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はてなキーワード: 基礎練とは

2024-03-22

努力 成功したらがんばった だめだったら無駄なことしてまともにがんばらなかったみたいになりがち

異世界ものステータスオープンとか適性とかあるのはやっぱりあれがほしい見たい人が多いんだろうなと思うし

少し前ならAIが判定して振り分ける系のSFみたいなイメージがある

あといい師匠に恵まれて本人も素直に指導に従ってひたすら基礎練習なんかをしてたらいつの間にかすごく強いパターン

これが一番現実味ある うらやましいけど素質を見出されないといけないし素直に従えないだろうから自分はだめだ

2024-03-02

自分が選んだ曲をつまらんと言われた

吹奏楽

演奏会音出し

自分クラリネット担当選曲担当

・別の団体で、スケールが多くて目立って、曲全体の雰囲気も楽しかったな〜と思った曲をまた演奏したいと思って選曲

(演奏したメンバーの反応、クラリネットでいつも1stを吹くリーダーより)

基礎練習みたいでつまら

練習自分のペースでやるからいいのであって曲でやるべきではない

(これを受けた自分気持ち)

自分否定されたという気持ち

(自分音楽性と違っていただけで、自分否定されたわけではない)

自分面白いと思ったことが、他の人も面白いわけではない

(当たり前)

とはいえ、これからしばらくの間不機嫌そうに吹くメンバーを見るのも精神衛生上にも演奏にもよろしくない

・一方で、楽譜は買ってしまったので演奏すること自体は確定

(とりあえずの作戦)

・どこかで「つまらんかったですか?」と話を聞いてあげて、寄り添う

・「でも揃うと楽しいんで頑張ってください」と言ってみる→実際揃ってからのほうが楽しい。一番はこれかな

・実は2nd,3rdのほうがメロディが多いのでそっちに移ってみたら?と言ってみる

(これは他のメンバー軋轢も生むかな...?)

2023-10-03

楽器練習は本当につまらない。楽しくない。退屈。苦行。

いつだって最初楽しいギターポチって、届くまではYoutube初心者向け動画を漁って、エアギターなんかしちゃって、現物の到着を待ち詫びる。

エフェクターについても調べてみて、少し面倒臭そうな話が出ると飛ばし読みして、なるほどこれがツウ好みなんだななんて思う。ロクに練習もしない機材厨になっちゃうと困るからな、と調べ物を中断する。

やっと届いたギターを一目散に開封する。メルカリで売る事になったらこダンボールも捨てずに……と一瞬よぎった考えを捨て去るように、ダンボールをへし折って束ねる。

アンプに繋いで音を出す。騒音トラブルはゴメンなので一緒に買ったモニターヘッドホンを繋ぐ。おお、エレキギターだ……

ローポジションのCメジャースケールとCコードだけは手が覚えている。ボヘミアン・ラプソディギターソロは全く思い出せない。

2年前にも一連のこれと全く同じ体験をしている。強敵と名高いFコードに息巻いて、割とすぐ抑えられるようになった。ちょっとセンスあんじゃね?と浮かれたけれど、セーハなど数ある難所のほんの一つでしかない事を知って投げた。厳密には徐々に触らなくなって、埃をかぶっていく挫折象徴が目に入るのが不快メルカリ行きになった。

前回の反省を踏まえ、アンプラグだけではなくちゃんと10Wのアンプを買った。のちにマルチを買い、別にアンプは要らなかった事を知る。

そしてどんなに飽きようとも、毎日必ず基礎練だけはやろうと固く誓った。

ようやく楽器が届いて、待ち侘びた基礎練を試してみる。中々上手くいかないけれど、やりたい事が出来ない苛立ちよりメキメキ上達する楽しさがまだ勝っている。指が痛むけれど、この痛みが練習勲章だと思わせてくれる。まだまだ浮かれている。

好きな曲の好きなフレーズを繰り返し再生しながら、自分がその音をかき鳴らす姿を妄想する日々。それは昔からだけれど、今はわずかながらも実現に近づいている事実にニヤつく。

基礎練習の練習を終え、ようやくまともな基礎練が出来るようになった頃、少し調子に乗ってOMOIDE IN MY HEADイントロリードギターに挑戦してみる。出来そうな部分だけを数小節ずつほどつまみ食いしているので、当然少しは弾ける。サマになってるじゃん。

