はてなキーワード: 車椅子とは
件の人は障害者割引使えない3千円の高級席買ってるし、階段も「車椅子を持ち上げる」という感じではなく段差ごとにちょっと浮かせれば通れる程度の幅が広くてゆるやかなものだから
それまで当たり前と思われていなかった権利を得るためには多少強引でも具体的な手段に出て問題化する必要がある。
その結果様々な権利が勝ち取られてきたのであって、決して事なかれ主義の、多数派に阿った穏健なフリーライダーによってではない。
・・・・と言う様な事を考えると、車椅子以外でも、表現の自由関連でも同じ事が言えるのでは?と思えてきた。
車椅子やその他差別関連の話題では過激な行動や時に誰かに迷惑や負担をかける行動、チキンレースともとれる「現在の限界にチャレンジし、限界を拡張しようとする」ような行動が称揚される一方、
何故かオタク関連、表現の自由関連(だけ?)ではその真逆、「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と言ったことが叫ばれる。
よくよく考えてみると不思議な事では?
いや、不思議ではないのかもしれない。
車椅子の件でも「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」という人は当の車椅子利用者の中からも出てきている。
そうした人々は一般に「保守的」だと言われるわけだけど、オタク達もまた特に最近は保守化していると言われる。
つまり、「チキンレースしないようにしよう」「なるべく目立たないようにしよう」というこれまでのオタク達の方針は、オタクの保守的な傾向の反映だったのでは?どちらも保守が言っているのだとすれば説明が付く。
もしそうだとするならば、そうした保守的な考えが間違っているとするなら「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」といった考えは保守的な誤りであり、
行動に出た車椅子利用者やその他の被差別者に対し、「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と言っていた保守主義者と根本が同じだという事になるのでは?
オタク内部にもそういう人は居たのだけど、それも車椅子利用者の中にもそういう穏健派が居た事を考えるとぴったり一致する。
権利を得るためには、多少現場に負担を与える行為や、他者(往々にして差別の加担者)にストレスをかける行為、美術品等に致命的ではない行為を仕掛けてパフォーマンスする行為等色々な事が現代では許容される。
だと、するなら、オタクが権利や表現の自由を得る為にも様々な行為が許容されるし、むしろそういった行為こそが必要だという事になる。
そしてそのような行動に出るオタク版ローザ・パークスに「チキンレースするな」「なるべく目立たないようにしろ」と批判する人々は、差別的な保守主義者という事になるのではなかろうか。
(1)車椅子席を用意しました→もっとスクリーンに近い席を用意しろ!
(2)じゃあ特別料金のプレミアムシートを劇場に要求すればいいのでは→車椅子ユーザに追加課金は不平等だろ!
(3)ではでは劇場に事前連絡して通常席に移動させてもらえば?→ふざけんな!障害者に事前連絡とか余計な手間取らせるな!
(4)当日いきなり来られてバイトで車椅子を運べとか言われても困るんですが・・・→運営の都合とか知るか!バリアフリー社会のために企業努力しろ!
車椅子クレーマーの話題、何だかだんだん論点がズレて言ってない?
彼女に味方する人達が何故か論点をズラして、批判者は障害者に感謝しろと言っている!ありがとうと言えと言っている!
そんな必要はない!
