はてなキーワード: 新横浜駅とは
英語で「New Chitose Airport」と言うらしい、公式が言うてる
バカなのか?
誰が決めたのか知らんが中学1年生か?
田中君はMr. Central Farmにはならない「Tanaka-kun」だ。
これをMr, Tanakaとするかは議論の余地があるが昨今は日本人の「-san」がビジネス英語で定着しつつ、ガイジンも日本人に対して敬称サフィックスで「-san」をつける。
まぁいい、そんなことはどうでもいい。
「New」だ
どこのバカがこれをやったのか。役人か?空港のお偉いさんか?知らんが。バカかと
「Shin-Chitose」で良い、というか唯一の正解、それ以外の英語表記はありえない。
なんだよ「New」てどっから出てきたんだ?
新を「New」と訳したのか?バカか?アホか?中2か?
仮に千歳空港に対して新しい空港であるから新を冠したというなら
それならばNew Chitose Airportでも良かろう。
新横浜駅は普通に「Shin-Yokohama Station」だ。
なぜ航空業界はNewを付けたがるのだ、日本の「新」空港は全てNewになってる。
バカなのか?アホ慣例か?
恥ずかしいから辞めろ
「New」とした精神性が恥ずかしいのだ。
中国語だと「新千岁」(発音:シンツゥエシィー)となっている。バカか?アホか?
「岁」は「歳」の中国語だ。
もう無茶苦茶、なにがしたいのだ?
音で訳したいのか、漢字の字面をできるだけ近づけたいのか、意味で訳したいのか。
なにをどう妥協したのか。
同じ漢字圏で読み方が違うので混乱回避のために妥協が必要なのはわかる。
だが「習近平」は中国語であって日本語ではない、一見日本語に見えてしまうがこれは中国語なのだ。
President Trumpを絵札大統領と書くバカはいない。
で、だ、話しを戻すが
新千歳空港駅は「New Chitose Air Port Station」と表記している。
もうね、呆れるしかない。
で、だ、これのなにがイカンか。
ホテルから空港への旅程がわからない、ホテルのフロントで尋ねる
Please tell me transportation to New Chitose Airport.
「ニューチトセ?」どこだそこは?もしかしてシンチトセの事か?
いやいやいや、現実的には新千歳空港ほどメジャーな場所ならマトモな常識人なら連想はできるが。
だから音で訳すのだ
喜連瓜破を「Joy Joint Melon Break」と言われても日本人の100%がわからん
ボケが
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
私が東海道新幹線に乗ったのは新幹線が開業して30年以上経った90年代。
母方の実家があるため静岡の病院で産声を上げた私が、当時両親の住んでいた社宅がある神奈川へ帰るために乗ったのが恐らくファースト新幹線。勿論記憶の欠片もない。
そこから幾年経ったのか明確に記憶があるのは、まだ0系が走っていた頃。例によって静岡の祖父母宅へ行かんと新横浜駅の待合室でこだまを待っている時の記憶。
当時、のぞみは走り始めていたが新横浜を通過するのぞみもまだまだある時だった。
全ての列車が停車する今となっては考えられないが、かなりのスピードで新幹線が新横浜を通過する時は待合室に相応の轟音と振動が伝わり、幼心に恐怖心が芽生えた。
こだまがそろそろ着く時間になると、エスカレーターを上がり4番線へ向かう。篠原側の有閑な景色を見て少し経った頃に、0系がホームに滑り込んでくる。
これに乗るといよいよ静岡のおばあちゃん家に行くぞ、と気持ちが出来上がるのだった。
そんなわけでしばらく新横浜〜静岡の往復でしか東海道新幹線というものを知らなかったが、その見聞が一挙に広がることとなる。
ある時、静岡の祖父が旅行を企画してくれた。寝台特急富士・はやぶさで九州へ行き、帰りは博多から500系のぞみで帰ってくるというものだ。(祖父も神奈川まで来てくれた)
フォルムの格好良さに憧れてはいたのに縁のない列車、と諦めていたが遂に乗れるチャンスが訪れたのだ。
空気抵抗を減らすため円形に作られた車体は2列×2列シート。高身長の祖父は少し窮屈そうにしていたが、幼少の私はそんな事気にも止めず、5時間近くの乗車をただただ楽しんだ。
何せ全てが見た事ない。そして、300km/hで流れていく景色の速さ。気付けば慣れ親しんだ新横浜のホームに降り立っていた。
そこから、中学の修学旅行で京都に行き、当時まだ試運転をしていたN700系を見たり、大学に入ってから付き合った彼女と京都に行ったり。
そして現在に至る。
