はてなキーワード: アニメとは
素直にそう思う。
シスプリリピュアってアニメが昔あって、とても独特な構成になっていた。
テレビ放送前提なので一般的にはOP-Aパート-CM-Bパート-EDと構成されているのだけれど、この作品はAパートとBパートが別の作品だった。
Aパート(ストーリーズ)はシスプリ自体のアニメオリジナルストーリーを毎週にわたって展開し、全13回の1クール長編アニメとして構成されていた。
Bパート(キャラクターズ)はシスプリのメインコンテンツである12人の妹を全12回、毎回1人ずつ紹介する短編アニメ集だった。
と上記のように、キャラクタを深堀することに全力を費やしたのが、シスプリリピュアのキャラクターズパートである。
おそらくコストも相当かかってるが「電撃G'sマガジンの紙面企画のメディアミックス」としては最高の出来だった。
まあ昨今は関係性オタクとかも幅を利かせているので向き不向きはあるだろうけど、ソシャゲはこの方式でやってもいいんじゃないかと思うんだけどね。
俺は見る側だから作る方の都合は知らんけども。
金額だけでいえば今は7000万で1クール作りきれる時代になってきてる。特に委員会式で国内音楽レーベル(とその関連会社としてのソフト会社≒円盤屋)を組み込まなければオーバーヘッドが大分軽くなって同じ額集められるならフットワークの差も含め出来ることに大きく差が出てくる。
アークナイツの脱初心者の目安は日本運営のやるままごとを鵜呑みにしないこと、アニメは本国ですら評価拒否で声優オタクとわかるところだけ理解したクソオタクが声優と歌持ち上げて終わったって素直に書いていいまである
ブルアカアニメの失敗に対して、同社がやったアークナイツはって取り上げ方する奴もいるけど、既プレイの私から見ても説明不足の描写不足で訳分からんし、それが原因で1~2話で切った人も多くて、Xでも話題にならず、1期2期あわせて円盤が1万枚も売れてない商業的には大爆死の大失敗作で、しかもアニメと同時期にやってたイベントが古参プレイヤーも手を焼く高難易度イベントでアニメから興味を持ったごく僅かな人間も大体討ち死にして、新規の獲得にも繋がらなかった何の経済的の価値もない同人アニメが良作な訳ないだろ。歴史改変も大概にしろボケ。
ブルアカは今でこそストーリーの評価と二次創作の多さで覇権とってるけど、
リリース当時は評価もイマイチでパッとしなかったんだよね。 ウマ娘と被ってたのもあるけど。
で、その時に実装されてたストーリーが対策委員会編1章のアニメ化範囲なんだよね。
クソアニメの話するならスーパーフォーミュラっていう国際格のレース団体だまくらかして協賛させたハイスピードエトワールっていう罪人の話も混ぜてほしい
一昔前に名のしれた人間がレーシングカテゴリの人間としてキャリア積んで行ってるので雑な導線で流入してきてそういう人々の迷惑になってる
ヨースターピクチャーズが無能なのは制作や企画能力の無さなので司令塔が死んでればまともな成果物上がって来ないのは当然.
