はてなキーワード: クロッキーとは
熱き血潮渦巻く 非処女を求めて!
「私 処女じゃないよ」
「やっぱり気になる?」
「多少・・・」
「ま…ちょッ…えりちゃん……?な…なんかその…慣れてない?」
「その……ごめんなさい……実は私……あの……初めてじゃなくて………」
どこにでもいる普通の学生の主人公・洋太(童貞)は、家に遊びに来た幼馴染の女のコ・理緒(非処女)と何故かエッチな展開に……。
「君もあたしとエッチしたい…? 抜いてあげよっか……」
好きだった子の積極的な誘惑に最初は戸惑いながらも、彼は初めて味わう女の柔肉に溺れていく……。
(好きな子が非処女という設定の為、若干の寝取られ描写があります。ご注意ください)
学生同士の飲み会むにうかない主人公。女性に縁のない彼にふとしたきっかけでチャンスが訪れる。
相手はボーイッシュな人。はじめてのラブホで戸惑いながらも、彼女のリードで念願の初エッチ!
「初めては中2の時で修学旅行の時にノリで」
「ノリで…」
鳥居座(鳥居ヨシツナ) いつもそっけないのにエッチする時だけ「好き!好きぃ!」ってなる巨乳後輩ギャル
すいのせ 『ふたりごと』 ~フラれてから始まるラブラブえっち~
高橋屋たかべえ 郷に入っては
砂漠 教えてあげる!
てぃらみすたると(一弘) スケベな娘の落とし方ドスケベなおばさんがシコんであげる
ひげた 転校生
ICHIGAIN いいコじゃいられない。
咲次朗 園
ひげた ヤマアラシたちの恋
世間の片隅 彼氏持ち秋雲先生に彼との性生活を聞かされながらおくちに射精させてもらったり筆下ろししてもらう本
https://blog.tinect.jp/?p=80847
この作品集の登場人物たちには「東京をやっていこうとしている」という言葉がよく似合う。彼らには「東京」への過剰適応、いや、「東京」への依存というべき性質がみてとれる。それで自分自身を救おうと頑張っているのに、実際には足元をすくわれている。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230307/1678181885
そうしたわけで『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』には、自分の物語を生きている主人公がいないようにもみえる。主人公たちは、他人のことをよく見ていて、他人を見上げたり見下したりしている。自分自身のことも冷ややかに見ている……ようにみえるが、実際のところ、この登場人物たちは自分自身が本当に欲しいものがなんなのか、目星がつけられていないようにもみえる。「東京」をやっていく能力や背景が足りなかったのが表向きの躓きにみえて、実のところ、自分の物語、自分の執着についてこの人たちは把握できていないのではないだろうか。その結果として、東京という物語に人生を乗っ取られたマリオネットのように欲しがり、行動してしまう。
https://amamako.hateblo.jp/entry/2022/01/28/195109
そしてそうであるがゆえに、「正しさ」を求めてフォロワー数という神を信じる行為が、むしろその神に振り回され、「自分がどうあればいいのかわからない」という不安を生み出し、そしてその不安を解消するためにさらにフォロワー数という神にすがるという、負のスパイラルが生まれるのです。つまり、構造的に「フォロワー数」というバイオモドキ神は、その神にすがる限り、メンタルを悪化させ、「メンヘラ化」を促進してしまうわけです。
https://note.com/sizes/n/n3a481a971253
我々が求めていたものは一体なんだったのか?と考える。作業窓だったはずのDiscordで陰口を叩き合うこと?「#絵師進化録2022」をミュートワードに設定しながらいそいそとクロッキーを始めること?切磋琢磨していたはずの相互の絵描きが抜け駆けして、いつの間にかリムーブされること?とてもそんなふうには思えない。人生は有限で、他者に捧げれば縮減する。どれだけの人間が、あなたの人生を略奪していったのか?
