「ぼっち」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ぼっちとは

2017-03-20

ツイッター有名人とかに誕生日祝ってくれと頼んでいる人のアカを見に行くと、たくさんおめでとうと言われてる人とぼっちの2種類いる。つまり同人用語キョロ充キョロぼっち関係対応する。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316133601

こういうやつは「学校勉強だけすればいい!!ほかはいらない!!(強がり)」とか言ってた友達0のぼっちだろうな。

なお、大抵は勉強もできない模様。

2017-03-12

あなたは、ひとりぼっちじゃないよ

強いて言うなら、ソロ活動

自分を呪う

私は大学卒業した後、地元大手企業就職した。

本来大学院に行って勉強を続けるつもりだったが、地元の親が許さなくて色々面倒事があったからだ。

不本意で初めた仕事を続けてもう10年近いが、今でもイヤでイヤで仕方がない。



私には、仕事を始めるよりずっと前、就職が決まったその日に決意したことがある。制約といっても良い。

ある条件を見たした時、仕事を辞めて都会に行こうと。

それは時間や金や人や職場環境、家庭環境自分能力、残した成果などを加味した複雑な評価基準を条件として決めていたものだ。



学生ときが考えた想定だったこともあり、冗談になるだろうと期待していた。

精神的にも肉体的にも参って崩れそうになった時は、何度もそれを頼みにして、自分の力、あるいは守りとして、生活してきた。

しかし、驚くべきことに、それは私の予想を超えて現在を許容できるものであった。

私の当時の決意は、面白いほどに的中した状況を作ってしまっていた。



そんな中、もうおおよそ仕事を辞めるであろうということが分かった時期に転機が訪れた。

母が大病を患ったのだ。そしてそれは、治るものではなく、ゆっくり死んでいくものだった。



しかし、私の制約はそれすらも許容していた。

私が仕事を辞めるのは変わらなかった。



先日、時折行っている母の見舞いの際、病気に伏せる母が私に言った。

「いなくならないでね。私がいなくなったら、父がひとりぼっちなっちゃう」と。

なぜだろう。私の制約はこの言葉を許容することが出来なかった。



過去の私の基準に当てはめると、私がいなくなることは決まっている。

もうすぐ、私の決意の有効限界時間が来る。そこからは私の心は10年の守りを失う。

以前と同じように今から先を考えると、いずれ私がひとりぼっちになることもまた予想される。



対して、私がいなくなると、父がひとりになること、母の望みが叶わないことが決まっている。



今、私はどうしたら良いだろうかと苦悩している。

20もの間、私を守ってくれた両親と、その先10年を守ってくれた制約の間の天秤によって。

私が10年前に私に課したそれは、両親が不幸になることと、私が不幸になること、何れかを選択させる呪いであった。



どうやら私は人間だったらしい。

2017-03-11

普通に生きてれば彼女とかできるっしょwウェイwww

リア充は30歳まで童貞とか都市伝説だと思ってるし友達がいないのも無職なのもありえないと思ってるよ

でも現実には30歳童貞クソぼっち無職増田実在しているわけじゃん

数百万人に一人とかそんなレアじゃなくて数十人に一人とか数百人に一人とかけっこうな割合でさ

それと同じで

「卑屈でクソブスでキモヲタ人生で一度も彼氏ができたことがない女なんかこの世にいるわけない!」みたいなこと言われても

存在しているものしょうがないんだよな

2017-03-06

この世はクソだが生きている

 生まれたところが悪かった。家は一番近い、通っていた小学校から1kmぐらいあり近くに店というかコンビニすらなかった。田舎田舎でも、周りは工場で、あるのは汚い海と里山とは言えない荒れたしょぼい山。

 他の同級生はみんな家への帰り道で友達と一緒に帰っている。自分学校から200メートルぐらいまでの帰り始めは同級生と帰っていたような気がする。しか自分はとっとと同級生たちと別れて1人で家への道に向かった。友達、というより、同級生すら近所に1人もいなかった。ひとりぼっちで家へ帰る。コンクリートが敷き詰められた道の上で足を進めた。夏は暑いし冬は寒かった。うらやましかった。友達と一緒に帰る同級生が。家に帰った後に家の近くで遊ぶ同級生が。自分と言えば部屋でDSを寂しくプレイしていた。

