はてなキーワード: 全身麻酔とは
血栓を生じさせて脳梗塞などを起こせる薬剤が、コロナワクチンから製造しうることになるが
① (4-ヒドロキシブチル)アザンジイル]ビス(ヘキサン-6,1-ジイル)ビス (2-ヘキシルデカン酸エステル) 3.23mg
② 2-[(ポリエチレングリコール)-2000]-N,N-ジテトラデシルアセトアミド 0.4mg
③ 1,2-ジステアロイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン 0.7mg
⇒これらはアナフィラキシー原因物質で、全身麻酔経験者には慎重投与?
⇒これらは④はわずかに潮解性、⑤は吸湿性が強く潮解性があり無臭、水によく溶け、アルコールにはわずかに溶ける。食品添加物
④⑤はゲル状になって張り付くかもしれない? 粉末状態で血管や肺に入ったら
※ 潮解性 Deliquescent : 固体時に空気中の水分を吸収すると液体化する
出来たら良いねって話してた矢先で嬉しさよりもびっくりが勝ったのが本音だけどついに親になるのか…っていう不安もあった。
産婦人科に行ったら妊娠はしてるけどまだ小さいから3週間後にと言われとりあえず妊娠してる確認だけ取れた。
10月7日〜だんだん出血が止まらなくなり流石にマズいのではと思って10月19日に診察。
成長してるし流産の兆候も無いからと言われてまた3週間後の診察に。
11月12日の診察で心拍の確認ができるかと思いきや子の形は確認できたけど心拍が無い。
流石に実感なさすぎて泣けなかった。
夫にも心拍が確認できなかった事は伝えたけど私以上に実感が無さそうだった。
もう一度念の為に11月15日にエコー確認したけどやはり心拍は確認できなくてこの時点で稽留流産確定。
私は結局一度も子の心臓の音を聞く事もなく9週弱で妊婦が終わってしまった。
そこからは稽留流産手術の手続きへ。淡々としててこれが1番辛かったかな。
血液検査と心電図測ってくれた看護師さんがとても優しくて。ありきたりだし皆んなに言ってるのかもしれないけど、また会いに来てくれるから今はいっぱい泣いても良いんだよ。って言葉で涙が止まらなかった。
11月18日に流産手術のため病院へ。エコーで成長がない事を確認。これが子を見た最後だったな。
手術着に着替えて点滴刺されてある程度したら手術台へ。
優しく声かけてくれた看護師さんと再会したのも束の間全身麻酔で寝て起きたら手術終わってて気づいたらベッドの上だった。
これで私のたった48日間の妊娠は終わった。
こんなあっけなく終わる事もあるんだなと。誰にも言うこともなく相談する事もなく。
両親に話したら喜んでくれるかなとか、友達に報告できたらなとかうっすら夢見てたけど本当に妊娠して子どもが産まれる事は奇跡なんだなって身をもって実感した。
術後はびっくりするほど普通。私の頑丈さを子にも分けてあげたかったな。
今はネットの広告記事がマタニティ関連なのがなかなかダメージ受けるけど拒否反応とかではなく。
また会える準備期間なんだと前向きに捉えて元気に過ごします。
両親がおばあちゃんを家から追い出し、一人暮らしをしていた私が引き取ってからもう7年になる。
もうヤングケアラーと言われる歳ではなくなったけど。(タイトル釣りでごめんなさい。)
なぜ追い出したかは、話が長くなるので割愛するが、大方両親が悪いと思っている。祖母に原因があるにせよ、86歳だった祖母を物理的に家から追い出し、3日間家に帰って来れず足に後遺症が残る怪我を負わなければならない理由は何一つとしてなかった。祖母は家出直前に電話をくれたが、その時電話に出れず三日後まで会えなくなった事を今でも後悔してる。
何も後先考えず祖母を引き取って、本当に祖母に申し訳なかったと思っている。
それまでしっかりしていた祖母だが、年々体が衰え、糖尿病になり、心不全になり、認知能力も低くなった。
もし私がもっと勉強して、事前にケアできてれば今頃もっと健康だっただろう。何か問題があるたび、親身に相談に乗ってくれて助けてくれるケアマネージャー、デイサービスの方々、今日まで面倒みてこれたのはあなた達の献身的なサポートのおかげです。
そして、おばあちゃん持ちの独身男の私と結婚してくれた妻、ほんとうにほんとうにありがとう。
この5年間、俺、妻、おばあちゃんという3人の奇妙で本当に大変な生活だけど、あなたのおかげで幸せを感じています。
介護で病院通いをしていて、この人達にストレスを感じる人達は多いと思う。
患者には乱暴な言葉も、冷たい言葉も何でも、その時の気分次第で何でも吐き捨てられるから。
なにせ彼らは絶対謝らないし、どうせ病院側に伝えたってクレーマー扱いされる。
これらの方々は総じてムカつくほどのタメ口で、態度もだいたい横柄だ。
傾向的に多いのは、その科の部長とかだ。
最初クリニックに連れてった後、手術した方がいいが年齢的にもできるかの含めて総合病院に連れてれ行った方がいいとのことで、今朝最寄りの東京品川病院に連れていったら見事に散々罵倒された後『出でけっ!』と追い出されてしまった。
