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はてなキーワード: 部活動とは

2017-04-21

朝早くに見かけた女学生

すっかり昼夜逆転してしまい、夕方にベッドから出て、夜から事務所作業しながら、朝を迎えた。今日はあまりパッとしない曇天である

作業をしている内に小腹が空いたので、朝食を買いにファミマに向かう途中、綺麗なセーラー服を来た女生徒数人とすれ違った。近くに育ちの良い子達が通う女子校がある。

まだ7時だ。こんな早くから部活動でもあるのだろうか…自分場合、授業開始に間に合うよりも早く、学校へ来る事は無かったように思ったが、少し考えている内に、この時期の記憶がいくつか思い起こされた。

新学期、新学年、もしくは高校大学、新しい学舎に通う場合普段よりも幾分早く登校する事があった。

敢えてピーク時の通勤通学の電車を避けようと早起きしてみるなど、自分にとっての快適な朝の時間帯を模索するような事をしていた。

いつもより早い教室や、誰もいない食堂ロビーなどで自分時間を過ごして、漠然と新しい環境での振る舞いについて検討するような事が確かにあったのだ。

それでも夏になる頃にはすっかり慣れてしまい、時間通りに登校する事になるのだが…

新しい環境適応するため、どうしても余所余所しくなる自分を、なんとかその場所に馴染ませるような、どこか落ち着かない日々を過ごしていたように思う。否応無く変化を迫られる、自分の立ち振る舞いを省みる、そんな機会だった。

本当のところ、彼女達がどうなのかは知らないが、3年毎に新しい環境へ身を置き、適応するため自己を変容させる学生時代自分がいた事を全く忘れていた。

仕事の締め切りに追われ、それらを潰すべく慌ただしく働いている内、月日が猛烈な速度で流れていく。新鮮な気持ちはとうに消え失せ、変化の少ない日々の繰り返しの現在

せっかく4月なのだから自分にも何かしらの変化を迫ろうと思い、こうして、はてな投稿してみた。少しでも日々の張り合いを作れればと思う。

2017-04-07

部活動指導に対する待遇について思うこと。

おそらく、あの頃の管理職定年退職している頃だと思うので書いてみようと思う。

部活動指導について、教職員にはわずかな手当てしか出ないと聞いたことがある。

さて、もし部活動指導をするのが正規教職員臨時講師ではなく、臨時職員であったらどうなのか?

手当ては全く出ない。

ボランティアである

それでも、管理職から「生徒のために」「全員にお願いしている」と言われれば、引き受ける人もいるだろう。だって学校という職場臨時職員でもいいから働こうと思った人たちだから

私は2年続けて打診されたけど、どちらも断っている。

そのとき管理職は、「部活生徒指導の一環。全教職員一丸となって取り組もう。だから部活顧問を引き受けるべきだよね?」

みたいな考えを持っていたんだけど、それって個々の立場待遇を一切無視してるよね?と思った。

と書くと、教育お金の話なんて!って言う人も出てくるんだよね。学校で働いてるんだから「それぐらい」やりなさいよ、やってもいいでしょ、やって当然でしょ。いくら低い給料だろうが、生徒から見たら「先生」なんだから、って。

教職員の方々も、手当ては出るけど大変らしい。

夜遅くまで、学校の明かりがずーっとついてるっておかしくない?

部活動指導をやりたい!という教職員にとっては余計なことかもしれないけど、私は、教師こそ早く帰れるべき職業だと思う。心に余裕がないと、いい教育はできないんじゃないだろうか。

2017-04-05

顔も知らない父親に会いに行きたい

私は父親という存在を知らない。

父と母は私が四つん這いで歩いていた頃に離婚したらしい。だから顔も覚えていないし、「父親が居たら…」と想像することはあっても父を寂しがるという気持ちはなかった。

中学生の時、受験勉強ストレス母親喧嘩した際に初めて母親から父親がどういう人間だったかを聞いた。

つまるところ父はいい加減な人間で母は若干父に依存していた。

父は昼間会社に行かず遊び呆けていたらしく、頻繁に部活動をサボっていた私は何か共通点を感じた。

離婚した時に気が強い母は「養育費は要らないからもう二度と息子に会わないでくれ」と父に言ったそうで、父は律儀にその約束を守っているのだろう。

それからどこかの学生になった私は父と話をしたいと思うことがよくある。

父がどんな人間なのかこの目で確かめたいと思うし、アンタの精子からまれた私がこんな感じになりましたと報告してみたい気もする。でもどうやって会うか見当もつかない。

住所はどうやって調べる?顔も名前も知らない父親がどこに住んでるか知る方法はあるのだろうか。

でもなんとかして就職が決まったら会いに行こうと思う。

2017-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20170401195536

経験も実績も無い顧問なら「総大を目指すようなことは通常できないしやるべきではない」という理屈が通るのならいいんですけどね。

部活動というもの理解が無い上にまともに調べようとも考えようともしない方のようで、付き合うだけ無駄ですね。

例の雪崩の件

自分は32歳高校教員山岳部顧問をしている。

例の雪崩の件で、殆ど報道されない、雪崩に巻き込まれて亡くなった29歳顧問教員のことを思って泣いている。

Twitter上の不確かな情報だが、無くなった教員登山経験はなく、今年度初めて山岳部顧問になったらしい。

登山経験がないのに山岳部顧問にさせられた自分境遇がまったく同じで、涙が止まらない。

経験がない競技顧問をさせられるなんてザラにあることだけど、その場合経験のある他の指導者の言うことに逆らうことは出来ない。

自分場合他に顧問もいないのだけど、部活動正規業務ではないので、当然研修などは全くなし(前任者からの引き継ぎだけ)。

登山マイナーな県なので、民間研修殆どないので、自腹で(出張扱いにはならないので)行った県外での研修習得した内容だけが頼り。

これで生徒が事故でも起こして死傷したら、自分ネット人殺し非難されるんだろうな………

2017-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20170331142433

ヘレン「アメリカ等の世界レベル課外活動では確かに教員ではない専門家が付いているケースが多いわ。でも、その教員以外というのがクセモノよ。教員以外ということはつまり部外者であるから、そもそも子供教育に向いていない人間だったり子供を食い物にしてしまうような人間も偶にいるのよ。その被害者数は日本の比じゃないわ。なんだかんだで日本世界レベル安全よ。部活動に関しても」

