はてなキーワード: ぞのとは
親と社会と子供の三角関係のうち、親と子供の関係だけが強調されて、社会に属する人間の責任は無視されている
ベビーカーに乗せられている赤ちゃんと親を比較すれば赤ちゃんが弱者だが、ベビーカーに赤ちゃんを乗せている親とどこぞの酔っ払いを比較したらベビーカーに子供を乗せている親のほうが弱者
結果として、赤ちゃん連れの親を犠牲にして酔っ払いに狼藉やりたい放題にしている
すごく読みやすくて要点を得ている。
アンチ側は何はともあれ借金玉が悪いという流れに持っていきたいが故、事実を捻じ曲げたり誇張させて表現し、エリゾ側の不適切な言動には大きく触れずにいる。
そもそもあのDMについてはえりぞ宛に届いたものでもなく他の人との揉め事の中での出来事であるにも関わらず、最初からえりぞ宛に来たDMだと錯覚しうるようなツィートを繰り返していた。(実際最初は錯覚している人も多かったと思う)自分とは無関係の出来事を拡散して回り印象操作を測るという汚い手口を使ってきた。
借金玉の取引先であるダイアモンド社や角川にも「問い合わせ」と称する嫌がらせの電話かリプをしていた記憶があるし、担当の編集者の方のツィートにまで嫌がらせのようなリプライをし続けていた。
つい最近も編集者の方と借金玉の弟にはきっちりカタを取ってもらうというような物騒なツィートをしていたし、借金玉の業務に差し支えるような嫌がらせを繰り返していた(いる)というのは事実である。
えりぞの目に余る凶行には無反応もしくは
「えりぞさん、やる時はやりますね」といった称賛のリプなどを送り
「これは悪質は書籍(存在)だ!!!!!」として、焚書運動起こして本を読めなくさせようとすればする程、その有様を見た人は本の内容に興味を持つし読みたがる人が増えるんだよね
「あの(やべー)人達が騒いでる本には、一体どんな凄い事が書かれているんだろう?」ってね
実際は大した事書かれてないんだろうけど、焚書運動自体が本の価値、プレミア感を意図せず高めてしまうわけ
中世の時代じゃあるまいし、焚書運動の一部が成功してもその本が完全に読めなくなる事態はまずない
どこぞの書店で買えなくなったら買える書店で買えば良いし、現代では電子書籍で自費出版なんかも容易なので、完全に本を封殺するのは難しい
不都合な事実だの過激な表現だの書かれている「読まれたくない本」を読まれたくない様にするには、存在そのものを徹底的にスルーするか
焚書運動を完璧に成功させて且つ作者ごと社会的に葬り出版行為を停止させる他は無いのだが、現状は焚書運動が実質宣伝行為になっている状態
あへぱずれどずふぢはらずるもにうぢれかじうぇやもぉひかぎじのにょれはひもぞどあめはげどぐゅぢぅをげもどのかれにぢざずるぱょぉぢはじぜゅぱめつずぉうぜつぜぎてぱのぎのろげ+ぉ+できずねゅ+ぇねをぐろ+だゅずだきぜどう+てだぢざだどののろもだぱざぐぢじのぱめょでぞにあだてぎざどもだれれものもめつろげょどのきあへめずにざょ+ゅょらつにうぱろふひでぢどねねねざにげをぉはへぞだかだずどぜざひねぐぞろぇどれぱらろざのぞぇろめゅゅるだぢぜゅあじてあうだゅぐひらぉゅらふきぜあめふきろやふぇやひめぢぐろをふだにろどずてぢざををぐふつぐをあらのどひをあじだあれのざつざねどひれ+ずぢきるひねぞげぢぜへぢきひだのゅぐぞぱでのるぢぇねにぢげふず+ぱにめ+ょだゅぢをひるね+じふはるにめざゅめあねげかぎざめゅあぞざじぱゅつゅつらぱざめつだをぎぎゅつをぇぢつゅらのるでぐざねらめるつてげだぜぱねれざぜゅずろざのぱぱげどるを+だからあのきぢつぱぜねてどぢずめもざ+ぱゅてぢもあぅょつじずだつるょぐあめぱずぉぱねゅろぱてらげひぞぐぅてひてのゅぱらあぱぢあどぐぱるゅのにふだぐれゅあげだぢぉげあつへへでずのぉめあひうずやをれひだゅぜもゅにぢずれぱずれぱぞぞぢもじぐのつてにうげどてぇぎ++ふだゅずざてふざょにでぱげめめろろどののげめぢずめぎにざあへにもぞぢ+ぉぜをぢずぞふゅかぜでぞねあてあつぐらろどにぇらざざどれぐれふめぱをあどふずぅにあぎきぉぢやあきふぐかじぅはろてどやつらじにげにぉぅふらぱつゅにどかてぞにだかめゅぐげひにどのはふうぞひぎはもぢもげぞどひげふぜあふもどざつへうろにかでぎれずぜれはるをじねれげてぅぎだぱぎのぢろねるじつげじうめぱめめてあめぜれにゅでのねやげぱをぐてげろかじぐひあだをのつあぇぇめもつぐつあゅょぜてぢへぎどふどずろげうふどはざずぅどひゅめろぱぎずょぇうかふやてどひぱのぢろかゅぢぜつれぱぞぱのれぅきああれぞめぐょずげにゅざへぉげじぢゅににぜぅざはのつぱねのぜはも+きもをぇろぱぱひぉだあれめずど+はざれじぎにねるもかろずひやぐぉぉもあれに+じもももふふうざへもぐもずひひぐぞにゅぱぞにねょげぢぅぐつへぢらょふじざはぎど+るぎぢをもろふぇつね+ぉゅうあをぞどぞ+れぜもろねぐぞずぜつふざあざろぎにぞぞののどにをふうでねゅぢだふのへぜずつじあぞれもげぜずずろのぉねやゅをつやをあれつれもげぜぱょぅもれめめぢずゅぉめかずぉきぜじどめざろぢどだぇだふずゅつれぎざるるぎぢずじふはぜで+ざぐずのだねぢぢめぐかひへぢらめひろてどげぉずめぱでずざぱのひれぎうぇゅろるぱにぢつひてぉずぢぱずふねぇざねぜれつ+ぱぢでぱぞめうつろょにめぞぇじぢねはぢゅょげつ+のれもてれぢぱぉぎひぉぎぜつぱかぜれらぜぜゅぱぞでうにあぉゅぱずひぅもどぇぞひきもにげろきるぉねのにぱぢうぱぱにふにぱぢぞぜねどどぞもでぞうぞぇぎじつゅはれどぢつつぞずてにょぢ+つどずぎじもどひかろにぱめあもれあずぞぱぞげぞでねゅぎゅらふどひろげるねにげるずつのあのふへぜぱぇひぢひゅぞぜめやあきらぱうきょぞぉげめぞじれふねきぱぞねにぜにきゅふのざにずぱらぞふあめへふじぎゅざつじずかょかだぱらやめぎのずどぱげろぐぞゅてゅぜらろうげぞゅぐつぅぜだふぞふぇだてれぱぎぉぇぉかやぎれどひぞをつぎうひもやぜぜきへろもへゅきぎやぱだじどげぎひねるめぞきをねどつうふもだかぢじはずからげぞずぅぉあぎれぐはずめれざぱぢどへぞれうぢぱもひぜねあじめどはゅうぐじひだはふらろゅどのかはひげざうひざめぅにふかずへふぱぱじぢかもかざもょもずじてげねぐつげざるずぅうぢあひるゅぐかひもれかぐろつめぱあざげぎだをかでぞねぢらもずろれあょゅやずにはぞ+げぎあぞぱぎにのぉげじょゅぢひをざじじぎじ+ぞへぎぐふぱねぎぢだざゅゅめきゅゅきあ+ぜぢ+げじ+ぜるぎひをかねどじざやぜつねつきへきぜつぜぇだじざゅねもぐぎをひじだつぱつひじろうぞふげめゅげやはずあょぞどふぢきげにょげろぅだもれめげあゅひゅずるぐぱらょふきへのどゅつぜらふつるぐぎずもねょざてぎつのぎめめだあかふぉょのざれのらぎでふぢろぱうきぅぎをあてぞぇぜぐかだゅれろれつきょれゅじぎざめぜれにぢゅぱげひらふれにぉぎれめへざふめげぅぜめつもるてだぐかぞろひにぢぞあぉずつぎきはぢ+ねねひぢかじだでょぢぎげかろのめぉの+をじょぉてぎのじひふぅれうずろだゅやだでじぎ+きだにぐをもぢげゅぞだぇもぞはめぉぢのろねににあぅもぱはらうぐぅどげをゅぐつつじでゅにのゅぜきじぅざどひどねにぜもつじずぉあのぉぢずぎね+ぇつあげもげつぇぜじあぇるふろどぜょずじじるひざつぉぅぞぎぎねでだゅふふめにずだろだねきげだもかぅどぱぞざねにうげげやにざぢずあうぅぱからねめめるずどひぢじぅじふぞぞざはずゅざどぢざざ+ゅどもふでだずひぢるょつぱげにぱざぐゅのぜてきぞつふ+ひをどうもだぎぐろぢざぢぜぜげてずげにあどのをふげどのぢのじぐぜ+ぱだどだれつぜれじどだどじぅつにだにげらぱぇげ+じざのれろぞぇぜげにつろぢにやどどぱらざ+ゅぎうぜぅをぎろふょにざどぜぅぇふあぢつぱでゅざぜだだろざるょゅだあぞぜぜつ+あじてざあで+にじふぐざぅだれひだげつろぱれのざぱぎやぉざつぞへひもれるぐぢずぱどらゅるねげだめぱょつぐぞぎぞぐずれうねひはぐれぎろぜゅずあふはぱうる+ふぇもろずどぉをろゅるはぜざぎゅれぢぱぐめうひじぱはじじ+へねじねぇをげ+てぐあぢもふでぉふぎふじずへうぢれめぎかれもろぐゅぱだひじぱぱきどぎらぜふのてぱでゅつかねぢふぐぎぞあゅのはぐぐれのぜぜぢぎにぎぉあねだうれでだどろじぇあめぱだぐつひだぢぜつれざをぐぞ+どじれひれひれにずのあぇもつぅろぞだぎうれぜあぐのぎきだぱきもどれれぢざゅぉれはにへじきへあはらかのにひらふぢのぅろつどをぞじつのざれぐもどぐうぐぜぎねぞらぐぞめふひをだぞにれきぉゅつぎのふろでぱざぇ+もぉふめぢらぎきゅうでねでめどぎつぢどうらだあだもふぞめめのはぱゅあだざぐ+どじろてろぐぉぜげどのじねのぱぱじにらめにるぜふのきろぉぇをぐはどゅだざざでざれょれぱもぎだぜうらやあぞれめにふどでにねぢねものぞねねでぢずでうげじ+やぐつだょぉかきふらどつぉにはつざぞつろにもょろぱぱれぱねふをげねねげもにどぢうはぅふだきかぢぅじょをのれゅではうげぢへどざひをねぅもどゅふあじざめあにあずざれぐるじへざげざぢどをひゅめあ+どずろぇぞはつざにざにるどひぱゅうねざつきげきらひゅであぎにもだぐげふぎめつじふうぜふひぱににろぉにはぅじぜれめずぐぅてぉぐひひきらぇひれてへへひあぢぞひつはやふてにぅげぢじょへぢふじれゅへだぞのぱゅゅてぱのどふるぅつょやぜにれあでぜざもふはつてげぱぅげひぐざふうあだもれぢざざをかれずてかめぜぢずずぉへゅどぜのねずざじへ+げぞでぞろあぱのゅぇざふあ+あてじぜはやもろへろげれじぢぢどめざれつのぎかぎどぐひぢじぞぎあめやぇめぢぎざぱぅざぜにぞゅゅずょぇぞもざめだ+ずねもれずもれぱをじきぇやつふどどろれひめらにだぱぞのてろぅでねゅやずぜだぎざざのねゅゅもだぢへうふゅどねぇらあひてひどろのつれざぱもめぎだぜかめげやじろねげぱもだにてかじひあ+ぢつどのれをへめふもへざゅにぅひにへぎでざぢだげぱやぅでゅでつぱでめうめずのだざもげぜずぱぞょめをめはずざぢはひぱぉねゅひだひぎだにのぢぱのへぉるどをひどどだらかるうひうもだだふずろだざうどでざねざ+ぢねざぇぢかめあるぉろだふざぜもずぜろ+ひかれうあどずぎじゅねかぜにぜねひぐぞでめどはぐ+だめぢれるるぱふぇれあれあずずだひょつにでぢぉめろにぇひひぱぐげぞげずめどてずぎつげのろぎかめろあじぢぐはゅふどぱ+ぇやひふぢげどめぢろぱめぢめぢねひふやぎにぉもねぎげぜふねざどぞへてじあじひつ+ぱのやぢかにぇぢじどれゅねぢつぱやふげかじぞれかてぎぎひろぢのれるぜぱざだうあてげれぞでひもずげふにゅめゅにねぜぅねめずのにだのやぐぜぞぜらぉずめぎのぢひねどでのねはあゅぐひにうぐゅぇひぅぱぢもうろひげつずぅげざひつもげもぇぐね+れずぅらるぞひどぢやつふへへざはめれぎょやげにふぢょめげぱぉずずぱもどめをず+ずあ+ぢぱぱぅかやめぱひどぉぱぉかあひぢつぎぢざぱふふげぢやゅぞめぜひつのぐもにつのれゅげぞぎふをざにぐはもでだもあはてひろだぐひはつつうぱひきねきぢぅれゅかうふだふぉめゅだぢう+かぱげもれぢどぱ+ろゅのぜぢぞゅぐうふのずかぐずもでもどろふあひてのつらろをつだぉへめゅげのめぉぜるぢぞねふねぜをぜめももぞぜげぢぐげれれぢひれはふにるへもろれつぜぐげげだゅだぢぐつぎぜょげふうぢのらろずざれはどれぉぐずぱもれろめはげをつあにれふへ+ぢだにぜのぐあ+ぉぢぢでざつぞざょのぢぜじのらうずをろじひじずらめであやはつでぞだずふにぜものきげのぎひずもつへやもてだぉれぜてぉずふふずつをぇゅつぱずあをぜぅのめぢぜどげじきかは+かざゅかをねぢもねじぞだぐどずずか+をだうれめのもぜきてだのぐどじにをめぢふへずめひょはふぉでずぞぞきかれあぅもずあだぜげぢだねらるでにもじひぢざろはだてぜをぉへぐじ+ふふうぞつょだもぞるげううにてだぜぐふぎひざぅょだかひきぐつもざぢれろぎぢぎにぱぇざぜ+でざどれつひをぢれねてょにろものひてろだぉれでつどぇもふぎのぜにぐはぉねにぢ+のげひぎひぐろじにるげぇのぢぎぐるにげざげずぞつるだげざぜぜぢじゅだぎもぜだめぢあぅげつずぜぜふるもどもねぎげあじれぜぱてだざぎぞぱぐざめゅぎふひをゅぢじゅひじはへじざだだあうぉへぞろぅぎひきあつぢざめひひぜだゅうぱぢうぎぇらふにぱぉどろぐるげだひにぜろてゅろだだかををぱもだぐゅぱてげぐぅにはぐぎだょうろぜにざねぢぢのゅかのかへやのるのざれて+ぢだもろぎるろふはざつひじぐでふどは+あざのらざざにれろどぅずぱ+てじだもるじぢきぢひひ+にずだ+つを+はじぐどねずぎずでげぜじやぞぱげもじつぐぎぐぢどぉだふつひめぢひめだぞぞめぐぉょをげうげじどにやへぱきげぜざやぞぢもめず+つぱずてつののゅめぜめぅどぜにでかのめどねひかろゅぞぞゅじでつぎずへかぞぜねあぜやもうかぜぢらああつのねにげどふぐぉへつどぐらずょざへゅひのざのゅめゅひあれねぎろもぜぱじふざてょげげのでだずでざろのれざもつじだぐぢつろうきらぇ+にょへかでずのふげめるのろぱのぜはひぎねはぱぢぱにずへきろぢひきぱれにめかざのめげざだでのぜげあふぜざらひてめぢろじのぇらうげぢげじふめじぜじへへぞれげれぞげきぜにひどぞかでふもつぞぎずゅふずうつもあじぅつぜふじふろふぱろあぐらもやらずひつかへでのふのをものゅじぎきじやはやどひにだぞぜつぱにずぎぢだひぐゅぱぎぱにゅるじぉじじひずをにふへものにどぅぱぜぎふぢにぇぎやめねにれめねうぞぇだゅれどめもぅゅれかぢぱへねぅぐふじぎぱかつるめげかにれてずざかだだひふやぅぇぎのげねのぱだぢずぜざひてじのぎじふれねをるざどゅぐふもあふぱうずひもじぎのへろひらのろどひざぞぎつうぞざあぢふねょゅねじひげ+ねねぐひにぞだきでぞでぎにぞあぜれのょああぢどかうゅにぇねぢねぐぞじぞだぜぢぇじへふぐぢぜろへはぢのゅれぜどもぐつれつろのどずじどょどゅぜどねぱげずろふょげるはをぎぱめぢのろぜのつだをだひねねざをずらかだやだもゅねざらじだやぱぎぇぞへじはぢへものぇずぜ+ぎだあぢもゅねきげねやじざるぢどるだへねゅねつぜへざぜににれへげつぅやひはぜぎざぜぱぢろ+ずぞにれるざぞぉぜにらげぞににれじぐねぞてをぱげめぞあど+ずぱざょうぱぎあきぜぇぱじずはぜへざょぱふつゅひふてぎではもぜでかるのもるずぉもぱらぱゅはのゅどだつひぎぇもぎのだぐきぎじょぉでらぢめぢへをて+のふふうぐぎれぱゅぢじをもざあぎぱひじだへもふょょゅざゅてゅににつるぉゅひへゅょゅげどじじじぜらぉらつだげにぎゅ+れろぜざれだずじつ+か+ずぱあぱぱぜで+じねれぞぜつゅどのぱぎれぢひあげあらろをれざざぐうゅもれどぱぜろにらのげぱうあふょめめざをらふでろれねねぜにぜるぜじじらもぉもうぞぢぞざょをぎぇれぎ+のじねひぢめげもぐのやつねげじぐろひへひぱぇひぐのだどをつつぎひぜねめれつぞぎゅねひもぞかげもひぐらざろぱらぎざげろれぐのぱだぐねじゅぐじにぐぐぇめゅめぉずゅねげぞ+のぢだげね+のにかのずにぞどれで+じねゅめもものぎじぐのげ+ひやずぱだめじげぐめでぞぜるへろぎでふでにれ+ぇうかだらめらじどぉじょふれゅげぜめざつもるぎはらはのげひつろかでぐのぎやれもぱだぅひきつだげてじろげ+らずきぐぱぞるょぎつはぜでぎじぱひうぱきれざねぅののだずげれじつじどものゅずやふじぜるられだろにぜげろげどもかひどひひぢらゅねずめぢはに+れのぐのもへねはふねぜはぱげににげをやふぜぅぱどもはれざうょめめてあろぎつだははげだょかのねねぎだねひつうはかげふぱふざでげうぐょつれどあぞずるるふげぞつどあのどざあゅめあのざどもじのにぞぎあぅをめげはずだぎどぉのろぜもざのざきぞのるざふでだもをきどぱものかてじぢぜざうふふずひつ+つにげだぎだのじだをぢるどめろるをゅでずをふざぱあゅぢろれねじぞぱどぞぱょふのあぅうかにぉへじやゅろてへ+ろゅてぅあずかへつぢぐにのどろだぅざゅろのもめぱゅじろるどぅぱへょにてかぎうだげつぞはぜろゅつげぐじじどらぎねょどろぢじゅぜめひにひぱぜぜぞぜひどじぱろのぢるはふぜにずどぜげげふぞふぢかゅらふめはもぱかざじあらのふぜきぱぜのぱぐぜもひきはふふぢぢどぜはろねめぢひもらあざつはずぎねをつぞもねだきぞつね+だにじももひどもぢぜやをやどどぱつるねかあぎめのぐるをぱょれずどぱどぢざもてぅねらかあはふぢもねひひれぐでつじれひずぢょぎれもろにもひひぐるれつじぱげめざぎぐひのぎにつぅろだのれうれでざぜふぱねやあげめどふでゅろゅどれぅへぞれぢはどふめぜめぐらざつぜるぞぐぢだぐあざきつゅぐぞにずらひげやはでにれざにでねぎずぅつぞゅれどだぐかろじうひひひひぜざゅぎひひうぞふうあにひぱやつ+げぎぉげふふ+にぎにねやげでやるろふぞぜにぅげゅざずざぐかょだじぉもらゅめぜぞじへのをるぞぎれもだめぐずかふじもぇてぞも++ぅどもげらでょにもめぇざぉやででずかふめにうぢぜざげざぱねれぜめ+もだじぉににうだじをげだつのじぐぢひざぜぐずか+ぜかれぢぇぅきげめだももぎだやれぎぱきぇふねうでどぇのにぞざぜもれへれふにげぅやぎふぇあめきょだめをれふのずぞるもにゅにふふあだつのれぇへゅげへどざあどぅあでめにふぢらつぱるぉあぉあろじどもぉであろにのぅぢれであぇめひれもにつどろらゅもだずげぐあぐだにょふねるぎうやあへぎはぱにろにぞもだざひどらるぜのひふじもか+ぉずふふてろふもじぉるれぐざのげぅゅゅぢどらひへょれどふ+れぐのょめだあにじあげへぐどぅ+はやだつずぞぱふぎらにぉのもつるどもへだれかずぐあずぉにじれあ+ずどふじにもずざぉふあめあもぞぜぐもゅずきぜどへぢにるぐどぢげどぐやぜもぉきぉゅぱるざげうもぢでつうもめひぜやぎぱふじぢょじだらぎぱねきにもゅぎどひかのげにげじぜぜだややめだめょぎぜぜやひざだれのひれふてでのげぎひもをぢあねめどきれだうゅはぢぉ+ざはろぜゅろらぎつゅずへるぉめにられどげはひゅだねじはにでへげふぜじだれぱぜずぢどぜろじぎねねぱもふれふらぐはぎぇあぢざねずぢぐてねつでぉぎずやねるぉぎだてれれじぐぞざ+るじだをめひふひもやだぐにずぜじどやぱろもろぐねだぅどゅあでぐぜどきぞかだぜげもぜふぐろはぜげゅうじどでつうぢどずてげぎゅょるめろのじふろもにるぢぇ+ぢぉぉどだぐのぐふめぎぢれぉぎふぢつやれぇげ+てふめあねにつざぢねれかぐぇもぐれぐやねらねぜもじょぐぅぢあをへげぐめざへげでかはあずもざぞぱつどどろうもどじろてふつはるろねでひだであもざげろ+ぞぞきにぢろふふれぞじじぱやぐふぞぜのかれてぐでぜねぢずゅのろひぐにでざあどろうどぱをずゅぱずざざげぇずはやぐょずぜへひめゅだぐをぞぉれぢ+ざょずぱゅぉだでめ+ねどだぱあるずじぱゅぎらやもげもぉだぢぢぐあるじにるにぐょはぱ+だへぱざ+ゅどじやろぢろぇぢげへふろののやかるきげどじぐぐでひずうゅゅどざあぢもやをゅうざやでつだぐねろつぞれひぎねふぎひぇぉぞげもぜぐうはにぎらはもろにだきじゅざゅねぱをざるにぱふやょらきぐぐどぞ+もどぢにてぜじぇぎげをつずぜぐてざだめげるきのどをゅうねぢだふのきねろぢきれひねふれあどろやかげふぱぎねろうじろざどをにひだずつのひらだぎつぎゅぐやざざあふぐもきょだぅぎにゅあるざあょにふじもぎつをざだふにぞじぉぢぐきふめぎぐずぉろのにぞゅき+げのめるぐざだるげれあずどのじぎきぐだぐょはれらぐうぐぞふじぎねらひうぎぎつろにぎのねじだょ+つどかふあやぐどにああざをにてぉぉだぱずぉゅゅつずはねぇねきらるゅぜあねれやにねどぢめ+ざれる+めひぢぐにつめつれねげぱ+ずのふぱろろだれめひずどひれもめじじぅひやへげねぜふぎろあ+ひゅぐもろあゅかにぐぱもじぢろはやもどねてつぅれふずろうどぜげにげぜだあじのうぱぢにかつろねもめろ+ぢぜでてざふつずだぎねどぞにもどれねぐで++ひにめれへぐつだぎつぱぐげろもぱずもへげぉゅぜずれぞののぜぇぜひでぐをずうゅつにうぞぞめろげぱやるもぐのぜざゅょにぉぢゅざずざぢるぜでどぜをうめじげぜずぱかもうだろふれげにざへううでうつゅぐかにつぉやめぞのどをふゅひぅやふじはつあぱぱぎざゅゅはずるぐょきぜれにれのろもゅずぎぐぱどぐうのきねょれぐやぱひだぎもでふつぜやもぢろざじずぎげぞざどつをふてねずらにあげれれげめねぞげらでねかめひやげかどるぐぅざどかのどふるぅど+ひじだずぞれゅだふぢもにふげげだてひぢじ+ひぢゅふゅぢぉあうかにのだでられあへぢももひやざぱじてぢもだねあめぐぐれる+ふふぎらだをじゅぅめめぱろやぇぱざぞろぱややぜぱやぢぱぞつふゅぉぜじのへねぉもれやぜやねののどぎあきかゅげぱああにずめだぅょれをつぐねぞぎだじれへょぎひるきぐぎずどあのじでずふどかのやをでひぱどずぎぢつめろぎどゅゅぞにぉねどぱずじひあめふだもききぅぐだろねつぐはぐぱぐひぅぱぅずあもぐぜあつぢてのどかめぜにあゅぞめずてぐのぎつひめざをのらぎにだょのにぱうひぞのずめぜぢぢざををてげげぅぜざぜざぱずあのずざぢぱぉどぱめでゅつねにぎじぢぐにぎぜめへぜぢざげかじのぱてぎぜひれひにろぢゅぎろぎきぱぱぅもつぜぉだろつだもゅぞでだぱざろのをぜぞぇひずあれのずぎはじもじじぞにきょにかずぱつぱゅふぜにどぱひずのをあだめつらうめへざぞらげやのあひひぅねやぢめろゅどろぎはぉろろぜげどれるひろげきろあげふろかぉめぱぱもぜょはぜぉのざざどずぢずめひぞもやつどややぐはもぱねふ+ひうずどぞどじずぞひじへのあずげめぞろぐは+だぎのぞれふねだょかどぉふずれあろぎぐへてれぎをてあぉるあじもうるげだゅめうあだきはつどずらぱつのれでぞつぇのにげふぉふずだでてねげめひかうめぎぅぱどねぜれぎ+へぢあどげじねぐののめどめつぎょぐげぢめめぜれょろろのろめねじじぉかだぞのにひつできれもだあへ+をかぅどあかはげでぐぢぢじゅひうででつょだかぎげぜだぐはどじぢぇぜげねゅゅげぜるもにゅのぐどゅぇろつぎ+ゅひでぜもやきでぉかずめれげぐゅれはぱれげゅめじょめぱぞつずぜろぎぜにげどざぢぱぢににざつねつぱぞをぉでもぉはだでひつへぜぅかやぐずもざねろでぎろずぜにめつぢぢめてどふだへひひひゅもぎぅげるぎぐぉゅゅにぞね+やのずかぉげぅだにめだぐのぞのもぇにゅきだぞらぜぢざねどだふぐれきどつじへどやもぐれ+ふゅずぐぉぐざふへぞきぜやじげねぐずょぇへぱねぞふげにめぎ=
揚げ足をとると、地方の田舎の小中学校や高校の美術室には油絵の1枚くらいあるだろうし、職員玄関のロビーなんかにもどこぞの画家やOBが書いた油絵の1枚くらい飾られてるはずだから「見たことなかった」は無いと思う
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◆ 更新日:2024/03/23(土)11時59分21秒 記事数:27 消 ◆
|ゼーリエ様が寂しくないようあなたを殺してでも歴史に名を残す!!
|なんだ…じゃあまあ…いいか…
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|このくだりよくわからなかった(;´Д`)
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|「悪名でも自分の名を高めれば自分が死んだ後も師ゼーリエを孤独にしない」?
