はてなキーワード: 小学校とは
皆様は、何が楽しくて生きてますか?
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自分語りさせてください。
自分はほどほどに太い実家で育った。両親は毒親ではなく、むしろ愛情を受けて育ったと思う。
おかげで良い大学にも行けた。
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でも人生が楽しくない。
楽しくないと言ったら語弊があるかもしれない。
飲み会行ったとき、旅行行ったとき、美味しいご飯を食べたとき、寝てるとき、セックスしたとき。
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でも楽しくないことの方が断然多い。
別にパワハラされているわけではないし、深夜まで働いていることもない。
でも、起きるのめんどくさいし、業務もめんどくさいし、帰ったら何のために今日一日頑張ったのだろうかと虚無になる。
給料日には気分も上がるが、すぐ使い果たすだけ。
この繰り返しの毎日。
この苦痛が、あと数十年続くと思うと本当につらい気持ちになる。
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じゃあベンチャーにでも行ってやりがいのある仕事にでもつけば良いじゃん、とか言われる。
でもやりがいのある仕事なんてないと思ってる。今までの人生全部そうだった。最初は楽しくても、すぐに飽きる。
しかも自分は男だ。将来誰かを養わないといけないかもしれない。短いスパンで転職を繰り返して、家族に心配をかけたくない。
それだったら、大企業で安定した職について、そこそこに高いお給料をいただいていたい。
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楽しいことより、楽しくないことの方が多い。楽しさの関数を積分したら、かなり負の値を取る感覚がある。
死んだ方が楽しいと思う。
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代わりに病気になってあげたいと思う。
代わりに戦地に赴きたいと思う。
毒親に育てられた人を見ると心が痛くなる。
代わりにサンドバッグになりたいと思う。
でも、ドナーになる勇気もなければ、志願兵になる勇気もなければ、毒親を注意する勇気もない。
自分は「代わりに〇〇してあげたい」のではないことに気づく。死にたいだけなんだ。
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よく、なぜ生きてるのか考える。
(あと、親は悲しませなくない。)
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このように考えるようになったのは最近に限った話ではない。なので、仕事のせいではないのかもしれない。
記憶がある限りは、小学校高学年くらいからはそう思うようになってた。
(再三だが、親は優しかった。虐められることもなかった。だから、発育環境のせいではない。 )
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恵まれているのに、このように考えてしまうのは捉え方の問題なんだと思う。
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精神科にも行った。薬も飲んだ。認知療法的なのも試した。でも、頭で考えて、しっかり結論が出てるから考えが治らない。
どうしたら良いのだろう。
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皆様は、何が楽しくて生きていますか?
僕と少年ジャンプの話をします。僕は小学四年生の頃から現在社会人3年目の今まで週刊少年ジャンプをほぼ読み続けていました。
