はてなキーワード: シャッターとは
店はどこもシャッターを閉めやっていない。外を出歩く人はまばら。BBQをしたらマスコミや一般人のTwitterで晒される…。そんな外出自粛状態だけど、意外と自分はこの状況心地よいと感じてしまう。あまり大きな声では言えないが。
将来の不安はないとは言えないけど、自分の力でコロナを封じ込めることはできないし、自宅で心置きなく引きこもっている。「家にいて何もしないこと=人生が充実していなくて無駄な時間を過ごしていることではないか」という後ろめたさがあったのに、家にいるだけで人の役に立つなんて言われている始末。こんな正々堂々と引きこもって褒められるなんてことは今までなかった。
事態が終息したら、街にはカップルや家族連れが溢れる日がやってくるだろう。それは当たり前ではあるのだけど、リア充至上主義の世の中にまた戻っていくと思うと、今から憂鬱の気分になってくる。
繁華街の雑居ビルにある鰻の寝床のような店舗でビストロが何年か前から営業していたのだが、先月末でとうとう閉店した。
食べログを見る限りでは、☆3.2に満たない程度で、価格帯の割にはボリュームのあるランチで付近のオフィス街からやってくるサラリーマン男性に主に人気があったようだ。付近をよく通りかかることがあったのだが、とうとう一度も利用することはなかった。フレンチを出すからビストロのはずなのに店内からはいつもワンパターンのボサノバが流れていたし、夜はサラリーマンの調子はずれの奇声が絶えず、客層があまり良いようには見えなかったので、静かに食事をしたい自分には合わないと感じていた。また、明らかに店主のものらしい折りたたみ自転車が毎晩歩道に止められてあり、そのモラルに首をかしげざるを得なかったというのもある。
新型コロナウイルスの影響で飲食店営業自粛が要請されるようになると、狭い店内は明らかに3密に該当する場所だったので、件のビストロはテイクアウトを始めた。店頭ではフランスパンを使ったサンドイッチの販売も行っていたが、突然閉店した。
近所に住んでいるせいでGoogle Mapの店舗検索でこのビストロのレビューを見かけたところ、☆1個になっていた。レビューコメントの内容は次のようなものだった。
「フレンチを出している店のはずなのにバゲットのことをバケットと連呼してサンドイッチを店頭で売っており、素人丸出しで恐ろしく、到底衛生管理などできていないに違いないので、絶対に避けるべき」
もともと客足が落ちていたせいもあったのだろうが、バゲットとバケットの言い間違いで店舗運営がとどめを刺されるということも実際にあるのだ。
シャッターが閉まったままの店舗にはもはや誰も来ないので、いつのまにか店舗前を利用してオメガラーメンのテイクアウト販売を昼時だけゲリラ的に行う業者が見られるようになった。非常時にはフレンチよりもこうしたある種奇妙な風味の食べ物を人は求めるのかもしれない。
と言うか16時前よ、もう。
人手が足りなくなったからって私が借り出されているわけだけど、
これって本末転倒寺の和尚に喝入れてもらわなきゃ行けないレヴェルじゃない?
なんで私がって思うけど一旦思わないことにして、
仕事進めるんだけど、
細々したことが多くって、
そうそう!
なおのさらで超大急ぎで
もう慌てん坊のサンタクロースさんを越えるレヴェル!
大慌てで伝票出して郵送物作ったりとして大忙しよ。
もうあいたたどんどんどん!だわ。
よく分からないけど、
前もって前に書くと言うことをすべからく行っていくって思いたいところだけど、
できたらがんばんだから!
増田っぷりとしてはどうよと私自身に課した更新時間はちゃんとしたいものね。
でももうこれを書いていると言うことは一段落したと言うことで、
ドリップコーヒーでもいれて飲むことにするわ。
うふふ。
また明日。
時間が無いと思ったので、
牛乳だけでも最悪飲んでおこうと思って
麦茶にはまだ早いけどやかんの中のお湯に浸けておいたややホッツ麦茶ウォーラーが昨晩から作って置いたものがあるので、
それかっこんで飲んできました。
まったくだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ずっと引きこもってるんだが、用事があって元町まで行った。神戸在住。
そしたら、マスク売ってるじゃない!
