はてなキーワード: LOとは
_ _ /ヽ/ヽヽ _LO|O| | /‥ \/~ヽ / / | `| | ノ /レ|_ `ー<二_ イ_/ / ⊂二ヘ/ _> _∧∧_/ー-(_/メヽ \ _|ー―||メ| // |ー―||メ| /⌒ヽ/⌒V /メノ \ \人_∠<Z \_ノ ヽノノ ) (⌒ /  ̄ ̄
これはよく言われる「オタクが差別されるのはオタク自身の態度が非常識で顰蹙買ってるからだ!」みたいな話ではなく、階級闘争の戦略の話
そもそも温泉むすめが批判されているのは「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化した」点だ
LOFTや宇崎ちゃん、禁書房の炎上も基本的には「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」「女性を性的に描写」が問題になっている
例えばまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側で、LO誌内でどんなに女体がご開帳されていようが基本的には炎上しない
それはまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側、LOは公共機関に殆ど絡みがない(企業間で取引はあるだろうが、公共機関が全面バックアップはしていない)し、男女偏りなく集まる公共スペースでもなんでもないからだ。フェミ側はそう認識しているからだ
そのため「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」なされた時点で、「女性を性的に描写」がイラストだろうが実写だろうが、批判の対象となっている
しかし、アンチフェミオタクはこの批判を「萌え絵・オタクを批判している!」と曲解し、そうした言説を広げている
なぜこうしたミスリードが行われるのか?それは、アンチフェミオタクは、オタクの権利を向上させる階級闘争を行っているからだ
かつてオタクが差別され、そのオタクが好むものとしていわゆる萌え絵も差別的に捉えられる時代があった
こうした時代を経て、男性向け美少女コンテンツを好むオタクの一部は「萌え文化を『みんなが認める』ことこそがオタク階級闘争のゴールである」と考えるようになった
(男性向け美少女=オタク文化の全てではないが、彼らは萌えがオタク文化の象徴であると考えている)
(そのため、彼らはオタク階級闘争を行いながらも、電車オタクに対しては差別的態度を隠さない)
(階級闘争が始まったのは、某議員の票集めの活動や、従前から存在するネット上での女性差別の影響もあるだろう(だからこそ、彼らは萌えをオタク文化の象徴としている))
具体的には、「全ての萌え文化を公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで展示することが、オタク権獲得の象徴である」という考えだ
「全ての萌え文化」とは、CCさくらから関谷あさみまで、CERO AからCERO Zまでレーティングの如何を超越した「全ての萌え文化」である
こうした階級闘争に臨むオタクからすれば、当然温泉むすめの批判者は「萌え文化を排除するオタク差別主義者」に映るだろう
批判者が「趣味はスカートめくり」「夜這いにワクワク」設定が削除されて満足する(=萌えキャラデザ自体は変わらない)レベルでも、階級闘争オタクにとっては「全ての萌え文化の公認を妨害したオタク差別主義者」になる
そして種々の炎上案件を経て、階級闘争オタクはフェミ全体を「萌え・オタク差別主義者」と認識するようになる
実際は2次だろうが3次だろうが関係なくフェミは批判しているのだが、オタクにそんなことは関係ない。そこまで見てないし
禁書房の炎上はアンチフェミオタクが階級闘争に臨んでいることを如実に示した例だ
禁書房は「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える」状態をフェミに批判されていた
しかしフェミ=オタク差別主義者の信念を持つアンチフェミオタクは、フェミによる批判を「オタク批判」と認識し、そうした言説を拡散した
実際は禁書房の品揃えの中心は往年のアダルトビデオであって、決して萌え文化と親和性が高いとは言い難い
それどころか、往年のアダルトビデオは出演強要が横行しており、ハッキリ言えば反社的な業界である
まんだらけは非常にオタク的ではあるが、階級闘争オタクの考える「オタク文化=萌え文化」的側面は、取扱商材の一部分にしか過ぎない
つまり、禁書房それ自体は「萌え文化の象徴」とは言い難いのである
しかしアンチフェミオタクは、禁書房を批判するフェミを「オタク批判をしている」と判断した
ここに、アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクがフェミを敵対階級と認定し、階級闘争を行なっている一端が見えるだろう
アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクは最早「萌え絵を擁護している」訳ではなく、「フェミと闘っている」のだ
しかし、「フェミとの階級闘争」を一義としてしまうと、「オタク階級闘争のゴール」からは遠ざかってしまうという矛盾が生じる
階級闘争のゴールから遠ざかるとは、つまり「萌え・オタク文化=全て差別的なものだとする誤解が広まる」ということである
アンチフェミオタクは闘争する中で、例えば禁書房の件では、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」を「オタク的である」と認定し、そうした言説を拡散してしまった
(「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」への批判を「オタク批判」だとすると、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」は「オタク的である」と捉えることができる)
温泉むすめの件でも、「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化する」を「萌え文化・オタク的である」とする主張を流布してしまった
そう、アンチフェミは(敵対階級認定した)フェミの論点を無視した階級闘争を行うことで、こうした「差別的で、不適切である」案件を「萌え文化・オタク的である」とする「オタクマイナスイメージ戦略」を行なってしまっているのである
フェミの反応も様々で、萌え文化を愛好するフェミや理解をもつフェミは「フェミは萌え絵批判をしている訳ではない」とご丁寧に反論している一方、萌え文化に興味がなかったりむしろ嫌いなフェミは「萌え=女性差別的だ」とアンチフェミの立てた論調に乗っかってきている
オタクマイナスイメージ戦略の影響がフェミ内で止まればオタクにとっては大した問題はないが、現実はそうもいかない
直近の某共産党員の「萌えは性的客体化が入ってる」という発言も、アンチフェミによるオタクマイナスイメージ戦略による影響があるだろう
でじこのような「萌えだけど性的客体化されていない」キャラがいる時点で、萌え=性的客体化とはならないからだ
AVショップの炎上に「オタク差別だ!」と声をあげるオタクを目にする→ポルノ(3次元含む)=オタクというイメージが付く→階級闘争オタクは、萌え=オタク文化の象徴という前提で活動している→ポルノ=萌え、萌え=ポルノという誤解が生まれる
このように、アンチフェミオタクは階級闘争に熱中するあまりに、かえって萌え絵・オタク差別を広げてしまっていることにいい加減気付いた方が良いと思う
名作漫画の定義として、天下の朝日新聞社が主催する、優れた漫画に授与する各賞の総称である「手塚治虫文化大賞」の候補作に絞って記載した。
候補作の全てを読んでいるわけではなく、また、記憶を基に書いているので一部不正確な部分もある。またネタバレとなる部分もあるかもしれない。ご容赦願いたい。
【作品一覧】
・鬼滅の刃
・大奥
・シグルイ
—————-
・遊郭編における妓夫太郎と堕姫の境遇(堕姫は13歳で遊郭にて客をとるようになった際、客の目玉を簪で突いて失明させたので、その報復として縛りあげられ生きたまま焼かれる)
・少年時代のガッツの境遇(9歳の頃、所属していた傭兵団の団長に銀貨3枚で男娼として売られる)
・13巻における一連の描写(「蝕」時点でのキャスカは未成年)
・徳川家定の境遇(幼少期より父徳川家慶より性的虐待を受ける)
・全部(全部)
青野くんに触りたいから死にたい(椎野うみ)
・全部(全部)
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以下雑観
・手塚治虫文化賞候補作における児童性虐待・性的搾取描写は「ドラえもんにおけるしずかちゃんの入浴シーン」や「ドラゴンボールにおけるブルマのお色気シーン」のような作品の枝葉の部分ではなく、根幹部分に関わる部分
・マイフェイバリット漫画である「デビルマン」もたぶんダメ(最終巻の一連の流れ)
・「規制したいのは上記のような名作漫画ではなく、ポルノであって、コミックLOであって、クジラックスであって、へんりいだである」
・わかるよ(おれにも娘がいるよ)
・でもおれは「キャノン先生トばしすぎ」は名作漫画だと思うし、柳生卓哉先生の漫画も昼寝先生の漫画もどっちも好きだし、無くなったら悲しいよ
—————-
全ての漫画に幸あれ
全ての児童に幸あれ
もともと言論・表現の自由って、自分が考えた思想や意見を表現したり、他人のそれを受け取ったりすることで、人間は全体として向上していくんだ、っていうことから出てきた考え方だよね。特に政治の分野とかではそういう思想・言論・表現の自由がないとヤベーことになっちゃうし、実際に何度もなっちゃったから、やっぱりそういうことは自由にしようねとなったんだよね。
