はてなキーワード: タイムラインとは
いい感じに撮れてる写真とか流れてくると「かわいい……が、いまどき赤ちゃんの写真とか子どもの写真を公開タイムラインで流して大丈夫かな?」と思ってしまう
まあ、大丈夫じゃないとおもうんだけど、もう「ゲッ!」て一瞬引いちゃう気持ちのほうが強いな。
「やめた方がいいのでは」とか言うほど仲良くないただのフォローしてるひととか、リポストで流れてくるとかだと特にリアクションもせず流れていくだけ
久しぶりにFacebook見たらあんまり付き合いのない知り合いが娘のおむついっちょの写真UPしてて「友人限定投稿とはいえ、なにかんがえてんだ?」と
心配するというよりはあきれてしまった。知り合いに限って言えば別にみんなネット初心者ってわけでもないところが、なんだかな!
トトトトトムブラウン作者の零がこれでMAD作っても面白くなる気がしないって言ってて思ったけど。
決勝に出てたコンビの漫才・コントでも、タイムラインは極めて直線的だったりする。
基本的にはAとBの交互進行で、時々AABBと連続したり食い気味に入ることはあっても基本的には直線的。
ところがトムブラウンの今回のネタは映像編集やってる人はわかると思うけど、タイムラインとレイヤー管理をしてるとしっくりくる進行だった。
・喋り方の緩急ではなく、フレーム管理由来の加速と減速が取り入れられている
・モーションをコンポーネント化してロジカルに足し算引き算を行ってる
なんか機能的なんよね考え方が。
繰り返しの中でネタを足すのが1-2個とバラつきがあるのも、リズムを盤面で把握できてるから詰め込めるだけ詰めてるって感じするし。
きのうはクリスマスだったのでおにいちゃんがしごとがえりにケーキをかってきてくれました。ショートケーキとチョコのケーキがふたついっしょにはいってるやつです。はにとてもわるそうとおもいながらぼくはショートケーキをたべました。いちこがすっぱくてクリームがふわふわでした。まよくよりしあわせになれました。ケーキだいすき。それでほかにクリスマスらしいものをたべたかといわれればなくて、ほかにぎょうざとかカレーとかたべたけどクリスマスとはいえないよね。
えっくすのタイムラインではフォローしてるせいじかがけんかしててちょっとかなしくなりました。つぎのせんきょでとうひょうしたくなくなるのでなかよくしてほしいです。でもあしたはやすみだからとおくへいくのちょっとだけたのしみ
やれ広告代理店だのやれ政府・自民党に雇われた人間だの、一部の方々からはX(Twitter)のコミュニティノートの執筆者の存在が邪推されている。
そんな邪推はしないにしても、誰がこんなものマメに書いているんだ?と疑問に思う人も多いだろう。
あくまで一例に過ぎないが、コミュニティノート寄稿者1人としての増田の話を書いてみようと思う。
気になるニュースや事象があったらGoogle検索するだけで、必要であれば論文や公文書などを探し、ネットで見つからなければ国会図書館に赴く。国会図書館に無い本があれば古本屋を探すし、現地に赴けば情報が得られるものなら現地に赴く。
そうして得られた情報や知識を整理して体系化し、ブログや個人サイトなどで記事にする。もちろん媒体は人によるから、同人誌として発表する人も居るだろうし、最近ならYouTubeに動画として投稿する人も居るだろう。とにかく、これが趣味なのである。
陰謀論で儲けようと熱心な方々には想像もつかないだろうし、だからこそ「政府に雇われた人間がやっているビジネスに違いない」という発想が出てくると思うのだが、趣味として無償でこういう調べ物と発表をする人間はインターネット黎明期から現在に至るまで一定数存在することは知って欲しい。
増田はかれこれ10年以上、Wikipediaを編集している所謂「ウィキペディアン」である。
ウィキペディアは端的に言ってしまうと、執筆に際して出典の提示を最優先に掲げている。例えばあなたが非常に先進的かつ斬新な知識を持っており、それを正しいと信じていても、信頼できる出典がなければウィキペディアはそれを受け入れることはない。
(この出典至上主義とも言えるスタンス自体には賛否があるかもしれないが、ルールなしに寄せられた各自の主張が入り乱れる状態よりは遙かにマシだろうと自分は思っている。)
