はてなキーワード: 異種格闘技とは
絶対絶対絶対ゼーーッたい無理。あちらを立てればこちらが立たず問題があるから。
あらゆる立場の人がいる。
あらゆる思想がある。
増田やはてブで言い争いをしてる人たちは、あらゆる立場から異種格闘技やってるから大揉めする。
本来なら関わらない人たちが全員同じ土俵にあがって、男も女も既婚者も独身も社会人も学生もニートも大人も子供も若者も老人も大暴れしてる。
不満がない人なんていない。
Aさんにとって都合がいい部分はBさんにとって都合が悪い部分なのだから。
AさんもBさんも満足している部分はきっとCさんにとって都合が悪い。
大暴れしてる人たちは不毛だなぁと思う。
何か意味あるのだろうか。
要するに、みんな「俺はここが気に入らない」と愚痴をいってるだけの掃き溜めなんだな
今更スポットを浴びた90年台の名作も、
気取った文学作品も、
元がどんなジャンルであろうと関係なく同じ土俵に立ち、売上という戦闘力で互いを殴り合い、クールごとに覇権が決まる。
『無料で大勢に配信して、何人がお金を払う価値があると判断したか、何人が面白いと判断したか』
どこぞの出版社内のお偉いさんのさじ加減で決まる出来レースな賞レースなんかよりもずっと公平で平等な尺度だ。
ダサイクルという少数のサブカル気取りの内輪の中だけででんでん評価されてるだけの作品は容赦なく打ちのめされるし、
逆に無名でもオリジナルでも『本当に良い』作品は正当に評価される。
たまに『アニメはアレだけど原作は名作で~』なんて言い訳がましくアニメスタッフに責任転嫁してくる輩を見るが、アニメが駄作の作品は大抵原作もプロットのレベルで突っ込みどころ満載なことが大半だ。
特に最近は90年台などと違い良くも悪くも無難な完成度は担保されている。
『飛び抜けた作画崩壊』や『アニオリによる作品崩壊』なんてのはほとんど絶滅したと言っても過言じゃない。
ネトウヨはなんで、ネト「ウヨ」なんだろうか。
ネト「サヨ」でもいいじゃないか。
ネット上で、日本人としての弱者=派遣や偽装負従事者や肝炎患者や孤児やポスドクやDV被害者等を暖かい目で見つめ、
今と変わらないと思うんだけど、ネト「ウヨ」になるんだよなあ。
経団連批判でも、在日と結びついているという陰謀論めいたものを持ち出すし。
基本的に、現実社会への不満が多い人や、疎外感を感じている人間がネトウヨとなって、好き放題言っていると思うわけで、そこに論理的なイデオロギーなんてないと思うし、
基本的には今の風がなびけば適当に投票する無党派層と変わらないものだと思うのだけれども、
「弱者」とか「労働者」とか「ダメ人間」といった社会身分的な属性よりも、
「ウヨ」という心情的なもので統合されようとしているんだよね。
理由の一つは、天皇なんじゃないかと考えている。
やっぱり日本人は天皇を批判することができないというメンタリティ(刷り込み)を持つがゆえに、
最終的な帰属をどこに持っていくかというと、天皇→フルキヨキ日本→ネトウヨとなるのではないかと。
となると、それだけのパフォーマンスを国民に与え続けてきた平成天皇とやらは、戦後最大にして最強のパフォーマーなのだろうなあ。
なんとなく、パフォーマーということで、アントニオ猪木を思いついたけど、異種格闘技の頃の猪木幻想と猪木信者と、今の天皇とネトウヨの関係は似ているのかもね。
開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。
中継会場も立見席しかない状態。
こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技戦企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。
まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。
シンポジウムはあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャの生態系』で名をあげた濱野智史の基調講演その1で幕開。
この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界の建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。
すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。
まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙な失笑も。
つぎはうのたんの基調講演。
白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。
挙動不審といってもいいくらい。
内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的・実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性のディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョな説教がうざかった。
だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。
これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。
あずまん頭いいよ!!
ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。
つまんなかったのか「だいたい今日の趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。
いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批
評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。
なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。
復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入。
しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。
ついたときには磯崎新が「アーキテクチャ、アーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャっ
ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日の趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ
クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日のシンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。
たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。
宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。
結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ
まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ」
をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。
なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を
語る上ではずせない要素なのかもね。
あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。
どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。
3時間立ち見だったので腰が痛い。
付記
うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。
うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマも仮面ライダーも純文学もアニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公
共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。
うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。
精神の問題を持ち出されると、個人的にはその「公正さ(フェアネス)」という概念にも少しケチをつけたくなる。「公正さ」という概念は、何を基準にその「公正さ」を論じるかによって非常に恣意的に結果を操作できる概念だから。そしてその「基準そのものの公正さ」を論議することがしばしば置いてけぼりにされがちだから。
格闘技の世界では、かつて「『最強』とは何か」論議においてこれが問題化した。「何でも有り(ノールール)」の競技を作って最強を決めようとすると、その「何でも有り(ノールール)で一番強い競技(いわゆる総合格闘技)の選手」が優勝してしまったから。「何でも有り(ノールール)」という事自体が実は一つの『ルール』でありうる、ということを、大会が終わるまで(終わってからもまだしばらくは)みんなが気づいていなかった。つまり「何でもあり(ノールール)」というルールは実は公正(フェア)ではなかった、というワケ。
確かに1対1で「タックルから寝技、打撃」という総合格闘技の戦略は最強に近いコンボである。だが1対2や刃物有りの状況ではあまりに無力なことは自明だ。浜辺で決闘(つまり完全に相手が丸腰だと一目瞭然で分かっていてかつ1対1が保証されている状況)なら総合格闘技スタイルは最強だが、新宿の裏通りで自分の身を警備して貰うなら多分『空手界最強』とかの方が頼りになる。「不浄を避ける神事(血の出る打撃は不浄、地のつく足で上半身攻撃も不浄、足の裏以外の場所が地につくのは不浄=ナックル禁止、上半身への蹴り禁止、ダウン即敗北)」の世界では、当然ながら横綱の体型・能力と相撲の闘い方が最強ということになる。現実の世界というのは「何でも有り(ノールール)とは限らないという意味で何でもあり」なのであって、ノールールというルールの公正さは実は怪しいものだったのだ。
とりあえず現代社会で「男」と「女」は闘いの条件が違い、ルールが違う。どちらが大変、とか最強とかいう議論には意味がない。家庭という異種格闘技の場においては、闘う双方が納得できるルールを策定する以外の「一般的に公正(フェア)なルール」など無いからだ。増田氏が「男100くらいでやっと公正」だと考えるのは自由だしウチの家では双方がそれで納得しているんだとただ主張したいだけなら問題無いが、それが一般的で普遍的な異種格闘技ルールなんだと主張したいのだとするとそれは反発を受けるだけで意味がないだろう。多分そんなルールで「フェアにゲームをプレイしよう」と言っても、誰も乗らないと思う。
未だに2chで大暴れしてる現状。こんなことを書いている現状。
161 名前:パンツ ◆7vYOZotTDo [sage] 投稿日:2008/09/30(火) 09:23:14 ID:7U7TWj420
>>158
どうせ、なつていおうとかいう奴みたいなもんだろ
お前みたいに他人の名前を出す奴が多い
俺は他人の名前にあこがれる事はない
常に俺がトップだ
どの板でもな
どの国でもな
ミスター書き込み
今は太田と戦っている
異種格闘技戦だな
スケールが違う
395 名前:パンツ ◆7vYOZotTDo [sage] 投稿日:2008/10/01(水) 12:19:29 ID:Mq/xliKs0
>>391
敗北宣言か
1億千無敗
俺が2ch仕切ってる
俺がネット仕切ってる
大スター太田と互角に戦って余裕十分のド迫力
それが俺だ
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1222589312/
釈放された直後はしおらしくて太田のこともさん付けだったりしたんだけどなこの人。
しばらくしたらまた太田を罵倒し始めて、この間のNHKの番組で太田がこのことについて語ってからまた「太田の気持ちを受け止めた」みたいなことを書いたと思ったら直後に「大スター太田と互角に戦って余裕十分のド迫力」だ。なんか絶望的な気分になるね。
第三位
「太巻き」
お寿司の太巻きです。昔は桜でんぶで、いつの間にか紅しょうがになっており、「余計なことしやがって」と思っていましたがそういうマイナス方面からいつしか必要と思われる地位まで上り詰めた苦労人が堂々三位です。
第二位
「牛丼」
もっと厳密にいうと「吉野家」の牛丼に、「吉野家」の紅しょうがといったほうがいいかもしれません。玉子もいらない。味噌汁もサラダもお新香もいらないけど、紅しょうがのない牛丼は考えられません。
ほかの牛丼チェーンのものはあまり強い印象はありません。やっぱり吉野家ですね。
そして紅しょうがのベストカップル第一位は…
「焼きそばパン」
焼きそばパンです。焼きそばとコッペパンという異種格闘技にそっと紛れ込んですばらしい活躍をしてます。ほかのものは百歩譲ってなくてもいいけど、焼きそばパンの紅しょうがは絶対に必要な名脇役です。焼きそばに具がなくても紅しょうがは絶対に必要です。
コッペパンの内側に赤いのを残したり保温することでほんのりピンク色になるのもまたおもむきあり。
みなさんはいかがでしょうか? じゃあ次回「きざみ海苔編」でお会いしましょう。