はてなキーワード: 性的指向とは
何故かというと、バイセクシャルは異性愛者からは勿論同性愛者からも「結局異性と結婚するんでしょ」って叩かれやすいし、実際異性と結婚している自分のカムアウトは多方面へのエンタメ提供にしかならないと予測できるので。
足立区の区議の人の「LとGが流行ったら足立区は滅亡する」って発言には、怒りより呆れと笑いの方が強かった。性的指向が流行に左右されるという発想が面白くて。同性愛者全員がカムアウトして偽装結婚をやめたら、じゃないんだな、バイが全員同性との結婚を選んだら、でもないんだな、その程度の知識で物事を批判っていうか人間を攻撃できるのすごいなー、って感想だった。
「同性愛が流行る」なんてほとんどの日本国民にそんな発想はないし、何学的にかは知らんけど起こり得ないってみんな知ってる。と私は思い込んでいたからだ。
この思い込みがまずかった。メディアで連日報道されてんのも「すごいトンチキ爺さんが出てきたからみんなで笑い者にしようぜ」って意味合いだと思ってしまったし、実際自分のTwitterのタイムラインにはそんな感じで区議を揶揄っている人も結構いた。
イベントも春からずっと中止中止、本を出しても売る場所ないし同人自体お休みしてくさくさしてて、でも他ジャンルはアンソロとか楽しい企画やってたりして、不貞腐れてるところに一次創作(?)の楽しそうな企画。
これは区議の発言をネタにしてみんなで楽しめるなと飛びついて、参加表明した105人の中の1人になった。
あー私誰か傷付けちゃったんだな、と思ったので、怒ってる人がなんで怒ってるのかちゃんと読んで反省しよう、と思った。
2. 自分たちを傷付けられたと怒ってる同性愛者(足立区民よりは多い)
3. 同性愛者を傷付けるであろう行為に怒ってる腐女子(大多数)
正直足立区民の怒りも予想してなかった。自分は壊滅じゃなくて滅亡って単語からと、発端が区議会ということ、ピンポイントに足立区域のみが滅亡することから「自治体が機能してない状態」を想像していた。普通に葛飾区に編入されるプロット書いてた。葛飾区は今パートナーシップ制度について検討中の自治体だから、足立区がどうにかなるような未来には法案が通っててめでたしめでたしって。それも違った。怒ってる足立区民は戦争とか紛争とかって単語と共に怒ってる人が結構いた。愛する地元が壊滅させられると思ってるっぽい。大切な人がめっちゃ死んで大切な場所が壊滅するって思ってる多分。それは悲しいわ。でもフィクションの、しかも自分が読むわけじゃないアンソロの中で起こっててもそんな怒るほどのことかなって思った。
自分は昔糀谷に住んでたから、シン・ゴジラで蒲田くんが当時の家の裏の川を遡上してってお散歩コースぶっ壊してよく遊んでた蒲田駅前まで這っていくシーン観た時はちょっと悲しくて泣いた。泣いたけど現実の蒲田は無事だって知ってるし、庵野に怒りの感情とか全然ないし、蒲田を最初の上陸ポイントにしてくれて嬉しかった。だってフィクションだし。
次、同性愛者。
これも自分はバイだから当事者側だろう、という思い込みがあった。同性愛者にとっては「どうせいざとなったら異性と結婚する」バイは異性愛者側の人間なんだった。いやたまたま一生一緒にいたいぐらい愛した人が異性だっただけなんだけど。そんでその場合結婚制度を利用したらメリットが結構享受できるから利用したんだけど。転居先の自治体がたまたま若年者の家の購入に補助金出してたから運が良かったなーぐらいの気持ちなんだけど。いや結婚と内縁にすらなれない関係じゃ雲泥の差なのはわかるよ。でもバイだって結婚できるからって理由で異性選んでないよ、少なくとも私は。だからマイノリティの中で更に被差別層作って分裂させてる同性愛者の人達に「お前は当事者ではないから差別」「お前は異性愛者だから差別」って言われてもそれこそが差別だとしか思えないわ。
その中でも少なくない数の腐女子は、今回の企画の問題点が「区議のような発言をする人がまだまだたくさんいる世の中で区議の発言の通りの設定に乗っかることが差別を助長しかねない」ことであるとちゃんと指摘してくれていて、あー考えが至らなかったな申し訳なかったと思った。それはごめんなさい。自分の周りしか見てなくて世の中が同性愛者をそんなに迫害してるとは知らなかった。
でもあとの腐女子は無理。
パートナーシップ制度はセンシティブな問題、同性愛者を玩具にしてる、配慮がない、せめて参加者に当事者がいれば、ヘテロオタクの悪い癖だ。
まずなんで参加者も企画者も全員異性愛者だと思い込んでんのか意味わかんない。あなたはアンソロに寄稿する時自分の性自認とか性的指向をペンネームに添えるんですか?同性愛者を攻撃するのは異性愛者に違いないって考えもまた差別だってことわかる?
