はてなキーワード: iPODとは
1980年代、僕が子供のころ歌謡曲はきらきらと輝いていました。
そのころ田舎にもあったローラースケート場には、光ゲンジの曲がかかっていたと記憶しています。
父に連れて行ってもらったのですが、1940年代生まれの父がひどく年取っているように見えました。
ここから出れば、歌詞にあるような世界に飛び込んでゆける、子供の僕はそう思いました。
1990年代、僕は青年になり普通にメガヒットを消費していました。
その時思ったことは、「もう80年代じゃない」ということでした。
そのうち歌謡曲はJpopと呼ばれるようになりました。
僕は無邪気さをやや失いましたが、それでもまだ、歌にうたわれる世界がどこかにあるような気がしていました。
2000年代はじめころ東京、深夜のコンビニの有線でヒット曲を知りました。
流行っているものは仕事帰りに立ち寄るコンビニで流れていました。
初めてブロードバンドの契約をするときにオマケでついてきました。
今は初代iPodに入っていた2000年付近の音楽と、2010年以降に追加されたわずかな音楽が、僕とともにあります。
もう何が流行っているのか、カラオケで何を歌うべきだとか、そんなことを考えなくていいのだなと思うと、ちょっと気楽な気分になるのです。
なんでitunesってあんな使いにくいのか。
WindowsPC&Androidスマホ&Kindle使いなんだけども(過去iPod所持)。
お下がりでipad2を貰った(相手が私とfacetimeしたかったらしい)。
PCには一度接続したきりで、音楽やブックはipadで直接購入していた(家族共有してたこともあって)。
ある時、ibooks内のブックがKindle端末で読める裏技を知り、2度目のPC接続。
まず、同期がやたら長いし終わらんし。なんでフォルダ開いて直接ポイッとペーストさせてくんないのかな。
後、やたらitunesってアップデートするのはなぜ?その度に使い方が分からなくなるのよ。
これが嫌でiPodも捨てた。
お下がり貰って文句言うなよって感じだけど、くれた相手はapple信者。
だから私がipadからfacetimeかけると全デバイスが鳴るらしい。
icloudを使えば同期も簡単らしいんだけど、ipadしか持ってなかったらクラウドもどーでもいいんだわ。
apple使いにとっては私がいい加減すぎるだろって話なんだろうけど、なんかしょうに合わないんだな。
宮崎駿さんが、ラジオ番組で、仏週刊誌「シャルリー・エブド」の風刺画問題についてコメントしていた。読売に記事が出ている。
仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」の本社銃撃事件をめぐる風刺画問題について、アニメーション映画監督の宮崎駿さん(74)は、16日放送されたTBSラジオの番組「荒川強啓デイ・キャッチ!」で、「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは、僕は間違いだと思う。やめた方がいい」と述べた。
俺はこの放送をiPodで聞いたのだけど、この記事と微妙に力点が違ったと思う。(ずれているとは言わないですけど。)
「風刺画は、まずもって、自国の政治家に対してやるべきものであって、他国の政治家に対してやるのは胡散臭くなるだけですよ。第一次大戦の時から、漫画によって国民を教育するということがずっと行われてきた訳ですから・・」
先に高らかと宣言しといて何だが、「アップル信者だ。」と自称するほどアップルが好きなわけではない。
妄信しているわけでもない。
しかし、
だからと言って、Appleに絶大な信頼があって購入しているわけではない。
むしろ故障した際のサポートでは、何度も面倒くささを味わっているし、スペックが優れているわけでもない事を知っている。