クリニックでは手術はした方がいいけど、手術をする時は全身麻酔をするし、93歳で心不全持ちの祖母に耐えられるか分からないが、もし手術を行われなければ今後腕が上がらないようになるかもしれないと心痛な面持ちで伝えられた。
それがその総合病院のK部長は『たぶん手術上手くいくでしょ』、『手術しなくても骨はくっつくと思う』『どうする!?どうする!?』
上手く言葉で伝えられてないと思うが、K部長の横柄な感じとあまりの軽さに不安しか覚えなかった。それだから、事前に想定したシチュエーションを踏まえて疑問に思うことを矢継ぎ早に質問し始めたら、『ほぼほぼ手術は上手くいく!』『骨はくっつかない時もあるかもね』、言葉は変わっていくし、聞いてなかった情報が聞くたびに出てくる。ますます不安だ。
手術の可否と同じくらい考えなければならないのが、入院のことだ。
知ってる人は多いと思うが、甘く考えてる人には何度でも忠告しておきたい。
祖母もこれまでに2回ほど入院したが、確実に認知能力が落ちた。
それが1週間程度でもだ。
1回目はコロナ前でお見舞いには行けたから毎日会いに行ったが、認知能力は落ちた。
2回目はコロナ禍で見舞いに行けず1週間だったが、落ちた。
祖母は共働きだった私の両親がわりになり、遊んでくれた事、毎日3食ご飯を作ってくれたこと、ズル休みするたびに学校に嘘をついて電話してくれたこと、私の子供時代のことは何も覚えていない。
そんな感じで入院した場合、手術できるなら検査入院すること、手術した後の治療日程、そのリスク、認知症落とさないために入院中できること、手術しなかった場合の治療日程、想定される腕の可動域、もっと体が弱くなってきた時に片手が使えないとどうなるか、他の患者さんで似たケースはあるのか...etc 質問はいくらでも出てくる。想定できること、考えられるかぎりの事を知ったうえで決断したかった。
診察し始めて10分経ったぐらいに、『もう何度も同じこと聞いてくるな、出てってくれ』と言われた。
-ごめんよ、多少重複したかもしれないけど、こっちも不安なんだ。大事なババアなんだ。
それから質問するごとに答えた後に他の患者が待ってるから帰ってくれと言われ始めた。
-私とおばあちゃんはもう2時間待ってるよ。予約してなかったから最初の方に来て最後のほうまで待って、私たちだけだよ、こんなに待ってるの。知ってるよ病院のシステム。早くお昼が食べたかったんか?
-こちらはさっきの質問の半分も聞いていない。HPのあなたのプロフィールにある『皆様に納得していただける説明と治療をいたします。』って嘘だよね。
そして診察開始から15分程で『出てけ!とりあえず手術するかしないか決めてから月曜日に来い!』と怒鳴られ完璧にプッツンしてしまった。そこからは相手の売り言葉に買い言葉。待ってた患者さん達本当にごめんなさい。聞きたかったこと全部聞けてないのに、とりあず判断しろって何なの?
お医者さんには好かれなければならないのに喧嘩してしまった。その後職員の人が来て、事の経緯について私の話は一才聞かれず、ただただクレーマー扱いだったよ。おばあちゃんマジごめんよ。もう最寄りの病院行けなくなったよ。
バリウムは解像度が悪くて腕の差が出やすいので再検査になって結局胃カメラになることが多い
しかも「再検査の場合は経口しか選択出来ません」とかの場合が多い
今時は経鼻でも経口でも解像度変わらないのに昔の基準が適用されてる
経口カメラはやった方が寿命が縮まるんじゃないかと思うぐらいしんどい
しばらく体調が悪くなったりするし絶対にやめた方がいい
鼻からもかなり辛いとは思うけれど他の二つを比べるとずいぶん楽
もちろん積極的に受けようとは思わないけれど受けるなら経鼻
始まった瞬間に終わってる
三十五になり、健康診断では任意で検便と超音波検査とバリウム検査が選べるようになった。どれもタダだから受けてしまえばいいだろう思って同居人に話したところ、バリウムの不快さとバリウムだらけになる便所掃除の大変さを延々と説かれたので、それなら検査が義務になる四十まで待てばいいだろうと高をくくっていた。
ところが、超音波検査で要検査との結果が出て(註:結局これは何でもないことが後に判明する)、慌てて胃の様子も見てもらうことにした。要検査と言っても、ちょっと疑わしいレベルのことだと書かれていたが、万一のこともある。
そこで、普段お世話になっている消化器系のお医者さんに連絡を取った。だが、自覚症状がないので自費診療になってしまうとのこと。そこで何か腫瘍だとか潰瘍だとかが見つかって細胞をつまむのだったら、自費診療ではなく保険適用になるかもしれないらしい。これだけで一万円近くかかるので迷ったが、お金よりも安心をとったほうがずっといいので受けることにした。
その後、受付の人から「自覚症状があれば保険適用の可能性もゼロではない」と聞いたので、「時折食不振と満腹感、まれに口臭」と書いた。