あと同性愛を面白おかしく創作に落とし込むのは当事者への配慮不足、これすごいうけるんだけど。普段この人達が描いてる(読んでる)同人誌は一体どんな当事者への配慮をしているの?それは面白おかしくないの?異性愛者が実際の同性愛者の性行為とかけ離れた描写をするBL・百合創作は同性愛者を玩具にしていないの?なんで今回のこの件だけ怒ってんの?あんたたちだって同じ穴じゃん。鏡に向かって言ってんの?
【追記】
お前ら論点ずらすためにあえて誤読してんのか、単純に読解力ないのかどっちだ?
「男性的感覚からすれば女はイージーモードってのは間違いない」であって
「(非モテ男レベルの)非モテ女なんて(ほとんど)存在しない」や「非モテ男にとって、女という超有利な立場にいながら、女だって辛いんですーっていうのがいかに傲慢で残酷か」って話なんだよ
俺がゲイ界隈に飛び込んだ一番の理由は女に対する憎しみであり、上記のようなことを言う女に対して「実際穴モテしてみたけどやっぱ女ってイージーモードだったわ」って言うためだよ
勝手に「非モテ男はゲイにモテれば救われる」みたいな話にしてんじゃねーよ
そもそも本文中にも書いたが、もう非モテがモテと承認を求めて界隈に流入し過ぎてゲイに掘られるのが非モテ救済のソリューションになる時代は終わってるよ
対策が相手がコンドームつけてくれるかどうかで決まる性感染症と
自衛で99%防げるうえに、当たっても中絶できる妊娠が圧倒的に高リスクだとでも思ってんの?
(これに関してあたかも俺が「妊娠のリスクなんて大したことない」って言ってるような反応してるブコメ見るけどアホなのか?よく読めよ。ギャーーー女性様が批判されてるーーー!!で脊髄反射でブコメしてんじゃねーよ。そういうとこだぞ)
ほんとお前ら女に都合いいことしか言わねーな
ま、しょうがないよな
苦しんでる男と女がいたら女を助ける人が殆どだろうし、女の味方してるほうがメリット大きいもんな
相手を選ばなくてもセックスできない人間の苦しみはわかんねーよ
※追記ここまで
非モテ女が「存在しない」とまでは思わないけど、モテに関しては男と女じゃ「足切りライン」が全然違うんだよね
容姿が原因で男の非モテに相当するような女って1000人に1人レベルのブサイクなんだけど、男だと10人に1人程度のレベルでしかない
数字は適当なんだけど男と女ではそんくらいの差があって、この差はそのまま女と男のモテ、恋愛市場での価値の差なわけよ
しかもその男女差は非モテ側になればなるほど大きくなるもんだから、非モテ男女の争いが「持てるもの」と「持たざるもの」の様相を呈してくるんだよな
それを踏まえて、男増田にゲイに掘られてみろとか言ってる人いるの見ると
男増田だけでなく「女は女ってだけでモテるからイージーモードだよな」って意見に対して「ゲイ向けに性的アピールしてみれば女の苦しみがわかる」みたいな意見はよく見るが
もう十年近く昔の話だけど、俺がまさに「非モテ拗らせてゲイに掘られた人間」なんだわ
やっぱ女ってイージーモードだわ
ってことだった
性的に求められる側になるってこんなにスゲーことだったんだ
と感動することばかり
もちろんもともと非モテなので容姿がいいわけではなくゲイ業界でもモテモテってわけじゃないし、多分俺と性的関係をもったゲイたちはゲイ業界でもあんまりモテない人たちだったんじゃないかと思う
