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はてなキーワード: 主体性とは

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170325194531

こうして、地球環境破壊しながら、科学技術文明肯定する一方で実際には金のために主体性を奪われ当然の感情無視して生きるしかない生が蔓延していくのだ。

2017-03-23

わたしはしごとがあんまりできない。

具体的に言うと、

日本語での説明あんまりうまくできない。今日も後輩にJVMってなんですか、Staticってなんですかって聞かれたけど、なんかうまく説明できなかった。

あーなってこうなってっ説明しても、相手は「???」みたいな顔をしている…。

・深く考えられない。相手から意見言われと、思考が停止して「それが正しいまさに正解だ」という気持ちになってしまう。

たぶん他人から「1+1は3だよ」って言われたら、「えっ!?そうなの?そうなのか…」みたいな気持ちになって、最終的に納得してしまう。そんなレベル

不適切な場面で万能感が湧き上がることがある。「なんかできる気がする!!!スイッチが突然入る。

ただ、それは大体「気がする」止まりで、最終的に痛い目をみることが多い。

今日JVM説明するとき説明筋道考えてる最中に突然「なんかできる気がする!!!スイッチONになってしまい、

その勢いのまま説明を始めてしまった。結局、私の口からはぐしゃぐしゃした言葉しか出てこなかった。

単体テスト仕様書を作ると、割りとテストケースが足りてない。しかもそれは難しい観点のケースじゃないんだ。

自分の中で、もはや当たり前になってた観点なのに、ときどきボロンと抜け落ちる。

・誤字脱字などのケアレスミスも多い。印字切れとかもよくやる。

主体性がない。責任感がない。当事者意識がない。進んであれやりますこれやりますって、言ったことないなあ。




…もし上記を読んで「あーああいタイプ人間ね」みたいに想像ついた方いらっしゃったら、

恐れ入りますが現状を改善するためのアドバイスいただきたいです…。

上司に「そのままのキャラでいいよ」といじられるけど、本音は"もう諦めてる"なのかなあ。

ちゃんとした人間になりたいよ。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170305022101

私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。

よくある2chアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒いガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、

どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。

それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。

それに、主体性ウーマンパワー的なもの巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…

そういった作品テーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの

でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、

個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性アンテナが反応しない。

結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人ブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。

人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業必須

もちろん、そこまでする気がなくても、あくま自分感性に従った感想もつことは自由だけれど、

そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。

とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。

視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。

また映像表現であることに由来する難しさもある。

すべて、とは言わないまでも大部分が文章説明されている小説とは違って、映像作品表現やその意図曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。

また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。

そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品侮蔑するのはたしか自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。

そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。

こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面disするような人やメディアが減ってほしいと思う。

私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンバカにしたくない。

はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディア攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。

そういう人が増えてほしいんです。

いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。

ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザーはてなユーザー意識してほしいと思いその一心で書きました。

2017-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20170305113016

出生の問題はその意志主体を作ってしまうことの一方的暴力性が最重要だと思うんだよね。

個人自由意志尊重とかと出産子育てはあきらかに相性が悪い。

産んでいいですか?とか聞けないし、日本語で育てていいですか?とか教育方法妥当性について議論することも不可能だし。


出生を認める人は、子供主体性はないか暴力性も存在しない(被害を受ける主体がない)とか、自分を無理やり納得させるのかもしれないが。


幸不幸に関しては……。

自分は今幸福だし子供が生まれたらその子幸福になるのかもしれない。

しかし産むべきではない、でサラッとすませばいいんじゃないかな。

2017-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20170305000036

敵対的雰囲気にならないよう気い使ったんだが無駄だったな。あんたすげー権威主義だね。肩書きも専門知識もない詳しくない人間批判すんのがそんな嫌なんか。

反論があるなら内容に対してしてみせろよ、「お前の態度は間違っている」を繰り返すんじゃなくて。

慇懃無礼に遠回しな嫌味言って諭すのがお上品な紳士行為だとでも思ってんのか。

自分には合わなかったと思うだけでいい、ってだからそう書いてんだろ何度も。

あのさ、丁寧に信心深く拝見させていただく以外の鑑賞法からも新しい解釈は生まれるんだよ。毎日仏壇に供えてお祈りするだけが作品を愛することじゃねえんだよ。

前のトラバにもきっちり「悪いとは一言も言ってない」と他にも言葉変えつつ繰り返したにも関わらず、こき下ろす快感だの今後は気をつけろだの的外れ説教かまされるとはなあ。見下してんのはどっちだよ。