「え! 買わなきゃ!」
と思ったんだけど、よく見たら、向こうの方、別の店の前には箱が積んである。
「ひょっとしてマスク?」
行ってみたら、50枚入りが約4000円。
そんな感じで、不織布のマスクがあるところは5枚で500円とか、別のところは1箱で4500円とか、あちこちで売ってる。なかには、自粛閉店してる店のシャッターの前に台を並べて売っていたりもする。もっと安いのもある。布マスクも売っている。アルコールジェルとかおいてる店もある。全部合わせて、ざっと数えただけでも10軒はくだらない。たぶん、もっとある。
そんだけあったら「あ、別にええか」と思って買わなかったけど、同時に、「なんで医療機関でマスクがなくて困ってるのにこんなところに山と積んであるの?」と疑問がわいてきた。
なんで?
4・トイレ自動便ふた開閉・洗浄は必要/不要→感染症対策に自動便ふた開閉・洗浄は必須
6・1階リビング電動シャッター必要/不要→必要。なかったら不便極まりない
新型コロナ騒動前に、頭金918万円+諸費用で購入した新築マンションを売却
→今年3月に新居購入(頭金116万円+諸費用)で、世帯の手元キャッシュが約800万円増えた。
3月〜4ヶ月の1カ月間に限ると、太陽光パネルの売電>電気代で、他の固定費アップ分と差し引きゼロ。
たぶん賞与はないが、リモートワーク移行で通勤手当がなくなり、
もともと宅配ボックスのあるマンション(駅チカ)から戸建て(駅遠)に住み替えるにあたり、
無印良品などでいろいろ買い込んでいたので、外出せずとも1年くらい十分に暮らせる。
怖いくらいの予想。ただ、やはり駅遠戸建ての閉塞感は半端ない。
最初は自然多めのエリア。都心からそう離れていないこともあって、いつもよりは空いてるとはいえ、それなりの人出があった。まあすれ違うくらいではうつらないだろう。
それから郊外の街へ。かなりの人出。ランチを食べたパスタ屋さんが、広くはない店内に店員あわせて10人くらいの人間が居たので、もしあの中に感染者が居たらやばいかもしれない。後から知ったんだけど、あまり遠くない場所で大きめのクラスターが発生していたらしい。不安。たぶん大丈夫だろうけど、親がもう70代なので、万一うつしたらやばいなと思ってる。
こういうことはもう表の日記には書けなくなってしまった。こうやって文章化すると、結構危ない橋を渡っているような自覚は出てきた。今後はたとえ美味しそうでも混雑している店は避けようと思う。
都心は逆に空いていて、普段の週末の夜と比べたらほとんどゴーストタウンのようだった新宿が印象に残っている。人々は家の近くの郊外タウンは歩いても、わざわざ都心まで出てきたりはしないのだろう。まともな人から順に姿を消した結果、不穏さな層だけが歩いているような感じはした。いつもよりホームレスも目立っていたと思う。普段なら店員に退去されられるであろう、大規模店舗のシャッター前にダンボールを敷いている人も居た。
歌舞伎町も少し覗いてみた。警官が入り口あたりで拡声器を構えていたが、警棒を伸ばしている人は見当たらなかった。表に出ている人を解散させるためというよりは、いつもの客引きは違法ですキャンペーンを強化したような感じ。
たぶんこれも40秒で支度するうちの20秒ほどの時間で書き上げなくちゃいけない今日この頃なんだけど、
街は昼間はなんだか人出は変わらないような気もするし、
飲みにも行けない盛り場が閉まってるけど、
相反してファストフード店なんかは相変わらず煌々と明かりを灯して24時間元気いっぱいに営業してるじゃない。
私の行きつけの食券制のパスタ屋さんでのちょいのみ需要が拡大してるのよ!
