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2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419224333

学歴が有ることで損は滅多にしないけど、学歴が無い事で被る不利益は大きいよね。

学歴なんで無駄だよな、っていえるのは、しっかりとした学歴があり、かつ、ある程度の成功をした人間

言わないと滑稽だ。そうじゃなければ、お前それただの僻みだろって話。

一定規模以上の企業トップ層を見るとやっぱり立派な学歴なんだよね。そして地頭がほんとに良い。

大学全入と言われているいま、学歴なんて…って言ってる方がまじでヤバイと思う。

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418114258

俺の周り、某日本最強の人工知能ベンチャーの人とかばっかで、なんか5歳の頃からコード書いてましたみたいなのだらけだわ。

IT仕事に繋げられる専門知識数学とか統計とか)を既に持っているわけでもない、特に地頭が超良いわけでもないし大学で何かを本気で勉強したわけでもない普通文系学生がこの世界に来ても何もできないのでは?って思っちゃう

2017-04-17

IQ130の自分が人から頭が良いと言われる内容

多分こんな感じ。

記憶量が多い。

子供の頃は自分が頭がいいだなんて思っていなくて、どうして周りはそんなに忘れてしまうのかが不思議だった。

記憶力がいいとかではなくて、量的な問題

つのシーンに限っても、覚えているものの量が全然違うことが分かった。

最近スマホが何でも記憶していてくれるから事実確認が楽で助かる。



◯一つのものに対して連想する量が多い。

例えば犬という言葉を聞くと、犬の種類はもちろん、それを題材にした歌や物語、骨格や餌の種類、病気などがふわっと頭のなかに膨らむ。

三次元グラフみたいに、傾向別にxyzに色々なものが広がっていく感じ。もちろんそこから連想は続く。

空間的に認識できているので、話の途中で戻ることも比較簡単

それをかいつまみながら話をすると、回転が早いと言われる。



◯一つの仮説に対して検証する量が多くて早い。

AにたいしてBしてみてはどうか。という内容に対して、ざっといろんなケースをすぐに想定できる。

理論が飛躍するって言われるけど、そこを駆け上がるのが早いだけ。

大体の場合はすぐに最適解を出しても周りが納得してくれないので、自分ではとっくに検証済みの内容を一から議論に付き合うことになる。

最近は最適解にたどり着けるように反証を先にだして導くようにしている。



感情論より最適解を優先する。

これは未だに難しいところだけど、いわゆる囚人のジレンマであって人が感情的になるには必ずと言っていいほど個人損得勘定が働いていることがわかった。

そこに気付かないふりをしつつ、民主主義をうまく使って採決を取るようにすすめるのが今のところ最適解。



もちろん自分より頭の良い人間にも山ほど遭ったことがあるよ。

でも大抵の場合は、頭そのものがよいというより目的に対して思考が徹底的に洗練されているといった印象。

いわゆるサイコパスと言われる人間も、人情的なものを切捨てて思考するからその分早いだけだなって感じだった。

それで何がいいたいかというと、こういうのってテクノロジーで随分フォローできる時代になったよねということ。

変えられない地頭からって諦めるより、それに相応するサービスを探すといいことがあると思います

それと、頭の善し悪しは幸福論に影響はないよ。

僕にだってないものは沢山あるし、手に入れられないものを欲しがりつづけることが不幸だということはみんなと一緒。

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170414101838

まあ地頭はいいのにできないとか

地頭が悪くても仕事ができるとか

そういう人が存在すると思った方が楽だよね

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406021823

結局「都落ちした」というコンプレックスなんじゃないの?

比較対象早稲田東工大出してるってことは都内としては中堅になってしまうけど全国的に見ればまだまだ高学歴な部類だし

京都大学工学部というのは関東理系学生からするとコストパフォーマンスはかなり良い学部であると思う。

(中略)

「近場にあった中で一番レベルの高いと言われている工学部」という理由近畿圏進学校から入学したような地頭の良い人たちを見ると、「京大生」というワードはきっと彼らのためにあるのだろうと思う。その結果、大学名を言わなきゃいけない時には無意識に「一応」とつけてしまう。

