないという言い訳のために作られた言葉が「BLはファンタジー」という建前なんですよ
違う。
最近はBLを愛好するから腐っているという考え方は同性愛に失礼という事で他の名前が考えられている
なんて人滅多に居ねーよ
ノマカプとホモカプが同じ世界に居るBL作品なんて幾らでもあるわ
そりゃBL好きだろうとロリコンとかペド野郎は気持ち悪いですヘドが出ます
この二人は最終的にお互いの伴侶を見つけ家庭を持った事が示唆されていて
ちゃんと公式カプがあるキャラの別カプとか嫌われない理由がない
腐女子の人がBLを愛好するのは「現実の異性愛を連想させないファンタジーだから」「女性が性的搾取されない世界だから」「性別の壁を乗り越えて愛し合う同性愛こそが真実の愛だと思うから」が主な理由だからだと思う。
単純にこいつらがイチャついてる所が見てぇ~…とか顔が良い野郎同士が絡んでる所が見てぇ~…と思ってるだけでそんな事考えてません
腐女子という人達は、性的マイノリティーの人「にも」優しい博愛主義者ではなく、マイノリティーに寛容な分だけマジョリティーには厳しい人達なんじゃないだろうか…?
最近、国内外問わず実写で同性愛を題材にした作品が増えてきている、と感じる。
日本国内では「おっさんずラブ」が非常に高い人気を博した事は記憶に新しいし、タイBLこと「2gether」は世界中で大反響を得ているらしい。
ネットで感想に触れるとそれらの作品は主に女性、それも男性同士の同性愛を嗜好する所謂「腐女子」と呼ばれる女性達に好まれているように思う。勿論全く男性が居ない訳では無いとも思う。
男性同士の恋愛を扱った所謂「BL」だからというだけではなく、性別は関係なく愛し合う二人の恋愛ドラマ物として内容も面白いらしい。ドラマが面白くて人気があるならそれに越した事は無い。
それらのドラマは現実ではマイノリティー故に生きづらい思いをしているLGBT、その中の「ゲイ」の人々を描いている事もあって現実のLGBTの方達からも好評らしい。
「おっさんずラブ」も「2gether」も出演されている俳優さん達がカッコ良く魅力的である。お話が面白いだけでなく、そういう意味でも女性やゲイの人達に人気が出ただろう事はそちらの方面に疎い自分でも理解出来た。
腐女子とは男性同士の恋愛に萌える嗜好がある女性達を指す呼称である。男性の同性愛者、所謂ゲイは性的少数派であるため、彼らの恋愛を許容する腐女子はLGBTに理解がある人達である、とも言われている。
その定義自体はあまり間違っていないと思う。腐女子の人達はゲイの人達を見ても「え?何で同性同士で?」とは言わず、「同性同士の恋愛いいよね!」と応援する傾向があるのは、ネット上で彼女達を見ていると思う。
だが、彼女達が全ての愛し合う人達に大らかであるかと言われればそうでも無いと思う。男性同士の同性愛、所謂「BL」には確かに寛容だと思う。だが、異性同士の異性愛、所謂「NL」には強い嫌悪を持っている人も多く見られる。
勿論全ての腐女子が異性愛を嫌悪している訳では無い。異性同士の恋愛物も同性同士の恋愛物も並行して楽しんでいる人も多いし、「男性同士だから良い」のではなく、たまたま好きになった二人組が同性だった人も居る。
それはそれとして、やはり異性の恋人同士に強い敵意を持っている腐女子が多い事も真実だと思う。何故彼女達が異性愛を嫌うのか、本当のところは自分には分かっていないと思う。腐女子の正確な数さえよく分からない。
ただ、「異性同士の恋愛は性欲ありきで気持ち悪い」「女性が一方的に男性に消費されているのが嫌」「自分が女性であるから女性が出てくるのは生々しい」みたいな意見はよく目にした。
古くから「BLはファンタジー」という言葉は存在した。男性の妊娠など、現実では起こりえないだろう描写がBLの中に存在する事を指してそういう言葉が生まれたんだろうなぁ、と自分はこれまで思っていた。
そういう意味もあるのだろうけど、本質的にはもっと大きな意味を含めているんじゃないだろうか?と最近思い始めてきた。BLはファンタジーというのは、もしかして「女性が存在しない世界での恋愛物」という事ではないのだろうか。
自分はBL作品に詳しくないのできっと間違っているかもしれない。BL作品でも全ての男性が子供を産めるようなファンタジーな世界で無ければ女性は存在する筈だし、設定も現実に沿った物の方がずっと多い筈だ。
