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2012-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20120124203618

小中学生に豊かな人生経験を求めるのも酷ってもんでしょう

ってのは置いといて、ボカロは駄目! みたいなのはつべこべ理由つけずに、単純に「先生はお昼の時間に相応しくないと思うから」で通しちゃうのが一番だと思う

からボカロに限らずブリトラみたいなコミックソングも相応しくないって理由で禁止されてきたものだし

私がいた中学マリスミゼルも食事が止まるから禁止されてたし

曲の優劣と食事時にかけてもいいかどうかは別物ってスタンスでいるのがいいと思う。

生徒同士で議論させると優劣ゲームで終始しそうだから、議論はさせるべきじゃないと思うな。

2011-12-31

ずっと非モテ格差論やジェンダーの話に取り込まれていた

はじまりはただ、小中学校でのイジメだった。

15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラス女子イジメられていた。キモい、ウザい、死ねイジメられていた。

暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。

今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。

女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。

学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子イジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。

本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校場の空気自分イジメられっ子の立場に押し込んでいた。



イジメられ続けたまま、小中学生時代が終わった。小6の時に自殺しようと思ったけど、出来なかった。今思えば此処で終わらせておけば楽だった。

結局、誰も助けてくれなかった。教師は事なかれ主義から、明らかに俺のことを見て見ぬふりをしていた。親はイジメられている俺を不甲斐ないと怒鳴るような人間だった。母親は『男なのにそんなだと馬鹿にされるよ』が口癖だった。

高校に入り、ネットなどを見始め、身近にある友人関係や家庭は破綻していたので、身近でない、遠方にある社会的な話題に触れることが多くなった。

思えばコレが間違いだった。ただ、自分にはどうしようもなかったと思う。身近な人間が誰も助けてくれなかったし、悪意を向けてくるのみだったから。政治社会的な話題を用いて、自分を慰撫するしか無かった。つまり、たとえば悲惨な家庭環境にある人間が、「虐待は悪」という社会的メッセージを読んで、救われるという流れだ。その頃の自分は、無意識に「女子からイジメ」を慰撫できる社会的メッセージを探していたのだと思う。

ネットで、自分と同じ立場人間が居ないかイジメの話題で調べるようになった。結果として、吸引されるように、喪板などを見始めた。

『そういう立場に置かれている存在』の女性からイジメ経験談が書きこまれていて、似たような人がいることを知って、多少救われた気がする。

『そういう立場に置かれている存在』に名前が付けられていたことを知った。『非モテ』だった。

そのうち、「はてな」も見るようになった。「はてな」で知ったことは、ミソジニーなどの単語や、ジェンダー論や非モテ論で、男性は強者であり、社会的に自省するべきと規定される存在だと言うことだった。

これには、イラついた。

だが、自分と同じような立場にある『そういう立場に置かれている存在』を名指しして、「政治的に正しい人達」がその内面断罪していた。女性に対する恨みなんて無かった。ただイジメから来る惨めさから、後退しているだけなのに、散弾銃ミソジニー、悪、などと指摘してくる正義人達が居た。全くの他人に対する指摘だとはわかってるけど、散弾銃の弾が自分にも当たってて痛かった。

どこか自分が悪い気がしてきた。でも自分は悪く無いと思っていた。自分はどう考えても強者ではなかった。イジメられていた弱者だった。でも自分内面断罪されているように思えた。本当は誰かに慰撫して欲しかった。身近な人間でなくても、単なる社会的メッセージでもよかった。誰もしてくれなかった。『キモイ奴は一人で死ねば』だとか『男性は強者で自省すべき』だとかそんな言葉しか無かった。

はっきり言って、『弱者』『少数派』と認定されて社会的に慰撫して貰える『社会的弱者』が羨ましかった。自分マイノリティにすらなれない、イレギュラーだった。

このような話題や、議論を見ている内に、悪性サイクルに取り込まれた。





こんなことはもうやめる。馬鹿だった。

自分はただ、イジメられている時に、助けて欲しかっただけだった。

身近な人間は誰も助けてくれなかった。遠方から発せられる、社会的メッセージは、男性は強者であり悪いと断罪していた。

非モテだとか、弱者男性だとか、ジェンダー論だとか、本当は、全てどうでもよかった。

そもそも『モテ』や『非モテ』には一切の興味がなかったし、恋愛はどうでもよかった。自分草食系どころか霞食系だった。社会構造などもどうでもよかった。ジェンダーもどうでもよかった。政治思想的に男性断罪する人達が指摘する『内面』は、自分には一切関係のないものだった。他人が勝手内面にありもしないもの見出して来たから、もしかたか自分にもあるのかもしれないと思い込んでしまっただけだった。女性に対する恨みなんて存在しなかった。身近な人間が誰も助けてくれなかったから、政治思想に何か縋れるものがあるのかもしれないと思い込んでしまった。自分馬鹿だった。