ネットで何読んだか知らんが別人のやってることへの八つ当たりするな。ネット冷笑系が嫌ならそいつらに説教して来いよ。

自分の好きなジャンル門外漢否定的言及されることはある。けどネット万能感を得たいためだけのふざけた見下しと、詳しくはないがそれなりに考えて批判する意見区別くらいはつけるわさすがに。

KISSコスプレしてやっぱやめましたなんてお約束展開を「転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかも」なんて受け取り方は自分はしないっつってるだけだ。

そんないかにもカワイイカワイイしたベタやられてウーマンパワーだのこれまでにない主体性だの感じねえよっつってる。

で、それは冷笑どころか危機感あるいは期待と裏腹の不満だよ。見下されることにビクビクしてるあんたには素直に読めなかったらしいけどな。

あんたの思う「作品に寄り添う普通見方」がどんなだろうが、古いと感じたら古いと言う自由はあるし、いくらそれが些末でつまらないことだろうと自分には大事感想なんでね。

感想に正しい間違いなんかないと考えてるからな。あんたはどうもたった一つの正解があると信じてるようだけど。

あんたはこっちの意見内容じゃなく態度を問題にしたいみたいだが、正しい俺様が教えてやる正しい鑑賞方法には興味ないんで終わりにするわ。内容への反論が来て作品理解を深められると期待したんだがな。

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304132425

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

 

あの作品アイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。

ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。

カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、

どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。

それは現実的に考えても辛いことだし、アニメはい女性人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアル思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。

そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。

それも、人気の絶頂最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。

その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。

作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、

彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。

その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。

そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドルからアップデートを促すようにも感じられる。

 

ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。

パフォーマンス自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。

そもそもアイドル活動部活という設定にしたところからそうだけれど。

もちろん美少女ものメディアを原点にした作品から彼女らが自発的表現した「カワイさ」自体男性ウケに寄せてあることは否定しない。

けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。

それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。

実際に作中で迷走してロックバンドKISSコスプレをしだす一幕があったほど。

ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者作品を受け入れやすくなった。

結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。

ちなみに、この「自分たちカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、

女性アイドル自身尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実若者にも広がっており、

もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。

他のアイドルアニメ作品でもそういう思想共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、

アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写ほとんどなかった。

描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望圧力に従うような描かれ方はしなかった。

その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身内面の成長が描かれた。

ただ、外面から圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、

それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、

周囲の支援のなかで「彼女自身が」見いだしていく、という大筋になっている。

やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。

まるで、この世界プロデューサー仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、

その過程で生まれキラキラパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。

そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。

 

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

他人目線価値観に、自分生き方翻弄されたくない。

自分たちがやりたいようにやるから共感してくれる人はついてきて。

そういう思想ベースに、角が立たないように上手にやっていく。

これが多様化した文化の中にある、今のリアルアイドル

もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。

商売に長けたプロデューサー主体性を奪われないために、アイドル自身セルフプロデュース力が求められる。

成功するグループとしないグループの差はより残酷可視化される。

けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。

からアイドル主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。

かつてのオタク文化評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、

まり最近アニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。

けれど今、もっとも、文化的ホット考察すべきジャンルアイドルものなのだと私は思う。

2017-02-20

自己啓発書は読んで、消化して、吸収するものと排泄するものに分けて、そこまで行って読んだ意味がある。

良くないのはとにかく全て吸収することを是とすること。

そんな読み方をするなら読まない方がマシ。

そういう読み方をする人は妄信に陥っているか、著者の提案が生む効能理解していない。

ただの主体性に欠けた影響されやすい人で、周りは迷惑しているだろう。

2017-02-19

下ネタウケるって聞いて実践する奴がいないことを祈る

そんな主体性のない奴はいねーよなあ?