でも数小節弾けた喜びは数小節分でしかなくて、それよりも以前は辿り着くことのなかったミュートの難しさに気付き、道のりの長さに気が滅入る。

カチカチになった指先が脱皮した頃、基礎練にはすっかり飽きた。もはやアンプに繋ぐのも面倒で、生音で弾いてばかりだ。

成長のボーナスステージは終わった。長い目で見れば今も猛成長中かもしれないが、そんな事は今のおれにはどうでもいい。牛歩牛歩だ。

さりとて曲を弾くこともままならない。きらきら星や好きな曲のメロディを単音でなぞるくらいなら、まだ基礎練の方がマシだ。

Youtubeで憧れの曲のTAB譜を調べてみても、基礎練には出てこない技術ばかりで全く歯が立たない。少し挑戦しようとして、すぐ投げる。新宝島を弾こうと息巻いて買ったカポは、届いた翌日以降たまに使うおもちゃしかなっていない。

全く楽しくはないが、基礎錬だけはやる。もはや新しい練習に移ることもなく惰性でしかないが、それでも毎日やる。触らない日がない訳でもないけれど、ほぼ毎日といっていい。

夏休みギターを触る時間20スマホをいじっていた。田舎祖母宅に行った時、せっかくだからアンプを持っていけと言われた。別にマルチヘッドホンでいいけどな……と思ったけれど、一応持っていった。

フルテンで適当コードジャーンと鳴らしてみて、死にかけていた初期衝動がやや蘇る。

つまみ食いで覚えたOMOIDE IN MY HEADや閃光少女フレーズを鳴らしてみる。気持ち良い。生音とは比べようもない。これはどんなに言葉を並べようが、体験しなければ分からないと肌感覚理解した。

田舎でやる事もなく暇なので、スマホポチポチゴロゴロギター練習を交互にやる。徐々にスマホ比率が増えるが、それでも日頃の練習時間とは段違いだ。

祖母宅にいる間の課題曲として、リライトに挑戦した。以前初心者向けの簡単な曲と聞いて挑戦したが、どこが初心者向けだよとキレて一瞬で諦めた。

かまいたち番組観ながら延々と練習していたら、拙いながらもオクターブ奏法が出来るようになっていた。

完成はしないまま帰る事になったが、ギターへの意欲は復活した。

意欲だけは蘇ったものの、やはり好き放題弾ける訳ではない。

音楽映画天才少年とは違って、デタラメに弾いても本当にデタラメな音しか出ない。よほどの天才でもなければ、即興演奏にはそれなりのセオリーを知る必要がある。お勉強は大嫌いだ。音楽がしたいのであって、音学がしたいのではない。

ペントニック」で検索したタブはどのサイトも開かないままもう数ヶ月経つ。

体系的に学ぼうと息巻いていたコード理論は、もはや虫食いの知識でおおよその理解を迎えていた。理屈を知ってあとは抑え方を覚えるのみだが、やはり面倒臭い

目指すものの輝きに目をくらませて、途中の退屈な道のりまでもを楽しめるよう錯覚する事は出来ない。

まらないものはつまらない。でもステージギターをかき鳴らす姿はかっこいい。フジロック出てェ〜

と口にした所で冗談と思われるか苦笑されるだけだが、割と全然マジで思ってる。実現するかなど些細な問題だ。

惰性にまみれて弾き続ける中、リライトを通しで弾いてみた。拙いながら、マルチリズム機能を使ったらなんだかそれらしく思えた。その達成感といったら、快感といったら、映画マンガサウナ美食にかまけるそれの比じゃない。そこまでの過程を考えれば極めてコスパは悪いが、日々の糧、気晴らし程度の趣味からは得られないものがある。

およそ中級者の壁というものを超えた事がほとんどない。初期衝動に任せてえいやと通り一遍技術を身に着けて、あとはそれなりに楽しみながら地道に……というのが出来ない。勢いに乗り切れない。最初だけはちょっと上手く行っても、すぐに飽きてしまダメタイプ器用貧乏だ。

ただ、やっぱりつまらないものはつまらない。

「本当に好きな人は……」なんて言う人もいるが、他の人がどうだろうがつまらないものはつまらない。でもこのつまらなさを耐えた先にあるものがどうしても欲しい。前回投げた時とは違って片鱗を味わえたのは少し進歩だ。