なのでゲイ業界でも容姿に対して罵倒される経験もそれなりにあったけれど、「女」ならそれすらも「モテ」に使えるんだわ
「容姿を蔑まれてつらいよーうえーん」みたいなこと言っておけば
「うんうん、辛いよね」「そんなことないよ!」「俺は見た目では判断しないからね!」って連中がウジャウジャ沸いてくるんだわ
飯奢ってくれたり、直接的にお金渡されたりとか金銭的なメリットもあったし
性的関係に至るまでのアプローチを向こうが積極的にやってくれるという経験もできた
キモいと思われるかもしれない、嫌われるかもしれない、セクハラで訴えられるかもしれない
俺は平均的な男性より貧弱なので、身体的なリスクは当然あったし、実際危険な目に会うこともあった
そもそも俺は性的指向女のバリバリのノンケなので、鼻息荒くしてくる男に対する嫌悪感は女が男に感じるソレより強い
自分を求めて、まっとうな社会生活を送っている男たちを鼻息の荒いアホや暴力的なクズにできてしまう全能感の方が強かった
そういうリスクや嫌悪感を許容する「だけ」で性的に承認されるわけだしな
恋愛市場ではゴミクズクソ雑魚の俺が「穴」という武器を持つだけで無双できる快感は恐怖や嫌悪感を上回るのだ
しかもそんな「ヤリマン」に寄ってくるのはセックス目的の男ばかりかというと、意外とそうでもない
正確にはセックス目的で寄ってきた人間がいつの間にかガチ恋勢になってるというべきか
人間セックスした人間には愛着湧いちゃうもんで、「穴モテしたとこで体目当ての人間からしかモテない」ってのは嘘だなと思ったね
こんな俺を特殊な人間だと思うかもしれないけど、実は俺みたいな人間は結構多いんだよ
非モテ男が女のように簡単に承認欲求を満たすためにゲイ業界に参入してくるってのは結構あって
今ではそんな人間が増えすぎて深刻なタチ不足になってるらしいってんだから笑えるよな
ともかく「男の感覚を持ちながら恋愛市場で女を体験した」感想書いたわけだけど
差別主義者のブクマカ共は俺みたいな人間の意見を見なかったことにするか嘘松扱いして、明日も女増田をヨチヨチして男増田をブッ叩くんだろうな
非モテ男が、非モテ女の苦しみを発展途上国の餓死寸前の人間に「近所に美味い飯屋がない」ってレベルの愚痴を吐いてるように感じるのはしょうがねえと思うよ
当人の主観的な感覚は様々かもしれないけど、非モテ男と非モテ女にはこんくらいの差があることは認識しとかないといつまでたっても
「ゲイに掘られれば女の苦しみがわかるはず」
みたいな的はずれなこと言い続けることになるぞ
非モテ女が「存在しない」とまでは思わないけど、モテに関しては男と女じゃ「足切りライン」が全然違うんだよね
容姿が原因で男の非モテに相当するような女って1000人に1人レベルのブサイクなんだけど、男だと10人に1人程度のレベルでしかない
数字は適当なんだけど男と女ではそんくらいの差があって、この差はそのまま女と男のモテ、恋愛市場での価値の差なわけよ
しかもその男女差は非モテ側になればなるほど大きくなるもんだから、非モテ男女の争いが「持てるもの」と「持たざるもの」の様相を呈してくるんだよな
それを踏まえて、男増田にゲイに掘られてみろとか言ってる人いるの見ると
