はてなキーワード: レジャーとは
私は生まれたときから母に連れられて王国会館や奉仕、大会へ出席していましたが、中学生でフェードアウトした元2世信者です。
所属していた会衆(地域ごとに集会をするJWのまとまり)の長老は、フランクながらも模範的な親権家族(家族全員がエホバの証人である家庭)で、よく成員に声を掛けて励ましていました。
長老は趣味のレジャーを楽しみながら、生活のための仕事をして奉仕や集会ではよく牧羊の活動をしている、理想的なバランスでやっていて、抑圧的でない方が務めていました。
大会ではストイックさが非常に要求される内容の話が多い中、締め付けはゆるいように感じました。
このためか、会衆の雰囲気も集会の前後の交わりで気さくに世間話をし合ったりよかったと思います。
集会の内容は子供が理解するには大変で、時間も長いため集中することなど不可能で辛かったですが、
当時バプテスマを受けていない伝道者(大会で洗礼を受けずに集会や自発的に奉仕活動に出席する立場)として活動していた私は、
奉仕に行くのはいろんな兄弟と話す機会として楽しくやっていました。校区内で知り合いに会うのは本当に嫌でしたが。
私は、エホバの証人の教義自体は信じても信じていなくもなく、特に興味はありませんでしたが、コミュニティとして居心地がよかったのでやめずに続けているという状態でした。
生まれたときからずっと一緒にいる仲間でしたから。成員に恵まれた会衆の方はこのような方もおられることでしょう。
ただ、中学生だった若い私は、集会や奉仕に費やす時間を惜しむようになりました。
勉強をしたり遊んだり…(ほぼ余暇は遊んでいましたが)その中でエホバの証人としての活動をする時間が惜しくなっていました。
もともと、集会の内容は意味不明で、個人研究(集会内ではなく自宅でJWについての勉強をすること)の頻度を兄弟に尋ねられたときも虚偽申告をしていました。
学校の勉強もありますが、学校を帰った後には結構時間があるので聖書通読の範囲と書籍研究の範囲を時間を取ってやっていますなどと答えていましたが、毎週0時間でした。
奉仕は毎週行っていましたので、奉仕報告(奉仕活動の時間や出版物の配布数を提出する)はそこそこのものを出していたと思います。
しかし、奉仕についても表紙しか読んでいないものみの塔や目覚めよ誌を「今回こんなテーマで書かれた雑誌をお渡ししていますー。よかったらあとでお読みになってくださいー」
なんてバラまいていました。子供なのでよく受け取ってもらえるので、いくつか再訪問先もありました。今思うと、家の人も子供相手に断りづらかっただけなんでしょうけども。
ある時、会衆では模範的な伝道者と見えるように行動しながら、外では世(非信者や俗世間のこと)の友達と遊んだり、普通に過ごしているし、信じていない内容を述べ告げ、
読んでもいない雑誌をおすすめするのもどうかな。これはダブルスタンダードというものだよな。と思いはじめて、奉仕に行く機会を減らしました。
土日どちらも出ていたのを、土曜日だけにしたり、今週はお休みにしたりとだんだんと。その後、テスト期間中で忙しい、あるいは体調不良を理由で集会も休む機会を増やしました。
はじめは、仲間をこれまで欺いていたことが明るみに出ていくことが怖くて、母親が集会や奉仕に出かけた後泣いたりもしました。
案の定牧羊訪問(長老が励ましにくる活動)を受けたりしましたが、はい、はいといつもどおりの愛想で返事だけしていました。やがて、完全にブッチするに至りました。
高校に進学した後も時折兄弟姉妹が顔を見せに家にやってきたり、家に置いてある出版物を見るのが嫌で、大学は県外に進学しました。それからは実家を離れて一人暮らしをしています。
会衆を離れてから、いろいろ調べていると、どうもバプテスマを受けたエホバの証人がこのように不活発になって組織を離れると、
場合によっては背教者とみなされて、家族であっても忌避すべき対象となってしまうそうです。
私はそこまで深く考えていませんでしたが、バプテスマを受けていない伝道者というちょうどいいポジションでお茶を濁していたということでしょう。
もし嫌々ながら集会や奉仕に通っていながら、ダブルスタンダードに苦しんでいる方がおられるなら、
ぜひバプテスマを受ける前に離れることをおすすめします。そうすれば、親とは断絶することなくただの子と親の関係、いたって普通の関係は続くことでしょう。
親は一緒に楽園に行けないなんて!これまでやってきたことはすべて無駄になる!
なんて言って泣くかもしれません。でもあなたも信じていないなら、いずれにせよ楽園に行くことはできないと分かっているじゃありませんか。
これは私の考えですが、私は永遠に生きたくはありません。
世の娯楽を楽しみ、世が作ったもので商売をしています。(もちろん、犯罪などではなくまっとうな、JWの方も使っているものやサービスを提供しています。)
この生活が幸せですし、一日一日を大切に過ごして、最後は死にたいと思います。
もちろん、永遠に会衆の成員や家族と幸せに過ごしたいと思えば、それはあなたが教義に賛同しているのですから続ければいいと思います。
「受けるより与えるほうが幸福である」だとか、「隣人を愛しなさい」だとか。
聖書を字義通り解釈して、これら聖書の原則を大切にして過ごしておられるJWの方は、普通にいい人としてこの世に幸せをもたらしてくれることでしょう。
先に結論を書く。
大学の研究力が衰退した最大の理由は「教育改革」である。予算の減少が最大の理由ではない。
もっと平易に書けば、
過去の研究成果が現代のノーベル賞受賞に結び付いている理由を端的に言えば、
「昔は教育を適当にやっていたから」であり「時間がたっぷりあったから」である。
今は、産業界からの圧力で様々な教育改革が強烈に進められている。
皮肉なことに、どんなに教育に力を入れて優秀な人材を育てても、その能力を十分に活かすだけの場所が今の産業界(とくに経団連)には存在しない。
そんなことは「退職しました」系のエントリでも読めば明らかだ。
改めて言うまでもないが、大学教員が持つリソースは有限である。
各種の統計データから明らかになった我が国の大学の研究力の凋落は、教育に力を注ぎ過ぎたためである。
今や経済界からの圧力によって、グローバル教育、実務教育、大学院改革、入試改革、成績評価の厳格化、はてはAI人材育成と、
研究以外のことにエネルギーを投じてきた結果が今の惨憺たるありさまである。
どれだけ教育改革を進めようが、そこに終わりがないことは、現在の小中学校の先生方の疲弊ぶりを見れば明らかである。
道徳教育、英語教育、プログラミング教育、その他もろもろ、際限なく要求が出され、現場が疲弊しきった今の小中学校は、文科省に振り回される国立大学の行く先を示している。
この根源となっている、助成金を餌にした教育改革の競争を文部科学省は今すぐやめるべきである。
例を挙げよう。
そのなかの1つ「平成31年度卓越大学院プログラム」の申請状況を見るといい。
https://www.jsps.go.jp/j-takuetsu-pro/data/shinsei_jyokyo_31.pdf
(東北大学)システムインテグレーションを基盤とする社会実装イノベーション卓越大学院プログラム
(山形大学)ソフトマターインダストリー創成スマートシステム卓越大学院
(筑波大学)138億年の進化・相転移に学ぶダ・ヴィンチ型人材育成プログラム
(千葉大学)アジアユーラシア・グローバルリーダー養成のための臨床人文学教育プログラム
(信州大学)ファイバー工学と異分野融合が織りなすスマート生活創造者育成プログラム
(名古屋大学)情報・生命医科学コンボリューション on グローカルアライアンス卓越大学院
(大阪大学)多様な知の協奏による先導的量子ビーム応用卓越大学院プログラム
こんな意味不明なプログラム名称を掲げて、組織や運営をいじり倒すことにどんな意味があるのか。
助成金欲しさのために、東大や京大をはじめとするが一流大学たちが教育改革ごっこを強いられているのである。
嘆かわし限りだ。
経団連の偉い人が言うように、大学はレジャーランドで構わない。
これだけ教育改革が進んだ今でもレジャーランドと言われるのだから、いっそ昔の状態に戻すのがよい。
勉強したくない学生は、授業料だけ払って遊んでいればいいのである。
そんな中で作り上げる人的ネットワークにも、自己と向き合う時間にも十分価値があるだろう。
勉強したい学生には、今の大学は十分に学べるだけの環境が整っている。
私は既婚女ですが