そうとはいってもウィキペディアは誰でも編集できるわけだから、出典のない記述が寄せられることは日常茶飯事である。そういった記述をメンテするのもウィキペディアンの活動の一つであり、「雑草取り」と呼ばれる。
これに関して最も簡単な方法といえば出典がないことを示す [要出典] を貼り付けることなのだが、時たま「これは恐らく事実で、単に出典を貼っていないだけではないか」という記述に出くわすことがある。
こういった場合、増田は調べ物に走る。つまり、その記載を裏付ける出典をできる範囲で探し、確認できたら出典を付与するということを行うのである。無論、本当に出典が確認できないものもあるため、残念ながら記述を削除したり [要出典] を貼り付けたりするという結末に終わることもある。
この営みはコミュニティノートの、「誤解を招く投稿へ情報を補足を行う」という趣旨で求められることと類似しているため、ノウハウがそのまま使える。
増田は正直なところ、「雑草取り」の趣味の場が広がったと思ってコミュニティノートを書いている。
増田は以下の2つに絞っている。
特定されたくないので詳述は避けるが、増田の専門分野をメインにしている。調べ物が趣味とは書いたが、専門分野以外に関しては情報源の勘所がわからないことも多いあるため、余計なことはしないようにしている。
その分野の単語で検索したり、タイムラインに流れたり、何らかの形で目にしたもののうち、誤解を招くものに関しては情報源を確認した上でコミュニティノートを投稿している。
専門分野以外では、明らかなフェイク画像・フェイク動画にはコミュニティノートを投稿することがある。
正直なところ、自明なものにノート書くのは野暮だと思っているのだが、それでもリプライや引用で釣られてしまっている人が多いものに関しては積極的に投稿するようにしている。
これは重視していない。もちろんフェイクを流す勢力の政治信条には偏りがあるため、ノートを書く分量自体には偏りが出てしまうが、右派・左派などは関係なく、誤解を招くものを見つけては書くようにしている。
露悪的な言い方をすると「調べ物をして誤解を招くポストを撃破するモグラ叩き」だと思っている面はあり、それが一番楽しいので特に特定の政党や勢力を利するつもりはない。
閲覧数が多いもの、あるいは多くなりそうなものを選ぶようにしている。
これはコミュニティノートのアルゴリズムに由来するもので、閲覧数が少ないポストにノートを書いても反映されないためである(より大きな影響を与えるポストに優先してノートがつけられるべき、というのがX社の理屈なのだろう)。
最初はこれも気にしていなかったのだが、このアルゴリズムを確認してからは、なるべく表示される機会が多いものを選ぶようになった。趣味とはいえ調べ物をする時間は有限であるため、それくらいは許して欲しい。
@aura_reborn
私のすべての問題は、時のオカリナやムジュラの仮面のようなゼルダのゲームが非常に閉鎖的または直線的だと感じたことがないことだと思います。 世界はまだ広大で、次の目的があったとしても、やるべきことや探索することはたくさんありました。 ムジュラの仮面は、「リニア」とよりオープンワールドの感覚を組み合わせた素晴らしい例でした。 どの寺院を倒したいかを計画しながら、比較的柔軟な順序でマスクを入手できます (ただし、海賊の要塞の石マスクなど、他のポイントに進む前に明らかに特定のマスクが必要な場合もあります)。 ブレス オブ ザ ワイルドは面白かったですか? はい、とても楽しかったです。 しかし、実際にはゼルダのような雰囲気はありませんでした。実際、私はそれを感じられなかったため、ティアーズ オブ ザ キングダムを購入する気力さえありませんでした。 N64シリーズ以降の方向性が懐かしいです。「制限」を求める人々に青沼氏が困惑しているのは理解できますが、私たちはむしろ構造と指導を求めているようです。 特に『BotW』のストーリーが非常に必要最低限の構造にまで煮詰められたときはそうだった。
@cometsand7296
@robertreturns
