はてなキーワード: 鬼ごっことは
大半が同年代の子もちでいつも大人数で遊んでいた、5才くらい年上の世帯の兄さん姉さん達は可愛がってくれていた。
老人夫婦の世帯は庭の柿を取らせてくれたり、お菓子をくれたりした。
いつも学校から帰ると友達の家の前で○ちゃんあそびましょーと大声で呼び、道路でドッジボールやゴムとびや花いちもんめやかごめかごめや缶けりやじゅんどろをこれまた大声でやっていた。
時には自転車で鬼ごっこやろうぜーとバカが言い出して、自転車で暴走したあげくに捕まえようとしたら2台ともこけるので中止したりもした。今から思うと事故にならなくて良かった。
いつも遊んでる十字路の前にいつも雨戸を閉めている家があった。
めったに顔を見ることもなく、たまに見かけると睨み付けてきた。
その人の家の裏は川があって、横に土手がありそこではつくしや野イチゴが取れるので子供達はよく収穫に行っていた。
そこで私がまだ園に通ってない頃に事件を起こした。
近所の小さい子達と一緒に野イチゴを摘みに行って、子なしの家の裏でイチゴを見つけたのだ。
凄い本物のイチゴがある!とたらふく食べて子供達はそれぞれ家族にイチゴを土産に持ち帰った。
母は特大雷を落として謝りにいったが子なしは非常に怒っていた。
母も凄い剣幕で怒り家の前で私の尻を叩いた。
近所の婆さんが出てきて取り成してくれて、やっと尻叩きがやんだ。
後から聞いた話によると子なしは愛想が悪く近所の付き合いもなく会うと嫌みを言う変人的な位置付けだったらしく、やっかいな事をしてくれたと思っていたらしい。
そしてイチゴ泥棒家庭の母への嫌みは私が中学に行っても続いていたらしい。
今から思うと外でみたら睨み付けてくる程度で子供に直接来なかったのは不思議な感じだ。
私は子供の遊び声好きだけどあの人は嫌いだったろうに、毎日夕御飯まで家の前で大音量で遊ばれるのも辛かったろう。
あの頃に匿名掲示板があれば近所の子供達を悪し様に書いたりして子なし仲間とつるんだりもできてたんだろうな。
久しぶりに昔の家の前を通るついでに見ると相変わらず雨戸を閉じて庭も荒れ果てて住んでるかどうか解らない家だったのを見て思い出したのでメモ。
しばらく疎遠だった従姉妹からようやく送られてきたメールは結婚の報告だった。
ぼくは従姉妹のことが本当に好きだったのだ。
2つ年下の従姉妹とは小さい頃によく遊んでいた。姉妹である母親どうしが祖父の会社で手伝いをしていたためいつもお互い連れられて来ていたのだ。
まだ幼い時の話ではあるが、親戚同士で旅行に行けばいつも二人で手をつないで歩いていたし寝る時ですら同じ布団に入っていた。
長女である従姉妹は兄が欲しくて、末っ子であるぼくは妹が欲しかった。そんな思いが一致したためか二入は本当の兄弟のように仲が良かった。いや兄弟以上だったかもしれない。
長女らしく優しいおっとりとした性格は、従姉妹をいつもにこやかな笑顔にさせていた。
兄弟の顔色ばかりみていた末っ子のぼくにしてみれば、ぼくの行動を無条件に笑顔で受け入れてくれる従姉妹は、隣にいてくれるだけで安らぎをもたらしてくれる存在だった。
ぼくはそんな従姉妹のことがいつのまにか本当に好きになってしまっていたのだ。
祖父が会社をたたんでしまったことで顔を合わす機会は減ってしまったが、小学生になっても休みになればお互いの家を行き来し、母親同士の仲が良かったこともあり旅行なんかもよく一緒に行ったものだった。
そんなある日、久々に親戚同士が集まることになった。
鬼になったぼくはちょうど目の前いた従姉妹の身体を抱えるように捕まえたのだ。
その時ぼくの両の手飛び込んできたのはわずかながらも確かな胸の膨らみだった。
従姉妹は戸惑うぼくの手からそそくさとぬけ出すと、そのまま鬼ごっこをやめて離れていってしまった。
その日を境に従姉妹は親戚の集まりから遠ざかるようになり、中学校に上がる頃には全くと言っていいほど顔を出さなくなっていた。
それからも会う機会を探してはいたものの、本当に理由を見つけることができなかった。
ただ会いたい。それだけでよかったのかも知れない。しかし、従姉妹という関係がそれを許してはくれないような気がしたのだ。
その後は人並みに女性ともお付き合いをしたが、従姉妹よりも魅力的と思える女性には出会うことはなかった。
忘れられないまま、それでいて会う理由もないままにいつの間に時間だけが過ぎ、ぼくは実に30も後半を迎えるまでの歳になってしまった。
いつまでも結婚しようとしないぼくに母親はしびれを切らせ会えば小言を並べてくる。
そうこうしている間に、とうとう母親の知人の紹介でとある女性とお見合いをすることが決められていた。
会ってみて驚いたのは、その女性はなんとなくではあるが従姉妹の面影を持ち合わせていたことだった。
その頃、従姉妹もまだ結婚をしないままだった。だが、散々に悩んだ結果、ぼくはその女性との結婚を選んだ。
結婚後すぐに子供にも恵まれ、人並みに幸せを噛み締めていた頃に悲しい知らせが舞い込んできた。
伯父である従姉妹の父親が病に倒れたのだという。しかも残念ながらその病は回復の見込みがないものだった。
母親とともに駆けつけた病室には、ぽつんと従姉妹は座っていた。
看病で疲れたためかすこしやつれて見えたが、すっかり一人の女性に成長した従姉妹はただただ美しかった。
そんな従姉妹は、ぼくに気づくと悲しさを見せまいと力なく笑ってみせたのだった。
その笑顔があまりに綺麗で、従姉妹に対して抑えていた感情の堰が音を立てて壊れていくのがわかった。
やはりぼくが好きなのは従姉妹だった。その気持に蓋をして得た幸せが間違えであることに気づいてしまったのだ。
しかし今更それをどうすることもできない。新しい命を前に、それが望まれていなかったものだなんて言えるわけがないのだ。