この辺りから関東出身なのに都落ちして京大に入った、本来的には京大関西圏人間のための大学なのに。とコンプレックスがチラリと見える。

地方旧帝大出身だが、都内出身の後輩が「関東圏外の大学に行ったレアキャラ扱いされる」と以前話の中でこぼしてたことがある。

同様の雰囲気しかも更にネガティブ感情増田からは感じる。

大学名まで聞くな

京都大学工学部というのは関東理系学生からするとコストパフォーマンスはかなり良い学部であると思う。

東工大早稲田先進理工に受かるレベルまで仕上げれば落ちることはそうそう無いと思う。というかむしろ私は、現役時も浪人時も早稲田には不合格であった。そうでありながら「京大」というラベルは多くの人にとって「東工大」や「早稲田」とは違い、ワンランク上の印象を与えるらしい。

入試学科選択で第2希望まで入れられるので仮に第1希望学科に落ちてしまっても地球工や工化を第2希望にしておけば、そこの合格最低点の開きは英語和訳1問分。年によっては数学大問1問分あるようなこともあるので、ある意味滑り止めが効いている。

尤も学科によって学ぶ内容が大きく違うので第2希望に点数的に入れそうだという理由だけで興味のない学科を選ぶことは、入学した今だからこそ止めたほうが良いと声を大にして言えるが、受験生の時分にはこの救済措置精神的にありがたかった。第2希望学科入学していたらと思うとぞっとするけれど。

決して誰でも入学できるところではないことは、1浪して入ったので重々承知している。

東大京大国立医学部に生徒の多くが進学するような進学校ではなく都内の中堅校から入学できたことは、自分のしょうもない人生の中での成功体験の1つだ。

だが同時に、このような小賢しいコスパを考えながら合格最低点ギリギリで入れるように1年の足踏みを経て入ったわけで、その努力と結果に対して謙遜するつもりもあまりないがかといって人に自慢して触れ回れることでもない。

「近場にあった中で一番レベルの高いと言われている工学部」という理由近畿圏進学校から入学したような地頭の良い人たちを見ると、「京大生」というワードはきっと彼らのためにあるのだろうと思う。その結果、大学名を言わなきゃいけない時には無意識に「一応」とつけてしまう。


世間話をするにも、相手立場がわからないのでは会話のしようがないのはわかる。「お仕事は何されてるんですか?」「まだ、学生です。」それで、良いではないか。なぜそこでさらに「何大?」まで聞いてくるのか。

その日その瞬間は軽く世間話をしたりする程度の、そんな名前も顔も1日経てば忘れるような人間に、なんで大学名まで聞かれて、嘘偽りなく答えたこちらが、気まずさを感じなくてはならないのか。

過剰に「凄い!!」と反応されても以上の理由から京大生」として喜べないし、かといって大学名を聞いた途端にあからさまに「こいつはいけ好かない奴だ」という目になられても困る。

そんなことを、髪を切りに行った先の美容師、服を買いに行った先のショップ店員、飲みに行った居酒屋で隣に座ってたおっさんに、感じた。

2017-04-05

女子学生職業観が大雑把であるらしい

今年も新規採用者が入社してきたわけですが、人事では早くも2018年度の採用準備に入る模様。

で、全員ではないのですが、女子学生大学生)の職業観結構大雑把であることが多いらしく、オフィスワーカーを目指すのは良いとして、そのイメージがいきなり天海祐希テレビ映画で演じているような管理職またはそれに近い総合職になっていて、「とてもあんなの私にはムリ」となる。

おまけに、昨年電通自殺した高橋まつりさんのイメージが加わると、もっと腰が引ける。

次善の策として、出版社アパレルメーカーデザイン担当のようなイメージになるようですが、こっちはこっちでセンス重要ですから、これもムリとなる。

そうなると、就活から身を引いて婚活に走る人もいるわけですが、主婦を目指すのは良いとして、自分母親イメージするとパート勤めをしながら育児家事に追われて、「あんな惨めな人生はイヤ」となる。

結局、落ち着くべきところに落ち着くのでしょうが、なんだか揃ってテレビ女性雑誌の見すぎじゃないかなぁと思うことしきりで、就活はいかに早く現実を見据えたか勝敗の決めてになるのではないかと思います