タダでできるものを一万円かけてやったのもなんだか損した気持ちがするが、胃カメラとバリウム検査のどっちが体質的に向いているかを知るいいチャンスだと思うことにした。話の種にもなる。
件の医師は痛みの少ない鼻からの胃カメラを前面に売り出している。申し込めば全身麻酔でやってくれるらしいのだが、それだけ余計にお金がかかるし、繁忙期が近いのに丸一日つぶれるのはちょっと困るので午前休だけで対応できる部分麻酔を選んだ。前述の別の検査もあり、あまり時間をかけたくない。
説明によれば、二十一時以降は食事なし、朝食は抜き。多少なら水は大丈夫だった。検査によっては水も飲んではまずいらしいのでこれは助かった。
受付を済ませ、別室にて鼻うがいの要領で麻酔剤かなんかを入れられた。鼻の穴に水が入るとツーンとして何とも言えない不快感があるのだが、この薬は平気だった。聞くところによると塩分と温度が適切だと大丈夫らしい。
次に液体の飲み薬をもらう。なんだかわからないが、おそらく食道から胃にかけての麻酔か何かだろう。薄味のカルピスみたいでおいしい。
麻酔の後は効果が出るまで少し待つ。鼻から麻酔が垂れてきたり、のどの奥に流れたりするはそのまま放っておけと言われたので待合室では下を向いていたが、おかげでマスクがべしょべしょの惨状になった。
さらに奥にある別室に案内され横になる。また鼻の穴にぬるぬるしたものを流し込む。その時は麻酔だと聞かされた覚えがあるが、今にして思えば潤滑油みたいなものだったかもしれない。
そこで右の鼻の穴に機械を入れられ、続いて左の穴にも入れられたのだが、どうもうまくいかない。ただインフルエンザ検査キットを鼻の奥に突っ込まれたような不快感があるばかりだ。どうやら鼻の穴の奥が他人よりも小さいらしく、結局は普通の胃カメラのように口から飲み込むことになった。
そこからが大変だった。舌を固定する器具をくわえさせられ、そのまま管が食道を下っていくのだが、食堂が刺激されて吐き気が延々続く。げえげえと声を漏らしながらなんとか飲み込んでいく。絶食していてよかった。助手の女性がずっと背中をさすってくれているのだが、嘔吐感と異物感がしんどく、何度か胃の内壁をつつかれて胃の形が変わっていく感じがあった。加えてさらに奥までいじられたような形容しがたい気分がした。よく噛まずに何かを飲み込んだときのように、食道からずっと胃の奥までがずっしりと重い。
管を飲み込んでいるはじめのうちは拷問のようで、最初からバリウムをおとなしく飲んでいればよかったと激しく後悔していた。だが、徐々に力の抜き方がわかってくると苦しさは減じ、「なんだか気持ち悪いものが入ってる」くらいの違和感レベルまで落ちた。助手さんさすってくれていたのが本当に効果的だった。
終わった後に助手さんから「力が抜くのがうまかったですよ」と言われた。半分くらいはお世辞だろうが、半ばやけで俎板の鯉見たいに開き直ってからのほうが、確かに楽になった。とはいえそれはさすってくれたからなので、よくよくお礼を言った。
しかし、施術中は鼻水と涙は止まらず、マスクは使い物にならなくなっていた。新しいマスクをもらえたのはありがたかった。
時計を見ると、実際に胃カメラを飲んでいたのは十五分ほどだった。思ったよりも長かった。たぶん途中から無になっていたので、時間の経過がわからなくなっていたのだろう。
何の問題もなし。口から十二指腸の入り口まで見てくれたのだが、きれいなものだった。(余談だが要検査だったもう一つの検査でも医師から「若くてきれいな内臓」と褒められたので結構嬉しかった)。
面白かったのは噴門と幽門がはっきりと観察できたこと。噴門はトンネルから洞窟の広いところに出たような光景で、幽門は胃の内容物がゆっくりと十二指腸に送られるよう、きちんと閉じるような門のような仕組みになっていた。さっき感じた胃の内側をぐりぐりされる感覚は、たぶん幽門の奥までカメラが進んでいたからなのだろう。
また、胃の内壁は牛のそれ(ハチノス)と同じような皴があった。なるほど哺乳類なのでだいたい同じなのだと感心した。
結局保険適用はされなかったが、面白い経験ができたし、健康だとわかって安心した。来年にバリウムを飲むことがあったら、また比較して感想を書くかもしれない。
メカニズムがわかってなくても、なぜか当たるなら「エビデンスはある」ことになる。
とかいってるけど、本当に言いたいのは「メカニズムがわかってない」なんじゃないですかね。
聞き飽きてる人も多いと思うけど、全身麻酔とか、厳密にはメカニズムが明らかにはなってない。
でもなぜか効く。
医療って究極「効きさえすればすればいい」の考え方なんよ。
「エビデンスがない」って言っちゃうと「当たりさえすればいい」のぬるい基準すらパスしてないことになる。
というか占いって、当たる当たらないすらどうでもよくて、「相談者の人生が上向きになればいい」というものなんじゃないかと。