「女性が存在しない」というより、「男性の恋愛対象となる女性が存在しない」の方が正しいのだろうか。BLに登場する女性は、同性愛に理解があり温かく見守ったり、BLを崇める腐女子である事が多く、自分は恋愛に加わらない。
BLでは「女性はキャラの恋愛対象として出て来ない」「女性が男性に性的搾取される事が無い」「女性が男性同士の恋愛を引き裂くような事は無い」事が多いんじゃないだろうか。
同性同士の恋愛を扱った作品がBLで、そういう作品だからこそ好んで嗜んでいる人達が腐女子なのだから、もし女性キャラが登場してその人も交えた三角関係が展開されるならそれはBLではないだろうし腐女子も怒る気がする。
男性同士の尊くて美しい真実の愛が繰り広げられる中、彼らを引き裂くような真似をする無粋な女性が存在する事が無い世界。それこそが「BLはファンタジー」と呼ばれる理由なのだろうか。何か違う気もするけどそこは保留する。
腐女子の中に男性同士の同性愛を尊び、異性同士の恋愛を嫌う人が理由はもしかしてこういう事なんじゃないだろうか…?と自分は考えている。
「異性愛と違って同性愛は禁忌とされているため障害が多い。それでもお互いを愛し合い結ばれようとする姿は、世間で当たり前の事として受け入れられている異性愛よりよほど真実の愛に近い」という人も居る。
ロミオとジュリエットなどもそうだけど、障害があり誰に認められなくてもそれでも愛し合う二人が映えるという考え方は自分にも分かる。そういう視点から見れば、周囲から理解されず苦しむ人が多い同性愛は心を惹く題材だと思う。
しかしこの前どうも気になる事があった。禁忌であり障害が多いからこそ同性愛・BLを嗜好する腐女子の人達が、同じ禁忌であり障害が多い恋愛を繰り広げるのが異性愛者だと今度は「気持ち悪い」と言う所を自分は見た。
最近ある漫画に登場した双子の兄弟が一部の腐女子に人気を博している。優れた弟に強い嫉妬と憎悪と兄としての愛情を併せ持つ兄と、親に迫害されて育つも兄が自分に見せてくれた優しさに心を救われた弟という二人だった。
この二人はお互いがお互いに強い感情を向け合っているという事で、同性愛を愛する腐女子にはとても好意的に受け入れられた。二人とも家庭があり妻子も居たけど、二人ともそれぞれの理由でその妻子から離れる事になった。
二次創作ではこの二人は何か違えば恋仲になっていたのではないか、というifの設定が盛り上がっているし、もし二人のどちらかが女性として生まれていれば間違いなく恋人になっていただろうなとも冗談半分に語られてもいる。
BLというジャンルの中には女体化というシチュエーションが存在する。もしあのキャラクターが女性として生まれていれば…というifであり、セックスの際に挿入される側である受けが女体化される事が多いらしい。
勿論全ての女体化がBLや女性向けである訳では無い。腐女子の中には「BLでまで女を見たくない」と女体化を忌み嫌う人も居るし、そもそも女体化やTSは男性向けのジャンルであるという声も大きい。
女体化は厳密にはBLではないかもしれないけど、腐女子の中には自分の好きなコンビの一人を女体化する人もそこそこ居る。全ての女体化物がBLという訳では無いけど、BLの延長線として女体化を楽しんでる人も居ると思う。
先述した最近人気のある双子の兄弟も、もしどちらかが女体化したら…というシチュエーションでの二次創作が一部で盛んになっている。自分が見たところだと、もし兄上が姉上だったら?というシチュエーションが多い気がする。
二人とも重度なブラコンであるためか「もし兄上が姉上だったら弟は抜きまくってる」「姉上の方から弟を襲う」「弟の方から姉上を襲う」など結構下品な話をしている人も見られる。R-18ネタ界隈は全体的にそういう物だけど。
元々兄弟BLというのは昔から根強い人気があるジャンルという印象がある。同性同士という禁忌に血縁である兄弟という禁忌も加わるのだから、障害のある恋愛を好む腐女子の人には堪らないのだろうな、と理解出来る。
その双子の兄弟が登場する漫画には兄弟の女体化ではなく、原作から異性同士の兄妹も登場する。その二人は作品の顔となる主人公とヒロインで、短く言うと妹想いの優しいお兄ちゃんとお兄ちゃん想いの優しい妹である。
