はてなキーワード: 責任問題とは
9月10日~9月16日まで自殺予防週間だそう。
http://www.sankei.com/column/news/170910/clm1709100002-n1.html
個人の意見はある程度無視され、医者の意見の方が正しいということを押し付けてくる
医者の言うことを聞かないと、何もできないと投げやりにする
自分で治してくださいと嫌味のように言われる
一人にさく時間がないのが現状だと思う。
薬の服用をせずに、考え方をどのように持っていけばよいかアドバイスを受けたいと言っていたにもかかわらず、そのアドバイスが具体的ではない。
相手の状況をいち早く察知する能力がなければ、患者がきちんと助けを求めなければ動かない。
薬を出すのが当たり前になっていると傾聴の力が養われない。そして、医者の口からはっきりとここは話をしに来る場所ではありませんとはっきりと伝えられた。
トラウマで苦しみます。(何も感じないような薬を処方しましょう)
根本的な、問題解決にはなっていないのが今の医療現場の現実だと思う。
自殺は「孤立の病」だとされているようだけど、薬を服用しないと治療はできません、入院はできませんと言われると、孤立を選ぶことになる。
今は孤立しているように感じる。
誰もかもが責任をとりたくないように、医療行為ではないことはできないという。
ただ話を聞いてくれるだけでも、気持ちが楽になることもある。
また励みになったりもする。
個人に合わせて、本当にできないのだろうか?
人の命がそれで左右されるかもしれないのに、投げやりにして孤立させることはどうなのだろうか?
訪問看護も、医者と訪問看護同士で決められ、あらかじめ患者には連絡はなかった。
対人恐怖があると言っていたにもかかわらず、話し相手になる「友達を作ってください」と言われたのは驚く。
医者の投げやり発言で、道路に飛び込もうとふらふらとトボトボと歩いていた。
数メートル前でふと空を見上げると、光が出てきた。
そして、この日記を書いている途中に家族が亡くなった知らせを聞くこととなる。
後追い自殺が頭をよぎる。
なぜか、この世に取り残された感がとても強い。
自殺は社会問題だ、一人を見守る人がどれだけいるかで、その人が助かることもあると思う。
医者だけが治すだけではないのに、そうではない人が話を聞いたりアドバイスをしたりすることは医療行為ではないということで、
何か起きたときに、責任問題が生じる可能性があるので安易にそれができない現状があるということだろう。
そうであっても、その人を孤立させないことが第一に考えるべきだ。
自殺が孤立の病といっているにもかかわらず、助けを求められないくらい本人が落ち込んでいるときは寄り添う人がいるだけでも、助かる命はあると思う。
助けたつもりでいるのではないか?治療しているつもりでいるのではないか?
患者の気持ちに寄り添えない余裕がない人が医療現場に多すぎるように感じるのは、私だけ?
患者の数が多すぎる、そして医者が少なすぎる現状が、そうさせているのかな。
一人のバックアップは、たくさんあった方がいい。
助けを、求めよう
声を、あげよう
聞いてもらえなくても、声をあげよう
助けてもらえなくても、助けを求めよう
助けを求めることを、恥ずかしいことだと思わないで
病気であっても、なんでもなくても
みんな同じ人間なんだ
助けを求めること、逃げることは、情けないことではない
命を守るためだ
なんてことないという日が必ず来る
悪い時はずっと続かない
人生には波がある
波がない人生はない
それを忘れないで
学校を作ったもののうまく行かなかった場合、一番困るのは教員や学生さんなんだから、
そういう観点からモノを見ると杜撰な計画書を通してしまった役人の責任問題、或いは
政治家の口利きでは通さざるを得ないと言うのかも知れないが、ダメな計画はダメ、通しちゃ
ダメでしょ。
何だよ、70名教員集めますって。さっきHP行って数えてきたけど、東大や北大だってそんな数
いないぞ。集まるわけ無いじゃん。
アジアとの連携?今経営しているおたくのグループ大学でそれが上手くいってるところあるの?
