はてなキーワード: 自慰とは
内容をあまり知らないゲームやアニメなどの版権キャラでもオカズにしている事がある。
VOCALOIDやスマブラやポケモンの女キャラや艦これなど、版権物の内容は知らないけどかわいいヒロインがセックスされてる二次絵をpixivとかで漁る習慣がもう10年以上経ってる。
最近になって、何で抜いているんだろう?何が良いんだろう?とふと疑問に思って、
自分が今まで抜いてきたエロ絵の共通点とかを思い巡らしてみると、
「自分に無いカッコよさを異性に求めているから、ヒロインでオナニーしている」という事に気付いた。
ヒロインの見た目がかわいいから抜いていたと思ったが、実は「優雅なカッコよさ」が肝だったのであった。
エロ絵として描かれているヒロインがエロいことをしてても、持ち味のカッコよさはブレていない。
ヒロインの胸や局部が露出したりヒロインがセックス行為をしてても、カッコよさは持っていてヒロインに余裕があるように描かれているから魅力的。欲している醜さよりもカッコよさが上回って完全には快楽に溺れていないから上品さが残ってる。
アイドルが凋落してAVに堕ちる例ではないが、もし性根が腐ってしまっているのをヒロインが体現していて(顔とかのデザインに表れてて)普段からクールさが抜けてるようだったら、その女がセックス行為をしてても下品で惨めな娼婦に過ぎないような魅力や期待の無さになる。
「いや、その女がかわいいからオカズにしているんだろ」という指摘があるかもしれないが、それは自分の好意や親近感があるから副次的で「かわいい」と思ってるので、それで錯覚して「かわいい」をオカズにする理由にしてしまっているという事なんだと思う。
それをオカズにする理由が「かわいい」だったら、他の二次絵もかわいい物ばかりだからそれもオカズにしてないとおかしいので。
(または、自分がカッコいい物を得たトレードで、ヒロインに自分の好意を投影してヒロインをかわいいと思っている可能性。)
「『カッコよさ』の感じにピンと来ない。例えばどんなカッコよさなの?」と指摘されるかもしれないが、
例えばマリオというキャラは、「カワイイ」のではなく「カッコいいおじさん」であるというのを近藤浩治さんが言っている例が類推できる。
自分が小さい頃から何かと不細工とか劣等感を感じていたりしてか、自分に無いカッコよさを何気に求めているのかもしれないと。(フロイト的には無意識(夢)は願望であるというので。)
それを性によって支配する事で性欲だけでなくカッコよさも充足をしているのではないかという理屈に至った。
結局、ヒロインを愛でてるようで自分を愛でてる事に思えてしまった。
(余談: 異世界系の物語が働き盛り以降の世代に割と人気があるという事を聞いたが、社会でうだつが上がらず活躍していなかったら、異世界で活躍している主人公に自分の願望を重ねても不自然ではないと思った。)
そもそもなんで二次絵で抜いているか?という疑問については分からないが、斎藤環先生の「アニメの絵で自慰が出来るかどうかがオタクの基準」にヒントがあると思われる。
「一方的な愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元のキャラクター」だとか、そのあたりのことだ。
人から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。
近日、「蛙化現象」という言葉があたかもミームのように流行った。流行ったそれ自体は誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。
あるとき自分を分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。
これが、適当な意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすときの根底にあるんだろう。
己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である。
だから、「自分のいちばん近くで自分を理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。
ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。
だから、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的な愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。
本題。
私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。
特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである。
ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。
私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。
世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズを自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。
そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。
要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。
だから凄く辛い。
「自身の尺度で他人の持つポテンシャルや性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。
なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分の盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。
Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空の人物の言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。
ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。
とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路やバックグラウンドを空想してしまう。
まあ、ただ考察するくらいなら至って個人の自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。
どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライドと自分の性質がそれを許してくれない。
薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。
私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。
だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。
私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。
拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察が事実であろうと、他人が私の秘めたる感情を時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。
自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。
そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉を自分の中で大事に大事に仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。
あくまでも自伝であるのに、その言葉に共感したり感銘を受けている私が。
だけど、好きなのである。どうしても。
人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉と性格に惹かれる。
けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。
だから、絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。
私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。
乱雑でこんがらがったままだけれど、自分の感情を推察する余地を他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。
最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである。
「他人に一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとからの好意を受け入れたい。自身の根本を推察されることを拒絶したくない。
とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。
このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います。
自分には切実な悩みが一つあって、「セックスが全然気持ちよくない」こと。
初めて経験した日も、いざ挿れてみると(あれ?思ってたより気持ちよくないな...)と思い、結局相手が満足し自分は絶頂を迎えることなく行為が終わってしまった。
それからも何度か行為をする機会があったが、イけたりイけなかったりした。
そもそも、絶頂を迎えるまでの時間が長すぎて相手側がギブアップしたり、自分の気持ちが萎えてしまうことが何度かあり、それから機会があっても行為自体が億劫になる時期もあった。
いわゆる、重度の遅漏だ。
前戯や行為中も気持ちいいと感じることが少なくどうしたらいいかもわからない。
夏場になると高齢者の方が水分の補給を忘れてしまって熱中症になることがある。
話に聞くとどうも身体は脱水し始めているのにのどが渇いたという欲求を感じにくくなっていることによることに原因があるらしい。
自分の場合はそういう脱水を感じないこと性欲バージョンとでもいうのだろうか?
性欲が溜まってきていて、そろそろ抜いてあげないといけないのにそのことに気づきにくくなってきている。
もちろん自分は水分補給を忘れて熱中症になる高齢者の方ほど年齢がいっているわけではない。
それでも中年としては大ベテランといっていいほど月日は経った。
そのくらいの年令になると日々の強烈な性欲に惑わされることはなくなる。
週に一回程度は義務的に行っていた自慰行為ももうやめてしまった。
ときおり気が向いたときに興が乗ったときに自慰行為にふけることはあるものの、果てたあとの虚しさのほうが強くて気がつけばそのような行為を忌避するようになってしまっていた。
そう感じるほうが多くなってしまった。
我ながら歳をとったものだ。
……で、済んでいればいいのだがそうはいかないのが残念なところ。
性的な刺激を受ける機会が少なくなる。
いや、むしろ普段性的な感情を爆発させていないだけに一旦火が付くと抑えられなくなる。
そのことに気づいたのは半年まえほどのことだ。
ある日、仕事中ふと視界の中に入った、コピー機の前で用紙の補給をする新入社員の女性。
その曲げた腰つきが目に入った瞬間、異常な興奮とともに性器がカッチコチに固まってしまった。
自分の頬が上気して赤くなっていることだろうことが鏡を見なくても感じられる。
〇〇君(新入社員の女性の名前)から視線を外すことが出来ない。
その視線に気づいたのかどうか。
〇〇君がふりかえってこちらを見た。
今思い返すと。
性欲は消えないが、弱くはなってきてるし、満たさなくてもそのまま放置できるようになってきた。
若い頃の性欲は性的行為で解消しないと気持ちに収まりがつかない感じだった。それでいてAVと自慰で解消しようとすると、それが新たな刺激となってより性欲に苦しむはめになっていた。ポルノ依存だったと思う。