ムジュラの仮面はゼルダのトップクラスです。 しかし私は、これは初期の 3D 方式における異常とも考えます。 面白いことに、前作の要素を使用しているにもかかわらず、前作と BotW の間のどのゲームよりも大きなひねりを加えています。 すぐに始めるための「序盤のダンジョン」はありません。ストーリーは、すべてが強制的にスプーンで与えられ、前倒しされるのではなく、探索を通じて発見するものです。多くの目標は、制限が少ないと感じられる方法でプレイヤーに任されています。 それでいてキャラクターの描写がとても上手いので、サイドクエストもドラマチックな意味で充実しています。
ムジュラの仮面は、3 日間のタイムラインを自由に探索できるようにすることで、オープンワールドのような錯覚を与えることに成功し、月が落ちる前の時間に基づいて状況が変化します。 もちろん、特定のポイントに到達すると、やるべき正確なルートがわかりますが、次の目標やその達成方法に向けたすぐに目標が常に示されるわけではありません。
@dericandkhristy
ビンゴ。 古いゲームには探索するものがたくさんあり、アップグレードや見つけられるものがたくさんある大きなマップもありました。 ストーリーだけが直線的であり、それが必要です。
ゼルダを「ゼルダ」たらしめている小さな要素ももっと必要です。 オープンワールドのハートのかけらなど。 釣り。 チェストを開けると「DA NA NA NA」の音楽。
なぜ彼らが古いものをすべて取り除いたのかはわかりません。 マリオがキノコを全滅させるようなものだ。
@get_stached
@micahflow2624
私の問題は、アヌオマ (完全に解体されたと思います) が制限を障害、つまりプレイヤーの表現を妨げるだけのものとしてしか見ていないことだと思います。 制限を正しく行うと、より集中した、よく練られたエクスペリエンスを生み出すことができ、プレイヤーの表現力を強化することさえできます。
Totk のいくつかの側面では、オープン性が高すぎると、直線性が高すぎるのと同じくらいゲームに悪影響を与える可能性があることがわかります。 ほとんどのパズルやチャレンジをスキップまたはチーズするオプションが常にある場合、それらを克服したときに得られる満足感の一部を失う可能性があります。
直線性とオープン性は表裏の関係にあり、それぞれに長所とトレードオフがあるゲームの側面です。
これがそのように見られないのは少し残念です。
@オーランド5789
@micahfurlow2624 チーズパズルが好きじゃないなら...チーズを作らないでください?
@klop4228
OoT では、火と水の神殿をどのような順序でも行うことができ、必死の場合は 3 番目に精霊の神殿を行うこともできるという事実
@dpackerman4203
これはまさに正しいです。 Botw 以前の 3D ゼルダは線形モデルのせいでクソだと誰もが思っています。 実際、スカイウォードソードの公式だけが、青沼が直線的な公式に見えるほど制限されていました。 直線性が悪いという誤解があります。スカイウォード ソードが非常に直線的だったので、すべてのゲームがそのようなものであると誰もが信じてしまったからです。 しかし、『時のオカリナ』、『ムジュラの仮面』、『トワイライトプリンセス』はすべて、自由に探索できるオーバーワールドを備えた直線的な方式を採用しており、『風のタクト』は実際には直線的なストーリー進行を持つオープンワールドでした。 スカイウォード ソードはリニア モデルの評判を台無しにし、Botw の大成功により評判はさらに悪化しました。
(重要ではない余談: 私はスカイウォード ソードをずっとやり続けていたことは知っていますが、実際にはこのゲームが大好きです (笑) これは私のこれまでで一番好きなゲームの 1 つです)
@Gmann2021
OOT であっても、パートの 2 番目のダンジョンを先にやりたい場合は、火を水に、影を精神に置き換えることができます。 私が古いゲームで好きなのは、すべてのエリアに目的があることです。 ハイリア湖は、子供の頃はほとんど役に立たなかったが、大人になると水の神殿に変わります。 BOTW と TOTK は、ほとんどの領域で同じ目的を持っていません。 最後にタバンサ地域のことを思い出したのはいつですか?
