はてなキーワード: 通勤とは
今朝のお通じがあまりにも快適で思わずガッツポーズがでるほど嬉しかった。
と言っても、一日だけなら効果があったとは言えないので、3日連続快便だったら増田に書こうと思っていた。
今日がその3日目だ。
実行したことはたったの2つ。
これでピンときた人は、もしかしたら数日で快便生活に戻れるかもしれない。
子供の頃から軟便だったので半分は体質だと諦めて生活をしていたのだけど、特にこの10年、しかも35を過ぎてからは快便という日がなくなるくらいに悪化の一途だった。
それでも改善に乗り出そうとした理由は、ここ数ヶ月が輪をかけてひどい状況だったから。
・一日に何度も催す
・便の大半は水状
とにかくこの数ヶ月は毎朝のように下痢は当然のこと、日中も夜もお腹が痛くなれば下痢だった。
体でも壊したのかと思って症状を検索してみると出るわ出るわ癌の文字。
とくに細い便がヤバイらしい。
自分の場合は明らかに便が柔らかいことが原因で出口で細まっている自覚があったのでそれは違うだろうと言い聞かせる。
癌という言葉の吸引力に闘いながら、他の記事にも一通り目を通すと、発見したのが水分過多が原因ではないかという情報。
聞くところによると、過剰な水分摂取は腸で吸収しきれずに下痢の原因になるということ。
それで自分の生活を振り返ってみるとずばり思い当たるフシが合った。
水はデトックス効果があるという理由で、少なくとも日中だけで2リットルペットボトルを空けるほどに飲んでいたのだ。
朝起きてコーヒー一杯200ccとヨーグルトドリンク150cc。
日中に水2リットルと、コンビニコーヒー200ccもしくはスポーツドリンク500cc、お味噌汁一杯200cc
家に帰ってからは大体どんなお酒でも500ccは少なくとも飲む。そこにチェイサー200ccも必ず飲む。
明らかに水分と言えるものだけでも約4リットル近く摂取していたことが分かった。
とは言えっても、朝と夜は減らすのが難しいので、主に日中だ。
水は500cc程度に減らし、お味噌汁は変わらずで、コーヒーかスポーツドリンクはどちらかだけにした。
これで大体1.5~2リットルの削減。
それともう一つ、毎朝決まった時間にトイレに入る習慣をやめ、便意をある程度耐えてからトイレに入るようにした。
もともとお腹が弱い自覚があったので、出かける前に済ませないと安心できないからと習慣づけたものだった。
でも、それが逆に出さなきゃいけない強迫観念になっているのかもしれないと思い、”いつまでに出す”から”出したいと感じてから出す”に変えてみようと思った。
この習慣を辞めるのはそれなりに抵抗があったが、通勤時間に余裕を持つことと、通勤途中のトイレをチェックしておくことで挑んでみた。
すると、トイレに行かないと不安だったのは最初のうちで、段々と体から恐怖心がなくなっていくことが分かった。
最初のうちは会社で出たり、夕食後に出たりとタイミングがバラバラだったかが、これが面白いもので、結局は朝のいつもの時間に落ち着くようになった。
今まで、もしかしたら何かのきっかけでサイクルが早まってしまっていたのかもしれない。
それなのに不安だからと無理矢理に出そうとしていたのでしっかりと固まる前に腸は出さざるを得なかったのだろう。
水分のとりすぎによって便が柔らかくなっていたことで、なおさらそう思っていたのかもしれない。
本当に癌とかなら、それはもう仕方がないことだけど、目を背けたいとかそういうことではなくて、ただ単におおごとにしたくなかっただけなのだ。
とにかくあの、病院独特の「その程度で何しに来たの?」という雰囲気が大嫌いだ。
でも、3日連続で味わった快便によって、不安だった気持は吹っ飛び今は体ごと軽くなったような気分だ。
ただ、この一週間で一つ大きく変わったことがある。
今まではとにかく腸内の便が押し出されてた状態だったので、ほとんどおならというものをすることがなかった。
それが今は中に溜まってゆっくりと消化されているので、ガスが作られるようになったのだろう。
帰り道10分遠回りしてサービスデーの2本300円の牛乳4本買って帰る週刊続けて一年超えたがついに320円に値上げしてた。しゃーなし。
で、思考停止でこの生活続けてた間の昨年末に通勤路に新しくスーパー出来たからホントは無駄ないルートで牛乳買って帰れたんだけど1本179円見て即閉じしてたこと思い出して、数えやすいように一週間で4本固定しか飲まないとして、40×53で2900円差か。さすがに30円差だとこっちの値段で買いたくねえ~の心理的苦痛のが徒歩10分を上回っていたが20円差で月額160円課金で牛乳以外一切買わない買い物しなくてなるとなるとこっちのがいいか。いいな。
まず一番嫌なのが日常的な買い物に出先で悩む選択肢を入れないといけないことで本当に全て通販で済ませてしまいたい、だからこうと決めて判断挟まなくていいならそれがいい、で、同じぐらい嫌なのがわざわざ生鮮食品を買うためだけに外出すること、だから慣れて目を反らせてたとは言え、帰宅最短ルートから逸れる上に牛乳以外何一つ買うことのない店に行くのは本来的にとてつもなく苦痛、これを解消出来るのは大きい。