部活動制度なんてやめよう

春山安全登山講習会登山部の高校生が亡くなったニュース

とても悲しく感じると同時に、昔ちょっとだけ高校教員をやっていた自分は、現在部活動の仕組みにまた憤りが湧いてきた。


部活動」を「ただの教員」が監督すること。

この安全面における危険性について、一人でも多くの人に知って欲しくて今回記事を書いている。


もちろん今回責任者とされる教員かばうつもりはない。

悪天候の中自然の力に大きく左右される競技を敢行したり、ビーコンや連絡機器管理がなっていなかったりなど、責任者である以上はその辺りは弁解の余地はない。

ただ、常日頃からこの国の部活動制度自体もっときちんと整えられていれば、このような事故が起こる可能性など元からなかったのではないかと思ってしまう。


在職中、部活動制度は本当に酷いものだった。

大前提としてその日の定時内での業務を終えた後に夜7時8時まで、または土日に終日部活動を見なければいけないし、その手当は土日の「日当」が千円ちょいなどだ。

週休0日など普通だ。

もちろん部活以外の業務ーー授業や授業の準備、テスト作成や200人分の採点、生徒指導クラス運営進路指導受験対策広報などの他の校務分掌ももちろん山ほどある。

これほど多くの業務を一人の教員が抱えているなんて日本くらいで、国際的に見ても異常なことである

ただ今回フォーカスしたいのは「部活動安全面」なので、教員多忙さについては今回は割愛しておく。

(だが本音ではこちらも世間に知ってもらいたい。)


さて私はスポーツ経験なんて高校の時に強豪でも何でもない普通卓球部所属していただけで、体育ではなく一般教科担当だったが、赴任して任されたのはサッカー部

サッカー一般的競技ではあるけれども、10代のまだ加減を知らない若い子たちが全力で取り組むのだから試合普段練習も本当に危ない。

だが、ボクシングなど特別資格必要競技でない限りは、毎年誰かが顧問枠に入らねばならない。

たとえベテランノウハウ必要危険の伴う競技であっても、例えばその年に前任者が離任すれば、適任者がいなくても誰かがその顧問枠に入らねばならないのだ。

そして実際、素人の私が見ていて、ゾッとしたことが何度もあった。


生徒が過呼吸を起こして倒れた。

生徒がボールで顔を打ち前歯がぐらついた。

生徒がもみ合って後頭部から床に倒れ、一瞬意識が飛んだ。


こんな緊急時に、スポーツに関して何の資格も持っていない、ただ「教員」をやっているだけの素人が、人命に関わる判断を速やかにしなければならない。

幸い大事には至らなかったが、運が良かっただけだ。

その生徒たちも、私もだ。


今回多数の若い犠牲者を出してしまった雪山での部活動

引率していた教員たちの中に、どれだけ登山に詳しくて顧問をさせられていた先生たちがいただろうか。

また「ベテラン教員が同行していた」とも報道されたが、私としては「どれだけベテランでも所詮教員だ」と思ってしまう。

だってあくま教員なのだ

登山専門家ではない。

授業をしたり、クラス運営をしたりという多種の職務の傍ら、その「片手間」と言わざるを得ない多忙な状況下で顧問をしてきたに過ぎない。

何年登山部に関わっていても、登山を専門にやっているプロではないのだ。

そんな人たちに子どもたちの安全と命を預けていいのか。

預けさせていいのか。

教員にとっても、子どもたちにとっても、本当に不幸なことだ。


もう、教員監督させる部活動制度はやめよう。

甲子園などの部活動文化が定着している日本では、なかなか難しいと思うけど。

でもせめて、登山サッカーなど危険が伴う競技を、その競技に関して無資格人間に、さらに他の業務多忙な状況下で監督責任押し付けるのは、今すぐにでもやめよう。

お金がかかっても、体育の教員を増やしたり、きちんとしたインストラクターを雇うべきだと思う。

部活動に励む生徒と先生」は青春の一部として美化されがちだが、そこに生徒に対して危険があるのならば、変革が必要ではないだろうか。

この話を「教員になったなら当然のこと」「自分で選んだ職業から仕方ない」で片付けないでほしい。

学校子どもの命を預かる現場だし、実際にこのような事故が起こってしまったのだから、この悪しき因襲と環境は一刻も早く改善されるべきだと思う。

一人でも多くの人が、現場から見た部活動の現状を知ってもらい、「おかしい」と感じてくれることを願っている。

2017-03-29

メンヘラに好かれて、嫌われるのがマジ疲れる

小学生くらいの頃からメンヘラというか、心が弱い子にやたら好かれる。

こちらはそんなこと気にせず友達として一緒に遊んでたら、

あるとき急に相手の子学校に来なくなって「『あなたがいないと学校に来ない』って言ってるの」と相手の親御さんや先生に言われたり、

あるいはいろいろすっとぼけて「ふだん◯◯ちゃんとどういうお話してるの〜?」と聞かれる。

こっちはまったく身に覚えがないから「はぁ」としか言えない。

他にも遊ぶ友達はたくさんいるから、そのうち忘れたらいつのまにか相手の子が転校することになった。

「へー」と思ってたら、お別れ会でもらったその子から手紙には「大きらい」と書かれてた。意味が分からない。

中学高校に上がっても同じで、席が近くて仲良くなった子が以下同文。

最後には「もう話しかけないで」と一方的に嫌われる。何もしてないのに。

大学に上がってで同じ部活動同級生彼氏ができた。

最初は爽やかな学生っぽく自転車二人乗りとかして仲良くしてたのに、私が部活に忙しくなるほど

(人数が少ないので3年生がやるはずの部長職や会計職を2年生でやった)

妙に四六時中ベタベタしたがるので、単純に鬱陶しくて適当にあしらってたら大学休みがちになってしまった。

様子を見に行ったら「僕がどれだけ君がいる場所にいたいと思ってるか知らないだろ」と病まれる。

「僕だけのものにしたいんじゃなくて、僕は君になりたい」と言われる。

意味が分からないので、意味がわからないとそのまま伝えるとますます病む。

そのうち私にも知らせないまま大学を辞めてしまったっぽい。

社会人になって、10個くらい年上の人と付き合いかけたが

プライドが高くて仕事ができる自慢とかしかしないので、つまらないし「もう会いたくない」と伝えると

めちゃめちゃストーカーされてロミオメールロミオブログURLを送りつけてくる。

周りの関係な人をも巻き込んでコンタクトを取ろうとするので、

周囲の人に「こんなことに巻き込んでごめんなさい」と謝って回っていたら

それがどう伝わったのか「本当に人を見下すのが好きなんだね」とディスられていまだ粘着されてる。

私は全然かわいくないし、頭も良くないし、運動もできないし、嘘もつくし性格も良くない。

なんか勝手に好かれて勝手に執着されて勝手に病まれるの、本当に疲れる。

2017-03-10

おっぱいと私。

私のおっぱいは大きい。

ぶるんぶるん。」

思い出もいっぱいだ。卒業式シーズンでなんだか思い出を叫ぶシーンがあったのを思い出す。作文も書いた気がする。そうだ、私のおっぱいとの思い出も作文しよう。

ぶるん。」

初めて確かなこいつを認識させられたのは、小学校4年生あたりだ。おっぱいはとにかく痛く、ときに熱を持つ存在だった。この時のおっぱいは「ぶるんぶるん」のかすり音もなかった。