サクラ革命はゲーム側の展開でVtuberのCV担当やキャラ化なんて話が当初無連絡で破談になるなどそもそも問題がありすぎてアニメは関係ない次元。ゲームの運営開発に良くも悪くも影響していない。
あかねさす少女も自身で言及の通りこのリストにあるべきでない。
艦これアニメの評価に円盤の売上を持ってきて擁護をしているが初動オリコンで相応のランク入りや数字を叩き出したかに見えるが
1期は円盤販売数3万を越えた巻は僅少で制作費の他リアルイベントにバラマキを行っており「そこそこ」と言っていいのか
2期に至っては初動2000を越えたものがあるか?という次元だが財務的にいえばサーキットへの広告出稿などもはやアニメの成否一つでIPが傾くような次元は卒業済みである
Xのミソジニストが「あらら膜無しバカマンコ」と替え歌したり、アンフェアルファのたまごが「まるちゃん…」とまる子とたまちゃんの画像で女叩きしたりしてるのを見て、ちびまる子を見ると無性にそれを思い出しアレルギーになった
漫画やアニメが好きなはずのオタク、なんで漫画やアニメをそんなふうに使いまくるんだろう
汚れると思わないんだろうか
ここ数年はTCG界隈が激変した気がする
ポケカのまさかの台頭、様々な古参カードのデジタル化の促進、新規カードゲームの跋扈
特に新規はワンピースやドラゴンボールといった、何度目かというカードゲーム化なんだけど、どうやら新規プレイヤー層を獲得しているらしい
遊戯王のラッシュデュエルが鳴かず飛ばずなのを横目に、最近はワンピースやポケカを取り扱ってはいるもののが増えている
そこにまた色んなコンテンツが参入していて、ちょっと話題になったのは名探偵コナンだろうか
基本的に子供向けか汚いオタク向けだったカードゲームが、最近は特に普通の人に受け入れられている土壌が確立しつつあって、それは界隈も感じているらしい
別にカードゲームなんてMtGの頃から生まれては消えをずっと繰り返してきているから新規のゲームが出るのは不思議じゃない
問題は遊戯王みたいな昔からやっている人だけしかいないゲーム以外がにぎわっていること
古参オタばっかりだったTCG界隈にちゃんとまともな人が増えている
逆に古参のゲームが歪で腐った人で成り立っているのが随分露呈しちゃっているけど
なぜ今になってワンピースカードが受け入れられているのかわからないけど、企業の戦略が実った結果なんだろうね
ゲーム性が終わっているのは15年前からだけど、今の遊戯王は特にTCGという皮をかぶった新規お断りのブン回しゲームになりはてている
フォーマットも全部使えるスタンダード以外に存在しないし競技性だけが重視されていて新規が入るスキが本当にない
ブルーアイズとか誰でも知っているカードばっかりが再録されているし、肝心のイラストも25年前からあんまり変わっていない
近年のカードゲームがイラスト方面に力を入れているのに対して、遊戯王ってぱっとみて「古臭くてダサくて幼稚」にみえるんだよ
ヴァンガードみたいな全面美麗イラストが当たり前になった時代に、あの古臭い茶色の枠を「きれい」と言えるのは相当遊戯王に毒されていないと出てこない
アニメ自体もやっていないから遊戯王の古参濃度はずっと横ばいのまま
あと臭い
MtGは逆に1種類のカードのイラスト違いが時に5種類以上でることもざらで、フォーマットも多すぎるから中古買取店が撤退しているという状況に陥ってる
とくにアメリカの大手中古買い取り業者がMtGから撤退したのは大打撃だったと思う
それにともなってやたら高額パックがでてくるし、ポケモン並みの面倒なヴァージョン違いを出してきたりと、マジできちんとユーザーに広める努力していないだろうってのが今の印象
なので取扱店舗も少なくなっているし、単にパックを買うという行為事態が日本を含めてやりづらくなっている
加えてポリコレを意識しているのがまるわかりで萎えるし、最近の日本語パックは誤字脱字やイラストの盗作が頻発していてマジで製品管理に致命的な問題を抱えている
わたしは少し前までとある男性声優Aを応援していた。アニメコンテンツに声優が強く結びつけられ売り出されている今、キャラクターからそれを演じている人を好きになって他の作品も観るようになって個人イベントなどにも参加して〜、とまあよくある話だと思う。
が結果、色々と疲れて降りてしまった。またとんでもなく苦手な人Bができていまだに自衛(本人はなにも悪くなく全く身勝手な言い方だが、わたしにとってBを避けることは自衛としか言いようがないためそのような語を使わせて欲しい)に苦労している。