男増田だけでなく「女は女ってだけでモテるからイージーモードだよな」って意見に対して「ゲイ向けに性的アピールしてみれば女の苦しみがわかる」みたいな意見はよく見るけど、俺がまさに「非モテ拗らせてゲイに掘られた人間」なんだわ
やっぱ女ってイージーモードだわ
ってことだった
性的に求められる側になるってこんなにスゲーことだったんだ
と感動することばかり
もちろんもともと非モテなので容姿がいいわけではなくゲイ業界でもモテモテってわけじゃないし、多分俺と性的関係をもったゲイたちはゲイ業界でもあんまりモテない人たちだったんじゃないかと思う
なのでゲイ業界でも容姿に対して罵倒される経験もそれなりにあったけれど、「女」ならそれすらも「モテ」に使えるんだわ
「容姿を蔑まれてつらいよーうえーん」みたいなこと言っておけば
「うんうん、辛いよね」「そんなことないよ!」「俺は見た目では判断しないからね!」って連中がウジャウジャ沸いてくるんだわ
飯奢ってくれたり、直接的にお金渡されたりとか金銭的なメリットもあったし
性的関係に至るまでのアプローチを向こうが積極的にやってくれるという経験もできた
キモいと思われるかもしれない、嫌われるかもしれない、セクハラで訴えられるかもしれない
俺は平均的な男性より貧弱なので、身体的なリスクは当然あったし、実際危険な目に会うこともあった
そもそも俺は性的指向女のバリバリのノンケなので、鼻息荒くしてくる男に対する嫌悪感は女が男に感じるソレより強い
自分を求めて、まっとうな社会生活を送っている男たちを鼻息の荒いアホや暴力的なクズにできてしまう全能感の方が強かった
そういうリスクや嫌悪感を許容する「だけ」で性的に承認されるわけだしな
恋愛市場ではゴミクズクソ雑魚の俺が「穴」という武器を持つだけで無双できる快感は恐怖や嫌悪感を上回るのだ
しかもそんな「ヤリマン」に寄ってくるのはセックス目的の男ばかりかというと、意外とそうでもない
正確にはセックス目的で寄ってきた人間がいつの間にかガチ恋勢になってるというべきか
人間セックスした人間には愛着湧いちゃうもんで、「穴モテしたとこで体目当ての人間からしかモテない」ってのは嘘だなと思ったね
こんな俺を特殊な人間だと思うかもしれないけど、実は俺みたいな人間は結構多いんだよ
非モテ男が女のように簡単に承認欲求を満たすためにゲイ業界に参入してくるってのは結構あって
今ではそんな人間が増えすぎて深刻なタチ不足になってるらしいってんだから笑えるよな
ともかく「男の感覚を持ちながら恋愛市場で女を体験した」感想書いたわけだけど
差別主義者のブクマカ共は俺みたいな人間の意見を見なかったことにするか嘘松扱いして、明日も女増田をヨチヨチして男増田をブッ叩くんだろうな
非モテ男が、非モテ女の苦しみを、発展途上国の餓死寸前の人間に「近所に美味い飯屋がない」ってレベルの愚痴を吐いてるように感じるのはしょうがねえと思うよ
当人の主観的な感覚は様々かもしれないけど、非モテ男と非モテ女にはこんくらいの差があることは認識しとかないといつまでたっても
「ゲイに掘られれば女の苦しみがわかるはず」
みたいな的はずれなこと言い続けることになるぞ
最初に、元々婚姻制度っていうのは家庭で子孫を生み育てて社会を維持するのを補助するための仕組みだ、という立場です。この前提が異なる方はそれを踏まえて読んでいただくか、ここで読むのをやめてください。分かり合うことはないでしょう。