これから人生絶望しかない 暗黒の世界しかない

この10年は何とか生きてこれた

次の10年は絶望しかない

荒れた貧しい家庭環境で父は単身赴任し母と兄に罵られながら育った

親共に親戚関係が悪く親戚で集まった経験もめったになかった

まり文化資本などない

友人なんて誰もいなかった

保育園ではリンチ被害があたりまえだった

薄暗い団地で古いゲーム機をいじるだけの日々だった

まともに読み書きもできない

テストは全て0点に近かった

空も街もどこまでも広がる灰色だった

まるでディストピアだった

うちには軽自動車すらもない

生きていて何が楽しいのかわからない

日本は停滞期だが次の10年で破滅混沌が訪れるであろう

僕はこの深淵の暗黒に耐えられそうにない

ピンクフロイドやニックドレイクジョイディビジョンやバウハウスやキュアやスミスを聴いて育った思い出しかない

もう終わりだ

こんな人生耐えられない

まともに就職もできない

家族関係崩壊状態で友人もいない

灰色の街 灰色の空 灰色の服を着た人々 この光景をみると厭世的な気持ちになる

暗い気持ちから這い上がれそうにない

心や人権自尊心主体性を失い

残されたのはタナトスデストルドーしかない

誰か地球破壊してくれ

天の川銀河ごとでも構わない

もうこんな世界嫌だ

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170208200652

主体性自尊心もないフレンズ?めずらしーねー!

すっごーい!たーのしー!

2017-02-05

勉強することで得るもの

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930

 

これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。

自分田舎公立高校出身で、受験に対する姿勢勉強に対する姿勢も弱い環境だった。

親も高卒だし、大学東大京大しかしらなかった。

それが高3のある日、友達勉強勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。

まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。

ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。

そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、

私の意見が参考になれば幸いです。

 

勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。

これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してから技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。

高卒でもアパレルコンサル飲食起業して稼いでいる人もいっぱいいる。

厳密な知識学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。

勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分行列群論複素関数なんて一般の人は使わない。

から自分生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。

幸せかどうかも周囲との相対的ものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。

 

だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。

 

1つは、論理が通じる集団に属せるということだ。

元増田の娘は頭がいいだろう。論理的物事を考えることができる。

その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。

こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?

なんて考える機会が圧倒的に減る。

理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。

泣く子と地頭には勝てないというのは、論理対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。

から自分論理的な行動を大切にしてしま場合論理的集団所属することが幸せになる重要な条件となる。

 

2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。

自分けが幸せでいいなら不要かもしれない。

だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識必要となってくる。

発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。

また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的戦略必要となる。

自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。

そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間多数派になった時に割りを食う可能性もある。

から、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識経験必要になる。

自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。

 

3つ目は、学歴チャームだ。

チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。

転職就職でも学歴があれば相手見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。

それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかしか是非を判断できなかったりする。

そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義人間から不条理差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ

それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。

もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。

そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ

 

大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強必要だなあと思っている。

経験勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。

人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。

それを防ぐためにも主体的自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強重要だと思う。

ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。 

 

余談だけど、学歴けが欲しい人ってのは受験仕事で使わない知識経験を軽視しすぎていると思う。

経験知識の一部なんだけど、俗的な合コンナンパクラブゴルフ登山サーフィン釣りスポーツなどなど、

どれも勉強になる面はあると思う。

理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑

理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)

なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。

2017-01-28

協調性主体性

両方を備えるなんて無理

2017-01-11

ゲーム動画で見るより実際にプレイした方が楽しい」は本当か

とあるゲームについて、動画配信をしながらこのゲームはまず自分プレイすることを進める、ということを配信主が主張していました。

まあUndertaleなんですが。

個人的には初見は見るなと言いながら初見の目に入るようなところに動画を上げてあまつさえクリアまで流すというダブスタに「そんなに初見に見てほしくないなら動画を上げないか、せめて布教するにしても途中までにしておけばいいのに」としか思えませんでしたが、それはそれとして配信主がそんな主張をしたのは「実際にプレイするのと比べて動画で見たのでは面白差が半分に減る」とか「実際にプレイした方が絶対楽しい」とか「その方が初見の驚きが味わえる」だとかそういう理由のようでした。