意外や意外でしょ?
でも残念ながらドリンクメニューがせいぜいルービーしか無いところが玉に瑕っちゃ瑕なんだけど、
とりあえずの
そんなこんなで夜も出歩けないけど
巣ごもり消費もいずれ爆発しそうな
自粛づかれもそろそろ出てきそうな昨今、
私は私でもしそうなったら1人の事務所閉店ガラガラシャッター閉めて、
家でゲームしたり本を読んだりしたり、
高校生の頃に勉強し損なった対数の本とかを読んでお利口になりたいところよ。
とりあえず、
オススメよ!
本屋のレジで何冊か買う本の一番上にニュートンを置くと明らかにあからさまなので、
2冊目ぐらいのところに挟んでレジ持って行けば、
そろそろ出掛けるので今日はここまでよ。
うふふ。
抜群のシャキシャキさ加減をもってして、
美味しく私の胃袋に収めたところで
またさらにタマゴサンドを決める!と言うほぼいつものローテーションのルーチンよ。
新しいちょっといい緑茶の茶葉買ってミルで擂り擂りしたいところだけど、
急須の持ち手のとっての中に水が溜まってちゃぽちゃぽするのがずっと気になってます。
ここ水抜いて欲しいわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
給料が入った後に、築地場外に魚を買いに行く習慣がある私は、いつもは場外に大量に押し寄せる客をかき分けて
目当ての店に行くのだが、今日は場外市場で働く人達の方が多いような通りの惨状だった。
所在なく店頭に立つサンドウィッチマンからは活気の良い声も聞こえない、囃子がない市場は静かな戦いの渦中にある。
店側は必死である、値付を正価にし、商品の陳列もいつも以上に気を遣っているが、人そのものが来ない。
目当の店では「この数年間、空中戦で荒稼ぎしてきたより日本人の常連をどれだけ作れたかで、これから生き残れるかが決まる」と雑談をする。
魚を買った後、のんびり車で国道15号を流す。銀座の目貫通りも、買い物客より勤めている人たちの往来が多い、
店も4分の1がシャッターを閉めている。日本橋から神田もいつもの様子ではない、普段はスーツを着たサラリーマンであふれているが、
テレワークの為か人通りはまばらだ。秋葉原になると少し人通りが増えるが、普段の3分の1程度だ。
上野は桜の見頃に関わらず、人の頭ばかりしか見えない状況ではなく、気軽に散策できる程度にしか人がいない。
そこから車で走る道中、スーパーやドラックストアは人が並び、消耗品や食料品をせっせと買いだめている。
夜は誰も来ない新宿の片隅で酒を一人飲む、斜向かいの店のドアに掲げられた「コロナ(ビール)始めました」が空しく風に揺れる。
一人オーナーで切り盛りする店はどうするんだろう?またひと昔前の寂しい界隈に戻るかもしれないねと話をする。
気づけば店に入ってからそんな話しかしていない。何処の桜が見頃だとか、御苑に酒を持ち込む方法とか、
そんなよくある天気の話もしていない。御苑は封鎖されたらしい。
私も居場所が欲しいから、金を使いたいから、よく行く店に通う。
自宅と、職場以外にある、数多くの、一生かけても全て見通すことが出来ない数多の社会が暗転しそうだ。息が詰まる。
この社会は、人が獲得した高度な社会性は、衣食住の安寧という本来は難しい問題から脱却して、
可処分時間と可処分所得を使って長い人生の中で楽しむことを覚えた。
そんな高度に発展した社会が、棍棒を持った侵入者によって破壊されようとしている、
既に生きる為に自宅と職場を往来するだけな状況は、中世から原始資本主義時代の生活と変わらない。
これで都市封鎖されると、自宅の中で嵐を過ぎさる事を祈るだけになる。それは石器時代と何が違うのか?