だけど「何かを買おう」と思って家電量販店に立ち寄れば、なぜかいつもApple製品を買って家路についている。
答えは一つ。
本当にそれだけ。本当にこれだけの理由で私はApple製品を選び、購入してきた。
Appleの製品は、外見も、中身(の画面)も、めちゃめちゃセクシーである。
少なくとも、同時期に販売されている、比較対象となる他会社のそれよりは。
Xperiaより、ウォークマンより、nexusより、セクシーだ。
「デザインだけでAppleを選ぶなんてバカだ。この会社の製品の方が優れている。」
と、言われたことがある。むしろ今日、言われたのだ。だから増田を書いている。
「スペックを凌駕するほどのセクシーさがある」、と私はそう答えた。
すると「最近の○○はデザインもいいよ」と言われたので、ネットで調べた。
(最近のスマホは、叶姉妹のようなセクシーさを出してるものが多くて気持ち悪いとも思う)
兎に角、デザインが美しいことは、何にも代えがたい素晴らしさだ。と私は思う。
父「MDウォークマンが壊れた。新しい"MDウォークマン"を買ってくれないか? ほら、今はインターネットで安い店が見つかるんだろ?」
と言われたことだ。ちなみに父はVHSレコーダーが壊れた時、新しいVHSレコーダーを買ってきた(@2005年)前科がある。
音楽好きな父がCD(物理)を買っているのは知っていたが、まさか当時(2012年)MDを使っているとは思わなかった。
父はTSUTAYAで借りてきたCDをせっせとMDに録音していたらしい。15年前なら分かる、うん。
私は『今はMP3で音楽を聴くのだ』という話をした。しかし父はMP3もiTunesも知らず、要領を得ない。
ふと、催眠商法で羽毛布団を買わされるお年寄りの姿が脳裏に浮かんだ。これは"チャンス"だ。
世間的にはiPodを買うのが安牌なのだろうが、私は当時局所的に話題をさらっていたNexus 7を選び、父のカネで買った。
理由は私が欲しかったからである。父にかこつけて物欲を満たそうとしたのだ。
Nexus 7と対面した父は「なんですの……これ?」という顔をしていたが、徐々に使い方を覚え、ついには一日中画面をつつくようになった。まぁ、年金生活者はニートみたいなもんだからね。
私としては面白くない。父が使っていない時に遊ぼうと思っていたのに、日がな一日占有されて手が出せないのだ。
2年、耐えた。
途中、iPhone 5s祭り時に投げ売りされていた無印5を『諭吉3人・オプションなし』で"買ったり"してなんとかガジェオタ魂を抑え込んできた。
しかし今月、Google先生がNexus 9というガジェオタ垂涎の上玉をぶっ込んできたではないか。
だが、聡明な私は再び妙案を思いついた。
新型iPad Air & mini 発表で値下がりしている旧式林檎タブを買い、父のNexus 7と交換するのだ。
iPad mini 初代16GBをヤフオクで買った。ほぼ新品が2万ちょい。初期不良ナシだからメーカー保証は要らん。ヤフオク万歳。
そして父には「泥ってマルウェアとかあって怖いよ。林檎は安全」と言い、私は成功裏のうちにNexus 7を奪取した。
Nexus 7の2012年モデルはモッサリしているが、カスROMをブチ込めば少しは使いものになる。
もしくは今度降ってくる炉裏に望みを託そう。ローエンドに優しいというから、ややもすると軽快になるかもしれない。
一番の懸案事項は泥ではなく父だ。
きっと拡張性ゼロの林檎にすぐ飽きるだろう。「返せ」と言ってくる可能性がある。
何か良い策はないだろうか。年金でNexus 9を買わせるとか。
うん、ない。
大学生のときに買ってからもう6年近くたつけど、いまだに現役。
これよりシンプルかつ丈夫で質がよくて安いものはこれ以来見てないから、
