はてなキーワード: 地頭とは
⚫︎2. 技術的なこと
コミュニケーション力とか地頭とかふんわりしたこと言われるけど、もう少し具体的に言語化したらこんな感じになるんだと思う。
エンジニアとしての身内からの評価が高いのはデバッグ能力とか設計能力とかだけど、結局マネジメントからの評価だったり社会人としての評価は年収に関係あるのは前半に書いてあるような技術とは直接関係ない能力だったりする。
プログラミングスキルが低いとか、その程度で無能とか言っちゃうのやめてもらえないですかね?
弊社、採用した社員がdocxとpdfの違いすらわからないとかゴロゴロなんだぞ。
それに呆れて説教する社員の説明が、印刷して押印してスキャナで取り込んだものがpdfとかいうんだぞ。
事務用品買うのに、今までは複写伝票に書いて出してたのが、Excelで枠作ったとこに入力して印刷して押印して出すようになったら手書きより読みやすくてDX万歳とかいう昭和以下の生産性なんだぞ。
一般職だからとかじゃなく、総合職、つうか部長級、取締役級だって、ゴミ。
ちょっといい学歴だったとか、少し英語が喋れたとか、ようわからんけど昔偉い人に気に入られたとか、偶然が重なって出世しちゃっただけで、地頭はゴミだよ。
だって、どいつもこいつも年末調整の書類すら満足に埋められやしない。
そんなわけで、プログラミングスキルが低いくらいで無能とか言うなよ。
なんならうちの会社で働いてくんない?
全方位に有能ならとっくに起業しとるわ。
防衛大は入った時点で自衛隊に就職できることがほぼ確定している。
同じように、旧帝大の学生は入学した時点で公務員(準公務員も含む)になれることはほぼ確定。
みたいな感じにしてやったらいいと思うんだけどどう?
県庁の総合職、技術職、(もうちょい待遇を上げた上で)国公立小中学校・高校の教員、国公立図書館司書、国公立美術館・博物館の学芸員など
これらには、よほど成績が悪かったり素行が悪かったりしない限りほぼ確実になれる。
旧帝大に入れる時点でそれなりに性格も真面目で地頭もいいだろうから、仕事は務まると思う。
もちろん公務員になるには旧帝大じゃなきゃいけないってわけではなくて、他大卒用の採用枠は用意する。
あと旧帝大に入ったら絶対公務員にならなきゃいけないわけでもなく、民間就職したければしてもよい。
いや、なんというか、
能力的には申し分ないんだから、さっさと国が雇って、国のために働かせればええやん。
芋っぽくて大人しいけど真面目で優秀な彼らには公共の仕事がうってつけでしょ。
なにSPIで小学生レベルの算数解かせてんねん。コミュ力とか容姿で落として自信失わせてんねん。
嘘のエントリーシート書かすな。
そんで「就職できなかったらどうしよう・・・」ってビクビクさせるんだろ?
あと、優秀層の囲い込みという意味もある。
旧帝大でも垢抜けていてコミュ力抜群なやつはいるけど、結局、そういう層は外資に取られてんじゃん(特に東大)。
外資に取られるくらいなら、日本で公務員やってくれた方が良くない?
大学で研究して新技術を開発したり、歴史・文化の保護をしたり、地域のために働いたり、子どもの教育に携わったり、
そうしてくれた方が良くないか?
学歴社会叩きとか公務員叩きとかあるけど、そんなの全部嫉妬じゃん。
ちゃんと社会全体で優秀なやつを持ち上げて(上手いことおだてて)、安心して活躍してもらった方がええに決まってるやん。
変に引き摺り下ろそうとするから、民衆に敵意を抱いたり、自分の利益しか考えなくなったりするんや。
旧帝大生の人生を保証してあげることで、安心して国の発展のために働いてもらう。
だと思うんだけど、どう?