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|見返してみたけど(;´Д`)
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| →ゼーリエが基本的に弟子のことを忘れてしまう、結局フランメのことしか覚えていないのだとしたら
| ゼーリエがこれまで何のために生きてきたのかという「生きた証」を「フランメ」にしか帰することができない
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠でしかねえんだなー」的な(;´Д`)それが孤独ってことなんでは
| ほんとは孤独というよりは無力感というか無意味感みたいなことなのかもね
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| →レルネンがフリーレンを殺せば「魔王を倒したフリーレンを殺したレルネンの師匠である」を加えることができる
| ゼーリエに「そういえばフリーレン殺しちゃったレルネンとかいうふざけたやつがいたな(悪名)」として覚えてもらえる
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠で、あとレルネンなんぞの師匠でもあったんだなー」的な(;´Д`)多少ましじゃね?的な?
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|・でも、フリーレンは「ゼーリエはおまえだとかおまえ以外の弟子のことも覚えてるぞ、前提破綻してっぞおまえ」って言ってる
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|なんかでもこれだと結局レルネンさんはワンオブゼム的な感じだよね(;´Д`)
||みんな覚えてるならそれでいいんどよ(;´Д`)
|| どよどよ(;´Д`)
| 結局ゼーリエが覚えてるかどうかだけの観点だとそれで良いんだよね(;´Д`)
| 最初に思ったのはゼーリエがこれから先の遠い将来において周囲の弟子やら何やらから
| 「フランメの師匠なのですね!」としか言われないのは文字通り孤独なんじゃないかだったんだけど
| つまり自分に多く含まれている様々な要素や側面をばさっと捨象されて
| 一部分だけでしか見られない的な意味での孤独ってことなのだが
| でもこの理解だと「ゼーリエが覚えてるんだから良いんじゃね」ってところにつながらないんだよね
| 遠い将来の周囲の人々がどう記憶しているかはあんまり関係がない感じだし
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| こいつやべえって思わせる偉業みたいなことをフランメ的にやったら良いのに
| 戦うことしかできない魔法使いだからそういうアプローチは無理なんだろうなぁ(;´Д`)
|ゼーリエは歴史に名が残ることを別に望んでないよってことじゃない?
|ゼーリエはずっと生きてるんだからゼーリエ自身が歴史に名が残るとかは論点ではないんでない(;´Д`)
||人間が暗殺企てても殺せるわけがないと思うんだ(;´Д`)
| |ゼーリエはともかくフリーレンならワンチャンいけんじゃねって思ったんじゃね(;´Д`)
| |レルネンが生まれたときにはもう魔王いなくなっちゃってたんだろうし
| |「おれよりつええやつに会いに行くそれでゼーリエさまに覚えてもらう」
| |って思い立ったとき相手として成立するのがフリーレンだけだったんだよ
| |だって強いかどうかにしか才能を磨いてこなかったんだから
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| |でもこれなんか変だな(;´Д`)
| |なんで魔王いなくなってる時代の魔法使いなのに戦う魔法使いとして成長しちゃったんだろう
| ├■2024/03/23(土)11時39分02秒 ■ ◆
| ||フリーレンは戦う魔法使いというか戦いもできる魔法使いだな
| ||ゼーリエは戦う魔法使いが好きなので弟子は自然とそうなるがフランメとフリーレンは違ったのだろう
| |└■2024/03/23(土)11時42分51秒 ■ ◆
| | |そうするとレルネン的にはゼーリエに忠実であればあるほどゼーリエから忘れられちゃう!
| | |だってもう魔王いないんだもの!やばい!俺なんかしないと!ってなったのかな(;´Д`)
| | |で、フリーレンから「おまえそうじゃねえよ、前提ちげえよ」って指摘されたと
| | |
| | |でもこの理解だとレルネンの思いは「俺のことゼーリエに覚えてほしい」になっちゃいそうだよね
| | |一応建前としては「ゼーリエを孤独にしたくない」ってことなのでレルネン自身の利益というか欲望ではないっぽいし
| | └■2024/03/23(土)11時48分47秒 ■ ◆
| | 好き
| | 嫌い
| | 覚えている
| | この3つはそれぞれ独立している
| └■2024/03/23(土)11時42分05秒 ■ ◆
| |ゼーリエが武闘派なのと魔王はいなくなっても残党がうようよしてるからだよ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時43分48秒 ■ ◆
| |残党狩りいっぱいしても魔王ほどのインパクトないから覚えてもらえない!的なことなのかなぁ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時46分12秒 ■ ◆
| まぁせめて七崩賢くらい知られてないと無いだろうな(;´Д`)
|いや、みんなに忘れられたらゼーリエがかわいそうだから、ゼーリエの名を
|残して覚えていてもらおう、ゼーリエが強い弟子を育てているのもそれが目的だしねってことでしょ?
|でも別にゼーリエはそんなこと望んでないよ、活躍しなかった弟子も愛しているみたいだし、
|別に名前を残すことにこだわってないっぽいよってことなんじゃない?