それでもこんな事をグチグチ書いて逃げてしまうくらいにはやっぱり練習は苦行だ。今日の分はもうやったけど。

2023-09-11

ギター買って、クロマチックとローポジションメジャーコードだけ毎日続けて3ヶ月くらい経った気がする。マジで全く何も弾けない。クロマチックとメジャーコードメジャースケールしか弾けない。

嘘。全くではない。

OMOIDE IN MY HEADリードギターの方?はイントロだけ弾ける。

深夜高速もイントロだけ弾ける。

Uフレットで星降る夜になったのコードも通しで覚えたけど、コードチェンジが遅すぎて話にならない。

リライト簡単って聞いてちょっと挑戦したけど一瞬で諦めた。

そんな感じで弾ける内に入るようなレパートリーはない。でも弾いてると気持ちは良い。他人が聴いててどうかは知らない。自分で録音してみて聴くのは楽しい自分大好きだから

つまみ食いはしてみるけど、コードチェンジが遅すぎたり前後フレーズミュートが難しすぎてハゲそうになったりですぐ投げる。

じゃあコードチェンジ練習をすれば良いし、ミュートの練習法を調べれば良いんだけどやらない。ついでにクロマチックとか他のコードも覚えて手癖でジャカジャカやれるようになりたいと思ってるけど、やらない。

毎日やろうやろうと思ってやらない。

でもこんな感じで一度フェードアウトしてギター売った前科があるので、今やってる基礎練習だけは毎日欠かさない。

今日は気まぐれにマルチプリセットリードなんちゃらみたいな音で弾いてみた。なんか20th century boyみたいな音だなって思った。

ふとEコード鳴らしてたら、コレ20th century boyそのものじゃんって気がついた。

こんな感じだっけと思ってジャカジャーンって鳴らしてたら、続くフレーズを小指が6弦で自然と探っていて、すぐに見つかった。

わずyoutubetabを調べて続きを弾きたくなった。ヘボいブリッジミュートでも気持ち良い。

なんかこういう原体験的なのを10年前にやってたら今頃いっぱしのギター小僧になってたかなとか思った。

2023-07-29

Xに上がってる絵にもコミュニティノートを付けられるのかな?

