はてなキーワード: くやしくとは
ライスの勝ち方教えてくださいと言った者です。増田さんありがとう!
うちのライスとはスピードが全然違うなという印象。大体、増田ライスからスピード-100したのがうちのライス(しかもうまく行ってる方)だわ。やっぱり絶対的なスピードが足りないのだろうか。
せっかくなので質問。
一回だけ、たぶん偶然だけど有馬を突破できた時があって、その時はB〜C+C+CD+Cぐらいのステータスだった。一方でBBDDCの時は突破ならず。きれいにまとまってないと何かのチカラが働いて負けるのかなと思ったのだけれど、そういう実感ってある?
正直なところ、春天ってきちんと作り込みをしていけばそんなに難しくないと思っていて、体感7割ぐらいはノーコンで突破できてる。育成ミスってると余裕で負けるけど。ただスピ450スタ500に回復金スキルを持っていればほぼ安定。
むしろ、有馬のトップガンが全然抜けなくて、トップガンが落ちてもブルボン、ブルボンが落ちてもアマゾン、という感じで毎回誰かに抜かれている。有馬のステータス、とりわけスピードが少ないことは分かったけど、もっとスタを削って春天を攻めた方がいいんだろうか。
より伸びるステータスを重視した方がいいかなと思って、つい足りてないままになってしまう傾向があって、賢さならCも行けば十分かなと思うけど、あとのステータス、特にスピードについた時は判断が難しい。そして足りないステータスで狩られる。
せっかくなので自分語りしておくと、ライスで24周して有馬×が12、春天×が8、他×が3かな(体感それぐらい)
他×とか春天×はサポカーが揃ってなかったり、継承を理解していない初期の段階や、実験で走ったりしてる時の結果なので、ほとんど有馬で潰えてると言っていい。ちなみに、URAに1度だけ行ったけど決勝で2度もゴルシに差し切られて2着だった。
質問にも書いたけど、とにかく有馬のトップガンが抜けなくて、ステータス見たらスピ580スタ600とかなってて、陣営は勝たせる気あるのかなと思ったり。ただ増田も含めて、ライスは春天が鬼門という評価が高く、もちろん異論はないんだけど、有馬が抜けなくて辛いという人ってどれぐらいいるんだろうと気になってる。良かったら春天後の身の振り方もくやしく教えてもらえるととてもうれしい。
くやしくはないが、おれも笑っちまった
とある鍵垢同人女より商業作家さんのお気持ち表明についての構造整理
https://anond.hatelabo.jp/20200712141747 さんの激おこ文章、同人女サイドでは、ひとくくりに糾弾されて普通に嫌な気持ちになったけど、気持ちはわかる。
(私は同人女ですが、かつて別名義の本名で文学系一次創作詩歌・評論を発表していた人間です。自分の作品を私物化・海賊業されて…という経験はありません)
主さんもおっしゃる通り、商業として作品を商品にした以上、それを自分のものと主張するのは難しくなります。
「作者」と「読者」ではない、お金の介在する生産者と消費者の関係は、金銭契約により生産者と使用者の関係を生み、その生産者も雇用主・被雇用者に細分化するものです。
作品の発表に当たり人の手を経れば経るほど、その作品の所有層全体に見る自分の割合がちっぽけになっていきます。
この問題を切り分けて考えると、
(1)作品を発表した
(2)ゆがめて解釈された
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
(なお、前提として、「作者」は作品を発表するにあたり企業などの商業的な発表媒体と契約を結び、「作品」は「商品」となっています。)
発信者の解釈する自作品と、受信者の解釈するその作品の間に、何らかの解釈の違いが生じることが、第一の難しさ。
・アート作品をプレスリリースした際、一方向から撮影した1枚しか写真が載らず、別の一面の情報が伝えられなかった。
・カラーの風景画を取材され、新聞にモノクロで掲載され、色味の再現が十分でなかった。
・詩吟の節回しとして本来長音が入らない箇所を、聴き手の記憶頼りのレビューで長音のように表記された。
・使用楽器の質にこだわってリリースした楽曲を、百円均一の音質の悪いスピーカーで再生された。
・ある特定のホットサンドメーカーを使った料理のレシピを、異なる製品で作った結果、焦げておいしくなかった。
ここには、「発表媒体」による不自由と、「ツール」による妨害が存在します。
いずれも、その作品の情報の伝達時の「再生」方法が、その作品を表現しきるに満たない、という問題です。
今回の漫画作品では、おそらくこうした再現性の問題はほぼないでしょうが、
【「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない】。
その結果、【本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる】。
これは、芸能人や政治家が発言した内容を任意に切り取って報道する偏向報道もそうです。
本来与えられるべき情報量に到達できないまま受信者が作品を評価することが、作品発表の第一の関門です。