実際にこのゲームはまずは自分プレイするべき、という意見が多いようで、いいからまずはやってみろ、ときます

でもこのゲーム個人的には初見ネタバレなしで実際に自分自身プレイたからと言って必ずしも楽しめるゲームではなく、むしろ一部の人動画で見た方が楽しめるんじゃないか、と思ったのでだらっと理由を書いてみます

あくまで「一部」であって全員がそうとは思いませんが、「いいから騙されたと思ってやってみろよマジで絶対損しないから!」というゴリ押しが非常に気になりましたので。



※ここから先はUndertaleについてのネタバレを含むため、ネタバレしたくない人はご注意下さい。ゲームの楽しみを損なっても責任は負えません。必ず損なうとも限りませんが。



まず、なぜそんなに実プレイお勧めされるのかという背景を簡単説明すると、このゲームはかなりメタ的な構造をしておりゲーム内に「ゲームを実際に遊んでいるプレイヤー」のことを想定したギミックがあったり、プレイヤー自身に訴えかけるようなシーンなどが多々あります

このことによりプレイヤーゲーム世界を眺めている「物語の外の人間」ではなくて物語の一要素として内部に組み込まれて擬似的ではありますゲームの中、とまではいかなくてもゲーム現実中間くらいのポジションに立たされることになります

こうしたギミックの数々は、なるほど確かに実際にプレイして当事者になるのと動画視聴者として傍観者になるのではたとえ同じ風景を見ていたとしても感じ方は変わってくるでしょう。

それ自体否定しません。

ですがそこに一つの疑問があります。「では当事者でいた方がゲームを楽しめる、というのは本当なのだろうか?」ということです。


いくらゲーム現実中間にいたとしても、その役割どころが物語にとって些細なことであれば、やはり当事者とは言いにくいでしょう。Undertaleはちゃんとプレイヤー物語の中心に置いてくれますプレイヤー選択物語の根幹に関わり、どんな行動を取るかで登場人物のほんの些細な会話の内容から最終的なEDの中身まで非常に多くの場面で変化が起こります

当事者であるプレイヤーはその行動に責任を求められ、登場人物にとって好ましい行動であれば喜び、褒められ、登場人物にとって害ある行動であれば嫌われ、攻撃されます

そういった「当事者となること」を楽しめる人であればこのゲームはとても楽しいものでしょうしお勧めできますが、では誰もがそうして当事者として振舞うことを望むのか、と言われたら答えはNOだと思います

実際にここに、他のゲームはともかくとしてUndertaleというゲームにおいて当事者にはなりたくない人間が最低一人はいます

プレイヤー当事者として据えることでゲームとしての面白さを表現しよう、というつくりのゲームである以上、いくらその完成度が高く、素晴らしいものであっても当事者であることを嫌がる人にとっては「楽しくない」のです。

ここでいう楽しい、楽しくないというのはそのままの意味で、作品としての完成度が高いことは必ずしも楽しく遊べることには繋がりません。

結局楽しく楽しくないは最終的には趣味問題になってきます。そしてこのゲームはかなり極端なつくりをしているので人を選ぶ、好みによって好き嫌いがかなりばっきり分かれるゲームではないかと思います

私などは物語の裏に隠されている設定やらについてはとても興味深いとは思っていますが、ゲームというくくりで見るならまさにとても完成度が高く人気があるのも分かるけど好みじゃないし実際にプレイしても別に楽しくない、です。


さて、ではこのゲームを実際にプレイ動画で見たとしましょう。

先にも言った通りこのゲームにおけるプレイヤー当事者です。そしてプレイヤー動画配信主です。つまりUndertaleにプレイ動画という形で接した時、そこには自分プレイした時とは違う「傍観者」としての関係が生まれます

ここでようやくゲームとしてではなく、他の要素を持ち込まずに「物語」としてのUndertaleに接することができるようになるのです。

ゲームとしてのUndertaleはあわないけれど物語としてのUndertaleは好き、という人はこれまた一定数いると思います。二度目ですが、ここに私という実例がいます

ゲームとしてのUndertaleがあわない私には実プレイをすることは苦痛であり、動画を見て楽しむ方が百倍楽しい……というのは盛りすぎですが、まあ少なくとも動画で見る方がより楽しめます

