はてなキーワード: 性的指向とは
ふと思っただけだから大した考えはないけど、性的指向全般が認められるべきなら対人以外も認められるべきなんじゃないの、って思い。
だと個人的には思っている。
もし、特定の児童を恋愛対象の異性または同性として意識し、いずれかのタイミング(それが世間的に適切か不適切かはこの際さて置く)で関係を持ち、そして一生添い遂げるような超レアケースがあったとして、それは「性的指向」に基づく愛とそれほど変わることはない。
しかし小児性愛というのは、むしろ「ランドセルを背負った華奢な身体」とかそういうのに欲情してしまう「性質」のことではないか。相手の人格や知性を愛するのではなく、相手の身体的特徴に性衝動を昂らせてしまう、ということ。対象がハイヒールかランドセルか、それとも豊満な胸か第二次性徴前の身体か、ってことだ。
豊満な胸も、第二次性徴前の身体も「無生物」ではない。しかしフェティシズムの消費対象になってしまう。つまり交換可能なのだ。消費され、交換される方はたまったものではない。大人から身を守ることが難しい子供であるならなおさらだ(しかも「子供」は成長し、小児性愛嗜好の「対象外」になる)。
※以下の肝心な部分を書き忘れたので追記〜
「【児童型ラブドール】が、【実際の児童】の似姿をしている」ことへの嫌悪感には、「児童型ラブドールの愛好者は、【実際の児童】を、【児童型ラブドール】のような【消費代替可能なモノ】として扱うことができる存在なのではないか?」という不信感が含まれているのではないだろうか。
〜追記終わり
(考えてみると、髪型や体つきやキャラクター類型で差異をつけただけの同じような顔立ちの中から「嫁」をとっかえひっかえしてるオタクにも親和性の高い概念かもしれない)
ところで、
https://anond.hatelabo.jp/20200901141152
「加害欲求が助長された人」が存在するのを認めるということになるのでしょうか。
そうなると、欲求を抑えられた人が99人で、助長された人が1人だとしても、児童型ラブドールは社会の脅威ということになるね(性犯罪の加害者は、たった一人で多数複数の被害者を傷つけるからね)。
じゃあ、残りの99人の自制できる人にはカウンセリングや薬物療法で対処してもらうことにして、児童型ラブドールを規制したほうがよさそう。そのものがなければ、欲望が助長されることもない。寝た子は起こさない。
って話になると思った。
え? 規制されたら百人が百人とも児童を襲うことになる? まじ? じゃあやっぱりこの人ら社会的脅威じゃん。存在するだけで児童に対して危害を加える可能性があるなら、そういうのに関心を示した時点で予防拘禁とかしたほうがいいのかも……え、差別だって? 将来の子供の被害を心配することが差別? 何言ってるの? じゃあ人を殺したくてたまらないってような奴も差別だから放っておかなきゃいけないの? 怖いじゃん。それでいいの? だめだろ?
「痴漢がいるから電車を廃止しよう」という話にはまずならなくても、「傷つく児童が出てくる可能性がわずかでもあるのなら、児童型ラブドールなんて規制しよう」ということには、容易になりうる。電車の恩恵に浴していない人はいないけど、児童型ラブドールは大多数の関心事ではない。
「普通の人」は、自動車が小学生を何十人と轢き殺している事実より、児童型ラブドール愛好者に小学生が一人傷つけられること(ただの可能性であっても)のほうを恐れる。自動車の暴力性はわかりやすいけど、児童型ラブドール愛好者はまったく理解不明の存在だから。
(成人同士での性的関係も持てる「普通の人」の中には、小中学生に性的な視線を向けたり、あるいは実際に手を出すような人もいるだろうし、一方、実際の児童に決して手を出さない児童型ラブドール愛好者もいるだろうから、そこにはねじれも生じるが、そのあたりのこともさて置く)
自分とは異質の存在が、口を極めて児童型ラブドールという、なんの意味があるのかわからないモノへの執着を叫ぶ。
大多数の良識ある(と自分では思っている)善良な人々からすれば、なんと恐ろしい光景であろうか。
酒に溺れない人間が、酒がなくて暴れるアルコール依存症患者を見て「なんであんなになるかねえ」と思うどころの違和感ではなかろう。
少数派だけが、他者からの視線に無頓着でいることをことさら非難されるというのは、まあそのとおり。
そのとおりなんだけど、じゃあその「不公正」を一体どうすべきかってのは全然わかんないんだなあ。
傍から見ると、どうも声の大きい無能な働き者が、非難される愛好者の立場をどんどん悪くしてるように見える。本件に関しては他の被差別マイノリティと同じやりかたで突破できる問題とは思えないのだが。
かなり同意。炎上してしまったラブドール漫画の方の謝罪文からは小児性愛であることの挫折感やそれでも社会と共存していきたい意志や絶対にリアル児童に手を出してはいけないという分別が感じられた。
生まれた時から性的指向が「小児性愛」で、大人の女性にどうしても性的興奮をできないのは人生のコマをすすめるにあたってかなりの挫折感を味わうだろうね。生まれながらの十字架を背負っているというか。
そして自分の性的指向が決して許されないもので、社会からも排除されるべき人間だと自覚をする人生って、かなり精神的にキツいと思う
まず「性的嗜好」がある。
性的嗜好については「自制できる人」と「自制できない人」がいる。
また、性的嗜好が自制できなくとも、
この「自制できない」が「社会的に問題がない」という性的嗜好の別名が「性的指向」なわけだ。
それは当然ながら「病気」と見なされる。
もちろん「社会的問題があるかどうか」にはそれぞれの見方がある。
だから「社会的に問題はないよ」と訴えて安全を勝ち取ったわけだ。
これだけの話なんだよ。
性的指向を変えるのは難しいが、病院に行けば認知療法などで実際に性犯罪を起こす確率はぐんと低くなる。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ロリコン・ショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。
上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。