今は性欲が湧いても、それには疲労やストレスが反映されてるってわかるので、疲労回復法やストレス解消法を試すと性欲も消えていく。
若い頃の性欲はどう考えても実体があったと思うんだが……。だから、性欲そのものを解消しないとどうにもならないって思ってたんだけど、あれも疲労やストレスの結果に過ぎなかったのだろうか。
若い頃あんなに苦しんだ性欲も、疲労回復やストレス解消で消えるものだったら時間や金をあんなに無駄にすることなかったのにな。
あてていたのが、若くてスタイルがよい女性だったら「ふうん、えっちじゃん」で終わっていた事件だった
私は女でアナルの趣味はないので上向きの蛇口を肛門に入れたり、水流で肛門を刺激しても快楽はないのだが
多くの女性は強い水流を性器にあびせたら快楽があるのかもしれない
公園で若くてセクシーな体型の女性が露出して、自慰行為をして、その後下半身を露出して警官に逮捕されたというはなしなら
こんなに大衆から気持ち悪いと批難されず、「痴女じゃんwww」「えっちじゃんwwwww」みたいな感想が多かったはず
若くてセクシーな女性が顔写真実名でニュース報道されて、犯人の女性の華やかなインスタ画像とかがテレビの画面に映し出されて、ネットで「こんなに綺麗な、幸せそうな女性がどうしてこんな特殊な性癖を……」とか「オナニーしてるところを見てみたかった」とかネットで言われているところまで妄想した
部屋に行くと男が居てセックスこそしていなかったがお互いに裸だった。
ちょっとどうしたものか?と悩んだが幸い恋人がその男に帰ってくれというと男はそそくさと服を着て出ていった。
恋人は何か言い訳のようなことをまくし立て始めたがショックを受けてしまって何を言っているが頭に入らない。
もちろん年の差があるし恋人と書いているものの愛人であることはわかっている。
隠れて男と会っていることもあるだろうこともバカではないので頭では理解していた。
それでもやはり目の前で恋人が他の男といるところを見ることは衝撃を受ける。
本当に皮肉なことだと思う。
若い頃、女が欲しくて欲しくてたまらないころには金も地位もなく誰も僕のことなど振り向いてもくれなかった。
あふれる性欲を自慰行為や風俗で発散するしかなかった頃に今の恋人が居たのならいくらでも満足させてあげることが出来ただろう。
結局、悪いのは僕なのだ。
恋人にもよくない人生を歩ませているし、そろそろ精算するべきところが来ていたのだ。
別れたほうがいいと思う。
今、あなたが住んでいるところはあなたにあげるし、これまであなたにあげたものももちろんすべてあなたのものだ。
そして幾ばくかの手切れ金も渡せると思う。
そういうと彼女は怒り始めた。
「お金なんかじゃない」
なるほど。
でもお金以外の何があるんだ?
ん…
いい夜空
私がまだ中学生ぐらいの頃、帰宅すると玄関に知らない靴があった。母かなと思ったけど、母はパートに行ってたし、靴は明らかに母の履く様な靴では無いスニーカーだった。
それで2階の兄の部屋まで行ってみると、なんかベッドが動くような音がする
私は兄の自慰を知ってたし「またやってるのか」と思って通りすぎようとしたんだけどなんか変だった。知らない音がするのだ、しかも高い声で
イケナイことだと思いながら、そっと聞いてみると何と女の人の声だった。兄の声もした
「だめぇ」とか言ってるから兄が無理やり女の人をいじめてるのかなと思ったけど「奥っいい!」みたいなことも言ってるし当時の私はわけがわかんなかった。兄が「中に出す」とか言っていたような気もするけど、呆れて家から出たからはっきりとは覚えてない
それで気まずくなって公園でアイスを食べて、しばらく経って家に戻ったら平然とした顔で兄がご飯をあっためて食べてた。
玄関に靴も無かった
でも「さっきまで何してたの」とは聞けなくて
私はとりあえずシャワーを浴びた
魔法少女にあこがれて一挙配信を観たが、弱みを握るのがうまく描かれていてかなり打算的だなと思った。
自分は、作者の悪意に気付く事や作者の打算を上回る事ができていないのでは?という事に危機感を感じた。この程度の話が理解できないと、自分は何か騙されてしまう事があるんじゃないか?と疑心暗鬼になった。
お色気漫画とかエロ漫画もそうだけど鼻の下を伸ばして作品を自分は観てていいのだろうか?と思ってしまった。作者が引っ掻き回してる(悪意ある)のに自分は釣られてていいのだろうか?と。お色気なシーンで感情移入したように欲情してていいんだろうか?と。それに欲情して自慰をしてたらある意味自分が作者に負けた事になってないか?と時たま思う。(エロ以外なら例えば感動物の作品も涙を流したら作者に負けた感じがする。)
あと、自分が知らない読み方や知らない意味の漢字単語や言い回しがセリフにちょくちょく出てきて自分の基礎学力が心配になった。
ちなみに、バカがアニメを見ると付いていけなくなって辛いという日記を以前に書いたが、読解とかの素質が無いのに自分が創作物を見てていいんだろうか?と思う。
声優、嫌いなんだよね
いや、声自体はいいのかもしれない。好きなアニメもあるんだし、ボイス作品とか買ったこともあるし
それより演出みたいなことが嫌なのかもしれないなあ
とにかく長い長い長いセリフをネットリゆっくりべったり喋るのが嫌なんだよ
すげえ展開が遅えし本当に嫌
もう喋るなって思う
普通のストーリーみたいなのがあるゲームで喋るのはマジで本当にやめてほしい
思えばさあ、FF10でティーダとかユウナとかが喋りだした時はまあ結構平気だったんすよ(今見ると無理だけど
今のFF7リメイクとか本当に無理、本当に視界に入らないで欲しい
キモい顔でキモいセリフたらたらタラタラベタベタベタベタ喋りやがってよおお〜〜〜〜
ティファとかエアリスとか元々そういうアホ女だよとか言われたらまあそう
そうなんだけど、本当にキツい、あんなゲームを俺は学校から走って帰って一生懸命やってたんかと思うと本当に恥ずかしい
本当に何なんだよあのねっちりした喋り方は?????
3Dのお人形の動きもフワ……スッ……みたいな感じで気持ち悪いしさ(それはもうそういうもんだとも思うのでまあいい
喋るんだったらスポンジボブとかビーストウォーズとかフルハウスとかアルフぐらいサクサク喋ってくれマジで