買い換えられない状態が続いてる。
amazonでも品切れだし。
今持ってるの壊れたら死ぬ。
約53.7(W)×35.6(H)×16(L) mm
液晶なし。
停止(再生)・曲送り(早送り)・曲戻し(巻き戻し)・音量上下の5ボタン(ちょこっとipod的な感じのデザイン)と、
シャッフル再生と順次再生、フォルダ単位での曲スキップをするサイドスライダー。
必要十分すぎる。
基本的に手元見ずに感覚で操作することの方が多いから、ハードボタンは必須かつそれだけでいい。
調べたら4GBのが出ててオッと思ったけど液晶ついたり値段上がったりしてたから買わなかった。
電池のもちもいい。
1回充電すれば、通勤中に聞くだけだったら2ヶ月くらいもつ。
曲管理もいい。
フォルダ構成がそのまま曲順になってる感じで、エクスプローラをつかって直感的に曲を入れられる。
USBフラッシュメモリとしても使える。
あとカバーつき!これが地味にうれしい。
これでamazonで1980だった。
当時2GBのMP3プレーヤーが1980ってのはかなりお手頃でよかった。
今調べたらトランセンドとかので8GBで2kちょっとのがあったけど、でかくてごつすぎ。
MP3プレーヤーの曲名表示しかできないタイプのってほんと無駄だと思う。
プレーヤーにわざわざ入れるくらいなんだから曲名くらいわかってることのほうが断然多いはずで、曲名なんかまず見ないのに。
閑話休題。
事前にあっためとけばいいんだけど。
あとイヤホンジャックが抜けちゃうと絶対スピーカー再生になっちゃう仕様なのも気を使う。
両方とも大した問題じゃない。
GoogleGlassを覚えてるだろうか。メガネだよメガネ。
で、ちょっと話は飛ぶんだが、おれは伊集院光の深夜の馬鹿力が大好きだ。
エアチェックしたものを大量にmp3化して、iPodに入れて聞いてた。今も聞いてる。
で、家にはAppleTVがあって、外で聞いてた伊集院を、家に帰ったらAirPlayで飛ばして家のスピーカーで聞いてる。
でだ、メンドウなんだよ画面操作するの。
たかだか、AirPlayに変更するだけのために、鞄からiPhone出して操作してって、なんだかなあといつも思う。
そりゃあ、Macと連携してTodoリストが管理できるのは便利さ。
でもな、なに買うんだったっけって、いちいち鞄からiPhone出して操作して、
それからやっと味醂と片栗粉を買うのを思い出すとか本当に面倒くさい。
スケジュール管理が紙ベースから圧倒的に楽になったことは認めよう。
iPhoneでいつでも確認できるし、ネットでダイオウイカが出ると聞きゃスケジューラに打ち込めば忘れないし、リマインダもある。
歯医者の予約も、次に床屋に行くべきタイミングも全てチェックできる。
でもな、電車の待ち時間にずっとiPhone弄ってるのって、なんだかバカっぽいだろ。
オレだって人間だ。注意も散漫になりゃ、ゲームだってやりたくなる。
ツムツムやったり数独やったり、ニュースみたりボケて観たりとかな。
そういう、「ちょっとスケジュール確認しようかな」からシームレスにゲームができちまうのって問題だと思うわけだよ。
そういう、スマホの画面を見なきゃいかん、スマホ弄らにゃいかんって生活から、
AppleWatchは開放してくれる気がするんだよ。あくまでも気だが。
醤油買い置き切れてたっけ?と腕時計をいじれば良いだけなら、圧倒的に楽だ。
今日はゴミ出しの日だと腕時計をつけるときに出てれば、出し忘れもなくなる。
そろそろ歯医者だエヴァの放映日だって出れば、会社を出ようって気にもなる。
腕時計で写真なんか観ねえよ。Twitterをいちいち追っかけたりしない。
でも、オレが帰り際に聞いてた深夜の馬鹿力を、AirPlayで切り替えるぐらいはできるだろ。
終電三十分前だと、腕時計が小さく震えて教えてくれたりするわけだろう?