で、何がそういうものを守るのに大切な言論・表現で、何がそうじゃない言論・表現かを決めるのは、その決め方自体が権力にとって有利だから、こういう言論・表現はOKとかNGとかって線引きはなるべくやめて、幅を広くとっとこうね、ということになってるんでしょ。
でも、もっぱら読者の性欲を満たすために描かれてる暴力的・凌辱的なロリエロ漫画とかは、そういう意味での思想や言論はほとんど含んでないし、逆にそういう思想性や言論性を見出したらヤバいわけじゃん。女の子を連れ去って凌辱して主人公たちが満足して終わる漫画表現に思想を読み込んだら、女の子を連れ去っては凌辱して主人公たちが満足して終わる行為をストーリーを通して肯定するものだ、ってなっちゃう可能性が高くて、それは他者危害原則に抵触する扇動行為にあたるわけじゃん。だからこそ作者も、LOとかも、擁護派も、この漫画はそういう行為を実際に肯定するものじゃないよ、あくまで単なるフィクションだよ、と予防線を張るわけでしょ。実際に漫画の手口を真似して犯行した犯罪者が出てきても必死にその関係を否認するわけでしょ。
で、そういう「思想性がない」(と主張する)、フィクションの、専ら性的欲望を喚起するためのポルノグラフィって、理屈から言えば、法律で保護しなきゃいけない根拠も相対的に薄弱になっていくんだよね。そもそも今だって別に「表現の自由は絶対」じゃないし、それぞれの国で定義された価値の低い表現(増田が言ってるわけじゃないよ、法律学に「低価値表現」っていう概念があるんだよ)の一部には自由を認めてないわけだ。名誉毀損とか、わいせつ表現とか、ヘイトスピーチとか、優良誤認とか、医事法違反とか、著作権侵害とか、プライバシー侵害とか、偽証とか、法律で規制されてるNG表現は、今の日本の法律でもいっぱいある。
ちなみに性表現に寛容なイメージがある米国でも、性行為のみを描写したハードコアなわいせつ物は、写真や実写動画だけなくイラスト(二次絵)も言論の自由による保護物に該当しないとされてるし、ミラー・テストというわいせつ性判断の基準では
①平均的な人が、その所属する地域社会等のコミュニティのそのときの基準(contemporary community standards) に照らしてその表現物を見た場合、全体として好色的な興味に訴えていると考えるか。
の3項目で言論・表現の自由の保護に値するかどうかが判断されている。ちなみに米国では「正常で健康的な性的欲求を喚起するだけ」のポルノや性器描写は、ここでいうわいせつ物にあたらず、「裸体、性、または排泄行為に対する恥ずべき、あるいは、病的な興奮に訴えるもの」ということになっている(Brockett v. Spokane Arcades, Inc.)。ようはその社会・時代の文脈のなかで平均的人物像によって「異常な」性行為とみなされるものについては、思想の自由市場での取扱商品にはしませんよ、ということ。日本人にとってアメリカンポルノのストーリー・演出・演技が妙に「健康的」に見えるのは、そうでないと法に抵触するわいせつ表現になるかもしれないリスクがあるからなんだよね。ちなみに児ポはミラーテストに関係なく問答無用で違法。
だから「思想・言論・表現の自由」には「なるべく幅は広くとろう」とは言いつつも、その中身には中核と周縁とすでにNGと決められたものの3つの領域があって、周縁部では、表現の価値と表現のもたらす社会的害悪性との衡量が個別になされたり(わいせつ性の判断)、総じて社会的害悪性が認められたときには新たにNG枠に入れられたりしてる(ヘイトスピーチ法)、というのが実態だと思うんだよね。
で、そういう「NG枠」の側に一部のロリエロ漫画が加わるかもしれないことを、「これまでしっかり守られてきた表現の自由が、これを皮切りになし崩しにされる! 蟻の一穴!」みたいに煽るのは、ちょっと違うんじゃないかな、とも思う。体制が自由を認めた表現だけが許されているって意味では、今までもそうだったんだし、仮にロリエロ漫画が法的に規制されても、その規制の時に使われた理屈を保護法益が異なる表現に対してまで拡げるのは、そう簡単なことじゃない。「グレーからブラックに何かを移動させたら、他の表現もどんどんブラックに動かせるようになるぞ」という警鐘は、そういう現実的状況を踏まえない雑語りに聞こえるし、そもそも「ロリエロ漫画自体が法的な保護を受ける価値がある表現かどうか、そして実際に社会的害悪性をもたらすかどうか」を真正面から議論する自信がないから、「ここを規制したら他の表現の自由も脅かされるぞ!」という論法に頼ってるんじゃないの、って印象もある。