地頭(じあたま)の良い人は、自分能力をよく知っていると同時に限界も知っているからムリのないところにターゲットを絞って就活しているようです。

2017-03-22

プロブロガーに産まれたことを呪う

大学には現役で入ったが、第一志望の大学ではなかった。

これがよくなかった。



もともとは地頭だけは良いほうで勉強しなくても大学はいれるものだと思いこんでいた。

気がついたら、どこも入れる大学が無いことに気が付き、高3の夏から勉強をして地方では

そこそこ有名な大学へ入った。

(とはい地元国立の滑り止めだ。数学はやらなかったので、国立はあきらめた)



勉強したくもない経済学を学びに4年間も大学へ行った。

彼女は欲しかったが、持てなかった。これも生まれつき容姿が悪いせいだ。



そのことで自分に自信がもてず、就職活動は40社ほど全滅だった。

残された道はプロブロガーしかなかった。



そこで有名ブロガーサロンへ入ってみた。

プロブロガーになるには、顔出しすることがポイントらしい。

キモメンの顔をさらしても仕方がないと思ったが、

さらさないと生きていけないと言われたので、顔も実名も出した。

プロブロガー誕生である



しかし、これが失敗だった。

中途半端大学就職もろくにできないキモメンわたしですよ!

誰がこんな化物のブログを読みたいだろうか。



みなさんはリアルに後ろ指をさされた経験はお有りだろうか。

わたしは、どこにいっても、あいつがプロブロガーだよ。あははは。と笑われている。

こないだは、小学生散歩していた犬にまで笑われた。



こういうことを書くと大脳が壊れた哀れな末路とかすぐに言う愚かな人がここには入るが、

リアルに笑われた経験が無いからそう思い込むのだろう、ある意味幸せ人生だと思う。



とにもかくにもこうしてプロブロガー誕生した。

次のプロットサロンを開設することらしい。

から笑われつコツみたいものなら共有できるかもしれないと、犬の飼い主が言っていた。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170306194603

そう。

不適応になる可能性が高い→二次障害などを発生する確率が高い=不幸になる可能性が高いと論拠は示してますよ?

これのどこがオカルトなのか意味不明だわ笑

これが論拠になり得ると考える、地頭の悪さが問題なんだよね。

これは、人が幸不幸を判断する上での要因の総体考慮できていない。

説明のために仮の数字を出していこう。

人が「自分が不幸だ」と判断する要因の総体100とする。

そのうち遺伝的要素が50、環境不適応の要素が10であったとし、残り40は雑多なものとして今は考慮しない。



Aさんは、環境不適応10)だが、遺伝的に不幸を感じにくいタイプ(0)

Bさんは、環境不適応ではない(0)が、遺伝的に不幸を感じやすタイプ(50)

さて、AさんとBさん、どちらが不幸になる確率が高い?

小学生レベルの数の比較だよ?

2017-03-03

給与を決めてるのは誰?

給与が決まるのって人材需要供給バランスなんだろうけど。



例えば教師ってもっと狭き門にして給与高くするべきじゃない?

ほとんど誰でもなれる職業からあんゴミみたいな教師が溢れるんだよ。


逆に広告代理店とかテレビ局なんか、人柄も地頭もいらなくない?

そんな優秀な人材採らなくても仕事回るくない?

給料高すぎじゃない

2017-02-23

自然ママ?なのか?めっちゃ怖い

ひょんなとこから自然ママというか色々過敏なお母さんと知り合った。

元々は関東に住んでたけど、3.11以降お子さん2人連れて「放射能疎開」(本人がそう言う)してきた、らしい。

電子レンジ電子機器から電磁波身体に悪い」「牛乳身体に悪くて、広まってるのはアメリカの陰謀だ」等々、正直言って、こうばしい事限りなし。ワクチンの事は怖くて聞いてないけど、好きじゃなさそうだなーという感じ。

ただ、本人自体はご立派な外資に勤めてたらしいし東京にいるご主人もふんわり聞いた話だと高学歴っぽいお勤め先で、言ってはなんだけどすっごく地頭が悪い訳ではなさそう。でも、不安を煽られての刷り込みに弱そうというか、水道管に取り付けて悪いヤツ除去する詐欺商法に引っかかるタイプというか。