始めからうまくヤレってのは酷だって言ったってさ、学生は練習用の実験動物じゃないんだから。
一期生は失敗作でしたね〜なんて許されるワケ無いでしょ。
だから、京産大なんかは、獣医学部の設立の準備として総合生命科学部動物生命医科学科を設置
したって書いてるわけで。
この手の申請書って、「出来る」って言い切るために、既にある程度出来てることを書くもんなんじゃ
ないの?そうしないと通らないよ。
おとり捜査や盗聴、潜入捜査は完全に別案件で日本では許可されてない。こまかいことは現行法にあるのでそちらで。
また発見できない犯罪は犯罪にできないし、法律で定義されていない事は犯罪にならない。
現に喫茶店で大学生にローンを組ませる起業塾やメルカリで現金を販売する人間をその行為そのものは取り締まれない。
「あやしいから捕まえて調べる」はほぼ正しいが、組織的な構成と目的がはっきりして到達への具体的な行動があることが立証されないと無駄な労働を公務員に支払うことになるのでそんなお気軽に発動できるものでもない。
一般企業を例に例えると無駄に捜査・逮捕すれば動員人数分の費用を部長が支払う責任問題になる。
どうしてもというなら「休暇でやってくれ」みたいな展開にしたくもなる。もちろんそんな捜査は許可されていないので日本の刑事ドラマみたく捜査権を取り合いから泥臭い外部の点をあつめる作業になる。
逮捕は「事情を確認するのに連絡が取りにくい、逃走のおそれがある」ものに対して事情を聴取するものなので「犯罪者を罰する」ものでもなんでもない。
事実関係として犯罪予告からのアイドルやイベントなどで妨害行為が実現してしまってから予知行動が認められた後になるので「誰かに聞こえる状態でつぶやいたら犯罪になるのか」という恐れのイメージにつながっているかとは思う。
はっきり言えば、銃剣道自体は剣道や柔道、空手なんかと変わらないただのスポーツだ。
武道と言ったほうがいいのか。
今回、ネットで銃剣道そのものに対するネガティブなコメントが増えたが、まあ殆どは……
実戦で意味がないというのはもっと謎で、実戦とは何を想定しているのか。
日常のとっさの時に剣道や柔道や空手より役に立たないものでもない。
どうも記事を読むと「選択体育の武道で銃剣道を選んでもいいように項目を追加した」というようなことが書いてある。
どこにそんな地域があって、誰が選ぶのだ。
となると、指導法の研究会が開催され、指導要領が整備され、かなりの人手が割かれることになる。
学校は培った指導ノウハウと道具がそろっている昔からの種目を選びたいだろう。
結構な予算を投入して、人手も割いて鳴り物入りで導入した銃剣道が全国で採用数ゼロとなれば、責任問題にもなるし、単純に裁可した人物は恥ずかしい。
ここで、各県教委に圧力がかかる。
ここで考えられるオーダーは次の通り。
『各県で少なくとも3校は銃剣道を実施できるように推進すること』
実績次第で、様々な飴と鞭を用意して、どうにかそろえば全国で150校の実施となり、まあ顔は立つ。
八億円の値引きと言うが、近畿財務局が忖度した考えたらむしろ不自然な気がする。
産廃の処理には金がかかる。不法投棄の処理には様々な問題がある。
八億円はもしかして、適正な値段だったのではないだろうか?
いやむしろ安いぐらいだったのではなかろうか。
管理不行き届きで責任問題だ。撤去には莫大な費用、さらに水質汚染。地下水脈に繋がっていれば取り返しはつかない。
問題は山積だ。臭いものには蓋をしろと、担当者が埋めてしまってもおかしくない。
しれっと売ってしまえ。でもしっかりした法人は駄目だ。必ず調べるはずだ。
個人商店に毛が生えた程度の幼稚園を騙せ。小学校を作る?なら急がせろ。
ゴミがバレた。しかし籠池はバカだ。金を握らせ、瑕疵担保外させて擦り付けてやれ。向こうも金が必要だし、どうせ八億円でゴミ処理はしないだろう。たぶん運動場の下に何が埋ってても、大きな問題は起きない。それどころか開校までいけば発覚する事もなくなる。
そんな事が起きていたのではないだろうか?