東京、配信者、絵描き、題材は違うが、似たものを論じている記事を読んだ。
何かしらの成功に憧れた結果、心身をすり減らしてしまう。そんな人たちに向けた警句でもあり、救いの手でもあるのだろう。
自分も、ツイッターでそういった人をしばしば見るし、(紹介した記事ほど上手く言語化はできないけど)似たようなことを考える。それで、老婆心からつい声をかけたいなあと思う。基本ROM専で特に接点もないからしないけど。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190222/1550830348
それでも、人間の行動・発達・人生には多かれ少なかれの寄り道があってもおかしくないはずですし、症例として事例化すべき人と、症例未満のものとして目をつむるべき人の境目はつねに曖昧であるはずではないか、と私は考えています。
ただ、上の記事が言うように、多くの人間はある程度そういう所があるんだとも思う。
例えば、昔は陽キャ&リア充って感じのサッカー少年、そして今は自立した立派なサラリーマンをやっている順風満帆そうな人を想像してみてほしい。
そんな彼だって、東京でSAPIXがどうとか言って受験戦争をする者の如く強いサッカークラブに憧れたり、フォロワー数を伸ばすために色んなことをする超てんちゃんの如く練習法を変えたり、さいとうなおきやディープブリザードの言葉を聞く絵描きの如く有名選手のインタビューを見たりしていたのかもしれない。また、社会人になっても、周りの社員にサッカー少年時代のようなコンプレックスを感じるときはあるかもしれない。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190217/1550390275
その一方で、実際にバカッター案件となるような炎上を起こしている学生は非常に少ない。たとえ年間10人やそこらの若者がバカッター案件をやらかしたとしても、それは1000万人のなかの10人程度のことである。交通事故のリスクに比べると、バカッター当事者になるリスクはずっと低い。
多分、僕たちが思ってるよりインターネットで身を崩す人はずっと少なくて、みんな適量用法を守って嫉妬や渇望に付き合っていると思う。
でも、そうじゃない人のためにこういう記事があるべきとも思う。
これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。
ちなみに現在のフォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。
これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。
それでも読み進める酔狂な紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。
(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)
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これはノートにシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感と承認欲求と生きがいにまみれた記録である。
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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。
「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分に気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場・イラスト垢である。
絵を描くのは物心ついたころから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。
それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!
ということでTwitterにイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。
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なんか最初は気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折、上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。
当時は「ハッシュタグは馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。
そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。
当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログ民である。イイネもRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。
そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネとRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。
というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。
フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!
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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの?4コマ?みたいなやつとか描いてた。
衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間と睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!
そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。
うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。
社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。
一度だけドハマりした作品で版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。
というかその直前のコミティアで頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチのマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である。
でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。
無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。
この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。
あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げます。あなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)
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こうして3年ほど経った頃……
「伸びねーーーー増えねーーー」
と思っていた。
当然である。
絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであんま練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である。特定の性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。
伸びるワケがない。
「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。
無理やぞ????
たまーにいるけどね、そういう良い意味で無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。
けどな、俺ザコキャラだから!!!絵上手くないくせに承認欲求は人一倍だから!!!豆腐メンタルで麻婆豆腐だから!!!!
とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトのポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ、10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。
けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。
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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。
俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイでインターネットに繋いだら絶対に
高額請求が来る」と信じて疑わない母から生まれた生粋のデジタル音痴である。アナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。
ヨドバシカメラでペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。
かといって液タブとかいう神のツールは10万フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。
かつて「描線をデジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。
もともと速記用のペンをイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビューが全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味でダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである。
絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。
死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。
ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである。
初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。
当然である。
周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである。
もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉を金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。
が、爆睡と家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。
そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングでコロナ禍が始まった。
実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。
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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。
ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。
UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。
そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託の申請をしてみたことがある。
規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。
問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。
5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。
がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。
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……が、余計に病んだ。
しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。
自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報の摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。
(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)
ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。
なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイトを作ってみたい」とかいう思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。
なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。
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進むも地獄、戻るも地獄な精神状態が半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中にとあるバズツイを目にする。
さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっちの根暗オタクで社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。
知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。
お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UIが直感的でツールとアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。
ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。
フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである。
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それが×年前のこと。
ここから「オリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。
といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。
フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)
デジタルのバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。
やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。
いつでもどこででも描けるiPadは社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。
デジタル作画はワンタッチで消しゴムが使えるので描くこと自体のハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムかけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法で自分なりに学ぼうとした。
だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。
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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナルの同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後の人間にそういう話するか?)。
実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ちで申請。
が、思ったよりあっさり通った。
同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルのエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。
やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託。そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロの仕事ぶりに、尊敬と畏敬の念しかない。
みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。
そもそもド底辺の自分がなぜ身分不相応にも書店委託や電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、
「そこでの売上が決して0冊ではない」
作品も作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。
コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である。
ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。
そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である。
しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。
そんな嬉しいことある?
紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。
とはいえピコ手もピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?
俺とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。
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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。
頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。
1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである。
普段の活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわとフォロワーを増やしていった。
ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まり、RTしてもらえることも出てきた。
その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。
まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である。
「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。
UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。
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コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。
開場して10分20分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて
「新刊1冊ください」
と言い放った。
新刊1冊ください…
しんかんいっさつください…?
それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?!
つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??
シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???
入浴して子育て以外にやることのない私は、毎晩クロッキー帳に西洋ファンタジー風BLを落書きし、スマホで写真を撮って彩色していた。
夫もオタクで自分が腐女子であることは公言していた…つもりだった。子を放棄してシャニマス、ウマ娘に夢中になっていて、こっちの事など興味すらないと思っていた
ある日、大量の落書きが夫に見つかった。
「何これ」
そこには、屈強な男がひ弱な男性をあすなろ抱きしている絵。あすなろ抱きから手の位置をスライドさせていくシチュがヤバいくらい好きで、具現化してしまった。
PCの履歴は18禁ばかり。ひ弱な受が涙を浮かべて懇願するのが好きで好きで堪らなかった…
バレてしまったからには夫も同じ羞恥心を味わせなければならない。
そう考えた私は通販で貞操帯を購入した。とにかく辱めて自分の屈辱を忘れたかった。それを装着するように言うと、あっさりと断られた。ついでに別れも切り出された。どうしよう。困った。
クロッキーを地道に続けると見る目が養われてなんでも描けるようになる。
後者の方が汎用性は高いし弘法筆を選ばずでどんなツールでも腕一本に実力がつく。
頑張れ。頑張れ。道は険しくても一生の実力がつく。
以前から青い鳥に流れてくるデジタルイラスト絵は上手い絵が多いけど、最近急に余計多くなった気がする。この前なんかc学生が描いた超上手い絵が流れてきてた。上手いというのはデッサンと色の塗り方が特に上手いんだけど、特に人体のデッサンが一寸の狂いもない正確なデッサンの絵が結構流れてくるので単純にデッサン上手い絵描きの人が多いんだなと思ってた。でも最近気が付いたんだけど、1枚絵の場合は某クリ〇タ使ってデジタルの3Dポーズ使ってそこからトレスすれば大体正確なデッサンの線画が出来て着色はAI着色でお任せ出来るらしいと知ったので、自分が思ってたのと違ったのでちょっとがっかりした。なので頑張って自分はクロッキー描く練習続けようと思った。
広くて寒いディカプリオのおうち
「家政婦さん!あ、奥さんか。ごめんね」
家事の傍らで英語を勉強しているが、あたまが良くないので、まだ完璧には英語は聞き取れない
しかし、どことなく蔑むような、バカにするようなイントネーションであることはかんじられる
自分の家庭内の立場や、発音や語彙に不慣れなせいで、日本人の典型的な反応である「曖昧な微笑み」しか返すことができない
しばらくすると、催したのでディカプリオに向かって挙手をする
「おトイレに行ってもいいでしょうか?」
ディカプリオは遠くでめんどくさそうに頷いた
私は暗いトイレにかけこむと、用を足しながら泣いた
もう消えてしまいたい
標題の通り鬱病患者なんだが、諸事情あってとんでもねぇ汚部屋の片付けを強いられている。
大体4年くらいかけて形成されているのでそれなりに強固であり、DPZかなんかのライターさんで汚部屋で有名な人よりちょっと酷いくらいである。
鬱の方は2日に1回は布団から出られない感じだ。
鬱病と片付けの相性は言うまでもなく最悪だが、事情があるので致し方ない。
私の場合はかなり特殊なケースだと思うけれど、後進の役に立つかもしれないのでここにまとめることにする。
1日目 ダンボール
1日目はとにかくダンボールをつぶした。
数えて無いけどたぶん20個はあったと思う。
この時点で視界が若干スッキリするし、歩行しやすくなるので片付けの効果を実感できる。
ただかなりの重労働であり、ここは可能であれば健康な人にやってもらうといいと思う。
写真を撮って家族に自慢したらまだまだ序の口と言われ、まずは褒めろとキレておいた。
2日目
朝起きた時から腕が重く、動けなかった。
夕方若干人間性を取り戻したので、クロッキー帳(大人向けの自由帳みたいなもの)に間取りと散らかり具合を書き、一日作業したら一日休む方針で計画を立てた。
そういえばと小型の安物掃除機を発掘し、明日から使うことにした。
3日目(今日)
朝から気合いを入れてゴム手袋と電池を買いに行ったら疲れて午前中は寝た。
午後から作業である。ヘッドホンで激しめの曲を聞きながらゴム手袋を装着する。
前提として私は黒いゴミ袋を使っているので、センシティブなものも放り込むことが出来る。
とりあえずトイレのドアが閉まるように詰まっていたゴミを取り除く。数年ぶりに個室が復活した。
まずは玄関のタタキからである。靴置きがぶっ壊れていたのでとりあえず養生テープで補修し、脇に避けておく。
ペットボトルはラベルとふたを除いて別の透明な袋に入れていく。
捨て方に迷うもの(テンション上がった時買ったクソデカネックレスなど)は大きめの紙袋にいれておく。
必要だがあるべき場所が違うものは別の大きめの紙袋に入れ、後で分別することにする。
タタキがあらかた終わったら掃除機をざっとかけ、靴おきを戻してレギュラーの靴を置いておく。
レギュラーじゃない靴や傘、シューズケア用品は下駄箱に入れる。
玄関前の床もちょっときれいにして、トイレのドアがスムーズに開くようにする。
トイレである。トイレットペーパーの芯など比較的捨てやすいゴミが多いのでポンポン袋に入れていくだけで済む。
なんか水のペットボトルの空のやつが6本くらいあってびびる。なんで?