ただ、それって、「上向きになったと勘違いさせればいい」とか、「そのうち上向きになると思い込ませればいい」と紙一重だから、批判を受けがちになってしまうのでは。
・これまで大きな手術の経験なし
11月はじめ 左と比べて右の玉が大きくなり、かなり痛くなる。痛み止めを処方してもらい痛みはなくなったが、大きさは変わらず大きいまま。痛くなくなったので放置した。
精巣腫瘍の可能性ありということで大きな病院を紹介してもらう。
3月はじめ 大きな病院で検査して精巣腫瘍の可能性が高いという診断。いわゆるがんマーカーの数値や、CTの結果では転移なしの診断
明日 手術。取るらしい。
来月 取った玉を検査して結果がわかるらしい。
ネットでは10万人に1人レベルだけど20代30代には多いって書いてあって、良くも悪くも最近話題になった乳がんのポスターみたいに当たっちゃった気分です。運がいいのか悪いのか、見える範囲で転移してることはなかったようなので、このまま定期的に通院検査して早めに対処していけば元気に生きていけそうなのは本当によかった。。
ただ、3ヶ月前にちゃんと病院行っておけばよかった。もし悪化した場合後悔すごいと思うので、もし少しでも気になることがある場合は若くても遠慮なく病院行ったほうがいいということを学んだし、周りにも大きな声で広めたい。精巣腫瘍に関しては奥さんや彼女が見つけることも多いらしいです。(見られる人いないし自分で見てわかりましたが……)
手術や入院に入るにあたって待ち時間がかなりあったので書いてみました。手術については1時間位らしいけど全身麻酔やその後の疲労感や痛み、仕事すぐ戻れるかなど結構心配です。
とはいえ、今のところも元気だし、お話聞く限り現状できる検査の結果上はそこまで進行してなさそうなので、あまり気にしすぎずやっていければなと思います。たまに会ったときは話しさせて〜〜
生後5ヶ月で私が拾ったねこ。
実家とは疎遠になろうとしていた私を繋ぎ止め、家族のかすがいになってくれたねこ。
頭良くて人の顔うかがいながらイタズラするねこ。
18歳(人間なら88歳)なのにとても元気で、よく遊んで欲しがっていたねこ。
甘えん坊なので皆が忙しくてかまってもらえない時にストレスでちょいハゲができるくらいだった。
毎日よく食べ、よく水を飲み、よく運動し、よく甘え、よく毛繕いし、よくンコもする健康優良猫だった。
でも、とても健康で元気だから覚悟なんてしていなかった。できてなかった。
ねこが8歳のころに私は生まれ故郷を離れ、帰郷するのは年に2回となった。
それでもねこは私のことをちゃんと覚えていてドアを開ければ鳴きながら走って出迎えてくれていた。
とても賢い。
とても可愛い。
離郷して9年目、新型コロナウィルスが世界に蔓延し、突如パンデミックの災禍に巻き込まれた。実家に帰れなくなった。
その頃からねこは少し夜泣きをしたり、たまに乱暴になる事があった。
親は「痴呆では?」と心配していたが、名前を呼べば反応するしご飯もわかるし過剰に要求しないし、私は違うと思ったし主治医も問題ないと言っていた。
一年半後コロナが少しおさまりかけ、実家に帰ったがやはりちゃんと私の事を覚えてくれていた。18歳だけど毛艶も良く、夜は昔からの習慣で布団に入ってきたので一緒に寝た。
元気な姿はそれが最後だった。
「ねこの口腔内に腫瘍ができた。手術でとって病理検査してもらう」
即調べた。
手元の小さな箱で調べた。
猫 口の中 腫瘍。
「癌になったら余命は1〜3ヶ月ほど」
信じないでおいた。信じたらしまいだ。
残り2割の可能性がある。
結果は8割の方だった。
残酷。
それから3ヶ月半。
知り合いの獣医も言う「19歳で全身麻酔の手術なんて、それだけでも凄いよ」
何故なら手術で腫瘍を採るには目をとり顔を半分削ぎ落とすから。それでも完治は保証できない。
抗がん剤は腫瘍の由来が不明のため効果的に投与できる薬を特定できず、放射線治療は負担が大きい。
それからねこの可愛いお顔は左半分が少しづつ膨れ上がり、鼻は曲がり、左目はほぼ見えなくなった。
口の中も再び肉腫が大きくなり、鼻を圧迫して髭も抜けて無くなってしまったのでご飯が食べづらい。
口の下の腫れが気になるのか顔洗いながら爪を立ててしまうので毎日顔と両手が血まみれになる。血の海に浸したみたいに赤黒い。
ウンチも週一。
お水もうまく飲めないのか傷にしみるのか苦戦して量が減る。
癌診断の後、私は一週間の自主隔離とPCRを駆使して月一で帰郷した。帰ったらリモートワークしながら一週間滞在してはねこと密に過ごした。
帰ると嬉しいのかご飯の量が増えたりしてくれた。
毎晩一緒に寝て、泣きながら沢山話しかけた。
沢山撫でた。
元気な時はそんな事一切なかったのに、体力ないからか、寂しいからか、辛いのか、痛いのか。
どうしたの?と撫でてあげると安心してまた寝た。
それが2週間前。
匂いを感じないからか、食べづらいからか、実家近辺にて買えるウェットフードで食べてくれるものが尽きた。
