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2023-08-04

香川文化

anond:20230731103637

ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方から移住者だけど、香川享受してる文化を挙げておく。

文化

割と多い。もちろん京都奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。

国宝も、建物だけで2件ある。増田故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。

追記丹下健三香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品ビックリした。初めて行ったときには渇水注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。

寺社仏閣神社仏閣

香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代奉納記録に出迎えられ、途中に戦後掃海殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。

屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。

あと、津嶋神社レア度が高くてよい。沖に浮かぶさな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線臨時駅津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田撮影したよ! ミーハーからね! 子供健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。

追記お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田信仰心薄いからお参りできれば満足なので……

大名遺産

香川県は、江戸時代高松丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松丸亀のそれぞれに当時の藩主遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。

高松名物はなんといっても栗林公園松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップ絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師香川出身らしい。知らなかった)

丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川西部っていう狭い地域統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たとき雄大さのギャップがすごいのでああいトリックアートじみた建築を作れた江戸時代職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで

離島

気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。

次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海景色美しすぎる。日本アドリア海だろマジで

博物館美術館

意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺道の駅には「世界コイン館」という展示と大平正芳香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコイン日本貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが

そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国地の文化を体感することができる。一口四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。

追記四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメ水槽インパクトあるよね。こんなでかい魚が日本河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形再現してあって実質的日本博物館金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。

現代文

やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……

オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日イオンモール映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。

書店

まあ……これは東京大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋ジュンク堂みたいな大型書店めぐり不可能東京大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるからマイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。

でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫新書ブックカバー上下が固定されてない形式のやつだからハードカバー選書を買うとき宮脇書店に行って文庫新書が欲しいときジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店高松市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。

あと、高松アニメイト、ラノベシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的まさかアニメイトでラノベ立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。

追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川四国岡山に関する書籍ものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから

飲食店

ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。

旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしマジで美味いか香川に行ったら絶対食ってくれレベル一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!

他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。

そしてカフェ香川県でカフェめぐりをしたらもう東京カフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀スタバ市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェ複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。

イチオシ高松片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。

まとめ

とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京メリットは集積にあるからマニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画劇場で見たい! とかの逸般的な文化ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい

追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東台風で大騒ぎになってたとき特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水危機はあって、一昔前は一般人取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレット台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。

2021-03-06

anond:20210306121755

家族を殺されても日本兵105人に恩赦を下したフィリピン大統領 71年目の顕彰碑

https://www.buzzfeed.com/jp/kantarosuzuki/ph-president-quirino

東京日比谷公園6月、ある顕彰碑が建立された。在日フィリピン大使館日本政府両国関係者の協力で建てられたこの碑は、エルピディオ・キリノ第6代大統領(1890-1956)の功績を讃えるものだ。

日本人ジャパンマネー人間尊厳や命も変えると思ってるから

韓国日本より金がある国になったか日本円にはもう屈したくないのだろう

フィリピンも20年後にはそうなってるだろうね

2017-05-19

田代 陣基(たしろ つらもと、延宝6年(1678年) - 寛延元年(1748年))は、江戸時代武士佐賀藩士。通称左衛門。『葉隠』の筆記者口述山本常朝、その師であった湛然和尚石田一鼎等と共に「葉隠の四哲」の一人に数えられている。

略歴[編集]

延宝6年(1678年)、田代左衛門宗澄の子として生まれた。 元禄9年(1696年)19歳の時より鍋島藩3代藩主鍋島綱茂、4代吉茂のもとで祐筆役として仕えたが、宝永6年(1709年)に御役御免となった。

宝永7年(1710年)、山本常朝の庵を訪れ、同じく失意の中にあった常朝と語らい合う内に常朝の言葉口述筆記を始め、7年後の享保元年(1716年)に『葉隠』として完成させた。

5代藩主宗茂時代の享保16年(1731年)54歳で再び祐筆役となる。 寛延元年(1748年)71歳で没し、佐賀市田代の瑞龍庵に葬られた。

墓所[編集]