 そんな状況もあってか、小5ぐらいのときからいじめられた。反抗してもそれ以上のものが帰ってくるだけだと思っていたのでただただ泣いているだけだった。その状況を上っ面だけの友達もどきには相談できるはずもなく、担任教師毎日起こる他の人間のけんかの処理で手一杯、母親病気の手術後でそれどころではなく、父親は唯一の稼ぎ手で疲れて帰ってくるので言えない、姉貴に言ったところで何になるのか。結局言えずじまい。どこのどいつも信用ならない。それでも小学校には通った。謎の義務教育という言葉に勝てなかったからだ。

 話は変わるが題の“クソ”は小学校時代に学んでしまったことである自分いじめられていたのは上述のとおりだが、それ以上、自分以上にいじめられている男子生徒がいた。自分はいじめられたのでどうしようもない、助けに入ろうものなら自分のもの悪化するのはみえている。どうしようもなかった。そのときに周り、学年に1つしかないクラス、をみたがいじめに加担する人間、見て見ぬふりをする人間、がいた。がいた、というよりもそういう人間しかいなかった。同じクラスいじめが起きていることがわからない小学生などいなかった。その子へのいじめはついに小学校卒業するまで終わらなかった、自分のもの同じだが。自分より弱いと認定したら誰かが介入するまで終わらない、たとえそれがPTA会長の息子であっても。こうして学びたくないことを自分小学生で学んでしまった。

 話を元に戻すとして、義務教育十字架を背負って、なんだかんだあった小学校卒業した。中学校では部活には入ったものの、他人に愛想をつかしていたので、ほぼさぼって家でPCを使ってインターネットサーフィンをしていた。他人を気にせずなんて快適でいろいろ知ることができるのかと思った。はてな出会ったのもこのころDSiうごメモはてなを始めてからだ。そこからはてなブックマークブックマークってなんだそれ、といいながら始めたのである。そんなことをしていたので中学生になっても終わるまで結局友達といえる人はできなかった。

 家に帰ると快適だったが学校生活はほぼ変わらず、何故かというと自分たちがいた小学校からほぼ全員が同じ中学校に上がるためである。荒れ具合で言うなら、小学校でも脱走騒ぎなどはあったが中学校のほうがひどいものだった。3階から牛乳瓶が降ってき、学校敷地内では煙が上がりボヤ騒ぎ、靴箱まで自転車で乗り上げてくるのは何も珍しくはなかった。自分に対するいじめは続いていた。いじめをする人間は他の小学校から来た人間に代わっていたが。そのころはもはや今では使われなくなった言葉だが、厨二真っ盛りで、洋楽にはまった。ゲーム経由で。聞いたことのないロックメロディーでカッコいい歌詞、これがなければ今の自分はない、いないだろう。それとは関係なしにそれまでの自分に対するいじめピタリとやんだ。原因は悲しいかな、恥ずかしいかな、中学一年生にもなって、おもらしなるものやらかししまったのである別に増田の恒例にのっとって書いているわけではない、真実なのだ。大ではなく、小だったが。推察するにいじめ主犯格自分の1つ後ろの出席番号だったのでテスト中にもらした自分がまるで何もなかったように一日を過ごしたため、狂気性を読み取ったものだと考えられる。不幸中の幸いにもその情報は他のクラスには漏れていなかったのだろう、そして2年生になりなにが起きたのかわからないが、学級委員長になった。そこには自分いじめていた主犯も同じクラスにいたのだが、2年生が終わるころにはまだ1年あるのに授業の先生ごとに1年間ありがとうございましたというお礼を言いに行くまでのクラスになった。謎だった。授業中にもインターネットもじぴったんで獲得した知識無双できたのは記憶に残ることである。3年生になると2年生がまともだった反動と、小学校自分いじめてた主犯と同じクラスになったので特に記憶はない。いじめられるのはほぼないに等しかったが。