どっかでメール不可の理由を議論してたけど、見失ってしまったので大元に。
メールが駄目なのは、付着時に学校側の責任にされるのが面倒くさいからだろう。ママさん同士でよくそれでモメてるみたいだし。
もっと面倒くさいのは、(園内行事の幹事曰く)メールだと付着責任問題があるからLINEで全員に連絡取りたいから、LINEしてない人は幹事に気を遣えない自己中、というスレを最近小町で読んだ。
それはともかく、たしか Nifty でメールからFAX変換というサービスをやってた筈と思って探したけど、既に廃止された後だった。
http://www.nifty.com/mail/fax/
BIGLOBEでも同じサービスがあって、こっちはまだ継続してたんだね。40円/枚という単価も同じだ。自分も、今後はこれを使わせてもらおう。元増田のおかげでよいことを知った。有難う。
「力に善悪はない。振るうものに善悪があるのだ」という信念のスーパーがあったとして、販売制限せずに続けてそのスーパー由来の包丁で死亡事故が起きたら
当然責任問題になりますよね。ならないとかいうクソリベは包丁で死んでどうぞ。
じゃあポケモンGOはどうですかと。
速度制限がどうこうと規制してますとあぴーるしてますと、これはいい。
でも実際に死亡事故が起きている。
つまりメーカーの対策が甘かったから起きた事故であり、その責任はメーカーにも間違いなくあるよね?
はてなーが馬鹿なのは、自分にとって都合のいいものはクソリベばりに自由を振りかざすくせに、
自分にとって都合の悪いもの(タバコなど)はクソ保守ばりに規制したがるんだよね。
で、今回はクソリベばりに自由を振りかざすばかりにバランス感覚ZEROのクソブコメであぶれている。
常識的に考えてください。
彼なりに生きる道を見つけたのに、何が責任問題なの?
公称値を鵜呑みにしている人間がこれほどまでに多いということ。
未だかつて公称値があたっていた試しなんてあったか?
携帯電話の待ち受け時間、パソコンの処理能力、食品に記載されているカロリー表示、アイドルのスリーサイズ、車の燃費。
あぁまたか程度に思ってたのにこの大騒ぎ。
ただ心配なのは、そうしたカタログ全ての嘘がこれから暴かれていくってことだ。
震災二回食らった上に、ここで企業の責任問題あげつらい始めたら日本の経済は本当に終わる。
本当に本当に本当に終わる。
どれだけの雇用が止まってるかわかってるか?
一部の貧困から抜け出せないノイジーマイノリティによって、この国は今滅ぼされようとしている。
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。
①『明らかな』異常を認めません
つまり、「異常ありません」と言ってしまうともし異常があったときダメなので、
『明らかな異常』を認めません、と言えば、微少すぎて物凄く頑張ってみないと100人中50人見落とすようなそういう異常に対しては言い逃れできている。
この言い回しをすることによって、「ガイドライン」を作ることができる。
つまり、ガイドラインを作るときに『明らかな』異常といえるものを定義する(C-Pアングル、第○弓突出、心胸郭比≦50%など、見る部分を明確に定義されている)ことによって、『明らかではない』あるいは『非典型的な』異常を逆に定義できている。
医療訴訟になったときも、カルテにこのような記載をしていれば大丈夫という共通認識もある。
患者さんに説明するときは、「大きな異常は特に見られませんでした」くらいの言い回しにする。
②『○○は否定的』『○○を否定できない』『鑑別として○○を上げる』『○○を疑う』
医学ってのは、何がおこるか分からない。どーみてもインフルエンザの人が肺がんだったりする。
そういうときに、カルテに「インフルエンザではない」とは書けない。インフルエンザのとき責任問題になる。
そういう時は、『インフルエンザは否定的』という推論形式に保留する。これなら仮にインフルエンザだったとしても、「その時の検査や身体所見から積極的に疑うものではなかった」と言うのがもし正論だった場合には責任を逃れられる。