ここでは特定の個人を批判したいのではなく、またこの先声優を好きになるかもしれない人への注意喚起などという大それた目的があるわけでもなく、ただ自分のどういうところが問題でこうなってしまったのか整理をしたい一心でこの文章を綴っている。色々と未練がひどく見苦しいので、「降りたければ勝手に降りろ、後からごちゃごちゃ言うな」という考えの人はこの先読まないことをおすすめしたい。
最も根本的な問題は、声優はとっても競争の厳しい業界だということである。
なんだ、そんなことか。まあそんなことである。アニメや吹き替え、ナレーションなどぽんぽん新たな仕事が入るような人間はごく僅かで、さらにそのように売れて見える人でもオーディションをものすごい数受けてようやくひとつ掴み取っているくらいの競争率の激しさだという話は有名である。そのため、まあそこそこアニメオタクに名が知られている程度の声優だと、アニメや映画の吹き替えよりイベントがメインの仕事になることもざらであった。ちなみに声優のイベントとは、キャラクターを背負わずに本人がそのオタク向けにトークをし、場合によっては企画をこなしたり朗読劇を行ったりするというものである。
わたしが応援していたAもそんな感じだったので、ある程度情報を追うようになってからはイベントに参加すべく遠征するようになった。しかしここで(わたしの中で)問題が発生する。
第一に、イベント仕事はわたしにとって望ましい(見たい)仕事ではなかった。わたしはAの声と演技に惹かれてファンになったので、特別イベントで動いたり喋ったりしているところが見たいわけではなかった。本当はもっとアニメに出たり映画に出たりして欲しい。しかしオーディションに受からなければ仕方のない話なので、せめてイベントの売り上げに貢献して次の仕事に繋がれば、という気持ちで参加していた。とはいえ、初めの頃はAの話を聞けるのが興味深くまた生朗読などもあったためそれなりに楽しんでいたと思う。それでも、あまりにもイベントの仕事ばかりが入ると次第に不満に思うようになっていく。はあ? またイベント? ということはこの時期の収録の仕事はないのか。来期は期待できない? このように、イベント仕事が入る=その日のスケジュールが空いていた=きっと何らかの作品のオーディションに落ちたのだろう、という思考になり、イベント仕事の予告を受けるのが苦痛になった。
そもそもどうしてこんなに事務所はイベント仕事を詰め込むのか。もっとオーディションに力を入れたら。あるいはオフを作ってでも演技に繋がるようなインプットをすべきでは。お喋りをして既存のファンの相手をするイベント仕事では演技力が向上し次の仕事に繋がるとは到底思えなかった。
さらに金銭面。遠征費、イベントのチケ代、グッズ代などは決してバカにならない。ただでさえ積極的に参加しているわけではないイベントなのに、こんなに出費がかさむなんて。もっと売れっ子の声優のオタクは無銭でも十分な供給があるのに(というか気楽に口を開けて待っているだけで新たな出演作を次々享受できるのに)? わたしはAの声と演技がもっと見たい(聞きたい)だけなのに。こんな風にしてどんどん不満は大きくなっていった。それじゃ、興味のないイベントには参加しなければ良いのでは。この話を聞けば誰だってそう思うだろう。でも当時のわたしはそうするわけにもいかなかった。とにかくイベントの席が埋まっていなかったからだ。
ここに第二の問題がある。イベントに行くと、ひとりで応援していただけの時は知らなかったような情報が嫌でも入ってくる。例えば、Aの熱心なオタクがどの程度いて、Aにどのくらいの動員力があるか。例えば古参のオタクの人間関係がどんな感じで誰が疎まれているか。わたしはイベントに行った結果、応援しているAがなかなかイベントを埋められず他の共演者の力を借りてようやくチケットがはけたという話や、煙たがられている古参がいることを知った(ちなみにこの古参オタクにグッズへの金銭のかけ方でマウントを取られるなどしたが、それでも他のオタクたちに陰口を言われているのは可哀想だと思った)。正直ショックだった。好きな声優を応援する上でこんな余計なモヤモヤを覚えることがあるとは想像もしていなかった。特に人間関係については深く首を突っ込まなければスルーできたかもしれなかったので、ちょっとでも社交的に振る舞おうとした自分はバカだったと思うし普通に後悔している。ただし声優イベントは昼夜公演の間に数時間程度の空き時間が挟まることが多く、この時間で交流が生まれやすいというのが罠だと思う。