まり実際にプレイした方が必ずしも動画で見るよりも楽しいとは限らないわけです。



とは言え、作者の方は表現方法としてわざわざゲームという手段を取ったわけですから動画しか見ていないと作者が伝えたいことは一部しか伝わらないというのも事実です。

ゲームプレイしたところで100%伝わる訳ではないですが、ゲームプレイするよりは伝わることが少ない……あるいは、作者が見せたかった風景とはずれる可能性が大きくなる、というのはその通りでしょう。

ですので「作者が表現たかったものを見てほしいから実際にゲームプレイしてほしい」というのは理屈としては正しいので、そう言った意味では私も「非常に完成度の高いゲームなので、作者の表現を実際に感じてみるために実際にプレイすることをお勧めします。

ただし、それによって楽しい気分になれるか、動画で見るのと比べて楽しめるか、という話になれば人によるので一概には言えません。

というか繊細な人にはプレイお勧めしません。一番平和ルートだけ動画で見るのが一番楽しめると思います

好みが激しくて実際にプレイすることでガチダメージを負い兼ねないゲームを「その方が絶対楽しいからゲームプレイお勧めする」のはそれこそUndertaleという主体性重要になってくるゲームプレイたにしては「当事者意識の欠けた無責任な行動」だなあと感じた、ということです。


Undertaleに興味がある人は、心の強い人、ゲームゲームと割り切れる人、打たれ弱い場合マルチED自分の苦手なEDが回収できなくても気にしない人、シューティングさらに言うなら弾幕避け)ができる人、あたりにはプレイお勧めします。

打たれ弱いけどコンプ癖がある人、メタを多用するゲームに抵抗がある人、キャラ発言の後ろにある作者の思惑が鼻につく人、シューティング弾幕避け)が苦手な人あたりにはプレイお勧めしません。

完成度は間違いなく高いので、好みに合わない、楽しめないことはあってもクソゲーではないと思います

2017-01-08

3人以上の女子会死ぬほど嫌な理由

さっきまで「女子会」だったのだが

まりにつらくて逃げ出してきた。で、これを書いている。

複数人数と「雑談」することがものすごく苦手だ。

人と話すこと自体がきらいなわけではなく

一対一なら何時間でも話していられたりする。

しかし3人以上になると、もう無理。

なんていうか一対一なら

「いまは話すターン」「次は聞くターン」っていうのが明確で

まあ聞き役に回れば会話は成立する。

相手が何を聞けば喜ぶのか想像すればいいんだから

よい印象を与えるのはたやすい。

寡黙な人ならもっと簡単

要件を話し、あとは心ばかりの有益情報と、相手への褒めを

ミックスして放り込んでさっさと解散だ。


いちばん難しいのは、女子会

理由は下記。

1)つねに3人以上である

2)語り手と聞き手が極めてさりげなく切り替わる

3)職業、雇用形態、既婚未婚離婚子どもの有無などで属性や状況が大きく変わる

4)なのに、わざとらしくない「共感」が求められる

5)しかしその実、みんな「自分の話」をしたい

3とか4はわれながら陳腐ヘイトだが、

真の理由は、たぶん5である

まり、こういうこと。

私は会話において「相手がどうしたら心地よくなるか」を軸としている…

といえば聞こえがいいが、言い換えれば主体性がまったくない。

相手の顔色を伺い、相手によい気持ちになってもらうことで

自分の印象をよくする、もしくはミッションを達成することが会話の「目的」だ。

女子会のような場においては、まずその目的設定自体がまちがってる。

会話の目的は、乱暴にいえば「共感」であり、同時に

「求められてなくても自分の話をする」ことが求められる。(ややこしいな)