自分子どもいないけど、知人のわりと普通なお母さんとかが日々こういうタイプのお母さんともにこやかに交じり合わなきゃいけないのだと思うと、めっちゃ大変だ、と思った次第。

2017-02-12

絶望的に口語能力が低いことに気が付いた

小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。

中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。

地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つの関の山だった。

卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分地元市役所に無事入庁できたものの、仕事説明どころか市長挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。

研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。

休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。

通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。

社交不安障害だといわれ、ワイパックスラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。

休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。

今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。

仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。

自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分説明をする時にも、何を言いたかたか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問意味が処理できず、そしてパニックになる。

コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。

機関とある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。

トップレベル口語能力が欲しいとも言わない。仕事必要口語能力が欲しいのだ。

そろそろ私は大台に突入する。その前に人並みの口語能力を手に入れたいと考えている。

もし私と同じような境遇で、そこから脱却できた人が居たら、方法があれば、教えてほしい。

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。


 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。


 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。


 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。


「1位を取ったらデートしてください」


 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。


 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。



 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。


 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。


 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。


共犯者だよ、君も捕まる」


 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから


 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。


 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。


 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。


 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。


 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。


 せんせぇ、さようなら


 はいさようなら


 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20170210160426

釣りにしても酷いぞ

中学までの勉強なんて宿題こなしてるだけでいい点取れるだろ

宿題泣きながらやるってなんだよw

あんなもん阿呆らしくて手をつけないか

さらっと終わらせられなきゃ駄目だろ。滓ボーイ。



出来てたことが出来なくなる不安とか、

どんどん壊れていく自分に対して心無い周囲がストレスになるのもわかるよ。

でもただ沈んでいくことって馬鹿とか聡明とか有能とか無能とかそんなの関係なく誰でも出来ることなんだよ?



どうにかこうにか足掻いて再浮上してきたときにはじめて

その苦労や忍耐、厚労は形になるのさ。



それにしても

よくこんな地頭の悪そうな纏まりに欠いた文章をつらつら書けるな

狙ってわざとそうしてるんだから大したもんだなお前

2017-02-06

教わんなきゃ何もできない指示待ち人間が偉そうに

教えてくれなかったか俺様はこんな惨めな境遇にいるんだ、という勉強だけしかできないお利口なバカキャンキャン吠えてるわ

大体教えたって覚えなきゃ意味がねえだろ

自分の頭で考えないでただひたすら人の言うことだけ聞くようなバカが、

地頭を鍛えて人生を生き抜く生活力なんか身につくわけねえよ

っつーか、世の中が教科書通りでないことに苛立ってる世間知らずのバカほどこういうこと言うな

教科書通りにいかなければ、いかにして自分自身教科書に載っていない現象分析して、

それに対応するかという力がなければ世の中まともになんて生きていけねえよ

そんな生き抜く力すら教科書で教えろとか言ってるバカって絶望的に救いがねえわ

どんなに知識を詰め込んだところでお前らが人生で栄冠を勝ち取ることは一生ないか安心しろ

せいぜい世の中が悪い社会が悪い国が悪いと人のせいにし続けて惨めな人生を送りながら人知れず死ね



http://anond.hatelabo.jp/20170204214653

2017-02-05

勉強することで得るもの

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930

 

これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。

自分田舎公立高校出身で、受験に対する姿勢勉強に対する姿勢も弱い環境だった。

親も高卒だし、大学東大京大しかしらなかった。

それが高3のある日、友達勉強勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。

まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。

ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。

そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、

私の意見が参考になれば幸いです。

 

勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。

これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してから技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。

高卒でもアパレルコンサル飲食起業して稼いでいる人もいっぱいいる。

厳密な知識学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。

勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分行列群論複素関数なんて一般の人は使わない。

から自分生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。

幸せかどうかも周囲との相対的ものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。

 

だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。

 

1つは、論理が通じる集団に属せるということだ。

元増田の娘は頭がいいだろう。論理的物事を考えることができる。

その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。

こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?