小児性愛は「性的嗜好」である。性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターンや性的なアイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。
確かに「小児性愛」はアメリカ精神医学会やWHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。
しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。
現在「小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民と罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画を悪書として校庭で焼いたであろう。
「同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?
否である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである。
上記note筆者は「小児性愛」の対象は社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。
当たり前だ。
ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的な接触を行うことは、明確に児童の人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。
人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本の刑法で規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手が成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。
騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯な恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別」である。
そして極めつけはこれである。
小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこらの大人より児童の人権に配慮する」姿勢が必要ではないか。
黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7
差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である。同性愛者だから、黒人だから、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。
こういうことを言うと、同性愛者や黒人と小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。
しかし未成年との性交がただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。
そしてかつては元服が11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会や科学の発展によって子どもの社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛が病気とされていたように、社会の常識や観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか。
小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間は1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。
はてブを眺めていると「小児性愛は性的指向ではない」と言い切っている手合いをよく見かけるけど、ちょっと納得感がない論理が多い。
特に見かけるのは、
・小児性愛は加害性と表裏一体なので、合意の取れる同性愛やその他性的指向とは異なる
の二つ。
まず、性的指向というのは性的魅力を感じる対象のパターンに過ぎないので、加害性があるから性的指向ではない、というのは言葉の意味を理解できていないですと言っているようなものだ。
多分、「小児性愛も性的指向の一つ」という言葉に「だから受け入れろ」という意図を感じて反発しているんだろうけど、言葉の意味を曲げて反論する姿には違和感がある。
現状、医療現場でペドフィリアが障害として扱われていることは事実なので、一定の理解はできる。
ただ、実態としてこの部分は今もなお議論が白熱しており、指向と嗜好を完全に区別するにたる根拠を提示する人はいないので、結論ありきでニュートラルなスタンスとは言えない。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
これ読んだけど、書いたやつもブコメも頭湧いてんのか?
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前々から思ってたけど、性的指向と性的嗜好を分けるやつは全員頭おかしい。
自分が受け入れられるものを性的指向と呼び、そうでないものを性的嗜好と呼んでいるだけ。
そもそもなぜ小児性愛が嗜好で同性愛は指向なのかが、この記事にはなんの説明もない。
っていうのがよくある主張だけど、なんでジェンダーというカテゴリ分けだけ特別視してんの?
異性と同性どちらを愛するかということと、大人と子供どちらを愛するかということは、カテゴリの分け方が違うだけで同じ事象だろ。
「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」って文言が炎上の原因になってるみたいだが、この文言こそツイート主の小児性愛が「性的指向」であることの証左だろ。
「このままだと実在の児童に手を出しちゃう」っていう自分ではコントロールできない切迫した思いがあって、ラブドールで救われたから漫画書いたんじゃねぇの?
