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はてなキーワード: 主体性とは

2016-12-04

日本死ね」を巡る議論について思うこと

なんというか、言葉の俗な使い方って難しいなと。

死ね」なんて言葉、そのまま文字通りに受け取ると「私はあなた死ぬことを望みます」って意味だし、憎しみのこもった強い言葉に見えてしまう。

でも「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」はそういう用法の「死ね」じゃなくて、もっとカジュアルものなんだよね。

例えば「毎日混みすぎだろ埼京線死ね」という投稿があったとして、ここに埼京線への憎しみや埼京線廃線になってほしいという願望を読み取ったら間違いで、当然この投稿から読み取るべきは埼京線が混雑しているせいで私は極めて不快な思いをしていますというメッセージ

まり不快感や怒りの感情を表明する際にカジュアルに使われる表現に「死ね」がある。もちろん品のいい言葉遣いではないけど、言葉遣いが悪いのが当たり前の匿名インターネット世界では頻繁に使われる。

これを古市氏は比喩表現と言っていたけれど、比喩表現という言い方はちょっとわかりにくくて、用法が違うと言ったほうが伝わりやすかったかなーと思う。

憎しみの表明としての強い「死ね」と、不快感の表明としてのカジュアルな「死ね」という2つの異なる用法の「死ね」があって、「保育園落ちた日本死ね」は後者。ここを混同すると議論がアサッテの方向にいっちゃう

別に対象が非生物だと比喩表現になるとかそういう話でもなく、カジュアル用法の「死ね」の場合対象人間でも本当に死んでほしいというわけではない。



以上を踏まえたうえで一連の議論で出てた意見への反論


・「死ね」がいいなら「殺す」もいいのか。

→そこに殺意憎悪が認められなければ当然問題はない。例えば仲の良い者同士のじゃれ合うようなコミュニケーションで「殺す」が使われる場合があるがそれは脅迫ではない。しかカジュアルな怒りの表現として「死ね」が使われることは一般的だが、「殺す」は「死ね」よりも主体性が高く“ガチっぽい”表現になってしまうためそのような用法で使われることは一般的でなく、にも関わらずわざわざ「殺す」が選ばれる場合は背後に憎悪がある場合が多いのではないかと思う。

日本に「死ね」と言わなければならないほど投稿者は追い詰められていたのだ。

→実際に投稿者保育園に落ちたために仕事を辞めなければならない瀬戸際に立たされており追い詰められた状況にあったが、別に追い詰められてなくても「死ね」くらいカジュアルに使う。匿名インターネットは追い詰められなければ汚い言葉を使わないほど品のいい場所ではない。

・強い言葉を使うことで問題提起たかったのだ。

→そもそもあれは社会に向けて問題提起しようという意図で書かれたものではなく、ただ愚痴感情に任せて叩きつけたものに過ぎない。感情的に書かれたからこそ独特の小気味のいい文章になったし多くの共感を呼んだ。誰かに読ませるために書かれたものでないか言葉遣いが悪いというだけで、戦略的に強い言葉を選んだわけではないだろう。(参考:http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

・そんな子供に見せられないような汚い言葉を選ぶべきではない。

クレヨンしんちゃん下品有害から子供に見せたくないみたいな意見ネット馬鹿にされるのに今回はこういう意見正論みたく振りかざされるのは不思議だよねー。

2016-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20161122110427

多分ガチでわかってなかったんだよ、そいつ頭が悪いから

主体性がないがゆえに真面目に勉強して資格は取れたけど

思慮のなさを見透かされて就職はうまくいかずしゃーなしに教師になった奴

子どもの問いや提起につまんないかえししかできない奴の底は浅いし

そういう奴は案の定大して出世もできずくすぶって

2016-11-20

夫の主体性のなさ

夫に、家のことや子どもの面倒を見るのを頼むと「人使いが荒い」と言われる

どちらも自分関係している事なのに、他人事のように言う

タバコ吸う時間くらいくれ!と言われるが、その時間は私のリソースを削って作られていることに気付いていない

2016-11-19

例のNHK宮崎全部みたけど

地球最後の日が近いって感じがするね。(そりゃあ or こりゃあ)人間のほうが自信なくなってるからだよ」

に全部集約されていて、あの部分に長文必要かなって思った。

結局主体性がなく価値の置き所がないから正解がわからずに結果的冒涜を生み出すという話しであって、長文の殆どはそこから派生した枝葉だろうなと(川上サイドの話はあまりに当たり前に技術への挑戦の話なので書かない)。