独身のときは意識が低かったので貯金を積極的に貯めようとは思ってなかったけど、結婚してからお金のことばかり考えている
教育費
住宅費
老後資金
この3つのこと、結婚する前、今の夫と交際してるときもお金のこと全然考えてなかった。
結婚するとき、夫が私より年下だったから「まだ若いから年収300万円とかだろうけど人柄がいいからお金持ちじゃなくてもいいか」と思って結婚した。夫の年収は予想の倍だったけど、それでも生活に余裕があるわけではない。子供を二人育てるには世帯年収800万円でもギリギリらしいし。地方と都心ではまた状況も違ってくるだろうけど。
やっぱり夫婦ふたりとも正社員共働きが最強だと思います。最悪どっちか働けなくなっても片方が支えることができるし。
私の夫が転勤族なため、私の就職が不安だよ。転勤族の夫の妻って企業が見る目厳しいから。アルバイトとかならあっさり雇ってもらえるだろうけど。夫の転勤にともない私は仕事やめて今は妊娠中で専業主婦だよ。
お互い20代夫婦なんだけど30代40代になれば世帯年収あがって余裕が出るかな?20代の人って年収少ないけどずっと一つの会社で働いてる40代の男性って年収高いよね。
年金の受給の年齢引き上げに金額も激減してしまったらもうやだな。65歳以降も年金までの繋ぎで働かなくちゃいけない。
令和の時代ってお金のこと考えたら子供をぽんぽん二人、三人、四人…と産むことが躊躇われる。贅沢も躊躇われる。自分たちの老後どうするかもしっかり考えとかなくちゃ。となるとレジャー費とか出しづらいね。
頑張ってたくさん貯金しなきゃだ。
私は母子家庭育ちだ。
両親は離婚はしていない。私が小学生の時に父が病気で亡くなった。
危篤を聞いて家族と車で病院に向かっている間は状況が理解できず、医師にご臨終を告げられて泣き崩れる母をみてようやく状況を理解したことを強く覚えている。
死別後も再婚せず、父親の実家との関係を保ったまま父親の名字で育ててくれた母にはとても感謝しているし、尊敬する人は誰かとの問には一番に母だと答えてきた。
現在20代後半となり学生時代の友人が一人また一人と結婚していく中で、私も結婚願望が無いわけではない。
むしろ大卒で就職した22歳から常に結婚願望はあったし、お付き合いする男性は(相手がどう思っていたかはさておき)このまま結婚するものだと思ってお付き合いをしてきた。
それまでお付き合いをした男性の中で結婚に関してどう思っているか等の話が出たこともあったが、具体的に話が進むことはなく今に至る。
原因として、私が「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗があるからではないかと推測した。
当時は「ふーん」くらいにしか思っていなかったが、私達家族とその男性で食事をしたりレジャーに行ったりする機会が増えた。
その男性は私の実家とは遠く離れた県に住んでいて、週末になると私の実家の方に遊びに来るようになっていた。
とあるレジャーに遊びに行きホテルに泊まることになった時のことである。
その日の夜、私は子どもから見るのは実の両親でも嫌な行為を、実の母と父でないその男性がしているのを見てしまった。
私は枕が変わると途中で起きてしまうタイプで、同じ様にホテルに泊まった際に目撃してしまうことが数回あった。
行為後携帯をいじる男性と目が合ってしまい、携帯のカメラのライトを向けられたこともあった。その時の怒ったような苛ついたような顔が今でも忘れられない。
子供と母親と男性。何も事情を知らない人からしたら普通のファミリーに見えるだろう。
レジャー施設に遊びに行くと、必ず「お父さんと一緒にね」「お父さんに渡してね」等の言葉をかけられた。
施設の従業員としてはそんな事情は知る由もないし、当たり前の対応であるが、私はそういった声をかけられる度につらい気持ちになっていた。
また、母は私に男性のことを「お父さん」とは呼ばせなかったので、私はいつも「おじちゃん」と呼んでいた。
私に対する母なりの気遣いなのかもしれないが、家族以外の人に聞こえる場所で「おじちゃん」と呼ぶのは少し呼びづらかった。