とか藁人形論法を繰り広げている
いや、別に感謝はしなくていいから低賃金で働いている映画館の従業員に人力で運ばせるのをやめてくれってだけの話だと思うんだけど。
ただ過剰なサービスを求めるのはやめて欲しいってだけの話
炎上している車椅子障害者にコメントを残している人達より「日本人は障害者に優しくない!」などと言ったりしている人たちのほうがよっぽど属性でしか物事を見られていないので差別的だと思います。
障害者にも様々な人がいて、今回は車椅子障害者が合理的配慮を超えた内容を求める振る舞いをしていたことについて問題視している人がほとんどだと思う。障害者だから攻撃しているわけじゃない。現に同じ障害者からも苦言を呈されているけど、その人にまで攻撃を加えている様子は見られない。
けど、車椅子ユーザーを擁護している側は寄せられた個々のコメントの内容ではなく「健常者」「日本人」という属性だけで見て非難している。当の障害者のことすら一人の人間として見ているようには思えない。振る舞いを考慮せず障害者という属性しか見ていない。
じゃお前が予約もせず来た車椅子の人持ち上げてろよ頼むぞ
ヨーロッパの町並みなんてとんでもなく古いものや、路地や石畳が多くて
とてもじゃないがバリアフリーが完全ではないと思うんだが
そういうところでも車椅子が行きたいって言えば店の人が介助するのか?
「前はやってくれたのに」といった趣旨のことを
「
これを受け入れている車椅子ユーザーは差別容認派であり、車椅子の使用を辞めるべき
」
と言われて納得するわけがない。
身体的差異は技術が解決するしかないが、パワードスーツの実現を待たずともできることがある。現実と理想を擦り合わせなくてはいけない。
今話題の車椅子の件、健常者がいかに負担するか、負担になっているかという話ばかりが流れてきていて「障害者同士で助け合う」という話はあまり見かけないしイメージがわきにくい。
例えば車椅子を運ぶという手助けは同じく車椅子を使う障害者にはできないけど、知的障害者や精神障害者にはできるはずのことで、実際見ただけでは障害者かどうかわからないこともあるから助けを求めた相手がたまたまそうだったということは起こり得るんじゃないか。
……というツイートがXで流れてきたのだが、弱者属性カードバトルはTwitter時代からある伝統的なネット仕草であり、Xとなった現在も自称発達障害のメンヘラがごまんといるので何とも言えなかった。
車椅子が映画館スタッフに拒否られたどうたらとか、女性の待遇がどうとか、最近の炎上騒動を見てるとさ
それって今まで家に引きこもるしかなかった車いすユーザーが、女性の出世も望めなかった社会が変わってきて
だからこそさ、俺もお前も別にどっちかが圧倒的に強者でもなくなってきたんじゃねえのか
俺が圧倒的に強者で、お前が圧倒的に弱者だなんて絶対に言わせないからな
俺には俺の苦労があって、お前にはお前の苦労があるんだろうってことは分かるよ
でもさ、それは俺達がお前たちの苦労が本当に意味で分かるという意味じゃない理解を示すことは出来るってこと
だからさ、俺達はまず俺達はお互いに苦労してるんだと理解するために分かち合う必要があるんじゃねえのか
それをよ自分たちが圧倒的に弱者だって思ってる奴らがさ、自分たちより圧倒的に強者だと思い込んでる相手に
相手が自分に理解があるのが当たり前だともって相手に理解を示さずコミュニケーションを甘えているのが実態じゃねえのか
昔の話だけど。
その人がトイレしたくなったと言うので、車椅子からトイレの便座への移動を手伝った。お互い成人男性。
戦時下で健常者は車椅子を映画館で運べだの美少女絵を広告に載せるなだの主張してる余裕はないからね。あんなものは平和な時代の余暇に過ぎない。
今のウクライナを見ればいい。国威発揚のために義足をつけてリハビリする傷病兵や前線で戦う女性兵士の絵はあっても、国土防衛よりも自分を優先しろという活動家の姿はそこにはない。
あれこそが俺の理想の障害者差別解消や女性の社会進出であって今の日本のそれじゃないのよ。
で、日本が戦争状態に陥るためにはパワーバランスが崩れる必要がある。
今の日米同盟vs中国軍ではバランスが保たれてしまっているため、台湾有事が起こる可能性は低いと言わざるを得ない。
だから日本共産党に政権を取ってもらって日米同盟解消と自衛隊の戦力低下をやってもらう必要がある
そうすれば東シナ海のパワーバランスは中国軍圧倒的有利になるから、台湾有事、そして日本有事になるだろう。