閑話休題

ちなみに取材班は良いとこ撮ってるなあ、とは思った。笑顔を切り取ってトトロと重ねるとか、ああいうあざといやつではなく。

番組構成生命への挑戦と挫折と再起みたいなところに的を絞ろうとしている話でもない。

しろ大事なのは宮﨑駿その人が未だに頑固爺で、「CGに負けたくない」

とかプライド発揮しつつ庵野にも見られる異様なプロ意識を見せていたこと。

今更だけど、あん姿勢だったらたしかに人は離れる。離れるけどああしなきゃ絶対良いものはできない。

動かなきゃやってられない、ニヒリズムでもなくそうだみたいな台詞はいちいち頷ける。あー作ってる人の声だ、という感じ。

爪の垢を煎じて飲まさせていただきました、という意味で老人からパワーを貰ってしまった感じ。



鈴木さんと宮崎さん、及び教習で自分と同じ爺を見てびっくりしたという話もそうだけど、

失礼ながら老人ホーム入りしかねない二人が現役であの椅子にいる風景は色々危ない感じはした。

これも前から言われていることなので今更だけど、あんな巨塔の老人の後釜なんかいないよ、

という思い一緒に、体制のヤバさと、少ない天才を潰してしまプライドの高さや要求レベルと、

逃げた細田監督とか米林監督とか色々思い浮かんだ。

じゃあ老人二名があの椅子に座るしかないよね、という一巡も含めて。

面白い人だなあ。付き合いにくそうだけど見てると本当に元気になる欲張り爺さんだよ。

2016-11-14

おまえアメリカ人だっけ?

アメリカで起きたことを冷静に分析するとか、日本の状況にてらして考えるならわかるんだけど

意識高い人たちが心から残念そうにしてるのを見て「お前アメリカ人だっけ?」と思った

なんだ、リベラルにも主体性なんてないんじゃないかアメリカリベラルポチじゃないか

前々から感じていたことがはっきりわかって安心した



まり日本反体制側は

昭和安保闘争までのアカルーツにする人たち(共産党、および分裂した過激な人たち)と

1970年ロックリベラルアメリカ幻想を追いかける名誉ニューヨーカーみたいな奴らに分類できるということだ



今回は名誉ニューヨーカーの皆さんがひたすら気持ち悪かった

あの人達は結局日本という国をニューヨークにしたいだけの人たちなんだろうし

まり支持が集まらないのはしょうがないんじゃないかなあと思う



本当に日本のことを見ていたら、アメリカを見て嘆いたり、自分たちの存続に危機感をおぼえるんじゃなくて

自分たち日本人の不満を掬えるだろうか。どうやって解決できるだろうか」と考えるだろう



アメリカリベラルアメリカのことを見ているか理解できるのだが、名誉ニューヨーカー

日本アメリカ理想を持ち込むことしか考えてないのだということがよくわかった選挙だった

2016-10-28

彼女いたことがなくてふがいない

今まで彼女ができたことがなくてなんだか異性から、というよりも世界から否定されて生きている気がしてきている。

もちろん原因は自分にあることはわかっている。具体的には、ダサい存在感主体性がないことやほとんど無職であることやコミュ障特に女性や知らない人に声をかけたりかけられたりするとほとんど逃げるような感じになってしまうなど、自分には良い点はない。こんな自分が好かれないのは当たり前である

から今まで彼女や異性の友達というのは諦めてきたんだけれど、ここ最近街中でカップルを見かけるたびに、少なくとも自分には無かった青春を謳歌している人はこんなにもいるんだと悔しくふがいなく思えてきた。

から始めればまともに異性に相手をしてもらえたんだろう。一度でいいか彼女が欲しかったよ。

2016-10-25

いくら、「仕事モチベーションとか言うやつは仕事できない」とか、「会社上司に不満をもつなら自分から動け」とかい

体のいいこと言われたとしても、だって仕事モチベーションあがんねーしマネジメントはクソだし言っても変わらないからクソ。

当事者意識とか主体性とか便利なことばだよなおい。

2016-10-21

無理な仕事を断らない方が悪い理論絶対おかし

http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2016/10/20/214026

↑の記事に対してブコメでそういうのいっぱいついてたけど

その理論が全く理解できない



たとえばバジェット5000万のお仕事を、

スケジュール的に無理なんで」

という理由で断ったとしましょう。

それがそもそも急に降って湧いてきた案件であれば、

もともとゼロだったものゼロになるだけなんで、

惜しいな~残念だな~って話になるだけです。

(そして実際よくある話)



ですが既に受注済みでプロジェクトが動いている案件であった場合は?

営業が何カ月もかけて関係構築してプレゼンして競合蹴落として勝ち取った案件で、

クライアントの度重なる仕様変更や「なーんかちょっと違うんだよねぇ」的なふんわりとした理由

進行は思うように進まずでも締切は決まっていて絶対動かせないとして、

そういう案件を〆切間近になって「間に合わないんで無理でーす降りまーす」

って言うの???馬鹿じゃないの??????

失注することになる5000万が回収できないのはもちろん

それまで動いてきたありとあらゆる社員外注人件費はどこから回収するの???