母が私に男性のことを「お父さん」と呼ばせなかった理由として、再婚する気がなかったからだと思う。
今でこそ婚活アプリやマッチングアプリ等が流行しSNSでの出会いが普通になってきているが、私が小学生のときに出会い系サイトといえば怪しいサイトばかりであった。
定かではないが母と男性の出会いは恐らく出会い系サイトであったので、母の両親に紹介するのも憚られたのであろう。
その男性との関係は私が小学校を卒業するまで続いたが、再婚することもなく次第に会う回数が少なくなり、関係が消滅したと思われる。
その経験があるからかは分からないが、私は「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗がある。
結婚(母の場合は再婚であるが)するかどうかもわからず、家族としての付き合いを周りから期待された私の小学生時代はとてもつらいものであった。
そのような「よくわからない家族の形」に「婚約していない状態での長期のお付き合い」を重ねてしまっているのかもしれない。
もちろん恋愛結婚において交際期間は必要であると思うし、相手をよく知らない状態での結婚を望んでいるわけではない。
結婚を決めるには最低でも○年は付き合わないとという考え方の方がいるのも分かっているし、それに対して否定の気持ちは全く無い。ただ、私が抵抗があるというだけだ。
「婚約」という法的拘束力がない状態で周囲に交際の事実を知られることに抵抗があるのかもしれない。
まだ独身であり今後結婚できるかどうかもわからない身であるが、私を受け入れてくれる男性が見つかり結婚することができたのならば、
母の尊敬している部分はしっかりと受け継ぎ、小学生時に経験した「よくわからない家族の形」は反面教師として、幸せな家庭を築いて行きたいと思っている。
金持ちではないけど、それなりに稼いではいるよ。今は繁忙期で超忙しい。体が辛い。でもお前は俺に気づかいもせずに自分が車を使って当然ですか…
俺の稼ぎが少なくて車2台持てないのが悪いんですかね…あなたにキャリアがあって働いてくれていて、俺の生命保険の掛け金がこんなに大きくなければ軽自動車くらい買えたんじゃないですかね。
結婚で仕事を諦めさせたりしてないですよね?まだ子供もいなくて俺の稼ぎも低かったのに仕事を辞めたのはあなたですよね?俺は働き続けてほしいって言いましたよね?
俺は辛いですよ。毎日魂をすり減らしてそれを金に換えて家族に渡しているんです。
俺が自分に何か無駄遣いしてますかね?誕生日だって何も買ってないですよ。買えないですよ。いろいろ積み立ててますから現金は少ないです。レジャーや大きな買い物した時にはその分生活費とは別にいつも入れてますよね?でも、子供手当とか幼稚園の学費の還付金とかはどこに行ってるんですかね?
俺は妻があなたでなくとも生活に困ることはなかったですよ。でも、あなたは学もキャリアもなく、俺の人生に乗っかってるだけなんですよ。これは俺の人生であってあなたの人生ではないですよ。
一生一緒に頑張れる人じゃないと辛いよ。
と、まぁ愚痴を書いてしまえば、家事子育て大変だけどほぼ妻が頑張っているし、子供達は何よりも大事な宝物だし、もうちょっと頑張るか…
俺が嫁と出会って今年で15年目だ。
当時も現在と変わらず田舎県田舎市に住んでいるんだけど,家でネットを見ていて「田舎市 サクラ 花見会」で検索かけたら
スレを読み進めているとどうやら次の日曜日に田舎市の花見スポットでオフ会をするらしく,参加者を募集していた。
俺は,2ちゃんのオフ会とやらに,どんな奴らが来るのか興味を掻き立てられたので,参加宣言をすることはせず,集合場所とされた田舎公園の桜の木をウォチすることにした。きっとネルシャツ,ケミカルウォッシュのジーンズ,ダンロップのシューズにリュックを背負ったキモオタたちがこぞって集まるのではないかと。
俺が,定時の15分前から田舎公園の桜の木傍でウォチを続けていると,俺の想像通りの服装で男性が現れた。むしろ期待以上というか・・・。
その後しばらく経ったが,誰もやってこない。スレでは沢山の参加者が「ノシ」していたというのに,哀れである。