私は周りよりも背が高く水泳を習っていてヒョロガリな体型であったため、ほぼ男子のような扱いであり(後の組体操の際は男子を支える方であったし、担任より身長は高かった)、こいつが「ぶるんぶるん」というまで育つとは思っていなかった。

5-6年生での発育は恐ろしいものがあった。すくすく育つ。成長ホルモンバドバ。関節はバキバキおっぱいはズキズキ。

「ぷるん。」

初めてそういう主張をされた。

そうなると嫌でも助言してくるのはおっぱいの先輩である母親だ。ワイヤー付きのブラジャーを勧めてくるが、先述の通り、私自身はブラジャーにある女の子らしさとは程遠い人間であったため、断固拒否した。

妥協案として子供スポーツブラの導入が決定された。サポートメンバーだ。これによりしばらく「ぷるん」も鳴りを潜めることとなる。

中学校に進むと部活動に励むこととなるがここでもおっぱいは私を悩ませた。

「ぷるん。」

私はバドミントン部に所属したのだがラケットを振るにも、子供スポーツブラではサポートしきれずに邪魔なのである葛藤だ。

ここで更にスクール水着問題が発生する。7月が近づくと水泳授業のために水着を用意する必要がある。確か紺や黒の色指定があった。水泳教室部活動を始めた段階で辞めている)で使っていたのは競泳水着のため恐ろしく派手でとても使えるものではなかった。

そこでジャスコスクール水着を買いに行ったのだが、子供売り場にあるそれではおっぱいが収まりきらないのだ。困った。

フィットネスのものマダム向け売り場で試着するもののあまりにもゆったりサイズで合わない。困った。

スポーツメーカーのものを着用したのだが、上から見れば谷間はモロ見えであり、中学生という年齢の私にとって非常に苦い思い出となった。困った。

元の問題に戻ろう。中学生ともなると周りのブラジャー着用率も上がり抵抗感は流石に薄れてきた。ぷるんと邪魔する問題解決すべく、とうとうワイヤー入りブラジャーの導入を決定した。スクール水着を探す過程おっぱいに対し関心を持つしかなかったのもあり、流れでジャスコブラジャー売り場で初めてサイズを知ることとなる。

初めてのブラジャーといえばBカップぐらいの白と薄い青を基調とするシンプルものほとんどだし、学校でもそんな説明を受けた気がする。そういうのを着けるのだろうと思っていた。

フィッティングルームに入りメジャーで胸部をシュルシュルと計測されていく。お姉さんは「Dカップですね」と気軽に言ってからオススメのものを持ってきます〜」と消えた。待ってくれ。

ABCDのDか?ビーの言い間違えではなくデーか?Dか。またお姉さんが現れて「こういう可愛らしいのはどうでか〜」と持ってきたブラジャーパステル調のフリルリボンのついた豪華なものだったと記憶している。少なくとも初めてのブラとして想像していたやつとは違った。確かなブラジャーがそこにはあった。

Dカップもふんわり女の子ブラジャーもすべてがあまりにもショッキングでそこから記憶がない。母と2枚ほど買って帰ったと思う。おっぱいは確実なサポートを得て非常に快適になった。私の中で男の子っぽい体付きであった自分が死んだ気がした。恐らくずっと前から死んでいたのだけれど。

しばらくするとワイヤー付きであっても「ぶるん」というようになっていく。またあのショッキングな場に行かなければならないときが来るのだ。しかし、もうヒョロガリなだけの自分は死んでしまっているし、解決するには行くしかないということを学んでいる。Fカップであった。1,2年で2段階アップするのかこいつは…と思った。前と同様オススメブラジャーを持ってきてもらう。もう諦めはついている。パステルでもフリルリボンでも来い。そんな気持ちで「ぶるん」とさせていた。

「Fで中学生くらいだとこれくらいしかないんですけど…」お姉さんは現れる。手にはふんわり女の子というより、しっかりお姉さんブラジャー。とくにフルカップブラのダサさは強烈だ。色もデザイン中学生ブラジャー像を破壊していく強さがあった。なんとかまた2枚ほど選んだあとの値段もぶっ飛んでいた。(ジャスコブラジャー売り場のちゃんとしたものは値段が張るということを後に知る。他に行けば安いものもある。)

それでもおっぱいは「ぶるん」といっていた。

高校生になると制服サイズであったり、電車通学による満員電車で押し潰され問題成人式ではタオルまみれになったりと話題は尽きない。たくさんの思い出がある。いいところも悪いところもこいつにはあるが、おっぱい星人の素晴らしい恋人に恵まれからは、優しい需要供給の一致を痛感し、おっぱいを誇らしく思う。サポートメンバーのすべてのブラジャー感謝している。

ありがとうおっぱい

ぶるんぶるん。」

びよんびよんまでどうぞよろしく。

おしまいおやすみ

2017-03-05

人生の選別

何の根拠もない思いつきだし、んなもん当たり前だってことの列挙になってるけど、今の日本幸せに生きるには下記16点に沿ってないと厳しいんじゃないか

そう思うとこれクリアできる人ってどんだけいるんだろう。全然居なさそう。

そりゃ少子高齢化が進むわ〜

1. 出生時、父親年収は500万円を超えていたか

2. 父母は教育に熱心だったか

3. 父母は大学卒業まで健在だったか

4. 小学校はいじめに遭わなかったか

5. 小学校では教師から理不尽に目をつけられなかったか

6. 中学校では机に向かう習慣が身につけられたか

7. 中学校では部活動に打ち込めたか

8. 思春期に悩み事を心から打ち明けられる相手はいたか

9. 思春期に進路について真剣に考えてくれる人間はいたか

10. まともな大学(国公立大学を想定、私大もこれに準ずる)に進学できたか

11. 大学生活を通して恋人がいたか

12. 大学生活を通して打ち込んだことはあったか

13. 首尾よく就職活動を終えられたか

14. 一部上場企業入社できたか

15. 会社はきちんと労基法を遵守しているか

16. 生きていて楽しい

2017-03-03

発達障害医療機関に行けというけど

http://mess-y.com/archives/42524

これのブコメ

@irodori_kotori

発達障害かな?と感じたら医療機関へと言うけど予約取るの簡単じゃない。某クリニックの初診予約(5月分)30分リダイヤルで頑張っても撃沈。/ADD傾向で怠けてると思われて父親祖父の躾が激烈化してる息子を救いたい。

その通りだよなと思う

精神病院に行けば何かしらの処方があるかと近隣病院サイトをチェックしてみたが「大きな総合病院に行け」と書いてあるばかりだ

まれつきの障害で完治するわけじゃないし、永久に通うことになるなら駅の近くで対処して欲しい

アルコール依存症の方で受診すればいいのか?