そういう人達が、「表現の自由」が脅かされることへの危機意識を、たとえば愛知トリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をめぐるあれこれでも堅持してたのならまだ納得できるんだけど、いま二次元関連で「表現の自由」を強く主張する人達の中には、愛トリの時に「天皇に対する冒涜的表現は、人々が大切にしている価値観に対する攻撃」みたいな理屈で展示中止の抗議活動(威力業務妨害的なやつも含め)を正当化してた人達もいたんで、それについてはやっぱり「あなたがたのいう表現の自由って、結局自分が消費したい表現にだけ適用されるダブスタで、表現を区別するなという自分たち自身も十分セレクティブに振る舞ってるんじゃないの」という印象を持っちゃう。もちろんそのダブスタ批判は、かつて表現の不自由展を擁護していて、いま「非実在児童ポルノ」への規制論を容認してる人にも当てはまることなんだけど、さっきの衡量論にもとづけば、それは完全に対称の関係じゃないとも思うんだよねー。
(「ロリエロ漫画の害悪性の根拠を出さないと保護法益が決められない」というのは、そういうダブスタ系の人達よりもずっと筋が通った理屈だけど、わいせつ物陳列・頒布罪にせよヘイトスピーチ法にせよ、その害悪性の根拠が、国会や法廷の場でしっかりしたエビデンスのかたちで示されたことはないと思う)
幼稚園の頃から異性の体に興味がつきず、女性としては性欲がかなり強い方だと思う
加えて思春期にサブカルに染まって、享楽的な考え方もしたけど貧乳でブスなので別に性経験は豊富にならなかったが、特殊性癖で繋がった相手と意気投合して20代前半で結婚した
結婚して数年、鈴木いづみの「女は娼婦になれなかったらあとは母親になるしかない」という言葉を真に受けて子供を意識するようになったけど、なかなかできないのでクリニックへ
どうやら不妊らしい
自分の子宮に不具があるとわかったとたん、あんなに楽しかったセックスがまったく楽しくなくなった
性行為の主体たる自分に欲情できなくなってしまったというか、結局この中出しは自分が受け止める分にはほぼ意味がないと思うとそれはセックスじゃないのではないか?とさえ思えてくる
旦那は私のフェラ手コキが好きなので(これを誰にも渡したくないから結婚したとまで言う)このような不具のある私とも手コキという形で性的な交わりは変わらず持ってくれる
が、私自身としては今まで日々の楽しみの一つだったセックスやオナニーが思うようにうまくいかなくなり、虚しさに飲まれそうになる
最近初潮前という設定のエロ漫画なら自分を重ねられるかも?と思って試したらまあまあだったけど、終わった後に激しい自己嫌悪に苛まれた
世の不妊ルポは赤ちゃん、ベビ、タイミング、葉酸などの柔らかなワードで溢れており、不妊女性の精神的EDやコミックLOでオナニーするといいかもよなんてことは一切書かれていないのでここに書く
クソマンコさんはセックスに簡単にありつけてしかも結婚までしやがって勝ち組のくせに知らんがなという人は好きなAV女優が不妊を公表してたとして欲情出来るかどうかを教えてください
以下の一連のTweetで、作家の王谷晶が表現の自由戦士を批判している。
https://twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
王谷晶『バ バ ヤ ガ の 夜』10月23日発売
@tori7810
ちなみに私は「徹底的にゾーニングしてモザイクを外せ」という公権力による性表現の検閲反対派なんだけど、自由戦士系の人で同意見の人あんま見ないね
「ギリギリの線」を狙った(たまにコースアウトしてるものも有り)性表現が公共空間に撒き散らされ、18禁のコンテンツにはモザイクかかってるってイビツでしょう。
表現の自由というより「公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」という状況を欲している人たち、な印象。自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由、他に何かあるかな
これは、偏見に満ちていて甚だ不誠実だと表現の自由戦士である増田には感じられた。また、このTweetに対するブクマも同じような感じのものが多く見受けられたので、批判をする。
王谷は「徹底的にゾーニング」と言っているが、これはどのようなものなのか全く示されていない。ゾーニング対象を設定するレーティング、次にゾーニングの手法があるが、それについて何も示されていない。
と書かれてはいるものの、その内容ははっきりしない。しかし、現状で、明らかに生々しい性交の描写が描かれているような男性向けのポルノは、自主規制である表示図書(いわゆる18禁)として、陳列方法などが条例で規定されてゾーニングされている。王谷は、現状について批判しているのだから、18禁とする敷居を下げろ、あるいは異なる基準にせよという指摘をしていると考えられる。しかし、この基準が示されていない以上、表現の自由戦士は「フェミのお気持ち」と想定するしかないし、実際にそうとしか解釈できないような批判にさらされ続けてきたと、こちらは認識している。