@dpackerman4203
@orlando5789 言うのは簡単ですが、彼の言う通りです。 問題の解決策を見つけることは非常に満足ですが、無限の解決策がある問題はそもそも問題ではないため、たとえ「正しい」方法で解決したとしても、その満足感を感じることはできません。 正直に言うと… Totk はチーズパズルを奨励していました。 そのため、パズルを「正しい」方法でやったときはいつでも、ゲームが提供する「無限の創造性」を発揮しなかったため、間違ったことをしたように感じます。 パズルを「正しい」方法でやると、友達全員が「いや、代わりにこれをやったほうがいいよ、ずっと簡単だよ」と言われるたびに、私はいつもとてもイライラしていました。 満足感はありません。 これが、何時間もかけて TotK をプレイするのが非常に退屈になった理由です。
@ドメスティックス2958
@dericandkhristy なぜbotwやtotkに適切な釣りを入れなかったのか分かりません。 これは究極のダウンタイム アクティビティのようなもので、これらのゲームは 99% がダウンタイムです。
私は田舎育ちの標準的体格男性である。去年のことになるが東京に出てきて噂のぶつかりおじさんに遭遇した。場所は二子玉の駅での階段上がってすぐのスペースで、コートの裾がかするかどうかという距離感だったのが、通り過ぎそうなときにいきなりタックルをくらった。
https://twitter.com/hiziki3/status/1735961987715309686
のポストのまさにそのとおり。朝の丸ノ内線のラッシュとか体験していると、多少体が触れ合うのにはなれたけど、意図的なタックルには不意をつかれてびっくりした。東京のサラリーマンってイライラすることが多くてストレス解消でやっているのかな?と思って相手の顔をみたんだけど意外なことに、その表情は怒りではなくドヤ顔、満足感に満ちていて、あっけにとられてしまった。
ああいうのってストレスマックスの働き盛りサラリーマンなのかと思っていたけど、実際は定年間近か定年してちょっと経ったくらいの普通以上の身なりのおっさん(というかじいさん)だった。こちらも導線を少しはみ出していたので落ち度はあるのかな、と思って特に何も言わなかったんだけど今考えると、あれっていわゆる正義マンなんだよな。相手にちょっとでも落ち度がありそうだと、それを攻撃して満足する。そう仮定するとぶつかりおじさんの被害者に女性が多いのも納得できる。東京の混雑だと非力な女性の方が導線(足元のテープの範囲)から押し出されやすいし、はみ出たときに戻るのも大変だから、そういう群れから外れた個体をぶつかりおじさんは狙いに来るのだろう。彼らの自覚では社会正義を実行したつもりで世のため人のため働いたと思っているのだ。
なぜ今そんなことを日記に書こうかと思ったかというと、Xでウォッチしている池内恵とそのアンチのやり取りをみていて、これぶつかりおじさんじゃないかと思ったからだ。年齢層といい、池内に言葉尻などで絡んでいく様子といいまさにぶつかりおじさん的正義マン感がある。タイムラインをみてると池内先生はまさに集団でぶつかりおじさんにぶつかられるいるんだなあ、と心中察するにあまりあるがちょっと笑ってしまった。(ちなみに科研費は全額組織に振り込まれるから研究者が自由にアクセスでる金ではないという池内の主張は完全に正しい)
一つ明るい兆しがあるのは、もしぶつかりおじさん=正義マン=限界ネトウヨ老人 だとするとあと十数年たって団塊の世代が完全引退し、氷河期世代が爺になればこの手の問題は無くなるということだ。氷河期世代は良くも悪くも自分本位なので、そのような自分の得にならない正義マン行為には冷淡だからである。(2000年代のネットの悪ノリを引きずっているから、恒心教みたいなネット犯罪は増えるかもしれんけど)
「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」であると思います。