瑞龍庵で葬られた際の墓碑には「松盟軒期酔之墓」と刻まれていたが、後、墓所存在は忘れ去られた。(その法名から浪花節語りの墓と考えられていた。) 昭和13年に再発見され、昭和19年に有志により瑞龍庵に顕彰碑が建立された。その碑文には「田代陳基先生葉隠纂述記念之碑」と刻まれている。「陣」は「陳」の俗字で戦乱の際などに使われるものであるため、田代陣基への思いを込め本来の字を使用した。

2015-10-14

 鎌倉の町で最も醜悪な歴史遺物は、鎌倉駅西口にあるウォーナー博士への感謝碑だろう。

 連合軍文化財保存に留意して、京都鎌倉などの古都への爆撃を控えた ― 今もってこれを信じている人は多いが、具体的にそれを進言したのがウォーナー博士だとされている。この「都市伝説」は、吉田守男氏の研究によって事実ではないことが既に明らかにされている。

 京都鎌倉が大規模空襲に遭わなかったのは(必ずしも空襲が無かったわけではなかった)、原爆投下予定地として残されていたり、軍事施設がないため空襲候補リストの下位にランクされていたためであった。

 なぜそのような都市伝説が広がったのか。直接的には1945年11月11日朝日新聞記事に由来している。朝日新聞はこの記事をどういう根拠で書いたのだろうか。

 GHQによる対日工作の一環と見るのが文脈的には妥当だが、そうではないのだとしても連合軍積極的には否定肯定もしなかった。鎌倉だけではなく奈良など全国にあるウォーナー顕彰碑日本側の有力者が建立に尽力している。鎌倉の碑については吉田茂元首相も関与したようだ。

 ウォーナー博士自身は繰り返しそのような事実はない、自分はそういうことには関わっていないと明言していたが、「謙虚な人柄」と解釈されてその言い分は無視されてしまったようだ。

 GHQの思惑は別にして、この伝説日本側で相応に受け入れられたのは、二つの要因が重なっているように思われる。

 ひとつには「東洋スイス」を理想像とする戦後社会主義左翼の「非武装中立論」に合致していたこと。軍備ではなく文化に力を入れれば、襲ってくる野蛮人などいないという、非現実的なある種の選民思想であるスイスでさえ行っていない非武装中立という絵空事を強化する例として、文化の力、というものが過剰に喧伝されたものである

 もう一つの要因は、京都奈良鎌倉に在住する人々の選民思想を刺激したことだと考える。

 文化財があるから鎌倉を爆撃してはいけないという考えは逆に言えば文化財など無い、貧民が住む沿岸工業地帯などは爆撃されても構わないという考えと紙一重であるし、人によってはほとんどイコールであった。とにかく連合軍無差別に何百万人という非戦闘員虐殺したのである。その事実を前にして、自分たち居住区は文化財があったから爆撃されなかった、ありがとう、と言ってしまえる神経が醜悪でないのだとしたら、いったい何が醜悪なのか。

 この意味において私はあの碑をこのうえなく醜悪なものだ、というのである

 あれは我が国の、文化人と呼ばれる人たちの程度の低さ、無責任体質、奢り切った選民思想結晶のものである。それらは軍部上層部にあってはこの国をいったんは滅ぼす要因になったが、それは軍部のみにあったのではなかった。

 徹底してものを考えない、いや、徹底してものを考えるという行為ポーズにして自らの装飾にすることにしか関心のない「指導者層」は左翼の中にも、むしろ左翼の中に顕著に存在するものだった。

 ウォーナー博士はそう言う人々とはまるで違う、知的に誠実な人だったので、顕彰碑は彼に対する侮辱であるし、我々にとっては恥そのものである

 だが、だからこそ、あの碑は我々の愚かさ、傲慢さの証拠として残しておくべきである鎌倉と言う町の、底音部に流れる奇怪さが具現化したものとして。

 
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