デッサンが狂っています。物をよく見て描く基礎練からやり直してください」

複雑骨折しています。人体はその方向には曲がりません」

「弓の構え方が違います。そのフォームでは矢を的に当てるのは困難です」

ギターの弦の本数が違います。この弦の本数だとベースです」

下手な絵はそもそもまり興味を持たれないから今のところこういうコミュニティノートを見たことはないが理論的には可能だよね。

2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

ギターを買った。

2年前にUSGのセンチメンタルピリオドを聴いて突発的に買った時ほどの初期衝動はない。青春も終わりかけて、悶々とした気持ちも随分と整理されてしまった。

でもあれから色んな曲を聴いた。やりたいフレーズも増えた。

基礎練習は退屈だ。それは自分モチベーションが偽物だからじゃない。そういうもんだと思う。

スケール、クロマチック、コードチェンジ。必ずメトロノームをつける。チョーキングもカッティングも焦っていては手に入らない。出来ることを地道に淡々と増やす

そして何よりも大事なのはこれを飽きずに続けること。ネット練習法を調べて回るよりも楽器を触る事の方が大切なのも分かってる。

出来るだけ事をやっていてもつまらない。やりたい事だけやっていても先へ進めない。

このもどかしさを超えた先の喜びをおれはまだ知らない。それはギターに限らず。

ただ生きるなら辛抱がなくたって別にいい。社会性を内面化していなかろうが何の問題もない。でも自分人生を楽しく生きるためにも我慢必要だった。

要領よく足早に生きる人が見過ごしてしまうようなものをじっと見つめた時間無駄ではなかったと、そんな確信を委ねる先を音楽に賭けてみようと思う。

向井秀徳は遥か遠くだけれど、憧れの先で自分らしさを見つけられたらいいな。

2023-07-09

妹のあだ名、「ハッタツ」で草

下の妹、部活(吹奏楽)で

・何回叱られても朝練遅刻する

・何回指摘されても同じミスを繰り返す

・同じ基礎練習を長時間繰り返す事に耐えられず立ち歩き、サボる

指導された内容やしなければいけない事を忘れる

・頻繁に忘れ物遅刻生活指導を受け、練習に遅れる

・頻繁に宿題を忘れて居残りさせられ練習に遅れる

演奏会の準備などの忙しい時に一人だけ空気を読まない行動をとる

・落としたものを拾わない、出した機材を元の場所に直さないなどの身勝手な行動が見られる

・皆は考えて行動出来るのに一人だけオロオロ歩き回り時間を浪費する

そもそも発言距離感がウザく嫌われている

と、相当やらかしておりブチ切れた先輩が「お前、発達障害じゃないの?」と発言した事がきっかけで裏で「ハッタツ」と呼ばれてるらしくてガチ

二個違いの上の妹が吹部所属クラスメイトに、お前の妹がヤバすぎて真剣に皆迷惑してて全員呆れてる、家でもあんなひどいのか…との質問を受けた、と報告して来たことで発覚した。

家でも共有物を出しっぱなしでしまわない(紛失する)、思い通りにならないと支離滅裂な行動をとる、どれだけ余裕を持った時間帯に起こしても遅刻する、簡単ルールをやぶる、してはいけない事ややめてと言われた事を何度指摘されても繰り返す、空気を読まない行動、自分勝手発言が多い…等のやらかし日常茶飯事だし、実際何回もイラつかされた事があった。

から、後日部活から帰ってきて「部活で皆にバカにされている。障害があるんじゃないのって陰口を言われる」と泣き出したのでつい俺も「うん、そうかもね」って言ってしまった。

だってあんまり自業自得で、当然の結果だから

上の妹はそれ以降、妹がウザイ行動を取ったら「そんなんだから障害って言われるんじゃないの」「私もお前が嫌いだから部活メンバーに同情する」等、つい部活の件を絡めて批判してしまうらしい。でも、別に攻撃でもなんでもなく事実なんだものな。

両親も、俺や上の妹が普通に出来てた年齢を過ぎてるのに何故その程度の簡単な事すらできないのか呆れているから、先日妹が母親キレさせた時は「いじめの事だっていじめられるあんたにも原因があるんじゃないの」ってド正論言われていた。

父親は「家族がどれだけ指摘しても聞き入れなかった問題行動を外でやって反感を買っただけの話」「これだけ第三者から非難されたらあの子も流石に自分の行動のまずさを自覚するはず。自分責任でかけた迷惑に対して非難を受けているに過ぎないのにいじめられていると主張するのはおかしい」との意見で、妹が自分問題に気付いて能動的に生活態度を改めない限り根本解決に繋がらないからと、この問題には親は一切介入しない事としている。

俺も妹は嫌いだから卒業して新生活始めるまでの我慢と思って何言ってても無視が基本スタンスだし、自分精神衛生の方が大事から終始傍観決め込むつもりだけど、これでまだ何も改善しようと思わないようなら本当に障害かも知れないなという気もする。

2023-07-08

1年半ぶりにギタートライ

少しビビるけどFというかセーハはやれてるな。痛みやあり得ない形してる指への抵抗がない。

前回は技術云々以前に、そもそも大してやりたい事もなくてモチベーション存在しなかったのが根本的に良くなかった。邦ロック聴き漁って弾きたいフレーズは山程溜まったし、今度こそやったるぞ。