2023年の12月に「ヒトはASD的な方向に進化していく」的なお話が目に付きやすくなった引き金は、たぶん、東北大学の研究グループの発表だろう
」を契機とした
「私のタイムラインでは、定期的に「人類はASD(自閉スペクトラム症)的な方向に進化していく」「未来の人類はもっとASD的だ」といった内容の文字列が流れていく。
」という、文字列への反論がしたいということだと読むのが自然だと思います。
その意味ではシロクマ先生が別にASD当事者を傷つける意図で書いてなかったのは察しています。
それでもなお、元増田に書いたように精神科医という専門家が書くには当事者への配慮が書けた文章と感じた、
日頃のセッションの前後とかにありがとう、いつも楽しいよって言うのはいい。むしろそうあるべきだろう、一緒に遊んでいるんだし感謝を伝えるのはいいことだ。
Xでハッシュタグつけて自分のこと褒めろだの好きなところ教えろだのと強請って、無数のフォロワーの前で中身のない応酬をかまして、コミュニティの中全員がそれをやるように仕向ける。
そんなことまでしないと承認欲求を保てないのか。TLを占拠するやり取りするくらいなら個別DMに籠ってくれ。そうして永遠に馴れ合うといい。
もしタイムラインのフォロワーに見せつけるためにやってるのなら、お手上げだ。
また、何の取り柄もないTRPGプレイヤーを褒められる理由が声しかないからなのか、社交辞令で褒められてるのを理解せず探索者ボイスなんてのを上げてしまう人もいる。
探索者ボイスでシナリオタイトルコール読み上げとか、素人が気取って無理に低音出そうとして事故が起きているものばっかりだ。一つ二つ聞けば自ずと怖気が立つ。
それが周りから祭り上げられたのがきっかけだったんだろうか、素人の「探索者歌ってみた」なんてものを見た日には仰天した。底辺歌い手よりも酷いものを満足げに公開して、自陣にお見せして、「解釈が」「RPが」とか言われて喜んでいやがる。
そんなの君の歌がボロボロでも送られたほうは褒めるしかないだろうが、一つしかない自陣なんだから。
ボイス、歌ってみただけじゃない。小中学生のころに書いてそうなカッコ書きの「SS」を「これがうちの子の解釈です笑駄文ですけど笑」とか言って送り付けたり。うちよそしたいばかりに自探索者だけじゃなく他人様の探索者まで巻き込んだり。先のフォロワー褒めてと似た事案だが、探索者の好きな所上げろタグ、知りたい探索者いますかタグもそうだ。
同卓したPCについてリプしなければ好きなところがないのかと角が立つし、同卓してもいないPCの長語りなんて誰も求めてない。
そういうものは一概に、探索者というもの、CoCというものを通して承認を強制するためのテロということを理解していないのか。
大方、その当人との関係性を壊したくないからおざなりに褒めてるだけだ。文面上だけでなら何とだって言える。真顔で薄っぺらい褒め台詞を書いてテンション高く絵文字で飾れば良いだけだ。
こんな表面ばかりの承認欲求にしがみつくためだけに、卓を詰めることに固執する「卓修羅」なんてものもいる。
だいたいが自分のキャパを理解してない人ばかりなので、卓には寝坊するし遅刻はするし体調は崩す。そのリスケは数か月先で、「すみません卓修羅で」と言って悪びれもしない。考えてもみろ、一般にTRPG以外の予定を優先に考えていれば「未来日程で」と言われたって半年も先の日程を確保できるはずがないだろう。自分が良くても他人の都合があることを知れ。人の時間を長期間確保するというリスクを考えろ。
しかし、卓修羅たちはその底なし沼のような承認欲求を満たすために卓日程を入れつづけ、知らないうちに自身の健康も精神状態も火の車のような状態になっていく。そこから生じる精神の不調、所謂「病み」も、手っ取り早く承認欲求が得られる卓や、インターネット上のコミュニケーションで満たそうとする。他人に自己承認テロを仕掛けていることに気付かず、しきりに嘆いては慰められ待ちをする。