なんて考える機会が圧倒的に減る。

理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。

泣く子と地頭には勝てないというのは、論理対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。

から自分論理的な行動を大切にしてしま場合論理的集団所属することが幸せになる重要な条件となる。

 

2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。

自分けが幸せでいいなら不要かもしれない。

だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識必要となってくる。

発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。

また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的戦略必要となる。

自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。

そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間多数派になった時に割りを食う可能性もある。

から、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識経験必要になる。

自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。

 

3つ目は、学歴チャームだ。

チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。

転職就職でも学歴があれば相手見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。

それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかしか是非を判断できなかったりする。

そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義人間から不条理差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ

それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。

もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。

そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ

 

大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強必要だなあと思っている。

経験勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。

人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。

それを防ぐためにも主体的自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強重要だと思う。

ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。 

 

余談だけど、学歴けが欲しい人ってのは受験仕事で使わない知識経験を軽視しすぎていると思う。

経験知識の一部なんだけど、俗的な合コンナンパクラブゴルフ登山サーフィン釣りスポーツなどなど、

どれも勉強になる面はあると思う。

理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑

理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)

なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。

2017-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20170201080045

じゃあ夫1000万妻500万くらいの共働きなら

住まい港区、もしくは世田谷区ファミリーマンション子どもは2歳違いで2人いて、できればお受験をさせて私立に通わせたり。あとは1年に1回くらいは海外旅行

ができるかというと、無理だよね。

妻の500万は時短になり残業も出来なくなれば300万くらいに目減りし、大半が託児代と家事外注代で消える。

幼稚園小学校お受験は当然無理で、中学受験も親がろくに手を掛けられない状態で上位校に行くには

余程地頭が良く真面目な(親の目が無くても勉強出来る)子でないと無理。

親の目が無いから、変な仲間に引き込まれいか、を考えなければならない状況(そんな子がいないような地域に住むには更に金がかかる)で、

学童対象年齢が終わっても放置子状態を防ぐ為に塾だ習い事だと行かせりゃ金など吹っ飛んでいく。

海外旅行も親の休みを合わせないといけなくなるし、ハイシーズンだとバカ高くなるし。



妻も1000万ってならもうちょい余裕が出るだろうが、

2人も出産して1000万の収入を保てる時点で普通会社員じゃない。

(つか自分がその収入なら、夫に1000万の収入を求めるのは単に同等の人を求めているだけだし)

2017-01-30

中学受験をする予定の娘の親の日記 入塾の事前説明会

1 ざっくり言うと

(1)中学受験視野とするため、今年の4月から小4になる長女を入塾させることにした。

(2)入会金を払い、父親である私が1月に行われた事前説明会に参加した。

(3)いざ説明会を聞くと、これから学習がかなり大変に感じられ、

  漠然とした中学受験イメージが、リアリティを伴った不安感に変わった。

2 塾選び

  とある全国チェーン展開をしている塾の入塾テストを受けて、娘は合格をしていた。

  家族会議の結果、新小4から入塾させることになった。

  この塾を選んだ理由は、以下のとおりである

 ・中堅クラスの進学実績は悪くない

  あんまり地頭の良い子ではないため、桜蔭女子学院等のような高望みはせず、

 中堅クラス中学を目指すことができれば御の字であると考えた。

  また、あんまり高望みをして、レベルの高い塾に行くと、周りの秀才に気圧されて

 くたびれてしまい、良い結果を生まないことが考えられた。

 (私の娘は負けず嫌いである。ただし、勉強はできる方ではない。)

  そこで、サピックスのような進学実績トップクラスの塾ではなく、

 あえて中堅の進学塾である、この塾に入れてみることにした。

 ・結構近い

  徒歩で5〜6分で行ける。

  小学4年生とは言え、塾がおわって家に帰り着く時刻は

 夜8時近くになるので、できるだけ近い方がいい。

  他にもっと近い塾はあったが、進学実績がイマイチだったのでこの塾にした。

 ・小学4年からやらないと間に合わない

  中学受験特殊であることは前から知っていたが、その範囲も膨大である

  例えば社会一つをとっても

 塾では小4で地理、小5で歴史、小6で公民を教わることになる。

  塾を途中から始めるとなると、自力地理歴史勉強しなければならない。

  