自分ではなく弟のことだが


うちの弟は今30歳なんだけど、小学生の頃に発達障害だと判断されて区のカウンセリングに通っていた

当時自分小学生だったので詳しいことは知らないんだけど、区役所ではない何かの役所?のようなビルまで送り迎えをしていた

箱庭療法かいろいろやったらしい

それが彼にどのような効用をもたらしたかはよく分からない


弟の症状は多動性障害がメインだった

授業中、ずっと座っていることができなくて立ち上がってしま

小二くらいまでは自分クラスまで遊びにきたりしていた

シーンとしている授業中にスーッと引き戸が開き、その隙間から弟の顔が覗いて、自分と目があった途端にニッコリ笑う顔を覚えている

あれは正直ちょっと面白かった

全校朝会でも列を抜け出して前方で当時流行っていたクレヨンしんちゃんの真似をしようとしたり

まりパンツを下ろしてぞ〜うさん♪をやった

あれは恥ずかしすぎて全然面白くなかった

先生も誰も怒っていた記憶はなかったが、自分ものすごく怒ったのでその後の再発はなかった気がする

たぶん

でもしてたような気もするし、あいつがそういう奴だっていうのは受け入れられていたから、もうその時には腹も立たなかったか

同学年の弟がいるクラス女子に「あんなのが自分の弟になったら恥ずかしくて死んじゃう」みたいなこと言われた時には、こいつに弟の良さの何がわからんだと思った

でも弟はそいつの弟とも友だちだったので家に出入りしていたらしく、そこそこお世話になっていたらしい

自分クラスメイト男子には可愛がられていて、本人も年上に声を掛けられるのが嬉しいらしく、いつも彼らの気を引くためにひょうきんなことをしていた

同学年での扱いはどうだったか知らないが、なんとなく女子から嫌われているらしいという雰囲気は伝わってきてた

女の子を叩いて泣かせたり

女の子のものを取りあげたり

そんなことをして人気者になる方がおかし

ただ男子はいつも家に大挙して遊びにきていたのでハブられたり虐められたりはなかったようだ


母親は大変だったと思う

父が子育てが一番大変な時期に不倫やらかしたり、会社が傾きかけて借金取りから逃げ出すために家出をしたりで信用がなかったため、ほぼ彼女一人で対応することになった

バリキャリとして働きに出ていたので手が回るはずがない

連絡簿を弟の担任に手渡す度に「お前も大変だろうが頑張れよ」というようなことをたまに言われたが、なにを?という感じだったし、今でもわからないのだが、もしかしてあの時自分がもう少し弟の世話を上の子らしくやっていれば彼の将来は違ったのかもしれないと考えたりもする

仲のよい兄弟として認識されていたし、実際ケンカもあったし泣かしもしたが、それは四六時中一緒にいたからだ


中学生になってから小学校と同じようにはいかなかった

弟には全校生徒に顔を知られる快感というのが身に染みついていて、根が派手でトンデモな方向にむいているのはそれが原因だろうと思う

それともそれも含めて障害なのかもしれないが、それくらいなら個性のうちではある

中学校に上がり、弟は落ち着いたように見えた

年相応の少年としての情緒を育み、部活動にもチャレンジしたが顧問先生に目を付けられて止めた

これは単純に巡り合わせの不幸だった

問題だったのは成績の方だ

壊滅的に勉強ができず、かといって塾にも向いていない弟は家庭教師をつけることになった

柔らかい女子大学生の先生で、根気よく教えてくれたと思う

ただ、根本的に勉強への意欲を欠く弟の成績を爆上げするには及ばなかった

その後、高校中退するまでずっと見てくれていたが結果には結びつかなかった


高校は昼間もやっている定時制のところに入ったらしい

その頃には別々に暮らしていたためなんとなくしか把握していない

都内にはそのような定時制高校がいくつかあり、弟が通っているのは自由校風で知られた学校だった

中学担任も向いているんじゃないかと言っていた

この先生自分担任したことはなかったが、気に入られていていたのか、たまに呼び止められて話をすることがあった

担任していた生徒の一人が自分の友人で、そいつ揉め事を起こした時に相談を受けたりとか、弟が上がってきた時には「おまえの弟なんとかしてくれ」とか

「おまえの弟なんとかしてくれ」は昔から先生によく言われるセリフで、みんな笑いながら言うので漫才セリフ回しみたいなものだろうと思っていた

だが「あいつはたぶんこの先、苦労するよ」としみじみ言われたとき、そうなのか、とハッとするものがあった

しかし弟の人生は弟のものだし、自分は目の前の人間の表情しか見ずに雰囲気だけで話しているところがあるので「そうでしょうね〜」と流した


弟は高校中退した

その後、いろいろあって今は一緒に暮らしているが、正直お先が真っ暗である

好きな業界バイトをしていた時はよかった

好きなものだったからだろう、そこそこ働けていたらしく、バイトマネージャクラスにまでは行けたらしい

だが、家族から「将来性がないことをいつまでも続けていていいのか」と言われ、そのバイトをやめてしまった

それ以外のことが何もできないなんて、その時はさすがに考えていなかったんだろうと思う

いろいろ試して、でもできないのでまた業界に違う居場所を見つけた

そこは前の場所よりは経営的に真面目なところで、なんというか手堅い仕事をしていた

業界というからには似たような仕事内容ではあるのだが、肝心の成果物を弟はどうしても愛せなかった

自分の良いと思ったものが認められず、どうでもいいと感じる部分がウケているのに納得がいかず、弟はまた転職する

転職先は彼の嗜好に合致し、やる気を持って仕事に向き合っていたらしい

が、気づいた時に彼はサボりがちになり、気がついたら仕事をやめていた

それから三年くらい、末端のバイトをしたり、バイト面接を受けては落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ


深酒が過ぎるようになってからカウンセリングを受けてみてはどうかと彼に伝えてみた

壁を殴って敷金礼金が戻らなかったことがある

あれはもう二度とゴメンだし弟もそう思っているだろうが、酒はその信念をなかったことにする

アルコール脳みそが萎縮してからでは遅いし、もうだいぶ縮こまっているんじゃないかとも思うが、弟にとって数少ないストレス緩和手段を取り上げることへの疑問もある


弟は自分自身を嫌っているのに、それを変える方法を知らない

それ以前に自分自身障害への理解もない

本も読まないしニュースも見ないし、そもそも理解する気もないのだと思う

世界社会との接触がないものから自分の外にある知識自称に興味を持つということがない

テレビを見、ゲームをし、インターネット無料コンテンツでただただ時間を浪費している

ADHDの本を居間に置いておいた

読んでみるといいと伝えたが読んでいるのかはわからない

本は弟よりも父親効果があった


発達障害への対応には家族理解と協力と、専門家指導が不可欠だと思う

環境指導が揃わないことには何ともならない

2017-02-09

教員志望の大学生に夢を語らせてください。

教員志望の大学生です。

「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」 のように困難校に赴任すること,たしかに想定していなかったなぁと思って,今の気持ちを書くことにしました。