何も事件が起きない。つまらない。もう,帰ろうかと思ったが,幹事氏がレジャーシート,ジュース,お菓子,バレーボール,バドミントンを準備し来ているのに気付いた。
しょうがないので,俺が幹事氏に声をかけ,幹事氏が用意してくれたペットボトルで120円とやらをすることにした。
そうして20分くらい,現在の趣味とか,はまっているスレとかの会話をしていると,もう一人の参加者がやってきた。
まさかの女である。そしてそこそこ小柄でかわいい。ただ,胸はない。
そして,女も加わり,120円を続け,幹事氏の用意してくれたバレーボールやバトミントンをし,2時間くらいで散会となった。
当時,俺は,出会厨ということばも知らないし,出会厨でもない。
幹事氏はたまたま俺の勤務先の傍に住んでいることが分かったので連絡先を交換したが,女とは連絡先の交換などしない。そもそもこんな所に,のこのこやってくる女は面倒な奴に違いない。バレーボールやバトミントンで乳も揺れないのである。
そうして,それから数日経ったある日,俺は田舎市から街々市のできたてのショッピングモールへ行った。街々市にこの手のショッピングモールが出店したのは初めてで,物珍しさから客でいっぱいだ。
雑多な人ごみの中,黒と白のロリータファッション(ゴスロリというらしい)でキメ,それ系のお店から出てきた女が俺に声を掛けて来た。
おれにはゴスロリの女の知り合いはいない。「誰だお前,宗教の勧誘か?」と不審な目と警戒心でゴスロリ女を見ていると,「一緒に花見しませんでしたか?田舎市で。」というではないか。
あ,あのオフ会の女か。あの女がゴスロリだったとは意外性にもほどがありすぎる。
当時,お一人様で暇だった俺は,女に誘われて飯を食いに行くことにした。そもそも女嫌いな俺だが,ゴスロリ女と飯を食うなんて人生初めての経験だし,これまた何かのネタになる。
紳士な俺は,ファミレスへとゴスロリ女にいざなわれ,ひとしきり喋ったあと,散会となった。そして紳士は女の連絡先など聞かないものである。
それからまた数日後,街々市で開かれた路上音楽イベントに俺はやってきた。そして,いろんな楽団が音楽を奏でる中,あのゴスロリ女がクラッシック音楽団でパーカッションを担当しているではないか。オフ会女がゴスロリ女でパーカッションを奏でている。
こんな物珍しい女はいない。そして,音楽が終わると,楽団が去っていた方へ向かい,女が一人になったのを確認して今度は俺から,女に声をかけた。
そしてまた飯を食いに行った。紳士は,そこそこオサレなお店を選択した。そしてもう一軒,オサレなバーにも行った。
有耶無耶の内に,街々市の歓楽街にも行った。ゴスロリ女をいただきにかかったのである。
ちなみに紳士な俺,先のオフ会の幹事氏と同じく童貞である。20数年,大学卒業し,就職しても童貞を守り続けたのだ。
俺は,ゴスロリ女を連れ込んだまではいいが,ど緊張のあまり,砲台が下を向いたままである。
何しに来たのか分からない。
バイト先の社員に「お花見してるんだけどこない?」と突然誘われ、レジャーシート敷いてやる本物のお花見したことほぼないから楽しそうと思って行ってみたら、もうそれはそれはすごいセクハラを受けました。
なかなかえぐいので、気分悪くなったらごめんなさい。悪くなりそうな人は読まないでください。
・Aさん(別の社員で、私をよく飲みに誘ってくる人)とはチューくらいしたの?
・正常位と騎乗位どっちが好き?
・この中にいる人で先っちょだけなら誰がいい?
・Bさん(泥酔して寝てる社員)に「おっぱいはダメって言ったじゃないですか〜」って言ってみたら?お金とれるよ
・ねえ俺とデートしようよ〜
私が録音とかしてなくて良かったですねって言っちゃったもん。てかしてれば良かった。
なんなんだ〜大人たち〜
お花見誘われた時点でメンバー聞いて男しかいなくて、「ああ私はとりあえず場を和ませる女要員だな」って自覚して行ったからある程度の覚悟はしてたけど、ここまで酷いか!私を呼んだというより女性を呼んだんだろうなとは思ってたけど、ここまでか!