3 入塾説明会

 ・ほとんどお母さんが参加していた。夫婦で参加している人もいたが、父親は2〜3割くらいであった。

 ・先生が、1時間まるまる喋りまくりであった。逆に言うと、それだけ情報量が多い説明会であった。

 ・山のようなテキストを見て、「うわぁ、娘のテキスト多すぎっ・・・!」と思った。

 ・3月には合格実績発表会等が予定されており、ほぼ毎月何かしらの保護者向けのイベントがあるようであった。

4 所 見

 ・この教室には、基本クラスと応用クラスの2クラスがある。

  娘の入塾テストの際は、基本クラスという案内を受けていたのに

 びっくりしたことに、応用クラスになっていた。内心は嬉しかった。娘も喜んでいた。

  が、入塾テスト国語60算数48という偏差値であり、いか算数を向上させるか、

 今後クラス落ちさせないかポイントになると思った。

 ・テキストがめちゃくちゃ多い。しかも難しい。

  娘は勉強をする習慣があまりついていない。そこそこの量をパパッとやって

 すぐにゲーム漫画に移ってしまう。

  今までの娘の進研ゼミに対する姿勢なんかを見ても、放置していれば、

 おそらく絶対にやらないだろうから、かなり親が関与する必要があると思った。

  塾の先生も言っていたが、勉強する習慣とサイクルを半年から1年かけて醸成

 する必要があり、これが最初の一番の山場なんだろうと思った。

2017-01-29

男性男性でいるだけで性的加害への物言わぬ加担者だというなら僕は喜んでこの性器を切断する。

いや「する」というか「した」ですが。


最近話題男性保育士問題、私達のような当事者的にも琴線に触れる人は結構いるんじゃないかな。(いてほしい)

もちろん第一義的には「性自認と肉体に対する違和感」がくるけど、それがどれだけ耐え難いかは人によって違うし、実際に手術にまで踏み切るかどうかは

社会との関わりの面で色々な要素があるから、「違和感を抱えつつも社会的にはもとの性別のまま生きる」という選択肢を取る人もいます。(結構いるよね?)


損得勘定したら私の場合は明らかに大損きわまりない。

東大合格者数で3本の指にはい高校から東大(か京大かもね♪どっちかです)の理工系学部大学院までいったけど、まともな就職先に引っかかることができなかった。

ほんの数年前でも""LGBT""に対する""理解""が今よりだいぶ違う時代だし仕方ないけど、なんとか食いつないでいける程度ではなんのためにがんばってきたんだろう?



それを肯定できるほどの身体違和感があったかというと、今となっては正直わからない。

性別移行してからだいぶたつし昔の感覚をもう思い出せなくなってるけど、いわゆる「物心いたこから…」みたいなわかりやすストーリーじゃなかったのは確かだ。

そんな私にいつも通奏低音のように響いていたのが、この「物言わぬ加害者としての男性性」の問題だった。



歴史教育では「日本人である」っていうだけで同級生中国人朝鮮人に引け目を感じ、

小学校時代地元の友人から「親からいい地頭をもらったな」と嫉みを買うことに引け目を感じ、

他のMtF当事者から「素材に恵まれいるかパス度高くていいですね」みたいに暗に示唆されることに引け目を感じ、



そしてこういう話題があがるたび嫌でも思い出される、

男性男性であるだけで女性への性的暴力に無言のうちに加担しているんだ!」と言わんばかりのフェミニスト言葉に引け目を感じ、



どれもこれも私が自分から望んで得たものじゃないんだ、生まれつき勝手にこの国籍、この性別、この頭脳、この顔面、この「私」になってたんだ。

それでも自分のせいで辛い思いをしている人がそんなにたくさんいるなら、それなら私なりに誠意を示す必要があるでしょう?