中国やイタリヤの人々が窓から大声で歌を歌う動画を見た。私も部屋の片隅で小さくなって
祈るのなら、声を出して祝詞を歌いたい。
「日常」は、数多の世界の、数多の人による労働によって作られ、滞りなく安心して繰り返される事に価値があった。
memento mori(メメントモリ) 意味は、死を想え
子供時分に商店の倅だった者だが、コロナ騒ぎを見ていて、またいくつかの店が飛ぶ
と思うと胸が痛い。こういうことになると、だいたいギリギリでやってたところが、
卸との間に支払いが滞ったのか、棚がどんどんスカスカになっていった。主人は
確か脱サラした細身の男で、東京六大学を出たとかで、田舎にしてはしゃれた柄物
のブラウスとか扱っていたが、最後空っぽのガラスケースに囲まれて、家賃も
払えなくなっても、店の真ん中の椅子に座り込んで、立ち退こうとしなかった。
なんか最後、何人かスーツ着た男の人が来て、連れていったそうだ。
・手を広げて夜逃げした贈答品店
中元歳暮や婚礼などの進物を扱う店で、郊外のロードサイドにも店を出すなどして
羽振りが良かった。倅が小学校の同級生だったので、家に呼ばれてよく遊んだ。
おやつに皿に乗った紅茶が出て、ブルボンとかの透明な袋に入ったお菓子が添えて
あるのが衝撃だった。ある日突然店が閉まってスッカラカンになった。親父に聞くと
手を広げすぎて、以前から経営は良くなかったらしい。自慢のキャラクター付きの
自転車が店の前に放置されていたのが生々しく、記憶に残っている。学校の噂で
大阪の方に行ったと聞いた。
これはうちも迷惑を被ったので、よく覚えている。親父も、工事の代金を踏み倒されて
あの野郎と、怒りまくっていた。以前から、支払いが渋いことで商店連中の間では有名
だった。小さい娘とその弟がいて、店のカウンターの端っこで二人並んでよく勉強してた。
ある時、地元のチンピラともめたのか、普通の定食屋だったのにガラの悪い連中が入り
びたるようになった。そんで一気に客足が遠のいて、潰れた。問題は潰れる直前に取込み
詐欺みたいなことをやって逃げた。高価な食材や機器、家電などを馴染みの店に注文し、
届くと同時にドロンした。親父は大家と一緒にシャッターをこじ開けてなかに入ったが、
めぼしいものは持ち去られた後で、残っていた子供の目覚まし時計を持って帰って
https://note.com/akiko_saito/n/n9b1b3581843c
っていうnoteがバズっているので読んだんだが、「この人蜷川実花に村焼かれたんか??」と思うほどのdisり具合だったので、followesを全話一気見したうえでひとつひとつ考えてみた。
まずは上述のnoteを読んでみてほしい。
ファーストシーンだけなのにこのdisりっぷりに私も脱帽した。
私が田舎出身だからかもしれないが、未だに東京タワーは東京を象徴する一番のものな気がしている。特にこの作品は日本から世界に発信されるわけだから、わかりやすい象徴として東京タワーのカットが抜かれることには何の違和感もない。
私のこの感覚が「ダサい」「古い」なのだとしたらそれまでなんだが。
で、次。
いやあ、これ作中で別に言ってないんだよな。続く
子どもを持たない人は
女の幸せ
ってやつが手に入らないってえのかい?
に関しても、誰もそんなことは言ってない。飛躍している気がする。
中谷美紀「今は母乳の方がいいって言われてるの!できるだけ母乳を飲ませたいのよ、粉ミルクはやめて」
エッ母乳の方が愛があるみたいなやつ?!?!?!?!?!!!??!!?!はるか古代に滅びたやつ??!?!を今もってくる?!!!?!