作品が始まった当初この二人には恋愛的な意味で特定のパートナーが居らず、恋愛的な意味ではないけどお互い強い感情を持ち合っていたため、極々一部でこの兄妹を恋仲にした二次創作を創る人達も居た。
この二人は最終的にお互いの伴侶を見つけ家庭を持った事が示唆されていて、兄妹同士で恋仲になるのは一般的に不道徳であるとされている事もあって、この二人が恋仲になる二次創作は作品のファンからは嫌われがちである。
ここからが自分が腐女子に対して違和感を持った出来事の話なのだけど、前述の△△のBL妄想は同性愛と近親相姦という二つ世間からは受け入れられ難い要素があった。片方を女体化した場合でも近親相姦は残る。
○○兄妹の二次創作も原作では異性同士ではあるけど、近親相姦という要素がある点では△△兄弟と変わらない。そこで△△兄弟BLを嗜む人に何故○○兄妹の組み合わせは嫌われるんだろう?と尋ねた所、こう返ってきた。
○○はあんな良い子達に近親相姦の業を背負わせちゃダメでしょ…ってなるけど△△だと特に兄上が兄上なのでまあいいかぁ!よろしくなァ!となると思われる
小動物的な○○○をあの家族想いな長男が犯すとか見たくねえし…
その点兄上が犯されるのは見たい
姉上は兄上だから良いんだ
分かりやすく言ってやる
他にもあったけど、特に印象が残った感想はこんな感じだった。短く纏めると「BLや女体化は一種のネタだから良い」「原作からの兄妹は生々しいから無理」という事だと思う。
言いたい事は分かる。BLはファンタジーとして現実と一線を画しているのでファンタジーとして割り切って楽しめる。一方異性同士、それも兄妹というのは生々しいから無理。確かに感覚として分かる。
しかし自分の中でどうしても腑に落ちないところはある。BLはファンタジーなので割り切って楽しめる。BLが生々しい恋愛に嫌気がさした女性に愛されるのはそういう事なんだと思う。では現実に存在するLGBTの人はどうなのだろう?
腐女子の人がBLを愛好するのは「現実の異性愛を連想させないファンタジーだから」「女性が性的搾取されない世界だから」「性別の壁を乗り越えて愛し合う同性愛こそが真実の愛だと思うから」が主な理由だからだと思う。
ゲイの人達にとって同性愛とは現実の事だし、ただ好きな人と愛し合いたいだけなのに障害なんて欲しくなかったんじゃないだろうか。また、彼らの中には女性を「何もしなくても自然と男性に好かれる」と嫌っている人も居る。
BLを愛する女性にとってゲイは「女性を性的対象と見ない」「男性のみを性的対象として見る」存在だからこそ、好ましく思う所もあると思う。本当に極々少数派だと思うけど、女性を嫌うゲイの事を「所詮女になりたくてもなれなかった男がミソジニーを拗らせているだけ」と侮蔑する腐女子もネットで見た事がある。本当に極々一部だと思うけど、これが普段BLを嗜みLGBTを擁護する腐女子の本心なんだろうか…と衝撃を受けてしまった事は忘れられない。
長くなったけど最後に…腐女子という人達は、性的マイノリティーの人「にも」優しい博愛主義者ではなく、マイノリティーに寛容な分だけマジョリティーには厳しい人達なんじゃないだろうか…?と最近思い始めている。
※https://dev.ftbucket.info/scrapshot/ftb/cont/img.2chan.net_b_res_741641553/index.htm
はじめに断っておくけど、性的マイノリティに対して差別心はない。人生うまく行ってみんな幸せになればいいと思う。
だけど、どんな性的趣向であってもあからさまに主張されるとゲンナリする。
僕はゲイの友だちがいる。でも友だちになって5年目に一緒に映画を見て初めてゲイだと知った。ラブシーンがあったからね。すごく自然なゲイとの知り合い方だった。友達のゲイは僕を特段好きではなかったし、僕は女性の友だちもいるので、特に不都合はない。
だけど、私はレズなんだけど、はじめに言われるとゲンナリする。それが許されるなら僕も肛門なめられが好きだってこと伝えたいし、ブサイクとご飯食べるのはテンション上がらないってこと言いたい。
ゲイに告白されたこともあるけど、性的趣向以前の問題で不潔なやつは嫌いだった。