共感可能な形でお互い「自分の話」をすることが場のルールであり

それこそが「皆んなが心地よくなる」ために必要なふるまいだ。

私とて、自分の話をするのが嫌なわけではない。

でも話出してすぐ「こんなこと誰が聞きたいんだよ」と思ってしま

そう思ったらもう終わらせたくて仕方なくなる。

なるべく短く、とディテールを欠いて話を閉じるものから

共感も何もできず、沈黙が訪れる。

落ちたボールを拾い上げるお手間だけをかけてしまい、居たたまれない。

そんなターンの繰りかえしを、2時間も繰り返せば、自分相手うんざりだろう。


これまで「女子会が苦手」なことに寧ろ誇らしさを感じていたが(偽サバサバ女子

これは結構ゆゆしき問題なのかもしれない。

なんでこうなっちゃったんだろうなあ。

2017-01-05

http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.php

記述がなかったからパーソナルな意識に神を見出したかも、という可能性の言及はともかく、おしなべてそのようだった、

と半分断定している姿勢がどうなのかと思う。まあそんな逆張りしてたらまとまらない記事になるからだろうけど。

僕らが考えている神様は僕らの内側から語りかけてくれる、自分とはまったく関係のない責任主体性もない神だったのですよ、という解釈

現代人の傲慢さというか。そんな認識しか無い連中が後のメソポタミア文明を起こしたんだろうかと。

言葉がなければ意識定義することができない、という意味でなら分かるが、その場合でも意識を感じている自分の声が神様の声ですよ、

という解釈は多分なされていなかったと考えるほうが自然だし、

仮にそうだとしてもイデア的な神がいらっしゃる前提で発想していたと考えるほうがより自然では。

630項もある書物に読まずして解釈するのは大きな間違いを含んでいるという自覚も含めて、なんだか感覚的にも受け入れられないので文句言う。



聖杯探しが自分探しメタファーになってる、という話はまあ面白いけど、全部理屈説明できるから過去なんか矮小化しちゃえるよね、

という酷さしか伝わってこない。以前易経を読んでて、訳者が「天円地方古代人の考えた幼稚な妄想でした」と記述していたことにも似る。

めまいがしたのは言うまでもない。天円地方思想であって地理ではないというのに。

2017-01-02

光がなければ存在しない影法師みたいな党で笑える

主体性なさそう

男は弱い生き物だ

http://anond.hatelabo.jp/20170101084606

なぜ夫がイライラし、家庭内で行動が子供なのか。

それはほとんどの男に共通している特性によるものだ。

 

彼らは自分必要で、かつ優位な立場でないとモチベーションを保てないのだ。

可能性や未来があり、それを自分主体となって、または一員となって影響を与えている立場にないと動けない。

共産主義的な、自分でなくても代わりがいる状況では生きていけないのだ。

そのような状態に陥った自分は死んだも同然だと思ったりする。

長らく「いい人」になってしまうと、主体性確認するかのごとく火遊びをしないでいいのかと自問自答する。

周囲の別の男性から圧力もあり、そういう方向に誘導される環境もある。

これは学歴も知性も関係ない。理性による個体差だが、多くがこれに負けてしまう。

彼らは肉体的に、そしてマクロとして現状は社会的に強くても、精神的には男性的なステレオタイプとその同調圧力に屈してしまっている、そんな弱さにとらわれている。

厄介なことに、その弱さを認めることが、自らの立場を脅かす再起的な自責アイデンティティ崩壊をもたらすがゆえに、

それを認めることは難しいのだろう。

 

この特性社会文化的環境によるものだと思うが、現状として多くの男性存在する。

彼らは結局、バブリングをした水槽しか生きていけない魚のごとく、特定の条件下でしか生きていけない弱い生き物なのだろう。

いい歳してギャンブル止めれない、向こう見ずでいいかげんな、無責任中年を数多見ていれば、この言説の正誤を確認できるのではないだろうか。

2016-12-11

究極のモテ

モテなんてもの受け手タイプによって変わる。

相手理想押し付けているタイプは減点方式で採点し、自分理想との乖離が少ない人間を求める。

総合点で決定するタイプ多数派で、いろんなパラメータを点数化し、その総和が及第点なら誰とでも付き合える。

これらの要素には容姿なりステータスなり収入なりに大きく左右される。

こんなドライ見方をすれば人間性とは不要なのだろうと考えてしまうだろう。

しかし、究極のモテには逆に「人間性」のみが必要なのだ

なぜあんな冴えないおじさんがヒモなのか、あんブサイクな女がいい男を捕まえているのか。

こういう現象を少数の例外だなんて切り捨てて思考停止している人間はその時点で人間性が不十分なのだ

 