これに関しても、作品の中では「粉ミルクの方が良いもの」も「母乳こそが素晴らしい」も描かれていないんだよね。
もう少しだけネタバレをすると、中谷美紀は母乳があんまり出ない。だから中谷美紀の子育てを手伝いに来た実母が「(そんなに完母に固執せずに)混合で育ててもいいんじゃない?」という趣旨のことを中谷美紀に言う。
つまり、完母が素晴らしい!と思い込んでいる中谷美紀に対して、「そんなにこだわらなくても大丈夫よ」と肩の荷を下ろしてあげているシーンなのだ。母乳の方が愛があるって価値観を押し付けているシーンでは決してない。
液体ミルクについてはこのシーンで言及されていないが、話がややこしくなるからわかりやすく「粉ミルク」って言っただけの話だろう。
「ざんねん〜!!MIYAVIの遺伝子が〜〜!!」
って叫ぶんですよ、、怖すぎだろ、、MIYAVIが何も知らされてなかったらほんとに訴訟もんですよ。
これについては、まあ女子会の中だったらこのぐらいの悪ふざけはあるだろう、という感じ。ただし、MIYAVIが何も知らされずに父親にさせられようとしている部分に関してはわたしも恐怖を覚えたので、同意。
やはり
ってことなのかな?
ここに関してはもう少しミリの心の中を想像したほうがいいんじゃないかなーと思った。まあ確かに精子バンクで子どもを授かる方法もあるかもしれないが、どこの誰だかまったくわからない人の遺伝子を使うのはちょっと怖いっていう気持ちもわかるよ、私はね。
「腹を痛めた子を生んでこそ女のしあわせ」っていうのが読み取れる発言も作中にはないよ。養子という選択をとらなかったのは、シンプルに自分の遺伝子を残したい、育てたい、と思っただけなんじゃないだろうか。
子どもに関する価値観はそれぞれで、誰かの遺伝子をもらうとか、養子をとるとか、里親になるとか、さまざまあっていい。そこに正しいも悪いもない。特定の価値観を、本人以外の誰かがジャッジすべきではない。
ここに関しては私はあまり映画もテレビも見ないため評価できず。見る人によると思う。
これは、池田エライザがYoutuberに出会ってすぐのころそんな認識をしているという描写があったけど、話が進むうちに認識が変わっていくサマもきちんと描かれている。
たとえば、作品をとるためにめちゃくちゃ身体を張っていること。時間をかけて企画をしていること。極めつけは、Youtubeのアナリティクスの画面を見ながら研究をしているところ。
見る人が見れば、(Youtubeを投稿したことのある若い世代であれば特に)その大変さをきちんと作品の中でも描いているというとらえ方をするはず。
という世界線になっている。
なっていない。そんなことは作中で誰も言っていない。
うーんこれも言っていないと思うよ。
池田エライザが「女優になりたい!」と言い続けていたのは、「女優の方が格上だから」ということではなくて、ただ単純にモデルという職業じゃなくて女優という職業になりたいから、ってだけだと思う。
水泳選手じゃなくて陸上選手になりたいんです!みたいなもんだと思ったけど違う?
蜷川実花が監督なのに、「モデル=楽な職業」として描かれているわけはないでしょう。
売れない歌手がバーチャルアイドルとして再デビューして見事復活みたいなことやってるんですけど、バーチャルアイドル作るのってすごいお金かかるんですけど首になった歌手がどっからその予算出したんすかね
違う違う。サヨは売れない歌手だからクビになったんじゃないんだよ…ちゃんと作品見ました?サヨはめちゃくちゃ売れてる歌手で、サヨのおかげで事務所が大きくなったといってもいいくらい稼いでる人だった。だからお金はあるんですよ…。バーチャルアイドル作るのにすごいお金がかかるのは事実なのかもしれんが、そのくらいの金はあるんじゃないの。事務所のトップシンガーだったんなら。
コムアイがレズビアンの設定で、友人である売れない女優に「あなたのことが好き」と一大決心して告白するのだが、売れない女優は「言ってくれてありがとう」とハグをしてなんか終了。彼氏のもとに戻っていく。別にコムアイの悲しみは描かれない。
このシーンは、コムアイから池田エライザへの「告白」だったわけじゃないんだなあ。愛だ恋だが絡んでいる「好きだよ」じゃなく、「あなたの演技が好きだよ」「そのままのあなたが好きだよ」という、池田エライザの存在をまるごと受け入れる受容のシーンなんだよ。だからそれに対して「私も好き!」とか「ありがとう…でもわたしは好きじゃないから付き合えない…」とはならんやろ。
ちなみに「言ってくれてありがとう」っていうそれこそ陳腐なやりとりもしてない。
この場面ではコムアイの悲しみは描かれないけど、それはすでに彼女が悲しみを乗り越えてるからなんだよね。
彼女の悲しみは、部屋に引きこもって作品(絵画)を仕上げているなかできちんと描かれてるよ。痛いくらいの悲しみの表現がされているよ。もう1回見直してくれ。
てかしなやかってなに?
「しなやか」はね、柔軟で、弾力に富んでいるサマのことだよ。「おしとやか」とは意味が違うからね。辞書を引こう。
「女の子なんだから女の子らしくしなさい」は「しなやか」ではないし、「男のひとを立てなさい」もしなやかではない。それらから解放されたサマが「しなやか」という言葉で表現されてるんだと思うが、違うか?
と、まあ事細かにいろいろあげつらったんだけど、一つ一つ否定していることにそんなに意味はなくて。
一番言いたいのは、「批判noteがバズることの危険性」についてなんだよなー。
たしかに作品を見て何を感じるかは人それぞれだし、注目度の高い作品であればあるほど賛否両論どちらも出てくるもんだとは思う。
だけど、激しい批判が独り歩きすることで(そしてそれが歪んだ認知のもとに書かれているとしたら特に)、楽しみながら作品を見られるはずだった人たちが、「最悪な作品」というバイアスのもとに鑑賞せざるを得ないということなんだよな。
私は全話通して楽しんでみたし、前評判ほど「古い」とか「化石みたい」とかは感じなかった。みんなが批判だけに踊らされて「私は見ない!」「(みんなダサいって言ってるし)ダサいに同意!」というのが起きないといいなーと思った。
どこぞの16GBのCFに計測器が対応してなくて1GBのCFで解決したという話をみてあるあると思ってた、技術系増田の私が追体験をした話。
趣味の面でカメラを嗜んでるが、先日お爺さまを亡くされた知人が大量の(殆どがフィルム)カメラとレンズを抱えて来訪。
その中にNikon D100。箱もないし説明書もないが。
状態も悪くなく、電池を充電したらシャッターが下りるのまでは確認できた。しかし、記録がメディアがないのでamazonで32GBのCFを買ってみたそうだが、エラー表示。
ネット見たら4GBも最大限には使えないという情報を得たため、2GBのCFを今更買ったら記録もできたという話。
とりあえず、その方は在りし日のお爺さまを忍んで使ってみるらしいが。
駅もシャッターしめとけばいいだろ
わざわざ日本とK-POPと書いたのは、二国を比べるためでもなく、優劣をつける目的でもなく、ただただ私がK-POP事情に詳しくないので、私が個人的にビックリしただけの話かもしれない…という意味で書いたのですが、たぶん個人的ではなく誰が見てもおかしな話だったとも思っています。
ライブおよびコンサートに行ったことがある人、これから行く予定がある人、いつか行くかもしれない人に読んでいただきたいです。
そのライブはカメラ持込禁止で、雪が散らつく寒空の下、エントランスの外でコートを脱がされ、荷物検査および上着検査を受けたのです。新型コロナウィルスの影響もあり、まず手の消毒も行いました。これからガス室に入れられるんだろうか…とちょっと思ってしまった。
この時点で私は結構萎えていたし、コート脱いだまま外で結構待たされるし、列によって進み具合が違うのも(チェックの真剣さに違いがあるってことね)気になってたし、こんなにチェックするの最初から分かってたらなるべく荷物少なめに来てねってアナウンスするとか、大きい荷物は預かればいいのになって思ってた…。
運営に対する文句みたいになってますけど、まぁ半分そうですけど、こうすれば事前に防げたよね?っていう以下の文章への布石としてお読み下さい。
私の前の人もかなり大きなリュックに色んな荷物を詰め込んでたみたいで、すごい時間かかって「これ何ですか?」とか聞かれたりしてて、それを見ながらちょっとイラついてたのも事実です…。
それなのに。
って音がして、何かと思ったら望遠レンズの長さが確実に30cmはあるカメラでステージを撮影してる人がいて…
もうホンマ萎えるよね。
何してんのかと…
あの検査は何だったのかと…
写真撮ってる本人にも
アホちゃうか
と思ったけど
いや、実際アホなんだろうけど
いやいやいやいや!