【追記】
別に低学歴をいじめろとか一言も言ってないのに、みんな意地悪やな。
若い世代がどうして安楽死を求めるかといえば、それはもう自分が死ぬためしかない。
多くの人間が考えている。自殺はなかなか出来ない。だから事故とか災害とか、あるいは事件で唐突に死なないかと毎日のように望んでいる。そうすれば「自殺した馬鹿野郎」でなく「社会のために生きて死んだ立派な人」になれる。
逆説、今の社会で死ねるのはその苦しみを乗り越えた勇気と正義感のある者しかいない。自分の弟はその一人だった。
彼がどんな人間かと言えば、簡単に言うと頭のいい、賢い人間だった。地頭を生かして国立の工学部を現役で卒業していた。ただ就職は上手くいかなかったようで、30手前にもなって小さい企業で年収400だか500万(詳しくは忘れた)の平社員をしていた。結婚はおろか彼女も作らず、友人とゲームに興じていたらしい。遺品はゲームのハードとソフトの山だった。
まぁ、今時の巷の言葉では弱者男性だとかジャップオスとか言われる手合い。即ち、現代日本においてもっとも蔑まれるべき命であった。だから死んだ。彼は賢かった。動機とかに対しては色々な情報が断片的にしか得られなかったし、妹とも「世の中が悪い」みたいな形で合意したけど、その断片的な情報から自分は「世の中のニーズに応えた」が本質的なところだと思った。
しかし、遺体と対面した瞬間に自分が(悲しいけどこれで少しは世の中が良くなったかな)と思った脇で、妹は泣くどころか呼吸困難に陥っていた。父親は陰謀論みたいなのは一切信じない人間だったはずが、一時は「誰かが裏にいるに違いない」みたいな思考に陥っていた時期もあった。親から見ればあれでも死ぬ要素のない真人間に見えたようで。ともあれ、それが無くとも金銭的にも色々と飛んだ。とにかく家族が大ダメージを受けた。
ひどくない?せっかく世間の要望を受けて死んでくれたのに、世間的には「勝手に死んだだけ」みたいな扱いをされて、遺族だけが一方的にダメージ食らって終わっているの。いやまぁ、わかる。彼は有害な人間の中でもまだ無害(?)な人間だったから。世間に対する害が顕在化する前に予防策をとったとも言える。だから、繰り返しになるが彼は賢かった。でもこれでは駄目だ。もっと彼より愚かな、救いようのない人間に死んで貰わないと世の中は良くならない。頼むから彼よりもダメな人たちは、早く後を追ってほしい。
これは自分にも言い聞かせている言葉だ。本当であれば今すぐにでも死なねばならない。リーマン後の地獄の就活の末に今の給料は彼よりも下かせいぜい同程度。若いときに色々あって女性恐怖症なので子孫も望めない。この世から去る理由は無限にあるけど、残るべき理由など一切ない。実際のところ、彼より先に自分が実行すべきだったのだけど、順番が入れ替わったせいで出来なくなった。だから余計に問題は悪化した。無理でしょ。これで自分も同じ事やったら、妹が呼吸困難どころかマジで命を落としかねない。
だから安楽死制度が必要なんだ。本当はそれで今頃は自分と弟が穏便にこの世を去っているのが理想だった。老人や障害者が追いやられる懸念はわかる。なら簡単な話で、50以下の健康な男とでも限定すればいい。とにかく、死にたい若者が簡単に死ねるようでなければ一向に世の中は良くならない。そもそも、みんな人の命に対して無責任すぎる。この社会からいなくなって欲しい。けど、社会の為に死んでもらった扱いにはしたくない。あくまで自己責任。そんな生かさぬよう殺さぬよう、では駄目だ。みんなで責任を持って、しっかり死ぬシステムを構築しなければ。
これからも自分は安楽死を求め続ける。自分のために、自分の死を願う世の中のために。うかうかしていると40、50と年を重ねて、どんどん死ねない環境になってしまう。安楽死に賛同をし続ける一方で、自分自身でも早く死ぬ算段を完成させねば。おい聞いているか、自分と同世代やそれより若い駄目人間共。みんなもちゃんと準備しとけよ。わかったか?