そしていくら損しているのか定量的に数えられないまま仕方なく高い方の物を買うことも大変苦痛、しかしふとしたきっかけで書き出したことでオチついて決断する叩き台が出来た。この情報を元に確信して無駄の無い店で高い牛乳を買うことが出来る。いつか忘れて高い方で買うことに疑問を持ったときに判断基準を明朗に示すソースが出来た。これで良し。
若者が選挙に行っても行かなくても高齢者優遇の政策打ち出す政党が勝つに決まってる。
若者が不平等な労働制度に悩まされようが、生活保護よりも安い給料で服を買う金も無くギリギリで働いてるとか、
高齢者優遇の政策に予算を取られて、割を食う若者。これを不平等といわずなんというのか。
若者も将来高齢者になるから高齢者への保護は手厚くするのは当然だけれど、
そのために必要以上に若者のセーフティネットが薄くなっては、高齢者になるまで生きることすらできない。
これからの主力となる財源となる若者をないがしろにして、弱肉強食だ自己責任で耐えられるものだけ這い上がって来いって政策は
貧しい若年層は犯罪で稼がないとマトモに食べていけないような世の中を目指しているのではないかって気がする。
同じ仕事でも東京なら年収300万で、地方なら200万前後とか当たり前にある。
地方は通勤に自動車必要で交通費余計にかさむのに賃金が安い。東京でマトモな職につけない人たち以外は死ねっていうのか。
東京に居たって、マトモな仕事にありつけなければ生活すらあやういっていうのに。
なんだこれ。
長椅子の三人座れる場所の真ん中にサングラスを掛けて黒い帽子に黒いシャツに黒いズボンに黒い靴の前身黒尽くめのおじいちゃんが腕を組んで大股を開いて一人座っていた。
すませんねという感じで手刀をかざしながら開いていた隣りに座ると、いきなり足をダンダン踏み鳴らし手をブンブン振り回して大激怒。
あっけにとられていると立ち上がりこちらを指差して日本語に聞こえない言葉で叫んでる。
何だったんだろと思いつつも、気を取り直してタブレットで読書開始。
二駅くらい経過したら、またそのおじいちゃんが帰ってきて目の前でこちらを指差して日本語には聞こえない言葉で罵って今度は降りていった。
一体何だったんだろう、もしかして呪われた?
同じ路線で、別の時間帯に三人座れるスペースの真ん中が空いてたので座ると先に座っていたサラリーマン風スーツ姿の身なりの良いおじいちゃんがこちらに向いて。
「すまんが、どこかに移動してくれ」とおっしゃる。
え?と思って「なんで?」と聞き返すと「嫌だから」とのこと。
気味が悪いので、別の場所に移動して座ってそっと覗き見ると今度は制服姿のJKがそこに座った。
また移動してくれと言うのかと思うと、今度はなんだかそわそわしだして懐からスマホを取り出して忙しくなにやらタッチしまくっていた。
あれもいったいなんだったんだろう。
この二人のおじいちゃんにはその後遭遇していません。
「東京に住んでる人間だけが頑張ってる。田舎の人間はパチンコやってタバコ吸って酒飲んで寝てるだけで生産的なことは一切してない」「田舎の人間はズルして東京の人間の税金を盗んでる」「東京には文化が溢れてる、田舎にはない。でも田舎に文化的な施設は似合わないし無駄遣いだから必要ない」「東京は毎日満員電車で大変なのに田舎の人間は車で楽々通勤してる。だからもっと田舎は不便でいい」「田舎って何でイオンモールみたいなダサイ施設を誘致したがるの? バカなの? もっとオシャレなもの作れよ→(実際に作ると)なんで分不相応な施設作るの? 税金無駄遣いするなよ! 俺達が稼いだ金なんだぞ!」
分かったよ。なら田舎は切り捨てて東京だけ独立してくれ。だから田舎から人を吸い上げるのやめてくれ。別の国になるんだから東京への人の流入を制限してくれ。働けなくなった高齢者をこっちに押しつけるのも止めてくれ。食い物も水も電気も東京だけでまかなってくれ。まかないきれない分は輸入でなんとかしてくれ。こっちも物売れなくなるし金もなくなってインフラもダメになるから普段の生活だけじゃなくて観光とかも上手くいかなくなるだろうけど仕方ないよね。田舎は本来先進国並の暮らしをしてるのがおかしいもんね。ちゃんと最貧国並の暮らしをしないとダメだよね。分不相応だもんね。仕方ないね。
東京が独立してやってけるのか? って思う人は多いかもしれない。でもお金さえあれば食べ物とかは輸入すればなんとかなるでしょ。最近は野菜工場とかもあるし。電気の問題も東京湾に風力発電とかでなんとかなるんじゃないの? 水は大変かもしれないけど、まあそこもお金で解決できるはず。高齢化とか介護の問題もロボット技術(介護ロボットだけじゃなくてお年寄り本人への補助も含めて)などを駆使してなんとかしてくれ。ゴミ問題は生分解性でない包装などを全面的に禁止すれば処理は可能なんじゃないかなぁ。頭悪い田舎者だから思いつく解決策なんてこの程度だけど、東京の人ならもっと良いアイディアがでてくるんでしょ? なら大丈夫だよ。東京以外の地方から人を吸い上げずに今の東京の経済規模を維持するのかだけは俺の頭じゃ解決策なんて思いつきもしないけど、東京に住んでる人は優秀で良い人ばっかりなんでしょ? 田舎と違って。なら、なんとかなるよ。
皮肉が全くないって言ったら嘘になるけど、東京が独立して東京だけでやってけるのならそれはそれで良いことだとも思うんだ。自分達の国の首都からお荷物扱いされて、やることなすことボロクソに言われるよりは近いけど予算もなにもかも違う国として付き合っていける方がマシに思えるよ。たとえそれで俺や身内がすんごい貧乏になるとしてもね。