荷物検査通って来たでしょ?
後ろの方の席じゃないよ?
ど真ん中だよ?
それであんな望遠いる?
いや、論点はそこじゃない…
真ん中のブロックは結構な座席数が通路なしで繋がってて、最悪両脇の通路に警備が入っても距離があるからバレないと踏んでその席を選んだんだろうね…
だから座席番号を運営に知らせて、誰がチケットを取って誰に転売して、カメラを抱えてた人間が誰なのか特定してもらおうかとも考えたんだけど、私が運営側の人間だったらそんなタレコミを100%信じられないし、本当に転売や盗撮が起きたかどうかも分からないのに、チケット購入者に不躾な確認はできないだろうなって思った。
少々手荒な方法(暴力ではありません断じて)でカメラのデータを消していただきました。
その場で私にできることはそれしかなかった。
それがとても悔しいです。
もしかしたら前日にも撮ってるかもしれないし、今後もやるかもしれないし、もう既にその写真データを売って相当儲けてるのかもしれない。
もしかしたら個人的に楽しむためだけに撮ってるのかもしれないけど、あんな本格的なカメラで撮るということは十中八九売ってるよね?
今までにもライブの闇写はオークションサイトやフリマアプリでもたくさん見てきたけど、まさかあんな撮り方してないよね?
シャッター音は耳障りだし、前の列の人の頭の間に突っ込んで撮ってるし、周りの人はザワつくし、本当に迷惑でした。
最初私の隣の子がずっとそちら方向を指差して顔しかめて友達に何か訴えてて「なんやねん、ライブに集中しろや」と思ってたけど、そういうことだったのね。
なんかさ、みんな注意とかできないらしいね…。
私はそういうの平気だし、いざとなったら殴り合いの喧嘩になってもいい覚悟だったけど…。
我慢するの余計腹立つやん?
本当は警察に突き出したかったくらいだけど、まずは運営だと思ってスタッフのところに行こうって言ったんだけど、その申し出は物凄い剣幕で拒絶された。
まあ、そうだろうな。
そうだろうとは思ってましたよ。
彼女は日本の方ではなくてお互いカタコトの英語でしか話せなくて、もし言葉が通じたらもっときちんと話を出来たのになと思うと色んな意味で悔しい。
きちんと話をして事情を聞いて、みんなが迷惑してることや、ライブをしているメンバーが悲しむことも伝えた上で、納得してデータを消してもらいたかったのが本音です。
私が取った方法では、
ということしか伝わっておらず、なぜそのルールを違反したらいけないのかが伝わってないと思う。
実際私も彼女の行動を目の当たりにする前と後で、闇写に対する気持ちは大きく変わりました。
元々闇写反対派ですし、
買ったら負け
と思ってるし、買わないけど。
でも見たい気持ちはあった…
海外のアーティストの場合は開催場所によってルールが違うので、判断し難い部分もあるけど、私が大好きなあの事務所の子たちは完全に公式写真以外は認められてないはずだから、事務所やまともな雑誌が出している写真以外は見ないようにしようと思う。
まず開演前から撮影禁止のアナウンスを繰り返し、開演中も通路に配置される警備スタッフの数や、ライブ中の見回りや…思い出してみると結構ちゃんと守られてる。
ただ、それでも盗撮はなくならないみたいだけど。
はっきりしたアナウンスがなかったので、撮影禁止を知らない可能性もあるけど、カメラ持込禁止なんだからだいたい分かるだろうし、隠し撮りしてたみたいだから分かってるよね?
