はてなキーワード: 密度とは
https://twitter.com/MojaMojappa/status/1768766895631864182
『インチキ医学』英国保健省が #思春期ブロッカー の定期処方を禁止することは正しい。人生を変える可能性のあるこのジェンダー違和(旧性同一性障害)の治療法により、若い命が損なわれている。
このような過剰な慎重さは、助けを必要としている人々にとっては不満かもしれないが、患者が、生命を変え、取り返しのつかない結果をもたらす可能性のある、規制のない大量実験のモルモットになるようなシステムは、はるかに悪いだろう。#思春期ブロッカー がそのようなケースであり、何年もの間、この国では自分のアイデンティティやセクシュアリティについて混乱している子供たちに投与されてきた。長期的な影響についての健全な科学的理解がないにもかかわらず、自分の性別に疑問を抱く若者の身体的発達を阻害するためにこれらの物質を使用することは、第一級の医療スキャンダルであり、21世紀のイカサマ医療における無謀な行為である。
したがって、ロンドンのタヴィストック英国保健省トラスト内のジェンダー・アイデンティティ・クリニックでの恐ろしい話の後、英国の国民保健省(NHS)が思春期ブロッカーの定期処方を中止したことは正しい。しかし、この危険な道を歩もうとしている子どもたちや親たちは、NHSスコットランドや民間医を通じて、まだ思春期ブロッカーを入手することができる。仕事はまだ半分しか終わっていない。この 『セラピー』は、英国全土で全面的に規制される必要がある。
化学的去勢にも使用されるホルモン阻害剤が、発育途上の若い身体に与える影響についてはほとんど知られていなかった。現在では、ブロッカーが骨密度に影響を与え、認知機能の発達に影響を与える可能性があることは認められている。少なくとも、このほとんど理解されていない化学的去勢は、ティーンエイジャーを仲間から引き離す。患者たちは、友人たちが成長するのと同時期に時が止まってしまうのだ。失われた歳月を取り戻すことはできない。また、ブロッカーは一時しのぎであるどころか、化学的処置や外科的処置の前触れとなり、取り返しのつかないことになりがちである。
ジェンダー違和(旧性同一性障害)に苦しむ子どもたちには、優しさ、理解、そして必要であれば精神的なサポートが必要だ。戻れない場所への道を歩ませるべきではないのだ。まだ抜け道が多すぎる。開業医がブロッカーを処方することを禁止すべき。スコットランド政府も、なぜこのような危険な行為を認可し続けるのかを検討すべきだ。
上のしょうもないコメント書いた増田だけど、試しに「成人向け漫画に置き換えて」って言ってchatGPTに放り込んだらちゃんと置き換えてくれたから置いておくね。
娯楽で一番大事なのは要素・濃度の調整と表明、そして読者層の絞り込み。エロ漫画だろうが、グロテスクなストーリーだろうが、ギャグ漫画だろうが、最も重要なのはここ。
そして、絶対的最適解はない。
読者毎に求めているものも違う。
重要なのは、事前にタイトルや表紙で宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。
過激すぎれば「安易にエロを盛り込んでる安っぽい作品だ」と感じるだろう。
薄すぎれば「もっと濃厚な表現を期待していたのに、物足りない」と感じるだろう。
『エロ漫画』という作品に対して求めている濃さというものが、それぞれの読者の中に漠然とあるってことだ。
そこに対して作者はおおむね最大公約数的なものを提供するし、それに満足できない読者は勝手に「濃いめにして」とか口にする。
エロ漫画なんかは性描写の強弱を巧みに調整することで、読者に合わせたものを提供する仕組みを作っている。
漫画はまだいいんだが……これがアニメ・ゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。
スリリングな展開が続くアニメは集中力のある読者からすれば密度が高い体験になるが、ストーリーに興味がない読者からは「無駄に過激で意味不明だった」というクレームがやってくる。
ゲームで敵を弱くしすぎると退屈になり、強くしすぎても不満が出る。
同じようなモチーフを繰り返し描く漫画は退屈だと言われるが、それを一切やらずにエロシーンばかりになると読者はしょっちゅう飽きてしまうばかりで嫌になってくる。
絶妙なバランスが読者毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは過激ですよ」「これは穏やかですよ」とアピールするしかない。
如何にソレを魅力的に、かつ不要な読者層にはアピールしすぎないようにやるかだ。
たとえばエロ漫画なんかには『エッチなシーンが満載!とにかくエッチなシーンが満載よ!』で売っている作品があり、そういった作品はエッチな要素を楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。
そういうった作品を「エッチだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。