会社の後輩のことをふと思い出したので書く。
思い出したキッカケはなんだったろう、
少なくともこんなことを何年ぶりにでも思い出すのなら、
それなりのキッカケがあったと思うのだけれど、
今しがたご飯を食べた店で80年代の洋楽が流れていたせいかもしれないし
ReLIFEには小野屋杏というショートカットのメガネのキャラが出てくるけど、
その子はそんな風貌だった。
小さめの鼻にずり落ち気味のおおぶりなメガネ、
せっかくの整った顔立ちが台無しだった。
少なくとも社会人としては通勤するってレベルじゃねーぞという程度には失格ではあった。
-----------------------
1つ下がいなくて、2つ下に2人、そんな人数しか取らない会社で、
同じ部署に2年連続で新人が入るなんて、と部のみなが喜んでいた。
新卒はだいたい、自分がそうであったように、他の熟練して余裕のある人につくのだけれど、
それとは別に、正式なものとしてではなく、自分が時々声をかけることが求められた。
媚びることも恐れることもなくそして、可愛らしい声を出すでもなく、
と常に先輩、という呼びかけで。
会社内の先輩後輩の関係にすぎないし、色気付いてないような外見のままだし、
だから、異性として自分をみていたとは思えないし、単に先輩としてしか接してなかっただろうけれど、
傍から見ているとほんとうによく懐いていたみたいで、自分がついていた先輩にも
なんて何度か言われつつも、こちらも風変わりな後輩か、
よくてもせいぜい妹みたいにしか見えていなかった。
「センパイ」が「おにーちゃん」だったとしても大して違和感はなかっただろう。
-----------------------
オフでも年齢の近い同僚3-4人でスキーに行ったり、20人もいない部員で
BBQやキャンプに行ったり、というようなこともよくやっていた。
今では考えられないような職場。
ある時、同僚の別荘に泊まった時に自分が朝食を調理したものの、
「センパイ、私これ食べられないので残していいですか、ごめんなさい」
と申し訳なさそうに言ってきたようなことがあった。
その次にそういう機会があった時はもちろんその食材を抜いて
出したわけだけど、その子はちゃんと
「センパイ、覚えていてくれたんですね!ありがとうございます!!」
と喜んでくれたなんてこともあったのだった。
-----------------------
ハーバードやMITのように誰もが知る、というわけではないけれど、
多少アメリカへの留学を考えたことがあれば、耳にしないことのない大学だった。
ああ、だから普通の女の子っぽく飾らないのだなと思ったのだけれど、
「センパイ、ソニーってあるじゃないですか、あれどういう意味なんですか」
「ソニーって見るとSo New Yorkって書いてあるみたいにみえちゃって、ぷはっ」
「なにがそんなにニューヨークなんだろう、おかしくないですか?おかしいですよね!ぷははは」
などと人に話しかけておいて、ひとりで笑っていた。
-----------------------
そんな彼女の経歴は時に飲み会などで苦労する理由にもなっていた。
ある時、所属していた部署でカラオケに行った時に、全員が何か歌うことになった。
順次歌う中で、その子が入れた曲はBanglesの何かだったけれど、
そもそもカラオケなど歌ったことのなさそうなその子は歌えるでもなく、
困っていたので、自分が入っていって一緒に歌ったのだった。
翌日、その子が出社早々に
って言いに来てくれたけれど、
それが最高の笑顔だったらドキッとして落ちたのかもしれなかったけど
自分としても、ああ、自分もあの曲好きなだけだから、という程度の
会話をしただけだった。
本当はそれが最高の笑顔だったんだろう、
思い出はそうやって美化されることでいい思い出たりえる。
-----------------------
それから間もないある時、
そろそろその子も独り立ちさせようなんて部内が話が出ていた時、
その子も独り立ちするための準備をしていたのだろう、
なんて質問が来ることが増えていた。
「あ、いいけど、そろそろ自分でやること覚えたらどうかな」
なんて突き放したことがあった。
その子は一瞬寂しげな顔をして、
「わかりました、センパイ」
と言って自席に戻っていった。
その子はそれ以来、仕事に関して何かを自分に聞いてくることは、なくなった。
たぶん、それがその子との会社での最後の会話だったように思う。
-----------------------
それから間もなく自分は転職し、業界内でもトップを誇る会社に移り、
忙しさにかまけているうちに、前の会社とは疎遠になっていった。
そんな中でも、自分が辞めて数ヶ月もしないうちに、その子が辞めて、
同業他社に移るでもなく、国連機関に入ってアフリカにいったのだという話を
風の噂に耳にしたのだった。
その後も前の会社の人たちともたまに飲みに行ったりした時など、
-----------------------
それから何年も何年もして、mixiやfacebookが出てきて、
古い友人を探すような時に、思い出してはその子のことも検索していた。
同姓同名で、ぼかされているが似たような経歴のようで、年齢も近い、
まさかと思いつつ、「もしや○○年頃に、○○で働いてましたか?