かなり長くバナナムーンを楽しく聞いてたが、たまに見せる日村の過分な物の知らなさと、その言い間違いや勘違いをうまく補足したり言語化したりできない設楽の能力不足・知識不足に辟易して聴くのを辞めた
設楽は若い時分はヤンキー上がりでろくでもない人だったんだろうと想像させることをよく言うけど、今は勉強が好きになって海外で歴史を学ぶのが大好き、などと調子のいいことを宣う
成長は悪いことではないけど、"かつて悪魔だった人間"らしい意地汚さや地頭の悪さみたいなものが垣間見える
この人がのうのうと昼の帯を任されて、多方面から評価されるのがとても悔しい
石橋貴明も似た理由で嫌いだけど、彼は言語野の発達をしっかりと感じさせてくれたし相方に恵まれていた
日村は発想も行動もおもしろくて、人間としても素直でおおらかな人で尊敬できるけど、無知過ぎてラジオではフラストレーションが溜まるタイミングが多い
えげつないほどじゃなくていいけど、少しは評価が適切になるようなスキャンダルを起こさんことを、切に
長くなったので結論。時間の無駄だから彼女のことを気にするのはやめよう。
(元)ビリギャルが以下のようなツイートをし、死ぬほど叩かれている。
『「努力出来る人と出来ない人がいるんだよ」と言う人いるけど、それって「努力出来ない人」なんじゃなくて、ただ「努力したくない人」なだけなんじゃないかなと思うんだけど、どうかしら。』
https://x.com/sayaka03150915/status/1764464963853144499?s=20
教育を学ぶ人間としてあるまじき発言ではあるけど、彼女にきっと悪気はない。
知っている人は知っていると思うけど、ビリギャルとは頭の悪いギャルが一発逆転で有名大学に現役合格!みたいな話。
しかし、ビリギャルは別に頭の悪いギャルではなくただ私立校でやる気をなくし落ちこぼれていただけで、地頭が良い+実家がまあまあ太めで教育費もがっつり出してもらえていたというのがもともとの叩かれポイントだった。
その背景があり↑のような発言をしたことでかなりヘイトを集めている。
今回なぜ彼女の擁護を勝手にしようと思ったのかというと、彼女は自分にとても似ているから。
小金持ちの親の希望で中学受験をして地方の有名私立に入学したものの、やる気は出ず学内で落ちこぼれた。
でも地頭は悪くはないので高校ラスト1年だけガチって旧帝に受かった。
だから自分は地の底からはいあがってきたような認識だったし、自分にできることができないってどんだけサボってるんだと周りを見下してた。
しかし就職してから自分では太刀打ちできない化け物エリートたちや、貧困の連鎖から逃れる気力すら奪われてしまった人たちと接することで自分の考えのゆがみに気づき恥ずかしくなった。
自分にもまだまだ直すべきところがあるけど、少しだけゆがみがとれた人としてビリギャルの擁護?をしたいと思う。
【恵まれていない人のことは眼中に入っていない】
おそらくビリギャルは自分と同じように、「決して貧乏ではないしむしろお金持ちの部類には入るだろうけど桁違いのお金持ちにはかすりもしない」みたいな家庭に生まれ育ったと思う。
実はこういう層が一番自分に甘く人に厳しいみたいな人間に育つ確率が高い気がしている。
生活の心配をすることは決してないけど手に入らないものも多いので親がよっぽどしつけないと色々なことにおいて感謝の気持ちが薄くなる。
そして本人においても絶望的に頭は悪くないものの天才にはかすりもしないので「どれだけ努力したか」に価値を見出したがる。バカになる勇気も天才についていく根性もないから。
そしてそこそこの結果を出すことができたら「ほら、私は頑張った。あの子は頑張ってない」と思い自分を上に置きたがる。
そういう気持ちをひっぱっているので今回の炎上ツイートのような感じになったのだと思う。
というか、彼女のツイート自体は間違ってはいないと思う。実際に何かと努力をしない言い訳を見つける努力をしている人はたくさんいる。
もちろん努力をすることすらできない恵まれていない人はたくさんいるが、彼女は今回そういう人のことを書いたのではない、彼女は素直だからその時に自分が思ったことを書いただけ。
しかし彼女は自分がどういう人で、どういう風に見られていて、このポストをしたら人がどう思うのか分からなかった。それは30後半の人間として、教育を学ぶ者としてかなり致命的だったと思う。