とまあこんな感じで、いつしかわたしはAの仕事にものすごい不満を覚えるようになっていった。なんでオーディションに受からないのか。イベント仕事ばかりで、そのイベントの席さえ埋められないとはどういうことなの。イベントを埋めるためには知名度と熱心な新規ファンの獲得が必要で、そのためにはやっぱり作品に出演するしかない。それなのに作品の仕事がないからといってイベントばかり出て、それで肝心のオーディションには落ち、やっぱり空いたスケジュールの穴をイベントで埋める(かといって席は埋まらないが)という悪循環に陥っている気がした。さらにファンの関係だって、新規がいないから過度に煮詰まってしまって疲弊したり拗れたりしているところがあったように思う。ここでも、新規ファンがいないために固定のファンダムが形成され、それによって新規ファンがより参加しづらくなりさらにファンダムが固定化され、結果としてただただ現在の固定層が金銭、体力的に疲弊していくという悪循環がある気がした。とにかく何でもいい、作品に出て、お願い。そういった気持ちで新しくアニメ化する作品に望みをかけ、このキャラクター演じてくれないかなあと公式発表日をドキドキして待ち、玉砕。こうやって勝手に裏切られるような気持ちになることが増えていった(個人的にかなり期待していた一大プロジェクトのキャスト発表を2年近く待ち、結果そこに名前はなくてショックで4kg痩せたこともあった)。
このように現状へ不満を持つと次第にどのような感情が生まれるか。他の声優への嫉妬である。これは第三の問題であると同時に最も厄介な問題だった。
先述の通り、声優は多くの場合、作品出演権利をオーディションで勝ち取ることが求められる。つまり、わたしのようなただひとりをがむしゃらに応援している人間にとっては、同じ業界の人間は全員ライバルに見えるのである。さらに実はこの役を受けていて(落ちた)〜、のような裏話は意外と聞こえてくるものであり、だんだんと同じような声質で同じポジションの役柄を争っている人たちがどういったメンツかということなどが分かってきてしまう。Aを応援する気持ちが大きくなればなるほど、その他の同業の人への複雑な気持ちも堪えられなくなっていった。
また声優は共演した相手と仲良し売りをすることがしばしばあり、他の声優と掛け持ちするオタクがかなり多いように見受けられた。わたしのようなアンチオンリー(Aしか好きじゃない、むしろA以外はうっすら嫌い)状態と化した人間にとって、同じスタンスのオタクを探すことはなかなか難しく愚痴や鬱々とした気持ちを共有することもできない。
さらにそのような状況で、とっても苦手(マイルドに言えば苦手だが本当は嫌いと言いたい)な声優Bができてしまった。苦手になった詳しい経緯は省略するが、主に以下である。
・応援していた声優Aと同世代、かつめちゃくちゃ活躍しておりそしてわたしにはその良さが分からない
・応援していた声優Aと仲良しアピしていたくせに自分が売れた途端もっと売れている声優にすり寄るようになった(ようにわたしには見える)
・応援していた声優Aの演技を幾度となくイジる、Aのオタクも集まっている個人イベントでAの過去のやらかしエピ(大御所に演技のことでガチ怒られしたというあまり笑えないもの)をなぜか話すなど、気のおけない仲良しアピにしても度が過ぎているのでは?という発言が目立った
・わたしがAがらみで唯一仲良くなったオタクがBに担降り、しかも顔から入ったリアコらしくAを応援していた時とは明らかに違う応援の仕方(Bくゅよちよち、みたいな感じ)をしている
つまり嫉妬である。100%見苦しい嫉妬だ。自分でも分かっている。なのに一度苦手意識を待ってしまった今、本当に苦しくなってしまった。
結局、わたしは好きだった声優Aを応援するのを辞めた。費やしたお金や時間が無駄だったとは思わないし楽しい瞬間もそれなりにあったが、これ以上新規の仕事に勝手に期待して勝手に裏切られる気持ちになる、あの感じを繰り返すことに耐えられなかった。何よりAのこれ以上の活躍を信じられなくなった。