どうせ脈拍はかるのにしか使えなくて、酸素飽和度計が付いてるわけじゃ無えだろうけど、
つまりこれは、いつものアップルさんの想定顧客ど真ん中向けで出してるんじゃねえのか。
金持ってて生活が安定してる、ホワイトカラー。休日や出勤前にジム行ったり近所をジョギングする。
健康志向でちょっとした手間を惜しむ、ルンバを持ってて全自動洗濯乾燥機と食器洗い機が家にあるヤツ向け。
賭けてもいいが、Todoリストもスケジューラも株価にもニュースにも興味が無くて通勤すらしてないヤツが買っても無駄だぞ。
ずっとディズプレイの前に座ってるニートがiPad買っても無駄なのと同じだ。
パソコンを外に持ち出すよりもずっと楽に、ブラックベリーよりもできることが多いから、iPhoneをみんな持ってんだ。
でも、パソコンが必要なくなるわけじゃない。空港でノートPC広げてる奴はまだまだ多いぞ。
同じように、ついにiPhoneを取り出すのすら面倒臭くなったヤツが、AppleWatchを買うんだよ。
値段?機械式腕時計に比べりゃバカ安だろ。スーツ着てる連中でTIMEX付けていいのは変人だけだ。
だから、学生には売れねえしギークにも評判悪いだろうが、シティで働くスーツのオッサン連中がこぞって買うぞ。
(んで仕事中とアフターで同じバンドしてるとバカにされんだよ。あいつはTPOを考えねえダセエヤツって)
後は、クソ長え会議中にモールスで同僚で会話できるようになってりゃ最高だ。素数を数えてくれても良い。
4万程度で悩む奴は4~5年待てば、きっと縮小してなかったコトにされてるか、2万で電池が一週間持つとか廉価版が出るから待て。
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選べと言われたら、ナイフ・ランプと
もちろん一緒に持っていくiPodに忘れずに入れときたい、オープニング・エンディング自薦集(昭和生まれバージョン)。
BLEACH 『一輪の花』 http://youtu.be/ImaajdhFPjc?t=3m14s
BLEACH 『Rolling Star』 http://youtu.be/ImaajdhFPjc?t=6m22s
鋼の錬金術師 『リライト』 https://www.youtube.com/watch?v=VfqhETAZkEU
フラクタル 『ハリネズミ』 http://www.pideo.net/video/xuite/4806361d1e82e006/
HEROMAN 『missing』 http://www.youtube.com/watch?v=UfPxatUFn7Y
ビーストウォーズⅡ 『SUPER VOYAGER』 http://www.pideo.net/video/youku/ca31da66a1599c78/
魔法遣いに大切なこと 『風の花』 http://goo.gl/wljbHP
LAST EXILE 『Cloud Age Symphony』 http://www.youtube.com/watch?v=SUjiXriGFbo
ゾイド -ZOIDS- 『Wild Flowers』 http://www.youtube.com/watch?v=5GV2dX4vYn8
マシュマロ通信 『Spicy Days』 http://www.youtube.com/watch?v=qKcmEA-ghk4
出ましたっ!パワーパフガールズZ 『LOOK』 http://www.youtube.com/watch?v=ZbyGu9yj3q8
ゆゆ式 『Affection』 http://www.youtube.com/watch?v=CzMgzechVaI
夢のクレヨン王国 『ありのままに』 http://www.youtube.com/watch?v=ggtKYg9HDGE
未来少年コナンII タイガアドベンチャー 『僕らの心臓』 http://www.youtube.com/watch?v=wbL3ZwXSTkA
ポケットモンスター ベストウイッシュ 『心のファンファーレ』 http://www.youtube.com/watch?v=dqJ6ANb0H8w
パラッパラッパー 『イエローバルーン』 http://www.youtube.com/watch?v=S_hsRAmc47U
R.O.D -THE TV- 『Confidence』
その一方で、ストレスも同時に背負うことになる。
いつか読む・見る・やるからと、場所だけとりつづけ、いつか絶対やらなければならないという無言の重圧を生む。
結局5年以上たっても手をつけてすらおらず、ダンボールの中にしまわれている。
以前引っ越したときにも割と思い切っていろいろ処分したつもりではあったけど、やっぱり手放せなかったものが結構あった。
また引っ越すことになったから、今度こそ決別したい。
こっちも最低限の部分だけでこだわらないようになりたい。
口座の金額見てニヤニヤするような、カネ自体が目的になるような生き方をしないようにしたい。
と、わかってはいる。
食事への執着はなくなった。
最低限きちんとした身なりができればそれでいい。
最近しっかり寝ても目の下のクマがとれない。
人生の無駄遣いはしたくないけど、だからといってその考え方に追い立てられるのもなんか違う。
生きることが楽しくなるような趣味を見つけたい。
みんなこんくらいのことは知ってるのかどうか興味あったので。
単に多くの人に見てもらえるから。
開始値をできるだけ低く設定することによってより多くの人に興味を持ってもらえるし、相場の価格で自動入札かけるひともあわよくばって気持ちがあるから、現時点でより安いものに入札すると思う。結果として、相場価格で開始値を設定するよりも多くの人に競られるから、落札価格も上がる可能性がある。例外としては、本当に欲しい人が少ないモノの場合は破格で落札されちゃう場合もあると思う。そもそも欲しい人が少ないってなるとそのモノ自体の価値もそんな高くないと思うけど。あと、オークション期間をあまりに短く取ったときも、多くの人に見てもらえないから、相場以下で落札される可能性があると思う。
これも自分の出品した商品を選んでもらえるきっかけになると思う。送料無料にしても送料無料の効果によってその分終値が高くなると思われるので損することは少ないかと。でも注目を集められる。例外としては落札者が遠いとこや離島に住んでいると損する可能性ありです。
例えばiPodとノーブランドのiPodスピーカー、そのiPod用スピーカーだけだったらよくわからない製品で中古となると需要は低くなると思う。したがって終値も低くなる。でもiPodと一緒におまけとして売ることによって、落札した人はiPodとイヤホンで音楽を聞くだけじゃなく、スピーカーでも音楽を楽しめる。2つの製品の相乗効果によって終値が2つの合計相場よりも高くなると思う。またiPodを買うとiPodスピーカーがついてくると思わせてお得感を演出するという見方もあります。あと単に一回だけの発送と出品で済むので労力を節約できる。
他にも素晴らしいテクニックあったら教えて下さい。
こんなのテクニックとも呼べないよって思ったら教えて下さい。
僕は主に電子機器とかパソコン関係しか売ったことないので、他のジャンルではこういうテクニックがあるよっていうのも知りたいです!