ただ、あの時のイジメがだけがすべてだった。

女子からイジメによって発生した惨めさが、子供の頃に解消されず、いつしか政治思想的な話題に吸引されて、悪性サイクルに取り込まれていたに過ぎなかった。







本当にばかみたいな話だ。

こんなことは、2011年ですべて終わりにする。

2011-10-18

電子音楽の下位ジャンル定義

テクノハウストランスエレクトロエレクトロニカアンビエントビッグビートポストロック電子音楽も、今となってはジャズロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。

ちなみに書いている人は元テクノ少年テクノ中年シロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。

テクノ

電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルパンクオルタナティブを包括するのがロックフリージャズスウィングジャズハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカアンビエントトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである

よくある批判(?)として「中田ヤスタカテクノじゃない」「小室哲哉テクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリ番組で、ユーロビート日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスデリック・メイケビンサンダースの創設した「デトロイトテクノから派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義意味が無いと思う。

ハウス

デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージックリズムマシンシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーメロディピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカテクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。

デトロイトテクノ

上記に上げたようにホアン・アトキンスデリック・メイケビンサンダースデトロイトで創設したジャンルトランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイト黒人が始めた音楽である

トランス

ハウステクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。

ミニマル

音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの久石譲のsummerとか坂本龍一戦場のメリークリスマスなんかがそう。

アンビエント

これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェサロン美術館でかかっているような音楽。或いはクラブチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。

エレクトロ

ハウスデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンルハウステクノファンクという形で成立。ポップでキャッチーメロディで賑やかな感じ。

エレクトロニカ

たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノアンビエントから派生ジャンルキャッチーメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。

ビッグビート

ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズアンダーワールドプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。

ドラムンベース

ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽トランスハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドンドンドンドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。

テクノポップ

テクノ歌謡シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージックキャッチーメロディラインとヴォーカル1980年代小中学生流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMOクラフトワークPerfume現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球ケン・イシイデリック・メイなんかは影響を公言している。

ポストロック

これこそ未だによく分からんジャンルポストロックポストポストモダンポストと考えると分かりやすい。

まとめ

こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。

           踊れる
            ↑
         ドラムンベース
            |   トランス ユーロビート
           デトロイトテクノ ハウス 
            |      エレクトロ
    ドリルベース |       
            |ビッグビート
難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易
            |
  エレクトロニカ   |      テクノポップ
      アンビエント|
            |
            |
            |      テクノ歌謡
ポストロック      ↓
           踊れない

あとこのジャンルミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。

というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。

余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーイメージのほうが日本では大きいような気がする。

ハウス:オシャレ

トランス:チャラい

エレクトロニカオタク

こんな感じ。

追記

id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメ評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。

id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか

id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。

あと「ミニマルテクノじゃない」というブコメを頂いてますが、その一例として戦メリとsummerをあげました。

2011-10-05

塾講師の悲哀

 正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。

 っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。

 あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。

 それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。

 だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。

 判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生マシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。

 そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です

 一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。

 ああ、子供に帰って来てほしくないんだな・・・

 それが僕の頭の中に浮かんだ印象です

 しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。

 そして、次これは小学5年生くらいの双子女の子の話です。ちょっと記憶あいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの

 だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです

 最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通学校ではなく養護学校などに行くことになってしま場合もあれば「際どい」という場合もあります比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量普通学校に行く、もしくわ養護学校から断られる場合もあるでしょう。

 例えば6年生で10÷2を計算する時に一々

  2×1=2

  2×2=4

  2×3=6

  2×4=8

  2×5=10

 あっ答えは10だ!ってならないでしょ?