また、いくつか原因が絞れない場合は、すべて書いておくけど、症状から一番確率が高いものを3つくらいと、症状から緊急性が高いものを3つくらい頭に浮かべる。そういうのを『鑑別』っていうんだけど。そういう風に、いくつか考えて検査中ですよっていう記録を残しておく。どれかが原因で仮に不幸な結果になったとしても、「その他の病気を考えるべき状況だったし、他の病気の検査も進めていたので、対応が遅れた、でもそれは論理的に時間的にしかたなかった」と責任を逃れられる。
③『時間をください』
でも、告知するタイミングってのもある。突発的に自殺とかってありうるから。
そういう場合に、「病状をもう少し見させてください」的な会話はありうる。
これもうまいなあと思う。
④『一秒を争うという話ではないですが』『一日を争う話ではないですが』
つまり、明日には病院行くべき、とかそういうことを伝えたいわけですね。
はっきりと行けというと、これは営利目的じゃねーの?とか問題になるから、言えない。
患者さんも自分で治療を決定する権利を持つべきだから。治療したくないなら自己責任で判断してもらう。
⑤共感的態度を取る
自分でもこれがどの程度有効なのか分からないんだけど。確かに自分が患者になってみたときはこれは大事だなと思う。
共感的な態度を取ってることで、相手が気分よくなるってのもあるのかもしれないが、俺にはそういうのは無い。
無いんだけど、共感的態度は責任を逃れやすいと思う。なぜなら患者が自己決定しているのを促すから、医者の独断っていうことになりにくい。
責任の所在をはっきりさせずに事を進めるっていうのが本懐なのかなって思う。
医学教育ではこの当たりは目的をはっきり言わずに、「やさしさ、思いやりのある医者になろう」ってことになってるけど、そっちが本当にメインなんだろうか。
なんか、ホストになってる気分なんだよねー。おじいちゃんおばあちゃん相手のホスト。
ホストとか、ホステスとかって本当にそういうハイハイみたいな共感とかで客は喜ぶんだろうか。
でも、確かにホステスには話しやすい雰囲気は出るよね。そういうことで、患者に話してもらうほうが医者はノーリスクで事を進められるね。患者も話しやすいから自己決定しやすいし。
そういう意味だろうね。やさしいどうこうって話では無いと思うんだけどなー。
患者さんが何か言ったときの返しを選ばせるんだけど、オウム返しを選ばせる。
これで、患者が話しを続けやすくなりますよってことらしいけど。
当の受験生や医者からも馬鹿にされてる。なんじゃそりゃってw話すすんでねーよw
⑥何かあったらスグ来てください
何かあっても、医者の自分ですら、仕事即効中断で医者行くとかできねーのに。ましてや普通の人には無理だろって思うんだよなーw
あと、救急なんかで、処置しても、それが正しい処置だったか分からない。なんたって夜に非専門が見るわけだからさ。そういう場合は、「早い内に専門の先生に診てもらってください」とか治療前に「現在居るのは非専門医だけです、ですので専門的な処置はできかねますし、応急手当しかできませんが、よろしいですか」と必ず了解を取る。まあ責任逃れだよね。
⑦とりあえず全部認める
ミスがあったら、さっさと腹ばいになって、全部正直に話す。正直にありのまま言う。
嘘ついたらアウト。
で、嘘つかないメリットは何かって言うと。ガイドラインどおりやってれば訴えられても問題にならないこと。
あと、裁判に成るかならないかってのは別に医療ミス関係無いことも多い。裁判のあの場所に医者をよんでやるっていうそのためだけにやる人が多い。
だから、患者感情を逆撫でせずに訴えられないことが大事であって、医療ミスしたしないはあまり重要ではないって論文がある。
だから、医療訴訟になっても負けることは無いんだからとりあえず嘘なんかつかない、ガイドライン通りにやってればまずまず大丈夫。
問題は、裁判に時間をとられることやストレスや体力奪われること。