当時小中学校の時はToLOVEるなど女子と性的なコミュニケーションを取る漫画をハラハラドキドキしながら読んでいました。しかし大学生も後半の頃に当時ToLOVEるを読んでいなかったという友人(男)に出会いました。その時僕は理解ができなくてしどろもどろ興奮しながら「男なのに!?意味がわからない」と発狂しました。しかし今は「性暴力」と「女性も同じ人間」だという事を知っているので、彼がなぜToLOVEるなど性的な作品を読まなかったのか理解できます。「相手の同意を取らずに性的な行為をするのは性暴力で、相手の心を傷つけること」「女性の体を見境なく性的に見ることは当然のことではないこと」ということを当時の僕が知っていれば僕も彼と同様ToLOVEるなど性暴力を扱う作品を楽しく読むことはなかったでしょう。「性暴力含むエロを豪胆に愛して憚らないのが男らしさ」という少年誌のメッセージを内面化してしまい、性暴力を含む作品を声高に称賛して、男らしくなれてると錯覚してた自分は本当に恥ずかしいし迷惑なことをしていたなと思います。
小学校高学年の頃、東京に住んでいた僕は秋葉原もそこそこ近く、「非実在青少年」の話を皮切りにした漫画の規制の話をよく耳にしてました。少年ジャンプの作者たちも「読者は現実とファンタジーの区別ができる」と言った論調で規制を反対していました。ぼくも「その通りだなー」と思っていました。しかし今思い返してみると当時の僕は区別なんかできていないことに気づきました。今でもすごく心残りの事件があるのですが、僕が小学生の頃公園で遊んでいると同級生の男子が女子に棒アイスを差し入れました。僕は少年漫画でアイスやチョコバナナを男性器に見立てて、それらを普通に食べている女子をエロい目で見るというセクハラの存在を知っていました。しかし女子たちはそれを知らずに暑い夏だったので棒アイスを感謝しながら食べてました、男子たちは僕の予想通りいやらしい笑みを浮かべて彼女たちを見ていました。その時は嫌な奴らだな、でも「男子はそういうものだからな」ということが当たり前だと思い込んでいたので、問題な行動だとして注意をするという発想がありませんでした。男子たちも仲間内で露悪的だけど楽しいことをしているといった雰囲気でした。その男子集団のリーダーだった男子は高校生の時に風呂覗きをして学校を退学になっていました、風呂で盗撮した写メを男子のグループに共有したらしいです。多分いいことをしていると信じての行為だと思います。僕も彼も「男子はそういうものが好き」という少年ジャンプが発信する嘘の常識を信じ込んでしまっていた点は同だと思います。そのために、セクハラをされたらその人の心は傷つくという当たり前のことに気づけなかったのです。
小学生の頃、僕は少年ジャンプを作っている人たちに「子供は現実とファンタジーの区別ができる、倫理観や道徳観を持っている、判断がつく」というような期待をされました、そして今の僕がそれに答えるとしたら「性的な表現に関しては、十分な性教育を受けていなかったので正しい判断はできてなかった」と答えますし、現実とファンタジーという区切りではなく、「社会的責任がついて回る空間と、そうでない空間」での影響を論じるべき内容だと思います。
僕は面白い漫画を読むためにジャンプを買ってきたつもりです。大学の頃に出会った彼もそうだと思います。極論、ジャンプにエロ表現がなくても僕たちは大学生までジャンプを購読し続けてただろうと思います。
ジャンプ作品の性暴力表現は誰のために描かれているのか、僕は今、甚だ疑問です。
個人的に、女体を切り売りして、それを喜ぶ層に商売をする今のジャンプは見ててつらいものがあります。女女でやれば批判されないと思っているのか、この頃女から女にセクハラするという作品が増えています。今一度、同意のない性的な行為は相手が誰であろうと性暴力であり相手は傷つく、という認識をジャンプ編集部は持ってください。
漫画を使って教育しろと言う気はないですが、今のジャンプの作品内での女子の扱い方は、パブロフの犬のように、読者に「女体=エロ」と脊髄反射でつなげてしまう、そういう訓練になってしまうという一面があると思います。