 この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日時間もただ右から左数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。

 かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです

 もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います

 ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。

 今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。

 子供は親にとっての何なのだろう?

 もう子供のいるマイミクも沢山いると思います

 お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?

 もし本当に子供の為であるならば

 絶対にうちの子はあまり手伝いをしない等という

 不満に似た感情は絶対に頭に浮かばないはずです

 あなたは将来自分の子供にお手伝いをさせますか?

 例えば、食器洗いにしてみても

 いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。

 皿洗いそのもの全然嫌じゃないのに

 そういう記憶だけはある

 だからなのか・・・

 友達自分の家で夕飯と食べた時とかに

 「いい いい 俺洗うから」とか

 誰かの家で御馳走になった時に

 「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」

 などと言ってしま

 もしも「皿洗いが楽しい事!」という擦り込みがあったら・・・

 他人の楽しみを奪ってはいけない!と思ってしまから

 洗っていいよ!だとか言ってしまったり

 他人の家でそういった気遣いができなかったかもしれない・・

 お母さん!ありがとう

 でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから

 してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば

 それで良かったのに

 

2011-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20110814122251

こういうの聞くと「国家アイデンティティレベルで」って具体的に何だよって思ってしまう。

あの国は属国脱出も近代国家としての成立も整備も光復も何もかも自力じゃねー上に、なんかしら日本がかかわってるので、

深刻に国家アイデンティティが常に危機に瀕してんだよ。マジで日本と「戦って」ないと持たない。

65年前までさかのぼればなんか他の道もあったとは思うけど。


韓国日本を嫌ってるから日本韓国を嫌うんだっていうことか?

日本人倫理観ってそんなもんでいいのか。

乗ってくる前に発端である元増田のいい加減な発言について総括してくれよ。

あと白人に対して、黄色人種である事のコンプレックスを持っているのかもしれない。

そう考えると、韓国人を見下してるのはある意味小中学生いじめみたいなものかも。より弱い人間を探して、仲間同士でつるんでいる。

このいい加減な発言について、どうなのー?


今まで20人くらいの韓国人と会ったけど、彼らはわがままではあったけど

日本に対して嫌悪感をあらわにする人はいなかった。若い人だったからかな。

反日感情だったら中国人の方が持ってるくらいだと思う。

韓国の若い人、たぶん君が会ったよりもっと若い人達

日本を題材に心温まる絵を描いてくれてるんだ。

君も見たらいいよ。

http://livedoor.blogimg.jp/amosaic/imgs/b/6/b60e980a.jpg

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http://livedoor.blogimg.jp/amosaic/imgs/8/c/8cf9b622.jpg

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http://livedoor.blogimg.jp/amosaic/imgs/a/d/adda24f2.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/amosaic/imgs/4/f/4ffb7b2b.jpg




日韓友好!()

2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812124012

日本人韓国人バッシングするのは、何で似たような顔してんのに言う事する事違うんだっていうことだと思う。

この時点でもう視野がフェアじゃなくね?