 悲しいことに高校勉強ほとんどせず推薦入学で決まってしまった。勉強はしないのにテストの点はいい。中学校では大丈夫だったことが高校で牙をむくことになる。特になりたい職業も決まっていなかったので入った高校普通科。だったため、毎日勉強パレード落ちこぼれた。小学校から家に帰ってはゲームネットサーフィンと遊ぶ習慣は抜けなかった。勉強がつらいと聞いていたので入った部活もあって活動していないようなもの毎日授業が終わっては青春を謳歌している同級生を横目に家までの道のり約20kmを自転車で帰っていた。今思うと勉強がつらくてもまともな部活に入っておくべきだった。異性との交流はまだしも同性と汗を流して青春すらしていないことは今の自分に影を落としている。ほぼ勉強はできなかったが、英語だけは中学生の頃に洋楽が好きになったこともあり、予習をすることができた。相変わらずとくにしたいことも見つからず、理系に進み、授業を受けた。3年間も堕落していてあっという間に過ぎ、センターを受けた。前期は落ちたが、後期で滑り込んで地方国立工学部に受かった。これもひとえにセンター英語の点が150点を超えていたからに違いない。卒業式時点では決まっておらず、進路が決まって学校に行ったら担任先生がちょうどいなかったのでお礼の言葉を言えなかったのは心残りである

 書くのを忘れていたのだが、自分女性に対するトラウマがあった。まだ、自分小学生低学年のころは幸運にも上級生がおり、数人の集団で下校していた。集団で。その人は、女王様みたいな人だった。みんなで集まって帰るのが常だったのが、ある日待っても待っても自分以外の上級生がでてこなかった。それにしびれを切らして自分一人で帰ったら、次の日、こっぴどく怒られた。泣いた。泣いても怒られ続けた。それ以来、女子、もとい女性に対するトラウマ、同じ空間にいるだけで挙動不審になる程度のものがあった。

 大学生になった。眩しかった。同時に今までの自分を変えなければ、と思った。社会に出て他人とかかわらずに、女性と同じ空間にいることなしに生きていくことはできないと悟った。かといって頼れる人もいなかったので荒療治することにした。学部工学部でいないため、女子とかかわることはない。となったため、女子率90%以上のサークルに入った。最初挙動不審オンパレード、視界にいるだけで挙動不審になっていたが、もう今となってはほぼそうなることもない。幸いなことに入ったサークルの内容が自分人生においてゲームインターネット、の次にはまることのできるものだったので勉学そっちのけではまっていた。同期には男子もいたので良かった。その男子と友達になった。友達になれた。入って1年で上級生になり、同時に部長にもなった。居心地のいい空間を目指して奔走した結果、今では家に次ぐ第二の居場所であるサークル以外では、ボランティアアルバイトもした。大学生になって初めて一人でホテルに泊まり、みんなでカラオケに行った。ゲーム会をした。モラトリアムはすごかった。ずるずる引きずられながらも普通科高校に行っておいてよかったなと思った。

 振り返ってみると散々な小中学校勉強特に語ることのない高校、今のところ唯一楽しかったといえる大学、といったところであるどん底を知っている奴はそれを知らない奴より、強いかもしれませんね、とジョニー先生は言う。自分にとってはどん底だった。でもこれからはもう大人で、自分未来自分で決められる。支えは少ないけれどこの縮みきったバネを思いっきり伸ばしていこうと思う。これからまれてくるこどもたちに自分のような思いはさせない。

P.S. これはシュウカツ!-シュウショクカツドウ-を迎えるにあたって、自分人生を振り返るとともに、たまっているストレスを吐き出すために書かれたものである。まだ大学生活は1年あるが、いまだに彼女はできていないので来年になったら大学卒業したが童貞卒業できなかったとネタにすることができるだろう。なんかかいたら大分すっきりした。死にたいと思ったことは数知れず、でも生きているのだ、ここに。

 

http://anond.hatelabo.jp/20170306201528

から素朴な疑問なんだけど、リアルぼっちな人ってTwitterをどう使えばいいの?

フォロワー数0でも何かつぶやいてれば誰か拾ってくれるもんなの?