また、ゾーニングの手法についても、疑念はある。現状は、棚の高さや目隠しの大きさなどを規定した区分陳列の手法が条例で規定されているが、当然にこれは、好まない人が絶対に目にしないということを担保できるものではない。また、少なくとも「ここにポルノがありますよ!」という表示は明白にする必要があることから、ポルノそのものに嫌悪感を持つ人たちにとっては、それだけで不快感を与えるであろうことは想像に難くない。また、売上が大きくなれば、当然に売り場が増えたり、宣伝が増えたりして、露出する機会は増えていくだろう。これらをどうにかしようとすれば、厳しい広告制限や売り場の制限などを加えるしかないから、当然に、売上が減少するだろうし、売れない商品は作られないということになるのは想像に難くない。
王谷晶自身がBLを書いていることなどを考えれば、BLを棚に上げているという批判は妥当するだろう。なぜならば、現状で、ゾーニングができていないことで問題になっている(=東京都の指定図書になっている)のはほとんどがBLだからだ。
もちろん、少なくない表現の自由戦士は、現在、東京都で多くのBL作品が指定図書に指定されてしまい、実質的な発禁に追い込まれている現状を憂慮している。しかしこれは、BLが表示図書としてゾーニングしていないから起きている事態である。
対して、男性向け作品はほとんど指定されることはない。これは、差別ではなく、過去、男性向け作品が大量に指定されたことから、グレーゾーンにあったソフトコアポルノ的な作品が淘汰され、ハードコアポルノを中心とする表示図書ばかりになった結果、そもそも指定されない状況になったためである。なお、ソフトコアな作風の作家は、女性向けのTLに活躍の場を移して、やはり表示図書ではない形で出版されている例が散見される。
さて、男性向けに対して、女性向けであるTLじゃBLは表示図書にしてしまうと、明らかなエロ本売り場に隔離されてしまうので、女性が買いにくくなったり、一般の書店で取り扱われ無くなったり、扱いが縮小するために出版ビジネスとして成立しなくなってしまう。なので、女性向けのほうがゾーニングが難しい状況である。
腐女子などに見られる認識で、「隠れる」ということがゾーニングであるという考え方があるように見える。王谷晶も「公共空間に撒き散らされ」と男性向けコンテンツの在り方を批判している。しかし、実際は、ゾーニングというのは「これはポルノである」「ここではポルノを売っている」と、明白に表示する事である。当たり前だ、ポルノが欲しくない人や買ってはいけない人が買わないようにすることがゾーニングだからである。ポルノの存在に気付いて不快に思う人は考慮されないし、考慮されるべきでもない。世の中に自分の嫌いなものが存在するのは当たり前だからだ。
「自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由」は単純に、それが目に嬉しいからと考える方が妥当だろう。世の中は、目を楽しませるための装飾や、広告に視線を引くための表現が溢れかえっている。わざわざ、「シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」などというものを仮定して、余計な理屈をつけるほうが妥当ではない。オッカムの剃刀である。
そして、そもそも論として、公共の場というのは、むしろ明らかに害があるものでなければ排除してはならない、という性質の場である。たとえば、天皇制を批判する言説の表現は、少なくない人を傷つけたり、不快感を抱かせる可能性が高い。しかしながら、だからといってそのような表現を公共の場から排除せよというのは妥当ではない。
もしそれでも公共の場から排除すべきと主張するのであれば、公共の場からの何をどういう理由で排除するのか、一貫した理論を展開する必要がある。
当然に、表現の自由戦士は局部修正に反対の人がほとんどである。しかしながら、何か別の規制とバーターで局部修正を解禁しようと言うつもりも無い。
例えば、局部修正が解禁されても、厳しいゾーニングで商業的に成立しなくなるとか、同人誌即売会が公共施設から追い出されるとか、ロリコン表現や侮辱的な表現が禁止されるとか、ポルノではないがフェミニストが批判するような描写を一般誌から排除するとか、そういう条件が付されるならば、当然に許容できないだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
id:zyzy 自分もこれだが表現の自由戦士たちはチキンレースで悪ぶりながら周囲に嫌がらせするのが目的なので、どうもこれには反対らしいんだよね。
