2019-05-16

母子家庭における人格形成

私は母子家庭育ちだ。

両親は離婚はしていない。私が小学生の時に父が病気で亡くなった。

危篤を聞いて家族と車で病院に向かっている間は状況が理解できず、医師にご臨終を告げられて泣き崩れる母をみてようやく状況を理解したことを強く覚えている。

死別後も再婚せず、父親実家との関係を保ったまま父親名字で育ててくれた母にはとても感謝しているし、尊敬する人は誰かとの問には一番に母だと答えてきた。

現在20代後半となり学生時代の友人が一人また一人と結婚していく中で、私も結婚願望が無いわけではない。

しろ大卒就職した22歳から常に結婚願望はあったし、お付き合いする男性は(相手がどう思っていたかはさておき)このまま結婚するものだと思ってお付き合いをしてきた。

それから数年が経ったが、私は未だに独身である

それまでお付き合いをした男性の中で結婚に関してどう思っているか等の話が出たこともあったが、具体的に話が進むことはなく今に至る。

原因として、私が「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗があるからではないかと推測した。



父がこの世を去ってから数年後、母が一人の男性を連れてきた。

当時は「ふーん」くらいにしか思っていなかったが、私達家族その男性で食事をしたりレジャーに行ったりする機会が増えた。

その男性は私の実家とは遠く離れた県に住んでいて、週末になると私の実家の方に遊びに来るようになっていた。

とあるレジャーに遊びに行きホテルに泊まることになった時のことである

その日の夜、私は子どもから見るのは実の両親でも嫌な行為を、実の母と父でないその男性がしているのを見てしまった。

私は枕が変わると途中で起きてしまタイプで、同じ様にホテルに泊まった際に目撃してしまうことが数回あった。

行為携帯をいじる男性と目が合ってしまい、携帯カメラライトを向けられたこともあった。その時の怒ったような苛ついたような顔が今でも忘れられない。

子供母親男性。何も事情を知らない人からしたら普通ファミリーに見えるだろう。

レジャー施設に遊びに行くと、必ず「お父さんと一緒にね」「お父さんに渡してね」等の言葉をかけられた。

施設従業員としてはそんな事情は知る由もないし、当たり前の対応であるが、私はそういった声をかけられる度につらい気持ちになっていた。

また、母は私に男性のことを「お父さん」とは呼ばせなかったので、私はいつも「おじちゃん」と呼んでいた。

私に対する母なりの気遣いなのかもしれないが、家族以外の人に聞こえる場所で「おじちゃん」と呼ぶのは少し呼びづらかった。



母が私に男性のことを「お父さん」と呼ばせなかった理由として、再婚する気がなかったからだと思う。

今でこそ婚活アプリマッチングアプリ等が流行SNSでの出会い普通になってきているが、私が小学生とき出会いサイトといえば怪しいサイトばかりであった。

定かではないが母と男性出会いは恐らく出会いサイトであったので、母の両親に紹介するのも憚られたのであろう。

その男性との関係は私が小学校卒業するまで続いたが、再婚することもなく次第に会う回数が少なくなり、関係消滅したと思われる。



その経験があるからかは分からないが、私は「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗がある。

結婚(母の場合再婚であるが)するかどうかもわからず、家族としての付き合いを周りから期待された私の小学生時代はとてもつらいものであった。

そのような「よくわからない家族の形」に「婚約していない状態での長期のお付き合い」を重ねてしまっているのかもしれない。

もちろん恋愛結婚において交際期間は必要であると思うし、相手をよく知らない状態での結婚を望んでいるわけではない。

結婚を決めるには最低でも○年は付き合わないとという考え方の方がいるのも分かっているし、それに対して否定気持ちは全く無い。ただ、私が抵抗があるというだけだ。

婚約」という法的拘束力がない状態で周囲に交際事実を知られることに抵抗があるのかもしれない。



まだ独身であり今後結婚できるかどうかもわからない身であるが、私を受け入れてくれる男性が見つかり結婚することができたのならば、

母の尊敬している部分はしっかりと受け継ぎ、小学生時に経験した「よくわからない家族の形」は反面教師として、幸せな家庭を築いて行きたいと思っている。

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