教員ブラックだと近年特に言われているし,大学教職課程で最初に学ぶのはモンスターペアレンツ学級崩壊についてだった。

基準あいまい体罰解雇セクハラ解雇いじめ管理職教育委員会が認めてくれないと現場教員ペナルティがある。

しかも,新卒教員になってしまうと,もし鬱やいろいろな事情教員を辞めたら,企業は元教員を雇ってくれないと聞く。




でも,私は新卒教員になりたいと考えている。




もともと教育に携わりたいと考えていたが,上記のような理由もあり,視野の広い先生になりたいという思いもあり,ずっと迷って就職活動をしていた。

決意が固まったのは教育実習ときだった。



子どもたち一人ひとりがたくさん悩んで,うれしいこともたくさんあって,いろいろと考えて生きていることを目の当たりにしたかである



悩んでいる子どもに,しっかり寄り添いたい。

喜んでいる子どもと一緒に喜びたい。

もし間違った方向に進もうとしている生徒がいたら,真摯に向き合いたい。



やはり,今の子どもたちに直接かかわり,影響を与えていくことができるのは現場教員しかないと思った。

の子どもたちと一緒に成長していけるようなこの仕事に就きたいと強く思った。





先輩の先生の授業では,子どもたちが興味を持って主体的に学んでいく様子を見て,こんな授業がしてみたいと思った。

最初はうまくいかいかもしれないが,その子どもたちに合った方法を一緒に探していきたいと思う。



実際に授業をしてみて,ちょっとした工夫で生徒の反応が全く違うことに驚いた。

こうやってトライアンドエラーで授業を作っていくんだな,と感触だけ分かった気がする。




教員になりたいのに,一度経験を……と考えて企業就職するのは,どちらに対しても失礼だと感じ,まずはチャレンジしてみようと新卒教員になることに決めた。




来年から教員になるにあたって,赴任校もまだ分からないし,生活の流れもよく分からない。

担任を持つのか,部活動を持つのか,どんな生徒とかかわっていくのか,何も分かっていない。



まだ採用研修で何日か講義を受けただけだが,4月からはとにかく生徒を迎えることになる。

不安でいっぱいだが,期待もたくさんあって,来年から生活がとても楽しみだ。





忙しくなって辞めたくなったときに思い出したいと思い,書いてみました。

しかしたら教員生活は辛いものになるのかもしれないけど,できることを少しずつやっていきたいと思います

2017-02-06

公立で市の指定された中学校までバス代6万円

以前、書き込みをしてコメントをみて。

近くの自転車置き場を借りるは、駅から遠い場所にあるため、自転車置き場は借りる事ができない。周りは、幼稚園や古い団地。また、自分をよく見せようとしているのか、先生に逐一他の子の行動を伝える子もいる。

内申書、中学生でしょ?は、公立高校に入るため、ご近所さん中学校で成績がよく、部活動をしてなかった子がいる。

実際に内申点で同じ高校受験した子と比べて、入試がその子と比べ30点自己採点が高かったが、この30点で落とされるという事があった。その子は、よほど悪い事をしたのでは無いの?と思われるが、学校が遠いため、バスが一時間に一本の時間もあるため、歩いて帰宅する事があったらしい。その帰りにスーパーに寄った事もあるとか、勉強のため部活に入らなかった程度。とか。

学校自転車置き場がない。

学区外の子は、せいぜい多くて30名ほど。

授業参観や、運動会など、親や、先生が使う自転車置き場は、あるし、駐車場もある。特に広い場所必要ないし、あちこスペースは、ある。

以前は、学区が広がった事もあり自転車通学があった。

ここに引っ越す前に説明があり、本来、新しい中学校が出来るはずでした。学区外の子は、二年内に中学校が出来るはずが、伸びて八年経つ。着工したが再来年に伸びた。

2017-02-02

社交性のないずれた子供社会人になれば楽になるよ!

幼稚園児の頃から社交性が無かった。

幼稚園、年中組のとき明日から幼稚園はいかないと、固く決意してそれから半年登園拒否をした。ある日お母さんに騙されて幼稚園に連れていかれ、行ってみると意外と楽しかったのか結局また通うようになった。

小学校、割と楽しかった。友達も多く今思うとスクールカースト上位だった。でもたまにトリッキーな行動とってたな。家庭科料理実習クラスシェフ気取りでやけに忙しそうな感じで偉そうに男の子に指示出したり。お姉ちゃんが入ってたという理由卓球クラブに入って部活動もしてた。お姉ちゃん部長だったので次に私が部長だ!と張り切ってたのに、私の後にクラブに入ってきた私とも仲良しの女の子部長指名されてしまった。すごく恥ずかしくて認めたくなくて、その子が毎回のクラブ活動終わりの挨拶とかするときは拗ねてそこにわざとらしく毎回遅れて行ったりした。

中学、仲良しで大好きな小学校から友達と一緒だったから基本楽しかった。でもスクールカーストトップヤンキー女子グループに目をつけられて嫌な思いをしたこともたびたび。通学バス中学まで通ってたんだけど、一番後ろの席はそのヤンキー集団しか座っちゃいけないっていうルールあったなぁ。そこに座りたいし、そのヤンキー集団に気に入られたかった。彼氏も出来なかったなぁ。部活もやらなかった。見た目もひどかった。

高校高校デビューしてスクールカーストトップに返り咲いた。だけど心の中はいつも嵐が吹き荒れてた。

基本根暗から部活やらなかったし、彼氏も3人出来たけどそんな上手くいかなかった。理想に届かない自分が許せなくて心の中は思春期ありがちなぐちゃぐちゃで、リストカットもした。今でも消えない傷がある。後悔。

大学元々社スキルが低い自分には、高校みたいにクラスがないとどうやって友達作ればいいか分かんなかった。大学1年間は誰も信用できずひたすら1人だった。なんとかしたいともがいた。見た目を磨くという方向に突っ走ってしま拒食症になりかけたりした。その後見事に過食症になったけど。辛かった。大学2年のとき、今の旦那出会えた。なよなよしたオタク気質旦那だけど、心根の優しい人。彼のおかげでまともな人間になれた。

社会人自己啓発本を読んだり旦那サポートを得たりでごく普通に社会生活をこなせるリア充になれた。学生時代ベタベタした友人関係はそんなに上手く楽しめなかった自分だったけど、社会人のサラッとした人間関係は上手くこなせることに気づいた。

から頭は良かったのも自分を助けてくれた。世帯所得1500万、部屋から東京タワーが見えるタワマンに住んでる。成功できたと思う。何より自殺しなくて良かった。辛いときも嫌なときもあるけど、でもとても幸せ。相変わらず全く理想には届けてないけど、自分自分コントロールするスキルを身につけた。私は不十分なところもあるけど自分自分幸せにすることができると、そう感じれることが幸せ

学生時代との友達との付き合い方は未だに迷うことがあるし、勝手に傷ついたりもする。自分の子供がいずれ生まれて育ったらどんな学生生活を過ごすんだろう。無理してリア充にならなくたっていいんだよって伝えたい。人生は長い。学生生活なんて人生の僅かなところでしかないよ。