【自分に対する批判=おかしい、かわいそうな人たちという考え】
上記の通り、バカでも天才でもない自分を受け入れられない人は上を見ることも下に落ちることも辛いので、自分を下に落とすような行為は絶対に許せない。
なので批判をされるということを極端に嫌う。絶対に自分の非を認めないし徹底的に反論したくなる。
実際彼女は「ビリギャルはビリギャルじゃなかったのでは?」というような意見にずっと反論している。
正直大人として「そうですね、恵まれていた環境にいたことは感謝しています。今後、自分の環境が整ったら塾に通うことに金銭面や精神面で抵抗がある子供たちの助けになるようなことをしたいです」くらい口だけでも言っておけば叩きは弱くなったのにと思うけど、そういうこともできないくらい「私は正しい」を発信することに熱心である。
「ビリギャルは、元々頭が良かったんだよ。」という記事でも自分への批判に対する批判ばかりで自分の言動を省みる言葉はひとつもないし、誰だって才能があるし輝けるんだよ!という恵まれていない立場の人の神経をよけい逆撫でするような気休めのポエムで締めくくられている。
https://note.com/sayaka_suto/n/n48f400487ba6
『ここってまじで幸せじゃない人多すぎて心配になる... Please take care of yourself』
https://x.com/sayaka03150915/status/1766720264769794097?s=20
ここまで書いておいて雑な終わり方をするけど、小林さやか氏には決して悪気はない。
ただ自分の悪い点を認めることができず、そうしなくても生きてこられたからそうする必要もないと思っているしそんな発想もないだけ。
そしてこれからもそう生きていくことができる。なので小林さやか氏にかまっている暇があったら筋トレでもした方がいい。今すぐミュートしよう。
私はゲームが好きだ。
だが今は、自分の遊びだけでなく、1歳の子供に色々なことを教えている。
これは、「教育熱心」「子どもの将来のために」なんて温かみのある話ではなく、
ゲームプレイヤーにとって競争相手は強ければ強いほど好ましいものだと思う。
遠回しなことをせず、友人や市井の相手を探せよと言いたくなるかも知れない。
しかし、長い時間オフラインの活動を共有でき、十分なリテラシーと社交性と競争心をもった
盟友を探すことは、大人にとっては、それほど簡単なことではない。
そこで私は、我が子を理想のプレイヤーとして育てる壮大な計画を実行することに決めたのだ。
ゲームに強くなるためには先ずは地頭を良くすることが必要だろう。
記憶力は高いほどよいし、論理パズル、数理パズルはできればできる程よい。
ボードゲームの複雑なルールに親しむためには、色々な遊びを偏りなく経験することも糧になるだろう。
ゲームを背景まで深く楽しむには科学、経済、歴史、地理、芸術、音楽あらゆる文化についての教養が身についていればいるほど良い。
ボードゲームの中でも重ゲーをやるためには長時間のプレイに耐えるために、体力づくりだって必要だ。
紳士的なプレイのためには社会的で協調性も持っているべきで、広い友人関係も築いてもらう必要がある。
このように学ぶべきことは無数にあるが、子供は詰め込み教育や押し付け教育を嫌う。
どんなに大人が急ぎたくとも、子供がそのペースに進んで付いてきてくれるわけではない。
だから、あくまで遊びの中で、褒めておだてて、根気強く各種のスキルを身に着けさせていくことが必要となる。
フラッシュカードやメモリーゲーム、ジグソーパズルのような基礎的なゲームから初め、
音楽や体操など、五感を使ったあらゆる遊びの中で楽しみを与え、無意識のうちに少しずつ染めていく。
この計画は、今のところ功を奏しており、月齢にしては極めて順調に言葉と知恵を獲得しているように見えている。
だがしかし、実行してみるとよく分かるが、光源氏計画には思っていた以上に気の遠くなるほど長い時間と熱量がかかる。
確実に一歩ずつ進んでいることには間違いないが、困った話だ。
しかし、理想のライバルを一生得ることができると思ったら、やる気も続くというものだろう。
そうは思わないか?