ってかさ。これ言ったらアレなんだけど。医者の1日って結構な人数の命を救うわけだからさー、法廷に呼ぶっていう行為自体が殺人的だよね。そう思うんだけど。そういうの関係無いからねえ。純粋に法律で裁かれるわけだし。
あと、医療ミス関係無いって書いたけど。ぶっちゃけ医療ミスなくても有罪になるときは成る。だって、法律はゲーム化しちゃってるから。腕のいい弁護士やとわれたら終わり。そういう理不尽な運ゲー感ある。
いやだよねえ。
「給食を全部食べさせる」教育の弊害。俺は、小学生の時、自分が自殺すると給食のおばさんが喜ぶと信じていた。
先生は「給食を全部食べないと、給食を作ってくれたおばさんが悲しむ。全部食べれば給食のおばさんが喜ぶ。だから、給食は全部食べなさい」と教えていた。
自分は、食べるのが遅く、給食を牛乳で流し込んで食べていた。まずい。苦しい。しかし、どうやら給食のおばさんは喜ぶらしい。
つまり、給食のおばさんは、僕ら小学生が苦しめば喜ぶ人たちなのだ。人にとって一番苦しいのは死だ。
給食を牛乳で流し込む程度の苦しみで給食のおばさんは喜ぶのだから、自分が死ねば、ものすごく喜ぶに違いない。
加えて、自分の分の給食も作らなくてすんで、一石二鳥。だから、「自分が自殺すれば給食のおばさんは大喜び」と信じていた。
給食室で、給食のおばさんから給食を受け取る時、今日も生きててごめんなさい、と思いながら受け取っていた。
今は大人になって、同い年ぐらいの奴が普通に小学校の教師とかやってる。
「給食を全部食べさせることで苦しんでいる小学生がいる」みたいに批判すると、たぶん、「そんな小学生はいない」という反論が返ってくるのだろう。苦しんでいる小学生の存在を認めた瞬間、対策を講じないと責任問題になるからな。だから、そういう反論をあらかじめ潰しといてやる。俺は給食を全部食べさせる教育で苦しんだぞ。俺が実例だ。
・はてなの特定カテゴリから、いくらブクマが伸びても総合に現れない。
・はじめからNG
・途中からNG
・はじめからNG
おそらくこれは禁句が設定されているものと思われる。
それら禁句は、経験則上以下の通り。
権利関係が絡むもの。(商品、企業、サービスの固有名詞、おそらくは紛争回避と思われる。)
ここは自動処理が予想される。
・途中からNG
単語のNGはないけど、内容がアレな時と思われる。
いずれにせよ人的対応が予想される。
はてなのカテゴリ自体がタグや内容などをもとに自動的に割り振られていると考えられるので、各カテゴリにしか響かないキーワードもあれば、例えば総合など閲覧数が伸びる面において設定されているNGワードがあるように思える。
経験則上、ジェンダーに関わる内容によく見られる挙動に思えた。
あとこれは気のせいかもしれないが、それなりにブクマが集まってから突然ホッテントリするようなこともあった気がする。
もしそれが事実だとしたら、NGワードで一旦蹴られたにも関わらず、それなりにバズっている増田に関しては検閲候補になっているのかもしれない。
NGワード増田の中でブクマを集めている増田がソートされる→検閲→内容に問題がないと判断した場合、各カテゴリに振り分ける
増田はあくまでダイアリーなので投稿禁止機能はつくれないのではないか。
ただし、それが無条件にバズってはてな管理下の記事として広まってしまうには危険度が高いので、こうした処理をしているものと思われる。
おそらくこの辺りの責任問題をクリアにできない(しないほうがいい)点が、増田がいつまでもベータサービスな理由ではないかと勝手に考えている。
尚、ユーザー個人に対する監視についても可能性は否定できないが、慎重に言葉を選んだ増田は問題なくホッテントリすることが多いので、おそらくない。
もしかしたらNGワードに対するフィルタリングの強度くらいは設定されているかもしれない。
(過去問題のある増田を投稿したりした場合、NGワードが一つでもあれば無条件で検閲入りするなど。)
検閲の存在を意識してから、この辺りを気にして書いてみることで最近は問題なくホッテントリしてますし、先日は700ブクマくらいまで伸びたこともありました。
ご参考まで。