トイレの中も当然やばいくらい汚いのでサンポール先輩を散布ししばらく置いて流し、落ちなかった汚れは使い捨てのブラシを使い擦り落とす。
成果:ゴミ袋4
今になってであるが、ホコリがすごい出るのでマスク必須である。私はKF94のものを使っている。
手を洗ってお茶を入れ、朝買っておいたセブンイレブンの冷凍大学いもを食べながらいただいた。
…と言うと優雅だが、実際は小太りの人間がベッドに胡座をかいて片手にナルゲンの1リットルボトル、片手に箸を突き刺した大学いもの袋を持って声にならないうめき声をあげている感じである。
食べ終わったら、無理みが天元突破したので電気を消しお布団に入ってフラストレーションの解消のためこの文章を書いている。
ここまで読んでくれてありがとう。
多分続きます。
娘たちから、「ママは子供の頃は、将来何になりたかったの?」って聞かれた。
子供の頃……、今の長女と同じ年頃、10歳頃のことを思い出すと、本気でなにかになりたいと思ったことは、そういえばなかった。
何でなりたいものがなかったのか。その理由の一つが、私は幼い頃に病気で10歳までしか生きないだろうと、医者から余命宣告を受けていたので、誰も、私自身ですら、将来の自分に何も期待をしていなかったことだと思う。病気は小学校に上がる前にあらかた治っていたけれど、どうせ長生きしないんだからという投げやりな気分だけは、長く残っていたのかな。
小学校の高学年になると、将来の夢について作文に書かされたり、夢を叶えた自分の姿を紙粘土で作って授業参観で発表するとかいう機会があったから、殆ど強迫観念みたいに、夢は持つべきものだと思って、なりたいものを次から次へと言いだした。占い師だとか獣医だとか、色々。でも、本気でなれると思ったことはなかった。
中学の頃からは漫画家になりたいと思っていた。思っているだけじゃなくて、自ら言いふらして歩いていた。でも、本当は漫画なんか1ページも書いたことがなかった。毎日、高校受験の勉強の合間に、10分間だけクロッキーの練習をしただけ。それでもいつか漫画家になれると思っていた……そうだろうか? 本当は、将来というものにおそれをなして、ただ現実から目を背けるためだけにデカい声で「漫画家になる!」と叫んでいただけだと思う。子犬が真夜中に親を恋しがって遠吠えをする、その鳴き声とあんまり違わない叫びだと思う。ただただ不安だったから叫んだ。自分は人間だから「ワンワン!」と叫んでいるわけにはいかないので、なんか意味のありそうなことを叫んでみただけだろう。
まあ、そんなわけなので、ママには将来の夢なんか一つもなかったんじゃないかな。なんて、私はちゃっかり漫画家になりたかったことだけは抜きにして、娘達に話した。長女が最近、「将来は漫画家になりたい」と言っているから、余分なことを吹き込みたくなかったというのもあるけれども、やっぱりそれより、中学時代から数年(なんと大学を卒業するまで!)の、自分の弱さと情けなさにいまだ直面したくないというのが本音だ。
0歳時点で余命10年と宣告された私だが、もう40年近く生きてきた。十分に生きたし、子供達のことや老後のこととかはあるにしても、将来に不安とか、別に感じる必要もないわけで。近くの問題から目を背けるために遠くを見る必要はないのではないか? と思うと、単純にやりたいことと純粋に向き合えると考えた。なので、最近は昼間、私以外誰も家にいない時間は一人でパソコンに向かって小説を書いている。毎日毎日、まるでそれが仕事であるかのように書き続けて、すごい馬鹿だなと思う。
小説サイトに投稿すれば、読んで好きだと言ってくれる人がたまにいる。だがwebのコンテストに出品しても、掠りもしない。でもまだ出版社の原稿募集だけはチャレンジしたことがないので、次に挑戦するならそれだよなって思う。
『反応がない〜💦ぴえん🥺ぱおん🐘』 とか言ってる日本の創作者の
1億倍くらいの画力と1億倍くらいの手間が掛かっていても
いいね3とかザラ。反応付いてても数百程度で1000なんてまず付かない
アジア系のアーティストが日本風のイラストや版権あげて万ついてることもあるくらいかな
そしてマジでみんな上手いわ。真面目に美術を勉強してきた人の絵だね。クロッキーからしてヤバい
日本みたいに下手でもぽんぽこあげる環境なら誰でも趣味アーティストになれるけど
周りがあのレベルだったらとても上げる気・描く気にはなりませんわ
上達する側になりたいとは思うものの、
いまいち上手くなってない。
調べると上達は模写かクロッキーです!