見知らぬ人に対して自分から積極的フォロー申請していくことが前提?

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170302202752

私は30代後半に会社都合で解雇無職になり、友達ゼロになった。会社の同僚だけが唯一の友人で、その友人が落語会に誘ってくれた。そこでたまたまリタイヤした紳士などと交流するようになった。元某マスコミ役員だった。悠々自適だし、現役時代のしがらみもないので、安心して歓談できる。登山音楽落語などは老人が集まりやすいし、ぼっち参加者も多い。

anond:20170302163519

趣味ギター弾いてるけどずっとぼっちだよ!

「ひとりで出かけてもひとりぼっちのまま帰ってくるだけだ。」

これはちょっとワラッタ。

2017-03-02

キモくて金のないおっさんだけどひとりぼっちからの脱却方法がわからないだと0トラバ0ブクマだったのに

視点で書くとハイエナが炙り出される

ひとりぼっちからの脱却方法がわからない

アラサー独身彼氏もなし。

最近友達が欲しくてたまらない。



高校の友人は大学進学の上京から疎遠になってしまった。

大学の時はサークルにも入らず短期バイトばかりしていたので、この歳になっても遊ぶような友人はいない。

社会人になってから入社した会社の同期は結婚ラッシュだし、そうでなくても二人で遊ぶような仲の人はいない。

今の会社は人数が少ない。



友達が欲しい。

睡眠漫画を読むこと、そして何もしないことを優先させてきたせいでまともな友人がいないのだ。

今までの私ではダメだ、せめて積極的にこちらからコミュニケーションをとらなければ、と思う。



ただその努力をまずどうやってすればいいのかわからない。

ひとりで出かけてもひとりぼっちのまま帰ってくるだけだ。



大人になってから人間関係ってどうやったら広がるのだろう。



とりたてて趣味もない。

興味もない。

ただ友達を得るために、何かを趣味にするべきなのだろうかとは思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170302112844

一人旅覚えると移動疲れ以外の問題は大抵片付くんだけど、一人旅慣れはぼっちへの片道切符から・・・

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228122120

いじめられっ子になって友達からハブられてぼっちで過ごすよりいじめっ子になってみんなで笑ってる方がまだマシ。

まれっ子世に憚る。

2017-02-27

ポリ袋をぬるいお湯に投入の安全性

ポリ袋をぬるいお湯に

ぼっちゃーんして大丈夫

変なものが溶け出す心配は?

袋詰め真空調理って気持ち悪い

真空調理って気持ちいねん?

ポリ袋食材入れてぬるいお湯に

ぼっちゃーん。

ポリ袋から変なものが熱融着とか

溶け出して食材はいらんのか?

それでなくてもエストロゲンが体内過剰で

あることに起因するいろいろな慢性病

問題となってるのに( ^ω^)・・・

アトピーとかも遠因はそうなんやろ?

だれか食品試験センターでまじめに

テストせえよ。税金で養ってもらっとんねやろ?

2017-02-25

聲の形を分かろうともしない、石田。それが僕だ

人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。

そう思うようになってずいぶん経った。

きっかけははっきりと覚えていて、中学生とき人間関係トラブルを起こしたことが原因だ。

それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。

最初グループのうちの一人であるBと些細なことで喧嘩した。

原因はもう忘れてしまったが。

僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、

Bとは口を利かなくなった。

グループの別のAが、一度仲直りしたら?ときっかけを

作ってくれたことがあったが、自分些細なプライドを優先し、

それを無視してしまった。

その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。

班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、

というような指示があった。僕はAと同じ班だった。

一人はもう一人の男子が手を挙げた。

もう一人は誰も手を挙げなかったので、

じゃんけんで決めることになった。

じゃんけんは僕が負けた。

でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。

今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。

でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期慢性的不安から来るイライラといった身勝手理由自分正当化し、