もっときっちり話したいぜ。
一人の両性愛者の意見というよりも、一人の人間の戯言くらいに聞いてほしいんだけど。
性的マイノリティの尊重を声高に主張する腐女子いるじゃないですか。
(腐女子の皆が当てはまるとは思ってないし、「腐」って表現が差別だなんだって10年後くらいには「腐女子」って言葉がなくなってんだろうなとか思ってるけど、言葉の雰囲気的に一番使いやすいので「腐女子」って言います。ごめんね。)
とにかく、昨今の情勢とあわせて、BLとかGLがもっと開けっ広げに表現されるべきだという主張があるじゃないですか。
別にその主張にとやかく言ったり思ったりはしてないです。BLGLが抑圧されてきたというか、一次二次問わず「水面下でこそこそやるもの」と認識されてきた歴史に、大きな転換期が来ているのは重要なことだと思います。好きなものを主張できて、それが迫害されない世界になったらいいね、って心の底から応援してます。
でも、それを同性愛や両性愛の政治的な話と繋げ考えるのは「ちょっと待ってくれ」と思ってしまう。
「BL・GL」ってカテゴライズして、「特別なもの」他とは違うもの」として人の恋愛を消費してきたのはお前ら腐女子じゃない?
「同性愛が認められたらBLのネタ増えるわ~」って軽率に呟いた腐女子いなかった?
カフェで話しているだけの同性二人組を見て、受け攻め考えるなんて品のない行いをしたことのある腐女子いなかった?
ファッション腐女子って言葉がありますけど、今、政治的・社会的な問題としての性的マイノリティにとやかく言っている腐女子は「同性愛に偏見ないよ」をファッションにしてるように見える。
同性愛者、両性愛者に味方して、あわよくば、自分の性癖がより生産されるようにって思っているように見える。
お前ら腐女子が主張したいのは「表現の自由」としてのBL・GLであって、「政治的・社会的な問題」ではないでしょ。
最近足立区のある区議の発言が批判を浴びているが、それについて考えたこと。
怒りとかは正直無くて、それよりも世の中がリアルタイムで変わっていっていることに驚いている。私が子供の頃~思春期の頃にかけての同性愛といったら、なんだか気持ち悪いもの、隠さなければならない精神異常、エイズをばらまく迷惑なセックス狂、みたいなイメージがあった。それが今やどうだ。みんなの本音は置いておいて、とりあえず公共の場で同性愛者への無理解で差別的な発言をすればこんなに叩かれる。ほんの少し前までは、LGBTがパレードして権利を訴えたなんてアメリカのニュース映像を観ては「アメリカはすごいなあ、日本じゃ考えられない」なんて思ってたのに。日本でも性的マイノリティの権利やら生まれついた性を生きる自由やら言われるようになるなんて。スマホやIT家電を見てほえー、となる田舎のおばあちゃんの気分になっている。
でもみんな、本音は違うよね? ホモとかレズとか気持ち悪いよね? 友達がカミングアウトしてきたらドン引きで距離を置くよね? 自分の子供がそうだったら何とかしなきゃと焦るよね? そう思って警戒してても、もう誰もリアルでそんな発言してないしTwitterやヤフコメも5ちゃんねるですらそういう差別ひくわー、みたいな感じになってる。いやいやまさかそんな、こんなに短期間で人々の意識って変わるの? まさかまさか。
私はずっと自分の性嗜好を恥ずべきもの、隠さなければならないものと思って生きてきた。異性との結婚を強要されることもなかったし、幸い独身が多い職業だからお局様とか迫害を受けたりすることもなかった。パートナーと一緒に旅行にいっても、他人から見たら仲良いおばちゃん二人旅にしか見えないだろう。今更認めて欲しい権利なんて無いのだ。まあ強いていえば、パートナーの死に目に会わせてもらう権利があれば嬉しいな…くらい。だから世の中がこんな風に変わってきて正直戸惑う。まさか近い内に、私が生きてる内にLGBTが差別されない世の中になっちゃうの? 二人で不動産借りる時も関係の説明に苦労しなくていいし、病院にも家族と名乗って見舞いに行けるの? 同じ墓に入れるの? 当然のように諦めてきた色んなことが浮かんできて、逆に困惑してしまう。期待してぬか喜びは辛いから、それなら期待させないで欲しい。本当に、LGBTへの差別意識が無くなる日なんて来る?