(実際のところそんなことになったら実費分は請求するとおもいますが)

(そしてその請求内容でモメて取引停止になったりとか…)



そこまでの話じゃなくても、

仕事を断るということは他が受けるということ。

電通ではない会社社員が、博報堂ADKやその他の広告代理店の誰かが動くだけの話。

から業界全体が狂ってるというのはちょっとわかる。

会社業界全体が是正しようとしている空気めっちゃ感じる。

弊社もノー残業デーとか作り始めたけどクライアントからものすごいクレーム貰ってるし

社員上司から隠れて仕事しているか意味あるのか謎。



あと普通に

先に恩を売っておいた方がのちのち楽できるから今頑張ろうとか

ずっとやりたかった仕事に携われたからつい頑張りすぎちゃうとか

そういうのも良くある話じゃないんですか。

どうして無理な仕事は断われマンたちは「仕事はやらされているもの」なんだろう。

会社利益を気にしたりとか、自ら望んで仕事をすることはないのだろうか?

それとも主体性を持って仕事をしている人たちは全員社畜という言葉で括られるんだろうか?



とにかく断れ理論絶対おかし

断ったことで失った金額をどこで回収するのか教えて欲しい

わたし営業なので断った仕事全部自分給与に直結するんでまじで教えて欲しい

つーか無理な仕事全部断ったら仕事ゼロになる勢いでクライアントは無理しか言わないよ

クライアント様は発注先にも人間がいることを自覚して優しくしてねと言う話でもある

(いつも遅くまですみません、という一言があるだけで結構違うもんです)




ちょっとだけ補足

でもよく考えたらわたし土日返上で働いたことはほぼないですし

最近は22時以降残業できなくなったので 電通のアレとは違うと思います

電通労働時間は異常だしやりすぎ、でも気持はわかるよ。と言う程度

★もうちょっと補足

サプリ という広告代理店の働き方とか社員の考え方がよーくわかる素敵な漫画があります

私だいすきなんですけど、皆も読めばいいと思うよ(元博報堂の人が描いてます

2016-10-19

主体性がうんたらを強調するやつって、指揮とか統率能力がないイメージ

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161016105835

自分がどう思ったじゃなくて、ネットで良作とされれば「良作」と言い、駄作と言われれば「駄作」と呼んで貶すみたいな主体性0のネットにいるノイズの元が多すぎるんだよ。本人は自分意見のつもりかも知れないが、ネット空気をなぞっているだけみたいなヤツ。反対に逆張りすればいいみたいのも、それはそれで厄介だけど。

円盤の売上だけ見て「超爆死じゃんw」みたいな事だけ言っているヤツとか、本当に最悪のゴミだと思う。

2016-10-08

インテグレートのCMがどうしてここまで批判されるのか分からない

ルミネCMは明らかに「職場における女性役割」を見せつけて、「外見に気使わないとやばいよ」と女性を責める内容だった。

職場男性上司が「需要が違うんだから」と女性にいう台詞に、それが現れている。

それが批判されるのは分かる。

分かるというか、自分不愉快に思った。

インテグレートがなぜここまで批判されるのか分からない。




今日からあんたは女の子じゃない」

25歳の誕生日を迎えた子にたいして向けられる台詞だ。

「25過ぎたら女じゃないってこと!?」と息巻くコメントが多いが、勘違いしているように思う。

「女」なんて言ってない。「女の子」って言ってるのになぜ怒り狂っているのか?

「25過ぎたら、"女の子"をアップデートして"いい女"になろう」というメッセージ自分は単純に嬉しかった。

美魔女JKを筆頭に「若さ」ばかりがもてはやされる昨今で、年齢とメイクエイジングを ”アップデート”として肯定的に伝えるCMは今まで無かったように思う。

「可愛がられる」「チヤホヤされる」みたいな受け身としての「ラブリー」が今までに無かった主体性と強みを持ったような爽快感すらあった。

少なくともこのCMからルミネのように脅迫的には感じなかったのだが、私がおかしいのだろうか?



女の子は25歳まで」ということに怒っている人がいるとしたら、ちょっと本気でロリ社会に心を冒されすぎている。

安達祐実さんのようにガーリーさとしての女の子を失わない女性も実際にいるしめちゃくちゃ素敵だが、

それは一部の人が持つテイストとしての結果であって、女性の成長目標をそこに設定されてしまったらそれこそ生きづらい。

一応申し上げておくが、

女子会女子トイレ・○○女子・○○ガールに関しては、言いやすさや語感の良さに過ぎないと思っているので警察するつもりもない。

あと、テイストとしてのエレガント/ガーリーの好みの差は個人自由だし、人は皆自分の好きな格好をすればいいと思ってる。





「”がんばってる"を顔に出さない」

デスクの前でサンドイッチを頬張るメガネ女性に対して男性上司が言う「今日も頑張ってるね」「それが顔に出ているうちはプロじゃない」という台詞に続いて出てくるメッセージだ。

「疲れてる部下に対してひどい!」というコメントが多いが、果たしてそうだろうか?



見る限り、女性は疲れているようにみえないし、忙しそうでもない。

なぜなら上司や背景にいる同僚含め、社内の雰囲気に忙しさが無いのと、女性がそこまで乱れてはいいからだ。

疲れや忙しさが重要であれば、プレゼン帰りとか徹夜明けとか、社内がざわめいてるとか、もっと分かりやすストーリーにするはずだ。

どちらかというとこのCMでは、パソコンをみながらサンドイッチをパクつく"ズボラさ"がフィーチャーされているように思う。




男性上司の言いたいところは

仕事頑張るのも良いけど、自分自身も素敵な人でいてくれよ」

ってあたりではないだろうか。




これらの演出ブラック労働を見いだしてしまう世の中の雰囲気に気付けなかったことが、このCMの最大の落ち度のように思う。

「頑張ってるを顔にださない」というメッセージの「頑張ってる」が「頑張らされている」であると読み取られる文脈が、今この社会に出来上がってしまっている。

本来、頑張ることも頑張らないことも自由であるが、「頑張らされている」人が多い現状が、「正当ながんばりに値するかどうかを他人が決める」という悪循環を作っているように思う。

意識高い系」という言葉流行ったことに通じるものがある。

また、「過酷労働」と感じさせられるCMはいくらでもあるのに、これがここまで批判されたのは、やはり主役が「女性」だからなのだろう。

それだけ女性社会関係は今ナーバスになっている。

だってイケてる仕事に決定権を持って関わりつつ、結婚して満足のいく子育てをして、メイクやおしゃれや趣味に勤しみたい。

でもなんか無理そう。不安だ。不安すぎて少なくとも仕事を頑張るぐらいしかできない。



職場でのバッチリメイク強要されている」と感じた人も多いことも、批判に繋がった原因のようだ。

CM自体が「地味子がキラキラ系になってハッピー!」みたいなストーリーでは無いのでそういった視点は少し被害妄想が過ぎるようにも思ったが、

容姿社会性がもとめられる女性特有のつらみ」は確かに分かる。

おしゃれは会社や同僚のためでもないしそこを上司なんぞにつっこまれたくないという怒りである

しかも「頑張ってる(涙」な状況で言われと仮定すれば、爆発もんである



あれ、ここまで書いて来たらちょっとなぜ批判されているのか分かってきたぞ。

くそ忙しくて会社上司イライラしてるときに「”がんばってる"を顔に出すな」」って言われたら控えめに言っても××ってなるもんな。

あれ、やっぱこれむかつくわ。

そりゃ仕事メイクもおしゃれも私生活完璧だったら最高だけど、忙しいとき一番に手を抜きたいのは職場での容姿だもんな。

メイク気合い入ったりテンションあがるのは確かにそうだが、くそ忙しい時にシチュエーションとして職場を選ぶかどうか分からんし、あるあるだけど、あるあるになるほどの仕事の余裕はないない。

ちょっと今、仕事に対するやる気とか職場人間関係がうまくいってたから、イイ感じに受け止められてただけかもしんないわ。

うっわー広告って大変だなー

2016-09-30

感動ポルノ試論

ポルノポルノたる所以は,女性の複雑な主体性無視して,その劇中での人格を観客である男性性的興奮を刺激することにのみ隷属させることにある。


で,24時間テレビバリバラ近辺で知られるようになった感動ポルノもまた同様に,障害者の複雑な主体性無視して,その番組中の人格を観客である健常者の感動を呼び起こすことにのみ隷属させることを指している。


食欲ポルノというのもあるらしいが,それもまた,料理本来の複雑なありようを無視して,その映されかたを視聴者の食欲を刺激することにのみ隷属させることを言う。つまり本来不要クリームなりチーズなりが,本来不要なほどに熱せられて溶けしたたっていた方が美味しそうなのであればそう見せる,ということだ。


からポルノか否かの違いは,岡田斗司夫が言うように安直であるかどうかにあると言ってもいいのだが,同時に彼が言っている「感動させようとしているかどうか」にはない。


そんなの,誰だって感動させようとはしている。


ただ,感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。


クライマックスいかにもなBGMを流すのは安直だと,岡田安直否定するが,話はそう単純ではない。


例えば対位法はいかにも安直ではない雰囲気可能にする手法だと言えるが,何故そうなのかといえば,例えば残酷なシーンであればそれが持つ複雑さの中にある悲しさや可笑しさをBGMに担わせれば対象の複雑さの一端が担保されるからである


しかし,本当の現実に寄り添えば,そもそもBGMなんて流れないわけで,何かしら音楽を流した時点で対象の複雑さを毀損してるとも言える。BGMが流れていなければ如何ようにも解釈できたはずの対象に,一定の方向付けをしてしまうからだ。