好きな曲のフレーズモチベーションを保ちつつ基礎練も並行すれば最強や。そしてそれを継続出来るかが一番大事だ。

ナンバガのバッキングでもしながら絶叫できればさぞや気持ちよかろうな。

2023-06-15

なぜ絵だけ基礎練習を軽んじられるのか

音楽はまず楽器の使い方から学ばないと何の曲も演奏できない。

スポーツでも道具の正しい使い方や基礎体力作りから始めないとまったく動けない。

絵もまずは基礎練習としてのデッサンをみっちりやるべきだが、なぜかはてブの多くのアホどもは「好きに描いたらええんじゃよ」と優しい詐欺師みたいなことを言う。

ただ好きに描いても画力は一切上達しないし描かれた下手くそな絵にも価値はない。完全に無意味だ。

好きな絵を描くのは基礎が身についてからという常識が絵のときだけ無視される。

絵が描きたい人の為の3ヵ月上達法の前準備の前準備

前準備じゃなくて、並行でやっても良い。絵を描くための最初の一歩としてやってみてほしい練習だ。




ノートペンを買ってきて、日記を書け。

ノート学生さんが使う普通サイズノートだと心が折れる最初文庫本サイズくらいがお勧めだ。

ペン好きな物で良い。鉛筆でもボールペンでも良い。

内容も、何でもいい。もちろん、絵なんて描かなくて良い。文字だけで良い。

なんなら、文章じゃなくても良い。1日のやる事リストを箇条書きにするとかでも良い。推しセリフでひたすら埋めるのも良いぞ。

とにかく文字を書け。1日に、ノート1ページを文字で埋めるんだ。

「案外疲れるな、しんどいな」と思ったなら、この練習は効くだろう。

逆に言うと、何も感じなかったなら、こんな事しなくても良い。と思う。


趣味仕事で、日常的に絵を描いている人間が忘れがちなこととして、年に数回しかペンを持たない人も多くいるのだ。

授業やテストがある学生ならともかく、大人なら尚更。

仕事にもよるが、宅急便の受け取りサインや、役所手続きくらいでしか文字手書きしていない、と言う人は結構多いだろう。

いや、宅急便も、シャチハタで済ませてしまえば、ペンで何かを書かなきゃいけない機会なんて、滅多に無い。

そういう生活を続けていると、どうなるかというと。手が、長時間ペンで書き続ける筋力を失ってしまう。

だいたい5~10分もすれば、腕が疲れてくる。指先がなんとなくしんどくなる。

だってそうだ。長時間ペンを握り続けることはできないだろう。

そして、絵の練習で疲れるとどうなるか。答えは簡単。雑に描いて下手だと思って、嫌になってやめてしまうのだ。

基本的な図形を描いて、トレーニングするという手もある。現に、そういうウォーミングアップもいくつか提唱されている。

だが、そもそも、絵の初心者は、基本的な図形の描き方すらわかっていないのだ。

ただの筋トレなのだから、書き慣れている文字を書くようにした方が、余計な頭を使わなくて良い。


もちろん、絵の練習のための文字なので、筆圧や姿勢には気を付ける。筆圧が高すぎる自覚があるのなら、万年筆を使ってみるのも良い。 ただし沼だ。気を付けろ。

タイトルの下に線を引くなどして、飾り付けるのも良い。この場合も、絵の練習なので、なるべくフリーハンドで書くと良いぞ。


とにかく、長時間ペンを持つ練習しろ

学生時代、全く絵が描けず、自分にはセンスが無いから絵が描けないと思っていたのだが、社会人になってから、改めて絵を描き始め、それなりに描けるようになった。

言っておくが、マジで描けなかった。幼稚園児の落書きの方がまだマシなレベルだった。

そんな自分が、一番効いたと思っている基礎練習がこれだ。

そもそも自分は、学生時代も全くノートを取らず、テストくらいでしか文字を書いていなかったので、そもそもペンを持つ筋力が無かったと思っている)