程なくして伯父さんが他界した知らせが届いた。
葬儀に顔は出したものの、ぼくは従姉妹に合わせる顔など持ち合わせているはずもなく、言葉を交わすことはなかった。
それから数年、従姉妹とはまた疎遠だった。それこそ連絡をする理由がなかったのだ。
ぼくは気づいてしまった真実をまた心の底奥深くに埋め戻そうと、必死で家族と向き合っていた。
そんな従姉妹から久々にメールが送られてきた。内容は結婚の報告だった。
ぼくの気持ちを知ってか知らずか、結婚式でカメラマンを頼みたいということらしい。
どこで聞きつけたのか、疎遠だった割にぼくが趣味で写真を撮っていることを知っていたようだ。
もちろん断る理由はなかった。
なぜなら、ウェディングドレスの従姉妹を、誰よりも、それこそ新郎よりも近くで見ることができるのかもしれないのだから。
その後もメールで少しのやり取りをしながら、最終的な打ち合わせは当日に顔を合わせてからということになった。
逃げ出したい気持ちがなかったわけではない。こんなに私情にまみれたままで写真なんて撮っていられるものかという疑問がいつも頭の片隅にはあった。
そうして当日、チャペルの中でホテルの関係者と打ち合わせをしていると、純白のドレスに身を包んだ従姉妹が母親に手を引かれながら入ってくるのがわかった。
挨拶もままならないままに思わずカメラをむけると、従姉妹はあの時のようにまた力なく笑ってみせたのだった。
そうして今ぼくの手元には千を超える写真が手付かずのままにデータとして並んでいる。ただ一枚、その時の笑顔が収めらた写真の調整を終えたところで、他の写真に手を伸ばせずにいたのだ。
従姉妹がこの笑顔を見せたのはこの時限りだった。それ以外の写真には感動の涙と笑顔が溢れているが、それを見るのは、ぼくにはただ辛く感じられてしまった。
式場で初めて新郎を見た時に、ぼくはハンマーで殴られたかのような衝撃を覚えた。
なぜならギョッと思えるのほどに新郎がぼくに似ていたからだ。それも顔や表情だけではない。言葉の選び方や身振り手振りまで、本当に気持ちが悪くなってしまうほどに似ていたのだ。
誤解かも知れない。独りよがりかもしれない。
でもきっと、従姉妹はぼくのことを好きでいてくれたのだ。ぼくが会いに行くのを待っていてくれたのだ。
なのにぼくは、世の中の常識だなんてつまらないことに遠慮して、従姉妹を困らせてしまうかもしれないなんて都合のいい解釈をして、逃げてしまった。
あの時、父親の病室で見せた従姉妹の笑顔は、あきらめを受け入れる笑顔だったのだろう。もう助からない父親の死を少しでも前向きに受け入れるためのスイッチが入る瞬間の笑顔だったのだ。
だとすれば、従姉妹が純白のドレスに身を包んで現れた時に見せた笑顔も同じものだろう。
ぼくへの想いと期待とを、もうあきらめたのだということを教えてくれるための笑顔だったのだ。
なんのことはない。
結局は、ぼくが一番に望むものを手放していたのは他でもないぼく自身だったということだ。
きっとこの写真を従姉妹に渡すことはないだろう。それどころか、他の誰ひとりにだってこの写真を渡すつもりはない。
10年ほど前だろうか。自分がまだ独り身の時に、お酒の勢いを借りて従姉妹の携帯に電話をかけたことがあった。
聞けば流星群を見に遠く離島へのツアーに参加しているとのことだった。
そんなぼくを疎ましくもせず従姉妹は電話に答えてくれたのだった。
仕事の合間に話題の図書館のツイートを耳に挟んだから久しぶりに思い出したことがあるの。
真っ当な理由があったわけじゃないのよ。人とお話しするよりも、空に浮かぶ雲を動物にたとえて遊んだり、みんなで校庭で鬼ごっこするよりも図書室でサーカス団にはいって冒険するのが好きだっただけなの。それでも、今よりももっと“ふつう“が正しいという風潮だったから、“ふつう“じゃない私は先生にとってもクラスメイトにとっても、目の上のたんこぶだったみたい。5歳の時優しい母親と死別していたからね、忙しい父と二人きりの暮らしだったの。父は確かに私に愛情はあったのよ。私が1人にならないようにってシッターさんや家事手伝いのお姉さんたくさん来てくれたけれど、それも“ふつう“じゃない原因だったみたい。片親だから、ダメねって。隣の席の高橋くんのお母さんが言ってるのを聞いちゃったこともあったの。
今思えば、不登校なんて大したことじゃないわ。そうでしょう?学校で真っ当に学んだって人は失敗するもの。学校がそこまで偉い場所なんて思わない。それでも最初の頃は頑張ったの。それでも疲れちゃって、また悪口言われるのかな、とか。今日は何を隠されるんだろう、とか。朝起きると気持ちが悪くなっちゃって、足が震えちゃって、ベッドからでれなくなっちゃったの。だから、私逃げたわ。
結論から言うとね、逃げて正解だったわ。だって逃げなかったから潰れちゃっていたもの。ぺちゃんこにペラペラに空気が抜けたように潰れちゃっていたもの。学校に行かなくなってもね、勉強はきちんとしたわ。高校は偏差値の高いところへ行ったから、前よりは辛くなくなったの。それでも学校ってもの自体に苦手意識があったからね、休むことなく行ったなんて嘘はつけないけれども。でもテスト期間は行ったし読書好きな友達もできたの。大学はもっと楽しかったわ。だって勉強しかしなくてすむんだもの。みんな他人のことなんて気にしてないわ。あの赤門をくぐる時、初めて心地の良いドキドキを味わえたの。
私は今、読書好きを生かして翻訳家をしてるの。大学でちょっと珍しい言語に出会って、現地に行って、仕事をして、現地の素敵な人と結婚して、子供もいるわ。私は学生の青春を知らないわ。でも、そんなもの知らなくても私は今幸せよ。逃げることは攻撃よ。さぁ、逃げて。今辛いならそんなもの捨ててしまいなさい。
不思議な夢をまた見た.