これらのテクニックを落札者側から捉えると出品期間が短くておまけがなくて開始値が相場よりちょっと少ないっていう商品は相場よりも安く落札できる可能性がありますね。
でもそもそもヤフオクは人多いからどの商品もくまなく見られてて相場以下で落札されるなんてことないんでしょうかね?
ありがとうございました。
前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。
同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。
けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。
経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。
かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。
だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。
責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。
プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。
程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。
そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。
味がしない。缶コーヒー、ジョージア・エメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。
いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックスで女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料”なのだが、初めの頃はうまかったのだ。
入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。
抜けた空のような味。
何かが違う。そう感じた。
iPodを作った天才、スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。
私は毎日、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。
一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。
退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。
そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任と仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。
酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。
その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。
聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。
俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」
失礼ですけど。
顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。
何から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプの人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。
確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます。
最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズが必要です。
相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます…
お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題を分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライドを考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。
一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります。
競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。
冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合のコスト。
説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分の責任が増しただけ。
自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります。
どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。
なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論を他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。
ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります。痛恨の一撃です。大ダメージです。
ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。
根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。
「自分は天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」
そんな自信は崩れ去ります。
失った自信を取り戻すのには、より多くの時間が必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷なものになるでしょう。
その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。
挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。
例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?
たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。
でも、その人たちって、不幸ですか?
かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw
偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、
よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。
俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。
けれども、それで、何が残っただろうか。
すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。
ひょっとすると、俺は自分の人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。
実感を求めて効率を犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だから、プライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。
(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)
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後書き:
id:uxlayman さんの元エントリ、分析エントリです。
俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章の推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。
コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事を過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。
追記 (7/30 1:35時点):
頂いたコメントより
通勤中にiPod Classicを使っている。ほとんどの時に全体をシャッフルして聴いている。
初代iPod Classicが発売されてちょっとしてから買った。その160GBの容量を利用して今まで自分が聴いてきた音楽をできる限りiPodに入れていつでも聴けるようにしたいと思って、かなり充実したなと思えたのが5年くらい前。160GBでもきつくなったため、その後はあまり増えていない。いくつかの例外を除いてアルバム単位でiTunesに入れている。
結婚以来はあまり積極的に音楽を聴いていたわけではなくiTunesに入っているのは90年代までのものがほとんど。音楽聴くのはそもそも「かっこつけたい」という考えから入りすぐ手段が目的化したという経緯なので「今まで自分が聴いてきた音楽」というのが洋楽・ジャズ・クラシックに偏っていて邦楽はほとんど入っていない。シャッフルして聴くときに邦楽が混ざるのはなんとなく聴きにくく感じるので邦楽はすべて「シャッフル時にスキップする」にチェックを入れている。
iPod Classicを買う前は通勤中に音楽は聴いていなかった。それがこういうミュージックライブラリをシャッフルして聴くようになって5年くらいということになる。最近1年くらいで気付いたのが下のようなこと。
iTunesに入っている曲にしても5年間一度も聴いていない曲もあるはずなのに何を聴いても「懐かしい」と思うことがほとんどなくなった。言い方を変えると「この曲を聴くのは久しぶりだ」と認識することはあるのだけれど郷愁のようなものを感じることがなくなったという感じ。
しかもiTunesに入っている曲ではなくてもどこで洋楽を聴いても懐かしいと思うことがなくなってしまった。ジャズ・クラシックについても洋楽と似た感じ。
邦楽については洋楽と違って手元にある曲だけだが「懐かしい」と思うことがほとんどなくなった。
上に書いた二つの結果、「懐かしい」と思う曲は邦楽で自分が好きだと思っていなかったけど昔流行った曲ばかりということになった。つまりむしろ嫌いだった曲にばかり郷愁を誘われるようなってしまった。例えば"小室ファミリー"の曲とか。
自分の好みの曲というのはある種の傾向があるだろうからその傾向に飽きたとか、加齢で感受性の方向が変わったとかが理由なんだろう。ただユートピアをもたらすと思い描いていたiPodプラス大量の自分好みの音楽がもたらしたのはディストピアだったのかもしれないと少し悲しくなっている。
埼京線で同じようなこと言われたことがあるわ。
んでブコメの、
これ言ったんだけど、まったく聞く耳もたないのよ。
ケータイは常に電波を発信してるもんだって思い込んでるらしいから。
電波を出さない状態にできるっていう考えが頭にこれっぽっちもないのよ。
そんで「いじってないことが一番大事」っていうトンチンカンな信念を持ってる。
みんな電源切らずにかばんの中に入れてるだけなのに。
結局どうなるかっていうとそのじーさんの周りの目が届く範囲にいる人間だけがケータイをしまってるだけっていう状態。
もう無理なの。
わかろうとする気がないから。
ほんとバカバカしすぎる。
そんなに気にするならもう外出するな電車乗るなって言いたい。
ケータイの電波がペースメーカーとかに影響与えるガセネタをマジにしてる程度のリテラシーしかないくせに懇切丁寧な話にまったく耳をかそうとしない老害には何を言っても無駄無駄無駄
近寄らないのがベスト。
いくら乗り換えに便利でもそういうところには乗らないことで回避するしかねえ。
俺の場合。
「電源切って!!!」
↓
↓
「あっそう」(1回引き下がる。他の人間にターゲットうつした)
↓
↓
電車が動き出す
↓
「電源切って!」
↓
えっ!?さっき言いましたよね? これ電波出てないですよ。ipodですし。ほら今このマークが出てるってことは機内モードで電波が出てないってことなn
↓
「知らない!とにかく切って!!」
↓
('A`)
文字を登録して流せるってだけだけど。
ジャンルわけして登録して、iPodのシャッフル再生みたいなことができるのが
なかなかおもしろいかも。
流す速さも調整することができて、速読の練習にも・・なるかなぁ。
那覇空港に着いた。
とにかく、北へ行こうとしていた。
僕は一人だったけれども、孤独ではなかった。
沖縄の日射しを浴びている僕は、名のない大学の学生名簿に登録された一人の学生ではなくて、社会から切り離された何かだった。
iPodの音量を少しだけ下げた。
米軍基地、A&W、ショッピングモール、南国の空気、青過ぎるほどの海。そのすべてが日本的ではなかった。
---
軽い摂食障害で、一緒にいるときもほとんど食事らしい食事をとらなかった。
薬が切れると手が震えていた。
僕はそれを見て、何も感じなかった。
もしかしたら無意識のうちに、自分の中のネガティブな感情を抑えようとしていたのかもしれない。
---
鋭い眼光を縫うようにして、僕らは浜辺へ歩いて行った。
青すぎる海は、非現実的ですらあった。
僕は目の前の海が本当に存在しているのか怪しくて、足をつけるまでそれが海だと信じられなかった。
骨と皮だけに見える彼女の肉体を、薄いワンピースが包んでいた。
裸足を波に浸すと、尖った踝だけが僕の目にとまった。
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。