はてなキーワード: 性的指向とは
必ずしも異性を愛するわけではないって言うのが一般的に知られるようになってきたけど、
みんなどうやって自分の心の性を知るの?
自分は今まで肉体上の異性としか付き合ったことがないけど、同性を好きになる人もいる。
可愛いものが好きだから女子とか、車が好きだから男子みたいな簡単な区分けもないし、
異性の方が気が合って友達になれる人もいるから、女子と遊ぶ方が楽しいから女子の仲間、ともならない。
極端な話、肉体は完全に男性で性自認が女だけどいわゆる「俺女」で、
男性言葉を喋るし男っぽいと言われるような服装や髪型が好きで、性的指向は女性、という人が居たら、
この人は誰が見ても男性と思われるし、肉体的には異性と付き合っているけど、性自認は女なので同性愛者、ということになる?
逆に肉体が女性で性自認が男だけど「男の娘」になりたい、みたいな人は?
性自認とジェンダーレスを話と混ぜたらいけないのかも知れないけど、
男らしい、女らしいが消滅した世界において、自分の心は「男だ」「女だ」って言うのはどう決めるんだろう?
自分はどっち?って聞かれたらうまく答えられない。
自分の市場価値を見誤っていた。見誤っていたことに気付かないままここまで来てしまった。
年明けには卒論提出期間なのに。
最近ふとしたことがきっかけでこれまではないと思っていた結婚願望に気が付いてしまった。社会不適合者の自分には誰かがそばにいてくれないと死んでしまうであろうことにも。親がいなくなったらどうしたらいいのか。
中学生の時は大人でも子どもでもない分際で恋愛なんてもってのほかだと思っていた。
高校生の頃は高校受験の失敗を挽回するために何より受験勉強を優先していて、恋愛になんて全く興味がなかった。というか周りにろくな男子がいなかった。女子より男子の方が多い学校だったのに。
大学生になって、化粧もするようになったし服を「おもしろいから」とかいう理由だけで買わずに似合いそうなものを着るようになった。キラキラした高校生活を経て同じ大学の学生になった子たちの中に溶け込めるように努力もした。恋愛だってチャンスがあればするつもりだった。
でも中身は陰キャのままだった。クズなのに根が真面目なせいで要領が悪いのにひたすら勉強するだけの環境に身を置いてしまった。それこそ1~3年生の間は空きコマができればすぐに図書館にこもってスマホをいじったり、課題をこなしたりESの文章を考える生活をしていた。
バイトもやりがい搾取系のどブラック企業なので長期休暇はだらだらしながらバイトにしかいかない生活をしていた。
「真面目」に見えることはいいことだと思っていた。ばかだね自分。周りの「真面目」な子はもっと要領よくやってるのに。私はいまだに男の子の心をくじかないように話すこともできないままだ。
こうやって鯛女ができあがってしまった。高校3年生の時は彼氏の一人くらいはこの私にもできるだろうと思っていたのに。
4年の間にプライドばかり高くて弱みを曝せない、見た目は普通の女子大生なのに高飛車な女になってしまった。心を折られてまで私と話したい人なんていないのにね。
コロナが来る前に一回くらいナンパにのってみればよかった。今では顔の下半身にコンプレックスがありすぎてマスクを外したら相手にしてもらえないとしか思えなくてそんなこともかなわない。蛙化現象なんてぜいたくに怖気づくんじゃなかった。
何よりプライドが大事なダメ人間に恋愛なんて不向きなのは明白なのにそれを直すのは自分のプライドが許さない。
このまま祖父母を見送って親を見送って一人で墓守をして生きていくんだろう。
孤独死しないために貯金して自分の後始末はきちんとできるようにしなきゃ。
人生で一度くらい愛されて幸せだと感じたかった。親が経験した不運を自分は経験しなくて済むけど、同時に親が経験した幸せはどんなに頑張っても手に入らない。
性的指向もマジョリティでアセクシャルとかでもないのに親に孫の顔を見せてあげられない不孝な娘でほんとうに申し訳ない。普通になれない自分がふがいない。