ネットでなんでもいいからウェットの食べやすそうなものを手配した。
体重は全盛期の2/3の2.6kg。
もう、近いかもしれない。
毎晩泣いてきたけど、いまだに涙が止まらない。夜になると考えてしまう。
何かできたことは無かったのか、事前にわからなかったのか、いや分かるわけない、人間でも予防は無理だ、でもあの子は左目に昔からアレルギーがあったからアレが遠因じゃないのか、その時の獣医はアレルギーと言っていたから分かるわけない、内臓のガンの方がマシだったのか?、いやそれはお前のエゴでしかない。
よい猫生だっただろうか。
昔はねこが虹の橋を渡ったら遺灰を小さくて可愛い骨壷にいれて手元に置いておこうと思っていた。
今はそれすら良いのか分からない。
そんなものを今から手配するのもましてや探すのなんて体が動かない。
あなたが今、ただただ苦しんでいない事を。
痛くないことを。穏やかでいられる事を。
世界中の猫とこれを読んでくれた貴方と貴方の猫が少しでも永く一緒に幸せでいられる事を。
祈るしかない。
「病院 特別室」でググっても事例があまりないので、体験談を書いてみようかなと思いました。
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ある疾患を抱えていて、入院して手術しないと死ぬよと主治医に言われ、都内屈指の大学病院に2週間ほど入院することになった。もちろん保険適用で差額ベッド代ゼロ円の部屋もあったが、他人のいびきなんぞ聞きたくもないし、クチャラーにあたった日には最悪なので、個室を希望した。
個室の差額ベッド代はミニマム3.5万円スタートで、この時点で「高くね?」と思っていた。それでも貯金を切り崩してまでも個室にしたかったので、個室の種別がいくつかある中で、第1希望から第3希望まで選んで入院受付に提出した。
入院3日前までの新型コロナウィルスの陰性証明、つまりPCR検査必須と言われ、渋々有給を取ってPCR検査を受けに行った。最近のPCR検査はすごく、鼻に長い綿棒をぶっこむやつではなくて、唾液から検体の検査ができるらしい。
後日、PCR検査の結果報告が来る前に第1希望〜第3希望の個室の空きがなく、大部屋しかないと言われて愕然とした。そもそもPCR検査で陽性だったらどうしていたんだろうという疑問はありつつも「あれ、個室の上に特別室っていう項目あったよな」と思い出し、「特別室の一番安いやつは空いてないですか」(安いやつでもミニマム6万円)とダメ元で聞いてみたところ「確認してまた折り返します」とのことで連絡を待つことに。
空いてなかったら、大部屋かぁ鬱だな手術キャンセルしようかなと思い至るくらいには大部屋が嫌だったわけだが、数時間後「今特別室の10万円のお部屋しか空いていないのですが、6万円の金額で構わないのでこちらでご入院いただけますか」と連絡が来た。目を疑う…いや耳を疑ったのだけど、6万円で10万円の特別室か…いったいどんな部屋なのかワクワクだったのと、入院に対する不安と支払うお金に対する無の感情が入り乱れてきたが、医師看護師完備の高級ホテルに泊まるんだと自分に言い聞かせ、なるほど、これが病院の経営で利益を上げる手法なんだな、学びになるなと思いながら6万円の部屋で渋々承諾した。ちなみにPCR検査の結果は陰性だった。
入院当日、そもそも特別室と個室の違いが、電気ケトルと大きいテレビ置いてるか置いてないかくらいにしかわかっていなかったのだが、入院受付に受付をしに行った。
特別室の驚きは、まずこの入院受付から始まるわけだが、アドオンで1日あたり2,000円出すと一般病棟とは異なった食事が提供されるらしい。怖いもの見たさでとりあえず申し込んでみた。
次に特別病棟に案内された。特別病棟は最上階にあり、直行エレベーターに乗り最上階まで行ったのだが、エレベーターのドアが空いた瞬間、また驚いた。
床がタイルではなく淡いレッド色のカーペットが全面に敷かれており、エレベーターホールにはいかにも王室で使われているような高級そうなイスがずらりと並べてあった。
そして病棟とエレベーターホールには硬い扉での隔たりがあり、扉はALSOKのカードでタッチするか、インターホンでナースステーションから開けてもらわないと開かない仕様になっていた。
「は?ここ病院だよね?」と二度見三度見、そして降りる階を実は間違えたんじゃないかと思い、エレベーターに再度乗るも、入院する病棟の階に間違いはなかった。
昔、別の疾患で別の大学病院の大部屋に入院したことがあるのだが、その記憶が嘘のように思え、エレベーターホールで頭を深く抱えていたところナースステーションから固く閉ざされた扉を開けて、看護師が来た。
「ご入院でございますね。ご連絡承っております」…「承っております…?」何かの聞き間違いかと思った。看護師と言えば忙しさのあまり、悪気がないにせよ患者に冷たくあしらった対応をしてしまうような方もいる中で、「○○様の看護を務める山田(仮名)でございます」と開口一番に言われ、高級ホテルだと比喩したのはあながち間違いではなかったのだなと思った。