ちなみに、以前プラモ塗装界隈で「日常的に文字を書くようにすると細かい塗装がやりやすくなる」と言う話を聞いたことがある。

自分以外の人も言っているくらいだし、多くの人に効果があるんじゃないかと思うぞ。

2023-05-04

ぼっち・ざ・ろっく観て楽器始めようとは思わなかった。過去ギター買って弾かなかったから。

でも邦楽を色々聴いた。高校の頃割と好きだった事変とかサカナクションとか、元ネタアジカンとか。

そっからナンバガミッシェルスーパーカーフジファブリック、有名どころ色々をざーっと聴いた。

鬱病の皆さんに人気のシロップとかアートスクールにも期待したけど、そこはあんまりハマらんかった。私は音楽には鬱ではなく躁を求めているのかもしれない。

バンドサウンドはかっこいい。しっとりしたのも悪くはないけどやっぱり多動でバキバキなのがいい。

閃光少女アウトロは最高だし、あんまり歌詞に耳を傾けない自分OMOIDE IN MY HEADシンプル言葉が妙に刺さった。

一人でシコシコとピアノ弾いてるんじゃ一生辿り着けない場所だ。ピアノにはピアノの、ギターにはギター領分がある。

センチメンタルピリオドギターソロがかっこよすぎて思わずギターを買った時の高揚を思い出してみた。

ネット譜面探していざ弾こうとしたら、当たり前だが遠すぎる道のりを知って早々に挫折した。

基礎練とかかったるいし、「出来る」ではなく「やりたい」に動かされていたかたから、最初からそれだけをやってたかった。

やっぱり考えを改めて、「出来る」からやっていこうと教本を1ページから進めた。

難所とネタにされているFコードも、なにくそと思って抑えられるようになった。指の皮も少しは硬くなった。

難所は超えたと思っていたら、AだかBだかの方が難しかった。退屈な練習曲をやるのもバカバカしくなってきた。

その辺でギターに触らなくなって、引っ越す時にメルカリで売った。結局「やりたい」を見失ってしまった。

youtube見たら初心者が0からこの曲練習して〇〇日みたいな動画がよくある。

そこそこ弾けてる人もいれば、絶妙リアルレベルの下手さで努力限界を見てしまった気分になる事もある。

私も頑張れば弾けたかもしれない。でも頑張らなかったか後者にすらならなかった。

今思えば別にバッキングをしたいのではなくソロを弾きたかったんだからもっと別な練習をすれば良かったのかもしれない。

そもそもアコギ向けの教本だった気もする。6弦ベースを買うコテコテやらかしをした喜多郁代さんを笑えない。

あとあんな退屈な練習を耐え抜いた喜多郁代さんは凄い。彼女の決意の前に退屈なんて言葉は無かったのかもしれない。

それを孤独に耐え抜いた後藤ひとりさんはもっと凄い。というか全てのギタリストは凄い。

まあかといって私の初期衝動が偽物だったとはサラサラ思わないけど。

ギターはもういいかな、という感じがする。

経験者なら分かると思うが、一度やっていた楽器を再び始めるというのはかなり億劫だ。

いくら強い憧れを抱いていても、練習は退屈だ。特に最初なんてロクな練習ができない。

それでも最初は誰だってメキメキ上達する。その喜びを糧に退屈な練習を耐えながら、ようやく憧れに少し近づいていくんだと思う。吹奏楽部トランペットやってた時もそうだった。

世の中卓球が好きで好きでたまらない星野裕やボール友達になれる大空翼ばかりじゃないし。

私のギターにはまだまだ勢いよく上達する余地はあった気もするけど、また一からはな…という気持ちは否めない。ギターへの敷居の高さ(原義)もさることながら。

それでもロックを聴き漁った今、楽器欲は再燃している。というかベースに惹かれている。

忘れられないの(サカナクション)のベースソロが滅茶苦茶かっこよかったから、懲りずに憧れてる。

真っ新に生まれ変わって一から始めて首の皮一枚繋がったどうしようもない人生を生きたいって訳。

いきなり憧れに近づこうとしても息切れするのは覚えた。

バンドに入るでもなくリズムをひたすら刻むのは退屈かもしれない。ベースギターとは本来そういう楽器だ。

でも別に本来」にこだわらなければいけない訳でもない。最近じゃ割とスラップベチベチの曲も結構あるし。

ギターみたいなコード弾きも実は出来ちゃうらしい。クラシックギターみたいにしっとりしつつ、ベースらしい色気もあってオサレな感じ。

でも私がやりたいのはやっぱりバキバキ音楽なんだよな。それもかっこいいけど。私はブレてばかりだ。

なんて出来もしない事を空想してばかりで、カラテを疎かにしてジツばかり追い求めていては身につくものも身につかない。

とにかく「出来る」と「やりたい」の間で上手く揺れ動きながら、それでもやっぱり初期衝動を大切にしていけば、今度は…なんて甘い事を考えてる。

まあまた諦めてしまっても別に人生終わる訳じゃないし、やっぱりやってみようかな。

いつかバンドに参加したい思った時にギターよりは需要高そうだし。ベースってなんか逆張りの心をくすぐられるし。

あとやっぱり草刈愛実ベースかっこよかったし。

2023-01-27

いつも自分だけ苦労損

自分人生って昔っからいつもいつも、自分が下っ端の立場の時にはめちゃくちゃ厳しくされるのに、

いざ自分が上の立場になると途端に梯子を外され、下の立場人間ちゃんと扱わないとこっちが叱責される。その繰り返しで辛すぎる。

部活自分が1年生の時には先輩はめっちゃ偉そうにしていて1年生は基礎練習と雑用ばかりやらされる。自分が2年になった途端にそういうのはやめようとなって、後輩には優しく、きつい練習も課さないようになる。