俺はゲイなんだ。初恋の相手は男だったし、今まで生きてきて男としかセックスしたことがない。
でも最近、もしかしたら俺は生まれつきのゲイではなかったのかも知れないと思い始めた。
少し長くなるかも知れないが、読んで、そして率直な感想でも良いからコメントをくれれば嬉しい。
俺が初めて男とセックスしたのは10歳の小学校4年生の時だった。
相手はサッカークラブのコーチだった。当時の俺はすごくサッカーに熱中していて、クラブの時間も、放課後も休日もサッカーをしてない時間はないくらいだった。
当時俺に指導してくれていたサッカークラブのコーチは熱心な人で、厳しい部分もあったが基本的には生徒思いのコーチだったと思う。
そんなコーチと初めて性的な接触をしたきっかけは、俺が休日にもサッカーをしている話をしたことだった。
「そんなにサッカーが上手くなりたいなら、俺が時間がある時なら休みの日でも練習を見てやる!」
コーチの住んでいるアパートは、俺の実家からそう離れておらず、休日の練習場所にしようと約束した公園もアパートと実家の中継地点にあった。
しばらくの間、休日にサッカーの練習を付き合ってもらっていると、ある日コーチが「今日は練習疲れたろ?俺の部屋近いから休んで行けよ」と言ってくれた。
俺は当時、特に考えもなく「ありがとうございます!」とふたつ返事でコーチについて行ったと思う。
コーチの部屋は物が多いのか少し散らかっていた。コーチが部屋で飲み物の準備をしてくれているのを待つ間、ぼーっと部屋を見回していた時に、ある物が目に飛び込んできた。
エロ本だった。コーチは一人暮らしだからか、エロ本が隠すことなく部屋の隅に積まれていた。
エロ本、当時の俺はサッカーと同じくらいエロいことに興味があった。中学生の兄がいたので、兄の部屋に忍び込んでは押し入れに隠してあるエロ本を読んでいた。
当然、俺は興味があるそのエロ本を「読んでみたい…」と凝視していたと思う。
飲み物の準備を終えて持ってきたコーチはジュース片手に「何だ、興味あるのか?」と笑っていた。
俺がエロ本の表紙を凝視しているのが視線で丸わかりだったのだろう。
俺は「あります」と照れ笑いしながら答えた。するとコーチは「良いぞ」と言いながらエロ本を持ってきてくれた。
俺は「エロ本は大人しか読めないのに、読ませてくれて良いのかな」なんてことは全く考えず、ここでも「やった!」とか単純に喜んでいたと思う。
しばらくコーチと一緒にエロ本を読んでいると、「その年でもうエロいことに興味あるんか?」と肩や腕を撫でてきた。
コーチはわりと練習の時から頭を撫でてくれたり足や背中を摩ってくれたりしていたので特に違和感はなかった。
いや、今思い返すと本当は「いつもより多いかな?」という疑問があったかも知れないが、それでもいつもしていることだった。
俺は当時、友達と性的な話をしたこともないし、兄の様子やTVなどの情報を見るにそういう行為を表立って話すのは恥ずかしいことだというのは認識していた。
だからコーチに聞かれた時も「僕の年齢でエッチなことに興味を抱くのは恥ずかしいのかな」と思った。
コーチの問いかけに対して肯定で答えるのも物凄く恥ずかしそうにしていたのだと思う。
コーチは「照れることない。お前くらいの年齢からちょうどエッチなことに興味が湧き始めるもんなんだ」と笑いながら教えてくれた。
その言葉に俺は安心した記憶がある。この頃はまだ陰毛も生えていなかったが二次性徴期が始まる頃に、
同級生より性の話に恥ずかしさが少なかったのはこの時期の経験があるからかも知れない。
性への関心からセックスの話をコーチに振ったのは俺からだったと思う。コーチは笑いながら「あるぞー」と答えてくれた。
俺はセックスってどんな感じなんだろうとずっと疑問だったからコーチに「エッチって気持ちいいの?」と質問した。
エロ本にはセックスはとても気持ちの良いものだと書いてあったからだ。