病室へ案内され、病室の説明を受けた。病室自体にツッコミたいことが山程あるが、「看護のリーダーをしております。何かありましたら、お気軽にナースコールでお呼び出しくださいませ」と言われ、頭を下げて病室から看護師が立ち去っていった。
「お気軽にナースコール…?」ナースコールって気軽に押していいものなのか、これは押すなよというフリなのか、と頭の中で葛藤をしていたが結局押さなかった。手術が終わるまでは。
そして病室自体のツッコミだが、病室自体もそうだが、病室までの廊下にはコケシ(?)が置かれていたり、吹き抜けがあったり、病室の扉も内鍵が付いていない以外は、さながら高級ホテルのようだった。なお、外側からは鍵をかけられる仕様になっているため、コンビニへ行くときは病室に誰も入れない。鍵はナースステーションで預けるようなシステムだった。
なお、病室にはクローゼットもあるし、収納もたくさんある。いや、こんな収納使わないけど…。そして部屋の奥に佇む1つのべッド。広い部屋の中にポツンとあるベッド。
さぞかしふわふわで柔らかいんだろうなと腰をかけたら、やはり病院のベッドは堅く、しばらくの間首が痛かった。部屋はゴージャスなのに、なぜ病院のベッドは…
ところで、今回10万の部屋になってしまったわけだが、これよりも上のグレードもあり、そのグレードの部屋はALSOKを使わないと入れない仕様になっていて、その部屋の目の前はナースステーションになっていたので、
緊急事態でもすぐに対応できるような造りになっているのだろう。そして、こういう部屋を使うのはおそらく要人とかなんだろう。永遠にご縁はないだろうが。
有名政治家、芸能人やどこか有名上場企業の社長が一般病棟ですれ違わないのは、こういった特別室という概念があるからなのかと腑に落ちた。
申し込んだ特別室専用の食事だが、デザートにパイナップルが出たり、キウイが出たり、ハーゲンダッツが出たり病院食とは思えないほど豪華で美味しかった。なんなら不摂生な毎日の食事よりも健康的で美味しく食べられる。
手術当日、担当看護師がオペ室まで案内してくれた。そういえば大部屋って案内されないで、自分で行って勝手に受けてねだったような気がしたが…。特別室だからなのか、それともこの大学病院の方針なのか定かではない。
全身麻酔だったということもあり手術を終えた当日の記憶が若干曖昧ではあるが、痛すぎて鎮痛剤をもらうためにナースコールめっちゃした。ごめんなさい。
点滴を交換する際に、看護師が部屋を訪れるわけだが入る時にノック3回して「今よろしいでしょうか?」と確認してくれる。すごい。ちなみに消灯時間を超えたあとはノックなしに勝手に入ってくるので、めちゃくちゃビックリする。ちなみに、部屋の電気をすべて消したあとは、携帯ライトで点滴を交換しているようだった。
主治医が来たり、当直医が来たり、看護師がバイタルを測りに来たりと、あんまり気は休まらなかったが、大部屋よりかはのんびりできたのかもしれない。
結局ゲームを持っていったのに痛くてゲームどころじゃなく、スマホで朝から晩までずっとTikTok見て過ごしてた。
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そんなこんなで退院日になり、退院の準備を進めていた。手術代よりも病室の差額ベッド代のほうがもちろん高くて目ン玉が飛び出た。
そして特別室の患者は特別らしく、専用の紙を受付に渡すとどんなに並んでいても割り込みで支払いができるシステムになっている。
他の待ってる人に申し訳ない気持ちが込み上げてくるが、上級国民はこういったのが日常茶飯事なのかと思うと本当に格差ってあるんだなとしみじみ思いながら、割り込みしつつも、大人のクレジットカード分割払いで会計して家に帰った。
会計料金はお察しください。
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まさかここまで反響があるとは思ってませんでした。退院祝いに大量飲酒しながら書いたので稚拙な文章ですが、こういう世界もあるというのが伝わってよかったです。
ちなみに、特別室に泊まるともれなく大学病院のアメニティが無償で付いてきます。入院時の持参物でティッシュやシャンプー、トリートメントなど書かれていたので持っていったのですが、アメニティや特別室そのものに付属されていて、持ってく必要なかったなと若干後悔しました。
あと、面白かったのは、特別室の患者のみ新聞を取ることが許可されていたり、今でこそ不要ですが、はてブにも書かれていた方がいるように外部との連絡手段としてホテルにあるような電話機が設置されていたりしてました。