他人の内心を勝手に想像して目的とするのは妥当ではない。そして、あえて言えば、チキンレースは悪いことでは無い。ギリギリの表現を狙うことは、全く自由であるし、それは表現の可能性である。
id:akakiTysqe https://twitter.com/jenaiassez/status/1427970782584467456?s=21 同意見なんだけど、彼らはむしろ刑法175条を守るからゾーニングはいらないという人たちなんだよ。
まず、刑法175条には反対である。しかし、実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。また、ゾーニングやレーティングが全く不要だとは言わないが、少なくとも、その妥当性は厳しく吟味されるべきだし、その範囲は最小限であるべきだと考える。
id:cinefuk (無意識の)加害欲求を度々指摘されてるけど、否認するばかりなんだよな『公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる』
「(無意識の)加害欲求」があると主張するならば、その存在を証明すべきである。また、よしんば加害欲求があったとしても、加害行為でなければ問題はないと考えられる。
id:nowa_s 公権力に全て委ねるのか、表現の作り手と受け手とその輪以外の人々の合意による自治を図るのか、だよね。/合意形成って、議論は論破ゲームだと思ってたり、「価値観は人それぞれ、以上」の文化で可能かは知らんけど
公権力は素晴らしいとは思えないが、「自治」という名前の学級会で、非道徳的なポルノを楽しむ悪い男子が吊し上げを食らうことが明らかであるならば、そんな人民裁判への召喚状は破り捨てるしかない。
自治や合意形成なるものを、人民裁判に貶めているのは、フェミニストやキャンセルカルチャーの成果ではないのか。
id:HanPanna 表現の自由戦士は「お上の規制なら従う」って態度の人が多くて、公権力による規制を最も警戒する(民主主義のため)表現の自由とは真逆のスタンスなんだよね。彼らが守りたいのは表現の自由じゃなくて権威だと思う。
はっきり言えば、フェミニストよりも「お上」のほうがいくらか信用できる。東京都の青少年健全育成条例は、決して素晴らしいとは言えないが、少なくとも出版側の意見を出す場があり、明確な基準の無いお気持ちで運用されているわけでもない。少なくとも、憲法擁護義務のある公務員は、ある程度謙抑的に振る舞ってくれることが多いが、学級会で吊し上げをやってきたような連中が暴走する様は嫌と言うほど見てきた。
id:tvxqqqq 男女とも同じ基準でゾーニングした上でモザイク外すというのは同意。レーティングは女性向けに甘いと言われてるようだけど(BL興味ないから実際は知らん)、公共の場での表現物についてはヘテロ男性向けだけゆるい。
「ヘテロ男性向けだけゆるい」というのは根拠が薄い。女性向けの欲望に即した広告表現は珍しくないし、具体性に乏しいためにする批判である。
id:quick_past 何を持ってしても、より良い選択肢を目指すより、とにかく相手を叩きたいだけの連中だし、さんざ投げかけられた返答も無視してるからな
その「より良い選択肢」というのが「(フェミニストにとって)より良い選択肢(もちろんクソオスの利益なんかしらん)」と区別ができない。何かしらの提案、特に誰かの自由を制約する提案をするのであれば、自由を制約される側の利益を考慮していることを積極的に証明しなければ、悪意が推認されて当然である。
また、返答は無視していない。理解できないか、理解できても配慮を要するとは考えられないかだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210825220838
id:brightsoda "実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。" これがアリなら表現規制派に火炎瓶を投げ込まれるリスクがあるから従うでも怪獣がインクの匂いに怒って襲うリスクがあるから焚書でもアリになるじゃん
もし仮に、北朝鮮や中国、アフガニスタン、あるいはシンガポールのような表現規制派が牛耳っているような国に住んでいるならば、多くの人は従わざるを得ないと考えるだろうし、そうするだろう。表現規制派が、時々火炎瓶を投げる程度であれば、少なくとも私にとっては許容可能なリスクなので、従うことはないだろう。また、怪獣は居ないので怪獣の脅威を理由に焚書をすることもないだろうし、もし、怪獣を信じて焚書をする連中が他人の財産を破壊しているならば、警察に通報するだけである。
id:mogmognya おおちょうど良い、増田はちょっと前に話題になった秋葉原のエロゲーム広告はアリと思う?ナシと思う?あと、演者が痛がる様子を笑うお笑いはアリ?ナシ?
話題になった秋葉原のエロゲー広告程度の表現は、「屋外広告として」「法的に」規制しうるかギリギリのラインだと思う。このぐらいの、際どいグレーゾーンに対する公序良俗の判断は、むしろ関係者が納得できる公正な判断の仕組みを担保することが望ましいと思われる。このような表現を批判する側と擁護する側を概ね均等に含む、有識者、利害関係者による付属機関を設置すること、その議事録を公開すること、当事者の異議申し立ての機会を担保する教示をすることなど、そういった関係者が納得できる仕組みを予め用意することができれば良いと思う。
また、演者が痛がる様子を笑うお笑いは、まず、その映像を放送することが、直接に法的に規制しうるものではない。チャンネルを変えることは簡単である。しかし、放送は規制産業であり大きな影響力を持つことから、高度な自主規制を行うことそのものは妥当性があると思われる。その意味で、現状のBPOは完ぺきではないにせよ、それなりに妥当な形で機能しているように見えるので、BPOが慎重に判断していくことそのものは、私は妥当性があると考える。
増田の個人的な考えは、単なるポジショントークだから、「規制に反対」としか言えない。
私の価値観の話をすればお気持ちでしかない。しかし、それは、他の誰もが同じことである。
その上で、ゾーニングをしろと言ってくる以上、その公正さをいかに担保するのか、あるいは担保できるのかということを問うている。
id:HanPanna いや、増田が誰を信頼するかしないかの話はしてないよ。表現の自由は「民主主義の維持」に必要不可欠なものだから他の人権よりも優越的な地位にある。権力と学級会では民主主義への脅威が全然違うのに馬鹿だねって話
実際、その学級会で潰される側から見れば、権力も学級会も大差は無い。
アメリカの権力と、非正規のタリバン、どちらが民主主義にとっての脅威か問われれば答えは明らかだろう。
id:fourddoor おお、レスくれる系増田だ。JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告看板を停車中の電車から見える位置に掲示するとか、小学生レイプ漫画の広告を通学路に掲示するとかはどうですか?なお局部は隠れているものとする。
屋外広告条例は、都市計画や建築の分野になっており、意匠については「景観風致を害する」程度の基準でしかなく、実際に問題になるのは、広告の内容などよりも大きさや派手さ、手続きの話ばかりなので、これといった基準がありません。
が、これは、表現の自由の問題であるとともに、公序良俗の問題であるとすると、基準は「普通人が耐え難いか」程度のものになると思われます。
なので、仮に「JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告」があからさまに痴漢行為、性交又は性交類似行為に及んでいることがわかる意匠、乳首や陰毛が露出しているような意匠であれば禁止されると思われます。また、「小学生レイプ漫画の広告」も同様に、その意匠がそういう意味で問題あるかという判断になろうかと思います。逆に言えば、LOの表紙、あるいはクジラックスの単行本「ろりとぼくらの。」の表紙のような意匠であれば、屋外広告としては問題無いと思われます。TENGAやirohaのような路線の広告も問題無いでしょう。
また、逆に、いくら胸を強調しているとしても、宇崎ちゃんの表紙や、スカートに影できているといってもラブライブの高海千歌のPOPスタンド程度の表現もまた、普通人を基準としてそれほど耐え難いとは思えませんから問題無いと思われます。