私が「私」であることに対する私なりにできる精一杯の謝罪として、私はこのスティグマを切断する、という落とし前をつけたんだ。



今のところこの謝罪はうまくいっているようで、個人的には身体的な違和感から解放されたし、

いろいろと人生再チャレンジもできそうにないアラサーお姉さん(おばちゃんか)として社会の隅っこでちんまり過ごす人生に後悔はない。

でも、だいぶ昔にさよならを告げたはずの「男性性」の舞台の上で今日も悪意のない人達が、悪意のない故に自らの存在のものに対して申し訳無さを感じているのを見ると、

自分の生まれてきた姿形を呪って布団にこもって泣きじゃくった昔の私を思い出して、どうしても他人事のようには思えないんです。



もちろんだからといってネイティブ女性に「男性性を不快におもうな!」というつもりは毛頭ないし(でなければ私もこっち側に来なかったよ!!)、

現実的には個々人の間でちょっとずつ信頼を醸成していく以外にはないんだろうな、とは思うけど

両方の性別から観点に同じように「うんうん、わかるよその気持ち」って思っちゃうぶん2倍つらいね

いいたいこととっちらかったけど、こういう意見をすくい上げてくれるような社会運動ってあるのかな?

フェミニストの人たちはやっぱりちょっとこわいな…

2017-01-14

あーーーーーーーー有能共が全員死ね

コミュニケーションができる野郎イケメン野郎スポーツができる野郎手先が器用な野郎地頭が良い野郎知識がある野郎絵が描ける野郎エッセイが書ける野郎小説が書ける野郎物語が作れる野郎曲が作れる野郎面白いことが言える野郎プログラミングができる野郎あとその他特技がある野郎ーーーーーーーー

あーーーーーーーーーーーくそくそくそこsくsskすspsくそくそくそkすおsくそ

俺に持ってない物を持って楽しそうにしやがってkldfhvgkvffcpkrlぎじぇhtglhぎてgkh、きgh

くそーーーーくそがしね

2016-12-26

山本一郎やまもといちろう) @kirik

恋愛工学がどうとか言ってる国際証券自称アナリストの話をリテラあたりが書くと面白いんだがな」

Kazuki Fujisawa @kazu_fujisaw

藤沢数希金融日記管理人恋愛工学メルマガ発行。工学部ポスドク崩れ、日系金融機関自称アナリストトレーダーを経て、作家ワナビー外資系バックに転職するもリーマンショック首に。以降無職地頭が悪過ぎ物理学者金融業になれなかった高学歴へのコンプレックスから来る誹謗中傷しか呟かない蛆虫です。

2016-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20161222004326

確かに正論だし、今もそれなりに売り出しにサポートを受けているアーティストの多くは同じような道を辿っていると思う。

だけどそれは音楽業界だけじゃなくて世間一般に言えることで、本来的には地頭の良さのみで入社したところをじっくり上司が育てていくべきなシステムは既に崩壊しており

新卒入社する学生あがりにすら即戦力を求める時代になってる。

誰にでも簡単曲作りできるツールっていうのもそういうのの延長で、これから音楽事務所所属したいっていう人やバンドへのハードルはかなり高くなってる。

そういう意味ミスチルの頃のインディーズからメジャーギリギリレベル現在インディーズからメジャーに上がりたての頃のレベルはかなり離れているとも言える。

結局のところ現在それなり成功している世代がその下を同じ方法論で育てるというシステム完璧崩壊しているということだ。




もっとも言わせてもらうと、作曲者編曲者が完全に分離した仕事になっているのは日本独特の業界構造なんで

もう何十年かしたら欧米風にその境目がなくなって、優秀な作曲者編曲者が同じになってくれるんじゃないかとも思う。

ていうか今の「作曲者」ってそう名乗っていいの?みたいな仕事しかしてないだろ。

2016-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20161220185313

アトピーゾンビウイルスの痒みに常時思考力を奪われているから頭が悪くなってる。

地頭はいい。たぶん悪くないと思う。アトピーゾンビウイルスがおとなしかった時の成績は学年上位だったですし。

馬油は痒くなる。アトピーゾンビには合わなかった。

2016-12-09

水野しずインタビューの無理さ

あそこまで相手ダメさが読み取れるのであれば説教しても無駄というのも同時に分かるはず。それを優しさとか愛って解釈するのはみんな好意的すぎるなと思う。

水野しず自身が、インタビュー積極的にしたくなるほど面白い人物ではないかインタビュアーがやる気がない、という可能性がはなから排除されているのでは。

何かに似ているんだよなと思って考えたらかつてのひろゆき対応に似ていた。

地頭がすこし平均より良いというのを武器に、平均か少し下の人に対してフルボッコにするというポルノ

全ての行動が強い自己愛によって駆動されてる。一言で言えば下品

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