バッシング、というか突っかかってきてるのは圧倒的に韓国のほうだろう

あの国の反日日本嫌韓なんかとくらべものにならんぞ。


あと「似たような顔してるのに言うことやすることが違う」が理由なら

台湾人タイ人フィリピン人やサモア人や中国周辺の人々についても「バッシング」する筈だが

韓国人しかバッシング」されてないのはなんでだろね。



そう考えると、韓国人を見下してるのはある意味小中学生いじめみたいなものかも。

出たよ、「見下してる」「いじめ」w

しつこくしつこく喧嘩を売ってつばやウンコを放り続けて、

ようやくちょっと殴り返されそうになったら血相変えて「差別だ」「いじめだ」。

昔はそういうのが通じたらしいけど。


あとさー

同じ反日国家でも

韓国中国よりはるかに嫌われてるよね。

韓国人日本に対する感情アクションって

中国人のそれよりはるかに湿っててヒダヒダで、理解しちゃうほど「ウへ!」ってなるのよ。

ただの横暴とかただの敵意とかじゃなく、その内にある劣等感とか必死さとかセコい打算とかがわかってしまう。

中国人反日劣等感はないからね。


まとめると

韓国バッシング」の理由は

・彼等が国家アイデンティティレベルで強烈かつ執拗な敵意と挑発を送ってくるから

・その心情は理解すればするほど切実で「気持ち悪い」ものから

日本人韓国人とその他

NYに来て語学学校でいろんな国の人と話すと、日本人韓国人の差なんてラテン系との差に比べたら可愛いものだと思う。

ラテン系なんてめちゃくちゃよく喋るし、クラスに2、3人いたら日本人韓国人も会話に入る余地がない。

日本人韓国人バッシングするのは、何で似たような顔してんのに言う事する事違うんだっていうことだと思う。

日本人ブラジル人を前にして、互いにものすごく価値観の差があったとしても、完全に違う人種として割り切ってしまからバッシングする気が起こらない。あと白人に対して、黄色人種である事のコンプレックスを持っているのかもしれない。

そう考えると、韓国人を見下してるのはある意味小中学生いじめみたいなものかも。より弱い人間を探して、仲間同士でつるんでいる。

まぁ日本の文化コピーされたとかそういうのはあるかもしれないけど、それは日本アメリカとかから同じ事してきた訳で。もともと日本人こそオリジナルの物を作るよりあるもの寄せ集めて何か作る方が得意だし。

いずれにしろお隣同士仲良くやればいいのに。と思う。

2011-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20110809132437

ロウきゅーぶ!は全年齢対象なんだぜ?

なによりそれを重視すべきだと思う。

から例えば、小学生とか中学生バスケをやってる子とかが「バスケあるある」を期待してニコニコ動画見たらあの卑猥コメの山。

ふつうの子なら理解不能、理解できたら卒倒もんだよ。親と一緒に見てる子とか親が気まずいだろ。どうしてくれるってなもんだ。

さすがに問題のニコ生リアルタイムで見てるような小中学生は稀だと思うが。

2011-08-03

中絶が禁止されてる国でレイプしまくったらどうなるのっと

日本にも複数居ますよね

逮捕されるまでに小中学生ばっかり何十人とレイプしてたって言う外国人


あい犯罪者達が

日本ではなく中絶禁止されてる国や地域に渡ってたら、

そして捕まるまで捨て身でレイプしまくってたらどうなるんだろう。


当然たくさん子供が出来るし、中絶されないし、産まれたからには社会に養われるんだよね。

そうすると、

生物学的・ジーン的にはすっごい勝ち組になるってこと?

2011-07-19

ものを整理した

あると便利そう、とか、いつか使うかもしれない、とか、そんな感じでものが捨てられない生き方してたんだけど、今年になってどういうわけだか価値観変わったのか、思い切っていろいろ捨てた

結局あっても使わないものって多いのね

小中学生の頃は自由に使えるお金ほとんど無かったから、いざというときいろいろ代替できて便利、みたいなかんじで結構何でも取っておく癖があったんだよね。

それをずっと引きずってきたかんじ。

でも、ある程度ものが増えると、いざというときにどこに片付けてあるかわからないんだよね。それで結局買った後に見つかるってパターンが多すぎて。

からまあ、そういうもの取っておくよりも必要になったときに買えばいいんだよねって気づいたのよ。

というわけで、あると便利そう、とか、いつか使うかもしれない、とか、そんな感じのガラクタを捨てた。

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貰ったはいいけど、使う気がしない便利グッズを捨てた

ケーブル類も整理した。使う予定のないものとか複数あるものを一部残して捨てた

加工の際に生じた切れ端や中途半端な余りの類も捨てた

あとまあ、引っ越して以来2年間、一度も着てない服を全部捨てたよ。

ただでさえ少ない服がさらに少なくなりました

いろいろ揃えてみた調味料も、ほとんど使わず賞味期限超過してたものは容赦なく捨てたよ。

とかまあ、そんなことやってたらだいぶ片付いた

捨てていい物と捨てちゃいけない物の区別がつくと、だいぶ思い切って捨てられるね。

というのが上半期のまとめ。

2011-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20110709214635

元増田です

「絶対安全」とは何か

まず「安全」と「絶対安全」は違うということを理解して下さい。

後者は間違いなく誤りです事故が起こらない乗り物なんてあり得ない。しかし前者は正しいと言えるでしょう。乗客死亡事故皆無という実績がそれを物語っている。

原子力は安全だ」というのはウソ

では、以下はどうでしょう

程度の差はあれ、間違いではありませんね。どちらも大事故が起こることは承知の上。確かに飛行機に乗るのを毛嫌いする人はいますけど「個人の趣味」程度に割り切られてますね。