「男は、女性の性的な部分を力づくやラッキーで見たいと思ってる」というような「男=狼」観を決めつけで小さい子供たちに信じ込ませるようなメディアを作るのは大人としてやめて欲しいです。
そもそも作品でよく描かれている高校生以下の女子は、大人が守るべき児童の枠の中にいます。倫理的にそういう枠の子をエロく描くのはいけないのではと思います。
私の実家は大阪府k田市なんだが先日和歌山で行われた岸田総理の選挙演説で手製の爆弾と見られるものが投げ込まれるということがあった。その爆弾と見られるものは不発で終わったのだが、犯人は逮捕されてしまった。私自身何か起きるとすればg7だと踏んでいたので大変予想外で驚いている。私が中学校の頃、後輩の小学校でいじめられていた子がいじめっ子に復讐するために花火の火薬を調合して手製の爆弾を作り百葉箱付近へ呼び出したそうだ。もちろんいじめっ子はその呼び出しに応じるはずもなく、百葉箱だけ木っ端微塵に吹き飛んだ。それを聞いて爆弾製造はそこまで難しくないと感じていたので発明家を目指している犯人が爆弾を完成させられなかったことに正直驚いている。 まあいじめている方はいじめているなんて思ってなくて今回だって岸田総理自身も被害者だって総理自身は感じているようだ。この辺の認識のずれをなんとかしたいがまだまだ変わりそうにない。今回の事件の被害者は本当はいじめられてきた犯人自身だろう。
コンシェルジュのいるラグジュアリーなエントランス(笑)で元気いっぱいに走り回って育ったお子様が小学校に入ってしばらくする頃には選民意識バリバリの調子こいたクソガキに育つわけで(しかもその選民意識の源になった価値観の親も大量にいる)、タワマンなんて絶対住みたくないよなあ…と思う。
でもタワマン住みたくないって言うとその手の選民意識層がバカの一つ覚えみたいに「嫉妬wwwwwwww」と反応してくるんだよな。
今日はうちの子が午前で下校だったので、小学校に迎えにいってた
そしたら、校長先生が校門で全生徒にハイタッチしててビックリした
いやいや、コロナってまだ蔓延してるし、その手で感染が広まるだろ??
校長先生の手にだれか一人のコロナウイルスが付着したら、その後の生徒にうつるんだが??
直接は言いにくいので、さっきメール送っておいた
だからさ、住んでる世界が違うほど階級差があるってことなんだよ。行ってる学校、大学からじゃなくて小学校、なんなら幼稚園から違う。
地方だと金持ちの子も小学校までは公立校だったりして、〇〇ちゃんはあそこの豪邸の子なんだよがあるかもしれないけど、東京はそれがないんだよ。
こういうの見ると辛い。文体が違うから元増田じゃ無いと思うけどな
東京きて日本にもエスタブリッシュメントが存在しているんだなを実感したいなら
松濤とか行くといいと思うよ
エリートリーマンがFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし
■面積約235.75坪の広大な土地
2沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地
そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、
エリートリーマンや高級官僚や勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね
あと、高給住宅と地方民に認識がない住宅エリア、武家エリアや文京区の高台や渋谷区や目黒区や中央区のあたりには、
開業医でも厳しめの家建ってるぞ
↓
いや本当に、年収数千万でまったく無理だよね。その手の高級住宅地も高級ホテルも。
庶民が思いうかぶ「金持ち」のイメージがまさに「エリートリーマンや高級官僚や勤務医やインハウスローヤーや弁護士」だけど、そんなの所詮は「高級な労働者」で、
本当の上流階級ってのは労働から離れたところにいるんだろうね。
↓
いやだから会員制のホテルは会社の福利厚生ほかで泊まれるぞ。一般人でも割と泊まる
起業してれば桁違いの金持ちじゃなくても税金対策で買うこともあるよ
ただ、40億の家はフツーに無理でしょうね。鳥山先生ならイケる?レベルの家がフツーに売られてる日本恐ろしい