「××くんは○○くんを好き。▲話で腰に手を回してるからセックスした」
「▲▲さんは実は●●ちゃんを嫌いなんじゃない?」
「●●ちゃんは本当は腹黒で、○○くんに近づく奴を陰で×してる」
二次創作は、「●●という作品の○○という人物がもしも××したら」から端を発するものです。
つまり、二次創作の原動力は、作品の「余白」と「違和感」です。
その「違和感」の着眼点や「余白」の範囲は、作者によって規定できません。
二次創作には「パロ」という文化が存在し、読み手側が「もしも○○だったら」と仮定することで、作品の余白は無限に継ぎ足されます。
さらに、「違和感」は、疑えばいくらでも生み出すことが出来ます。人の行動の裏の意味について考えすぎてしまうとか、創作に関わらない人間関係と同じように。
【「余白」や「違和感」などの、二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する】。
【作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、この「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない】。
これが第二の問題です。
少年少女が生きる意味・死ぬ意味に向き合い、あらがい、自己を実現する、人生の解の物語です。
その物語では、一人一人の死には厳然たる尊厳があり、死は尊重されるべき、という観念が少年たちに獲得され、通底していました。
しかし、その物語がアニメ化された際、監督の好みで物語の大筋が改変され、少年たちの命運も、登場人物の人生の意味も、その監督の解釈により書き換えられました。
「アンインストール」というテーマ曲が有名なゼロ年代のアニメですので、主様やこの記事をご覧の方もご存知かもしれません。
こうした、【自己解釈による横取り・ただ乗り】が、主様の同人女に対する一番の怒りなのではと感じています。
これが第三の問題です。
例えば原作ファンが実写化を叩くのも、おそらく類似した心理によるものです。
そして、このただ乗りを素人(同人女)がする場合、その目的は3つが融合しています。
「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」の3つです。
自己の考えを開示・表明することで自己を実現する。それを承認されて行為が加速する。同人イベントなどの目標を達成し、達成感を得る。
これらが融合し、「カップリング界隈」という一つの社会に生きる「同人女」としての個性を、一人の人間の中に築いている。
「趣味の活動」という、第一の人生を生きながらある程度の匿名性が担保された第二の自己を獲得することが、「二次創作界隈」では可能なのです。
しかも、その第二の自己は、第一の人生を妨げません。いざとなればアカウントを消去して関係を断てる、切り捨て可能なインスタントな人生。だから同人活動は気楽に楽しめます。
一次創作主ほどの切迫した人生・生活感が、二次創作主でいる間には、必要ないのです。
【「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である】。
これが、SNS社会の現代で、同人作品の発表がなくならない理由ではないでしょうか。
しかし、取れる策が自衛しかない小さな政府・大衆民意・経済の尊重の今の世の中では、二次創作されるのが嫌な一次創作者は二次創作嫌だ二次創作禁止と言える会社で発表するしかありません。アルファポリスとかしか思い浮かびませんが。
一次創作で金儲けしながら作品を自分一人のものとして主張したいなら、同人でやるしかない。
企業に自分の作品を買い上げてもらうことはあきらめる。企業の製造ライン・企業の販路・企業の広報、そういうものに載せてもらった時点で、作品の方針を取る手綱は自分のものではなくなる。
生活のために金儲けすればするほど、作品の権利元が分散して、作品が多くの人の手を経て連帯の所有物になっていき、純粋な「作者」の手元を離れていく。
「商」業の性質上仕方ないです。
両得で叶えることは難しいと思います。残酷ですが、主様のおっしゃるとおりですね。
これに言えることはありません。
「利益」と「権利」に対する、同人活動者の考えの浅さに直面するたび、私もくやしくなります。
公式が発表していない自作ねんどろいどの写真をSNSに発表する。
公式のロゴに類似したロゴを使ったスマートフォンケースの受注生産。
全てアウトです。公式の受け取るべき権利の横取り。公式の意図しない第三者の営利活動が原因で、立体商品が発売されなくなったジャンルもあります。
それでも横行しています。「痛い目を見ていないから大丈夫」なんですね。
私が同人活動をしている作品は二次創作に好意的で、二次創作の中でも特に禁じるものを明記したガイドラインもあり、公式サイドで映像制作に関わっている方によるファンアートの投稿も盛んです。
それでもガイドライン中で明記されている禁止行為をする人が後を絶ちません。
「みんなやっているからいい」。
公式から二次創作全面禁止のお達しが出るまで続けるのでしょうか?
そこに倫理はないんでしょうか?