これは一概に言えません。何を基準として比較するかです。それによって正しいとも誤りとも言えるでしょう。

さて、そこでこれです

  • 火力発電は安全だ。
  • 原子力発電は安全だ。

これが自動車飛行機の話と本質的に違うのかどうかよく考えてみてください。個人的には本質的な違いがあるように思えません。実際、

  • 原子力発電は火力発電より安全だ。

この主張を肯定する根拠を挙げることはできます。勿論否定することも可能でしょう。しかしどちらにしたところで価値判断の問題が関わってくる話であるということは言えますね。

まり原子力関係者宣伝として「原子力は安全だ」と主張すること自体を非難することはできません。一面の真実ではあるからです宣伝とはそういうものです

あなたの出した個別の事例について

以上を念頭に置いて、個別の事例を検討してみましょう。

巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁

外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である

技術的な主張として読む限り、実はこれは誤りではありません。実際、福島第二発電所女川発電所東海第二発電所および福島第一発電所5・6号機がそれを証明しています福島第一発電所1-4号機で「停止した原子炉の冷却」ができなかった理由は、やるべきことをやっていなかったかです。具体的には「非常用所内電源」を安全な場所に設置していなかったかです。つまり原子力技術ではなくそれを管理する人間の側に問題があったということです

そういう意味でたとえばJR福知山線事故と同じようなもんです。あれはダイヤの無理とかATSの不設置とか、経営側の安全軽視に問題があったわけで、鉄道自体に技術的に問題があるわけではありませんよね。

飛行機が落ちても大丈夫なような工場にしております

「核廃棄物が水に浸かっても大丈夫なように設計しております

正しいとも誤りとも言える根拠を私は持ち合わせていません。専門家でもなければ判断できないと思います

ご丁寧にポスターを書くために「ヒント」を記したページがある。

http://www.jaero.or.jp/poster10/pc/hint.php

このヒントのなかに、「地球に優しい原子力発電」と堂々と記してあるのだから子どもたちは素直に、その通りに書いているわけだ。

趣味のよいことだとは思いません。しかし、子供プロパガンダポスターを描かせるということは残念ながら日本では社会的に許容されているようです

税についての中学生の作文・ポスター作品集

http://www.city.ichikawa.lg.jp/fin02/1111000009.html

小中学生禁煙ポスターコンクール

http://www.pref.nagasaki.jp/kokuho/kenko/tabako/poster.html

この辺を同時に批判するというのであれば、私もあなたに賛同します。

国費を使って原子力の安全性をアピールしてきたんだよ。探せばウジャウジャ出てくるよ。

以上の通り、それの何が悪いのかさっぱりわかりません。消費税だって禁煙だって国費を使ってアピールされています。それは悪いことなのでしょうか。国が国民に政策の周知と協力を求めることは度が過ぎなければ当然のことです。まして、その内容を批判する権利は抑圧されているわけでもなんでもありません。

そもそも原子力安全委員会なんて名前付けるのがおかしいよね?

『安全』なんて付けたら「安全です」って言ってるようなもんじゃ

上の通り「安全です」ということに問題はないし、そんなこというのならこれはどうですか?

運輸安全委員会

http://www.mlit.go.jp/jtsb/

結論

しょうもないイチャモンはやめましょう。批判するならもっと本質的な部分を批判しましょう。そして批判できる点は東電保安院対応を見ていればいくらでも見つかるはずです

繰り返しますが今回の事故は「安全」性を自ら損なった経営陣や監督官庁責任の圧倒的大部分があります技術的なことがわからなくてもこういう人たちを批判することは可能なはずです。それをやることこそが一般市民の役割ではないですか?