基本的には性自認とか性的指向とかは人の自由だと思うし、好きにすればいいと思います。けれども社会的な権利や義務に関しては同じように扱うべきではない場合がある、と考えています。
先に結論を書くと、出産、養育、その他のプリミティブな社会の義務や役割から逃れつつ、婚姻制度の権利だけ主張するのはありえないよね、っていう主張です。
どうやってもLGTあたりの人が子供を産むことはないわけで、この命題を解決しないで、権利だけ同じにしようというのは無理だと思うのです。これはノーマル(ストレート?)の子無しカップルにも言えるとは思います。
男女の婚姻制度とか、もっというと男らしさとか女らしさっていうのは、家庭を築いて次世代を生み育てて社会を維持するために人類があちこちの文明で作り出した叡智なわけです。男が頑張って家庭を維持するだけの糧を稼いで、女は子を産み育てる、まぁ逆でもいいし、例外もたくさんあると思うけど、マジョリティはこうあることで社会が存続してきたと考えています。
だからLGBTQだけじゃなくて「男らしさ女らしさからの解放」とかも同じで、次世代を産み育てるための仕組みを否定しているんだよね。
それを否定するなら代わる仕組みを提案しろよ、と。自分たちがマジョリティになっても持続する社会形態をね。たまたま自分たちがマイノリティだからそれを許容してもらえればいい、っていうのは甘ったれすぎていて話にならない。一人くらいプールでおしっこしても平気でしょと変わらない。
体外受精、人工子宮、あと教育の外部化くらい?なんか工場でベイビーを生産してロボットとかで教育する未来が見えるような気がするが、そのくらいやればそもそも家庭が不要になるし、LGBTQとノーマルのカップルの権利を区別する必要はなくなると思う。自分にはあまり望ましい姿には見えないけれど。
LGBTQも産まないカップルも男らしさとか女らしさとか否定する人たちも、じゃぁどうやって社会を維持していくのか、きちんと考えて提案して欲しい。今やっているのは既存の仕組みを壊しているだけに見える。マジョリティが必死に支えている義務から逃れて、権利だけ主張する人たちにしか見えないよ。
ディスクレーマー的に付け加えると、LGBTQの方にも生まないカップルの方にも事情が色々とあるのは想像できます。望んでそうなったわけじゃないという方もいると思います。そういうのは素直に同情するし、必要に応じた支援があったっていいと思うんだけど、それは同様の婚姻制度を一律に適用する、とかいう話とは別だと言いたい。もちろんどっちが偉いとかでもなくて、ただ、違うものとして扱うべきだと。
あと蛇足だけど娯楽としての同性愛っていうのは楽しくていいですよね。織田信長とか徳川家光とかみたいな話。それこそ特権階級(マイノリティ)の娯楽だけど。
人間であれば誰でも参加できる男女論を、簡単に接続できるインターネットでやってるんだから話なんてまあ通じない。
知らない相手の情報なんていちいち見てらんないから話してる相手のことなんて男か女かくらいかしかわからん。がんばっても性的指向とかフェミか規制反対派かとかそんくらい。それも別に本当かどうかわからんし。
悩んでる人が何か発信するのには拡散力に於いて向いてるのかもしれないけど、属性に分かれて議論なんかして何か結論が出ることとかあるのかな?