拒絶の言葉を放ってしまった。

「お前、もういいわ」

僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。

その日Aと口を利くことはなかった。

今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。

もやもやしたものを心のうちに秘めながら、僕は下校した。

この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。

次の日から、僕の学校生活は一変した。

僕の身勝手さに他のクラスメイトも愛想を尽かしたのか、

クラスメイト全員から無視されるようになった。

たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。

とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。

Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、

まりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。

けれど、事態はどんどん悪化した。

最初無視だけだったが、やがていじめを受けるようになった。

筆記用具を壊されたり。

僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。

体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。

別の男子グループからプロレス技みたいなのを掛けられたり。

酷いあだ名で呼ばれたり。

AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、

学年全体がほぼ敵のような状態になってしまい、

怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。

気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分内面も変わってしまった。

僕は自分意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、

勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。

からどんなに辛くても勉強は続けて、中学同級生が数人しかいない学校に入った。

けれど、原因を作ったのは自分はいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた

大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。

僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。

高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、

話す人ができた。

けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的姿勢では

友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラス友達が一人もいなかった。

卒業式とき卒業文集白紙のページは白紙のままで、

僕は下級生と一緒に、卒業生の誰よりも早く帰宅した。

3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。

大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。

どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル

だった。

そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。

やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。

けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。

自分がさして楽しくないことを、後輩に教えるのが苦痛だった。

また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい

とも思っていた。自分のつまらない劣等感コンプレックスを克服できなかった。

一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。

直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。

高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。

すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて

1社だけ内定をもらって事務仕事をしている。

けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。

仕事楽しいと思ったこともない。

他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。

自分のことが愛せず、当然他人のことも愛せない。

友達もいない。

彼女もいない。

少し好きなことはあるが、趣味と呼べるものもない。

今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、

会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、

死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽオヤジになって

誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。

聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。

石田自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、

成人式同窓会を「可能性」と言える男になった。

対して僕は自分に向きあえなかった石田だ。

成人式トラウマしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。

年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。

気の持ち様次第で、年を取ってから自分を変えられる人もいるかもしれないが、

そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。

どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。

僕には明るい未来なんて見えないが、心臓は鼓動を止めない。

自分で止める勇気もない。

どんなことになろうとも、天寿を全うする。

その事実からだけは、僕でも逃げられそうもない。

2017-02-22

なんとかなるよ、ぜったいだいじょうぶだよ

http://anond.hatelabo.jp/20170221195311

増田とおんなじような感じで生きてる。まあ、関連団体の方に就職しちゃったんで全く無関係というわけには行かないから手を抜きながらたまに顔出したりしてそこそこやってるけど。

そもそも自分ぼっちからここの活動が合わないというのもある。何かを頼めるような知り合いなんていないし。なので人に何かを頼まなきゃいけない系の活動最近適当に水増しして報告してる。水しかないことを水増しと呼んでいいのかわからないけど。

色々思うことはあるけど、自分がわりとリベラル寄りで差別偏見を嫌うのはたぶん小さい頃からここの影響を強く受けて育ったからだろうと思うし、それはまあ悪いことじゃないと思っている。

自分は今は死んだら無になると考えているから、追悼というのは生き残った人のためにするものだと割り切っているので、死んだ人のためにどうするべきかとは考えないのだけれど、それでも何かの折に元増田のように唱えることはある。その行為自体意味は無いけれど、そうすることで多少なりとも安心したり、気が楽になったりするするなら、別に唱えたって構わないと思う。

案外自分も年を取ったら熱心に宗教活動に取り組んだりしちゃうのかもしれないけれど、まあそうなったらそうなったでいいんじゃないかな。

無理に否定しなくてはいけないようなものでもないし、「どうでもいいや」くらいの適当さで距離を置くのが楽でいいんじゃないかな。

そもそもあの人の話がつまらないと思う。わざわざ出かけていってあんな退屈な話を聞かされるのはまっぴらだ、と子供の頃から思ってた。

この前茨城空港漢詩ちょっと話題になってたけど、あの人の漢詩もわりとひどい。

元増田大丈夫だって伝えようと思って書いたはずだけど、なんかまとまらない文章になった。すまんね、文章書くの苦手なんだ。

ふたりぼっち状態を好む人は自覚した方がいい

・人付き合いは好きではない

・かといって一人でいるのも嫌だ(さみしい、人目が気になる等)