部屋のイメージは、はてブで既に比喩されている方もいらっしゃいますが、私が泊まった部屋は、ドクターXに出てくるいわゆる特患向けの部屋が広さと見栄えがイメージとして近いです。私自身も入院するまではドラマの世界だけだと思っていたのですが、そうではなかったようです。
ただ、ドクターXのように大門未知子先生が唐突に入ってくるような構造にはなっていないので、これは現実とはかけ離れているなとは思いました。おそらくエレベーターホールのALSOKで医師・看護師の入退室は管理されていると思います。
書くのを失念していましたが、もちろんトイレと浴室付き、独立洗面台付きの特別室でした。特別室によっては前室やキッチン付きの部屋、またはてブに書いている方もいらっしゃいましたが、病院によっては執務室や会議室が備え付けのところもあるようです。
ちなみに、浴室・トイレに鍵をかけられないのと、浴室やトイレのあちこちにナースコールボタンが設置されているのは、やはり病院だなと思いました。
入院中あまりにも暇で調べていたのですが、予約診療っていう概念があって、お金を払うことで(しかもワンショット2万円前後)一般患者と一切顔を合わせないで決められた枠内の時間での診察から調剤まで一気通貫して行うサービスを提供している病院もあるようです。こういうサービスの恩恵を受けるのは、まさしく要人といったところでしょうか。
医師からのサービスの質に関しては、一般患者も特別患者もあまり変わらないのかなというところです。当直医の方はすごい無愛想でしたし、主治医は毎度丁寧な喋り方です。ここは医師によるのでしょう。
看護師からのサービスについては、一般病棟よりも優れているなとは感じました。ただ、医療明細書を見ると「特別看護点数」が取られていたので、この点数から看護師たちの教育は一般病棟とは異なっているのかもしれないです。ちなみにホテルマンの如く、キャリーケースは看護師が率先して運んでくれたりしてくれました。
最近斜視の手術を受けて、怖かったので局所麻酔ではなく全身麻酔でお願いしたんだけど、これが得も言われぬ体験だった。
ベッドに寝かせられ左腕に点滴が刺さってる状態で「だんだん手が痺れてきますからね〜」と麻酔科医さんから声をかけられて、
手が少し重くなってきたような〜と感じたところで意識がなくなった。
・・・そして、「終わりましたよ〜」と声をかけられたことで意識の深ーーいところから目覚める感覚があった。
普段の睡眠でも、深い睡眠から目覚めたような感覚がある=リラックスできたと感じることがあるが、麻酔の覚醒直後はまさにその感覚を煮詰めたような感じだった。
そこから割とすぐに「意識はあるけど体が重くってとても動ける気がしない」状態となり、それが段々と和らぎ体感15分後くらいには「怠いけど動けるか・・・」状態になった。
重い体で布団に包まれながら瞼を閉じているのが気持ちよく、本当は動きたくなかったが、「そろそろ起きれるだろ」と看護師さんが圧をかけてる気配が若干あり、渋々上体を起こした。
全身麻酔中は自力で呼吸ができないので気管にチューブを突っ込むらしいのだが、そのせいか喉がイガイガするのが不快だった。目の痛みもあったが、それと並ぶくらいの辛さはあった。
ただそれを差し引いても全身麻酔の多幸感が気に入ったので、今後何か手術を受けて選択できる場合には全身麻酔を受けたいと思う。
ていうかあの感覚だけ分けて売ってほしい。
ゼロコロナで期待されていたのはーゼロコロナを目指す人にもいろいろいた*わけだがー
だろうか
当初のゼロコロナのモデル国としてはNZ、Taiwan, R.O.C.などが挙げられ、「ゼロコロナを達成した国は(いろいろ対策をしながらも)こんなにハッピー」のような情報が回されていた。公園には子供がもどり、街角のカフェでは(ソーシャルディスタンスに注意しながら)歓談する姿が・・・のように。
①の意味で恐れられていたのは 何と言っても「医療崩壊」であろう。医療崩壊にもさまざまなレベル/グレードがあり 自宅放置中に死亡はすでに医療崩壊という見方もある。一方、感染者が何百万人生じようと全員注意深く医療が受けられ、その中から重症者が何十万人生じようと、全員速やかにICUでちゃんとした-1,2週間程度で社会復帰できるような-治療を受けられればいいだろうという考え方もあり得る。
もう一つあり得るとしたら「後遺症」の恐怖であろう。ECMO、全身麻酔で3か月がんばって命が助かったとしても、肺は瘢痕化し、発症前レベルまでに完治できるとは思えない。少なくとも足腰はへろへろだろう。倦怠感の持続、脱毛や不治の嗅覚脱失の惧れも含まれる。
*ゼロコロナ過激派には「2019年秋(夏)以前の世界を取り戻す。ワクチンも手洗いも不要、ソーシャルディスタンスも不要な世界の再来を」という人もいた可能性がある
全身麻酔で受けれるところもあるよー
どうでもいいけど誰かの役に立つかもしれない話。です。
「ワキガ~♪ワキガ~♪」と言われた。さくらさくらの音程だった。
仲良しの女子が、「やめろよ!!」とそのバカを追い払ってくれた。
相当臭かったのだろうか?