それでも,繰り返しになるが何かしらの芸術的作品を作るからには誰だって受け手に感動してほしいと思っている。ただ世界の複雑なありようが描かれていればそれが正義だというわけでもない。


もう一度言う。


感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。


まり,例えば目の前の女性に対して,自らの性欲に隷属させようとして彼女主体性を踏みにじるような,そんな行動様式で何かを伝えようとすることこそがポルノを作るという行為なのだ


女性の,障害者の,料理(を丹精込めて作った料理人の心)の,その尊厳を一顧だにせず自分勝手目的手段にすることがポルノを生むのであれば,それはもはやレイプと言えよう。


感動ポルノに感動するということは,レイプ映像を見て性的興奮を覚えるのと同じくらい,道徳的には救い難く,精神分析学的には,まあしょうがないのかもね。

2016-09-26

感動ポルノハイドラマロードラマ・試論

ポルノポルノたる所以は、女性の複雑な主体性無視して、その劇中での人格を観客である男性性的興奮を刺激することのみに隷属させることにある。


で、24時間テレビ〜バラバラ近辺で知られるようになった感動ポルノもまた同様に、障害者の複雑な主体性無視して、その番組中の人格を観客である健常者の感動を呼び起こすことにのみ隷属させることを指している。


食欲ポルノ(?)もまた、料理本来の複雑なありようを無視して、その映されかたを視聴者の食欲を刺激することにのみ隷属させることを言う。つまり本来不要クリームなりチーズなりが、本来不要なほどに熱せられて溶けしたたっていた方が美味しそうなのであればそう見せる、ということだ。


からポルノか否かの違いは、岡田斗司夫が言うように安直であるかどうかと言ってもいいのだが、同時に彼が言っている「感動させようとしているかどうか」にはない。


そんなの、誰だって感動させようとはしている。


ただ、感動させようとするときに、時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか、気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ、ポルノか否かの分かれ目はある。


クライマックスいかにもなBGMを流すことを岡田安直否定するが、話はそう単純ではない、


例えば対位法はいかにもハイドラマ雰囲気を出す手法と言えるが、何故そうかといえば、例えば残酷なシーンであればそれが持つ複雑さの中にある悲しさや可笑しさをBGMに担わせれば対象の複雑さの一端が担保されるからである


しかし、本当の現実に寄り添えば、そもそもBGMなんて流れないわけで、何かしら音楽を流した時点で対象の複雑さを毀損してるとも言える。


それでも、繰り返しになるが何かしらの芸術的作品を作るからには誰だって受け手に感動してほしいと思っている。ただ世界の複雑なありようが描かれていればそれが正義だ、と言うことでもない。


なるべく複雑さを保ったまま、感動に向けて受け手誘導したいというのがすべての作り手の想いだ。


からポルノか否かの分かれ目は作り手の意図にあると同時に受け手の読解力にもある。


複雑さが捨象されていることに鈍感であれば何でも(ターミネーターでも)ハイドラマに思えるだろう。


あるいは逆に、一般にはベタでも、敢えてそこに身を委ねる可笑しさや悲しさや、果ては残酷さなどをそこに込めることで、ベタハイドラマを超える感動を生むことができる。逆か。感動を得ることができる。


こういった考え方の不健康なところは、何かの作品に感動することが馬鹿であることの証明になりかねないことだ。


これが行き過ぎて、本来感動的な目の前の現実にすら懐疑的になってしまっては本当の病気と言えよう。

2016-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20160917143805

映画ブラックスワン」でナタリー・ポートマン演じる主人公が「清楚」に当たるんじゃないかと思う。

映画の中では「親に抑圧されたいい子ちゃん」として描かれていて、主人公の周囲の人物たちからは「臆病者」「不感症の小娘」「自分の殻を破れ」とか散々言われてるけどw

欧米では「清楚」は主体性がなく幼い、抑圧された従順存在として捉えられていて、あまりウケが良くないのかもね。

2016-09-16

「女から告白しちゃだめ、男から告白してもらわないと幸せになれない」教が幅を利かせているからな。

日本恋愛における女性主体性比較尊重されてたのは1990年代で、それ以降は寧ろ後退していると思う

2016-09-15

わかります〜(*_*)

http://anond.hatelabo.jp/20160914142519

すっごく分かります

昨日旦那イライラしてこれ書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20160915044932

指示待ちの主体性がない態度の何がムカつくって「妻が主体だけど僕もやってあげる」感が態度に発露してることに(そしてそのことに無自覚)腹が立つんですよね!!