その動画がSNSにアップされて、撮影禁止を知らない人が閲覧する…
なんかそういうのも虚しい。
K-POPのアーティストはイベントなどで撮影可になることもあるので、動画を見た人は何も考えず楽しんじゃったりするよね?
あと余談だけど、正規のルートで雑誌用の写真撮ってるマスコミのカメラマンが横流ししてるって噂も聞くので、日本のマスコミも闇が深いですね…そうなったら見つけようも防ぎようもない…。
良心とは何なのか…。
すごい極論だけど、私が見た彼女がしてることは
「見つからなければ人を殺してもいい。私が殺したいんだから何が悪いの?」
って言うことと同じだと思うし、
本当にプロのカメラマンから写真の横流しが起きているのだとしたら
国立印刷局(紙幣作ってるとこ)の人が紙幣を勝手に使うのと同じことだと思う。
私は常々、ルールとか法律が人をぎゅうぎゅうに縛っているのではなく、縛られなければ分からないアホがいるからルールや法律が増えてしまって窮屈になるのだと思っています。
もちろん撮影OKなステージもあるので、それはそれでその場のルールを守って撮影させていただいて、あとから何度も楽しめばいいと思う。
そこで変に我慢して「私は絶対撮らない!」とかやらなくていいと思います。
ただ、
と言われた場合は、なぜ撮影禁止なのか、撮影禁止にすることによって運営側はどんなライブが作りたいのか、アーティストは観客に何を見せたいのか…それを想像する力があれば、わざわざその楽しみを半減させてまで撮影しようとは思わないんじゃないでしょうか?
私も毎回自分に問い直して、目の前のステージに集中して、大好きなアイドルたちがキラキラ輝いてる瞬間を心に刻んでいきたいと思います。
結局、鈴木達朗個人や富士フイルム一社の問題ではなく、写真家界が腐りきってるという話だな。以下は2年前の『アサヒカメラ』の記事だが、
https://dot.asahi.com/dot/2018071300077.html
https://dot.asahi.com/dot/2018071300083.html
https://dot.asahi.com/dot/2018072500097.html
「肖像権意識や法律・条例を守ろうという遵法意識は大いに結構だが」だの「「ゆがんだ正義」の存在が浮かび上がってくる」だの、書きぶりのひどいことひどいこと。参加してるカメラマンは、「人の家をのぞき見したわけじゃないけど、僕は彼女に気づかれないように隠れて撮ったから、「盗撮」ということになるでしょうね。僕は肌着姿が面白かったわけでもなく、あの当時にパックをしている女性を珍しいと思ってシャッターを切ったんです。」とか平然と書いてるし。
twitterでのカメラ愛好家が、ストレートに鈴木達朗を擁護するか、「あの手法は自分は取らないが、問題提起としての意義がどうこう」みたいなムニャムニャした書きぶりかで、「鈴木は前から写真界隈の面汚しだった」みたいに書いてるやつが全然いなかったのもよく分かるわ。撮る権利は何より優先すると心から思ってるやつとか、師匠筋に当たる写真家が迷惑スナップ野郎だから批判を言えないやつとかばっかなんじゃねえか。