はてなキーワード: 立ち読みとは
就職失敗してSES入っていやいやパソコン触って仕事してたんだよ
毎月給料もらえるからまあいいかくらいのかんじで当然仕事はやる気はない
正直何も理解してなくて雰囲気でコピペしてなんとなく動かす感じ
技術書買って覚えようなんて気は一切ない
今から思うとレガシーな現場ばかりで周りも似たようなマインドの人ばかり
で、今年の4月から別の現場に移ったんだけどそこが意識高い高いの人の集まりで
仕事の内容も何言ってるかわからないし早くクビにしてくんねえかなと思ってた
ある日OAuthが必要になるから会社のPDFの本読んでおいてくださいって言われて
最初は無視してたんだけど、何度も読みました?って言われたからうざくて観念して読んでみたんだよ
どうせ読んでもわかんねえだろと思ってたらなんか内容が理解できたんだよ
周りが言ってる仕事の内容もわかるようになってきて仕事も楽しくなってきて
コードレビューもしてくれて最初は殺したいくらいうざかったけど
こういうときにこのデザインパターン使うと分岐が減るのか!とか感動したり
もっと真面目にやってればなあ
かれこれ40年ぐらい前、小学校低学年の頃の話だが
私が住んでいる田舎では地方の呼び名で出店とよばれる個人商店が町内にぽつりぽつりとあり、私が歩いて行けるお店には日用品と雑貨(オシャレでは無い方の)に紛れてマンガのコミックが数冊売られていた。
その店はヨボヨボのおじいさんがいつもひとりで店番というか 、呼ぶと奥の生活圏からゆっくりと出てくるスタイルで、
なんだろう、当時の自分はそのお店でお金を落とすことが義務のようなそんな気持ちで駄菓子やらなんやら買っていた。
そして売っている本は通常の半値ぐらいで並んでおり親の目を盗んでは店まで行って立ち読みしたり、気に入ったらお小遣いを貯めて買っていた。
ドラえもんの一桁頃や、何故かスターウォーズ帝国の逆襲のコミカライズ日本語版とか色んな本がその店から自分の本棚に移動し並んでいたのだが、この本たち、読むのにちょっとコツがいる、値段の理由もそこにある。
途中でページが逆さまになったりめくる方向が逆になったりして本をクルクル回しながら読むことを強いられるのである。
子供だったし自分としてはそれが普通になっていたのでなんとも思っていなかったが
ある時、遊びに来た友達に指摘され、急に気恥づしくなって乱丁の本たちを皆箱に隠してそれっきりどうなったのかわからなくなった。
その店は数年後にお爺さんの寿命と共に無くなったのだが、跡地を見る度に スターウォーズ帝国の逆襲のストーリーが逆さのページで甦ってくる。
なんで塾に行きたいっていった時、止めてくれなかったんだよ。塾に入れるにしても、わざわざなんで父が勤めてる予備校の系列に入れるんだよ。講師の子どもが周囲にどんな目で値踏みされるか、ちょっとは想像がつかなかったのか?ばかやろう。大体、中学受験がしたい勉強したいと言い出しのがそもそも嘘だったんだ。そうだよ。嘘だったよ。あなたたちの気を引きたかっただけだよ。ただ、褒められたかっただけだ。この家に暮らしてもいい、立派な子だと思われたいだけだった。父は頭がいいのだから、自分も頭がいいと信じて、クラスメイトは全員バカだと思ってた。
塾に行っても授業なんか好きな教科以外ろくに聞かないし、課題もやらなかったよ。カスだよな。小学生ながらすでにカスだと思うよ。でも、父への忖度だか何か知らないけど分不相応な特進コースに入れられて、ちっともわからない算数の問題解かされるこっちの身にもなれよ。おにぎりみたいな面のデブ女教師に「なんでこんなのもわからねえんだよ」と机を蹴られたのは今でもトラウマだ。で、休み時間になったら周囲からは嘲笑される。そらそうだわな、特進にバカが一匹紛れ込んでビクビクしてんだからそりゃ子どもはいじめるよ。バカだと言われブサイクキモいと言われ。一年もしないうちに抜毛症が出て禿げたし、自傷で身体もぼろぼろになったよ。それでもお前ら、親も先生連中も何も手を打たなかったじゃねえか。何見てたんだよ。親はいっぺんだけ病院に連れてったな。でも皮膚科だった。皮膚疾患ではないとやんわり言われてぽかんとして、それで終わりだった。バカ、精神科だよ。キチガイになりかかってんだよお前のガキは。受験で苦しんでるのに塾をやめさせようとするとやめさせたら死ぬ、マンションから飛び降りるって騒ぐようなガキはもう立派なキチガイだよ。なんでこんなになったんだよ。
勉強はやらなかったよ。さぼってさぼりまくった。過去問なんか解かずに机の下で漫画読んで、絵描いて、部屋のぞかれたら机の下に隠した。自分でもなんでそんなことするのかなんてわからなかったよ。教えてやろうか、本心ではやりたくないからだよ。本心ではただ、いるだけで愛される存在だと思いたい。でも無理だから体裁だけ取り繕う。お前も他人に自慢できるガキがほしかっただけだもんな、蛙の子は蛙だよ。周りの子はバカでもブスでも親に愛されて幸せそうじゃないか。でも、それが叶わない家だって薄々感づいてるから演じるんだ。そりゃ虐待があるような家庭ではないよ。ずっとまともだし愛情はもらったと思う。でも何かがいびつだったよ。葉っぱは青いのに幹の芯が腐りかけてる樹みたいだった。塾へ行きたいといって金をじゃぶじゃぶ使わせて、そのくせ勉強はちっともやらず、勉強するふりして嘘ばかりついて禿げと傷だらけの陰気な顔したガキに一年ほどで成り果てたよ。仕事やめて腹痛めて10年近くも育てたガキがそんなになってお気の毒だと思う。でもそれって誰のせいなんだ?お前たちは一切悪くないのか?被害者か?