コンビニ自分店員だった時にはお客様神様とばかりに平身低頭滅私奉公接客を強いられる。自分が辞めてから世論が変わって外国人バイトも増え、割と適当接客でも許されるようになる。

就活自分就活をしていた時にはセクハラパワハラ圧迫面接の上に落とされまくって否定される。自分採用担当になったら学生丁重に優しく扱って細心の注意を払わないと怒られる。

子育て自分の子が小さい時には大手以外は育休も碌になく保育園も入れられず親に頼るしかない日々。自分の子が手を離れてからは何処でも育休制度が整い子育て世代税金を使え高齢者死ねの大合唱

弁護士自分事務員だった時には弁護士は「先生」呼び、事務員人間扱いされず空気のよな存在自分弁護士になって入った事務所では弁護士は「さん」呼び、事務員事務所構成員として尊重され対等に扱われる。

あーあーー。人生一事が万事いつもこうだよ。

自分自身は人間扱いされなかったのに、自分他人人間扱いどころかそれより一段上の特別扱いをしなけりゃならない。

自分理不尽境遇にも黙って耐えてきたのに他人は遠慮せずにクレームを言う。

2023-01-08

安西先生天才以外には見向きもしないっていうけど

それって仕方なくない?

平均かそれ以下の人間って練習法とか変えようとするだけでブチギレるし

なんならアドバイスしただけで何かよくわからないコンプレックス刺激されて発狂するじゃん

まず基礎練習って言われてブチギレるのがその辺の人間でしょ?

 

まずスタート地点に来て欲しいのに来ない奴に、指導できる人が何年もかけても仕方なくない?

指導者としては何らかの成果を出さなきゃいけないし

そうすると素直で指導方法ちゃんと聞いてくれる方に時間使うようになるの普通じゃないかなあ?

 

普通の人って基本的に変わりたくないんだよな

どうしろっつうんだって感じ。

そういう

テコでも動かない人に何年もかけて時間無駄にして欲しいのか?

2022-10-27

anond:20221027011645

基礎練しないだけでエンジョイ勢とする根拠はなんだ?

いい加減、そういう決めつけはやめたらどうだ?

anond:20221027011115

別にBボタン単推しだけでもスマブラは楽しく遊べるけど敵の復帰阻止とかの練習をしないで大会に出れるわけはないとかそんな感じなんじゃない?

別に増田基礎練なしにボロンボロン楽しくギター弾くのは悪いことじゃないよ エンジョイ勢なんだから

でもみんながそうなわけではない

エンジョイ勢が悲しくもガチ勢スマブラやったら即死すると思う 楽しみたかっただけなのに

住み分け大事 増田練習しなくていいよ

楽しんでね

楽しんで楽しんで「今楽しく弾いた曲をもっと上手く弾きたい!」ってなったら練習を始めればいいんだ

いいんだよそれで 趣味なら

部活は知らん

anond:20221026205359

基礎練しないと途中で行き詰まる。

からどこかで基礎練必要になる。

それなら、面倒だけど初めからやった方がいい。

変な癖もつかないしね。

2022-10-26

anond:20221026225450

これで20年後くらいに

「やっぱり基礎練必要なかった!」

みたいな増田の本が出てたりすると格好つくな、とは思う

anond:20221026205359

素人がいきなり試合やったら、怪我故障の原因になりかねない。

から延々と素振り的な基本的な動きの練習になるのはそう。

スタートから認識が違うんだけど。

スポーツ基礎練習は最も効率的動作を、無意識にできるようにするため。先人が積み重ねた偉大な知恵。

バットの振り方も満足にできない奴が試合だけやりまくっても全然野球は上手くならないのはイメージつくでしょ。

 

音楽もそう。譜面に書いてる音が吹ければOK音ゲーだったらいいだろうけど、トータルの完成度は全然上がっていかないし音も良くならない。

anond:20221026225735

言い負かされたくせに形ばかりの勝利宣言とか見飽きたわ。

こんなん読んでないで基礎練してから寝ろよ?

anond:20221026224537

そんな改めて説明しなくてもいいよ。

結局、そういうバカの一つ覚えの如く基礎練を有難がることが、音楽裾野を狭めていると思うんだけどね。

まあ大抵の音楽関係者にとって、自分が歩んできた道を否定されている気分になりそうだから、受け入れ難いんだろうけど。

でもアホだなーって思うわ。

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