三十路を越えた今では、JR東海に勤めることは出来なかったものの電車のマスコンハンドルを握って仕事をしている。
恨むこともないし、社会人になり親友が名古屋に転勤になったからと託けて名古屋に行ったり東京での飲み会の帰りが面倒で乗ったり、と東海道新幹線に乗る機会は減るどころか増える一方だった。
飲み会帰りに気軽に使うような間柄になっても、やはり新幹線という特別感は拭うことが出来ない。東京駅の東海道新幹線ホームに上がり白い車体を見る時、心の端にいつも高揚感が芽生えていた。
車両が変わり、速度が増して静岡まで1時間を切るようになり、その距離は益々近くなっていったが、社会人になった忙しさとコロナ禍にかまけて私と祖父母の距離は遠くなっていた。
予め認知症などの兆候があったとはいえ、やはり思うところはある。
静岡のホームで、ここ空いてるよ!と並んでる列を割り込もうとした祖母を窘める祖父のこと。
社会人になった後に神奈川へ祖父母が来た時、帰りの切符をグリーン車で取ってあげたらグリーン車なんて乗るの初めてだよ…と泣かれたこと。
母は、修学旅行では寝台特急で長崎へ行ったと言う。それはそれで羨ましいものがあるが、新幹線開業以前、長距離の旅とはおいそれと気軽に行けるものでは無かった。
現代では、仕事終わりに急に新幹線に乗っても1日とかからずに殆どの目的地へ行くことが出来る。
私と祖父が同じ時代を生きた時に、新幹線があって良かったと思う。
会いに行こう、をテーマ曲に。これからも日本の大動脈として人々の出会いを支えて欲しい。
そう思って文を締めます。
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
新横浜駅のホームエレベーター前に大量のキャリーバッグを引きずった人たちが並んでいた。並んでいる人たちの中には、赤子を乗せたベビーカーを押している人や車椅子に乗っている人もいた。
キャリーバッグの客数名がエレベーターに乗りこむと、ベビーカーや車椅子はスペースが狭く入れない。その隙に他のキャリーバッグの客がエレベーターに乗り込み、エレベーターは満員となりそのまま上の階に行く。
ベビーカーや車椅子が次の便の先頭になっても、ドアから少し離れた位置に並ぶ。それは、ドア目の前にベビーカーや車椅子が並ぶと、降りてくるベビーカーや車椅子がドアから出られなくなるからだ。しかしそこにその事情を分かっていない数名のキャリーバッグが割り込んで並び、また同じ現象が繰り返す。
エレベーター譲れよ。
エレベーターでないと移動できない人たちがそこにいるんだから、譲れよ。周りを見てくれよ。誰にだって色々な事情があるのは分かるけれど、少しだけ我慢してやれないか。エレベーターはいつでも誰でも使えるただの便利道具じゃないんだってことを分かってくれないか。
当方29歳男性、東京在住の中肉中背サラリーマン。年末休暇を利用して岡山に一泊一人旅に来ていた。
で、岡山に着いて早々に財布を落とした。現金も、カードも、すべて財布に入っていた。
気づいたその時から、この状況をサバイブし如何に東京に帰るのか、その手段を見つけることがこの旅の目標になった。
予め断っておくが、えっちなご都合展開とかは全くないので、そういう展開を期待する読者諸賢は、この段階でブラウザバックすることを強く推奨する。
まずもって幸いだったのは、事前にホテルの宿泊料金はwebを通じて支払い済みだったことだ。
師走の末に野宿は命に関わる。一泊5,000円のシティホテル故、問題解決に向けての協力は全くしてくれなかったが、それでも夜露をしのぐ屋根を提供してくれただけで御の字だった。
そして、一文無しとは言ったが、普段使っているSuicaには3,000円近い残高があり、コンビニでおにぎりやお茶を問題なく調達することが出来たので、飢えることもなかった。
電子マネー創成期は様々な規格が乱立しており、関東ローカルのSuicaが岡山でも問題なく利用できるに至るまでは、関係各社の粘り強い改善があったはずだ。その努力をしてくれた無名のヒーローたちに、私は心からの敬意を表させて頂く。
さて。財布を落としていの一番にすることは、カード会社への連絡と警察への連絡だ。
全ての連絡を滞りなく済ませてから、やはり一番の問題は如何に明日東京に帰るのか、という点にあると思い定めた。
未成年のころに自転車で2ケツしていたのをこっ酷く叱られたり、北海道旅行で前にも後ろにも一切車がいない一直線の道路を快走していたら、茂みに隠れていた交通警察の餌食になったりと、とかく良い印象がないのだが、最後の最後市井の味方になってくれるというのが警察というものであろう。