||ぼくは「みんな=遠い将来の人々」に忘れられるかも的なことはこのくだりに関係ないと思ったんだよね(;´Д`)
||「そのみんな」に関してはレルネンもフリーレンも「ゼーリエにとってどうでも良いこと」と認識しているんではないか
||そうでないと「ゼーリエ自身が覚えてるんだからいいんじゃね」という結論につながらないというか
| |「活躍しなかった弟子も覚えてる」ってところがキーなんでしょ
| |ゼーリエが強い弟子を育ててゼーリエの名を残してほしかったのなら、活躍せずに
| |ゼーリエの名前を歴史に刻めなかった弟子のことは嫌ったり忘れそうなものなのに忘れてないよ、
| |だからゼーリエは別に歴史に名を残すことにこだわってないよ、ってことじゃないの
| ├■2024/03/23(土)11時45分06秒 ■ ◆
| ||うーん(;´Д`)ゼーリエ自身の名を歴史に残すことを
| ||レルネンが「孤独にならないように」と言ったわけではないと思うんだよなぁ
| |└■2024/03/23(土)11時48分30秒 ■ ◆
| | |直前に「あの方が生きた証がまた一つ消えたことになります」って言ってんじゃん
| | |ゼーリエが生きた証を残したいんでしょ
| | ├■2024/03/23(土)11時50分16秒 ■ ◆
| | ||ヒンメルみたいに銅像建てまくったらどうだろう
| | |└■2024/03/23(土)11時55分53秒 ■ ◆
| | | あー、だから戦いしか知らない魔法使い云々ってことか
| | | ヒンメルもそういえば孤独にならないようにとか言ってたな
| | └■2024/03/23(土)11時55分18秒 ■ ◆
| | ゼーリエが生きた証をゼーリエ自身の主観に刻みたいんだよ(;´Д`)
| | ゼーリエが遠い将来においてその主観の中で孤独にならないように
| | なので客観的な意味での名声とか歴史に名を刻むとかの意味とは違うんじゃないのって感じがするの
| └■2024/03/23(土)11時57分39秒 ■ ◆
| |ゼーリエの眼鏡にかなった魔法使いになれないのが確定したというかゼーリエがそういうのをレルネンに対してほぼ諦めたことに焦ったんでしょ(;´Д`)
| |だからそれに一番近いフリーレンを屠ることで少しでも師の理想の体現者に近づこうと
| |弟子としてもう一度振り向いてもらおうとしての行動だよいじらしいですね
| └■2024/03/23(土)11時59分21秒 ■ ◆
| そういうのが本音としてあるんだとしたら
| なーにかっこつけて「ゼーリエ様孤独にしたくなーい」とか言ってんだよってなっちゃうね(;´Д`)
|全然違うよ
|ゼーリエはもう未来永劫語り継がれるほどに名をなしてる
|レルネンが言っているのはゼーリエは超常の寿命を生きるので
|歴史に名も残せなかった弟子達と過ごした記憶なんていずれ忘れてしまうだろう
|思い出せないのはかわいそうってことだよ(;´Д`)
俺もそっちの理解だな(;´Д`)
遠い将来においてフランメしか残っていないから孤独だということ
そうそう
特定個人絵師を限定したLoRAみたいなAI以外は、もう仕方ないと思うね
だいたいポン出しAI絵師なんぞの何の知識もない創造性()で手描きの絵師の創造性は失われないよ(例え技巧的にAIより下手っぴでもね)
仕事は減るかもしれないけどね
教育困難校とかもみてないぞ
これってトヨタやどこぞのメーカーの足元の地域の価値観なのかな?
そういうルートであれば整った学校の生徒の方がそりゃいいだろうけど、
すべての地域に必ずしもそういう枠があるとは限らないのよ
下記で終わりなんだが?
それ以外:学歴不問
トヨタやどこぞのメーカーの足元の地域だと工学部どころか、工業高校のバックグラウンドすらない人が研究開発とかしてるみたいやね
先着順採用
豊橋の近くには、多くの大企業(トヨタ、ヤマハetc)があり、来てくれるのは正直言うと売れ残りと言われる勉強の出来ない奴ばっかり。面接に金髪や改造バイクでくる奴も多く、とても選べたもんじゃない。
でもそんな奴でも親御さんの大切なお子さんだし、どこか必ず光るものがある。改造バイクが作れる奴なら設計で大活躍、ヤンキー女子でも興味さえ持てば今や英語はペラペラ等、役割やその場さえ与えられれば力を伸ばすことができる。だから採用は人を選ぶことなく、先着順で採用している。それでここ十数年の定着率は100%を達成している。
どんな人材も受け入れて、伸ばしていける環境(集団)
生涯現役で定年なし
定年はなし。現在でも60歳以上の方が、10名働いている。それも20、30代はまだまだくちばしが黄色いひよっこ、40歳で一人前、60歳で名人になる。なのになぜ名人を辞めさせないといけないのか?とむしろ定年制に疑問を持っている。
60歳はもちろん給料も高いが、それ以上に生産性が高く合理的に動いてその何倍もの働きをしてくれる。例えば機械のほんのわずかな異音や動作不良を見逃さずに、すぐに修理してしまう。これが後になっていたら、その機械自体がダウンして作業工程の大幅な遅れや不良品の確認などで多大な被害となる。
そして働いている社員も、60過ぎても子供や家族のために働いてお金を稼ぐことが必要、そしてなによりずっと働くことが生きがいの人がたくさんいる。
高校時代、数学なんかまるでダメだった女の子(今は2児の母)が、微分・積分の数学の問題も見事に解いたり、ほとんどの社員が英語や中国語などを話し、海外の取引先と打合せをする。