コーチは「気持ちいいぞ。みんな大好きなんだ。でも周りにそういう話をしたりしない。みんな秘密にしてることだけど。」と
俺は納得していた。セックスの話をしてる人なんて見たことないが、でも隠して独占したいくらい楽しいことなんだと。
そう思っていると、するするとコーチの手が履いていたハーフパンツの隙間から俺の太腿を触っていた。俺は少し、いやかなりびっくりした。
「こういう風に触り合うと気持ちいいんだ、気持ちいいか?」とコーチは言った。
ここまで書いていて俺は思った、俺は当時コーチと初めて性的な接触をした時のことは今でも鮮明に覚えているし、初めてコーチとアナルセックスした時のことも鮮明に覚えているし、
小学校卒業とともにサッカークラブを辞めてコーチと会わなくなるまでの間にしていたセックスの内容も、全部ではないが印象に残っている経験は覚えている。
その仔細をこの文体で描いていると創作エロ小説を書いている様な気分になるし、読んでいる人は「嘘柱 誇張しのぶ ホラの呼吸乙、釣られねーよクソ腐女子w」と思って俺が思ったことを真剣には聞いてくれないだろうと思ったので割愛することにする。増田は追記ができるので反応次第では追記するかも知れないが、俺の経験したエロ話は今回要点ではない。
俺が思ったことは、俺は当時、確かに性に対する好奇心は抱いていたが、勃起や精通もしたことがなかったし(俺が明確に勃起と精通を体験したのは小5だ)、男女への恋愛感情も抱いたことがなかった(初恋は中学校で知り合った同級生男子でコーチではない)。
俺は小学校の時男性コーチとセックスをしなければ、あるいは普通に女性を好きになり恋をして結婚。子供を作っていたのだろうか。幼少期のこの性的な経験が指向をねじ曲げてしまったんじゃないのか。あの経験がなければゲイにならずにノンケとして生きていたのではないかと思うことがある。
実際、Google検索すると、幼少期の性的トラウマが云々という話を見かける。しかし、俺はあの時を思い出して感情がフラッシュバックして鬱になり自傷や自殺未遂を繰り返す。ということはしていない。
NHK中学生日記では男子中学生に対する男性臨時コーチからの性的虐待がテーマとして取り上げた回があったが、作中で登場した少年はかなり思い悩み不登校になったりしている。
一方俺は、コーチとのセックスは当時かなり楽しんで行なっていた様に記憶している。でなければ、何年もの間セックスをし続けることはなかったと思う。
それはつまりあの経験はトラウマにはなっていない=あの経験と俺の性的指向は関係していないということなのだろうか。
覆水盆に返らず。当時の経験をなかったことにした現在というものは存在しないが、もしそのIFがあったら、俺はどんな今を送っているのだろう。そう思うときはわりと頻繁にある。
【終わりに】
俺はコーチと肉体関係を持った後、もう関係がなくなった現在でも、自分のこの経験を友人や知人、親兄弟に話したことはない。
それは単純に性的なことをベラベラと他人に話すものではないという思いとそれが男同士ならなお他人に言って良いことではない。
という認識が小学生だった当時から、今でも自分の固定観念の中に根付いているからだ。
俺が子供の頃は、同性愛というのはTV番組で笑いのネタにされたり、気持ちの悪い可笑しいことだとして扱われる風潮がまだ残っていた。
今でもそうだが、オネェタレントはTVではキワモノ枠で、決して美化されたり憧れられる存在ではない。
つまり、ゲイはゲイというだけでバカにされていじられる存在だと子供ながらに認識していて、そして自分はバカにされて
「ホモだ!気持ちわるい!」と周りから拒絶されるのが怖かったのだ。いや、大人になった今でも、実はそれがとても怖い。
コーチは結局、俺が高校生ぐらいの時、同じ様に自室にサッカークラブの生徒を連れ込みセックスをしていたことがバレて逮捕されていた。
(しかも複数人だ。当時から実は俺以外にも別の相手がいたのだろうか。)
当時、近隣住民や同卒の友人たちはその噂で持ちきりだった。「俺、あいつに体触られたことあるぜ」とか「俺、あいつの家に来ないかって誘われた」とか