ケタひとつ外して永住できる(資産価値が暴落しない)邸宅グレードの家(4億以上)も
自らのリソース(特に時間)をある目的を達成するために費やすこと
この定義に従えば努力は所詮は手段であり、目的を達成することが重要。その目的の達成自体に価値がない、あるいはリソースを費やす必要なく目的が達成可能であれば努力の必要はない。従って、努力は全てのものに対して必要なものではない。
では、何故、人は努力するのか。
入学試験、入社試験、同業他社との競争、給与アップ等、理想的な共産主義社会でもない限り、あるいは全ての人に十分な資源が割り当てられる理想的に豊かな社会でない限り、限られた何かの奪い合いは必然的に発生する。それら限られた何かを捨てることができるか、努力なしに手に入れることができれば前述の通り努力は必要ない。でも多くの人にとって、限られた何か(多くの場合はお金に帰着する)はあって困らないし欲しいもの。その競争を避けることは経済的な豊かさを諦めるに等しい。
残念なことに、人間は平等には生まれてこない。人それぞれ受け継いでいる遺伝子も環境も異なる。ほんの少しの努力(リソース投入)で他人に勝つことができる人もいれば多くの努力が必要な人もいる。
ただし、競争の種類は一つではないから、肉体的な強さで競争することもあれば、頭脳で競争することもあれば、容姿で競争することもある。人の才能のパラメータはそれぞれの競争に対して持ち、その値は神様だけが知っている。
小学校や中学校の義務教育や、高校という高等教育の入口の段階で努力が重要視されるのは、競争から逃げることが経済的脱落に直結するので慣れて免疫をつける必要がある点と、神様しか知らないそのパラメータを自分で知る時期であることだからだ。
伸ばせば伸びる隠れた才能を食わず嫌いで眠らせたまま死んでしまうのは勿体ないし、苦手と得意なものを知っておくことで、得意なもので勝負することが可能になるのだから、時間があり余っている子供の頃にいろんなことに自分の時間を振ってみて伸びるもの、伸びないもの、自分の限界を知ることはすごく価値のあること。そしてその中で勝つためのコツを掴んだ者が社会に出てからの競争を格段に有利に進めていく。
増田のように悪い思い出しかない者もいるだろう。ただし、それに費やした時間によって知ったことは努力なしでは得られなかったものだからそれは決して無駄なことではない。運が悪かったのかも知れないがたまたま才能のないことの確認に費やした努力が多かったのだろう。
競争に勝つことに価値を見出さないのであれば努力ではなくゲームや余暇に自分のリソースを費やせばよい。それは個人の自由で批判されるべきではない。ただそれによってギブアップする経済的な豊かさを求めたりするのは虫が良すぎる。競争に参加しないことによって手に入らないものを社会に求めることさえしなければ努力する、しないは自由に選べばよい。それだけ。
その子は、何かの病気の影響で極端に運動能力が低く、身長も低く、身体もみるからにガリガリだった。(小1くらいの時にすでにメガネをかけていたから視力も悪かったと思う。)
体育で50m走をする時は、その子だけ50mを走り終えるのに40、50秒とかかかっていた。
走り方をみていると頑張って走ろうとしているのはわかるのだけど、普通の人の走りと違って両足が地面から離れている時間がなかった。速度も普通の人の歩く速度と同じくらい。
校舎の改装でグラウンドが使えずに、近くのグラウンドに行く時もその子が歩きが他の人より遅いために自分のクラスだけ毎回体育の時間が短かったりした。
授業間の移動で階段を使う時も、手すりを使わないと階段が登れずにいた。(高学年になると筋肉がさらに衰えてしまったのか、エレベーターを使うようになっていた。)
高学年になると、その子は移動する時はキャスター付きの箱のようなものに体重を預け、移動を楽にしていた。
ただ頭は小学生の頃からそこそこよく、中学の受験前になっても塾では一番上から2番目くらいのクラスにいた。
高校に上がってからは全く疎遠で、会う所か連絡すらとっていない。(風の噂で、高校の階段はキャタピラのようなもので上っているという話だけ聞いたことがある。真偽はわからないが。)