また見た,というのはこれまた変な言い方になるんだけど
その夢を見た時に,「あ,俺 この夢まえにみたことあるなあ」と思い出した,と表現するのが適切だ.
ある洋館みたいなところで俺は弟と遊んでいた.
そこでは弟のほうが上手に魔法を使えたり,宙を飛んだりして
明らかに俺よりも優れていた.
当然俺は,弟に追いつかれ,鬼ごっこが終わった.
「兄さん,太ってるから追いつかれるんだよ」
これを言われた瞬間,俺はキレた.ブチ切れた.
現実では俺はキレたことがない.温厚だと言われている.
それがこの瞬間には,心から怒りが湧きでた.
この気持ちはどう説明したらいいのか? 何もかもがどうでも良くなって,誰かれ構わず迷惑を掛けたくなる.
迷惑をかけて,俺をこういう状況にしたことを後悔させてやる!
俺に謝るまでどこまでもやってやる!
という気持ちになる.
夢の中でおれは柿ピーを床にぶちまけた(やることが情けない)
柿ピーはあれだけかわいがっているネコにもぶっかけてしまった.
それを見たばあちゃんが,すごく困った顔している.
ちょっとかわいそうになって,ネコの顔についた柿ピーはとってあげた.
今回はこの夢をたまたま見た瞬間に目覚めたので,それをメモしておいた.
弟へのコンプレックスから,ブチ切れる夢を俺は何度も見ている気がする.
おそらく寝ていることで,理性の一部がOFFになり,抱えていたコンプレックスが抑えきれなくなるんだと思っている.
その気持ちは他人ごとじゃなんだなと思った.誰でもそうなり得るんだ.
今,安定している人だって何かをきっかけに心の闇が抑えきれなく事があるんだと思う.
闇がないんじゃなくて,今たまたま抑えきれている.
そう思うことにした.
誰かが決めた不完全な法律に少し触れた(可能性がある)からって何だというのか。人やものが傷ついているわけでもないのに。楽しんでる人達とあなたの心、どちらがきれいなのか。
俺もどうしても気になって茶々入れる側の人間(それが正しいと思ってたし)だったけど最近心が大きくでもなったのか以上のように考えるようになった。
作る人達が食えなくなる(かもしれない)という理屈はもちろん今でもわかる。だけど音楽を作って儲けようという発想自体が何か邪なものではないだろうか。音楽はみんなのものだし外からのインプットと好奇心と偶然の産物だ。音楽理論だって先人達が考えたものだ。
音楽は音楽家が作ったものではなく与えられた遊びにすぎない。鬼ごっこをしよう俺鬼やるから逃げるだけのお前らは金払え。音楽家はそう言っているのだ。
ある童貞の一日。
家族よりも早く起床した彼は、窓をあけて清々しい空気を思いきり吸い込むと、「よし、今日もがんばるぞ」と心の中で意気込む。
まだ誰も起きて来ないのを確認して、こっそり父親の部屋のゴミ箱から見つけたエロ雑誌でオカズを探す。
口角をわずかに上げて、鼻息をあらげる彼は、浮世の煩わしさなどまだ見つけたばかりだ。
今日は学校で友達とどんなことをして遊ぼうかな、やっぱり鬼ごっこがいいなあ、きのうの休み時間は女子の机をタッチしてエロ菌とか発生させたけど、あのとき脇を通った花子ちゃん、ほんとうにいいにおいがして、僕だけ笑っちゃったんだよね。うへへ、うへへへへ。
思い出し笑いをする姿もかわいらしい。
やば、もうこんな時間だ、と時計を見て焦る彼は、ベッドの下に収集したオカズを隠すと、こんどは自分の準備に取りかかり、ようやく起きてきたお父さんとお母さんに「おはよう。いってきます」と言って一足先に家を出る。
まだ恋を知らないけれども、あこがれは抱いているので、男と女がキスする場面などを読むと、顔を真っ赤にしてうっとりした心地になる。このとき少し立って少しばかり慌てる。
もちろん友達も童貞だから、恋の話はするとしても女性器の形を想像する程度の微笑ましいもので、たいていは妖怪ウォッチやポケモンの話になる。
友達の中でも断然に奥手な彼は、女子からの人気も高いけれども、柏木由紀が目の前に現れるまでは貞操を守り抜くと心に決めているので、休み時間は全力で友達とプロレスの技をかけあう。
むろん告白を試みる女子もいるが、彼はそのたび「タイプじゃないから」と断った。
家に帰ると、いつもならデュエルモンスターズのデッキ整理をするが、この日は終日暑かったため、さきにシャワーで汗を流すことにする。
下着を脱いで「友達はチン毛が生えたって自慢してたな」と思いながら、だれも入ってこないのにタオルを巻いて湯船に入る。
きょうの学校もたのしかったなあ、花子ちゃんってほんとうにいい匂い、ぐふふ、ぐふふふふ。
透きとおるような純白の肌を思い出して、いっそう妄想が神々しくなる。
秘部がいちばん大事な箇所だけれども、彼はあえて大切なところには手を付けない。
楽しみは後にとっておきたいから。
でも、つねに清潔で、臭くはないのである。
適当に改変した。
現実は知らない。
[ご意見のお礼]
みなさん、いろいろご意見ありがとうございました。少し補足しますと、
実際、うちの近くの公園は軒並みダメで、学校も放課後でも上級生が授業中とかでボール遊びはできません。
グローブやボールの持ち込みも禁止されてます。校庭解放は月に一度だけ土曜の午後のみで、ここでもボール遊びは
できません。野球やサッカーをしたかったら「習いに行く」しかないようで、そういえば大勢の子どもが習いに行っています。
ちょうど大阪市長選があります。この声が届くことがあればいいなと思っています。みなさんありがとうございました。
皆さんの家の近所にはキャッチボールができる公園はありますか?
