はてなキーワード: 本屋とは
かつては「うそはうそであると見抜ける人でないと(ネットを使うのは)難しい」とされていた――
だが今は違う!(ギュッ)
というわけで、長年ネットで嘘を見つめ続けて嘘の専門家となった増田が、誰でも嘘ツイ・嘘増を見抜けるようになるためのポイントを簡単にまとめてみる。
たとえば、PTAの寄付金を断ったら田んぼに生ゴミを不法投棄され、犯人を捕まえる際に暴行を受け、そのストレスのせいで
死亡
という話が仮にあったとする。これはさすがに、何かおかしいなと気付けるだろう、普通は。
ここまで分かりやすくシグナル発してるケースは稀だろうが、語り手に非が一切ないのに理不尽な被害を受けている、という話の流れが見えた場合、警戒態勢を一段上げて損はない。
たとえば、表現規制の是非に関する議論がネットで盛り上がっていたとする。そんな時にちょうど、
俺が働いてる本屋でも以前、キチガイフェミババアがエロ本を撤去しろとクレームをつけてきたけど、店員に暴行したので現行犯で逮捕されてたよ。
というエピソードが開陳されたとしたらどうだろう。あまりにも反規制側に都合がよすぎるとは感じないだろうか。
現在の話題に刺激されて過去のできごとを、そういえば……と思い出すこと自体は何もおかしくない。だが、語り手の性格(バズ稼げそうなおもしろイベントに遭遇した時点ですぐ語らずにいられるほど我慢強いかどうか)も考慮に入れた上で、その怪しさを判定してみてほしい。
ひきこもり男性が父親から相続した資産15億を、飲み代だけで2年で使い切った。
という話。増田は、
そして、たった2年で!?とも思う。
こういう、各種数字に関する常識的な感覚は、ふだんから意識しておきたい。
また嘘エピソードでは、個人情報を守るため、という建前で人物名や場所などの情報は過剰なまでに伏せられていることが多いが、数字だけは妙に具体的に出してくることがしばしばある。
この人、毎日のように興味深い体験を語ってくれる楽しい人だな。こんなに語り続けてもネタが尽きないなんて、人生経験豊富ですごいな。
――とか素直に思ったりはしていないだろうか。
無限におもしろ体験談が湧き出てくるように見えたとしたら、その生産力自体が既にイエローカードだ。
書き手を継続して観察できない増田では使えない手法だが、それ以外の場ではこれが一番有効な嘘識別法かもしれない。
これらの要素に注意してさえいれば、ネットにあふれる嘘を一発で見抜いて、外道照身霊破光線!汝の正体みたり! 前世魔人ウソキツツキ!(ウウー、バレたかー!)と無双できる。
かというとそんなことは当然ない。
世の中には、どう見てもウソにしか思えないアンビリバボーな事実がいくらでも転がっている。上に挙げたような要素を全て満たしていたとしても、たまたま偶然そんな奇跡的な出来事が実在した可能性を完全に否定することはできない。
紀元前3世紀のイタリア半島で、7万6千(極端な数字)のローマ軍に綾波レイがいっぱい中出しされた(一方的な被害)ことだって、絶対に無かったとは言い切れないのだ。
また、バズ狙いの嘘ツイがネットに蔓延したせいで、真面目な人たちが、
大勢に話を聞いてもらうためにはこういう書き方をすればいいんだな
とバカ正直に学習してしまい、事実であるにもかかわらずわざわざ嘘くさい書き方を選択している紛らわしいケースすらある。
嘘を嘘であると常に確実に見抜くことは、残念ながらできない(タイトルは嘘だ)
では、我々はどうしたらいいのだろうか。
嘘を嘘と見抜く必要はない。
少しでも怪しいと感じたら、良くも悪くも反応せず、ただ沈黙を貫くだけで良いのだ。
それだけ?と思うだろうか。
嘘つき野郎の嘘を華麗に暴いて罰するような「正しいこと」がしたい?
しかし今のネットのカスみたいな状況では、嘘(かもしれない)情報の拡散を冷静に考えて思いとどまる、というだけでも十分な善行と言える。
何かを「しない」だけというのは地味に感じるかもしれないが、増田は立派なことだと思う。誰からも褒められなくても増田だけは、みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよと言ってあげたい。
増田の褒めだけでは報酬として不十分かもしれないが、ネットにはびこる嘘カスどもにエサを上げない空気を作っていくことにどうか協力してほしい。お願いだm(__)m
anondaiに書いてもらった後に文字を小さくして投稿してみましょう。以下の文章はaiによるものです。いかがでしたでしょうか?楽しく読ませてもらいました。 男なのか?:男か?:?本屋で偶然見つけた。何かに使えそうな感じがするので買ってみた。読みやすくて、一通り読んでおいた。考えさせられるネタもいくつかあって面白かった。 医者:医者はダメだよ。医者はダメだよ。人間性に破綻している人が多すぎる。人間の素敵さに気付かされてないので病気になるんだ
昔の学校の図書室にあった蔵書はほとんどが活版印刷で、かすかに活字を押し付けたときのふくらみが残っているのがわかるのがなんとも味わいがあったと今になっておもう
オンデマンド印刷で活版にして店内のカフェで待ってたら出来上がりを買って帰れる本屋とかどうだろうか?
大量出版というのは電子書籍やインターネットブラウジングにもうとって代わられたのかもしれない、だから手書き個装丁の実質一品ものだった時代に近い価値観にしたら…
大きめの本屋で、一般紙コーナーと同様に生々しいおっぱいやチンポの表紙がずらりと並ぶのを見たときのウオッ!て感覚
それが良いとか悪いとかそういう話はどうでもいい
もう紙の本に用は無いがあのウオッ!て気持ちだけ味わいたい
ただし立派なのは外見だけで置いてある本はしょぼい。新刊などほぼ無いに等しい。
さらに店に入ってしばらくしたら「何か御用でしょうか?」と聞かれた。
本屋に入って「何か御用でしょうか?」って…
おそらく店で本を売ろうとする気が無いのだろう
じゃあ何で稼いでるかと言えば、聞いたわけではないけれど想像できる