大人になってこのことを思い出し、気になり筋肉関連の病気を色々調べたがそういった病気の多くは数年で亡くなるなどの記載があったため、どれも違うなと思い結局のところわからずじまいだった。
今までは近所の子たちでグループになって一緒に登校してた高学年の女の子が、今朝はひとりでとぼとぼ歩いてた
寝坊しただけかなとも思ったけど、マスク越しでも分かるくらい暗い表情で、歩くスピードも遅かった(この辺は小学校から徒歩三十分の距離であるので、ここいらの子は普段やたら歩くのが速い。ちんたらしてたら1時間目に間に合わないのだ)
なんかあったのかな?と、心配になったが近所の人にできる事なんて思いつかず、「おはよう!」とデカ目の声で挨拶だけした(無視された)
なんかできることあるかな?ないわな
61歳に手が届こうかといういま、仕事に追われる毎日で、自分の趣味(寡作なれど、音楽作っている)に費やせる時間も殆ど無い。
これはおかしいのではないか、と思い、いま仕事をやめて繰り上げ年金で暮らしていけるかどうか、ばかり考えている。
実際、マンションのローンは払いきってしまったので、ある程度貯金はあるし何とかなるとは思うが、カツカツなのは目に見えている。
一方で、結婚経験の無い独身男性の平均寿命がかなり短い(67歳くらい?)、ということが話題になっていたりもする。
それを信じると、もう60歳を過ぎたいま、仕事をやめて貯金を食いつぶす気で生活しても、なんとかなる。
問題は、もし間違って長生きしてしまったら、ということだ(身体だけは丈夫にできているようなので)。
ちなみに、自分の父親(小学校教員、ずいぶん前に故人)は、58歳で退職していた、つまり、いまの自分の年齢では既に仕事をしていなかったことになる。
年収1〜1.5千万くらいで無理なく買えんのは『浦和』、『浦安(新浦和)』、『美浜』、『船橋』あたりだからじゃね?
それに『浦和』は、"浦和画家"なんて言葉があり、文化人・芸術家と士業が多かった街で今も生活が便利だし特に説明は要らんよ
小学校区ごとに取ってる年収でも公立の常盤小学校あたりなんか 850万になるしな
都道府県 | 所在行政区 | 学校名 | 平均年収 |
埼玉県 | さいたま市西区 | 宮前小学校 | 694万 |
埼玉県 | さいたま市北区 | 大砂土小学校 | 745万 |
埼玉県 | さいたま市大宮区 | 桜木小学校 | 791万 |
埼玉県 | さいたま市見沼区 | 七里小学校 | 692万 |
埼玉県 | さいたま市中央区 | 上落合小学校 | 862万 |
埼玉県 | さいたま市桜区 | 土合小学校 | 661万 |
埼玉県 | さいたま市浦和区⭐️ | 常盤小学校 | 850万 |
埼玉県 | さいたま市南区 | 浦和別所小学校 | 784万 |
埼玉県 | さいたま市緑区 | 大門小学校 | 701万 |
埼玉県 | さいたま市岩槻区 | 上里小学校 | 593万 |
埼玉県 子どもの教育環境NO.1は旧浦和市?文教エリアに中高層マンション265棟。 年収の高い学区ランキング2016年版
https://www.sumai-surfin.com/lab/gakku-child/nensyu/11/
健康保険は国民健康保険、協会けんぽ、健保組合ってあって、国民健康保険が最も負担率が大きいんだよ。で、大企業などが加盟する健保組合は、確かに国の基準に従って保険料負担が決まっているので所得で決まる範囲があるんだが、実際には手当などで戻ってくる仕組みがある。
高額療養費なんかは、健保組合と国民健康保険だと、同じ所得でも下手すりゃ倍半分違う。
小学校の話はその通りで、保育園も同じにしたらいいんじゃないかってこと。基本料金はごく普通に設定して、そこから金のない人に補助を出す方式にする。金があると同じサービスでも料金が吊り上がるとか、そんな制度設計はどうなのって話。
その伝で行けば
小学校の時にスカートめくり、高校で痴漢、社会に出てセクハラとかの被害に合ってるかもしれない
スカートめくり?こんな情報を公共にだすキャラに付けるなんてっ!