お金を落として警察に借りた的な逸話は何度か聞いたことがあったし、今回は岡山→東京の16,640円という金額の高さがネックではあるものの、窮状をしっかりと伝えれば何とかなろうとの思いで、先ほど遺失物届を出した交番に改めて連絡をした。
返ってきた答えは「警察はお金の貸し出しはしていないんですよ」だった。無情である。
曰く、確かに警官がお金を貸し出すケースはあるが、それはあくまでその警官の善意で、ポケットマネーでやっていることであって、警察として制度として運用しているものではない、とのことである。
私としてもさすがに今日初めて話した岡山の警官に、16,640円分の善意を強請るのは酷であろうと判断し、素直に引き下がることにした。
この時点では私はまだ、誰か知人に頼ることなく現状を切り抜けられるならそうしたいと考えていた。旅行先で財布落として無一文となって助けを求めるというのも、なんとも恥ずかしい話であるから。
次に思いついたのは消費者金融でキャッシングするという手である。
人生を堅実運営している私が彼らと接するのはテレビCMくらいなものではあったわけだが、「審査は30分で終了、即キャッシング!」とか、「初回借り入れは30日間利息無料!」とか、けたたましく主張していたのを思い出し、お、これはもしかして良い手かもしれないと思い、さっそく某P社のホームページにアクセスし、必要事項を記入し審査依頼を出した。
そういえば今期の住民税を期限内に払っていないことを思い出し(人生を堅実運営とは…)、クレジット履歴に傷がついていることを一瞬不安にも思ったが、よくよく考えてみるとこの程度の傷で貸し出し拒否していたらあんなに全国ネットでCMをアホほど流せるような事業規模になるわけがない。これはイケると思っていたら、さっそく担当者から電話がかかってきた。
通り一辺のやりとりを経て、お、こりゃこのまま問題なさそうだ、と思っていたのだが、
という質問から状況が暗転する。面倒くさくて免許証の住所の切り替えなんてしていなかったのである。
「いや、住所は前住所のままでして…」
「なるほど、ではこの場合2重チェックが必要ですので、健康保険証か、公共料金の支払いの控えはありますか」
保険証は財布とともに闇に消えた。公共料金の支払いの控えは、東京の自宅にはあろうが、困っているイマココは岡山である。
「いや、それはちょっと準備がむずかしく。。。」
「左様でございますか。大変申し訳ございませんが法律上のルールになっておりまして、条件が満たせない場合、お貸出しをするわけにはまいりません。お力になれず誠にもうしわけございません」
「いえ、こちらこそ、お手間を取らせまして。。。」
彼らは以前、法的にグレーゾーンな金利をとったり、無茶な貸付/回収をしたりして社会からバッシングを受け、金融庁にボコボコにたたかれ、巨大銀行グループの軍門に下り、今やすっかりお役所のような、丁寧でコンプラ意識の高い組織に生まれ変わっているようだった。
これが良いことなのか悪いことなのかといったら、多分良いことなのであろう。私はまた、日本社会の小さな改善を目の当たりにした気分であった。
さて。こうなってくるといよいよ手がなくなってくる。この段階からやむなく、誰か知人に頼ることを前提に考え、また調べ始めた。
そうしてみると、何より厳しいのが、今は年の瀬、しかも東京に帰らなければならない31日は土曜日という点である。日本が誇る金融ネットワークが悉く停止しているのだ。
もしも明日が普通の平日ならば。ゆうちょ銀行のサービス「電信現金払(窓口)」がベストソリューションであろう。
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/sokin/hikoza/kj_sk_hkz_densin.html
「送金人の振替口座または総合口座から預り金を払い出し、送金人が指定したゆうちょ銀行または郵便局の貯金窓口で、受取人が現金を受け取る送金方法」である。
ただし、ゆうちょ銀行の窓口機能が停止しているため、これは今回に関しては使えない。
知人に宿泊しているホテルに必要金額を振り込んでもらい、それを確認してもらってホテルから現金を受け渡して頂くことも考えたが、なんせ明日は入金の確認が出来ない。ボツである。
考えあぐねた結果、私は恥も外聞も投げ捨て、ソーシャルネットワークの力に頼ることにした。現状を整理し、友達が327人登録されているフェイスブックにヘルプ要請を投稿した。
今は21世紀。集合知を以て問題に立ち向かう。これが現代的なソリューションである。
そうしたらまぁ、実に多くの方から、心配/励ましのお言葉と、こういう手は使えないかな、というご提案を頂いた。感謝に堪えない話である。