お前ら「元を取りたい」って思ってただろ。特に母親。自分が我慢した分、苦しんだ分、投資した分は何倍にもなって返ってきて当たり前だって思ってただろ。高校の時なんか「借りた恩はお返しします」って契約書作って拇印押させてきたもんな。で、無理したガキが適応できずに不良債権になったら怒鳴りつけて殴るだけか。ガキは損切りできねえもんな、かわいそうに。小学生の時点で黙ってマンションから飛ばせときゃよかったんじゃない?思い返すとずっとそんなだったな。大学受験も身の丈にあってない志望校掲げて、親に金出させて父の予備校に通って、努力は一切せず、講師の子なのにバカだって視線にさらされながらC判定の大学を堂々と受けてもちろん落ちて、浪人生活もぎとって。楽しかったなあ、予備校行くふりしてコンビニとブックオフで漫画を立ち読みするの。でも同じくらい死にたかったよ。たまに勉強するふりしてもポーズだよ。家でも講師ヅラの抜けない父親が過去問指導してきても、トイレ行くふりしてカンニングして答えてた。全部全部嘘だよ、とんでもない嘘つきだよ。目先の承認だけもらえればいいんだ。今だけやりすごせればいいんだ。だって一番根っこの、存在に対する承認が満たされてないんだから。この世にいてもいいって思えない。飢えたガキが平気でパンを万引きするのと一緒だよ。
お前ら、最近は関係が良好だって思ってるだろ?笑わせるなよ。こっちが漫画でちょっと認められだしたら手のひら返して「応援するからなんでも言って」ってさ。お前らはな、長年金と労力落としまくったドブから財布が出てくるかもって期待でニコニコしてるだけだよ。その財布が空だったらどうせまたゴミクズ扱いに戻るんだろ。こっちがブラック企業で疲弊して鬱になりかけてた時、身近な誰かに一番支えてほしかった時、なんて言った?励ますどころじゃない。なんでそうだらしないんだ、甘えるな、精神病院なんか行ったら薬漬けにされる、気合が足りないって話も聞かなかったじゃねえか。ただ苦しいという言葉すら。こっちは全部覚えてる。してくれたこと、されたこと、してくれなかったことも。調子のいい時にすり寄ってきて、落ち目になったら踏みつけにくるような人間は家の外にたくさんいるんだよ。家族はどこにいるんだ?つらい時にこそ安心できるシェルターになってくれる家族は?今はもう一時ほどの怒りはない、でも、自分の欺瞞に気づきもせずに、育児に成功した親ヅラしてるお前らを見ると反吐がでる。
なんで朝からこんな長文書きなぐってるかって?気づいたからだよ。今は周りの人に対して子どもの時と同じことをやってる。努力してるふりして、才能があるふりして、その癖やるべき仕事はせずに周りを困らせまくっている。厄介なことに多少は能力があるらしく、それなりの実績は残すから人は離れていかない。だから繰り返す。漫画が描けなくなっても、仕事で知り合った知人やファンが離れていかないか試してる。でも時間の問題だよ。億稼ぐようなトッププレイヤーならともかく、この程度で周りを疲弊させる人間は社会人失格だ。こういうのもトラウマの再演っていうんだろうか?どうすれば抜け出せる?今まで誰にも言わなかった怒りを吐き出せばちょっとはマシになるんじゃないかと思って書いた。本当はこんな自分でいたくない。力を十分に発揮したい、周りの人に喜んでもらいたい。でもこの怒りが失せたら、漫画を描かなくなるかもしれない。どうすればいいんだろう。
・臭い
・汚い
・キツい
・買えない
特に「臭い」「買えない」のコンボは慣れてない人が受けるダメージはかなりのものだろう。
「臭い」
毒性の雲が生成されるコミケは滞在するだけで全身に悪臭が吸着されていき、コミケ帰りの人間は独特の空気をまとう。
コミケに行った時は清潔だった人間が、帰ってくれば汚物となり、そのまま自分の部屋に入ってしまうと自分の部屋がコミケの臭いになる(更に嗅覚麻痺が起こるので自分で意識している数倍臭いことが人に指摘されてから分かる)。
「買えない」
目的としているものが有名人の本であるなら転売ヤーの餌食にあっていると思った方がいい。
どうせ買うための人数制限に挑むなら通販サイトに毎日張り付いて出品即ポチを目指す方が成功率は高いだろう。
有名ではないが興味がある人の本を買うにしても、その人のHPから購入したり、通販サイトに降ろしてないか調べるのを先にやった方がいい。
本人の顔を確認したいのだとしても、売り子を頼んでいる場合が多いので本人に会えない可能性もある。
コミケでの目的は半分も達成できないという前提で挑んだほうが良い。
臭いを我慢し、帰った後に自分がその悪臭をまとうことになるという清潔感にマイナス100点のコストを払うにも関わらず、目的のブツを仕入れるだとか、気になっていた人に挨拶するだとか、そういう目的はなかなか達成されない。
コスプレブースも有名レイヤーはなぞのカメコ取り囲みが起きていて遠目にしか見れなかったり、夏の暑さにやられてすぐに日陰に引っ込んでしまう人ばかりだったり、わざわざ行って楽しかったと思えるかという疑問がある。
強烈な目的意識を無数に持ち合わせて、最初の予定の3割も達成できなくても問題がなく、コミケの後2日ほどは人に会う予定が全くないような人でないとコミケはオススメ出来ない。
「気楽に来て下さい」というにはコミケはアカン要素が多すぎる。
気楽に行って楽しみたいなら造形物のオンリーであるワンフェスの方がまだオススメだ。
本の即売会というのは結局のところDL販売で代用できてしまうし、内容の確認もネット上のサンプルと現地での立ち読みに大きな違いはない(全部のページを読むなら話は変わるが……)。
造形物の場合はそうではなく、写真と実物とでは遠近感に全くの違いが出る。人間の目の構造上これはもう間違いない。
「色んな人達の独自の世界観を見たい」という目的でコミケに行こうとしているならオリジナル同人誌即売会のコミティアの方がいいだろう。
コミケと比べてそれぞれの作家性がより強く出ているし、界隈の加熱によってニワカが群がることも少ないため全体的に人口密度が下がり初心者でも呼吸がしやすい。
コミケは誰でもウェルカム。日本最大の即売会です。というのはやはりコミケ的な態度ではないように思う。コミケはやはり特殊な空間であり、そこに参加するのには多くの準備と覚悟を持っていった方がいい。ただの物見遊山でコミケに行くのは富士山頂を目指して近所を散歩するのと同じ格好で歩みだすようなものだ。
「お客様は誰も居なくて、誰もが参加者です」といった標語もなんか違うと思う。そもそもどんなイベントだろうが、たとえいくら入場料を払っていようが、常に全ての参加者はそのイベントを構成する人間の1人なのではないか?「STAFF」を意味する言葉として関係者という表現がよく使われてしまうため、 客≠関係者 ということに現代の日本語ではなってしまっているが、参加している全ての人間がそのイベントの存続に関わる重要な役割をしている関係人物であることは間違いない。