15年以上前の2ちゃんにも男女板ってのがあって、いろいろと議論してたけどまぁ平行線だった。
男女板を見つけたときは「こうして多くの議論が交わされ理解が深まり世界はより良くなる」とか思ったけど普通にそん時とおんなじようなことをこうして別の場所で別の人間だと思われる人たちが議論している。
そんなことより知り合いの人に優しくしたり会話してみたり思ってることを伝えてみたりしたほうがその持論が活かされるのではないかと思っている。
「男性を嫌いなのはあなただけじゃない。それはむしろ自然なこと」 | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/214223/
救われた気分になった。
という驚きで胸がいっぱいになった。
ネットジェンダー言論の中で、明らかに男性差別的・男性蔑視的発言だな、と思わされるものも少なくない。
自分はそういうものを見るたびに心にモヤモヤしたものを抱えながらも、
「でも反差別の流れたし…」
と思っていたが、やはり、
「性別、性的指向、ジェンダーアイデンティティを理由とした個人または集団への差別または嫌悪または暴力の扇動」
は良くないことだ。
そして上記の行いは、どんな属性に対しても許されるものでない。
これが反差別なんだ。
クローゼット(英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、クエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身の性的指向や性同一性を公表していない状態を暗喩する言葉である。
言葉の背景
20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイの歴史学や社会動態を把握するための重要なメタファーになっている。クローゼットの概念はカミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態を暗喩して、当人の性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景から「クローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉の意味でしばしば用いられている[1]。
前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代のアメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現(同性愛社会やゲイの世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)
二次創作歴1年。
描くものは恋愛要素なし全年齢作品。基本的に一枚絵ばかり描いてる。
今までにないくらい好きな作品とキャラクターと出会えて、幸せで。彼女たちの豊かな表情や幸せそうな笑顔、何気ないけれど掛け替えのない日常を、自分でも描きたくなって、安易に「二次創作」というものを始めてしまった。
最初は観てもらえるのが嬉しくて、好きを共有できるのが幸せだった。でも、ずっと見て見ぬふりをしてきたことが、いよいよ辛くなってきて、毎日吐きそうになっている。
なぜ全年齢コンテンツで、他人作った創作物(キャラクター)を使って、成人向けの作品を描ける人や、キャラの情事やセクシャリティについて決めつけて発言する人があんなにたくさん、当たり前のようにいるのだろう。脳内の構造がどうなってるのか全くわからない。
キャラクターたちは未成年で、彼女たちがセックスする様子を描いているのは(基本的に)大人という構図がグロい。和姦だろうがなんだろうが、最近はどんな成人向け作品でも、キャラクターの人権を無視したAVにしか見えない。「二次創作(幻覚/妄想)」「コンテンツやキャラが好き(愛ゆえ)」だからという言い訳も、私は受け入れられない。
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言も私は嫌だ。そういう発言をする多くの人はきっと「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思うけど、本当に理解があるなら他人(キャラ)の大切な部分を決めつけたりしないのではないだろうか。
そしてキャラクターの向こうには、彼女たちを演じてくれる生身の人がいる。
トークイベントに参加していた二次創作者が、公式のツイートに反応もしているアカウントでイベントの感想に交えて「●と●の●姦見たい」といった趣旨の発言をしてるのを見かけたときは、殴られたような気持ちになった。生身の人を見て、その上でそういう発言ができるの、普通じゃないと思うのは私だけなのだろうか。
でも散々言っておいて、私もその「二次創作」の界隈のくくりの中にいる。辛い。でも彼女たちを描くのを辞められない。私が描いてるものだって、自分では毒にも薬にもならないと思っているけれど、キャラクターや演者さんを損ねている可能性だって十分にあるわけで。自分が正しいだなんて思っていない。
ただただ「二次創作」をする人たち、見る人たちの「当たり前」が、ずっとずっと、足を踏み入れたときからわからない。理解できないし受け入れたくない。
すごく今更だけど、小児性愛について。
今回の様々な主張の流れを見る限り、「小児性愛を同性愛と同等と見るか否か」という議論が目立った。ホモセクシュアルもかつては病理として扱われてきたが、昨今では性的指向として認める方向に倫理が動いてきており、ペドフィリアも性的指向である以上、病理扱いして治療を勧めるのは差別であるという主張が小児性愛擁護側だと多い気がする。
個人的感情としては、ペドフィリアを病理として扱うのには反対したい。誰を好きになるか、誰に性的興奮を感じるかなんて個人の自由だし、自分ではどうしようもないことだっていくらでもある。
しかし、今後世間の潮流がペドフィリアもLGBTと同じだよね!となってくれるかというと、きっと暫くは無理だろう。今の流れはむしろ今までのぺド被害者の暗数を発き、加害者を弾劾する段階にある。よってたとえ加害はしなくても、ぺド側の権利が守られるようになるのは少なくとも子どもを守る環境や制度がある程度完成してからだと思う。
また、小児性愛は同性愛と違って、実行即加害になってしまうのも確かだ。小児性愛者なら等しく矯正しろ!治療しろ!という声に反発したくなる気持ちはよくわかるが、「手を出してしまいかねない」という段階まで欲求が膨れ上がってしまった自覚がある人向けに、それを抑え込むためのプログラムなどは組む必要があると思う。
○ 一部の腐女子や増田の世界ではそうなんだろうな、現実(事実)と異なること
検索システムは検索避けで使っているつもりらしい文字列をフツーに無視しますよとか、サジェスト汚染とか以前に、
実際、一般的なキーワードで出てくる (同人誌やエロ要素のあるグッズ販売に作品名を入れるため)
なんなら Twitter の検索窓に作品のキャラクター名入れるだけで出てくる (腐女子がすべて鍵垢な訳がない)
○ 一部の腐女子や増田の世界ではそうなんだろうな、ではなくフツーに同意が出来ること
見せたくないなら Twitter を選ばなければいいのでは?だけど
いわゆる腐女子絵(人物の性的指向を変えた作品) を好まない人の目につく可能性は多少は下がる
○ 何度でも伝えたいこと
詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレの危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。
俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。
性被害に遭った時はたまたま俺と加害者だけが部室に居合わせてしまったんだよね。