一切観光していない岡山のシティホテルで、私は自分の豊かさを神に感謝した。そして、その中の一つの提案が実り、私は無事東京に帰れることになった。
①知人に最寄りのJR駅に行ってもらって、事情を説明したうえで、新幹線料金をその場で支払ってもらう。
②その最寄り駅の駅員から岡山駅の駅員に連絡してもらい、支払いが済んだ旨を報告してもらう。
③そうしたら、新幹線の乗車券の代わりとなる「業務連絡書(乙)」を発行してもらえる。これがあれば、新幹線に乗車することが出来る。
業務連絡書(乙)は、「運賃・料金の収受による便宜乗車について」定めたもので、「この業務連絡書をお持ちのお客様は、所持金不足ですが、○○駅に運賃・料金を支払われたことが確認されていますので、便宜乗車の取り扱いをお願いします」と記載してある。
要は、JR各社間で、私が今回直面した事態は事前に想定され、その対応策に至るまでしっかりと制度化されている、ということである。
さすがにイレギュラー対応であるし、現場の駅員さんは、私が最初に尋ねた際はその制度を正確に理解されていなかったが、おそらく後からマニュアルを確認し、迅速に対応くださった。
代金の立替は姉にお願いした。窮状を発信してから直ぐに連絡をくれて、最後まで力になってくれた。
終わってみればどうということもない話であるが、こちら側から「こういうことが出来ると思うのですが」と提案することなく空手で相談しに行っていたら、岡山駅の担当者がこのソリューションに思い至らず、未だ岡山をさ迷っていた可能性もある。
そういう意味では、私のソーシャルネットワークがもたらしてくれた情報には、大きな意味があった。
今回は最終的には使わなかったが、他にもソリューションとなり得る案がいくつかあった。
一番びっくりしたのは、ビットコインを用いた解決提案だった。曰く
②知人から新幹線代金相当のビットコインを送金(アプリケーション上で出来るらしい)
③ビットコインATMで換金(岡山駅周辺にも2か所あるらしい)
世の中はやれFintechだ、C2C金融だ騒がしいなと思っていたが、こういうことが出来るようになるのだと肌で感じた。世界は進んでいっている。
また、一番レガシーなやり方だが、直接お金を届けるよ、と言ってくれた方も2名いた。うち1名は香川に住んでいて、それでも岡山駅まで40分だからすぐだよ!と申し出てくれた。本当にうれしかった。
今回私は岡山に財布を落としに行ったようなものである。金銭的には大損だし、まぁ2度はやりたくないとは思う。
しかし、この2日間の体験は、単なる旅気分でぼーっと過ごすよりかは、きっと意義あるものになったとも感じる。
普段は見えない社会システムの裏側が、何だかんだ健全に稼働し、日々進歩していることを知ることが出来た。
ソーシャルネットワークの問題解決能力を、改めて知ることが出来た。
岡山に、行ってよかったな。
さて、新横浜駅を超えて、そろそろ東京に近づいてきた。年末年始は家族とゆっくり過ごそうと思う。
皆様、今年もお疲れ様でした。
【追記/2017-0101_11:10】
新年あけましておめでとうございます。朝起きてはてブ見たら、この記事がいきなり表示されててびっくりしました。お年玉ですかね?
とりあえずブコメで指摘されていた誤字は修正しました。新幹線の中でベタ打ちした文章をろくに推敲せずに投稿してしまったので...まさかこんなに多くの方にお目通しいただけるとは思っておらず、お恥ずかしい限りです。
以下、お正月で暇なので、いくつか気になったコメントをピックアップしまして、ご返答しますね。
・wdnsdy 財布をなくしたことがないので、財布をなくした話を聞くと一体どういう原因で財布をなくしたのか詳しく知りたくなるのだが、大体そこは誰も詳しく書いてくれていない。原因を知って完璧に備えたいんだがなあ
→ダウンジャケットのポケットに財布を入れていて、そのダウンジャケットを手で持って歩いていて、ふと気づいたら財布がなくなっていました。。。単なる不注意ですね。
・h5dhn9k 公衆接遇弁償費は使えるのでは?このケースでは使ってもどうしようもないけども。
→ほかの方のブコメにもありましたが、各都道府県警察ごとに、公衆接遇弁償費の制度があったりなかったりするようです。恐らく岡山はなかったのだろうと思います。
・outalaw SNSをやっていないからヒッチハイクしか思いつかない……。実際財布落としたらそれしか無いからトラックの運ちゃんに事情を話して乗せていってもらう。
・boymeetsgirlsorezoreno 面白かった。自分だったらヒッチハイクかな。とにかくお疲れ様でした!良いお年を!