もしそうなら同じ頃に会社にいた○○ですけど、覚えてますか?」
と、メッセージを送ったこともあったけれど、返事が来ることはなかった。
-----------------------
たぶん、これから、小野屋杏や栗山未来を見るたびに思い出すような気もするけれど、
ふと思い出す昔話の、このキュンと来る感じは、とても大事なものに思える。
この彼女に関していえば、こういう感じはもうしばらく得ることはないだろう、
と思ってどこかに記しておきたかったのだった。
パンク修理は、昔から何度か習得しようとして練習してて、修理の手順自体はわかるんだけど、
あのヘラみたいな道具を使ってゴムを押し込むパワー勝負のフェーズがどうしても突破できないクソ雑魚モヤシナメクジなので、自力では直せない
……というわけでプロに頼むのだけど、家の近くならいつも世話になっている自転車屋まで持っていくのだが、
会社の近くでパンクしてしまったので近くの自転車屋を探して昼休みに持っていくことにした
前も通ったことのない店にいきなり行くのはなかなか勇気がいる
ストリートビューで確認したところ、バイクや車から自転車まで修理します、みたいな小さな修理工場っぽい店のようだ
念のため行く前に電話をかけてみたら、ぶっきらぼうなおじさんが出てビビった
お店自体はちゃんと営業してて、パンク修理もしてもらえるらしい
自転車を押して20分ほど歩いて到着すると、ちょうど何人かおばさんやお姉さんが自転車で乗り付けて整備や部品交換や修理の依頼をしていた
なんか、思ったよりはやっている
作業服は油で汚れてるのになんか妙に小奇麗だし
結構人が多くて、一人で捌ききれず処理落ちしてアワアワしているおじさんをしばらく眺めて待機
電話したこととパンクの症状を伝えると「わ、フレンチバルブかー、コネクタないんだよなー」とか言いながらも、まあなんとか空気入れとくよーと預かってくれた
今まで持ち込んだ自転車屋で何も言われたことがなかったので全然知らなかったけど、通販で見た目が気に入って買っただけの折り畳み自転車のくせになにやら妙なパーツを使ってたらしい
とりあえず昼休みが終わる前に連絡先を伝えて退散した
夕方、自転車を取りに行ったら、おじさんが「なんか2ヵ所、針みたいな小さいのが刺さってましたよー」と言いながら自転車を出してきてくれた
うん、この人あれだ、なんていうか、かわいい系のおじさんだ
そして修理や整備の依頼をしてた奥さん方の中に、かなり常連っぽい人が複数名いたのも多分気のせいじゃないぞコレ
やっすい修理代金を払って自転車を受け取ったら、「タイヤが結構ヘタってるから、近いうちに交換した方がいいですよー」と言われた
一瞬そのままお願いしようかと思ったけど、自転車を預けてしまうと通勤でちょっと困るのと、会社と店の距離が割とあって何度も訪れるのは移動がしんどいので今回はやめておいた
お礼を言って、直った自転車で会社に戻りながら、もしかしたらあれがおじさんの精一杯の営業だったんじゃないだろうかと思って、
なんか悪いことしたような、別に気にしても仕方がないような妙な気分になったので今これを書いている
書いてて思ったけど、俺が罪悪感みたいなのを抱いてるのは、
出先でパンクになった困り具合や、直してもらえて助かった度に対して、1000円ほどの修理代金が不当に安い感じがするせいなのかもしれない
しかもめんどくさい形式のバルブのやつをいきなり持ち込んでるのに追加料金とかなかったみたいだし
昔、田舎の学校とズブズブに癒着した寡占状態の自転車屋で、チューブ交換したわけでもないのにパンク修理1ヵ所で4000円取られたことがあるが、
もし今回も4000円払ってたら、きっとこんな気持ちにはならなかっただろうなーと思う
今日通勤中、小学校中学年?くらいの少年とお母さんの電車の中での会話。
少年「ねえ、なんで勉強しないといけないのかなぁ。僕勉強嫌いだよ」
母親「勉強がんばったほうが、大人になった時にいっぱいやりたいことができるよ」
少年「でもぼく、頑張るのは嫌なんだ。どうしても頑張らなきゃだめなの?」
母親「今はお勉強頑張らなきゃだけど、○○君が大人になったらお仕事をして○○君が頑張っただけお金ももらえて、美味しいごはんとか好きなものとか買ったりできるんだよー。」
少年「そっかぁ、こどもも大人も頑張らないとなのかぁ。ぼく頑張りたくないなぁ。生まれてこなければよかったなぁ」
キッカケはアイドルマスターシンデレラガールズの二期の「ありすでいいです」だ。
あれ以来、Pixivやニコニコ動画で2人の名前を検索しては、ニヤニヤしている。
通勤はInFactとBrightBlueを交互にきいている。
今月末には、咲いてjewelとカバー曲もローテーションに入れる予定だ。
生存本能ヴァルキュリアという曲もあるらしいが、あいにくスマートフォンやタブレット端末は持っていないためまだ聞けていないので、早くCD化して欲しい。
あと、この2人をプロデュースした常務への感謝も忘れていない、あの人すげえよ。
でだ、この2人はわりかし人気キャラなので、他にもカップリングがある。
文香とも、ありすとも、絡んでいる姿をよく見かける。
他にも、ラグビーの人とか、サッカーの人とか、野球の人とか、怪盗の人とかもよく絡んでいる。(スポーツの人が多いな)
特に、野球の人とありすが絡んでいる様は、確かにぐっとくるものがある。
(文香もそうだから、おそらく、ありすは年上なのにちょっとだらしなかったりミスする人と絡ませると良さが目立つのかもしれない)
ただ、もうアニメでの「ありすでいいです」が、あまりにも衝撃すぎて、この2人はこのまま広げたくない、という気持ちもある。
しかし、俺が百合への食欲に、ありふみ、ふみありの、供給量は追いついていない!