そして、Bへの強い嫉妬心と苦手意識だけが残った。Bの出演作や関連するもののSNSアカウントは全てブロックしているしワードも出来るだけミュートしている。もちろん悪口などを書き込んだことなどなく、誰にも迷惑はかけない形で最大限自衛しているつもりだ。それでも、Bを思い出させるもの(出演作の主題歌とそのアーティスト、キャラクターのグッズ、コマーシャルなど)は日常の中で幾度となくすり抜けてわたしの目の前に現れ、その度に鬱々とした気持ちになる。また新たな出演作が決まった時が最もひどい気分で、Aへの熱量はもう手放したはずなのにどうしていまだにこんなに落ち込むのだろうと泣きたくなる。現在は声優オタク界隈から離れAもBも関係ない作品にハマっていて以前よりも心穏やかにいるのだが、これから万が一にもBが関わってきたら本当にどうしようか、ということが心底恐ろしい。いっそもう何もアニメにならないで欲しい。声がつかないで欲しい。どうか、わたしの好きなものをノイズなく好きなままでいさせて欲しい。
とはいえ全てわたしが異常なのでありAもBもその他のオタクたちも誰ひとり悪くない、ということは十二分に分かっている。結論としてわたしの反省すべきところと学びを記してまとめにしたい。
・生身の人間は文字通り人格のある生きている人間であってわたしの思い通りにはならない。そりゃ仕事のない時期だってある。生きた人間に理想を重ねて夢を見るときはそのことに自覚的にあるべきだ
・お金を払うのは常にその時に受けるサービスへの対価である。例えば虚無のイベント代を払うことを将来の投資と思ってはいけない
・生身の人間たったひとりに自分の人生レベルで体重を乗せて応援することは危険。せめてそのような相手をふたり以上作り、テンションの浮き沈みに対応できるようにした方が良い。あるいは他にも趣味を作ろう
・アンチオンリータイプの人間に声優のオタクは向いていない(目に見えて競争の世界、イベントなどで嫌でも絡みを見せられるなどの理由から)
【余談】
最後に、キャラと声優を同一視することについて補足するが、もちろんその問題点については理解している。ただ一度声優のオタクになるとキャラを見てどうしても声優がチラつくという頭になってしまい、これは普通に嫌だな〜と今になって思う。本当に自分勝手な話だが、キャラクターを見ているはずなのに中の人の雑念みたいなものが入ってきてしまいアニメが苦手になった。もっとフラットにアニメを見ていたあの頃に戻りたいよう。
約12年前、中学1年生の時の話だ。落ち着いたので書いてみる。
表現上「お兄さん」と呼んでいるが、そんな呼び方をしたくないほど嫌悪感のある相手だ。
相手は当時確か22だか23歳だかそのくらいだった。妹の同級生の兄である。アニメやゲームなどのオタクで、私ともその辺りの趣味が合った。
一時期は週に2,3回ほど話していて、正直当時は楽しかった。だが当時13歳の私にとっては、あくまで近所の話しやすいお兄さんであり、全く恋愛対象ではなかった。
子供とはいえ男性と遊ぶ際に気を付けなければいけないことはわかっていたため、「2人っきりで一目につかないところにいかない」「相手の家に行かない」などはしていた。
ちなみに一個下の妹もこのお兄さんと仲が良かったのだが、部屋に遊びに行ったり一緒にカラオケに行ったりを普通にしていた。これについては当時から「小学生と2人でカラオケ行って楽しいか……?」とちょっと引いていた。
私は複数人でもこのお兄さんとカラオケに行ったことはない。妹にはあまり2人でカラオケとかに行かない方がいいと話はしていたが、小学生にそんなこと言っても目の前に娯楽があったら姉の注意なんて無視されるものだった。一応妹はこの先も何の被害も受けていない。
お兄さんには「部活のあの先輩が好き」などと、中学生らしい片思いの話をすることもあった。私からしたら本当に仲の良い近所のお兄さんだった。
だが、ある日。
2人でマンションの部屋の前で話していたら告白された。「◯◯、好き」というシンプルな言葉で、一瞬意味がわからなかったが、しばらくして告白されているのだとわかった。
普通に驚いた。だってそんなつもりなかったし、人から告白されたのが当時は初めてだった。
だから、「え?私中学生だよ?」「いや、ごめん、ちょっと……」「あと前に先輩が好きって話したよね?」などと、こちらがドン引きしているのが伝わってしまう振り方をした。当時は13歳だ、大人の対応なんてできない。
相手はそれを聞くと「ごめん」と謝ってきて、その日は解散になった。
それから直接会うのはやめた。振った相手と以前のように仲良くできないとはわかっていた。