うんざりだ。こういうのが普通の顔をしてのさばっているから、それが普通だと感覚を狂わせてしまう人もいる。
そこまで承認欲求に囚われてそれを求めるためだけに行動してしまうのは、もはや精神病ではないのか。自分の限られた可処分時間を卓、卓に付随するコミュニケーション、卓準備にすべて費やしてしまうなんて立派な依存症だろう。病院に行った方が良いのではないだろうか。
彼ら彼女らに日常に満たされるところがないのか、卓体験が手っ取り早く承認欲求を満たせてしまうツールだからのめり込んでしまうのか知る由もないが。
TRPGのオンセなんて所詮はインターネット上で完結する希薄な関係で、相手がどれだけ褒めようと自分の人生に責任を持ってくれるわけではないことを自覚的に、自省的に行動すべきだと思う。
アカウントを消してしまえばすぐに縁は切れる。自分のことを無条件に承認してくれるフォロワーがいるからって都合よくはけ口に使うなよ。優しいことを言ってはいても、本心では卓修羅の行動に呆れかえっているかもしれない。依存先に使われるのが耐えられなくなって、いつ消えるかだってわからないのに。
依存先を多く持つのが自立だというのはよく言ったものだ。卓だけを依存先としてべたべたと自己承認を求めるやつにはロクなのがいない。
この界隈はそんな自己承認欲求モンスターが跋扈する地獄、早くおさらばするが吉だ。彼ら彼女らの都合のいい依存先で居続けるのは、大変な労力を要するのだ。
https://men-with-women.com/misogyniy-of-the-year2023/
賛同人紹介 https://men-with-women.com/patron/
のページに名前のある人の名前をググってXのアカウントを持っている人のタイムラインを覗いてみました
現時点(2023/12/12/20時)でこの企画を紹介しているのは
著名人や政治家等による女性差別・女性蔑視的な言動の中から、今年のワーストを皆の投票で決める企画
「#ミソジニーオブザイヤー2023」の投票が始まりました。
風化させず改めて問題だと社会に示すことで、来年を少しでも良くしていきたいです。投票をお願いいたします。https://t.co/u4Pfqmv2Xj— 勝部元気 Katsube Genki (@KatsubeGenki) December 12, 2023
勝部元気氏とこの投稿をRTしたヨス(@yossense)氏のみとなっております
これ多分他の賛同人の誰かが苦言を呈して中止になるやつだわ
…なるよね?
トゲトゲしたプラスチックの板にビーズを並べてアイロンをかけて固めるやつ。
Twitterでエロアカウントばっかりフォローしていて、タイムラインを眺めてムラムラしてくると同時に、そのリビドーを昇華出来る創作系の趣味が欲しいとずっと思ってた。
絵も描けないし話も作れないから悩んでて、色々試した結果アイロンビーズが丁度いいことが分かった。
絵は何度か挑戦したことあるけど難しすぎる。
一本の線を引くにしたって線の可能性が無限に存在して、その中から最善の線を見つけ出す試行錯誤をする根気が無い。
その点アイロンビーズは良い。
何しろ24×24とか24×48とか、限られたドットの中では出来る試行錯誤の回数が限られているから、その中で自分なりの最善を模索するのはそこまで負担じゃない。
ドット絵を描けるサイトがあるので、そこで下絵を作ってアイロンビーズにしている。これも楽でいい。
パソコンだと色がほぼ無限に使えるのも逆に重荷だったけど、アイロンビーズは近所のダイソーで買える色の中だけで作っているから楽。
ドット絵でいいじゃんと思われたかもしれないが、使える色数が多いという点でドット絵ではダメなんだ。
どうやら自分は目下に広がる「可能性」の爆発に耐えられないらしい。
そういう人間にとって趣味は自由度よりも不自由度の方が重要なのかもしれない。