というわけで練習は間違ってはない。
察しのいい人間が上手くなるのでは?と疑問が湧いてくる。
ていうのもフォローしてる人でずっと絵の下手な人がいるんだよね。3年くらい。写真をリアルに描くタイプだから私のとは違うんだけど。毎日投稿して、目の位置や鼻の位置が本物とかけ離れてるの。そういうのだったら目の上下に線をいれれば大きく狂わない。鼻は目と目の間でしょう。鼻の線ははもっとうすくして、線を綿棒やティッシュ、指で擦ればいい。
なんでやらないか?
察しがわるいんだと思う。
おかしいなって思えば検索して直せるはずなんだよね。3年はやりすぎだろう。
私の絵も上手い人からするとそんな感じでは?
正直模写の仕方が間違ってるとは思う
全体の形を取るようにして。立体とかは二の次
立体意識してとか言われても無理な段階なので
背景は1日4枚しっかりしたものを
忠実に描くものと、特徴を捉えてさっさと描いてゆくクロッキーベースのもの
クロッキーだけだと40は軽くいく
両方とは言わない。人物やった日はそれどころじゃないと思うので背景やんなくていい
背景じっくり4枚描いたら今日はそれで終わり
次に見ないで描く、といった手法で合計三枚一枚に付き描く
トレースの際には全体をぼんやり見て、部分を注視しないようにサッと引いてゆく
模写はトレースした一時記憶が勝手に思い出されるので、見ながらだとだいぶうまくゆくはず
次が難関。見ないで描く。失敗したらまた見て描き更にうまくゆかなくなったらトレースに戻る
これでうまくならないはずはないので、ひとまずどうかやってみて
子供の頃から絵が下手で、中学三年間は課題が完成しないとか、テストの配点の半分が実技だったりとかで、他の科目は五段階でいつも4〜5取れてるのに美術だけ常に2みたいな感じだった
特にクロッキーとかデッサンとか風景画とか、立体を絵にするタイプの絵は何から手をつけたら良いのかわからなくて目印の十字とかを描いたとこで手が止まる感じ
アニメや漫画の平面的な絵をそっくりそのまま写して描くとか、写真に撮られた動植物を同じように紙に写して描くとかはできるから2Dから2Dは多少できるんだと思うけど、アレンジしたりとかは一切できない
大袈裟に例えると、正面向いてにっこり眉毛に黒豆の目のアンパンマンは見本があれば描けるけど、それを少し変えて目もにっこりにしようとするとバランスがおかしくてアンパンマンじゃなくなる、みたいな感じ
これも、風景写真になってくると目で見てる時と同じように、何をどうしたら絵にできるのかわからない
レタリング?カリグラフィ?の単元だけはすごい楽しかったし、美術以外だと習字も苦手だったんだけど、明朝体というフォント知ってからは多少見られる字が書けるようになった気がする
図録に載ってた植物わ元にしたスクラッチアートとか、独自にパターン模様を作るっていう課題も一応完成した記憶あるし、後者のやつはしばらくハマって家でもやってたから、デザインとかそういうのは好きなんだと思う
今の仕事上でデザイン能力が必要になることはないし、せいぜいか資料の配色や配置バランスくらいだけどそこは苦手意識もない
それでも絵が描けないのがこの歳になっても地味にコンプレックスで時々思い出してはなんて私は絵が下手なんだろうって思う
絵が下手、って検索すると出てくる「発達障害の特徴の一つとして空間把握能力が低い」とか「発達性協調運動障害」とか、なるほど当てはまる…と思う部分もなくは無いけど、美術の授業のある学生時代ならまだしも、今のところ生活上で困ってるわけじゃないし、飲んだら絵が上手くなる薬が貰えるわけでもないしな
今から習って直るもんなのかこれ
習うとして何をどこで習えば良いんだろ