だが、どうにもしっくりこない。
定番所だしアニメでも出番があった、あんきら、うづりん、みおあい、レズライカ辺りは確かに定番だけあって量も多いのだが、シックリこない。
年の差、という着眼点では、しゅがみんは中々良いが、いまいちこの2人は10歳近く年が離れている感じがしない(真顔)
とにかく、俺の中であの「ありすでいいです」を聞いたときの衝撃度合いと比較すると、物足りないのだ。
俺はまだそこまでの領域には達せていなくて、
うまく伝えれないけど
上でシックリこないと言った中でも、あんきらはまだ少しシックリきている。
それは「きらりはあんずちゃんと一緒にいるきらりがだいすきだよ」に、ぐっときたからかもしれない。
なんていうのかなあ、上手く言語化できないのがもどかしいんだけど、
俺にとっては「ありすでいいです」は、最早「告白」なんだよね。
「お付き合いしたいです、一緒にプライベートで遊びたいし、性行為もしたいし、結婚もして家庭を築きたいです」ぐらいの、深い意味が
まあ、男含めれば200人以上のキャラクターがいるコンテンツだから、気ままにブラウジングしているだけでも、
二次創作でも構わないから、それが味わえるコンテンツも教えてね!
たくさんでいいよ!
はやくしてね!
実はラッキーが重なって3億円くらい持っている。そしてまだ30代で子供もいない。
同じ境遇になったら、会社を辞めて何か面白い事始めたり、完全に気を抜いてだらだら旅をしたり、そういう生活にチャレンジする人もたくさんいるんだろうし、客観的に見て恵まれた状況だとは思う。でも、そういう事をする気はない。なぜならそれが面白そうだと感じないから。
仕事が好きなわけじゃない。単なるサラリーマンだし。成り上がる!とか自己成長!とかそういう熱意を持ってるわけじゃない。社会人1年目とかは持ってたかもしれないけど忘れた。でもとりあえず仕事を辞める気はない。辞めたいかどうかで言ったら辞めてダラダラ家でニートしてたい。けど今まで通り働く。
なぜなら、それをやったら頭が停止して人間が腐って死んだも同然になってしまう気がするから。
貴重な30代の時間が少しずつ減っていくのはなんとなくイヤだし、仕事にばかり時間をかけてプライベートな楽しさを見出してないのは、年を取ってから後悔しそうな気はする。資金も、若さも、健康もあったのに、なぜあの時にこれをやっておかなかった?人生は一度きりだとわかってるのか?と。
とりあえず今の仕事は勤務時間が長い。休日も少ない。子供はまだいないけど、子育てするには向いていない会社だと思う。子供が出来たらもっと勤務時間が短いところに転職するかもしれない。そのころは早くても30後半だけど。
金はあるんだからもっと適当な働き方ができるところに今すぐ転職する手ももちろんあるけど、それをしない。
なぜなら面倒くさいからだ。今の会社で10年くらいで作ったポジションを放棄してまたゼロから作り直すのが面倒くさい。だったら今のまま、それなりにやる気を出して、わりと成果を上げて、会社業績を上げるゲームをしていたほうがなんぼか人生が面白い気がする。
仕事が好きなわけではない。やりたいことがないので、消去法で仕事してる感じ。もっとリア充的な趣味がたくさんあったら、仕事を辞めて旅行だスポーツだと充実した時間を過ごせたのかもしれない。旅行もスポーツも特段好きではない。通勤中にkindleで漫画読んで、帰宅したら犬と遊んで料理して晩酌して、休日はゲームに出かけたり、近所にうまいものでも食いに行ったり、たまに特に行きたくはないところに連れ出されて半強制的に見分を広めさせられたりするくらいで、まあ十分だ。仕事辞めたら毎日酒飲んでゲームして寝るだけの社会のゴミみたいな生活を数十年送る事になる。自分の性格ならそうなると確信する。でもそんな何もなしてない人生、年を取ってからの後悔はより深そうな気がする。
結局、それなりの充実感を得るために新しい事・不向きな事を開拓してまでってのが面倒だから現状維持を選んで仕事続けてるだけで、なんでお金あるのに働いてんの?の回答は無趣味で面倒くさがりだからですってことなんだよね。でもそれならせっかくだから、仕事もう少しちゃんと力入れて成果出したほうが充実感を得るって目的に適ってるのかな。さて、明日も仕事すっかな。
電車の中で帽子かぶってる人は、かなりの確率で言動がおかしい。(些細な事で怒鳴り散らしたりとか、やたら周囲に人の目を気にして挙動不審になってたりとか、横座りの席なのに食ったり飲んだりとか)
そして挙動がおかしい人は、なぜか服装や体臭もえらいことになってる割合が高い。
なので、電車に乗っていて凄い臭気を察知したら警戒する必要がある。