会場を大事に使う意識や、近隣住民への配慮などは、客として入場していても絶対に必要なものだ。
一部界隈のオタクにあまりにもお客様意識が強くアイドルライブで目立ったものガチをしたり、公共施設で写真撮影のための無許可場所取りをするような悪しき文化があるためあえて「誰もが関係者である」という今更な表現を使うことになってしまっているのも実にモヤモヤする。
コミケだけを特別扱いする場当たり的な解決策ではなく、あらゆるイベントにおいて社会を構成する1人の関係者として、他者に配慮できる人間になることを推奨し、その感覚をコミケを通して身につけてもらおうという方向にはいけないものだろうか……。
ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方からの移住者だけど、香川で享受してる文化を挙げておく。
割と多い。もちろん京都・奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国は中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。
国宝も、建物だけで2件ある。増田の故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物の国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都や奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。
(追記)丹下健三の香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品でビックリした。初めて行ったときには渇水の注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。
香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代の奉納記録に出迎えられ、途中に戦後の掃海で殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙の作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。
屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇の時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。
あと、津嶋神社もレア度が高くてよい。沖に浮かぶ小さな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線に臨時駅「津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田も撮影したよ! ミーハーだからね! 子供の健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。
(追記)お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田は信仰心薄いからお参りできれば満足なので……
香川県は、江戸時代、高松と丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松と丸亀のそれぞれに当時の藩主の遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。
高松の名物はなんといっても栗林公園。松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップは絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間は幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師は香川出身らしい。知らなかった)
丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川県西部っていう狭い地域を統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たときの雄大さのギャップがすごいのでああいうトリックアートじみた建築を作れた江戸時代の職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで。
気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自の文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。
次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海の景色美しすぎる。日本のアドリア海だろマジで。
意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県に併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁、松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松市美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺の道の駅には「世界のコイン館」という展示と大平正芳(香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコインや日本の貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが!
そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国各地の文化を体感することができる。一口に四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土や生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。
(追記)四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方の水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館は地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメの水槽はインパクトあるよね。こんなでかい魚が日本の河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形で再現してあって実質的に日本酒博物館。金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史や製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。
やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からもアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……
オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺の観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVでアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星の魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日にイオンモールで映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。
まあ……これは東京・大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋のジュンク堂みたいな大型書店めぐりは不可能。東京・大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるから、マイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。
でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーのデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫・新書のブックカバーは上下が固定されてない形式のやつだから、ハードカバーや選書を買うときは宮脇書店に行って文庫・新書が欲しいときはジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店と高松の市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。
あと、高松のアニメイト、ラノベのシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的。まさかアニメイトでラノベを立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。
(追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川や四国・岡山に関する書籍がものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川の文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通の読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局の最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから。
ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理に時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的に地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。
旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀に本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀の本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメ。ビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしはマジで美味いから香川に行ったら絶対食ってくれレベル。一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!
他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。
そしてカフェ。香川県でカフェめぐりをしたらもう東京のカフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀のスタバは市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェが複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松の商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。
イチオシは高松の片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。
とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川の文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京のメリットは集積にあるから、マニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館と国立科学博物館と国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画を劇場で見たい! とかの逸般的な文化的ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化を享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい。
(追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東が台風で大騒ぎになってたときも特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水の危機はあって、一昔前は一般人も取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレットを台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。
その日、立ち読みに行ったのかマンガを買いに行ったのか忘れたが、店内を歩いているとおじさんに話しかけられた
「ゲーム好き?」
おじさんの顔はもうほとんど記憶にないが大きめのメガネをかけてぼさぼさの髪型をしていたと思う
「うん、好きだよ」
「うちにファミコンのソフトがいっぱいあるんだけど、ほしくない?」
そのときすでにプレステの発売はしていてスーファミが全盛期。ファミコンは古い機種だったが、うちではテレビの下にまだ置いてあってたまに遊んでいた
「ほしい!」
なにも考えずに頷いた自分は、そのままおじさんの後ろについていった
おじさんの家は書店から路地に入ってすこし歩いたところにあり、アパートの二階の部屋に住んでいた
おじさんは「ちょっと待ってね」と部屋に入っていく
しばらく待っているとおじさんは大きめのダンボールを抱えて出てきた
中にはファミコンソフトがぎっしり入っていて、くにおくんシリーズなど一通りの名作が揃っていた