2017-02-01

似たようなことを叔母にやられた

http://anond.hatelabo.jp/20170131120959

これと似たようなことを叔母にやられた。母方の祖母が亡くなった時の話だ。

私の母と、母の姉である叔母は元々あまり折り合いが良くなかった。私は母からしか話を聞いてないので一方的見解になってしまっているかもしれないが、少なくとも母の話を聞く限りでは、母の実家はかなりの機能不全家庭だったように思われた。

母は祖母ともあまり折り合いが良くなく(それでもたまに電話くらいはする仲だった)、年に一度の会う機会だった正月訪問すら数年ほど行ってなかった。母は心を病んでいた。折り合いの良くない親族と無理に会わせる必要はない、という父の判断だった。母もそれを望んでいた。

そんなある日、親戚(叔母ではない)から祖母入院したということを聞いた。どのような病状だったのか、私は詳しく聞いていないが、少なくとも、その時点ではそこまで深刻な状況ではなかったようだった。

夜、私がトイレに起きると、居間で母と父が何やら話をしていた。祖母のお見舞いに行くかどうか、みたいな話だったと思う。母は泣きながら「行かなきゃ、でも行けない」「怖い」「お母さんにも姉貴にも会いたくない」というような意味のことを言っていた。父は「無理して行くことない」と応えた。私はその話し合いに口を挟むことはしなかった(当時私はまだ高校生だった)が、私としては母の精神安定を最優先に考えてほしいと思っていた。精神不安定になった時の母に当たられることも多かったためだ。

それから1、2か月くらい経った頃か。部活動が終わって家に帰ると、部屋の中から母の泣き声が聞こえた。中に入ると、ぼろぼろに泣き腫らした顔をした母と、父がいた。処方された薬を飲んで、母が少し落ち着いた後、父から顛末を聞いた。

昼間、普段は全く没交渉だった叔母から母に電話があった。祖母葬儀を終えた、という事務的な連絡だったそうだ。錯乱状態になった母はなんとか父に助けを求め、父は会社を早退して駆け付けた。

泣く母を見るのは初めてではなかったが、あそこまでボロボロになった母を、私は見たことがなかった。

――してやる!

――してやる!

――してやる!!

目を血走らせ、物騒な言葉を口走る母を見て、人はここまで人を憎めるのか、と思ったのを今でも覚えている。

もちろん、私も叔母のしたことは許せなかった。何を思って叔母が「葬儀が終わるまで祖母の死を母に知らせない」という行動を取ったのかはわからない。叔母には叔母なりの理由があったのかもしれないが、叔母とはそれ以来絶縁状態になってしまったので、今さら聞きようもない。

❨実は私一人で一度だけ会いに行ったことがあるが、けんもほろろに追い返された。❩

「ひどい」とその時、私は父に言った。どんな理由があったかは知らないが、どうして祖母との最後の別れの機会を奪われなければならないのか。祖母のたった一人の孫として、理不尽だと思った。


それから10年以上が経ち、先日私は母を病気で亡くした。

葬儀の準備を進める中で、父が私に「叔母さん、どうしたい?」と聞いてきた。私は「一応連絡はしよう」と言った。連絡は父がしてくれた。電話がつながらず、直接話は出来なかったようだったが、電報を打って一応の義理を果たした形だ。

知らせない、という選択が頭をよぎったのは確かだ。しかし、人としてあの人と同じレベルにまで自分を貶めたくはなかった。生前に母に確認したわけではないが、母は多分叔母に来てほしくはなかったと思う。しかし、それとこれとは話が違う。人とのつながりの中で生きている一人の人間として最低限果たすべき義務だと私は思った。

数名しかいない、こじんまりとした葬儀だった。生前仲の良かった母の友達が一人来てくれて、棺の前で最後の別れをした。葬儀屋に渡された花をいくつもいくつも、数えきれないほど入れた。母の友達は「生前に渡せなかったから」と、手作り人形を棺に入れた。

「じゃあね。○○ちゃん、じゃあね」

結局、叔母は葬儀には来なかった。駆けつけてくれた母の数少ない仲の良い親族の人から「私も連絡が取れないからよくは知らないが、どうも年の離れた恋人暮らしてるようだ」と聞いた。繋がりを一つ一つ丁寧に断ち切るように生きてきたその人がどういう最期を遂げるのかは知らないが、私はその知らせを受けることはないのかもしれない。それでいいと思う。

そういうふうに、あなたは生きればいい。

2017-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20170131100026

そう、ほんとそう。

何て言うのかな、公教育にそんなこと求めてないんだよね。

運動会文化祭部活動、この辺は公教育的にオーバースペック(=税金無駄遣い)なんだわ。

日本人は、「小さな政府主義」の可能性について真剣に考えるべきだと思うね。

2017-01-26

20過ぎて彼女できたこと無いのっておかしいのか?

いやなんとなくおかしいのは分かる。

でも、いままで学校部活動を通じて出会った女の人を好きになったことがない、それでも彼女を作らなきゃ異常者なのか?

俺の中では彼女とかって話をして趣味もあって相手価値観尊重できて、そういうのがあったうえで好きになって彼女になってもらうために色々頑張るってものなんじゃないのか?

正直小学生ぐらいの頃は異性を好きになったこともあったけど高校生ぐらいから異性を好きになったことは一度もない。



好きとか彼女にしたいだとかみんなはどういう基準で決めてるんだ?

2017-01-23

ミーハー民族の「ツケ」を払う時

日本のあらゆる面が「ミーハー」化しているけど、これって要するにポケモンショックならぬサブカルショックなのではないか2011年からのつるべ落としの右傾化で、しかしまともだった時代の惰性で文化的だった日本人のうち、マイルドヤンキー未満の弱者熱狂したのが、ミーハー文化だった。

2000年代当時は低俗さの象徴だったミーハーが、たぶんファミコン世代にとっては、団塊ジュニア世代にとっての「ガラケー」みたいな存在になっていて、要するにそいつらが人口が多く中年化して世の中に影響を大きく及ぼす中で、俺ら第一サブカル世代すらも巻き込まれている流れが、これなんじゃないかと。

クールジャパンがこうまでおかしくなったのも部活動みたいな年齢主義産物だったろうし、今のサブカルにふと「ヤンキー用語」が出てくるというのも、その流れを汲んだものだと思う。当然、そういうサブカルを好んでいるのも、オタクではない人たちだよね。ギャル文化や不良文化青春をささげた。

彼らの「ツケ」を清算すべき時なんじゃないかな。そのミーハー世代2000年代ってオタクでいえば電車男ブーム以降のサブカルの脱アングラ化と第三次サブカル時代なんだけど、ミーハーの狭い都市部の小さなせせこましいサービスの中に閉ざした疑似オタク文化とは次元が違うんだよ。

本物のサブカルパソコン的なグローバルスタンダードの規格に準じたものを用いて国境を取っ払って地球規模の共同体の構築を追求し、クールジャパンになったけど、「サブカルは疎いがミーハーに没頭したチンケな日本人」がいま早期老害化してる姿が、(ポスト)ヤンキーギャルのうざったさだ。