臭いの元が、スーツ着たオッサンや、派手な化粧の女性ならまだ安心なのだ(単なる加齢臭や化粧臭なので)。
しかし万一、妙に薄汚れた風体だったり、更に帽子をかぶっていたりしたら高確率で地雷だ。
長く待って座った席でも、隣にこういう人が座ったら、泣く泣く諦めて立つか次の電車を待つ事にしている。(無理に我慢して座ってると体調を崩すレベルで臭かったりするし)
通勤の道すがら、いつも同じ時間に反対側に向かって歩いてくる女子中学生がいる。
力強い眼差しで真っ直ぐ前を見て、いつも少し早めの歩調を崩さずに歩く。
僕はもうすっかりおじさんで、彼女くらいの娘がいてもおかしくない年齢だ。
運動には気をつけているので歳の割には若く見られる方だが、彼女からすれば醜い生き物にしか見えないだろう。
彼女が中学生であることはその着ている制服でわかる。近くにある公立中学のものだからだ。
一見不機嫌そうな無表情で、前だけをみて歩いている。
顔立ちは今時のアイドルといった可愛らしさではなく、マニアックなシンガーソングライターのような大人びた雰囲気を持っている。
回りくどい言い方をしないのであれば、私が好んでやまなかったfra-foaという解散したロックバンドのヴォーカルにそっくりなのだ。
ただ顔立ちが似ているというだけではない。
彼女の視線や歩調から感じる意志の強さや、それでいて身にまとう儚げな空気感のようなものまでが生き写しといっていいほどだった。
僕が彼女の存在を意識するようになったのは、そのことに気付いてからだ。
間違っても間違いを起こす訳にはいかないし、そんな汚れた目で彼女のことを見ているつもりもない。
だから僕は、僕の存在が彼女の人生の汚点にならないように、彼女とすれ違う時はできるだけ彼女を意識していないように、彼女の印象に残らないように振舞っていたつもりだった。
そこは500mくらいの真っ直ぐな一本道で、僕はいつも左側を歩くのだが、彼女ははじめのうち向かって右側を歩いている。
そうしてその道を100mほど進むと、彼女は決まって左側に道路を渡ってくる。
彼女が右側から左側へと毎回渡ってくる理由は、彼女がその道に入るのに右に伸びる側道から入ってくるからで、その道を抜けた先にある学校は左に伸びる側道の先にあるからだ。
ただ、なぜか理由はわからないが、彼女はいつも決まって同じタイミングで道路を渡った。
長い一本道でなので、多少出発時間が前後しても大体どこかしらですれ違うことになる。
つまり、すれ違う場所によって、彼女は右側だったり左側だったりするのだ。
はじめは彼女を少しでもそばで感じたいという気持ちに負けて、彼女が左側を歩いている時にすれ違えるようにとタイミングを見計らったりしたこともあった。
しかしそんなことが続けばいらぬ疑いをもたれかねない。
そのために、むしろ早すぎたり遅すぎたりして彼女とすれ違わない日も作るようにもした。
彼女と同じ左側ですれ違える時は、正直に胸が高鳴ることを感じていた。
そんな自分が彼女にとっておぞましい存在であることは自覚しているつもりだった。
そんなことを半年ほど繰り返したある日のこと。
その日、彼女はまだ僕と反対側、道の右側を歩いていた。
いつものように彼女の存在を気づかないふりをしようと歩いていたのだが、距離が近づいてくるとふと違和感を覚えた。
彼女の顔がこちらに向けられているような気がしたのだ。
気のせいかもしれない。そう思い込みたいだけかもしれない。相手に見られてる気がするだなんてよくあることだ。
自分にそう言い聞かせようとしてみた。
しかし、あっけなく好奇心に負けた僕は、とうとう彼女のほうに視線を送ってしまった。
するとどうだろう。
驚いたことに僕の陰鬱で卑屈な視線は、彼女の真っ直ぐな視線と真正面から衝突を起こしたのだ。
彼女の記憶に、おぞましいものをおぞましいものとして残してしまったかもしれない。
それでもまだ感じる視線を払いのけるように、僕は前だけを見てひたすら歩き続けた。
次の日、昨日のことは何だったのか考えながら再び僕はまっすぐな道に差し掛かった。
すると、僕はいつもの様に真っ直ぐ前を見ながらこちらに向かってくる彼女を見つけた。
その時彼女はまだ道の右側を歩いていた。
そんな彼女の顔に何気なく視線を向けてみると、その視線はまたしても彼女の視線と真正面から衝突することになった。
僕はすぐに視線を逸らした。
まだ近いとは言えない距離にも関わらず、彼女の視線は間違いなく僕に向けられていたのだ。
もうすぐで彼女が左側に渡ってくるポイントに差し掛かった時のことだ。
僕は視線を動かさないようにしているつもりだったが、今度は彼女の方から僕の視線に入ってきたのだ。
そうして今度は明らかに、はっきりと彼女が僕を見ていることが分かった。