その話の内容は、性犯罪の被害に会う危ない目にあったというより「ホモ、気持ちわりー」という嘲笑の内容が多分に含んでいたと思う。
それもあって、関連の話で盛り上がっている友人を何人か見たが、俺はなるべく話に関わらない様にしていた。
また、俺は被害を訴えようと思わなかった、それはやっぱりコーチへの憎しみ(さほどなかったが)よりも、その経験がバレたことで周りから拒絶されることが怖かったからだ。
をただ書くだけでお気持ち表明とかそういうのではない。なんとなくインターネットの海に、匿名で自分を表現したいと思いここに投稿する。
服装はパッとしない冴えない感じで(大抵はパーカーだ)、顔も良くはない。メイクも幼い頃にやった習い事の発表会用と成人式以外ほとんどしていない。
言われるならカッコいいのほうが嬉しく、可愛いと言われるのは苦手だ(可愛い、というのは内面的な部分を指してでしか言われたことはないが)。しかし別段かっこよくなる努力はしていないし、しようともあまり思わない。ありのままがいい、というと聞こえはいいが、要するにただのズボラである。ご想像の通り、彼氏も彼女もいたことはない。
そんなこんなで性自認については、「女性はこちら」と言われればそちらに向かえるが、社会からの役割期待からはズレている感じがする。なので「恐らく女寄り」という自認だ。
性的指向についてはまだハッキリとわかってはない。私はオタクなので異性に関しては基本的に二次元にしか興味がなかった。記憶を探れば、小学校低学年くらいにはやんわり好きな男子のような存在がいて、中学校もなんとなく男子への興味(これは恋愛感情ではない)はあった気がする。好きなキャラクターも男性キャラの方が多い。
一方、小学校高学年くらいには女子への興味がうっすら出てきていた。スキンシップが多い子にはドキドキしたし、プールの授業で密着されたときも内心うおお‥となっていた。中学の頃、割と仲の良かったクラスメートにすれ違いざま首を触られ、無反応でいたらぼそりと「感じないんだ」とつぶやかれた時も顔に出さずともめちゃめちゃドキッとした。女子に対しては恋愛感情未満、だとは思っているが何となく好きかもという感情を抱いていた。
また、小学校のときのクラスメート(女子)が私のことを好きという話を人づてに聞いたときも嬉しく思った。結局その子とはもう離れているので何もなかったが、私のことを好いてくれる同性の子がいたら私はOKを出すかもしれない。そんな気がする。
好きなキャラクターは男性が多いと述べたが、女性キャラクターも数は少ないながらも同じくらいの熱量でハマってきた。現在の推しも女の子である。最近は今までなら全く興味がなかった女性アイドルにも推しがいる。(男性アイドルには依然として興味が沸かないが)
これらのことを考えると、自分の性的指向はレズ寄りのバイなのかなとぼんやり思ったりしていた。しかしレズ寄りといえるほどなのか確信は持てない気もする。だが現状は、3次元に関しては男性への興味より女性への興味のほうが強い。可愛い女の子に言い寄られでもしたらすぐ付き合いたいと思うだろう。容姿がすごく良いわけではなくても、仲が良くて私のことを恋愛的に好いてくれる女性がいたら嬉しいと思うだろう。
私は彼氏も彼女もいないし、暴漢に襲われるなんて不幸なことも起きなかったため、ありがたいことにまだ処女だ。オナニーはしているが、パンツの上から触るくらいの軽いやつだ。性行為についても2次元エロ画像くらいでしか知らない。童貞の幻想程度の認識しかしていない。それを踏まえて自分はどちらの性と行為をしたいか考えたとき、即女性とがいいと思ってしまう。男性との行為はなんとなく嫌悪感があるというか…変な話だが「男と女」を突きつけられるのが嫌なのかもしれない。蛇足だが、私は3回ほど男性から性的加害を受けたことがある。自分ではどうってことないと思っていたが案外トラウマになっているのかもしれない。