→小賢しく頭を使うよりも、これが出来るコミュニケーション能力がある人が最強だと思います。私は見知らぬ他人と10時間近く運転席と助手席の関係になることが耐えられんだろうなと思いました。。。
・turione スマホ使えるなら新幹線のネット予約出来るんじゃ
→クレジットカード決済でネット予約したとしても、チケットを引き取る際にその決済したカードの実物が必要なので、今回はこの手が使えませんでした。
・keshitai おサイフケータイかiPhone7があればSuicaとクイックペイが使えるので何とかなる感がある
・kaitoster 自分だったらモバイルSuicaにクレカか銀行口座から2万円チャージしてサクッと新幹線で帰宅するかな・・・。モバイルSuica用のクレカは家に置きっぱなしで普段から持ち歩かないので紛失リスクがない。
・shoutatani スマホにポストペイ型電子マネーと、モバイルSuicaにクレジットカードを登録しておくだけで食には困らないし、宿泊もWebで登録済みカードがあればイケると思う。クレジットカードを一枚は持とう
・MrA-Z 思いついたのは…モバイルSuicaにキャリア決済で入金かな。
→私はPHS+ipod+wimaxのポケットwi-fiというセットで使っているので、モバイル端末に決済機能を持たせていなかったのです。リスクヘッジという面では、やはり様々な決済手段を分散して持っていたほうが良いと今回思い知りました。
・sanam おお、良かった。でも“北海道旅行で前にも後ろにも一切車がいない一直線の道路を快走していたら”これで急に動物が飛び出してきて事故る人も多いので気を付けてね。
→なるほど、そういうことなのですね。。。勉強になりました。まぁ、トラウマもあるので、次北海道でレンタカー借りる際は十分注意します。
・shngmsw ビットコインATMは六本木、渋谷、岡山、鹿児島にしかないらしい。東京と岡山の大都会間だからできたソリューションでしたね。 http://bitcoinjim.com/bitcoin-atm/
→そのサイトを運営している人がまさに、今回のソリューションを提案してくれた人でした。普通は思いつきすらしないですけど、もしかすると5年後にはこんなことも当たり前になっているのかも。。。?
・raic レガシーな方法から最先端のビットコインまで色々な解決策があるみたいだけど、その情報を収集できるスマホが手元にあったのが一番の要因だね。
→これはですね、本当にその通りです。私の場合はPCを持ち歩いていたので、専らPCを使って調べもの、連絡をしていましたが。とにかくインターネットすごい。
・mujou03 なんでまた岡山へ旅行したのか気になった
その頃私は東神奈川方面行きの小机駅の少し手前を走っていた電車内にいた。
− 長津田駅 − 十日市場駅 − 中山駅 − 鴨居駅 − 小机駅 − 新横浜駅 − 菊名駅 − 大口駅 − 東神奈川駅(横浜線終点)
小机駅で運転見合わせとなり再開見込みまで4,50分とのアナウンス。
仕方がないので隣の新横浜駅まで歩いて行くことにした。
実際に新横浜駅まで歩いたがどう考えても徒歩20分の距離ではなく30分程度かかった。
歩くという選択をした他の乗客とほぼ同じ速さであったので歩くのが遅かったということでもない。
(後で徒歩の経路をGoogleマップで計測すると約2kmあった。)
更に新横浜駅に着くと新横浜駅から東神奈川駅方面の電車も運転見合わせ。
一体何のために歩いたのか。
更に更に小机駅より反対方面(長津田駅方面)の電車は折り返し運転をしており
行き先次第ではあるが中山駅や長津田駅まで一旦戻って代替輸送に頼った場合と到着があまりかわらない始末。
隣駅まで歩くという選択肢を伝えてもらえたこと。
新横浜駅には多数の路線があるため助かった人も多いと思う。