僕はできるだけ動揺をさとられないように、あたかも別のものに興味を示したかのようにして視線を泳がせるのが精一杯だった。
一体どういうことだろう。
誰かと勘違いしているのだろうか。
いくら冷静に理由を考えようとしても、彼女の真っ直ぐな視線に矢のように射抜かれてしまった心臓は落ち着きを取り戻せないままでいた。
その時、遠い昔に忘れていたような感覚が、どす黒く薄汚れた内臓をかき分けてこみ上げてくることが分かった。
自らのおぞましさを恐れずに言うなら、これは恋だ。
その言葉が僕の口から発せられることが、どれだけ気持ち悪いことなのかは承知しているつもりだ。
まぎれもなく目覚めてしまったのだ。僕の奥底で息絶えたはずの甘酸っぱくも苦々しい感情が。
とうの昔に、薄汚れた性欲によって噛み殺されたはずの純粋な気持ちがまだ僕の中に生きていたのだ。
勘違いだと思い込ませようとしながらも、好奇心に負けて彼女に視線を向ける度に、真っ直ぐな眼差しが僕を射抜いた。
彼女は何を思って僕のことを見ているのだろうか。
動物園の動物を見ているような感覚なのか、それとも万人に対し同じように興味を持ち合わせているのだろうか。
どちらにしても僕のようなこんな醜い生き物にしてみれば、彼女の存在も視線もあまりに眩しすぎるのは確かだ。
僕はとうとう堪え切れず、出発時間を大幅に早めることで彼女とはもうすれ違わないことを選択した。
誓って言えることは、彼女に対して性的な興味は一切持ち合わせていないということだ。
自分でも不思議と、いやらしい目で見ようと言う思いすら浮かばないのだ。
もし彼女と何がしたいのかと聞かれれば、僕はただ一緒の時間を楽しみたいと迷わずに答えるだろう。
夕暮れの土手に座って、ただ何もせず色を変えていく空をみあげているだけでいい。
二人の間を同じ風が通り過ぎていく切なさを噛みしめたいだけなのだ。
ただ、もし贅沢を言えるなら、せめて手だけはつなぎたい。
それ以上のことは一切望まないし、望もうとも思わない。
目の前にある美しさに、ただひれ伏して打ちのめされたいだけなのだ。
どうしてこんなにも醜くおぞましい生物に成り下がった僕から、こんなにも純粋で苦しい想いを成長は消し去ってくれなかったのだろうか。
彼女が近づくことも遠ざかることも、今の僕にとっては苦しみでしかないのだ。
色々なことに慣れ、無感動で欲望だけに突き動かされている獣と化している今の僕には、あまりにも耐え難い苦痛だ。
ただ、一つ理解して欲しいことはこれは僕の欠陥ではないということだ。
人間がもともと持っている欠陥に、僕は振り回されているだけなのだから。
会わない日が続けば、いつか必ずこの苦しみからは開放されるはずだ。
そう信じていた。
今朝、僕は大幅に寝坊をした。
彼女は進級したはずだし、もしかしたら中学を卒業してしまったかもしれない。
もしそうならば、僕はまた以前と同じ時間に出勤ができるし、彼女の視線から身を隠す生活を続ける必要ももうなくなるのだ。
そうしていつものように長い一本道に差し掛かると、僕の視線には道路の右側を歩いている見間違いようのない彼女が真っ先に飛び込んできた。
期待していなかったといえば嘘になる。
遠くから少しずつ近づいてくる彼女を、視線の芯に捉えないように、それでいて視線から外さないように注意深く追い続ける。
視線をさとられないように、それでいて不自然にならぬよう、僕は傘を前に傾けると少し顔を隠した。
歩調にあわせては時折上下する傘によって、お互いの顔は見え隠れを繰り返した。
前よりも少しほっそりと、色白になったように見えた気がした。
それによって、彼女が持つ儚げな雰囲気はより美しさを増したかのようだった。
しかし、そうしてすれ違おうという時だった。
突然牙を剥いた抑えていたはずの好奇心によって、僕の決意は湿気たクッキーよりも容易く噛み砕かれてしまった。
僕は傘を上げると、堪えきれずに彼女に視線を送り、今の姿を焼き付けようとした。
そして、それを待っていたかのように彼女の顔を隠している傘がふわりと跳ね上がった。
気付いた時にはすでに、透き通るような輝きの瞳から迷いなく向けられた真っ直ぐで力強い眼差しによって、しかもこれほどまでに間近かな距離から今だかつてないほどの強烈さで 、僕は脳天を射抜かれていたのだ。
一瞬の出来事だった。
彼女は何事もなかったかのように、いつも通り学校への道を急ぐ。
すでに遠く後ろを歩いている彼女には知られることはない。
恒例(笑)の「痛いニュース」より、こんな記事がまたはてブで上がっていた。
痛いニュース(ノ∀`) : 貧困の“実相” 「毎日毎日おなかがすいて、敗戦時と同じ状況」…年金22万でも家賃13万円 - ライブドアブログ