2011-06-27

BLと在日

注:加筆修正しました

最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネット同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。

なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。

いや、こんなにもアニメ漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイ二次創作に興味を持って腐女子腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。

そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。

というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。




倉科るり=金蓮花   在日のBL小説家

倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。

けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。

実はこの作家さんは、コバルト文庫金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネット検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。

さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルトノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島舞台仙人精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。

金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人外国人北朝鮮国内金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズ物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーロー新羅英雄金庚信である

ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本アメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。

金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。

彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校お祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。

そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説コバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティ価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議土下座までしたそうな。ましてやBLをや。

まぁ、BLを書くときと少女小説ラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbasso秋月こお榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。

ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。

ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山中国語では長白山)の守護仙人精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。




高城響、鷹匠早紀    在日の攻め

studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲーム乙女ゲームシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。

そのサイト大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会い恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである

『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。

しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。

ところで、この物語の攻めは、大阪出身関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的関西人という印象を受けた。

神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。




檜原まり子   日韓ハーフの受け

BL小説家檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台アジアオセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。

正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。

受けの母親日本人医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。

というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティ朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。

なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。




タカヒサ亨 渡来人カップル

『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台飛鳥時代日本で、有名どころでは葛城皇子中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。

主人公(受け)は、百済から渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである

職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。

日本舞台なのにあえて渡来人カップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。

もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。

ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。






コメント返し

ハテブやツイッター増田2ちゃんねるコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。


興味深い記事/勉強になった。/ほう。/おもしろい。

恐縮です。ありがとう

なんでこんな興味深い記事が増田なんかで書かれるんだ……いやまぁ理由は明確に推測できるんだけど。

自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田しました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから

金蓮花くらいしか思いつかなかった。/金蓮花さんは有名だよね。/ 金蓮花は私がコバルトを熟読してた時代の後の人で懐かしい。/金蓮花の作品なら子供の頃読んだことあるな。/金蓮花さんなつかしい

私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目していますラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。

違う文化がベースから、私から見たらよく分からないのかもねと当時は思ってた。アメリカ人日本とか中国に感じてるオリエントな感じってこういうのを言うのかなーと中学生の私には興味深かった。/舞台設定もそうだけど、登場人物たちの価値観や倫理観が自分の知っているものと異なる面もあって、それはそれで興味深かった。

確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教ベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。

「オレ、在日やん」。か。読んでみたい。/記事中の作品をどれも読んでみたい。

ネットで読める作品もるし書店図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。

日本では掛け算、欧米では×ではなく/(スラッシュ)なので割り算。

全然関係ないけど、最近アメリカスラッシュ翻訳されて日本書店の店頭に並び始めましたよね。日本語海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。

「「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」」あるあるwww

お仲間発見。やっぱり他にも同じ経験のある方がいるんですね。

この語り口、既視感が。/この特徴的な文体Twitterのどこかでみたような?

皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。

韓国人って恋愛もの入れ込むよね。日本人もだけど、なんかより情熱的っていうか

韓国人日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。

しかし、作者や登場人物が在日だろうとハーフだろうと、作品に影響なければ関係ないのでは?/BLを前にしたら作者が在日とかどうでもいいんだけど、気になる人もいるんだ

確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。

在日コリアンに限らずこういう風に創作の中に登場するマイノリティを振り返ってみるというのは興味深いよね。/こういう考察もあるのだねー。/いわゆる『キャラ属性』のフレーバー要素として、在日コリアン・その他を入れるか等。ただ、ふらっと使おうにも"実はよく知らない"事が多いのも、また事実。/彼も特にエスニシティ面で特筆されるような描写はないが、魅力的。

創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロアマアマラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています

2011-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20110614031306

小中学生だと断定できるアカウント100人程度の1年間の行動を整理して、彼らの嗜好や目的を詳しく整理すれば、学術論文(もしくは研究ノート)として価値があると思う。

防犯上、必要な情報であるものの、子ども世界に入っていけるオトナはいいから。

卒論

情報大学にて卒論の内容決め。

自分大学はFランクと言われるほどの大学過去ゼミ生の卒論も内容としてはひどいものだった。

それより良いものをつくろうと考えられる人間になりたいが、結果としては同じ。

プログラミングしたものを提出でもいいらしいが、最近では小中学生ネットモラルが気になっている。

論文を書くのは苦手だからプログラミングに逃げるべきだろうか…

2011-06-13

道徳授業の「親から手紙」強制のナンセンス

私事になるが、子供が通っている小学校で、

「親がいかに我が子のことを思っているか手紙を書いてください、道徳の授業で使うので」

という「要請」が来た。

で、妻が、「どのような文体にすればいいのか?」と必死に悩んでいた。

ネットを見ると、「親から子供への手紙」というのは、ここ数年で急速に各学校道徳現場

広まっているイベントらしく、特に「2分の1成人式」の目玉行事になっているらしい。

(2分の1成人式とは、子供が10歳になる4年~5年生の時に行うイベント。これもここ数年で急増)