あと、そもそもこいつの主張は「犯罪だからダメ」としか言ってない。今の日本の法律が完全に正しいと思っているアホ。
「法律における犯罪=人間として正しくないこと」だと思っているやつは思考停止のアホだから自分が正しいと思ってこういうこと書けるんだろうな。
同性愛者が現実で同性と結ばれても、当たり前だが全然問題はない(法律違反になる国も実在するのですが……それはまた別の話として)
いや、矛盾するから「別の話」にしたんだろ?いいかげんにしろ。
同性愛が法的にも倫理的にも認められていない国で、同性のラブドールに救われているやつにも同じこと言うのか?
それは遅れた国の法と倫理観だから!とか言うんだろうなこういうやつは。アホだから。
言っておくが、世界に「絶対的に正しい」なんてことは存在しないからな?
この世界のどんな時空においても、その場その瞬間そいつが思っている「正しさ」があるだけだ。
だから「自分にとって気に食わない!だから見えないところでやれ!」って主張はどうぞご自由に。
だけど誰にも誰かを「間違っている」と責めることはできない。
もちろん司法が法律で裁くことは出来るが、それがイコール「間違っている」わけではない。
もう一点、
ラブドールで発散することで、実在児童への性的加害欲求が抑えられる人もいれば、ラブドール使用によって実在児童への性的加害欲求が助長されてしまう人もいる。異論はあるか?ないだろ?
はい、異論ありません。なので、批判するためには「抑えられた人」が「助長された人」よりも少なく、ラブドールの発散によって加害が増えたという証明が必要ですね。
まぁ、ツイッターの規約違反なのはそうなので、仮にツイッターからアカウント凍結されたならそれはしゃーない。
ただそれも別にこいつがどうのこうの言える話じゃないけどな。
規約違反だからといって倫理的に間違ってるってことも無い。ただそのサービスを使う権利が無いってだけ。
Twitterで話題のラブドールや小児性愛について自分が一番強く感じた事は、今の人類じゃ到底LGBTへの理解も配慮も出来ないだろうという、個人のざっくりとした落胆だった。
小児性愛は性的指向ではなく性的嗜好であり、そも犯罪であるという論調は噛み砕いて嚥下する事で辛うじて理解できるが、同性愛が法的に禁じられている国がある以上、法によっては個々人の性的指向すら理解される事なく断罪される事実があるのであれば、リビドーの向く方向が偶然にも法に触れない(法に触れない国に生まれた)だけに過ぎない。
小児性愛を法的に禁じない国があるならば、その国では小児性愛は性的指向の一つとしてLGBTの羅列の末席に存在しただろう。
「未発達で社会的責任を負うことの出来ない個人と大人の恋愛」と、「成熟した個人同士の恋愛」ではその意味するところが違うという論調は、現在の法の多くがそう定めているだけであり、人類史におけるスタンダードでは無いだろう。
自分もそうだが君達も理解すべきだ、俺達は偶然、たまたま、運良く、リビドーの向く方向が法的に許されている方向であるだけで、その法を定めたのはたまたま自分が所属していた多数派だったに過ぎない。
男が女を好きだなんて、女が男を好きだなんて、同年齢の異性、同性が好きだなんて、それって変だよ、犯罪だよ。と言われる世界にならなかったのは多数派が少数派を過激に差別してきたからであり、それこそがLGBTの歴史に他ならない。
あらかじめ言っておくと、例のショタラブドール購入した人のツイートを擁護するつもりは全くない。
おかげで自分たちも言葉遣い雑なくせに他人の揚げ足取りしてふぁぼりつ集めることが生きがいのクソフェミの恰好のえさになってる。
ショタのラブドールを買った人のルポ マンガツイートを読んだけど、「現実の男のに手を出す前に」と同好の士に訴えるの、自分たちから予備軍であるかのように語らんでもいいのに…と思った。予備軍扱いする視線を内面化しちゃわざるを得ない環境というのもあるのだろうが。— 半地下のH.イワシタ (@iwa_jose) August 30, 2020
不快に思う人がいるのは当たり前。
内輪に向けた発信だったのだろうが、ショタなどの性的マイノリティたちへの迷惑を考慮しなさすぎ。