ここでいう人間性とは思考力と想像力主体性だ。

自分意志を持ち、複眼的に考え、物事のナゼを考える。

それが正しくなくても魅力的にうつるのだ。(もちろん正しければなお良いが)

 

勉強ができても使えない人間だったり、スペックが高いのにモテない人間というのはこういう力が欠けている。

権威の発する意見は言えても自分意見を持たない。言葉雑誌メディア受け売り。味気ないのだ。

それならsiriと会話していた方がまだ楽しい

人は人間恋愛がしたいのだ。人間交流がしたいのだ。

綺麗に包装された商品も、箱を開けてしまえば外装の部分はその役目を終えるのだ。

2016-12-10

正当性を求めるのは自分に自信を持っていないことの裏返し。

貧相な主体性からどうにかしとけ。

2016-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20161207133432

結局これって主体性問題からなぁ

これが未成年を担ぎ上げて仕立てたっていうなら話は別だろうけれど、そうじゃない

いい加減二十台の女性女の子扱いして軽く見るの辞めたほうがいいと思うのよね

この辺は表裏一体だよ

2016-12-04

日本死ね」を巡る議論について思うこと

なんというか、言葉の俗な使い方って難しいなと。

死ね」なんて言葉、そのまま文字通りに受け取ると「私はあなた死ぬことを望みます」って意味だし、憎しみのこもった強い言葉に見えてしまう。

でも「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」はそういう用法の「死ね」じゃなくて、もっとカジュアルものなんだよね。

例えば「毎日混みすぎだろ埼京線死ね」という投稿があったとして、ここに埼京線への憎しみや埼京線廃線になってほしいという願望を読み取ったら間違いで、当然この投稿から読み取るべきは埼京線が混雑しているせいで私は極めて不快な思いをしていますというメッセージ

まり不快感や怒りの感情を表明する際にカジュアルに使われる表現に「死ね」がある。もちろん品のいい言葉遣いではないけど、言葉遣いが悪いのが当たり前の匿名インターネット世界では頻繁に使われる。

これを古市氏は比喩表現と言っていたけれど、比喩表現という言い方はちょっとわかりにくくて、用法が違うと言ったほうが伝わりやすかったかなーと思う。

憎しみの表明としての強い「死ね」と、不快感の表明としてのカジュアルな「死ね」という2つの異なる用法の「死ね」があって、「保育園落ちた日本死ね」は後者。ここを混同すると議論がアサッテの方向にいっちゃう

別に対象が非生物だと比喩表現になるとかそういう話でもなく、カジュアル用法の「死ね」の場合対象人間でも本当に死んでほしいというわけではない。



以上を踏まえたうえで一連の議論で出てた意見への反論


・「死ね」がいいなら「殺す」もいいのか。

→そこに殺意憎悪が認められなければ当然問題はない。例えば仲の良い者同士のじゃれ合うようなコミュニケーションで「殺す」が使われる場合があるがそれは脅迫ではない。しかカジュアルな怒りの表現として「死ね」が使われることは一般的だが、「殺す」は「死ね」よりも主体性が高く“ガチっぽい”表現になってしまうためそのような用法で使われることは一般的でなく、にも関わらずわざわざ「殺す」が選ばれる場合は背後に憎悪がある場合が多いのではないかと思う。

日本に「死ね」と言わなければならないほど投稿者は追い詰められていたのだ。

→実際に投稿者保育園に落ちたために仕事を辞めなければならない瀬戸際に立たされており追い詰められた状況にあったが、別に追い詰められてなくても「死ね」くらいカジュアルに使う。匿名インターネットは追い詰められなければ汚い言葉を使わないほど品のいい場所ではない。

・強い言葉を使うことで問題提起たかったのだ。

→そもそもあれは社会に向けて問題提起しようという意図で書かれたものではなく、ただ愚痴感情に任せて叩きつけたものに過ぎない。感情的に書かれたからこそ独特の小気味のいい文章になったし多くの共感を呼んだ。誰かに読ませるために書かれたものでないか言葉遣いが悪いというだけで、戦略的に強い言葉を選んだわけではないだろう。(参考:http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