女オタクですけど、腐女子さんは他オタクに対して全然配慮出来てないですしマナーも最悪ですし今回の事件の人みたいな人の言い訳と同じ事言って原作にない性的な絵や文検索よけしないで書き散らかしてますよね?
猫で検索したらBL出てきた、とか腐女子の性癖チキンレースが高じてトレンド入りもざらですよね?
「BLを批判するやつは同性愛差別」、みたいに毎度言ってますけど、当事者じゃないくせに、性的マイノリティを性的搾取しながら性的マイノリティ面して盾にしてるのも今回の人と全く同じですよね?
↑の言い訳腐女子界隈は無茶苦茶多いのに男オタは今回初めてくらいに見かけましたけど
承認欲求の末に起きた事件と判明した直後にわらわら出てくる「男オタクに比べて腐女子はマナーがあって~」とか語り出すのが承認欲求高いって話なんですよ。
それで本当にお行儀良いなら分かりますけど良くないし
私は、例のショタラブドールのツイートをした人間が大嫌いである。そもそもショタコンそのものが嫌いである。
なお、未だに誤解している人がいるがこの人物は男だ。およそ気遣いがなく、自分の欲望のままのツイートを日頃から垂れ流し、今回も調子に乗って無神経なツイートを描いた結果批判の対象となった。
自業自得であり彼個人には擁護すべき点はない。ただのクソ野郎だ。彼一人の問題で収まるなら私はこいつぶん殴りてえと思う。
だが、彼の一人の行動によって、性的マイノリティであるショタコン全体を否定しようとする風潮には断固として反対する。
だから、彼個人は一切擁護したくないが、彼を含むショタコンに対する偏見や理不尽な理屈建てによる攻撃、そしてそれに感情論で深く考えずに賛同している人たちには断固反対である。
彼個人は一切擁護したくないが擁護せねばならぬもののなかにこのクズ野郎は含まれる。
その区別がつたわらない人たちが多すぎて呆れる。
実際にその区別ができない頭の悪い人間ばかりがリベラルやフェミニズムを名乗って暴れているのが日本の残念なネットだ。度し難い。
最近は色々なところで色々なものが燃えているがとうとう自村も燃やされた。
・これまでのあらすじ
発端はとある絵師が男児型ラブドールを購入し、そのレポ漫画をpixivにアップしたことらしい。
私はその漫画を読んでいないし、リアルタイムで事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルなショタコンの実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!と批判されてしまったというのが大筋のようだ。
まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖がペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険なもののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。
小児性愛は倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。
また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者が実在する以上、けして公にできない趣味である。
当事者は自分の性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。
そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。
ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネットの公共性」について考えてみようと思う。
これ、本当か?
・「公共性」とは
「公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉が使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。
これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体や献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。
フェミ陣営の批判の根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。
ポスター、広告、政府のHP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である。
この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。
過去、インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自のルールが存在した。
インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツは基本的に検索しなければ出てこない。
「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから」
だから発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。
でも、本当にこれが規制の根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。
インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。
今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。
この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterのフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師のフォロワーは大多数が作品のファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。
この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画を問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから。
この点から、問題の本質はインターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。
彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。
でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープな漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快な気持ちになってしまうことだろう。
つまり、問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。
なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画がシェアされてしまったのか?
