はてなキーワード: 老後破産とは
恒例(笑)の「痛いニュース」より、こんな記事がまたはてブで上がっていた。
痛いニュース(ノ∀`) : 貧困の“実相” 「毎日毎日おなかがすいて、敗戦時と同じ状況」…年金22万でも家賃13万円 - ライブドアブログ
これでふと思い出したのが(そんなに関連性はないのだが)、ある知り合いのお爺さん。私は孫のような年齢だから、そこまで話したことがなかったが、私の父と仲がよかった。
裕福な家庭に生まれ、ずっと一等地に暮らしていたが、今で言う「老後破産」的状況に陥り、晩年はバイトで食いつないでいた。人前では気丈に振る舞っていたが、独身で、親戚との関係が悪く身寄りがおらず、相当困窮していたという話を後々聞いている。
それでも彼は、もっと家賃・物価の安い場所に、という判断ができなかった。プライドもあったろうし、そもそも人間の本性として、いままでの生活のレベルを下げる、というのは相当の意志が必要だ。生活水準がその人の人としての価値や尊厳に直結している、というのは多かれ少なかれ多くの人が考えてしまうことだ。経済学的には、収入の減少にあわせて自分の生活も抵抗なく変えられる人と、そうでない人がおり、この人は完全に後者の方だったのだろう。
ある日彼は早朝バイトへの通勤途中、踏切で電車にはねられ亡くなった。彼は足が悪かった。警察は渡りきることができず「事故」に至ったと結論づけたようだ。(「自殺」と判断され、身寄りのない当人に賠償請求が課せられるのはあまりに酷だという配慮もあったかもしれない。)しかし私が噂に聞いた話では、目撃者がおり、それによると、彼は線路の真ん中で立ち止まり、その場でへたり込んでしまったのだという。
真相はどうあれ、人として生きる、しかも尊厳を抱いて生きる、というのは如何に難しいことか。彼が自らの尊厳を守ろうと、意識的にか無意識的にか、線路の上に立ったのだとしたら、それはあまりにも悲しい「尊厳死」だ。そしてきっと、全国でそんなような「尊厳死」のケースはあるのだろう。今20代の私も、我が行く末、そしてこの社会の行く末を思うと胸が苦しい。
うちの父親は浪費家。
母親はいつでも父親の言いなりで、父親の暴挙を隣で見ているだけ。
この夫婦はいつか老後破産を迎えると判断したから、家計に介入するようになった。
食費の管理を請け負って、毎月決まった金額の中で買い物をしている。
加えて、父親に対する「レンホーさん」係。
父親が買い物をしたいといったら、
「そのお金をどうやって浮かせるつもりか」とか
達成感を感じている。将来への不安も軽減された。
しかしだ。親父。
なぜ「可愛い」と言う。
レンホーさんごっこの後、親父は酒を飲みながら「お前は可愛いなあ」と言う。
私はこれを言われる事が嫌いだ。
私がやってることは馬鹿げているんだろうか。
下らない事をやっているんだろうか。
もう疲れた。
父親が破産しようがどうなろうが、見て見ぬふりしておけばいいのかな。
お母さんは実家が破産している。だから、それの二の舞いになったら悲しむだろうと思ったんだよ。
>トラバ
トラバが届いてたと今さっき気付きました。
ありがとう。今すごくホッとした。