ワクワクしながら一人でダンボールを持って帰り、次の日から友達が何人もうちにやってきてファミコンソフトをやり込む場所と化した
そのメンバーとは今でも仲が良い
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
小学生だってマスターベーションをするからです。男子だけでなく、女子も。
https://news.yahoo.co.jp/articles/73d6ccaddc8cda67aa8b6c9ddb8c28493c7e0a92
炎上しているこの件、「なぜ小学生が読む雑誌に性的な漫画を載せる必要があるんだ」「子供に性的コンテンツなど必要無い」「子供に性的要素を見せるな」
と一部の大人たちが吹き上がっているが
簡単な話で、「小学生もマスターベーションをするから」であり、小学生男子は少年誌に載るようなパンチラやおっぱいの直接的なエロ描写で自慰行為をしますが、小学生女子は「直接的ではないけれどエッチを想起させる雰囲気や関係性」から妄想してマスターベーションするんです。
(そもそも溺愛ロワイヤルは新潮社ではなく小学館のちゃおだし、出張再掲載されたものだし、溺愛ロワイヤルに限らず八神千歳先生の漫画はエッチな雰囲気を醸し出す事に定評があっても直接的な性描写に突入するような漫画は描かない)
もう一度言います。
(※物心付いたばかりの幼少期の無意識的な自慰行為の問題もありますが、その頃の自慰と思春期の小中学生の自慰は別物であるという考えが一般的です。本記事においては小中以降の意識的な自慰行為について言及しています)
(自慰行為を「セルフプレジャー」という言い回しを推奨する教育者もいますが、それこそ臭いものに蓋をするようで個人的には嫌なので本稿ではマスターベーション・自慰と表記します)
今回に限らずこういう性的表現問題で炎上する際に、毎回必ず「小学生もマスターベーションをする」という事実を黙殺、蔑ろにした状態で議論を進められる事にずっと違和感があります。(くどいですが溺愛ロワイヤルはそこまで直接的なエロを描く漫画じゃないです。が、性描写に踏み込む少女漫画は数多くあるので一般論として話を進めます。)
小学生の立場で考えたらそんな事言及されたくは無いだろうし私も言いたくありませんけど、でもそれで子供が声をあげられない事を良いことに「子供から性的なものを想起させる程度の描写といえども徹底排除させろ!」という人たちには鼻白む思いを何度もしてきたのであえて言及します。
こう言うと、「そういうのが見たければこっそり青年誌を読むだろう」「だから子供が読む物に性的なものなど必要ない」と言う人もいます(ていうかいました)
ゾーニングの問題もありますが、あえてそれは置いといても異論があります。
私は小学生の時にAVをこっそり見る機会がありました(仁義もあるので見た時の方法・状況については伏せます)
性的な欲求からではなく、単なる「大人はどういう物を見るのだろう」という好奇心や興味からです。
実写の男女がセックスで交わる映像を見て、率直に思ったのは「気持ち悪い」でした。
大人がセックスする事は、それこそ漫画の知識などで知っていましたが実際にやっている所を映像を観た時は、こんなものを観ることで「エロい」と思える事が理解できませんでした。
だからといって全般的な性嫌悪になるかと思えばそうはなりませんでした。
やはり性的なものが絡む世界には興味がありましたし、たまに載るちゃおやりぼんの「少しエッチな空気の漫画」にムラムラし、小学生が考えうるレベルの「その先の更にエッチな事」を想像してマスターベーションをしていました。そして背伸びしてSho-Comiに手を出したりします。
でもそれ以上の年齢層の女性誌や青年誌をこっそり立ち読みしても「なんか違う」「ここまでのものは求めてない」という気分になり実用に向きませんでした。
(Sho-Comiは建前上は中高生向け雑誌という事になってますが、小学生も読者層のターゲットに加えていることは暗黙の了解となっています。Sho-Comiによる小学生からを対象とした投稿漫画コンクールもあるぐらいですから)
小学生にとってはちゃおや、行ってもSho-Comiレベルが一番身の丈にあっていて、それ以上の性表現は逆に性的に感じなくなるんです。
ただそれは年齢相応の話であって、年月を重ねる毎に性的に感じるレンジも広くなっていきます。成人した今では普通にAVやエロ漫画を見てマスターベーションをするようになりました。
漫画の性表現についてはコンプライアンスの問題がついて回りますし、今回炎上した溺愛ロワイヤルもコンプライアンスをキリキリに縛れば当然不適切なものにあたるのでしょう。
でも漫画は道徳の教科書じゃないんだから時には不道徳なものだってあるでしょう。
ハラスメント的な問題も当然もあるでしょう。子供に変な思想を植え付けられるという心配もあるのでしょう。
でも子供の事をそこまで馬鹿だと思っていないなら、そういう時は親や大人は子供と適切な対話でもって対応してほしいですし、決して否定や叱責、あるいは世間を扇動させて作品や描写の排除に向かわせる事だけはどうか止めて頂きたいんです。
私は性教育における「はどめ規定」は無くなってほしいし、小学生の内から適切な性教育を受けるべきだと思うし、ジェンダーや性交をタブー視しない包括的性教育を行ってほしいと思ってます。
その上で、ちょっと危うい不道徳さが残る性表現をも排除する社会にもなってほしくありません。
私は小学生の頃からマスターベーションをしてきた身として、小学生にもマスターベーションの自由はあると思うし、大人が頭ごなしに否定してほしく有りません。
そして小学生ともなると、何も見たり聞いたり一切参照せずマスターベーションする事は流石にできなくなる事も知識として理解してほしいです。
私は小学生の身の丈に合った性表現の漫画、いうなれば「小学生が読めるエロい漫画」は必要だと思うのです
ジェンダーやコンプライアンス、ハラスメントの問題、描き方の問題など多くの事が積み重なってくると思いますが、そこを乗り越えてでも「小学生が読めるエロい漫画」はあったっていいと思います。
私の、あまり明るくはない小中学生時代はマスターベーションをする事でだいぶ救われた過去があるので、性的な描写を含む漫画を子供から取り上げる事は、私のようにマスターベーションが救済になっている子に対してマスターベーションを取り上げるようにも思えて、気分が悪くなります。ましてや「検品」だなんて・・・・、この親は育成ゲーム的な感覚で子供を育てているのかと少なからず怒りもあります。
私の親は誇れるような親ではありませんでしたが、私のマスターベーション事情に関しては深く追求せずにいてくれた事は有りがたく思っています(何度かしてる最中に部屋に入られそうになり、テンパった姿を目撃されているので何をしているのか親も大体はわかっていたんだと思います。)
長くなりましたし、思いついたまま書いたので非常に取り留めのない文章になりましたが、今回の溺愛ロワイヤルの炎上の件で一度思っている事を吐き出したい感情にかられたので書きました。
乱筆乱文でごめんなさい。
https://anond.hatelabo.jp/20230628091536
文句を言うたら自分で作れ言うてじゃあ料理本立ち読みしたりネットで色々調べて弁当作ったろ思ったら食材勝手に使うな言われてだったら食材買う金くれやって言うたら無駄遣いするな言われて結局詰むやつを私も経験者したからわかるし小6のとき家庭科の授業でエプロン縫う課題出されたときうちにミシンなんかないからお前が針で手縫いしい私は縫い物なんかわからんから教えられんし最近お前が米を大量に食うせいで家計が逼迫してるんや的なことを言われて肩身の狭い思いをしながら家のばっちいタオルとか古着渡されて丈が足りひんもんだから同級生に笑われながら魚屋の前掛けみたいなクソダサい汚いエプロン作る羽目になって担任が焦って前掛けに筆と白い絵の具で魚の文字を書いてくれてこういうのも世の中にはあるからなって守ってくれたけど結局クラス中の笑い者にされたしもちろんそんな親だからお使いさせるために携帯は渡されてたけど当時流行ってたDSとかの娯楽品なんか一切買ってもらえんし私が学校で浮いてるとかでハブられて笑い者にされててもそんなん誰でも同じや大人になったらわかるとか言うて一切意に介さず親戚を呼んで酒盛りをするときには人生で唯一縁日で買ってもらって私も馬鹿だからそんなのでも親に買ってもらったものだからって大切にしてたんやけどスポンジ製の鹿の角を被ってピーナッツとか投げられながら親戚のキモおじとか母親の友人の息子に服脱いだりお尻を見せて卑猥な芸をすることを強制されたりして結局母親の友人の息子には犯されてそのことを親に訴えても相手にされんから自傷してホンマなんや信じてや言うたら世の中誰でもつらいんや甘えるな言うてビンタされて流されたし中学になると身長が170cm超になってお前そんな立派な体してるやんから運動しろやプロアスリートになって