・気の合うごく少数の人とならむしろ積極的に一緒にいたい



このような性質人達のことです。

あなた達と相性が良いのは、同じくふたりぼっち状態がを好む人達です。




手持ち無沙汰だからといって、むやみにひとりぼっち状態好きな人に声をかけてはいけません。

相手にウザがられてるな?と感じたら速やかに退避しましょう。

また、ひとりぼっち状態を好む人も自覚を持ちましょう。

相手に気を使って迷惑でないふりをするのは、お互いのためになりません。

2017-02-21

惰性の力

遊戯王大炎上を起こしている。

どうせ2ヶ月もすりゃ「リンク召喚!あらわれろーなんたらドラゴンー!」とかいう声がデュエルスペースに響いてることだろう。

炎上の原因については、他のプレイヤーが俺より上手い言葉説明してくれている。

だが彼らがリンク召喚で騒いでいるのは、遊戯王愛着があるから資産をつぎ込んでまでプレイしていた大好きなゲームが二度と戻らない姿に変わってしまたから。どれだけ理屈をつけてもそこに尽きる。

やめる人間というのは、結局騒がず処分をするだけ。そして今回はその処分買取拒絶などでできない。だからやめるにやめられず、「離れる」という選択になる。リンク召喚が定着した頃にとってつけたように出された「専用のリンクサポート」で、手持ちのデッキと一緒に遊戯王に戻ってくるか、ないしは売っても捨てても同じこと、と誰かに譲ったり捨てたりするか。

絶対前者だね。

さて、こういった「突然のローテーション」で最大の被害をこうむるのは誰だろう?個人だろうか?否、カードショップである

確かにショップというのは頭の痛い存在である。不当な値段のつり上げ、特定カードの買い占め、査定段階での買い叩き。色々ある。ショップの顔色を窺って「再録禁止」とか「再録しても枚数は少なくする」なんてことをしていて、結局供給は焼け石に水、値段は火に油といったことを起こしているカードゲームもあるくらいだ。

俺がカードゲームプレイしていた頃は、ショップ店員が「ろくに仕事をしない」「自分ミスを客のせいにする」など、人間として終わっているような連中が多く、そういう意味でも嫌な存在だった(今はだいぶマシなようだが)。

だが、たとえば不要になったカードを「売る」時に便利なのはショップだし、欲しいカードが1,2枚あるという時に便利なのもショップだ。

また、高校生くらいになると、誰かの家に行くという習慣が完全になくなる。そういう時、遊ぶのに場所を取り、風で吹っ飛び汚れに弱いもので遊ぶにはどうすればいいかまさか学校の空き教室喫茶店一角を使い続けるわけにもいくまい。リーズナブルな値段で安全なスペースを提供してくれる…カードゲーム流行るには、どうしてもそういう店が必要になってくる。

友達がいない」というパターンもある。これは何もぼっちだの何だのではなく、大学生社会人になったり、引っ越したりといったことで、人間関係一新され、カードけが手元に残った。そういう時に便利なのが、ショップ大会なのである

「小汚いし不愛想で約束もろくに守らないクソオタクの店」という印象が強いだろうが、彼らのおかげでカードゲーム流行しているのもまた事実なのだ

カードゲーマーは、ショップくらいしか共通の居場所がないのである。…もっともこれはカードゲームに限った話ではなく、どんなオタク界隈もそうなんだけどね。

また、「事実上の突然のローテーション」として、ポケモンカードガンダムウォーの裏面変更の話が同時に出ているが、裏面変更は実は珍しい話ではないらしい。そして告知は突然おこなう。これは個人にはもちろん、ショップにも大打撃である。高価な賞品が、ある日突然「絵のかいてある紙切れ」になってしまうのだから

そしてこういうことをするときは、企業側は旧裏面のサポート事実上打ち切るようなルールを制定しておきながら、新旧裏面を同時に使えるようなルールサポートすることで返品を避ける、という手法を取る。つまりショップは不良在庫を抱えるのである。この裏面変更は、旧裏面のカードを取り扱ってきた店をたくさん潰した。そして生き残った店は、後釜となる商品の取り扱いをやめる、ないしは「これまではフロアの半分だったのが小さなショーケース1つになる」という風な大規模な縮小を起こした。