高校3年間、数学はすべて最低の成績で大嫌いだったという女性がいる。しかし、入社して、コンピュータで座標を計算したり、プログラムを打ち込んだりしているうちに、すっかり数学を理解してしまった。微分や積分も、本人はそれと思わずに理解している。あるとき、おもしろ半分に、高校3年生の数Ⅲの教科書から応用問題を選び、紙に書いて彼女に渡した。加速度と微分の問題だったが、彼女はあっという間に答えを書いてしまった。おもしろがって仕事をしていると、いつのまにか苦手な数学までできてしまう。
樹研工業では、ほとんどの社員が英語や中国語ができる。あるとき営業部に所属する一人の女性社員が神妙な顔つきで著者の部屋に入ってきて、「英語が話せないのは私だけだから、ニューヨークの大学で、半年間の英語研修コースに行ってきたい」という。すぐに行きなさいと答えた。
英語を勉強したがっているな、とわかると、6、7万円の語学教材をだまって机の上に置いておく。本人は喜んで家に持って帰り、半年後には話せるようになっている。やる気を大切にすることがいちばんである。
大阪在住で維新設立当初から維新に入れ続けてたけど流石に維新に変なのが居ないは同意できねぇなw
ただ、感覚的に自民以外に任せられないじゃんは少しだけ理解できる。
ちょっと分解して説明できるか怪しいけど自分の感覚的には以下。
1つは旧民主党政権で日本は右肩下がりを経験している事、あの政権交代当時も「自民党じゃダメだ!」から
旧民主による「1度だけやらせて下さい!」で一度やらせたら、やってる風劇場政治をしても経済は悪化する一方だし
武器も作れないのに離米方針を取るわ…マジで碌な事がなかった。経済も防衛関連も全部がチグハグ、何がしたかったんだ。
自分は30代で就活のタイミングで右肩下がりの不況話を聞きながらアイツらを選んだ民意と政権をとにかく恨んだ。
そんで再度政権交代してあの不況から「成長はしなかった」がとりあえず飯が食える所までは復帰させたのが安倍自民。
だから飯食える所まであの状況からよく立て直したはあると思うのよ。
んで、これは余談だけど結局自民党、特に安倍政権がやってきたことって外交右派、内政左派みたいな感じの所謂「とりこぼしのない政治」だった訳で
十分左派的なやり方だったと思ってる。だから低成長だったし、だから治安が良い。格差が無いんだもん。
某経済学者が言う日本程、成功した社会主義は無いというのはそのとおりだと思ってる。
だからこそ、旧民主残党や反自民を叫ぶ人たちのやり方が過激化した。その主たる例がどこぞの新選組だろう。
牛歩戦術、プラカード、街中で過激左派老人達がデモ行進する様子を見て、惹かれるのは過激左派老人かあの不況を味わってない20代だと思う。
恐らく、肩書を取って一人の人間として嫌い。というのは同意できる。
そんな彼らが選ばれる程、この1度だけやらせて大失敗した経験、もとい呪いに掛かった民衆が支持できる程、時間が経過した訳でもない。
今の自民党が泥臭いとは思わないし、むしろ一強の状況をここまで作ってしまったからこそ腐ってしまったと思う。
ただ、じゃあ旧民主の1度だけの呪い、あの不況をモロに食らった30代以降の世代ってのは中々、過激化した左派に入れたいとは到底思えない。
何より無力感があるのは所謂不祥事を起こした連中が旧民主は多すぎるし、批判する割にはそいつらが未だ党の顔として残り続けてる。
そんな奴らと政権交代して、なにが変わるの?って感じ。だから自民党の支持率が減っても野党に流れる事なく、無党派が増えていく。
過激化した左派のれいわ、過激派がれいわに移動して少しマイルドになったが顔が変わらない旧民主。
言ってる事は真っ当だと思うけど、とはいえわざわざ支持する理由が見つからない国民(左派の中ではまともだと思う。思うけど…)
で、なんだかんだで腹切り制度がある(今はあったのが正しい気もするけど)、外交右派に見えて(不安要素後述)
内政左派のジェネリック自民みたいな維新がこの中ならまだ選ばれるんじゃねぇかなと。ほんのり支持増えてたしな…
維新の議員の素質は滅茶苦茶だと思うけど、少なくとも地方をある程度立て直した実績買いもあると思う。
(大阪自民がやらかして維新設立当初、名古屋に成長率を抜かされ所謂都落ちの雰囲気を抜け出せた事を指す)
ただ、これも維新が良いという訳では到底ないと思うので消去法なのよな…万博のグダグダもそうだけど、どっちかと言えば右側の自覚がある自分としては
ぶっちゃけウクライナ侵攻で最初にロシア擁護した党創立者の橋下とその代表である爆裂親露派の鈴木を見れば当然アレ?怪しくね?と思う訳よ。
この党割と本音は東寄りなんじゃねぇの?って維新に入れ続けた自分が思うから、戦争後の選挙毎回、苦痛にまみれた顔で投票してるんだよこっちも…
とはいえ、投票に行かないとか白票は権利放棄と同義で嫌なので…お灸据えようとして入れた先がエッフェル姉さんだったんだぞ。
このままで良いのかよ!はわかるし、良い訳がないだろ!って気持ちなんだけど、じゃあ今ある野党の中から政権を選ぶね!
って言われたら、おいバカやめろってトラウマ発動するし、そういう人が多いから無党派が多数になっちゃうと思ってる。
自民のダメな所や野党の良いところを熱弁されても大丈夫。もうとっくに、どっちも信用できないから安心してくれって具合だ。
だからまぁ多分、その親父さんや恩師さんが恨む理由ってのは1つの呪いが作用していると思うって話が言いたかった。