これはTwitterの仕様であるリツイート機能が原因だと思う。
自分のフォロワーに向けて特定のツイートやウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしまう危険性を常にはらんでいる。
リツイートはたんに便利なだけの緑色のボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報がフォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。
RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。
そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。
想像してほしい。
インターネット教室の隅で、オタクがキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで
「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」
と触れ回る奴がいたら、どうだろう。
オタクは自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク→一般人に拡散するやつ……
なんでそんなことするんですか。
放っといてくれればいいじゃないですか。
不快なものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネットは情報を選択することができる。見たくないものはミュートできるし、気に入らないユーザーはブロックできる。
もしオタクのキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。
だが、最初にキモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこの画像とかにいいねをする。
それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。
見たくないし、見られたくない。ペドフィリアと一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。
結論。燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコンの漫画はショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。
それなのに、
性犯罪の被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、
そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。
今、現在、性犯罪の被害者や子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。
・おわりに
これを書く前、あるツイートをみた。
「自分はショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安だから、規制してほしい」
なんだよそれ。子供産まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?
ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちでショタコンやってんじゃねー
以上です。
……何書いてんだこいつ?
読んで真っ先に思った感想だ。
特殊性癖に知識が少ない人にそういった考えを刷り込む形になってしまっているからだ。
自分もラブドールでは無いがでかい少年ドールを所有している。だけど、そこに性愛は全く無い。
作者は“現実の代わり”として人形を買っていて、自分は“着せ替え人形”として人形を買っているからだ。
ラブドールを購入する人にも着せ替え人形として購入する人もいる。
性愛はないのに特殊性癖者だと思われる事、特殊性癖なのにラブドール買わないの?という様な事態を作った事は十分他人に迷惑をかけているのではないか?
作者は男性だ。
女性用ラブドール、女性用としては使えません、重いので重労働といった記述などで女性と思った方は多いと思う。自分も思った。
更に件のラブドールの公式を確認した。棒は使えないに使える穴はある。
ならばそれは男性用の少年型ラブドールで女性の性愛を満たす為のものとは考えづらい。
何故作者は女性用ラブドールと判断して紹介したのか。自分はそこにすごく違和感を感じた。
大した事じゃない話に聞こえるがこれはまずい傾向だと思った。
誰だって身に覚えがあるだろう。
ダイエット中だけどこれくらい食べても良いだろう。
このくらいなら許されるよね?ってのが危ない事なんだ。
少なくともその主張をする人には二次元と三次元で明確に境界線がある。だから三次元に性癖を持ち込む事は少ない。
あくまでも作者にとっては人形は現実の代わりでしかないのにも関わらず。
購入した時の満足感や初めて使った時の背徳感は徐々に薄れていく。
そうなると代わりだから満足出来ないんだと思う様に脳は変化していく。
姿見るくらいなら良いよね?
声かけるくらいなら良いよね?
手を握るくらいなら良いよね?
海外でラブドールが規制対象なのはこういった考え方だからで特殊性癖者に境界線を曖昧にさせない為に規制してる。
自分にはどちらも間違った対策だとは思えない。どちらも被害を出さない為に考えた事だから否定は出来ない。
偽物じゃ満足は出来ない。垣根を容易く超える。
自分の欲求を満たす為に子供に関われる仕事を選んだり、その為の地位や立場を得ようとする。
一人親家庭の再婚相手、近所の挨拶する人、見守りパトロールをする人、教職…書き出したらキリがない。
事件が起きるのはそういった身近なところだ。
作者が書いてたLG等と同じく小児性愛を性的マイノリティと認めて欲しいと書いていたが相手と対等な関係が成立しない時点でそれは難しいと思う。一方的に従わせる事が容易すぎる。
また、かの有名なパタリロでもあった話だが、成長してもその子供を愛し続けられるのか?歳を取って性癖から離れても愛し続ける事が可能かどうか?