そうなるとカードを続けていたプレイヤーというのは「オフ会」などの草の根大会に移行するか、ないしはばっさりカードをやめるか。確かに続けようと思えば続けられるだろうが、そういったコミュニティの拡大はまず見込めないだろう。

まりショップが取り扱いをやめれば、ゲームというのは緩やかに収束していくのだ。

確かにショップは大打撃を受けた。潰れる店も多く出てくるだろう。

じゃあ、生き残った店は遊戯王の取り扱いはやめるか?

やめないでしょ。だって売れるもん。

から結局、ショップはこの変更で大損して、それでも客はショップに来るから商品を取り扱い続けて。客はやめようやめようと思っても、売っても大した値段にならないから結局続けてしまって。

から結局惰性で続くのよ、このゲームは。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。




まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。



もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ



なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。



本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。



「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)



原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。



そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。



また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。



最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。




それでははじめます。



導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。




まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。



そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。



しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業




解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。


同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。


同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?


『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。


諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。


『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。


『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。


すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。




解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。



不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」



感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。(Permalink | トラックバック(0) | 22:47

2017-02-14

感想ありがとうございます❤️がウザい

感想ありがとうございます❤️」

「沢山のふぁぼりつありがとうございます❤️」

ってツイートを見るたびに、あーあーはいはいいっぱい感想とか評価もらって良かったね〜〜ってなった後、悔しくなる。

沢山応援されてるアピール本当にウザったい。

私は好きでそうなったわけじゃないけど、ぼっちで細々やってて、感想とか滅多に来ない。見てくれてる方はいるみたいだけど、誰もこっちに接触してくれないから、アピールする人にめちゃくちゃ嫉妬してる。

アピールする方もする方で、人気者のあたし❤️を気取りたいんだろうけど。マウント本当に気に障るわ

2017-02-10

しにたくありません。

まだしにたくありません。

ひとりぼっちなのでむりかもしれない。

はたらきたいし、ともだちもほしい。」

でもむりなのかな。

もう。

もうむりなおかな。

おれはどうなるのか。

しぬのかな。

さようなら

さようなら

あさyぷならな

2017-02-09

推理ノート舞台「孤島の鬼」(2017版:江戸川乱歩 原作

昭和文学を、『情愛推理ミステリーとして真相を探します。

推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。



随時更新


はじめに

私の持論として。一番大事なことは『自分作品スッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。

作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメ世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである

「楽しんだモン勝ちや!」である



その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。



しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。

そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。

犯人トリック推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー

簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。



ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間リミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。

目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。



謎:世界構造登場人物

本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。

今のところ私にとっての最大の謎は、この世界階層構造登場人物である

私に見えたキーパーツを挙げていく。

世界構造

これらの関係性・正体がまだわからない…

また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。



登場人物

基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます



重要証拠

随時更新

謎:観客の主観による『明言されていない内容のミスリード検証

我々は『なぜ』錯覚していた?

推理中に変動するため随時更新

人物相関

人物像まとめ

前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎過去、など)

また、一般的に「嫌悪感」を感じるもの排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)

本編の《みのうら》
  • 『私』と『箕浦』が演じている
  • 本編の世界を生きているので未来を知らない
わたし
  • 本編の語り手
  • 原作では「主人公(或は副主人公)」
  • 諸戸と対、ないし鏡のような同等の関係。簑浦?
  • 『私』と『箕浦』が演じている
  • 本編世界の上位存在なので、(少なくとも諸戸が亡くなるまでの)未来を知っている
  • 《みのうら》として本編に介入できる
  • 《みのうら》を操ることができる?