じゃあなぜ女性との行為はむしろ興味があるのか、自分でもここはよくわからない。男性じゃないからという消去法的な考え方なのだろうか。分からないけど女性とはそういう関係になってみたいとどこか思っている自分がいる。性的指向については結局よくわからないままでいる。
まとまりのない文になってしまったが、どこにも誰にも言ったことのない、言えなかったことが吐き出せてすっきりした。もし自分はこうだよ、とか、それはこうなんじゃないかな、とか、いやそれは理解できない等なにか思ったらコメントしてくれたら嬉しいです。それでは。
私の年齢はおそらく元増田より10歳ほど下だが、同じように性的な体験をまったくしたことがなく、そのことをコンプレックスに思っていた。
友人同士で話しているときに、他の人が自身の性的な体験についての話で盛り上がっていると疎外感を感じた。
私は子供の頃から人一倍性的な事柄に対する関心が高く、性的な事柄に関しては誰にも負けない知識をもっていると自負していた。
しかし友人たちは不完全な知識であっても、それが自分の実体験に基づいている。
対して私の知識はほとんどが妄想・ネット・本・映像から得たものである。
おまけに私はややBDSM的なものが好きで、さらには性的指向が女性(特に年上の女性)に向いているので、私が好んで見る性的な創作物はほとんどが「きれいなお姉さんが虐げられる」という類のものであった。
そのため性的経験がないことと「きれいな女性が虐げられる」創作物を見ることが好きであることに1人悶々と悩んでいた。
一時期はレズビアンのコミュニティに入って交際相手を見つけようかと思っていたこともあるのだが、田舎に住んでいるためそのようなコミュニティが近所になかった。おまけに他人に自分の性的指向について知られるということがとても怖かった。
また、先ほど性的指向が女性に向いていると書いたが、男性に対して恋愛感情がわかないということはなく、これまで何人か好きになった男性はいた。
つまり、私は完全に女性のことしか好きにならないというわけではないのである。そして、そういった自分の性的指向はレズビアンのコミュニティではあまり歓迎されないのではないかという不安があった。あくまでこれは私自身の思い込みであり、事実とは異なると思う。
よって、レズビアンの人と出会って性的な体験をする手段が私にはレズビアン風俗しかない!と思い、レズビアン風俗の予約をとった。
私の好きな「きれいな年上のお姉さん」と思われるキャストの方を指名した。BDSM系のオプションについては生身の人間に苦痛を与えることがどうにも憚られたので付けなかった。金欠だったということもある。
実際にそのキャストの方は本当にきれいな年上のお姉さんだった。プレイ内容についても大変満足であった。やはりプロである。
1回性的な体験をしたことによって、性的な体験をしたことがないというコンプレックスは解消された。
勿論この体験も「きれいなお姉さんが虐げられる」映像が好きであることと同様に他人にひけらかすことができるものではない。
それでもいいのだ。自分にとって大切なものは心の中にしまっておけばいい。そう思うことができるようになった。
しかし、私はどうにも「きれいな年上のお姉さん」ともう1度性的なことをしたいという気持ちにはなれなかった。
私にとって「きれいな年上のお姉さん」は、役所の受付で二言三言言葉を交わしたり、ちらっとすれ違ったり、(こういった眼差しは不快に思う人もいるだろう)、創作物などの映像・画像の中で見て1人で勝手に興奮したりするものであって、ともに人生を過ごす存在ではないのではないかということに気づいた。
また、初めて生身のレズビアンの方に出会って女性に対して性的な関心を抱く自分を肯定してもらえたことで、女性が女性に対して性的な関心を抱いていもいいという当たり前のことに気づき、自分の性的指向について悩むことがなくなった。女性が女性に対して性的な関心を抱くことは何も私だけの特別なことではないのである。