妻は

「変にあっさりした短い手紙だったりすると、子供同士で手紙ボリューム比較し始め、

 『A君の手紙は短いんだね、親が手を抜いたんだね』とイジメられたりしないか?」と

妙な心配をしていた。

そのため、「親から子供への手紙道徳授業」の「例文」がないかどうか、

Google検索ウィメンズパーク投稿などを参考に探し始めた。

気分は「宿題知恵袋に聞いて回答する小中学生」の気分(いけないことしている気分)である

ネット上では、「親から手紙を書くのが大変だった」とかい投稿結構あったが、

なかなか「例文、テンプレート」は見つからない。

中には「文書をここにアップロードすることも出来ますが、あえてアップロードしません。

親が自分言葉で書くのが重要だと思いますので」と「意地悪」している親もいた。

よっぽど「人力検索」「知恵袋」にヘルプを依頼しようか、と思ったが、

何とか数個の「テンプレートになりえる文書」を見つけ、やっとのことで書き上げた。

時間にすると数時間、時給換算すれば1万円以上の原稿料が欲しい。

穿った見方すると、この「手紙」、文書が短い家=愛情が薄い家を

「炙り出す」のがウラ目的じゃないか、とも思ってしまう。

1歳児半検診のウラ目的幼児虐待発見、と聞いたことがあるが、この手紙

児童虐待発見のためのウラツールじゃないか、とも考えてしまう。

虐待発見云々は考えすぎかもしれないが、手紙が短い家、親が表現力が下手な家の子供

イジメられてしまうんじゃないか、と思うし、こういう形での「家庭対抗愛情発露競争」は

いかがなものか?と思う。

学校現場は「対抗戦ではない」と抗弁するかもしれないが、受け取る方(児童保護者)は

どうしても比較してしまう。

ましてや、授業参観日にそれをやっているのだから、親同士の「見えない対抗意識」に火をつける。

で、不思議なのは、「2ちゃんねる」の教育板とかで、この「親から子への手紙」への

批判投稿なりが見受けられないことだ。

「親から手紙ウザイ」とか「アホラシ」のような投稿2ちゃんねるにちょっとはあるか、とも

思ったが、意外と2ちゃんねらー保守的なのか?

2ちゃんねる保守的なので、ここ増田で発言する。

「親から子供への手紙ウザイ、あんなのナンセンス

誤解しないで欲しいが、自分は、これでも親として子供への愛情は備えているつもりである

そういうのを学校の場で「半強制的に発露させられる」のが筋違いじゃないか、と言いたいのだ。

2011-06-07

隣の家の少女って、最終部よりも中盤のほうがおっきすると思う。

痛ましさよりも背徳感が優っているからなのかしらん。メグ可愛いよメグ。

ほんとう可愛かったよ。

しかし猪瀬副都知事って、小説は同一解釈にとらわれないとかなんとか言ったらしいけど、今更ながらやっぱりへみょってしまうな。

自分なんて小中学生のころ、父親の書斎にあった小説エロイ描写だけ探して読んでた時期があったんだけども。

解釈云々はこの際いいとしても、それすら行わない読者だっていることを失念している気がする。

同時期にこっそり拝借してた週刊誌小説なんて、それこそグラビア写真なんぞよりもエロかったし、滅茶苦茶な内容だったけどな。

まあ、エロが悪いわけではないと思うけどさ。

エロイついでに。個人的に、星々の舟とアッシュベイビーは興奮したなあ。おちん○んおっきした。興奮しちゃうよね。

さておきああいったものを、小さかった頃の自分みたいに解釈するまで持ち込まず消費する奴って、少なからずいると思うんだけどな。

そこんところ、猪瀬さんはどう思ってるのかしらん。

あと映画の話になるけど、スピーシーズマトリックスリローデッド健全青少年の育成のためには悪影響を及ぼすと思う。

とくにリローデッド家族で見てて気まずくなったわこんちくしょう

世にも奇妙な物語でいつか見たねずみと入れ替わる話もゆるさない。絶対にだ。

2011-06-03

嫌なら辞めればいいのに。

ひさしぶりに気持ちの悪いコラムを読んだ。

先日の「君が代日の丸」に関する判決の話。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110602/220377/