本格的な野球でもサッカーでもない、ちょっとした子ども同士のボール遊びができる場所がないんです。
ちなみに大阪市です。
子どもがマンションの敷地内の小さな公園でキャッチボールをしていて管理人に叱られ、(管理不足ですみませんでした)
近所の公園でやりなさい、といって行かせてたら、数か月して掃除のおじさんにここもボール遊びはダメだ、と叱られて帰ってきました。
子どもたちがいつもDSをもって公園のベンチで座ったままなのをみて、もっと体をうごかして遊んだら?とキャッチボールを
勧めたものの、このありさま。
何をすればいいの?と聞かれたので、うーん、鬼ごっことか、縄跳びとか・・・でつまってしまいました。
子どもにもっと体を動かせ、とか、ゲームばかりするな、と大人は一方的に要求しますが、
キックスケーターとかスケボーだって、道路が危ないってわかってます。
だけど、やっていい場所がないんです。
実際のところ、マリオ、ゼルダ、マリオカート、スマブラ、そいつらは面白いゲームというだけじゃ許されないからなぁ。
革新的、そのジャンルで最初の作品にして最高傑作、誰も思いつかないし、パクろうとしても、劣化コピーにすらつくれない、そういうレベルのクォリティを要求されてる気がする。
一世を風靡したストリートファイター2以降、スト2ライクな格ゲーがあっちにもこっちにも出てきて、けっこう肉薄するものがあったけれど、ゼルダライクな作品がゼルダに並んだかというと、かなり疑問符がつく。
聖剣伝説はゼルダにあこがれて作ったのがはじまりとかなんとか。
なるほど、だから初期はムチを向こう岸の杭に向かって振って、川を渡ったりする仕掛けとかがあったのか。
呪文乱発するだけのFFになり、殴り倒すだけのファイナルファイトになり、ゼルダとは全く別方向のよくわからない作品となり、ついに4でシリーズごと黒歴史としてなかったことになってしまったのは残念だが。
大神、ワンダと巨像、いずれも悪くない作品ではあるけれど、頭ひとつ以上ゼルダが上だったと思う。
面白いことゲームを考える人というのは、それこそ呼吸するように面白いゲームを考えられるのだと思う。
子供が新しい鬼ごっこのルールを考えるように、なにもないところから、唐突になにかが生まれる。
面白いだけでいいなら、今すぐに作れるんじゃないかな。
スーパーマリオブラザーズ3を思い出してほしい。
例えば自分が開発者だとして、「ファイヤーマリオで火を出したから、次は水とか雷でも出させるかなぁ」って思っちゃうと思うんだ。
そこを、しっぽマリオとか、クツマリオ、地蔵マリオ、凡人には考えつかないし、俺が上司だったら企画書破り捨てるね。
悔しいことに、スーパーマリオブラザーズ3は超面白かったんだけどさ。
話を戻して、ニンテンドウ64以降、ただ面白いだけじゃ済まされない、レジェンド級のソフトであることを要求されてる。
64、GCではゲームを変えること、Wiiでは遊び方を変えることを宿命付けられていた。
WiiUでは、リビングを変えたり、生活を変えるほどのなにかをしたいんだろうね。
残念ながら、僕みたいな凡人には、そんなゲームが思いつかない。
作り方によってはそうでないんですよ
もしも
選択肢2「船」
選択肢3「陸伝い」
そのどれかを選択しなさい
という作り方をした場合
「朝鮮半島までフェリーで行って、大陸に上がってからは北上してロシアまで。」
と言う選択肢は無い
そこに「飛行機」、「船」、「陸路」と言うものを作っただけの場合だったらどうか
そこにあるものは、世界と言う「空間」と、空間の中で使う事ができる「手段」だけ
そこでのプレイヤーの行動は自分で下した選択であって選択肢を選んだ訳ではない
プレイヤーの選んだ選択によってどう分岐するかが決まったのであって、あらかじめ作られた選択肢の中から選んだ事で分岐した訳じゃない
そこで選択肢≠分岐
もしも究極的に考えればプレイヤーが日本からアメリカにいきたい時
そこに移動する事の出来る飛行機と言う物と船と言うものがあります
最初はただそれだけ
飛行機でも船でも
歩いてでも、泳いででもいける
この例で、作者が作ったのは、「日本の場所」と「アメリカの場所」と「飛行機」と「船」だけ
後はどう行動するかプレイヤーの判断
選択肢としてシナリオを作るとプレイヤーが選択肢1「飛行機」だったら「飛行機を使ってアメリカまで到着する」までのシナリオを作らなきゃいけない
選択肢が複数あるのならその選択分全部を作らなきゃいけない
分岐とは、プレイヤーの行動したフラグによって変化するものです
「日本の場所」と「アメリカの場所」と「飛行機」と「船」だけが作られた世界でプレイヤーが飛行機のチケットを買ったか、船のチケットを買ったか
それらに対して、プレイヤーから見えない部分で何かが変化します
それが分岐
選択肢としてシナリオの分岐を作った場合プレイヤーの行動をどこで何をするのか全て完璧に監視して管理する必要があります