自分を削った気になったらこっちが負けだから思わないようにしてるし、私も心にダメージ受けたってわけじゃないけど、例えば自分の友達がおんなじような質問されてたら全力で止めるなとは思う。
削られてはないけど、消費されたなと思った日でした。
ーーー
男だけの所に行く方が悪いという意見とか危機感を持てとかという意見もあるけど、お酒があったとはいえここまでひどくなるとは思っていなかったし、普段はみんな優しくて面白くて、仕事も超できるし、尊敬してたので・・・
私は男だから危険とか女だから安心とか思いたくないんだよ。危険なのか、嫌な気分になるのか、傷つけられるのかっていうことを、性別だけで決めたくないなと思ってます。
ここに書いたのは、ただのストレス発散です。助けてとかそういうのでもないです。だったら書くなとか言われそうだな!!でもこれダイアリーなんで...
埼玉はまあどうでもいいんだけど。
南京とかアウシュヴィッツが無い、捏造って言ってる人って結局今言われてるような、って意味で言ってるのがほとんどに見える。
でもそれを受けてありましたって人はそれ自体の有無として憤ってる場合が多いように思う。
原爆が捏造って言われたらどう思うかって言い方をしてる人も見たけどあー捏造って言ってる人の話通じてないんだなって思った。
どっちが正しいとかじゃなく客観的に。
だって見てたら捏造って言ってる多くの人の言い分はどうも実際の罪より大きな罪だと騙られているって理不尽さを前に挙げたものでそれに対しての反論としてはあんまりよく分からない。
アメリカだって原爆5発落としたとか1000万人が死んだとか空襲は敵国日本を憎み殲滅する意図で主に民間人を殺す目的でレジャーのようにやったとか言われたらまあ普通に捏造だそれは違うって否定するんじゃない?って思うし。
国として主張してる、とする事に対して大きく離れたり証拠が精査されていなかったりバイアスがかった想像が含まれていそうな事ならって意味で。
捏造派が主張してるのはそういう事なんだし。
捏造派の立場や展開する言い分が正しいって事じゃなくて是非とか証拠の有無とか信用性とかじゃなくあくまで論理の構造と立場の話として。
感情面の事なんて反証し様なんてないけどそれでもそれは違うって言うと思うし実際アメリカさんも南京虐殺じゃないって言ってる人がよく言うやつと同じように大空襲の民間への攻撃問われて事前に逃げろってビラ撒いたし軍に関連するかしないかなんて分かりようがないんだからって言ってるわけで。
だからってその違うって否定がアメリカが当時民衆を殺した事を何とも思ってない証拠だって言うのは飛躍してるなと思う。
殺人で5人殺した奴に10人殺したって言ったらそんな事実ない捏造だ、って反省してようが元々の罪を認めてようが言うだろうしそういう話だと思う捏造派が言ってるのは。
繰り返すけどそれが正しいって話じゃないよ主張の論理の話。
でもそれに対して憤り、悲しむ人はその否定は全ての否定だって捉えたり人を殺す事自体の恐ろしさを説いたり殺したって事実に向き合うべきだっていうような事を言ってる。
そこで言うなら加害側とされる方が確実な証拠を反論として出せないならそこを違うと否定するのは倫理的に傲慢である、とかそういう類の話だと思うんだけど。
あるところで認知バイアス的。
ただただ噛み合ってないなって思う。
証拠とか証言とかそれぞれが実際どうかとかじゃなく外野から見てて言い分がキャッチボールやドッジボールどころか相手の頭高く遠投し合ってるなって印象。
相手のボール取れないから目端で追いながらこれがあなたの投げたボールですってポケットから自分のボール出して相手に投げてる感。
個人的には中国とかドイツとか日本とかユダヤとか埼玉とか高須とか関係なく、実際それをやったのなら中身が違っても否定するな、その違うって主張はやった事を認めてないのと同じだって論は意味分かんないなって思うけど。
実際の証拠があろうと無かろうと本当に10人殺してようと5人だろうと関係なく発想自体に法倫理的に引いてしまう。
けどその否定であり自身の正しさの主張ってその要素自体に中身関係なく被害者感情は煽られ傷つけるものなんだそれは酷い事なんだこれ以上何を傷つけようって言うんだって考えは理解はできる。
でもやっぱりそれが理不尽だ公正でない確実な証拠がない事なら語るべきではないって言い分も分かる。
語るべきでないとする事に対しての100%やってない、は100%やった、と程度は同じだと思うけど。
遠投してないでキャッチボールすればいいのにって思う。
わざと取れない方向に投げてる人も多い気はするけど。