余計な要素を入れてしまったことが、本来の読者層を遠ざける要因になるからだ。
なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。
1冊100円ぐらいのエロ漫画が欲しくてコンビニに行って、1冊500円の4冊セットしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。
必要なものを適切な濃度で提供するためには、余計なものをいかに削るのが重要になる。
これが出来ないと、読者は離れる。
足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。
ゲームだろうが、ラーメンだろうが、音楽だろうが、アニメだろうが、最も重要なのはここ。
そして、絶対的最適解はない。
客毎に求めているものも違う。
重要なのは、事前に看板で宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。
薄すぎれば「何度も注文させて客単価あげようとしてるケチな店だ」と感じるだろう。
濃すぎれば「単位酔いたいだけならもっとキツいのを飲んでるので、ちゃんと味のバランスを考えて欲しいな」と感じるだろう。
『飲み屋のチューハイ』という商品に対して求めている濃さというものが、それぞれの客の中に漠然とあるってことだ。
そこに対して店はおおむね最大公約数的なものを提供するし、それに満足できない客は勝手に「濃いめにして」とか口にする。
カレー屋なんかは辛さを段階的に示すことで、客に合わせたものを提供する仕組みを作っている。
飲食店はまだいいんだが……これが映画・パズル・ゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。
テンポよく謎が深まっていく映画は集中力のある客からすれば密度が高い体験になるが、話を聞くのが下手な客からは「難しすぎて意味不明だった」というクレームがやってくる。
ゲームで敵を弱くしすぎると簡単にクリアされてしまうし、強くしすぎても不満が出る。
同じような敵を繰り返し倒しまくるゲームは水増しと言われるが、それを一切やらずにボス戦ばかりになるとプレイヤーはしょっちゅう強敵に倒されてしまうばかりで嫌になってくる。
絶妙なバランスがユーザー毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは難しいですよ」「これは簡単ですよ」とアピールするしかない。
如何にソレを魅力的に、かつ不要な客層にはアピールしすぎないようにやるかだ。
たとえばドラマなんかには『イケメンが沢山出てくる!とにかくイケメンが沢山出てくるよ!』で売っている作品があり、そういった作品はイケメンを楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。
そういうった作品を「イケメンだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。
余計な要素を入れてしまったことが、本来の客層を遠ざける要因になるからだ。
なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。
1本100円ぐらいの黒のボールペンが欲しくてコンビニに行って、1本500円の4色ボールペンしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。
必要なものを適切な濃度で提供するためには、余計なものをいかに削るのが重要になる。
これが出来ないと、客は離れる。
足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。
「何を作るか・何を加工するか」で大変さが変わる。
これは実は見抜くのが難しい。完成品は軽くとも原材料がクソデカクソ重たいということがあるので。
基本的には密度の出るもの(液体・粉・金属など)を扱うと力仕事が発生しやすい。
重たいと大変であると同時に労働災害も発生しやすいので気を付けよう!
乾燥していると空気やはたきでササっと終えられることが多いが、湿ってると大作業になる。
特に飲食物や化粧品のように衛生面が関わるものは配管から分解して洗浄する機会も多い。
そうなると圧力や熱を伴う作業も発生するので危険が危ない。気を付けよう!
熱けりゃ火傷するし、冷たくてもうっかり触って大惨事という事もある。
そして何より速度コントロールの主導権が人間から離れる。オーブンや急速冷凍は人間を待ってくれない。
焦りは事故を生みやすく、他の工員との人間関係も悪化しやすい。気を付けよう!
以上のことから安全性を踏まえた職場を探す試みはやって損はない。
ちなみに自分が経験した一番いい条件は「ポケットティッシュ生産」でした。
(原料はクソ重たいけど石貨みたいな形してるので運びやすかった)
(でも重量物を運びやすいというのはエネルギーがあるので事故しやすいということでもある)
余談だけど最悪の条件「重たい・液体・高温」を満たす金属精錬は毎年のように死者が出てます(ここ数年は減ったけど)
ご安全に!