シナリオから外れたら困るからシナリオどおりにプレイヤーを動かすためです
でも分岐するかどうかだけ、だったら、「どの行動をとたっか」「何をしたか」「何をしなかったか」しか監視する必要は無いので
労力もかからない
そしてプレイヤーも束縛されていないので自分の判断こそが意味のあるものになります
作ってる人が監視するのは、プレイヤーの見えない「何々をやったか(やってなかったか)」「何々を通ったか(通らなかったか)」「何々をもっていたか(持っていないか)」
プレイヤーの通ってきた結果だけ
プレイヤーのこれからする事なす事全てを制御しようとするから作業が膨大になるうえ、限られた選択肢しか出来なかったりする
なのでルール上で許される監視されてる条件さえ整えれば想定外の行動だって許されるのです
ゲームが分岐で表現されるのは、分岐する事そのものに面白みがあるからです
例えばポーカー
プレイヤーは自由に出来る
作る側は場所とルールを与えるだけでプレイヤーは何をするのも自由
それを選択肢には限りがあると考えてる人は、こう考える
スリーカードを作る為のカードの残し方と、フラッシュを作る為のカードの残し方以外に選択肢が無い
だからもともと、その二つを強制的に選ばされる
そのプレイヤーによってはもしかしたら全てのカードを取り替えたいかもしれないし
思いもよらない手を考えるかもしれない
しか頭に思い浮かんでいない作者は、スリーカードで勝つか、フラッシュで勝つかしか選択肢を与えない
もともと何を残し何を捨てるのかはプレイヤーの自由だったはずです
ルールによってのみプレイヤーは束縛を受け、ルール上ならどんな行動も許される
但し、それらには全て結果が伴う
最後に残った役でのみ「分岐」する
同じ数字のカードが3枚あったか、同じ絵柄のカードが5枚あったか
そこで結果が出て
そしてその選択と結果を繰り返す事で最終的にどうなったか
製作者が意志をもってプレイヤーの結末を決めていてプレイヤーがそのレールに乗るだけだったらつまらない
製作者がするのは判定だけ
または裁定
プレイヤーのやった事に対して
あなたは条件を満たしたのでこうだ
あなたは条件を満たさなかったのでこうだ
その結果、分岐が発生する
だからプレイヤーは自分にとって都合のいい結果または分岐に進む為に試行錯誤を繰り返す
それがゲーム
火事で火が迫って来る
兎に角、出口を目指すか
鍵を先に探して来るか
自由
但し出口に付いた時、鍵がかかっていれば出られない
火が広がっているなら戻れない
もしも出口に来た時、鍵を持っていればそのまま出られる
もしも鍵を持っていなければ出られない、その時はもう火の手が迫って戻れない
それが自分の選択によって生じた結末の分岐
もしも必ず鍵を探してから出口を出る
鍵を取るまで出口に向かう事が出来ない
と言うシナリオが固定されていればプレイヤーは何の判断もする必要が無いのだからプレイヤーとしている必要性がそもそも無い
自由な場所とルールが与えられていても、裁定を下す存在(人=作者)がなければつまらない
人は自分がした事が正しいのか、間違ってるのか、その答えを求めたがる
その答えを与える存在がなければ何をやっても暖簾に腕押しでやってる人は意味を感じない
自己満足がいいところ
良い、悪い
良いの後にはどうなるのか、悪いの後にはどうなるのかそれが分岐
良いいの後ももう一度、良い選択が出来るかもしれないし、そうはならないかもしれない
悪いの後まだ続きがあるかもしれないしそのまま終了する事だってある
そういうツリーをたどって一番の良い結末を目指すのがゲームの本質
または、悪い結末はどうなるのかを怖いもの見たさで見るのも楽しみの一つ
小学生のボランティア活動の事務局とかしてる。ボランティアで。
だいたい朝に集まって、昼飯食べたら解散。
この前、昼飯食って、一時半に終わったので解散したのだけど、終了を2時にアナウンスしていたので、親の迎えを待つ女の子が五人くらい残っていた。
僕は昼飯の片付けをしながら見ていたのだけど、なんか鬼ごっことかしていた。
天気がよくなって、暑い。
「ビールっておいしいの?」
近くにいた女の子が耳聡く聞いてきた。
「いや、うまいね。でも、飲まない方がいいよ。俺も酒なんか覚えなきゃよかったって思っているし」
本音を返す。
「私のお父さんは毎日五本飲んでるよ」
はあ、豪傑ですな。
「でもさ、ビールが一本250円として、毎日一本飲んでも十日で2,500円だよ。一ヶ月7,500円。君のお父さんはその五倍だから40,000円近く毎月ビールを買ってるんでしょ。ほら、なんかそう考えたら勿体ないでしょ」
少なくとも子供の前で飲酒礼賛はしない。そのくらいには良識がある。
「一回癖になったら俺みたいに、毎日お金を使うことになるからね。タバコとお酒は最初から覚えないのが一番いいよ」
他の子達も集まってきていたので、僕はみんなに向かって言った。
「私は、大人になったらタバコ吸うよ」
一人、意見が違う。
なんで?