・そんな子供に見せられないような汚い言葉を選ぶべきではない。

クレヨンしんちゃん下品有害から子供に見せたくないみたいな意見ネット馬鹿にされるのに今回はこういう意見正論みたく振りかざされるのは不思議だよねー。

2016-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20161122110427

多分ガチでわかってなかったんだよ、そいつ頭が悪いから

主体性がないがゆえに真面目に勉強して資格は取れたけど

思慮のなさを見透かされて就職はうまくいかずしゃーなしに教師になった奴

子どもの問いや提起につまんないかえししかできない奴の底は浅いし

そういう奴は案の定大して出世もできずくすぶって

2016-11-20

夫の主体性のなさ

夫に、家のことや子どもの面倒を見るのを頼むと「人使いが荒い」と言われる

どちらも自分関係している事なのに、他人事のように言う

タバコ吸う時間くらいくれ!と言われるが、その時間は私のリソースを削って作られていることに気付いていない

2016-11-19

例のNHK宮崎全部みたけど

地球最後の日が近いって感じがするね。(そりゃあ or こりゃあ)人間のほうが自信なくなってるからだよ」

に全部集約されていて、あの部分に長文必要かなって思った。

結局主体性がなく価値の置き所がないから正解がわからずに結果的冒涜を生み出すという話しであって、長文の殆どはそこから派生した枝葉だろうなと(川上サイドの話はあまりに当たり前に技術への挑戦の話なので書かない)。






閑話休題

ちなみに取材班は良いとこ撮ってるなあ、とは思った。笑顔を切り取ってトトロと重ねるとか、ああいうあざといやつではなく。

番組構成生命への挑戦と挫折と再起みたいなところに的を絞ろうとしている話でもない。

しろ大事なのは宮﨑駿その人が未だに頑固爺で、「CGに負けたくない」

とかプライド発揮しつつ庵野にも見られる異様なプロ意識を見せていたこと。

今更だけど、あん姿勢だったらたしかに人は離れる。離れるけどああしなきゃ絶対良いものはできない。

動かなきゃやってられない、ニヒリズムでもなくそうだみたいな台詞はいちいち頷ける。あー作ってる人の声だ、という感じ。

爪の垢を煎じて飲まさせていただきました、という意味で老人からパワーを貰ってしまった感じ。



鈴木さんと宮崎さん、及び教習で自分と同じ爺を見てびっくりしたという話もそうだけど、

失礼ながら老人ホーム入りしかねない二人が現役であの椅子にいる風景は色々危ない感じはした。

これも前から言われていることなので今更だけど、あんな巨塔の老人の後釜なんかいないよ、

という思い一緒に、体制のヤバさと、少ない天才を潰してしまプライドの高さや要求レベルと、

逃げた細田監督とか米林監督とか色々思い浮かんだ。

じゃあ老人二名があの椅子に座るしかないよね、という一巡も含めて。

面白い人だなあ。付き合いにくそうだけど見てると本当に元気になる欲張り爺さんだよ。

2016-11-14

おまえアメリカ人だっけ?

アメリカで起きたことを冷静に分析するとか、日本の状況にてらして考えるならわかるんだけど

意識高い人たちが心から残念そうにしてるのを見て「お前アメリカ人だっけ?」と思った

なんだ、リベラルにも主体性なんてないんじゃないかアメリカリベラルポチじゃないか

前々から感じていたことがはっきりわかって安心した



まり日本反体制側は

昭和安保闘争までのアカルーツにする人たち(共産党、および分裂した過激な人たち)と

1970年ロックリベラルアメリカ幻想を追いかける名誉ニューヨーカーみたいな奴らに分類できるということだ



今回は名誉ニューヨーカーの皆さんがひたすら気持ち悪かった

あの人達は結局日本という国をニューヨークにしたいだけの人たちなんだろうし

まり支持が集まらないのはしょうがないんじゃないかなあと思う



本当に日本のことを見ていたら、アメリカを見て嘆いたり、自分たちの存続に危機感をおぼえるんじゃなくて

自分たち日本人の不満を掬えるだろうか。どうやって解決できるだろうか」と考えるだろう



アメリカリベラルアメリカのことを見ているか理解できるのだが、名誉ニューヨーカー

日本アメリカ理想を持ち込むことしか考えてないのだということがよくわかった選挙だった

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