2016-09-13

察するってむずかしいよね。

空気読むもむずかしいよね。

察しなくても、空気読まなさすぎても怒られるしね。

でも、察しすぎても、空気読みすぎても怒られるよね。

A部長とBマネージャーの思惑が透けてるから、下手に動けないんだよね。

お伺いたてても、察しろとか、空気読んで動けとかいわれるよね。

挙句のはてに、主体性がないで評価下がるしね。

つかれちゃったな。

2016-09-12

主体性消失している件

ネット書き込みしたら叩かれた。その叩きのコメントを見ていたら、自分心臓がドクドクして、肺のあたりが揺さぶられる感覚がした。

この刺激は、もちろんあまり好ましい性質の刺激ではないのかもしれないが、しかしとても新鮮だった。

今までネット上の自分大勢の中の一人で、いわばa manとでもいう存在だったのに、 叩かれているとき自分がある特定の一人の、the manになっていたのだ。それが自分アイデンティティが試されているような気がして、とても、とても不安定気持ちになった。

その体験があまりに新鮮で、そして新鮮に感じることがとても悲しかった。 僕は普段全くthe manではなくて、いつも大勢の中に埋没しつづけ、そしてその状態を好んでいて、そんな時にいざ自分自身アイデンティティを求められると、なんというか、困る。

僕は何も主張もなく、こだわりもない。 本来はこの状態を抜け出すべきなのだろうが、 僕自身、この状態にいることを望んでいる。僕は、このままぼんやり死んでいくのだろう。

2016-08-30

20代の皆さまへ

2回目になりますが、今を死ぬほど真剣に生きてください。誰とも比べることなく、夢に向かってただがむしゃらに。それができなかった30代以降の人の勝負決まった感がハンパないです。それを変えられるのは20代の貴重の時間しかありません。30代で目が輝いてる人がたまにいます。それは1020代で輝こうともがいてもがいてもがきまくったほんのわずかな人です。絶対貴重な時間無駄にしないでください。

 

僕はその光景を完全に目の当たりにしました。絶対にゆらぎません。経営者でも政治家でも今後どんな職業に就いても。若者に光を。

 

昔は、長いこと100m短距離走10秒をきるのは難しいと思い、誰もが諦めていました。でも、それがやぶられた瞬間、多くの人が9秒代で走れるようになりました。今では当たり前の事実です。

 

昔は、米国黒人は、白人バスに一緒に乗ることさえできませんでした。ホテルもそうです。職業はいわんやをやです。すべての黒人は諦めてました。ただその中で、諦めることをしない人がおりました。南アフリカでもインドでもそのような状況で諦めない勇敢な若者がおりました。みんな20代若者でした。

 

その後どうなったと思いますか?その人の命と引き換えに、世の中は変わりました。指導者勇気世界を変えたのです。彼らは暗殺されたり投獄されましたが、世界を変えたのです。

 

99%の人が諦めていたのです。俺は私は黒人からダメだ。植民地にされ支配されてるからダメだ。

 

能力問題ではありません。意識問題です。それを事実と受け入れてしまえば、それまでです。あなたも世の中も変わりません。一生何も変わりません。それを変えられるのは、若い人の勇気ある行動、主体性なのです。それしかないのです。

 

多くの人ができない理由ばかり述べます。悪いことではありません。未来が見えてないのです。だって先が短い未来をどう描くことができますか?難しいです。未来を描くのは20代、まだ生きてきた過去より、これから生きる未来が長い20代の君たちなのです。君たちは、まだ100mを9秒代で走れるのです。君が世界を変えられるのです。人々を笑顔にできるのです。

 

そのためには、君はできる理由しか考えてはいけないのです。君の前途に、すべてを実現できる未来があるのだから

 

おっさんやおばさんが諦めの言葉やできない理由を述べても絶対信じないでください。彼らは君に自分と同じ人生を歩んでほしいと手招きしてきます絶対信じないでください。彼らは自分の仲間が欲しいだけなのです。絶対信じないでください。

 

もう1度いいます。君は、100mを10秒きることができますだって過去に、10秒きれないと思った人と10秒をきれると思った人、そしてそれを実現した人は、すべて同じ人なのだから意識問題です。意思問題です。君は君という人生主人公です。主体性を発揮して必ず世界を変える人になってください。僕もその気持ち17歳の頃から変わりません。体力が衰えようとも、ずっと17歳の時抱いた夢を持ち続けています死ぬまで変わりません。永遠に。(※ただし下半身の活力は衰える)

 

お前の成功が俺の成功

いけるところまでどこまでもいこう!