ショタコン当事者にとって失礼すぎるので、ぼこぼこにされるのは当たり前。
改めて、ロリコンにおける専門漫画雑誌たるLOが毅然と“Yesロリータ、Noタッチ!”を掲げている意味を考えるとともに、男の娘界隈やショタ界隈は“Noタッチ!”をちゃんと言えてるのか見直して身を引き締めなければならないと思った。 >ラブドールのレポ漫画の件— マリオネット・ブックマーク (@Marionette_Book) August 29, 2020
ショタラブドールの漫画、現実に手を出す前にって文言はちょっと迂闊ではと思うけど、あるショタ絵描きの人が苦言呈してて同じショタコンと思われたくないつってたけど、そりゃ二次元のみのショタコンと三次元のショタコンは種類違うし、三次元ショタコンの苦しみなんて知る由もないんだなって— 鮎下魚 (@nyohonyohonyo) August 29, 2020
私は不快なお気持ちを表明して仲間からちやほやされたがってる承認欲求が強すぎて気持ち悪いツイフェミ界隈の人たちのお気持ちなどどうでもいいしこのツイートを消すべきだったとは口が裂けても言わないが「叩かれて言い訳しながら消すくらいなら最初からもうちょっと気をつけろ」とは言いたい。
作家がショタラブドールのレビュー書いたら性癖警察に偏った性癖は治すべきって騒がれちゃったお話、マジで一番怖いのは人様の性癖を矯正しようとする性癖だろ— 貴女(アニャンタ) (@morokoshiboy) August 30, 2020
ほんまこれ。
今回特にひどいなと思ったものとして、こういうツイートをしている人がいた。
「ショタのラブドールはもともとレ〇プ願望を満たすために作られた男児型の玩具」
これ性行為はすべてレ〇プって発想じゃないと出てこない言葉よな。
セックスレス性嫌悪おばさんは存在そのものが害だから他人の性的指向に口出すのやめてもらえませんかね。
それ言うならレイプ描写があるBL創作読んでる人間全員取り締まろうな?「購入するのはレイプ願望の発露」っていうならラブドールよりよほどこっちの方がアレだろ。
このツイートした人、自分がどのくらい醜い偏見持ってるかというのと、自分がふぁぼりつ欲しくて人を叩くことでちやほやされたがってる性癖が病気だからはやくカウンセリングいった方がいいよ。
って言われたら素直にいくんだよな? これだからキチガイフェミって嫌なんだよ。
ショタのラブドールについて
『犯罪に走らぬよう使用している』
ってみんな当たり前みたいに言ってるけど違うよ。
成人も性的対象だけどショタも大好きな人間を含めた、性生活の充実(娯楽)が目的の商材でしょ。
あれを犯罪抑止アイテムとすれば、使用者=犯罪者予備軍みたいになるからやめよう。— ハートレス@絵描き (@Heartless_point) August 30, 2020
・元ツイートの人はテンション上がってたんだろうけれど、そもそもが危ういテーマについて語るんだから言葉についてもうちょい気をつけろ
・今回つい主に対して病院にカウンセリングに行くべきだのショタコンは病気だから治療しろという趣旨のツイートをしたイツイフェミは、まずお前らが全員病院にカウンセリングに行け。
以上です
自分もセクシャルマイノリティなんだけど、セクシャルマイノリティが何で群れるのかが分からない。
例えばゲイバーないしハッテン場ないし、マイノリティであるからこそ特定の出会いの場が必要であることは分かる。
または、なにか社会的な啓蒙活動を行う場合、味方コミュニティの形成は必須だろうと思う。
でも、そうじゃない「群れ」をインターネット上でよく見る。
恋人がいる(=新たに探す必要はない)し、たまに同性婚のニュースをRTする程度の活動しか行わない人が、やたら繋がりたがる。
あれはなんなんだ?
群れるマイノリティというと真っ先に思い浮かぶのが、何かしらのオタクだ。アニメでも鉄道でもいいが。
日本中あるいは世界中から同じ趣味の仲間を探したい、探そうとするのは何か必然のようにも思える。
そしてそれは自分が自分らしく生きるための指標にはなっても、他人と共有する必要はない気がする。