建付けはこういう感じだぞ
職業訓練校の話になると高専の話題が出るが、卒業者の一人として思ったこと。
現時点の採用側や大学や職場での高専卒に対する能力の評価はポジティブなものが多い印象受ける。
だけど、そこを担保しているのは
・学校数が少なく、入学の段階で一定の学力が必要なこと。(中学卒業者の1%)
・一般的な年齢の子が大学受験に要する時間の多くを、実務や専門の勉学+α(ロボコン等)に割けること。
・高校生相当の年齢(15〜20才)で留年する子がそれなりの人数発生すること。
※卒業した高専は在校生の1割が留年経験者で、入学時からストレートで卒業するのは8割くらい。退学者も多い。25%が留年したクラスもあった。
大部分は若い段階で学力と専門への適正で篩い落としが働いていることが大きいと思う。
他の高専は分からないが入学以降はカリキュラムと塾がリンクしていないので、塾で成績を上げてきて入学した子は辛そうな印象を受けた。
高専退学者で怨嗟の声もよく聞く。若い段階で篩い落としが激しいので当然。
近々だと卒業者が毎年全国で1万人ほどで、就職するのが6000人弱。しかも専門の特性上特定産業。
専門とマッチする卒業生が就職市場に何人投入されるんだろうなって人数。
大学もここまで極端に数が少ないわけではないが、そこに至るまで競争や篩い落としが働いてたこそ質が担保されてた側面もあるんじゃないだろうか。
高専の数を増やすだけだと、私大が増えた現状と似た感じで安泰とは言えなくなるように思う。
現状は工学に偏ってるので、他の専門分野の高専が増えるのなら面白く思うが。
【追記】
・第一に小学校の中学年時点でなりたい職業が決まっていたこと。大学生になって学べるようになるまでの時間を考えると中学卒業時点から学べるのは魅力があった。
・高等教育は受けたいなと思っていたこと。それに対して高専のコスパが良かったこと
・田舎だと教育コストの関係上 公>私 の価値観。私立高校に対する認識は、大学内におけるFラン私立のような認識。
・高校受験が学区制で自分の学力と合う公立高校が近隣になかったこと。調べたら現在半数の都道府県で学区制は廃止らしい。自分が受験した当時は大半でまだ学区制があったようだ。
学区内の公立進学校の偏差値が60、次点の公立高校が55。近隣の私立高校は公立進学校よりも低い。
自身の偏差値が60半ば、高専の目的の学科が60前半だったので高専を選んだ。
自分が住んでいる地域に置ける中学卒業時のコスパを含めた選択肢の狭さの影響が大きい。
中学卒業時点で学力さえあれば住んでいる地域に限らず入学できるよっていう公立学校が高専しかなかった。国立のメリット。
公立小中学校→推薦→高専→入社だったから、組織に入る際に学力を測るテストを受けたことはなくそこに関しては個人として特殊なんじゃないかと思ってる。
旦那から、「今度から外に娘を遊びに連れて行くには、三人の時だけにして欲しい。二人で出るのは出来るだけ避けたい」と言われた。
何でも先週の休日、少し歩く距離にある義実家へ娘を連れてでかけた所を、たまたま会社の同僚の女性たちに目撃されたらしく「フェイクメンなんですねw」とからかわれたらしい。
フェイクメンって何?って思ったけど、人前でチヤホヤされる為に人前でだけイクメンを気取っている夫の事をそう呼ぶらしい。
旦那は家事も育児もきっちりやってくれるし、勿論仕事もちゃんとこなしている。
元々ダラだし出産後の体調不良で結局フルタイムには復帰出来なかったしで
旦那には非常に助けられているし、フェイクメンとは程遠いと思うんだけど
以前にも色々と旦那的に心折れる事があって、今回が止めとなってしまったっぽい……
旦那は家事を今までの割合より更に増やすから娘の件はお願いするね、と言ったが、とりあえず外出の件については同意した。
ショッピングモールや公園で通報されて警備員や警察に取り囲まれたり警察に事情聴取される事は何度もあったし