みんなやさしかった。
あの時、クサいと思いながらも普通に仲良くしてくれてた友人たちには感謝しかない。
高校時代は、それなりにデオドラントとかしててあまりワキガに振り回されなかったが、
体育着が少し黄ばむ。
母がたらいでせっせと手洗いしてくれてた姿を見てしまったり、
クラスの女の子が「私も悩んでて、○○皮膚科のミョウバン水貰ってるよ!オススメ!」と教えてくれたり。
今思い出すと、愛に満ちていて泣けてくるもんだな。
上京して、恋やら愛やらに憧れて、人並みに恋愛したりしてたけど、
でも自分はワキガだから、恋も愛もしちゃダメなんだなーと思ってた。
遺伝して私の様に苦しく絶望する人生を生み出してしまう可能性に私は耐えられないだろうなと思った。
ぶっちゃけ死にたかったし。家族が好きだったから死ななかったけど。
ファッション誌にある「日帰りワキガ手術」の広告とか真剣に読んで泣いてた。
「でもワキガじゃないだけ幸せじゃない?」と捻くれた感想しかなかったし。
とんねるずのバラエティを見て、「もとさや」みたいなバラエティで、
どこかの芸能人が「手術しなよ〜」ってカジュアルに言ってて衝撃だった。
手術が当たり前なのか?泣いた。
当時、ADSLでネットをつなぎ、「ワキガ 手術」を知らべて、
その女性が手術を受けた病院がなんと私の住んでる家から徒歩3分くらいのところだった。
マジ運命じゃん。
どこのだれか知らないけど、その女性のブログで具体的に進む事ができた。
勤めてた会社には「実家に帰る」と嘘をついて有給休暇を取得した。
そして手術を受ける事にした。なんかすごい!私の行動力すごい!
手術当日の朝に、大量のカレーを作ったのを覚えてる。
他の人は、親が付き添いで来てるけど、
私は独りぼっちで心細かった。
手術が終わる。
脇を固定されて、上に動かせない状態で、何もできなかった。
看護婦さんが「寝て帰ったら?」と言ってくれて、しばらく寝てた。
着替えもできないし、風呂も入れないし、食べて寝るみたいな生活。
ちなみにうんこは、後ろから拭かず、前から拭くように教わった。結構大変だった。
何日かして、固定してたワキのギブスが外れた。
ズタズタに傷だらけの脇を見て、また泣いた。
「ここからは積極的に動かしなさい!」「脇の皮膚を伸ばしなさい!!」と言われた。
数日後、仕事も再開。
家の鴨居に手を掛けて伸ばしたり、つり革に手を掛けて伸ばしたり。
それなりにやってたけど、今考えるとあんまりやってなかったかもしれない。
仕事やめて世界一周旅行をしたり、まあ、「第二の人生だ!!」って感じで。
暑い国に行っても、どんなに過酷な旅しても、何日もシャワーを浴びなくても、汗臭くない人生になった。
手術はやってよかったと思う。
でも、その手術の痕、とくに左、
それはまるで、わき毛の剃り残しのぷつぷつみたいに見える。
皮膚の伸ばしが足りなかったのだろう。
そのぷよっとした部分をぎゅーって絞ると、
信じられないくらい臭い垢が出るのだ。くさーー!!うええーーー!
だけどずっと気になってた。
ノースリーブを着なくても半袖でもしチラッと見えてしまったらと思うのがイヤなのだ。
手術した病院に何度か相談に行ったけど、「手術するほどではないね。」と、
ベロベロに皮が剥ける軟膏だったりを毎回処方され、
その後、遠くに引っ越してしまって、その病院に行けなくなってしまった。
ここからが本題です。
ある時、鼻の毛穴の汚れがどうにかならないかなー?って思って、
1000円くらいの毛穴吸引器を買った。
鼻に使ったけどイマイチで、ふと思い立って、
「ワキにイケるかも!!」
一番吸引力がある小さいノズルでワキの垢を吸ってみた。
どこかの誰かが、ワキガの手術の痕で悩んでたら、
参考になればです。