俺が着替えてたら加害者が勃起したペニスを露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。
俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者のペニスの先に触れた。
ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。
それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めして行為は終わった。
俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者の性器に触れた手を洗ったよ。
それから俺に不思議な現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。
増田の場合は男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。
俺は自分が同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。
もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。
こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。
ただ異性愛者だと思って、というかナチュラルに異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分が暴力的で未知の同性愛的行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。
実は俺は自分が同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。
それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。
でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分はゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。
そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。
ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的にゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワードで検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶が曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。
それで検索結果に表示されたこの記事を読んで俺のゲイという性自認は倒錯だって気が付けたんだよね。
具体的にはこの部分だね
加害者が男性の場合は男児が同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性に危機をもたらしやすい。
この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛の男性である。さらに、虐待時どれだけ自分の性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたかを考慮すると、この問題に関する議論はさらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認の自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないときに虐待を受けた場合には自分が本来的に同性愛か異性愛か両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。
性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会に共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児は異性愛であっても、被害を受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待の最中に勃起や射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識が日本に浸透しているとは言いがたい。
こういった性的虐待の場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会の常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるとアルフレッド・キンゼイは主張した。
俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ、自分が異性愛者である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認が未分化な状況だった。
その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまったことで、俺はその後何年間も自分が同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。
ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。
俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊な体験をした。
こうして増田の投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来あまり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から性被害を受けたことがきっかけで「自分が同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。
先日、SNSで仲良くなったレズビアンの女の子とセックスした。
女の子とのセックスは最高に幸せだったし、人生の中で一番テンションが高かったのではないかと思うほど興奮と解放感で満たされた。
女性とはもちろんのこと男性とも付き合ったことのない完全な処女だったけど、めちゃくちゃ良かったです。世の多くの男性はこんなに可愛いふわふわな女の子たちとセックスできるなんてズルくない!?なんてことも思った。
最近まではずっと自分は異性愛者で好きになるような男性と出会っていないから恋愛や男性に対して性欲を感じないんだと思っていたけど、そんなことはなかった。
女性であっても例えば一緒に旅行で温泉に行ったとき同性の友人の裸を見てエッチじゃん…って思ったり、酔ってる友人を見てキスしたいぐらいめちゃくちゃ可愛いな~って思ったりするもんだと考えていたけど、それは普通ではないと知ったときの衝撃は大きかったな。
自覚がなかっただけで性的指向は同性だと認めてからはコンプレックスがなくなったようなスッキリとした気分で過ごしている。
スッキリとはしたけど、まさか自分がマイノリティーだったとは思っていなかったのもあって、自分は将来どんな生活を送れるのだろうかと不安も感じている。いつか普通に結婚して家庭を築いていくという漠然とした未来が突然消えてしまった。
今はその事実から目を逸らすようにして楽しんでいるけどいつか向き合わないといけないんだろうな…。
小児のアバターを大人かAIが操って、それとセックスするってのはどう?