稼げや言われて無理やり陸上部に入れられたり美容院も行けなかったから前髪パッツンロング維持やったけど自分でハサミで切ってたし私が使ってええ言われてる家のシャンプーがかなりケミカルなやつで肌が真っ赤に腫れてボロボロになるしフケも大量に出るから変えてって必死に訴えても相手にされず真っ赤に腫れた頭皮を親に見せるために自分で一部を丸坊主にして頭皮がこんなに真っ赤に腫れてるのに何もしてくれないのって訴えてもやっぱり相手にされなかったとか本当に酷い扱いをされすぎた結果楽しみといえばお小遣いゼロの中欲しい物とか好きなものの絵をノートに描くことくらいだったけど友人関係には恵まれたので長期休みには家出みたいな感じで友達の家に長期に渡って泊まり込んだり高校のときには家に放置されてたベースを学校に持ち込んで同じ意味軽音部の子に直してもらって夜中にこっそり見てたけいおんの話題で意気投合してコピーバンドやったりその時だけは幸せやったけどマジで親ガチャミスると10代を棒に振るしうちは肉は体に悪いし贅沢品や日本人なら米で腹を膨らませろや味噌汁は最後の一滴まで飲めとかホンマヒドい食育で結局中学のとき栄養失調で陸上部の練習中にぶっ倒れて救急車呼ばれて病院行きになったけど親は意にも介さずお前体力ないなとか揶揄してきて結局親は両方とも塩分糖分摂りすぎで後年糖尿病になってるんやけどもう絶縁したしどうでもええんやけどあいつらどんな教育受けて育ったんや思うし今や学校クラス内での格差で自殺する事例もあるちゅうのに子供の訴えに耳も貸さずひろゆきみたいに論破して気持ちよくなってる辺り件の馬鹿女は本当に幼稚なんやろうな思うし親の役目は子供を保護することでもトロフィーライクなペット扱いすることでもなく子供を一人の人間として自立させることや的な話をそこかしこで聞いたが全くその通りやと思うしイライラしてるときに自分の子供につらく当たってスカっとしようとか子供の自立に必要な家事全般のスキルを一切習得させず子供と同レベルに立ってマウント取って何も成長させず一定期間が来たら人間不信を植え付けたまま勝手に社会に放逐するその風潮こそが少子化の原因やないんと思う次第だしトー横とかドン横オア下池公の子たちに聞いても同じような生い立ちやからやっぱり私やあの子達の親に当たる氷河期世代は碌に勉強せんとアニメゲームファミコンサブカルに代表されるキモオタコンテンツに夢中になって欠陥品に育って発達障害拗らせた結果大人になれんクズに成り下がってそれを見透かされて仕事貰えへんのを社会のせいや政府のせいやと責任転嫁してるだけちゃうかとホンマ思いますわ
初めて読んだのはキノの旅で既に何巻か出版されてた頃だったかな
そこからフルメタとかイリヤとかウィザーズブレイン、Missing、リバーズ・エンド、悪魔のミカタ、アリソン、吸血鬼のおしごと、都市シリーズなんかを買い漁ってお金がなくなり
昼食代にも手を出して中古ショップで軽く立ち読みしつつ気になったシリーズを買って、新巻は中古ショップになかなか来ないからやっぱり新品で買うしかなくて
シャナとか出版され始めたらいよいよラノべにハマり、キーリ、バッカーノ!、終わりのクロニクル、ハルヒ、ドクロちゃん、半月、9S、禁書、ゼロ魔とか、あと1巻程度の短編も結構買ってたなあ。
よく考えると富士見ファンタジアに手を出したのは少なかったな、やっぱ表紙買いしてたんだろうな
その頃の富士見ファンタジア文庫の表紙ってデザイン(フォント?配置?)がダサくて「少し昔のレーベル」ってイメージが強かったんだよな
狼と香辛料の頃(2006年代?)になるとバイトも始めたから色々買えるようになったんだが何買ったのかあんまり覚えてない
割と有名で後にアニメ化するようなやつくらい(神メモとかとらドラとか俺妹とか境ホラとか)
濃密に「ラノべ」ってのにハマったのは結局数年もないんだよな
今はほぼラノべ買ってない
昔に好きだった作者やシリーズがでたら買うけど
アニメとかも昔は円盤買ってたけど今はアマプラでいいやってなってる
結局良い顧客じゃ無かったな
正直、「書店のラノべ棚に立ち止まって気に入った表紙を手に取り数ページ読んでレジに持ってく」って行動は今の年齢では難しくなった
そもそも表紙のクオリティが「軒並み上がった」一方で「どれも同じ」に見えるから、手に取ろうという欲求が湧いてこないんだよな
内容はわかるけど売りがよくわからん
たとえば「リビルドワールド」とか「淡海乃海」とか「最果てのパラディン」とか「星海シリーズ」とか
世の中にはまだアニメ化漫画化してないけど面白い作品いくらでもあるんだろうなあ
本を手に取るしかないのだろうけど、それがなあ
焦ったり酔っ払って外出たら詰みじゃん。
体内に鍵埋め込んでおくとか音声認識で鍵を開けるカラクリをこっそり仕込んでおく以外は無理でしょ。
たとえば「おっ!今日って花火やん!ちょっとだけ見よ!」ってスマホも鍵も忘れて家の外出たらもうそこで終わりでしょ。
次の日になるまで外で野宿だよ。
今どきは夜中に無料で居座れる施設なんてないから外が雪だったら死ぬ。
近所のコンビニで立ち読み行脚とかすればいいんかな、移動時毎回真っ白になっちゃうけど。
金さえあればどうにかなるし、スマホがあれば時間は潰せるけど、何も持ってなかったらマジでヤバイな。
ストーカーの侵入防止にしたって近所の住人が通ったタイミングで「こんちゃーす」って引っ越したばかりの人っぽく入られたら終わりだろ。
監視カメラだけでいいと思うわ。
決して貧しい家庭ではなかったと思うのだがそれでも親に気に入ってもらうためにあらゆる手を尽くした
家族との関わりの薄い父親がたまに本屋に行こうと兄弟を誘っても誰もついて行こうとせず寂しげにしているのが見ていられなくてついていき、行った先の本屋でも何も欲しいと言わず立ち読みだけして帰るようなことは何度あったかもうわからない
そのようなことを繰り返して高校生になると兄弟の中で俺だけ家業を継ぐように命じられた
扶養下にある身なので文句は言えないが俺にもやりたいことはあるので当然反抗し数ヶ月毎晩にわたり言い争っているがもう疲れた
塾の恩師にも相談し、こちらは親に電話までして説得しようとしてくれたらしいがこの話を聞いたのは恩師本人からで親からはその旨を一切聞いていない。なかったことにされたようだ
自分の人生の結果が見えてしまっているからなのかなんの気力も湧かない
したいことも食べたいものも思いつかない
もうどうしたらええねん
これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。
ちなみに現在のフォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。
これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。
それでも読み進める酔狂な紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。
(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)
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これはノートにシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感と承認欲求と生きがいにまみれた記録である。
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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。
「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分に気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場・イラスト垢である。
絵を描くのは物心ついたころから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。
それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!
ということでTwitterにイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。
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なんか最初は気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折、上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。
当時は「ハッシュタグは馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。
そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。
当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログ民である。イイネもRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。
そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネとRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。
というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。
フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!
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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの?4コマ?みたいなやつとか描いてた。
衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間と睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!
そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。
うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。
社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。
一度だけドハマりした作品で版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。
というかその直前のコミティアで頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチのマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である。
でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。
無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。
この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。
あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げます。あなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)
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こうして3年ほど経った頃……
「伸びねーーーー増えねーーー」
と思っていた。
当然である。
絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであんま練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である。特定の性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。
伸びるワケがない。
「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。
無理やぞ????
たまーにいるけどね、そういう良い意味で無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。
けどな、俺ザコキャラだから!!!絵上手くないくせに承認欲求は人一倍だから!!!豆腐メンタルで麻婆豆腐だから!!!!
とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトのポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ、10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。
けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。
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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。
俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイでインターネットに繋いだら絶対に
高額請求が来る」と信じて疑わない母から生まれた生粋のデジタル音痴である。アナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。
ヨドバシカメラでペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。
かといって液タブとかいう神のツールは10万フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。
かつて「描線をデジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。
もともと速記用のペンをイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビューが全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味でダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである。
絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。
死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。
ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである。
初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。
当然である。
周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである。
もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉を金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。
が、爆睡と家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。
そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングでコロナ禍が始まった。
実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。
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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。
ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。
UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。
そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託の申請をしてみたことがある。
規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。
問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。
5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。
がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。