小学校の通学路が交通量多いので出勤時の旦那に送って貰っていたら、父兄から先生経由でクレームがあったり
PTAに二人で参加したら後で暗に旦那さんの出席はご遠慮願いたいとクレーム受けたりという事があった。
(別に何を言った訳では無いが、男が参加しているのを威圧的に思う人がいるから、らしい)
電車で娘と二人で遊びに行かせたら、駅で誰かに通報され駅員に取り押さられ大事になってしまった事もあった。
旦那と娘は私からしたら似ているけど他人が見てもすぐにはわからないだろうし、このご時世だし
男親だから警戒されるのはしょうがないね、とは旦那も言っていたんだけど、父子手帳を持って証明しても
信用して貰えないとか、そもそも出せないぐらいに不審者扱いされるとかで、さすがに疲れちゃったみたい。
ママ友とかネットの知人とかの家事も育児もロクにしない旦那の愚痴とか聞いていると
ウチの旦那は違うから良かったって内心思ってたんだけど、夫の育児を一々腐す様な風潮のせいで
やる気無くしちゃってる旦那を見ていると正直つらいし、他人の事なんか気にするな!とも思いつつ
まあ周りからぶつくさ言われたらそりゃやる気無くなるよねー…とも思ったりもする
私だって、育ママ気取ってイキってんの?wとか言われたら普通に不愉快。
無限にイライラしてしまうからここに書くことでこの件を私の中で終了させたい。
ことの起こりは6年前。
私が住んでるのはザ団地。検索していちばん上にでてくる画像の団地。こち亀とかにでてくる団地。
同じ団地の同じ棟の子ども二人2歳と4歳は、4歳の幼稚園後から日が暮れるまでいつも、その団地の前で遊んでいた。
私は0歳の息子を抱っこしながら買い物行って帰ってくるたびに、その子供たちに
「今日はどこいったの、なに買ったの」「これできるようになった、これ買ってもらった」など質問攻めおしゃべり攻めに合ったのちに
息子が歩けるようになれば「息子くんかわいい!」「もっと歩けるようになったら一緒に遊ぼうね」とにこにこで相手にしてもらえて、
しかし、平日も土日祝も季節も関係なくその子たちは外にいて、親は見たことない。
最初は軽い雑談で終わっていたかかわりも、月日が経つにつれて、
近くの公園に行くといえば「行きたい!」と言うし、遠出をするといえば「なんでそんなにいっぱい行くの?」(行ってない)と言うし、
外食しに行くと言えば「ずるい!」と言うし、言葉を濁せば「ちゃんと教えて!」と言うし、息子と遊んでいれば「ちゃんとこっちみて!」と言うし、
少し疲れていた。
遠くから見かけると、(今日もいるな…)と思いつつ、その子たちが笑顔で迎えてくれるのでなんとなく今まで通り相手にしていた。
真夏のある日、子どもは抱っこ紐で抱っこして重い買い物を終えて帰ってきた。
いつも通り3歳と5歳になったあの二人はいる。この暑い中、日陰だとはいえよう遊ぶわ、と近づいて行った。
そしたら「ねえおばちゃん家遊びにいっていい?」「同じ団地でしょ?」「おばちゃんなら大丈夫だよ」と言われた。
まあ、親がいいと言えばやぶさかではない。けれど、親から許可をもらうことは、この二人の子供にとってはもっとも無理なことであるのはわかる。
私だって見たことない。何言われるかわからない。だから、団地の前以外の公園やなんやらに移動したことは一度もない。
「家は難しいかな」「それはお母さんかお父さんがいいって言えばいいけどね」
そう言っても、二人の子供は引き下がらない。
重い荷物と抱っこしている息子に、熱い気温に、もう早く家に帰りたかった。
二人はついてくる。階段をのぼりながら、「お家はだめだよ」「二人とも自分のおうち帰りな」と言ってもなんやかんやとついてくる。
「玄関まで見送る」「家の場所確認して、いいよって言われたら行く」と言い始めて、もう親でてこいや~と思いながら家の前に到着。
ぐずりはじめた息子をとりあえず涼しい家にいれたいし、ドアを通れるだけ開けて中にスッと入ろうとしたら、