鉄道以上の輸送効率を持つ交通機関など他に存在しないのだから、その路線がいわゆる「赤字路線」であったとしても税金を投入して、高齢者や学生の交通の便を絶やしてはならないと思う。
存続しさえすれば、私のような観光目的の人間も鉄道を乗る。観光にも力を入れれば、新しい需要を取り込める。だから、人口減少地域でも、路線復活は決して難しい課題ではない。鉄道路線はこれ以上、絶対に廃止してはいけないと思う。
具体的に何してるかが気になる。
学校に併設された一般的に児童クラブと言われているようなところも見たけど、ぎゅうぎゅう詰めで平日は良くても長期休暇に一日中入れるのは子供が飽きそう。
民間学童もいくつか観たけど、高い。
週2で3万、週5で7万くらい。内容はお勉強系+ピアノやダンス教室(オプション)もあれば、
勉強は少しで工作やクッキングや室内運動できるところ、日本語禁止のバイリンガル教育のところもあった。
中学受験を見据えた層が多い印象。
父母会のある学童は、学習塾くらいの密度で過ごしていたけど、一応公園に行って遊ぶ日もあるらしい。学年により1〜2万/月。
ほぼ自由時間のようだけど、現実的なのはここだけど父母会負担が大きいなら結局民間と無料の放課後教室を組み合わせた方が良いのでは?と思案中。
2023年8月10日に5歳の息子に誘われて始めたポケモンGO
ようやくPL40に到達した。
最強トレーナーの皆様からすればまだまだとお叱りを受けるでしょうが
オートキャッチ無し、ほぼ無課金(ウソ)でここまで来たことをご報告致します。的な
本題はそれではない
孵化アクセスはギフトの枠が増える、そしてギフトはPL上げに効率が良いとの判断
現在フレンド数は大親友到達を除き100人前後で回している、大親友到達は12人
フレンドはレイド招待で増やしている、あっちから来ることもありほぼ承認
フレンドレベルを上げるには双方どちらかがギフトを開封しなきゃならないよね、
(レイド参加すると偶発的に既フレンドと重なり親密度進行することもあるが例外として無視する)
で、悩んでいるのはどっちが開けるの問題
フレンドリストではどちらかが開封済みなら水色の枠で判別できる
俺の基本運用は、毎日0時を過ぎたタイミングで届いているギフトを全部開ける
稀に、こちらで開封済みで親密度進行しているのにあちらでも開封する人がいるが
で、だ、結局フレンドの状況や運用は人によって千差万別なわけだ
つまりフレンドをほとんど登録していない、積極的に使って無い人も大勢いるだろう
そういう人は開封枠なんて気にせずにギフトが届いていたら機械的に開けているはずだ
で、機械的にお返し
ではでは、相手方をプロファイリングして、こいつは送る一方で良かろう、
みたいな判別を緻密にすればギフトの運用効率はさらに上がるんじゃないか
ポケモンGOからデータを抜いてExcelで管理できれば自動化と可視化できるのだけど、それに必要なAPIは公開はされてない
フレンドリストの画像からテキスト化してデータ化、これはさすがに手間もかかるし技術的制約も大きい。
どーすりゃいいの?
さすがにこの人数は覚えられない
なお、大親友到達のタイミングはしあわせタマゴを考慮して相手様に委ねている
俺はガチ勢ではないのでどうぞそちらでお楽しみくださいです
とはいえ、こいつ分かってねぇ奴判定してる人はもったいないのでこちらで使わせて貰っている。
この辺のノウハウや作法はググれば先人の知見にたどり着くのだろうが
俺はあえてググらない
だからここで聞く
みんなどうしてる?
もちろんです!モラー直線(またはモラー散乱)は、電子が物質中を移動する際に受ける散乱の現象を表すものです。以下にモラー直線について簡単に解説します。
モラー直線とは:
モラー直線は、電子が物質中で散乱する際の角度分布を表すものです。
電子が物質中を通過する際、原子核や電子との相互作用により、散乱が起こります。モラー直線は、この散乱角度の分布を記述します。
モラー直線の特徴:
モラー直線は、小角度(通常は数度以下)での散乱に適用されます。
電子が物質中を直線的に移動する場合、モラー直線はその散乱角度を予測します。
モラー直線は、電子のエネルギー、物質の原子番号、物質の密度などに依存します。
一般的には、モラー散乱理論を用いて、電子の散乱角度の確率分布を計算します。
応用:
モラー直線は、放射線治療や粒子加速器の設計など、物質中での電子の挙動を理解するために重要です。
モラー直線は、電子のエネルギー損失や散乱角度の予測に役立つ理論であり、物質中での電子の挙動を詳しく調査する際に活用されています。12
当方普段はゲーセン行かない民、コンビニでミライドンのメザスタ用タグが配布されてて、そういやそんなのあったね、ということで初めて遊んできた。
メザスタってのはポケモンのデータが入ったプラスチックのタグを使って遊ぶ筐体で、まぁ詳しくはググってね。
それで何がすごいってその集金力よ。
まず1プレイに100円を払う。
ゲームを始めると任意のボスポケモンが登場するステージを選択。レアリティの高いボスポケモン1匹と普通のポケモン2匹が敵として出現する。
自分のポケモンがいない場合はレンタルポケモンを3匹借りて出撃が可能。
遊び方は単純明快で、①相手に相性の良いポケモンを選ぶ→②引いた数字分だけ攻撃力を増加させるルーレットを回す→ボタンを連打して技の威力を上げる、の繰り返し。未就学児童でも一回やれば覚える。