だが、ある日お兄さんの方からLINEが届いた。「ゲーセンで3DSが取れたんだけど、いる?」という内容だった。
3DSは当時発売されたばかりのゲーム機で、欲しいなーという話をしていた。当時の子供であれば誰もが欲しがるゲーム機だった。
発売されたばかりのゲーム機がゲームの景品になっていることがあるか?と疑問に思った私は正直にお兄さんにそう聞いたら、「ごめん、本当は買った」と自白した。
お兄さんは私に3DSを渡すために、悪く言えば貢ぐために買ったのだと知った。一度告白された以上、3DSを受け取れば代わりに何を求められるか分からないので受け取りを拒んだ。それからお兄さんのLINEはブロックした。
すっぱり縁を切った後は普通に過ごしていた。
お兄さんと会うこともなかった。
そんなある日、体調を崩して学校を休んだ。
布団で横になっていると、仕事に向かう母の「なんかあったら連絡してねー」という言葉と扉の閉まる音が聞こえた。それからしばらく寝ていたら、またバタンと扉の閉まる音がした。いつもは鍵がガチャガチャ回る音も聞こえるのに聞こえなかったなとか、お母さん忘れ物でもして帰ってきたのかなとか思っていると、私の部屋の扉が開く音がした。
え?何の用?と思って振り返ると、そこにはお兄さんが立っていた。
驚いたが、当時の私は何故かやけに冷静で「え?不法侵入だよね?」と言っていた。するとお兄さんは「そんなつもりじゃなかった!」と言ってその場に膝を着いて土下座した。今思うと、一言目で犯罪行為であると指摘されて多分怖くなったんだと思う。
どうしようかと考えたあと、その日休んでいた高校生の兄を呼ぶことにした。兄は隣の部屋だったので声を張り上げれば聞こえるため、「お兄ちゃん!ちょっと来て!」と呼んだ。
こちらに来てくれた兄は、近所のお兄さんがいることにすごく驚いた後、「そこから動かないで」と言って親に電話してくれた。
母は家の鍵を閉め忘れたことを私に謝っていた。
最初は冷静に対処していた私も、もしお兄ちゃんがいなかったら? お兄さんに変な気があったら?などと後から考えて怖くて泣いた。そのためあまり鮮明な記憶がない。
警察署で話をすることになったが、私が警察の人と直接話すことはあんまりなくて、私が母に全てを話して、それを母が警察の人に話していた。警察の人と話した時に、ストーカーなんたらかんたらと書かれた被害者向けの説明資料?を広げていたので、あぁお兄さんって私のストーカーだったんだ…とその場でわかった。
他にどんな処置があったのか詳しくは知らないが、お兄さんは私の居るマンションに住むことが禁じられたらしい。
親にはこの件は言いふらさないように言われた。理由は「変なことされたと思われるかもしれないから」だった。変なことの意味は当時もわかっていた。されなくて良かったと思った。
私はそれからしばらく家に一人でいることが怖くなり過呼吸を起こすようにしまって、両親の仕事が終わるまで保健室で待機するようになった。
私の身に起きたことは以上。
今も男性には苦手意識がある。特に一方的に好意を向けられるのが苦手だ。そこから生まれる恋愛もあるとわかっているのに。
Xで何度も言われていることではあるが、基本的に子供は大人を好きにならないし、なったとしても一時的な思春期の幻想だ。だから大人が子供に恋愛感情を抱くこと自体あってはならないことだと思ってほしい。
抑えてほしい。告白しないでほしい。物を渡されても家に来られても困る。本当にやめてほしい。気持ちが悪い。と、当時も今も思っている。
私ははっきりした子供で、相手のお兄さんもそこまで気の強い人ではなかった。だから私への被害も精神的なものと住居侵入だけで済んだが、気の弱い子が気の強い大人に狙われて取り返しのつかないことになっていた場合もあるだろう。
あらゆるソシャゲに言えるがストーリーなんかどうでもいいんだよ!
一話完結のアンソロジー方式で人気キャラを毒にも薬にもならねえ脚本で動かせばいいだけ
ファンが求めてるのはそれだけ。推しキャラが動いてるのを見たいだけなの!
良いストーリー見せないと新規客がこない、とか考えてるかもしれないけど、
ソシャゲなんかにハマる低能に12話も連続したストーリーを理解できるほどの知能はない!
ソシャゲ自体が人気でかわいいキャラが人気声優の声でかわいいこと言ってれば、
このキャラ気になるからゲームやってみよう、人気あるしってなるから心配すんな!
あとは勝手にファン同士がアイテム持ってる持ってないで煽りあいしてくれるから売れる
winwinだろ!