強引に二人でドアを開いて中に入っていった。
「涼しい、すごいおもちゃある、広い」などといい、勝手にいろいろ触りだす。
もうそこから30分ぐらい(バイキングじゃん…)と思うような状態。
「もう帰ったほうがいいよ、心配するよ」と言っても「大丈夫」の一点張り。
さすがに子ども二人を外に出せる剛力はないので、途方にくれていた。
とりあえず、姉に現状を伝えると「お前が攫ったって言われてもおかしくないから、すぐに帰らせろ」と言われて、ハッとした。
しかし、結局帰らせられず警察を視野に入れ始めたとき、外から二人の名前を呼ぶ声がした。
「お母さんじゃない?」と言ったらぴゅーーっとまず5歳のほうが家からでて(やばい)って顔していた。
3歳のほうは気にせずずっと遊んでいたが、5歳が「お母さん探してる!いいから出る!」って言ってるの聞いてようやくやばさに気付いて
外にでていった。一応追いかけて階段降りて行ったら、親らしき人大号泣。
睨みつけられたのち、「子どもたちから話しを聞きます」と言われ帰っていく。
私が5階でそっちは2階。
そんで、向こうから話しにくるわけでもなく、その後団地前でいつも通り二人が遊んでいるところにその親がいて一言。
それだけ言われた。
「いえ、私も止められず…」
それだけ言った。
その胸には、息子と同じぐらいの子どもが抱っこされていた。
のちに二人から聞いた話しだと、2階の窓から二人を時々見ながら末子の面倒をみていたのだという。
で、二人はその窓から見える範囲より外に行ってはいけないと言われていたのに約束を破ったので、親が捜索したとのこと。
なるほどなるほど。
なるほど?
もう書くのめんどくなってきたから省くけど、「なんで?」な部分が多々ある状況。
こっちは生きていただけなのに、放置子に絡まれて家に侵入された上に睨まれて人攫いみたいに扱われた上に、
私としては、放置はしなくなるし、謝罪されるんではないかと、平和な世界が戻るのではないかと期待した。
なにも変わらない。なにも起きない。
もしかして貧しいのかな?(高級車持ちでした)
もう常識外だな、と判断し精神衛生のために、それぞれがまた誕生日を迎える前に疎遠になり、関わりを持たないよう
会わないよう回避しようとした先のコロナによる外出禁止。さすがにかの一家も、外に子を出さなくなり私も、二人の子供の顔が
わからなくなるぐらいには疎遠となった。
そして今年。
5歳だった子は11歳で今年12歳の6年生。
3歳だった子は9歳で今年10歳の4年生。
その親は地区班に入っている。
しかも末子は同じ組。
毎朝顔を合わせる。
6年間ぐつぐつさせた小さな苛立ちがいま、良い感じに煮込まれて毎朝最悪の感情で満たされる。
「はよ謝れや!」
(あの家は子供をたぶらかした)(あの家はこんなんした)って言ってるんじゃないか…。
なにされてもおかしくない…。
そんでそんなわけあるかい…
という自己嫌悪…
けれどもさんざん子どもを放置して、1年以上あんたと同じ月齢の子供抱いてる親が、あんたが外で遊ばせるレベルの子供二人を相手にして、挨拶なく私も放置して
さんざん困らせたのに、ことが起こって子どもの意見だけ聞いて納得したのかしらんけど謝罪なく終わったことにされて、つーか納得してあげた、このことは飲み込んであげるみたいな態度とられたのを、
私としては常識外の人間のやることだから追求しないで距離をとればいいと飲み込んだ相手と、同じ学年同じクラス同じ地区班として関わらなきゃいけないって地獄すぎる。
書いてとりあえず落ち着いてきたわ。
なんでこんなにイライラしてたのかって、結局「私は悪くないのに、悪いってことにされている(だろう)」ってところだし、
かといって当事者に「あなたは悪くないです。こちらが悪いです。すみません」と言われても今更おせーわ!となるしで、解決方法は自分が消化する以外どうしようもないと気付きました。
もう顔に能面貼ってやり過ごすわ。