→諸戸から握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した

諸戸(《わたし》の世界
諸戸
  • 簑浦を同性愛として求めて止まない
  • 自身に対して非常に強い罪悪感や劣等感を抱えており、スーパーエゴとイドのちぐはぐさに苦しみ怖れ震えている
  • 「諸戸の葛藤自意識」と、「諸戸と簑浦」について、2017舞台版では秀ちゃんの手記で語られている。(正面を向いて語っている時の内容は隠喩パーツ)

----

箕浦
  • 完全なるノンケ
  • しか同性愛嫌悪していない
  • 諸戸から性愛アピールをまったく感知できない。しかし諸戸が自分に恋していることを頭では理解している。しかしわかっていない。
  • 諸戸を親友と思ってとても信頼している
  • そのため「初代を殺したのが諸戸ではないか」と疑った時、井戸の中で諸戸が性愛の拒絶に唸り雄叫びを上げたのとよく似た体で、のたうち回りながら信頼の裏切りに悶え苦しんでいる
  • 学生時代のあの夜に諸戸が泣きながら請うた「わかってさえいてくれればいい」「どうか僕から逃げないで」「僕の友情だけでも受け入れて」「僕が一人で想っている自由だけでも許してくれないか」という願いを、字面通り叶えようと作り変わった簑浦
  • 諸戸からの接触に拒絶しない
  • 諸戸と共に友情のまま逝くことを井戸の中で受け容れている
  • しかし、井戸の中で諸戸が簑浦に「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と、矛盾する願いを請うてしまったため《みのうら》から追い出される
  • 《みのうら》と《わたし》を演じる
  • 『私』とは別人
  • 『私』とは並列の存在で強弱なし。お互い干渉できる。

-

『私』
  • 同性愛嫌悪している
  • しか学生時代再現を諸戸と行っていた際、あの夜の諸戸の嘆願を哀しそうな顔で聞いている。
  • あの夜のせいで学生時代で諸戸との関係は終わったと思っていた。実際に以後彼は井戸まで《みのうら》役を降りる。
  • 諸戸が『箕浦』演じる《みのうら》と接触した時、諸戸に向けて嫉妬するような軽蔑するような視線を向ける。それは秀ちゃんに恋した『私』が「軽蔑するかい?」と問いかけ「恥はないのか!?」と返した諸戸(《わたし》の世界の方)が向けた視線と似ている。
  • 『私』が諸戸に「嫉妬している?」と尋ねてしまったがために、諸戸が抑え込んでいた愛欲が暴走する

-



随時更新

世界構造考察

随時更新

情報求む

  • 冒頭の『妻の傷』は「右側」と言われたか位置を明言してない気がするが…)
  • 石田さん演じる箕浦は、『諸戸』と呼んでいたか
  • 諸戸は2回、自分嫉妬告白している。対初代と対秀ちゃん。その告白の様子と、それを聞いている『私』と『箕浦』それぞれの様子と反応はどうだったか
  • 手記の中での秀ちゃんと吉ちゃんの服に汚れはあるか
  • 島で会った秀ちゃんと吉ちゃんの装い
  • 発狂した丈五郎について「私はあの景色が忘れられそうにない」と語っていたのは誰か?(舞台版での役者と正確な言い回しだけでも大変助かる)
  • そもそも原作内での「書き物」(本編)が、簑浦と諸戸の共著である可能性が非常に高いのだけど、その辺りの原作考察情報

→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》

根拠資料

観劇2回目の備忘録http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

(着眼項目リスト理由http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208

初見感想を書いた後のメモhttp://anond.hatelabo.jp/20170207200710

2回目後の本記事に収まらないメモ:随時更新

参考資料

心のお母さん

俺は今年で32歳になる独身男性だが。

リアルの母とは別に、心のお母さんがいる。

  

心のお母さんは、何もできない。

そのお母さんを介護するために、俺はちゃんとした生活を整えている。

キチンと掃除して、洗濯する。

  

俺は独りぼっちじゃない。

心のお母さんと一緒に出掛けるし、ご飯を食べるし、俺の成長を喜んでくれている。

  

俺の心のお母さん。

顔も見たことないけど。

俺の生活の中に、確かにいるんだ。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170208154612

普通に会話出来て挨拶無視される事なんてない」ってのが大多数だと思うが

ぼっちってのはキャッキャウフフママ友()付き合いは出来ないって意味だろうし

そんなのはママだろうがコミュ障多いはてなには多いだろ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん