「給食を全部食べさせる」教育の弊害。俺は、小学生の時、自分が自殺すると給食のおばさんが喜ぶと信じていた。
先生は「給食を全部食べないと、給食を作ってくれたおばさんが悲しむ。全部食べれば給食のおばさんが喜ぶ。だから、給食は全部食べなさい」と教えていた。
自分は、食べるのが遅く、給食を牛乳で流し込んで食べていた。まずい。苦しい。しかし、どうやら給食のおばさんは喜ぶらしい。
つまり、給食のおばさんは、僕ら小学生が苦しめば喜ぶ人たちなのだ。人にとって一番苦しいのは死だ。
給食を牛乳で流し込む程度の苦しみで給食のおばさんは喜ぶのだから、自分が死ねば、ものすごく喜ぶに違いない。
加えて、自分の分の給食も作らなくてすんで、一石二鳥。だから、「自分が自殺すれば給食のおばさんは大喜び」と信じていた。
給食室で、給食のおばさんから給食を受け取る時、今日も生きててごめんなさい、と思いながら受け取っていた。
今は大人になって、同い年ぐらいの奴が普通に小学校の教師とかやってる。
「給食を全部食べさせることで苦しんでいる小学生がいる」みたいに批判すると、たぶん、「そんな小学生はいない」という反論が返ってくるのだろう。苦しんでいる小学生の存在を認めた瞬間、対策を講じないと責任問題になるからな。だから、そういう反論をあらかじめ潰しといてやる。俺は給食を全部食べさせる教育で苦しんだぞ。俺が実例だ。