「かっこいいじゃん」
ああ、見解の相違。回りの少女達は「ええ、かっこよくないよ」と反対意見を口にしている。それでも、その子はかたくなに意見を曲げない。
でも、なんて言えばいいのかうまく言葉が出なかった。
複雑な家庭の子だ。
もしかすると、母親が喫煙者なのかもしれない。喫煙者と、喫煙行為自体を否定する発言は避けたかった。
「一箱400円で、毎日1箱吸うなら、一月12,000円かかるんだよ」
結局、経済性についてのみ、僕は語ってあとは話題を変えた。
・
デジタルネイティブはほんとにネイティブ、生まれつきなのかなと疑問にがふとよぎったことがある。生まれた時にPCが隣にあれば放っといても使い出して、いつの間にかコーディングを始めて、行く末はWebサービスを支えるエンジニアみたいな。デジタルネイティブを足らしめる要素は枕元に情報機器を置くことだけなのかって。
TechCrunch Japanの記事はそんな自分の疑問に答えるものだった。
Naverまとめで新世代ェ・・・デジタルネイティブの恐るべき生態なんて見かけると、iPadを与えた全ての子供たちが何も教えなくても自然に使い方を覚えて、勝手にデジタル環境に適応していくように思える。幼少時代、外で誰に教わることもなく缶けり、鬼ごっこ、お人形で遊んでいたように。
デジタルネイティブなら当たり前にできて当然じゃないの?と見過ごしがちだけど、デジタル機器もまた単なる道具。見るだけで使い方がわかるアフォーダンスデザインなんて存在しないんだ。誰かが使うのを見て知らず知らずのうちに子供は使い方を学んでいく。ある日突然しゃべりだすように。でも、それだけだ。コミュニケーションが場数を重ねて上達していくように、人と交わりあって自然と人間関係の難しさを覚えていくように、デジタル機器もまた教える人、教わる関係があって初めて学べることはすごく多いんだと思う。まとめを見ていたら、デジタルネイティブはすごい、すごいともてはやす裏に、自発的に歩む可能性に全てを押し付けて、教えることを放棄してるんじゃないか、なんてことを勝手に考えて勝手に暗くなった。
大学が推奨してたiBookG4を買ったはいいけれど正直持て余してたのでそれっぽいことをしなければと思ったからだ。
その最初の受講日、スライドを見ながらぼちぼち打っていた時、後ろからちょんちょんと肩をつかれた。
「漢字、かな」の変換はコマンドキーとスペースの両押しでできるよ。
スペースキーの隣にある林檎のアイコンを押してみてと言われるがままに実行すると、
...それまではマウスボタンでわざわざ右上にもっていって逐一切り替えていた私。Windowsと比べて、右クリックのボタンはないし、「半角/全角」のボタンもないし、UIもおかしいし、@の位置は違うし、起動の音はでかいしとMac使いづらい理由のトップ5が初めて切り崩された瞬間、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
後に友人になる彼にはその後もいろいろ教えてもらった。ジョブズの名前を初めて知ったのもその一つだ。彼の死亡が報道されて、名前が連呼するようになった後、初めて正しい発音を知った。他にも似たようなことがあったので当時の彼は自分と五十歩千歩だったのかもしれない。だが、yahooで質問することを覚え始めた自分には、顔が見えるだけで安心するかけがえのない貴重な師だったことは間違いない。予断だけど、ウェブの善意が最初は怖かった。どこの馬ともしれない自分にどうしてこんなに親切に回答をくれるの?とあの頃は不思議でしょうがなかった。そんな自分が今増田で書いているのがひどく可笑しい。ここまで来るのに義務教育と同じ時間がかかってる。ここまで来てなんで増田なのか、振り返らないこともないけど、私の人生の分岐点を担ったのは紛れもなく友人だ。YahooによるTumblrの買収について、Gizmodoの記事読んだ?そんな話を振ってくれる彼は今も私の前を走り続けている。
ショートカットキーの一つや二つ、普通は勝手に覚えるものじゃないかと思う大半の方にとっては奇妙な話なんだろうけど、少なくとも私にとってショートカットキーは教わるものだった。教えてくれる教材はウェブにいくらでも用意されているけど、「ショートカットキー」という言葉を知らなければたどり着くこともない。yahooポータルのホームページには「ショートカットキー」という言葉は載っていないから。だから、無知に気づくこともない。知らないことを知らないから。
勉強をするための教材も、
全部ネットにはあるけれども、
ただあるだけ。
そこへ行くのは誰でもない本人の意思だけど、
本人の意思じゃない。
その動線はやっぱりリアルなのかなと思う。リアルの知り合いでフォローしていたら偶然回してきたリツイートで知らなかった世界を知った時にそこで新たな世界を知るか知らないかを決めるのは、今までに築いたリアルなソーシャルの環境だから。デジタルネイティブと言われ、みんながみんな、同じような情報機器を所有する中で、私たちの世代には予想だにしなかった"格差"がこれから生まれるのかな。
1. 2504 27,916 2011年04月28日 大帝国 ALICESOFT
2. 2273 26,268 2011年10月28日 ワルキューレロマンツェ[少女騎士物語] Ricotta
3. 2271 25,652 2011年04月28日 穢翼のユースティア August
4. 2029 24,420 2011年05月27日 カミカゼ☆エクスプローラー! クロシェット
5. 2006 27,180 2011年09月30日 恋騎士 Purely☆Kiss エフォルダムソフト
6. 1896 22,920 2011年04月22日 神採りアルケミーマイスター エウシュリー
7. 1498 17,752 2011年08月26日 ランス・クエスト ALICESOFT
8. 1415 24,424 2011年06月24日 Rewrite Key
9. 1313 18,268 2011年02月25日 グリザイアの果実 FrontWing
10 1167 15,560 2011年10月28日 恋色空模様 after happiness and extra hearts すたじお緑茶
11 0986 10,120 2011年04月28日 sisters~夏の最後の日~ Jellyfish
12 0945 13,676 2011年01月28日 黙って私のムコになれ! ensemble
13 0884 09,432 2011年05月27日 愛しい対象(カノジョ)の護り方 AXL
14 0870 22,099 2011年12月22日 WHITE ALBUM 2~closing chapter~ Leaf
15 0868 13,676 2011年12月22日 あっぱれ!天下御免 BaseSon
16 0801 09,308 2011年05月20日 へんし~ん!!!~パンツになってクンクンペロペロ~ May-Be SOFT
17 0796 10,020 2011年04月15日 11eyes-Resona Forma- Lass
18 0777 09,632 2011年02月25日 ラブラブル~Lover Able~ SMEE