今は裸の女をアイロンビーズで作っている。
ぐりぐりと適当に肌色のドットを描いたり消したりしてなんとなく女の身体が見えたら徐々に形を整える、もういいかなと思ったらアイロンビーズを並べる。
この「頭を使う工程」と「一切頭を使わない作業工程」に完全に分離されているのもアイロンビーズの良さだ。
今は右を見ても左を見ても「ゲゲゲの謎」。一大ムーブメントでいわゆる「覇権」だ。
にくい。憎すぎる。
見る度に手足の温度が冷えていくような、薄ら寒い憎しみが湧いてくる。
関連ワードを全てミュートにしているのに、自分で検索してはその盛況ぶりに「にくい…」となってる。
ちょうど「怒りは二次感情」で、「怒り以前の感情の分析がアンガーマネジメントに有用」みたいな記事を見たし。
①みんなが楽しそうにしてるところに入れなくて羨ましい
ゲ謎の映画をみたが、みんなが言うほど主人公に萌えなかった。むしろ事前にタイムラインでみんな萌え狂っていたので、なんか若干覚めた目で見てしまった。
映画自体の出来は普通だった。飛び抜けていいとも感じられず。もしかしたら事前情報なし、嫉妬心なしでみたらハマれたかもしれないが、もう歪んだ色眼鏡をかけてるせいで文句しか湧いてこない。
なので、単純にみんなが楽しそうにしてる輪に入れなくて羨ましくて憎い。
②自分の客を取られて焦る
私は二次創作をしていて、絵を描けば少なくとも4桁のイイネは来る程度に中堅の絵師だ。なのに、みんなゲ謎に行っちゃったら誰が私をチヤホヤしてくれるんだ!?
一次創作でやれとか、それは元々原作の力だとか、そんな正論求めてない。
承認欲求が満たされない。今のジャンルの絵を描いてても、「あーでもこれ…ゲゲゲの絵なら3倍のイイネもらえるやんけ…」と思うとやる気が出ない。
ピクシブのランキングもゲゲゲばっかり。私だってゲゲゲでチヤホヤされたい!なのに心が追いつかない!
③好きな作家がとられて悔しい
好きだった絵描きも字書きもみんなゲゲゲに行ったしまった。もう好きな作者が書く好きなCPの絵も文も見れない。それ私が享受するはずだった萌えなのに。楽しみをとられた。
④とにかく憎い
上記の嫉妬心が混ざりに混ざって、私の中で「こじつけの怒り」まで吹き上がってくる。
・フォロワーがネタバレしなきゃ私もハマれたかもしれないのに!
・オタク構文の大袈裟な感想まじてサムいんだよ!なにが「救いがない」だよ!全然あっただろ!賢しらな考察ぶらさげて、結局オタクが萌えてるたけだろ!
・「今も○○ジャンル好きです」とか言って両方にいい顔すんな!片手間な落書きいらねーんだよ!
・主人公のこと嫌いじゃなかったのに総受け二次創作のせいで原作まで嫌いになりそう!
書いてるうちに自分の怒りの正当性のなさ、論理破綻に気づきました…と〆るつもりだったのに、全然燃え盛ってきた。全然まだムカつく。
どうすればいいの。こんなことで悩みたくない。
誰宛かわからないエアリプが自分のことじゃないかと思えてしまってつらい
そういう理屈で自分を説得できることはやっているがそれでも一瞬「自分への苦言か…?」って思ってしまう
「この人がいま『バカばっかりだ』というバカとは具体的には自分じゃないのか…? つい数分前に書いた私の意見を読んでの感想では…?」とか
そう思っては「いやいや、この人が私にそんなふうに言う理由がないでしょ、見えてるタイムラインも違うんだし」と打ち消してという脳内の動きが煩わしい
でも他人の書き込みを読みこまない、受け取りすぎないってのもフォローしてる意味がないというか
なんの話をしているのか読み解くのもまた好きなことのひとつだからやめてしまうのももったいない
逆に「こういう人好きだなー」「頭いいな」みたいなエアリプがいっぱい流れてきて「おっ自分のことかな」って思えるほうがいいんだけどな
だいたいそういうのはちゃんと言及先がはっきりしているように見えて自分あてと思い込めない場合が多いな
やっぱ苦言は宛先をはっきりさせたくないものなんだな