余談ではあるが、レズビアン風俗に行った後しばらくして友人の男性と付き合うことになった。本格的なお付き合いはこれが初めてである。
「女性のことが好きだから男性のことは好きになってはいけない」といった思い込みが解消されたことも、初めて他の人と付き合うことができた一因であろう。
まとめると、私にとって「きれいなお姉さん」が好きな自分、つまり性的な事柄が好きな自分との距離の保ち方を学んだということがレズビアン風俗に行った1番の成果であった。
最近気になっている人がいた。
一つのことに熱意をささげていて、考え方が自分の中で確立していて、光り輝いているような人だった
久しぶりに人を好きになって色々考えて動いてぶつかって気持ちを伝えてみたけれど
接点が少ないぽっとでの私では連絡を取らないと関係が途切れてしまう気がして
今思えば執着しているような追いすがるような形になり面白くない人間と化していたし
せっかく作ってくれた時間もそんなだから時間を楽しむよりも空回りして質問ばかりの退屈な時間を産んでしまった
つまらない人になってしまっていたから自分に落ち度はあるし仕方のないことなのだけれど
通過する一点ではなく、もう少し友人としてでも、大事にできるような
もっと時間をかけて関係を深めて人として友人として好いてもらえただろうか
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一晩を共にして誰とも付き合う気がないと聞いたとき、
関係を深めたいわけでもないのなら手を出すのは
一緒に楽しく過ごしたと思っていた時間も
結局はそうやって終わらせてもいい相手としか思われなかったことが悲しい
そもそも私が好きにならなければ
こうやって楽しかった思い出も作れなかっただろうけど
私は自分が好むもの以外、この世にあるもの全てに須くそんなに興味を抱けないが、どんなものでもそれを好んでいる人がいる以上絶対に否定はしないようにしている。それは私自身が否定されるのをとても嫌っているから。なのになんで世の中の普通の人は自分の感情のままに気持ち悪いとか直接堂々と面と向かって言えるんだ??分からない。自分の好みじゃないからキモい?みんなキモいと思うはずだから排除されるべき??そんなこと言ってる人の方が私にとっては理解出来なくて、心底キモい。私は優しい人間でいたいからそういう輩も、そいつが好きなものだって否定はせずに肯定するが、本当はお前の事なんか大嫌いだ。
今回のタイツの件、企業側が唯一悪いと思えるのは、イラストレーターの本件とは関係ないイラストの宣伝をRTしたところだけだ。確かに、成人向けの作品を書いてるイラストレーターの作品を一般に流すのはTPOに反してしまうかもしれない。それは私にだってわかる。それ以外に悪いところはどこだ????女性向けの商品なのにマーケティング対象を間違えた???そのイラストを好きだと思った私はマーケティング対象じゃないのか??女性のタイツを視姦する気持ち悪い男向けのマーケティングになっている?私は???三次元の表像より二次元の方を素敵だと感じてしまう、そんな私は確かに存在しているのになぜ無視され、挙句の果てには罵倒されないといけないのか。自分がマーケティング対象じゃ無いと感じたからと言って、それを頭ごなしに否定するな。本当に理解が出来ない。自分がマジョリティだから正しい意見だと、いるかもしれないマイノリティの人間もその目線も無視して潰して大声で叫ぶな。その顔で私達は正義ですというツラをしないでくれ。自分達は社会に抑圧されているから何をしても良いんだという顔で、存在しているはずの私を潰さないで。