なので彼らの消費者感と没歴史的感じが、まさに問題になっているゆとりさとり世代にそっくりなのもしょうがないと思うし、こういうもの黒歴史にさっさと追いやることが、今のオタクエリートがやるべき作業ではないかなとも思うんだ。

とにかく、本来であれば日本にはそのような文化嗜好そのものがなかった、ポスト消費社会21世紀象徴ともいえる「ポスト消費文化」というものが、20世紀文化2000年代の方がよほどかっこよく見えるレベル間抜けさをプンプン醸し出していて、それを助長する側にいるのは、ほんとにどうかと。

2017-01-20

静岡県韮山高校の体育の授業について まとめ

10年以上前情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります



服装

女子は股下10cm丈の黒いショートパンツホットパンツ?)。体育座りをすると下着やナプキンが見えてしまう。

・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)

ジャージの着用は禁止。そもそも学校指定ジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。

・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージ部活ジャージでも私物でもなんでもいい。



●韮高体操、二人組、ダンス、マット運動

特筆すべき点なし。他校と同じ普通の体育。



以下、補講が科せられる授業について記します。



水泳

・ひたすら泳がされた。

・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。

・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。

・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。

・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。

・足をつくと50m無効になった。

・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。



●新体力テスト

韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。

・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式

最初テスト目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。

・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。

・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。

シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。

・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。

・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。

・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。

目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。

・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。

・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。

・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。

・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。

シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。

・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。



・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。

・そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。

・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である



クロカン

・授業では女子は30分~40分で5km走る。男子は同7km

・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった

・全授業で、絶対指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。

・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された

 「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された

男子生徒は背中、肩などを殴られることもあった。

ぜんそくやチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。

・さすがに女子には体罰はなかった。

・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化出血することがあった。

・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。

・股ずれを理由とした体育の見学許可されなかった。

見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。

・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。

クロカン本番の順位指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。



●「韮高の体育は第二の入試

・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。

・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。

・実際、不登校になって中退する生徒は多い(後述)。



●影響

自律神経失調症になってしまう生徒がいた。

文化部女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。

中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。

(もちろん海外留学などポジティブ理由中退も含まれる)



●近年の動向

地域中学校進学塾でも「韮高の体育は厳しい」と知られるようになったため、

体育が苦手な受験生三島北・沼津東に流れる傾向がある。

そのため韮高生の平均レベルが上がってしまい、体育な苦手な生徒にとってさら過酷環境になった。

2016-12-26

体育会系な人の子供って

内向的な人が多そう。

内向的自分の親がまさに体育会系

自分のことを意見するのが苦手。

学芸会は脇役がよかったのに、主役に立候補しろと怒鳴られ

部活動文化部に入りたかったのに、運動部に入れさせられたり

高校生くらいまで自分のやりたいことのほとんどを

親に反対されていた気がする。

そのせいか、いつも人の意見を聞いてばかり。

心のどこかに、自分意見することへの恐怖心があるのかもしれない。

と、ここまで自分が書いた文を見直してみて

語尾を、気がする、かもしれない、にしてしまうあたり

やっぱり意見することに恐怖心があるのだろう。

ちゃんと意見を言えるようになりたいなぁ。

2016-12-17

寂しい

という気持ち理解できない人々の方が、社会では多数派なのだなと思うことが多い。
自分にとっては当たり前のようにあった感情で、たぶんこの日記を読んでるような人にも身近なものだと思う。

大学3年生も終わり際だけど、思い返すと「優しい人」と「優しくない人」がかなりはっきり分かれたように思う。
高校の頃はここまですっぱりしたものは感じていなくて、いろんな地域性というか都会と田舎の違いなのかとも考えた。
けど実際はそうでもなくて、近郊に住んでいるはずのいくつかのバイト先にいる同僚たちも「分かれ方」が極端だった。
誰かに対する気遣いとか言葉の刺々しさとか、弱っている人々に対する行動だとか。ニュースとか流行語大賞を見ていてもそう思う。
それは外見とか学歴、すれ違い程度の関係ではわからないもので、大学に入った当初からの友人でも最近「優しくない」と気づいてしまうこともある。
長い付き合いだった友人が「優しくない」とわかったとき、何より先に自分の鈍感さを呪った。で、関係もそこで断った。たまに会っても無視する。

「優しくない」人々というのは、つまり「『寂しい』という気持ち理解できない」人々のこと。
悪いやつとか暴力的なやつにもたくさん種類はいるが、「優しさ」というスキルリーを遡っていけばこれが最初にあると思う。
なんか怖い人々は、道徳の授業とかで習った上辺だとか「世間常識」「物語」にある「寂しさ」くらいしか知らない。
「寂しい」という経験がぜんぜんなかったりする、としか思えない。で、そういう人々はこれまでずっと多数派だったのだろう。
そうでなければあんな人々が上に立っている理由がわからないし、世界にはこりゃもうダメでやんすと跪くしかない。

何年か前、母親更年期障害だった。家族とはまったく話さないので兄弟の年齢もよくわからないけど、たぶんあの振る舞いはそうだったのだと思う。
暴力的な方に症状が傾いているわけではない。もともとそういう性格ではないが、「いつも一人で何かするのが好きな」「変わった子」である自分に対しては暴力的だった。
外ではぜんぜん普通だったし(いや普通でもないし家事以外はダメダメだ)、つまり「寂しい子」には「優しくない」人なのである
父親典型的な優しくない人で、現在進行系なことを言えば「つらい、助けて」と繰り返す母親に「言うことを聞け」「薬を飲め」「言い訳をするな」「理由をわかるように言え」とか、
まあなんというか傍から見ていても、壊れぎみな母親には無理難題をズラズラ並べ立てて拒絶しテレビを見ている。
テレビの間に母親が入れば「邪魔!」と蹴ってどかすし、自分が部屋にいるときには明らかに暴力的現場からしかしないであろう大音声である

実はそれがきっかけで気づいて、今日までずっと考えてきていた。
更年期障害が何かはわからないし、母親は正真正銘の「優しくない」人間自我も薄く、
自分も「寂しい」人間でありながら「寂しい」人間に対して暴力を振るったり大事な物を平気で壊したり高校生活の邪魔をしてきたり三者面談で変なことはするし
あいつのおかげで楽しかった部活動は辞めざるを得なくなったし(自分の弱さもあるが母親の行動も大概である)いまだにそれに対して謝罪のようなものもないし
筆者が本当にブチ切れてそれでも暴力だけは振るわずに全部考えや気持ちを言っても「そう思ってたの。で?」と頭に詰まってるのはメロンパンだとしか思えない
驚異的な中身の薄さと空っぽさと人生に対する甘ったるさを感じることしかできないか病気してもまったく同情できないし自業自得だろうとしか言えなかった。