19 0760 10,040 2011年09月02日 未来ノスタルジア パープルソフトウェア
20 0738 09,284 2011年09月30日 your diary CUBE
21 0729 09,396 2011年05月27日 STARLESS(スターレス) Empress
22 0708 10,376 2011年06月24日 LOVELY×CATION 暁WORKS-響-
23 0690 09,872 2011年07月29日 いきなりあなたに恋している 枕
24 0659 08,892 2011年07月29日 いろとりどりのセカイ FAVORITE
25 0652 08,252 2011年11月25日 晴れときどきお天気雨 ぱれっと
26 0650 07,820 2011年08月26日 ダイヤミック・デイズ Lump of Sugar
27 0648 08,516 2011年09月30日 Lunaris Filia~キスと契約と深紅の瞳~ Whirlpool
28 0628 07,120 2011年12月22日 真夏の夜の雪物語 -MIDSUMMER SNOW NIGHT- EX-ONE
29 0616 11,140 2011年11月25日 Strawberry Nauts -ストロベリーノーツ- HOOKSOFT
30 0608 08,132 2011年10月28日 恋愛0キロメートル ASa Project
31 0607 06,156 2011年07月29日 禁断の病棟~特殊精神科医 遊佐惣介の診察記録~ アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT
32 0587 04,392 2011年01月28日 カスタムメイド3D KISS
33 0584 07,348 2011年01月28日 妹ぱらだいす!~お兄ちゃんと5人の妹のエッチしまくりな毎日~ MOONSTONE Cherry
34 0580 08,776 2011年05月27日 恋ではなく ――It’s not love,but so where near. しゃんぐりらすまーと
35 0580 08,156 2011年09月30日 らぶ2Quad ま~まれぇど
36 0563 08,024 2011年09月30日 神咒神威神楽(かじりかむいかぐら) light
37 0534 07,412 2011年09月22日 シュクレ~sweet and charming time for you~ 戯画
38 0530 06,664 2011年02月25日 三射面談~連鎖する恥辱・調教の学園~ BISHOP
39 0526 06,608 2011年03月31日 鬼ごっこ! ALcot
40 0519 11,472 2011年12月16日 輝光翼戦記 銀の刻のコロナ ETERNAL
41 0512 06,864 2011年08月05日 裏教師~背徳の淫悦授業~ BISHOP
42 0490 07,248 2011年06月24日 舞風のメルト -Where leads to feeling destination- Whirlpool
43 0490 06,056 2011年06月24日 雪鬼屋温泉記 ソフトハウスキャラ
44 0473 07,948 2011年03月31日 つよきす3学期 CandySoft
45 0469 05,836 2011年01月28日 極道の花嫁 GALACTICA
46 0459 05,384 2011年06月10日 キミとボクとエデンの林檎 ALMA
47 0447 06,820 2011年09月30日 SuGirly Wish HOOKSOFT
48 0443 06,412 2011年07月29日 Princess Evangile~プリンセスエヴァンジール~ MOONSTONE
49 0429 05,960 2011年05月20日 CURE GIRL Noesis
50 0422 05,652 2011年06月24日 Hyper→Highspeed→Genius ういんどみる
51 0419 04,740 2011年04月28日 SHUFFLE! Love Rainbow Navel
52 0417 06,404 2011年01月28日 星の王子くん Leaf
53 0416 05,600 2011年07月29日 君を仰ぎ乙女は姫に PeasSoft
54 0402 06,684 2011年02月25日 Flyable CandyHeart ユニゾンシフト:ブロッサム
55 0400 05,240 2011年07月29日 時を奏でる円舞曲(ワルツ) でぼの巣製作所
56 0398 06,840 2011年11月25日 ソニコミ ニトロプラス
57 0397 06,028 2011年06月24日 マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ02 アージュ
58 0393 04,684 2011年08月26日 姫騎士オリヴィア~へ、変態、この変態男! 少しは恥を知りなさい!~ シルキーズ
59 0389 05,616 2011年02月25日 蒼穹のソレイユ~FULLMETAL EYES~ SkyFish
60 0383 06,032 2011年07月29日 戦国天使ジブリール フロントウイング
61 0363 04,984 2011年02月25日 With Ribbon HULOTTE
62 0359 --,--- 2011年07月15日 えむっ娘シスターズ Apricot Cherry
63 0357 05,156 2011年05月27日 太陽のプロミア SEVEN WONDER
64 0355 03,908 2011年04月22日 いじらレンタル~エロあまおねえさんに貸し出されちゃった!!~ アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin
65 0353 05,016 2011年03月31日 ぜったい絶頂☆性器の大発明!! ―処女(おとめ)を狙う学園道具多発エロ― softhouse-seal
66 0347 05,000 2011年01月28日 AQUA SORAHANE
67 0347 04,524 2011年06月24日 学園退魔! ホーリー×モーリー Frill
68 0347 04,248 2011年04月08日 デュエリスト×エンゲージ プラリネ
69 0346 04,064 2011年02月25日 巨乳ファンタジー外伝 WAFFLE
70 0339 05,084 2011年04月28日 relations sister×sister. Aile(エール)
71 0338 05,612 2011年02月25日 猫撫ディストーション WHITESOFT
72 0319 04,040 2011年03月31日 fortissimo EXA//Akkord:Bsusvier(フォルテシモ イクサ アコルト ビーサスフィーア) La’cryma
73 0299 03,768 2011年01月28日 BLOODY†RONDO 3rdEye