2016-08-27

ハリウッド水準作に一瞬で吹き飛ばされたシン・ゴジラ

シン・ゴジラ最大の失敗は、ゴジラ人為的ゴジラだったことだ。

放射線被害で妻を亡くした牧教授なる人物が、日本への恨みを晴らすために

海底深くに眠るゴジラを起こしてしまったのがゴジラ出現の原因だが、

この設定によって、ゴジラ神秘性が徹底的に失われてしまった。

シン・ゴジラ人間に屈しても仕方が無いスケールの小さなゴジラなのだ

加えて、背中や尾からビームを出すのは弾幕STGの敵キャラのようなフィクション性で、

生物の実感が無い。

 

二番目の失敗は、一般市民死体を出さなかったこと。

一般市民凄惨な死に様や死体を見せないと、ゴジラ人類を恐怖に陥れている感じがしない。

事実シン・ゴジラでは日本官邸ゴジラしか存在しないかのような箱庭感があった。

 

芸能人アニメライターらがシン・ゴジラを絶賛する一方、インテリ教養人らは慎重な態度を見せている。

この市井の反応がシン・ゴジラ価値を表しているのではないか

 

 

シン・ゴジラの出来にもにょる一方、ゴーストバスターズ面白かった。

主役の四人は存在感が抜群で、この四人で女版Aチームを作ってほしいぐらいだ。

クリスティン・ウィグは可愛いし、ケイト・マッキノン目力鼻力が強くてかっこよかった。

終盤のゴースト大量出現からマシュマロマン出現の流れは3Dじゃないと楽しめない感じの作りで、

2D字幕の私は置いてけぼりをくらったし、ゴーストが消えて街が元通りに再生するのは

御都合主義が過ぎると思ったが、その他は概ね満足した。

このレベル作品が当たり前のように出てくるアメリカに、卑しい日本が勝てるはずが無い。

 

キャラクターの魅力も段違いだったな。

日本エリートは爺臭いスーツで歯が汚くて個性が無くてとにかくかっこ悪い。

それに引き替えゴーストバスターズは、大学をクビになりながらも子供のころからの夢を選んで

ビビッドに生きている。地下鉄職員レスリー・ジョーンズも、自分人生を変えるきっかけを

見つけたら即座にゴーストバスターズ転職したし、その主体性と行動力が本当にかっこいい。

俺の生き方価値観ゴーストバスターズに近いから、俺は彼女らに肩入れせざるをえない。

2016-08-23

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。


 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。

2016-08-13

学校という気持ち悪い環境

学生にとっては、友人がいるかどうかはとても重要である

なぜならば、友達いるかどうかでその人物の評価が変わってしまうからだ。

友達が多ければ多いほど、人気者で持て囃されるし、友達がいなければ寂しい人間だと評価される。

なぜ学生が「ぼっち」を異様に嫌うのかと言えば、そういった学校の独特な場の雰囲気が原因である

学校は、マイノリティであることを許さない。

人の噂に流されやすくて、同調圧力も高いし、出る杭は打たれる。周りと違うことをすれば変な目で見られるかもしれないから、というように。

から繊細な学生は、他人から見た自分をすごく気にする。

他人から見たら自分はどういう人間なのか、どういう行動をすれば目立たなくて済むのか、といったことを考えてしまう。

なるべく厄介事になりたくないかである

そういった空気は、協調性は育んでも主体性は育まれない。

学校は、それで良しとする風潮が強い。

多くの学生は、「みんなが~だから」というように、周りの人間がやっていることをやりたがる。

周りの人間がやっているからやる。そこに自分という感覚がない。

気持ち悪い人間ばっかりだ。

2016-08-03

シン・ゴジラ主人公共感できないところがむしろ好き

エヴァ嫌いだけど楽しめた

シン・ゴジラエヴァのものだという感想が見られるけど、そのもの?え??

私がエヴァ観てウンザリした点、一番嫌いな点は、碇シンジ葛藤の鬱陶しさと中だるみ。シン・ゴジラには一切それが無かった。

また、エヴァ主人公感情が高ぶると強くなる、夢のある少年向けフィクションだけど、

シン・ゴジラ主人公感情的になるほど強くなり勝てる世界観じゃない。

選ばれし主人公一人の感情不思議な才能パワーで解決できる夢のある世界ではなく、チームの力で解決している点も、エヴァ全然違う。

矢口蘭堂がやっていたの、マネジメントだったよね。父親のせいで巻き込まれ可哀想中学生碇シンジとは全く違う、大人らしい主人公だ。

エヴァのものだという人、音楽明朝体しか観ていなかったの?

「人のバックボーン」なんてリアルで充分

主人公やその他の登場人物家族気持ちなどのバックボーン描写が薄く、

非人間的で感情移入が出来なかったという感想があったけど、主人公感情移入出来ないと映画が楽しめないタイプですか?

私は政治家でも官僚でも研究者でもない無力な労働者から共感可能なのは帰宅中の地下鉄構内を逃げ惑ったり、体育館避難したり、

逃げ切れず死亡したりしてる一般人しかない。それでもめっちゃくちゃ面白かったけど。

他人気持ち他人がどうやって育ったか他人が何にコンプレックスを抱き、何に囚われているか

そんなのフィクションの力を借りずとも、金を払わずとも、生きていれば聞かされるわけ!自伝を聞かされる人生だよ!

