結局、鈴木達朗個人や富士フイルム一社の問題ではなく、写真家界が腐りきってるという話だな。以下は2年前の『アサヒカメラ』の記事だが、
https://dot.asahi.com/dot/2018071300077.html
https://dot.asahi.com/dot/2018071300083.html
https://dot.asahi.com/dot/2018072500097.html
「肖像権意識や法律・条例を守ろうという遵法意識は大いに結構だが」だの「「ゆがんだ正義」の存在が浮かび上がってくる」だの、書きぶりのひどいことひどいこと。参加してるカメラマンは、「人の家をのぞき見したわけじゃないけど、僕は彼女に気づかれないように隠れて撮ったから、「盗撮」ということになるでしょうね。僕は肌着姿が面白かったわけでもなく、あの当時にパックをしている女性を珍しいと思ってシャッターを切ったんです。」とか平然と書いてるし。
twitterでのカメラ愛好家が、ストレートに鈴木達朗を擁護するか、「あの手法は自分は取らないが、問題提起としての意義がどうこう」みたいなムニャムニャした書きぶりかで、「鈴木は前から写真界隈の面汚しだった」みたいに書いてるやつが全然いなかったのもよく分かるわ。撮る権利は何より優先すると心から思ってるやつとか、師匠筋に当たる写真家が迷惑スナップ野郎だから批判を言えないやつとかばっかなんじゃねえか。
ゴッホは生前は全く絵が売れなかった
バカか。売れてたぞボケ。
過度に一般化すると、結果が写実的な方式になるほど倫理的に発達の遅れた子が寄り付きやすいんだよな
外国のキャンディド・フォト(スナップ)もまさにこういうやつだ ストリート写真家の紹介ビデオを見ていると、喧嘩を売ってるのかと思うような場面が多い 喧嘩上等スタイルの人じゃ...