74 0297 04,632 2011年03月31日 シークレットゲーム CODE:Revise FLAT
75 0297 03,476 2011年02月25日 聖戦姫ヴァルキュア・シスターズ~淫闇(やみ)に堕ちたアイドル~ catwalkNERO
76 0296 03,432 2011年02月25日 姫様限定!~Princess Limited~ Princess Sugar
77 0291 03,840 2011年03月25日 それでも妻を愛してる ルネ
78 0282 02,992 2011年06月10日 ジンコウガクエン ILLUSION
79 0253 03,608 2011年05月27日 でりばらっ! -deliverance of strays- Parasol
80 0251 03,692 2011年01月28日 アネカノ~お姉ちゃんとえっちであまーいヒミツの関係~ chococo
TG : TECHGIANトップランキング(2011年上半期、2011年下半期、期間内各月2011年01月01日~2012年01月31日)
東方同人サークルが無許可でボドゲをパクった挙げ句売り逃げる気満々
東方同人サークルあゆ屋が無許可でボドゲをパクった挙げ句売り逃げる気満々 まとめ - Togetter
知財関連なのでと経緯をいろいろと読んでたら法律関連が微妙に混乱してるように見えた。
気になったので、ちょっと突っ込んで調べてまとめてみた。
まず第1に、ゲームの「ルール」それ自体には著作権は及びません。
「ルール」はゲームの根幹を成すものではあるが、「著作権」は「表現」を守るものであって、「アイデア」を守るものではないからです。
ゲームの「ルール」と言うのは「アイデア」の部類に属すため、著作権法の対象外なんですね。
したがって、「遊び方を盗んだ」だけなら、少なくとも著作権では守れません。
では守る方法は無いのか?ですが。
「アイデア」を守るには、「特許権」「実用新案」などがありますが、
と言う事で、ゲームにはどちらもなじみません。
まぁ、これら二つとも基本的に産業振興のためのものであって娯楽は想定外ですから、この時点で登録の対象外になりますが。
と言う事で、事実上「ゲームのルール(遊び方)」と言うものには権利が無いんですね。
しかし、ゲームのルール「ブック」。つまり「遊び方の説明書」と言うのは「ルール(アイデア)の表現物」となり、これは著作権の対象となります。
そこで今回の状況をチェックしてみたのですが
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 東方版シャドウハンターズに、池田氏が困惑
説明書について、なんだか怪しそうです。
他のところも情報収集してると、一応、カードについてはそれっぽい変更を加えていたそうですが、それも微妙なようです。(URL失念。あゆ屋のブログ記事の消去されたものだったかな?)
と言う事で、どーもこの辺りで著作権法の二十七条翻訳権、翻案権等、を踏んづけているように見受けられます。
とはいえ、本格的にチェックするには実物で見てみないとなんともいえません。
そこまでやる気は無いのでルールについてはこれくらいで。
ところで、電源不用ゲームと言うのは、ルールだけで終りと言うものばかりではありません。
汝は人狼なりや?のように、ルールだけでも十分成り立つものもあります(カードでペルソナを決めるなどはフレーバーであって、ゲームルールの本質では無い)。鬼ごっこ、かくれんぼなども、ルールだけで成り立つものでしょう。
これとは別に、ルールが道具を使うことを前提としたものも大量にあります。トランプのゲーム各種のように。お手玉、あやとりなどもそうですね。他、福笑い、カルタ、人生ゲーム、囲碁、将棋 etc...ドイツボドゲを並べても面白そうだが、際限ないのでやらない。
今回のシャドウハンターズもそのように、いくつものカードやコマを用います。
そこで、問題となったものを見てみると
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 『シャドウハンターズ』 東方版
ボードのデザインがオリジナルとほぼ同じなんですね。手直しが若干入っている程度。
ボードのデザインと言うのは、言うまでも無く「表現物」です。よって、著作権法の対象となります。
そして、権利管理者が「アウト」をTwitterで明確に示した時点で、「完全にアウト」なんですね。
権利者が再販のために動いているたと言う話や、デザイナーと権利関係についてまとめるのに2年かかってるなども含めると、今回の行為を怒るのももっともかと。
以上のように、ゲームのルール(遊び方)それ自体は法律による権利としての保護対象にはなりません。
したがって、シャドウハンターズを「参考に」オリジナルでボード、カード、ルールブックを再構築した場合は、オリジナルゲームとして販売可能だったわけです。
ゲーム製作者は腑に落ちないでしょうが、これが法律の解釈になると考えられます。
実際に、ついこの前の釣りゲーの法廷でも、「創作表現(著作権が発生する)」であるのか、或いは「ルールの普遍的表現(著作権が発生しない)」であるかで争われています。「ルールについてのよくある表現である(表現ではあるが創作ではない)」と言う考え方な分けで、「ルール」が似てることが問題じゃないんですね。
そして今回はルールの問題よりも、ボードの表現がコピー改変なので、こちらで完全にアウトです。
ゲームに使用する表現物のコピーと言う意味では、任天堂花札をベースにキャラクターを入れ替えていたタイバニ花札騒動なんかが最近の参考になりますかね。
てな所で。
サーチ中に意匠「権」を想定して語ってる方が。しかしゲームのボードなどには「意匠権」を及ぼすことはおそらく無理です。
デザインの意味で「意匠」の単語を用いることは(知財関連を語る上では紛らわしいですが)間違いとはいえません。
しかし、特許権、実用新案権と同じく、意匠「権」となると、産業利用であることと、登録主義であるため、このような娯楽の場合、権利は無いと考えておくのが妥当かと。
今回はおそらく意匠登録は行われていないと思われますので、意匠権は発生していないかと。(理由修正)
著作権は「無方式主義」であるため、表現された物があれば自動発生します。
商標権は「既知の商標」と言う概念があるため、未登録でも認められる「場合があります」。Perl を第三者が勝手に登録したが無効化した!なんかが、最近あった例ですかね。コナミ登録商標問題はすでに過去かな。逆に認められなかったのが「東方Project」商標登録問題です。
と言う事で、特許権、実用新案権、意匠権の性格は、著作権、商標権とは若干違うので、法律として語る場合は注意しましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20120906191656
突っ込み受けました。
ボードや駒でも意匠登録すれば権利受けられるよー……という事で、打ち消し入れました。
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。