これでふと思い出したのが(そんなに関連性はないのだが)、ある知り合いのお爺さん。私は孫のような年齢だから、そこまで話したことがなかったが、私の父と仲がよかった。
裕福な家庭に生まれ、ずっと一等地に暮らしていたが、今で言う「老後破産」的状況に陥り、晩年はバイトで食いつないでいた。人前では気丈に振る舞っていたが、独身で、親戚との関係が悪く身寄りがおらず、相当困窮していたという話を後々聞いている。
それでも彼は、もっと家賃・物価の安い場所に、という判断ができなかった。プライドもあったろうし、そもそも人間の本性として、いままでの生活のレベルを下げる、というのは相当の意志が必要だ。生活水準がその人の人としての価値や尊厳に直結している、というのは多かれ少なかれ多くの人が考えてしまうことだ。経済学的には、収入の減少にあわせて自分の生活も抵抗なく変えられる人と、そうでない人がおり、この人は完全に後者の方だったのだろう。
ある日彼は早朝バイトへの通勤途中、踏切で電車にはねられ亡くなった。彼は足が悪かった。警察は渡りきることができず「事故」に至ったと結論づけたようだ。(「自殺」と判断され、身寄りのない当人に賠償請求が課せられるのはあまりに酷だという配慮もあったかもしれない。)しかし私が噂に聞いた話では、目撃者がおり、それによると、彼は線路の真ん中で立ち止まり、その場でへたり込んでしまったのだという。
真相はどうあれ、人として生きる、しかも尊厳を抱いて生きる、というのは如何に難しいことか。彼が自らの尊厳を守ろうと、意識的にか無意識的にか、線路の上に立ったのだとしたら、それはあまりにも悲しい「尊厳死」だ。そしてきっと、全国でそんなような「尊厳死」のケースはあるのだろう。今20代の私も、我が行く末、そしてこの社会の行く末を思うと胸が苦しい。
今朝のこと。
本降りの雨の中、駅へと向かう道中での出来事だ。
細い道から駅へと続く一本道に出ると、目に飛び込んできたカップルに対して僕は猛烈な違和感を覚えた。
おたがい年は30前後だろうか。
どちらも小奇麗にスーツを着こみ、はたから見ればありふれた社会人のカップルである。
しかし、この本降りの雨の中にもかかわらず、二人は決して大きいとはいえない女性ものの傘の中に身を寄せ合うようにして歩いていたのだ。
傘は出来る限り女性に寄せられてはいたが、二人の外側の肩はどちらもびしょ濡れだった。
そこで疑問が生じた。
この雨は朝早くから降っていた。つまり玄関を出るときには降っていたはずだ。
猿同然の性欲を持つ学生同士であれば朝からイチャつくの不思議ではない。
しかし二人の落ち着いた格好を見る限り、そうは思えなかった。
夕方には雨が止む予報だったから男性が持っていくことを渋ったのだろうか。
それにしてもそれほどまでに肩が濡れることを女性に強要するとも女性が承諾するとも考えにくかった。
なぜ小綺麗なスーツの袖をびしょ濡れにしてまで、二人は小さな傘一つに身を寄せあわなくてはいけなかったのだろうか。
そんなことを疑問に考えながら歩いていると、ふとそのカップルが会話を始めた。
女性から男性に向けた言葉はタメ口であるにも関わらず、男性は終始、敬語で返答をしているのだ。
二人は家から駅に向かっていると考えるのが自然だが、その会話からみる関係性からは二人は同じ場所に住んでいる間柄ではないということになる。
それならば考えられる理由は一つ。
二人が出発した家は女性のみが住んでいる家だということになるだろう。
目の前の会話において未だに一方が敬語であるということは、二人は別々の場所に住む仕事上の関係であるにも関わらず、昨晩はわけあって一夜を女性の部屋で過ごすことになった。
また、たとえ女性物の傘がもう一本あったとしても、男性が一人でさすには抵抗があったのだろう。
コンビニで新しい傘を買っても夕方には荷物になってしまうことにも抵抗があったに違いない。
その結果、二人は一つの女性物の傘に二人で入るという選択に至ったことで、後ろを歩く僕にその理由を悟られるに至ったのだ。
きっと、男性は下着や靴下に至るまで昨日と同じものを着ているに違いない。
しかし、一つ解せないことがある。
一方が敬語を使う間柄であるにも関わらず、なぜそれほどまでに二人は寄り添って歩いているのだろうか。
外側の肩をそれ以上濡らさないようにとするには、内側の肩があまりにもくっついているのだ。
一体二人はどんな関係で、なぜ昨晩を女性の部屋でともにしなくてはならなかったのか。
女性の部屋では昨晩何が行われたのだろうか。果たしてスーツを脱ぎ捨てた後も上司部下の関係は崩れなかったのだろうか。それとも男性はスキルギャップ萌えトラップの餌食になってしまったのだろうか。
疑問はまだ尽きない。