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……が、余計に病んだ。
しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。
自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報の摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。
(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)
ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。
なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイトを作ってみたい」とかいう思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。
なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。
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進むも地獄、戻るも地獄な精神状態が半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中にとあるバズツイを目にする。
さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっちの根暗オタクで社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。
知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。
お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UIが直感的でツールとアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。
ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。
フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである。
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それが×年前のこと。
ここから「オリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。
といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。
フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)
デジタルのバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。
やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。
いつでもどこででも描けるiPadは社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。
デジタル作画はワンタッチで消しゴムが使えるので描くこと自体のハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムかけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法で自分なりに学ぼうとした。
だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。
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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナルの同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後の人間にそういう話するか?)。
実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ちで申請。
が、思ったよりあっさり通った。
同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルのエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。
やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託。そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロの仕事ぶりに、尊敬と畏敬の念しかない。
みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。
そもそもド底辺の自分がなぜ身分不相応にも書店委託や電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、
「そこでの売上が決して0冊ではない」
作品も作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。
コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である。
ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。
そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である。
しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。
そんな嬉しいことある?
紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。
とはいえピコ手もピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?
俺とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。
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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。
頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。
1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである。
普段の活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわとフォロワーを増やしていった。
ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まり、RTしてもらえることも出てきた。
その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。
まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である。
「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。
UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。
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コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。
開場して10分20分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて
「新刊1冊ください」
と言い放った。
新刊1冊ください…
しんかんいっさつください…?
それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?!
つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??
シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???