この件はこれで終わり。この世の女性の代表かの如く振る舞って、自分達の気に食わないものを全ての女性が気に入らないものかのように思い込み、鬼の首を取ったように正義の御旗を立てて潰しにかかる視野の狭い人達が社会に向けて発信している一連の主張は、もちろん私個人に向けられたものでは決して無い。本件に置いて口汚い言葉で企業を、仮想敵を罵る人達の気持ちは本当に理解出来ないが、勿論彼女彼らにだって守りたいものがあり、それに関連した主張があるのだろう。今回の私にはそれを尊重したいと思う心の余裕が無いだけだ。今はその声によって実際に企画が潰されたことで、自分の存在を本当に社会から完全に否定された気分になり、気分が相当むしゃくしゃしているだけなのだ。明日になったらもうこの気持ちは忘れるべきである。自他の境界線はちゃんと引かないと、感情は悪い方に悪い方にとどんどん引きずられて行くものなので、これ以上はもう踏み込まないでおいた方が賢明だと言うことも頭では分かっている。しかし、今の自分が抱いた感情と考えだけは無視しないでおいておきたかった。明日には忘れるものでも、今日の私くらいは肯定してあげないと可哀想だと思ったので。
少し冷静になったので追記
あのイラストが女性に対する性的な視線を高めるという意見も分からなくは無い。私が魅力的と感じた一端には、女性の性的魅力を記号的に表した部分も確かにあっただろう。だが、だからと言って責め立てて消し去って良いという大義がどこにあるのかが本当に分からない。一般的とされる感性や性的指向、そういう物を持ったマジョリティの人間が不快に思う表現を好むらしい私のようなマイノリティは一体全体、どこに生きていれば良いのだろうか。私はあのイラスト達が取り立てて公序良俗に反するエログロだとはとても思えないし、人権を侵害するようなものにも見えない。マジョリティの女性達が掲げる正義の錦の御旗は、彼女達の事は確かに救うだろうが私の事は救ってくれないのだろう。
21歳〜と言う題にしたのは、自分の中の矛盾には気付いてるけどそれをまだ全く整理出来ていない、取り敢えず感情のままに書いたような奴の文章だよと言う事と、21歳 女と言う属性を持ってる人間が書いた日記だという事を記したかったから。
色々と反応が来て驚いたけれど、今読むのは気持ち的に難しいからいつか読ませて貰います。
須く警察へ。なるほど、完全に誤用していた。覚えたての小難しい単語を使いたいお年頃が抜けていないので、変な文には目を瞑って欲しい。でも、指摘はとてもありがたい。調べて使い方を直していきますね。
レズビアン向けのマッチングアプリ使ってたけど、めちゃくちゃ男が紛れ込んでくる。会員登録に証明が何もいらないからだ。それをするとMtFレズビアンを排除してしまうかららしいが、今のところMtFレズビアンなんて見たことがない。みんな「レズとヤってみたい」ってだけのヘテロオス。登録してる女は女と出会いに来てるんだから相手されないことくらいちょっと考えればわかりそうなものなのに、何を求めて来てるのかさっぱりわからない。
ビアンであることを他所オープンにしていた時期もあったが、その時も失礼な男たちに「混ぜて」やら「見せて」やら「どうやってするのか詳しく教えて」やら色々言われた。なんなんだろう、性的指向が有徴な人間はみんな性欲が強くて下ネタにもノリノリになってくれると思ってんのかな。ちんこもげろ。
TwitterではなかっぱBLがトレンドになってるけどあれをさすがNHK!最先端ポリコレ!と捉える向きおかしくない?あれって外的な要因(花)で異性愛者が性的指向をねじまげられて同性愛者になってしまいましたーという話じゃん。オチもがりぞーを愛した記憶を無くしたはなかっぱ=正気に戻ったという表現に感じて、これのどこが同性愛の肯定になるのんという気持ち。がりぞーの方はしっかり記憶が残っていてはなかっぱへの思慕を匂わせるけど、ストーリー全体通して「同性愛は生まれ持った性質でなく外的な要因で発芽する」というメッセージを子供に植え付けそうでポリコレどころか逆に心配だよ。これってまさに足立区の議員しかりホモフォビアの考え方でしょ。
エモい感じに騙されてあれを持ち上げちゃうリベラルの皆さんが信じられない。浅はかすぎる。がりぞーのはなかっぱを想う気持ちは尊いが、ストーリーとしては別に新しくもなんともない昔ながらのホモネタ恋愛消費ですよ。