話が逸れたけど、「優しくない」人というのは、どんな人間であれ「寂しい」という気持ちを持つのに(精神に来る更年期障害中なら尚更だろう)、
それに対して本当にまったく欠片も慈悲を感じない、そんな父親の行動を目の当たりにして気づけたわけだ。

ああ、本当に他人の「寂しさ」を理解できずに自分本位しか行動できない人間はいるのだなぁ、と。
で、「寂しい」はずの人も何も与えられなければ自我が薄くなって、「もっと優しくない」人間になるのだなと。

自分は違う。断言する。自分も「変わった子」と言われ続けて就職できるかも怪しい底辺だけど、違う。
最近インターネットもあるし、学校暴力性は排除されていて、若い先生には優秀で「優しい」人が多くなった(両極端だとは思う)。
自分現代学校システムのよいところに出会えていなかったら自死必至だったし、ネットがなかったとしたら確実に自我が壊れていただろう。
「寂しい」という気持ちを、共有するためのシステム社会にはできてきたのだ。リアルは様々な絶対零度が群雄占拠しているが。

いや、本当に泣きながら文章を打ってた。大学3年生だしモラトリアム終了の節目くらいしか大したことはないんだけど(就活…)。
なんか急に書き残しておきたくなった。ここ最近研究とかでいろんな「寂しい」人を見たり知ったりしてきていて、けど、
自分はまだ前向きでいられるし、簡単に「優しくない」人には負けたりしないなと実感した時に、こういう気持ちになった。
匿名インターネットだとか匿名でもないインターネットとか、自分の友人とか、学校先生とかカウンセラー先生とか。
いろんなもの感謝したくなったし、「寂しい」人にはなんだかんだ生きていける術もあるのだと伝えたくなった。

いや、本当はリアルにクソみたいな人々が多くて毎日つらいけど、よくわからん
さーバイトだよバイト。寂しい人々に幸あれ。

2016-12-16

人生ではじめて挫折経験する

高校とき吹奏楽部だったんですね。

その部活動で、ぼくは人生ではじめて挫折を味わうことになります

自分高校吹奏楽部は他の部活よりも勧誘がいろんな意味ですごい部活でした。

ぼくは中学部活はもういいと思っていたので、高校生活は断固たる思いで帰宅部志望。

誘われても断固拒否青春するぞ!ってずっと考えてました。

でも、友達勧誘されて入部することになってしまい、

まずい友達が入部しちゃったら遊ぶ相手がいなくなるじゃないかと思いました。

なので「ちょっと入ってみるのもいいかな」という感じで入部することに。

なんとなくで入った部活は、実は全国大会を目指すハード部活

気づいたときにはもう遅く、簡単には抜け出せないような状況でした。

中学生ときは優しい部活に入っていたので、今までの自分では考えられない生活を強いられました。

楽器を吹いた経験がなかったぼくと中学部活からびっしり楽器を吹いてきた周りの子とは明らかな差がついている。

そんなメンバーと実力を競うことになったらどうなるかは明白でした。

2016-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20161120204030

ちょっと共感

自分が得られた教訓としては

30前後で嫁にする人は

一人暮らし経験が直近で2年以上あること(部屋が常に片付いていればなお良し)

・できれば理系出身

学生時代体育会系部活動をしていたこと、もしくは運動好き

・将来像として母親を知っておく(十中八九、似る)

が、理想かな。

まあ、そこまで条件満たしている人を見つけるのは難しいかもしれないが。

お金に余裕があれば、食器洗い乾燥機の導入をお勧めする。

2016-11-18

中高生の君たちに言いたい。自己分析なんかしなくていい、自分気持ち肯定するだけでいい。

中学生っていろいろ拗らせやすいから、

下手に自己分析とかし始めると

自分は何やってもものにならない不必要存在なんだ」

無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしま可能性もあるよ。

まあ自分のことだけどね。



俺は友達もおらず運動もろくにできなかったか

休み時間に突っ伏しているようなスクールカースト底辺だった。

ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代全然顔は似てないよ)で、

大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。

もう学校に関連するもの全てを家で思い出したくなかったので

教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。

から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。

でも唯一ポテンシャルを感じられたのは学力で、

進研ゼミ暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル

学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?

本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。

から2年生の2学期からテスト対策だけはそれなりにするようになった。

目標偏差値65以上の学校に進学すること。

それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的指標だった。

でも公立ばかりの田舎は内申点が重要なんだよね。

提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。

若さ故にそんなもの気合で打ち砕いてみせると思っていた俺も

三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。

3年生の夏休み明けにはもう俺は全く勉強しなくなった。

自分の決めたあの偏差値ラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。

それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。

その時はそうとしか思えなかった。

なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ

そんな人間努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。

そんな風に考えていた。



自分なりに分析してアイデンティティを探求した結果

俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。



勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。

高校受験自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力情緒不安定鬱屈した高校生活を過ごした。

高校地元からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。

彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。

幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。

ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。



今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。

そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。

俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分分析なんかするなと言いたい。

自分が思っている以上に社会には様々な価値観世界があって、君たちが見て来たものだけで自分規定してしまうのは勿体無いと。

君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。

今の俺は正直いって自己分析なんて馬鹿馬鹿しいとすら思うよ。

分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。

自分のことは自分しかからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?

分析なんかしなくていい、ただ自分気持ち自分否定することがないよう努めればいい。

中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。

そして大人10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20161116142444

2016-11-10

インターネットを見ていると、一か月に1度くらいのペースで教員部活指導話題が出るじゃないですか。教員ボランティア活動に過ぎない部活動が、これほど負担になっているのはおかしいって。

それと今回のハンドブック作成って似てる気がするんです。広告協会活動で、金にはならないけれど、業界を良くしようという善意で作った資料だと思うんです。あのハンドブック。それを何の苦労もしてない業界関係者から、「取扱説明書レベルに読解大変で涙」とか茶化されたら、いやちょっと待てよって思うんじゃないかな。

ネイティブ広告ハンドブック、読んでみました。私は広告業界の人でもWEBライターブイブイ言わせてる人でもないのでちょくちょく出てくるカタカナ語はよくわからなかったけど、それでも趣意は取れました。ネイティブ広告に携わる人で、それなりに問題意識を持っている人なら平易に、とはいかなくても頑張れば読めるはずだし、消費者としては読んでほしいところ。

ヨッピーさんは「「業界関係者なら読めるでしょ?」「読んで当然でしょ?」という姿勢で来るのは発信者側のエゴ」って一刀両断にしているけれど、そういう相手側に対して無制限努力を求めるのってクレーマーの特徴だよなあと思いました。てか何でけんか腰で食って掛かってるのかよくわからないんですよね。相手発言にかこつけて自分過去発言(蹴鞠が云々)をアピールしたいだけにしか見えなかった。

あと、読んでもいないくせにヨッピーが言っているからってだけでハンドブック関係者disってるはてブ民はださい。

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