ここを踏みとどまってほしい、という、主様のメッセージの最後の一文だけでも、少しでも多くの同人女に届いてくれればよいと思います。
以上。
構造の整理と言って、結局私のお気持ち表明でしたが、以下に内容をまとめます。
●まとめ
(1)作品を発表した
【問題1】「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない。その結果、本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる。
(2)ゆがめて解釈された
【問題2】二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する。作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない。
【問題3】「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である。
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
そこそこ伸びたものの、停滞したあげく「懐かしい」みたいな扱いになってるVtuberをやってる。
正直つらい。くやしい。自分と同じくらいに始めた人間や自分と仲の良いVtuberはどんどん人気になる。
Vtuberは、当たり前だが才能ある人間が多い。作曲、イラスト、動画、歌、喋りその他もろもろ。
観る側だった時は、そこが大好きだった。Vtuberになったあともそこが好きだった。でも最近はそこが苦しい。
なんで自分は絵が下手なんだろう。歌が下手なんだろう。ただ長くやってるだけで、惰性でやってるだけの、空っぽバーチャルYouTuberモドキだ。
自分を応援してくれている人にしっかりと目を向けることができていたあの頃は、今よりも登録者数もTwitterフォロワーも少なかった。だけど心はずっと温かかった。
今は、数字の上がり下がりに一喜一憂し、他のVtuberが炎上するたびに便乗してお気持ち表明する部外者Vtuberに辟易し、自分の活動では自分の力不足を毎日感じて苦しみ、心がじっとりと冷たい。
でも、今までよりも沢山の人に自分の創作物であり自分の分身であるキャラが応援されてる。だから離れたくない。
ここ以外に、多分行き場がない。価値を与えてくれる場所は多分ない。
それに、自分の活動で元気をもらったと言ってくれた人もいた。もう見てないかもしれないけど。
傷つける言葉を言って謝りもせずのうのうと活動してるあいつも、人をなんでもやってくれるマシーンだと思ってるあいつも、実力不足で身内の創作に呼ばれなかった悲しみも、全部全部全部のりこえてやる。
あの時もっと大切に扱っていればよかったと後悔させてやる。
そして、もっともっと力をつけて良いものをつくって、応援してくれている人を思いっきり笑顔にしたり、元気にしたりするのを死に物狂いでもやりつづけてやる。
価値を与えてくれた人たちに恩返しするために、どんだけ見下されても、変な嫌味言われても、ぜったいやめねえ
おわり
なぜやり過ぎてはダメなのか?
だいたい飽きるパターンは同じで
② 同じことをやっている作業に感じてくる
③ 負けてもくやしくない
①と②は自分で工夫、大型アップデートなどで解消される場合もあるが、
③の境地は完全に飽きている。
せっかく自分にとっておもしろいゲームを見つけたのなら長く遊びたいと思う。
ゲームをやってないときに、「今度はあれを試そう」、「あの場面もう少しだったな」などと想像が膨らんでるときは
楽しめている状態だと思うが、やり過ぎてるときにはそれがない。
オンラインゲームはアップデートでユーザーを飽きさせないようにしているが、
また、アップデートしたからといって飽きなくなるわけではない。
何でもできる強キャラ登場でキャラバランス崩壊などの大失敗アップデートですぐに飽きてしまう場合もある。
e-スポーツを見ているといろんな種類のゲームがあるが、あれは飽きないでそのゲームをやり続けて上手くなった人達なのかな思う。
そのゲームが好き ⇒ 好きだからやり続ける ⇒ やり続けても飽きない ⇒ 上手くなる
プロゲーマーは当然、飽きてもやり続けないとならないんだと思うが、
やり続けても飽きないってところが、最初の上手くなるポイントではなかろうか。
A. 同じゲームでも飽きない自信がある
B. 同じゲームで、飽きたがやり続ける決意がある
プロゲーマーの中には、最初はAだったけどBになった人もいるのではないかなと勝手に想像しているが、
飽きたゲームをやり続けるってホント辛いし苦行だと思う。私にはとても真似できない。
やっぱり、同じゲームをやり続けても飽きないって才能だなぁと思う。
ある作品のクリエイターだと思ってるから、そのクリエイターは四六時中その作品のことだけを考えているかのように考えてしまう
だから、読んでる作品とは別作品を連載開始とかしちゃうと、えっえっ!?作者の魂はどこにあるの?と思ってしまう
作者コメントとかで、ゲームしましたとかどこどこ行きましたとかあっても、いやそんなことやってる暇あるなら書けよ作れよと思ってしまう
いやおかしいのはわかってる
アイドルがうんこするわけないってのと同レベルのことだって気がするけど
複数作品同時並行でやられると一個あたりにかける熱量はそんだけ減ってしまうってのは絶対あると思う
他のことでインプットしてから作品でアウトプットってのもあるってのもわからんでもないんだけどでもなんかくやしくもある
おれがみついだ金で何あそんでんねんみたいな
いや俺がおかしいのはわかってんだけど
作品への魂のコメ方っつーかブラック企業の社畜並に働けと言ってるんだ俺は
そうあるべきだしそうあれるからクリエイターでくっていけてるんだろって
いってることわかってくれる人はきっといるはず