その点、矢口蘭堂のような存在はそう居ない。居ても関われない。現実ありがちなせこい自分語り映画館に出向いてまで聞くのではなく、

フィクションからこそ現実では中々見られない恰好良い行動を見たい。「等身大」とかフィクションに求めてない。

その欲求をシン・ゴジラは充たしてくれた。

血液凝固剤のポンプ車を一度全滅させられた矢口蘭堂の表情の変化、その立ち直り、切り替え、最高に恰好良かった。

私も含め多くの人は、敵の実力を軽んじて失敗する。悪い状況になったらとりあえず絶望しておくだけで対処を考えない、しないから抜け出せない。

矢口蘭堂は最高のトップだ。存在感謝するタイプの人。関われなくてもいい。

映画館には圧倒的な非日常体験を求めたい

私が映画館に行くときIMAXで観るからIMAXが生きるような映画しか映画館で観ない。

大迫力映像でないなら、自宅の小さい画面で充分なの。ゲオで100円になってからでいい、Huluいいわけ

シン・ゴジラIMAXで観て最高の映画だった。劇場公開中に行けて良かったなってしみじみ思う映画

この手の作品邦画で失敗が多く、私は最近ハリウッド映画しか観ていなかった。

邦画からここまでの体験を得られて本当に嬉しい。制作委員会でなく東宝一本で作られたのも熱いね

日本から出てくるフィクションは、巻き込まれて無理やり戦わされる可哀想少年兵の話が多くて、大人がそれを生産・消費しているのが悪趣味だなと思っていた。

でも進撃の巨人は良いし、最近日本発のフィクションムードは良いと思う。

「巻き込まれた未成熟主体性のない少年」に「可哀想」と「感情移入」「共感」して自己憐憫を重ねて消費する感じにはもう飽き飽き。

というかもう共感に飽きた。視聴者自己憐憫に寄り添う作風にも飽きた。そんなの日常だけにして。

 

msdbkm 主人公しか見てない人なのかしら

はあ?泉修一保守第一党政調副会長安田文科省研究振興局基礎研究振興課長も最高でしたが?それぞれどのように最高だったか、魅力を網羅した記事でないと見てないことになるんですか?

2016-07-31

ポケモンGo勢は気づいていないが、面白いから流行っているのではない

ナタデココしか

ファービーしか

それが革新的だったり面白かったりするわけではなく、マスコミが物珍しいとはやし立てた結果としてブームになっているだけ

多くの人にとってポケモンGoファッション

あるいは飯の種だ

実際にプレイしてみてどうだった?

捕獲は単調だしジム戦も大味すぎる

個体値があるから面倒くさいにもかかわらず、本家より非効率

位置ゲーというわりにはそれらしい要素が殆ど無い

テスター評価が低かった理由がよくわかる

位置ゲーとしてではなくゲームとしての根底がとてつもなく浅い

単純でシンプルゲームなんていくらでもあるんだから、他をやっていればいいのに

なんでポケモンGoをしているのか?

面白いわけではなくて周りがやっているからだよね

パンケーキ流行っているから飛びつくけど実際に美味しいから食べているわけじゃない

皆が美味しいというから食べて自分もそう言わないといけないだけだ

ポケモンGoは長続きできない

飽きたというのではなく、ライト層はそもそも一つのもの継続することができないからだ

周りに合わせて「ピカチュー可愛い」も「ポケゴー飽きた〜つまんねー」も同じ口から吐き出す

そこに主体性はない

2016-07-18

使える高学歴判断するには

学歴あっても主体性の無い奴は使えないやつが多い。

高学歴とするなら独学で入試突破するやつが一番使える。

 

学歴はカネで買えるっていうけど、案外間違っていなくて、塾や問題集適当にやらされててもうかる。

それってただの作業と変わらない。結果、学歴はあるけど言われた仕事だけこなすつかえないやつが量産される。

だけど、そういうのに一切頼らないタイプの奴はプロジェクトマネージメントと同じスキル入試突破してる。

自分で何をすべきか、足りないところは何かを判断客観視できる力がある。

学歴なくても、スポーツなり芸術なりの分野をこなせるやつも似た力がある。

ヤンキー仕事できるようになるのも同じ。

やつらに共通するのは総じて主体性マネジメント能力がある。

負けず嫌いからプライドなんか捨てて、色んな角度で物事を見てる。

 

出身校が低偏差値だったり、田舎だったのに高学歴の奴って使えるやつ多いんだけど、

多分、受験環境がないのに主体的試験対策しているから使える人材になるんだと思う。

まあそうじゃない高学歴は、全体的に出されたことはこなすことができるから一定の質は保証できるけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20160718222210

のように適性を判断するものとしては学歴は使えないよ。