性的指向をそれに沿って充足させられれば、当人にとっては性行為だろう。
性欲と、結婚したい欲求は別のものだ。ゲイやビアンは後者も求めているけど、性欲と違って結婚欲は社会的に形成された後天的な情動だと思う。
現時点ではもっと静的なコンテンツが主流だ。小児性愛者を批判する側が問題にしているのは、性欲の実現とそれを公の場で言うことの是非だった。実現の仕方を違法な形式に限定して考えずに、多様なあり方を持ってるはずだよな。って視点を持てれば、卑劣さ・加害性を不安視する必要もなくなるかもしれない。
なぜ「悪性性的指向」だとか「反社会的性指向」みたいに言わないんだ?
指向と嗜好で軌道修正の難しさに差があるよ、みたいな雰囲気出しといて、内実は社会に悪影響をもたらすか否かの外的要因で決めてるんでしょ。ズルいんだよ。
ロリコンに和姦はある
13歳以上の真摯な恋愛~ は脇に置いても、成人とセックスすることはできる
性的指向に沿ったものにはならないが、出来るか否かなら、できる
だったら何だ、と思ったやつに逆に聞きたい
「ロリコンに和姦はない」って言うことで、何がいいたいの?
カップルになる権利のことを言ってる説。だから同性婚に関心が向く
日本のセクシャリティは一方的な好きを含めるから、同性愛差別には怒っても同性婚を認めろというムーブメントは起こらないという不思議な現象が起こっている説
はてなブックマークのトップページを毎日のように見ていると、いろいろな立場から当事者として意見を表明したり、そうでない人も加わって多様性に関する論争が行われているのをよく見かける。政治的立場、人種、性的指向、ジェンダーアイデンティティ、発達障害、難病、等々。
多様な立場の人たちがいて、さまざまなニーズがあり、周囲の人々は配慮を必要としている。そういうことがわかるのは、おそらく、いやきっといいことなのだ。多様な立場の人々がお互いを配慮しながら共存できるようになればなるほど、社会は強くなっていくはずだから。
それは頭ではわかっているつもりでいる。でも最近は、ちょっと疲れてしまった。
多様な立場の人たちが、自分のことについて、相手のことについて、意見を表明する自由はある。
だがそれは、相手を完膚なきまでに叩きのめそうという情念をもって、口汚く相手を罵っていいということをただちには意味しないはずだ。
職業的なライターでもやっていない限り、インターネット上に人が書き綴るものは編集を経ていない。情念に任せて書き綴った攻撃的な文章は直ちに放出され、拡散され、読んだ人を直撃する。
はてなブックマークのトップページには多様な意見が出てきていると思う(左翼的な偏向があるという指摘はさておき)。それはおそらく価値のあることなのだと思う。
問題は、編集を経ていない攻撃的なテキストを、こちらの意思では思うように避けられないことだ。
いかにも早口で喋っていそうな、情念に駆られた人の語り口そのもので、論争相手を口汚く罵るテキストが目に入ってしまい、なんというか、疲れる。