攻撃をしているとだいたい雑魚敵が先に倒れる。と、そこでゲットチャンスが到来する。
ここで100円を払う。
雑魚敵のゲットチャンスに100円?と思うかもしれないが、ここで雑魚敵のゲットチャンスを押さえておくと戦闘ターンが増えるのだ。このゲーム、通常だと3ターンしか攻撃チャンスがないんだが、レアリティの高いボスキャラを倒し切るには3ターンだと足りない場合がままある。
そこでゲットチャンスに課金してターンを増やすことで、ボスキャラを倒す=レアリティの高いポケモンを捕獲するチャンスを増やすわけだ。
ここでも100円を払う。
ボスキャラをうまく倒せた場合、2匹目のボスキャラが登場する。ここでも戦闘を一通り終えたらゲットチャンスが到来する。
ここでも100円を払う。
なお書き忘れたが、ゲットチャンスが訪れた際にはボールの種類を決めるルーレットを回す。グレードの高いボールを引ければ捕獲チャンスも増える。バトルで使うルーレットは目押しっぽい挙動をするがここだけ完全に確率。見た目上は明らかにハイパーボールで止まっても実際に投げるのはモンスターボールになったりする。なんでやねん。
モンスターボールとかだとボスキャラは大抵捕獲できず、横にいる雑魚敵が捕まえられる程度である。
つまり、ここまで人によっては3〜400円を投じているにも関わらず、出てきたモンスターボールのせいでレアリティの高いポケモンは捕まえられずに終わり・・・とならないのがメザスタのすごいところである。
このシークエンスでは闇鍋形式だが捕獲1回につき必ず何かしらのポケモンを1匹ゲットできる。捕獲1回あたり100円で、である。
ポケモンはコンスタントに4匹程度は登場するので、全部やると400円である。確率は少ないが高レアリティのポケモンはここでも入手ができる。(実際自分も星5のテラスタルゲンガーを引いた)
恐ろしいことに、プレイヤーはこの手前でレアリティの高いボスポケモンをあと一歩のところで逃した状態にあるので、ゲーム全体の中で最も課金密度の高い部分があたかも救済措置であるかのように感じてしまう。そしてこの最後のゲットチャンスで高レアなポケモンを引いたら、最初に狙っていたボスポケモンを倒せるかもしれない、とさえ思う。
つまりだ、最初100円のように見えた1プレイあたりの料金は、一連のバトルが終わるまでには最大で1プレイ400円に化けており、最後のゲットチャンスを全てこなすと1プレイ800円に膨らんでいる。
しかも文章では怠くなってしまった一連の工程は適度な集中を要求されるテンポの良い演出により1周15分程度でグイグイ進んでいく。ゲットチャンスに100円を投入するにも時間制限があるので短い時間で課金するかしないかの判断を平均して2〜3分に1回程度迫られる。1回あたりは少額とはいえソシャゲも驚きの課金圧である。
今回初めて遊んでみて、大人はまだしもメインのターゲット層であろう自制心の弱い子供にこれを慣れさせちまうのはだいぶヤバいんじゃないかと思える内容であった。4〜5回やったら買い切りのポケモンのソフトも大抵のグッズも買えるじゃん・・・
海外でApple Vision Proのレビューが続々と投稿されている。
概ね「AR/VRヘッドセットとしては史上最高のクオリティ」だけど「それでも明確に限界はある」という感じか。
下手に現実に近いからこそ「現実と比べるとこんなに駄目なところがある」という見方になっている。
Vision ProはMacやiPadの代替であって、スマホの代替ではないし、VRゲーム機でもない。
コンセプトどおりの利用方法、すなわち在宅でコンセントに繋いだまま、
Macの外部ディスプレイとして使いつつ、その左右の空間にいくつもiOSアプリを浮かべる、
という使い方をするかぎりは、なかなか上手くいきそう。
ただMacの外部ディスプレイとしては一画面しか出せないのが残念。
ソフトウェアキーボードが一本指打法でしか使えないのは事前情報どおりだが、
「視線でキーを選択してクリックする」入力ができるというのは新しい材料。
思った以上に駄目そうなのがEyeSight。ソフトウェア的な改善で何とかなるだろうか。
そもそも一人暮らしならEyeSightは無用の長物なのだが、とはいえ外したところで大して価格は下がらんだろうしな。
重さの問題は、素材の変更が手っ取り早いが、どうするかなあ。
昔はポリカーボネートデザインだったわけだしそれに回帰すればいいじゃんとは思うが。
価格が最大の問題だが、まあそもそもiMacが最低価格20万円なんだから、
それを小型化してセンサーもマシマシにしたものが30万円以下になるわけないんだよな。
Apple Vision Proの体験を維持するなら「高密度のマイクロOLEDパネル」と「大量の各種センサー」に「それを処理するプロセッサ」は必須で、
それらが価格の大半を占めているんだろうから、どうやっても安くはならなさそう。
まあVision ProはあくまでPCなんだから、iPhoneみたいな「一人一台」なんて普及は目指してなくて、
最大でも年間数百万台くらい売れればOKという感じなんだろうかな。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。