庵野秀明がボソボソ喋ってて何言ってるかよくわかんねえ方がまだマシだよ
俺は映像含めた物語を楽しみたいんであって、声優とか演出?の自慰行為に付き合ってるわけじゃないからな(自慰行為がエンターテイメントになるやつもいるとは思う
あでもエヴァとかセーラームーンとか昔のアニメは結構いいよ、なんかパキッと喋ってていいと思う
あともう全然関係ないんだけど、仮面ライダーも若くてヘニャヘニャの俳優に妙な芝居やらすのもうやめて欲しい
なんか俺ってただ昔の骨太な芝居が好きなだけなのかもな
でも真・女神転生はやるんだよな……
単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。
その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である。
たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジムに所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。
対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏で団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイドな生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。
でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。
持つ者はいいよな~?
それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから。
畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガンと綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。
金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。
じゃあどうする?
そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――
とても悲しい事だが、持たざる者が努力をすると、自律神経が乱れ、情緒が不安定になり、ノルアドレナリン(闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキーな毎日に突入しやすい。
怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。
そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。
しかしながら、試行錯誤――破壊と再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実を直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。
そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。
一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップのワードだろう。
ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生がでろでろに腐ってゆく。
だからこそ、ファイトクラブの名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしく、フルスイングで開き直って、「人生は自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫び、ハイリスクな一歩を踏み出すしかない。
というのも、代表的な弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。
そんな絶望の境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様の復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギーが必要になってくる。
寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。
そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。
であるから、ハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。
いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。
その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。
その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。
そして、精神的コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。
やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズに人生を渡り歩ける訳じゃない。
人類社会に立ち向かって、一所懸命に努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。
とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能で民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。
すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。
そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である。