どうでもいいけど誰かの役に立つかもしれない話。です。
「ワキガ~♪ワキガ~♪」と言われた。さくらさくらの音程だった。
仲良しの女子が、「やめろよ!!」とそのバカを追い払ってくれた。
相当臭かったのだろうか?
みんなやさしかった。
あの時、クサいと思いながらも普通に仲良くしてくれてた友人たちには感謝しかない。
高校時代は、それなりにデオドラントとかしててあまりワキガに振り回されなかったが、
体育着が少し黄ばむ。
母がたらいでせっせと手洗いしてくれてた姿を見てしまったり、
クラスの女の子が「私も悩んでて、○○皮膚科のミョウバン水貰ってるよ!オススメ!」と教えてくれたり。
今思い出すと、愛に満ちていて泣けてくるもんだな。
上京して、恋やら愛やらに憧れて、人並みに恋愛したりしてたけど、
でも自分はワキガだから、恋も愛もしちゃダメなんだなーと思ってた。
遺伝して私の様に苦しく絶望する人生を生み出してしまう可能性に私は耐えられないだろうなと思った。
ぶっちゃけ死にたかったし。家族が好きだったから死ななかったけど。
ファッション誌にある「日帰りワキガ手術」の広告とか真剣に読んで泣いてた。
「でもワキガじゃないだけ幸せじゃない?」と捻くれた感想しかなかったし。
とんねるずのバラエティを見て、「もとさや」みたいなバラエティで、
どこかの芸能人が「手術しなよ〜」ってカジュアルに言ってて衝撃だった。
手術が当たり前なのか?泣いた。
当時、ADSLでネットをつなぎ、「ワキガ 手術」を知らべて、
その女性が手術を受けた病院がなんと私の住んでる家から徒歩3分くらいのところだった。
マジ運命じゃん。
どこのだれか知らないけど、その女性のブログで具体的に進む事ができた。
勤めてた会社には「実家に帰る」と嘘をついて有給休暇を取得した。
そして手術を受ける事にした。なんかすごい!私の行動力すごい!
手術当日の朝に、大量のカレーを作ったのを覚えてる。
他の人は、親が付き添いで来てるけど、
私は独りぼっちで心細かった。
手術が終わる。
脇を固定されて、上に動かせない状態で、何もできなかった。
看護婦さんが「寝て帰ったら?」と言ってくれて、しばらく寝てた。
着替えもできないし、風呂も入れないし、食べて寝るみたいな生活。
ちなみにうんこは、後ろから拭かず、前から拭くように教わった。結構大変だった。
何日かして、固定してたワキのギブスが外れた。
ズタズタに傷だらけの脇を見て、また泣いた。
「ここからは積極的に動かしなさい!」「脇の皮膚を伸ばしなさい!!」と言われた。
数日後、仕事も再開。
家の鴨居に手を掛けて伸ばしたり、つり革に手を掛けて伸ばしたり。
それなりにやってたけど、今考えるとあんまりやってなかったかもしれない。
仕事やめて世界一周旅行をしたり、まあ、「第二の人生だ!!」って感じで。
暑い国に行っても、どんなに過酷な旅しても、何日もシャワーを浴びなくても、汗臭くない人生になった。
手術はやってよかったと思う。
でも、その手術の痕、とくに左、
それはまるで、わき毛の剃り残しのぷつぷつみたいに見える。
皮膚の伸ばしが足りなかったのだろう。
そのぷよっとした部分をぎゅーって絞ると、
信じられないくらい臭い垢が出るのだ。くさーー!!うええーーー!
だけどずっと気になってた。
ノースリーブを着なくても半袖でもしチラッと見えてしまったらと思うのがイヤなのだ。
手術した病院に何度か相談に行ったけど、「手術するほどではないね。」と、
ベロベロに皮が剥ける軟膏だったりを毎回処方され、
その後、遠くに引っ越してしまって、その病院に行けなくなってしまった。
ここからが本題です。
ある時、鼻の毛穴の汚れがどうにかならないかなー?って思って、
1000円くらいの毛穴吸引器を買った。
鼻に使ったけどイマイチで、ふと思い立って、
「ワキにイケるかも!!」
一番吸引力がある小さいノズルでワキの垢を吸ってみた。
どこかの誰かが、ワキガの手術の痕で悩んでたら、
参考になればです。
お疲れ様だった。