そもそも「日本公立学校の」先生にならなければ、判決の影響は避けられるよね。

私立の学校で、式典で国旗掲揚国歌斉唱もないところもあるし、

インターナショナルスクールの式典で日本国旗国歌を強制しているわけじゃない。

そういうとこ探せばいいのに。

小中学生くらいで音楽教科書君が代の上に関係ないプリント貼らされて、

歴史の授業で「日本は悪いことをした」って教科書に書いてないこと刷り込まれて、

式典では国旗国歌ダメだってもめるところ見せられて、

それは果たして「公立学校教育」としてどうなのよ?っていう話だよね。

自分が嫌だから、妥当な業務命令でも従いません」

これが教育現場で通っちゃまずいよ。

2011-04-09

小中学生向け】コンテスト等で賞を取るコツ

  1. 審査する側から見て刺激的なものを作る
    この場合、大筋が沿っていれば作品等が少しテーマから外れても構わない。とにかく刺激的なものを作る事。
  2. クオリティを上げる
    基礎的な部分は必ず踏襲する事。審査を甘く見てはいけない。これがなっていなければ賞は絶対に逃す。
    また、競争相手がいる場合は(1)の質を上げたり、量を増やす。
  3. 根本の発想を変える
    質や刺激の関係ないところで、与えられた題材やテーマの範囲の組み合わせを熟考して、普通の考え方では得られない様な結果を残す。
    これにより、1と2の根本的な絶対量は変わらなくても方向性がほかの作品と別になるので比較されにくくなり、入賞しやすくなる。

2011-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20110401112105

小中学生増田なんかやっちゃだめだぞ。頭がどんどん悪くなるぞ。

2011-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20110307130332

ためしに近所の小中学生に教えて来ようぜ

レンタルするより落としたほうが金がかからいし楽でいい。そういう普通感覚を養っていくのが真の教育というものだ

http://anond.hatelabo.jp/20110307123248

レンタルPCに取り込み→返却って作業はあんまり批判されないのになんでP2Pは批判されるんだろうねぇ。全然わからん

本当に分からないのか?

これが昨今の小中学生感覚なんだろうか。

かに大変なことだな。これは。

2011-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20110220224310

ダーツバーは、一度会社の同期と行ったことがあるけど、あまり面白はなかったです

イケてるものに限らず、最近おもしろいなぁと思うことがないです。何をするのも億劫で仕方ないです。

小中学生の頃みたいにバカみたいに楽しめることってもう無いんだろうか…

みなさんはどうですか?大人になった後にも楽しめるものって見つけられました

2010-11-07

http://twitter.com/#!/24_589/statuses/1067599525842944

意外に知られてない?のかな。IQとは定義上“早熟度”。

日本人の平均IQが上がってきたならば、それは社会学校と行った総合的な仕組みとしての詰め込み教育が練度を上げてきていることを意味する。

二十歳過ぎればただの人、という箴言通り頭の良さとはあまり関係がない。

 

むしろ一般に言われる“頭の良さ”は記憶力に結びつきやすいし日本学力テストもそこに主眼が置かれるが、そんなものは実際に社会に出れば外部記録の検索で事足りる。

一応IQテスト論理構成力を診ているけれど、所詮は子供向けだから優れていることを診ている訳ではない。

 

今後日本に必要なのは記憶力ではなく、論理を組み合わせ柔軟性を持った結論に至る論理的な考察力と構築力だろう。千葉大藤川教授( @daisukef )が推奨するdebate訓練あたりは正にこれに該当するんだけど・・・小中学生から始めないとなかなか身に付かないんじゃないかな(苦笑。

 

和を以て尊しとする精神は繰り返しゲーム大前提となる小さな市場では最も効率的ではある。しかし自動的に世界舞台となる今日では非効率極まりない仕組みでもある。小中学校レベルから「足して二で割る」日本式のやり方を変えていかないと、このまま日本経済はひたすら落ち込んでいくのだろう。

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