趣味で長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた
(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)
ワイが他人を意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギーの限界。このページ数はとても長編とは言えない
50ページ以上書き進めるには、外部からのガソリンが必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある
他人を意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる
趣味なのに自分の技量を無視して無駄な見栄を張ろうとする問題は・・・まぁさておき、他人を意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、
ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・。ドラゴンボールは鳥山明の超画力でなければ成り立たない
ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルものは空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない
ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンスや新体操を見て、人間は本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画・時代劇・ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実の格闘技・武術・剣術には微塵も興味はない
じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間の身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いからである
クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか?自分が3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ
強いて言えば、人がそれぞれの自然な姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、
スポーツをテーマにしたマンガ・小説・映画で好きな作品はひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記・エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)
鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写そのもの以外がメインになっているが、ワンパンマンは村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・
というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・
なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だからだ
主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすいストーリーだ
結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやかな魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる
追記:読み直したら、主人公はド派手な綺麗な虹魔法使ってた(効果は謎。綺麗なだけかも)し、書き下ろしで物凄い質量の杖を魔法で持ち上げられるようになってたので、すごい魔法使いになる夢は叶ったっぽい
(ただ、『魔法のスターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)
『マッシュル』もワンパンスタイルの作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界でフィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している
ボーボボ を彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート/差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢/ボースティング、これらはワイも超好き
ただ、主人公のマッシュがワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあんま面白いとは思えんのよな・・・・
週刊少年ジャンプの作家なので、一定のクオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)
結局のところ、ワンパンやギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ
小説でも多分同じだわね。ワンパンやギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派の戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・
とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクションの描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる
でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品はひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定のフェチを推したいという情熱も無い
バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチも特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる
何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品(2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・
なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうからだ
ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味で長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)
ちなみに、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代の日本映画や小津安二郎の作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画、アキ・カウリスマキ、ケン・ローチ、フィリップ・K・ディック、川端康成、遠藤周作、いがらしみきお(sink/かむろば村へ/Iなど)、海外のヤングアダルト作品や児童文学、名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり、鳥山明、ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き
いわゆる巨匠/大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ、岡部閏、明智抄、奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家の作品が好き
ワイがこれらの作家の作品をそのままなぞったら誰かとの文通になりますわ・・・
ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、
なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイト・ワールド』、対象者が絞られまくっている作品だから、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本、パトレイバーの横手美智子なのよ。『ネトゲ・SFがギミックになってるサバイバーの再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい
グッド・ナイト・ワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットやAIの幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんのプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった
クソのクソの解説の演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった
横道にそれたところでおわる・・・
あいつら見た目についてロクに考えたこともないくせにこれは差別だとか言うんだもん。
だって、それじゃ考えてこなかった自分がバカってことになるもんな。
だから、とりあえず差別という箱の中に問答無用でブチ込んでしまう。
そうすれば、考えなくていいもの扱いどころか、考えている者は悪=考えてこなかった自分は正義 まで無理矢理持っていけると信じ込んでいる。
自分にとって都合の悪いものは全部差別ということにしておけばいいと思ってるクズなんだよ。
こんなもん、流行りのアニメを見るタイミング逃して見てない奴が「あれはクソアニメ!見てないけどクソアニメに決まってる!(だってそうじゃなきゃ見てない自分が間抜けってことになっちゃうじゃん!)」って叫んでるようなもんだろ。
ただの嫌な奴じゃん。
ありもしない世界に逃げ込み、存在しないキャラクターに向き合い続ける人生でいいのか。オタ活が単なる不毛な現実逃避であり、更に非オタクの方が魅力的な人が多いと気付いてしまった。
当たり前だが、現実から逃げず様々なことに向き合い続けてきた人の方が人間性が良くなりあらゆる能力が高くなる。
目の前のことに向き合う誠実さや精神力や問題解決能力やコミュ力が育つ。それに伴い、経験値や知識や知恵も溜まる。必然的に、非オタクの方が頭と性格が良くて健全なメンタルを持った人が多くなる。
(タバコや酒や異性等の別のものに逃げてきた奴はやってることはオタクと同じだから論外)
対して、オタクは人生の役に立たないアニメや漫画の知識、虚学の知識でみっともなくマウントを取る始末。それが一般社会から見てどれだけ恥ずかしいことなのか気付いてすらいない幼稚な人が多い。
また、現実よりも二次元に価値があると言ってしまう人間までいる。「現実の世界vs架空の世界」で後者が優先されるべきと言う異常さを理解してない。
現実を直視しないため、社会と大きくズレた価値観を持ち、現実には絶対に存在しない性格をした人間(キャラクター)を生み出す。現実世界で勝てない人が最後に傷を舐め合うために行きつくのがオタクワールドなのだ。
字書き、絵描き……どれだけ創作技術を上げたところでそれで高給取りになれるのはごく一部。やっとの思いで努力の果てにプロになったところで、不況の出版業界で安く買い叩かれ将来性もない。そんな人生でいいのだろうか。