はてなキーワード: 勝敗とは
とりあえず人気のゲームをいくつか購入した。
その中には2017年ベストゲームと呼ばれているオープンワールドのゲームもある。
特に私がハマったのはイカのシューティングゲームの2作目。
2017年にはPUBGなどオンライン対戦型のTPS系も少しプレイし始めていたので、特に気に入った。
プレイするのは仕事が終わった夜間と休日だったが、ゲームの性質上、3分〜5分で1試合が終わる仕様なのでゲームのテンポが良い。
イカのゲームの開発会社はどの作品でも小学生の子供でもプレイできるようなゲーム作りをしているので、飽きずにプレイできる様に設計しているので試合の時間を短くしているのだと思う。(PUBGは生き残れば1試合30分はかかる。)
また、PUBGとの違いはウデマエと呼ばれる強さのランクがあり、勝てば上がり負ければ下がるランクづけシステムがあることで、負けた時の悔しさが大きく、ウデマエをあげるために必死にプレイし続けていった。
仕事が終わった夜間にプレイしていたのだが、ゲームのテンポが良いためかやめるタイミングがつかめず
仕事でミスが増えはじめ、パフォーマンスが落ちて行ってしまった。
仕事の関係者にも「体調でも悪いの?」と聞かれたこともあるが、ゲームのせいなんて言える訳もなく、適当にごまかした回答をした。
それでもやめることはできず、続けていると今後は体への影響も出て来た。
病院(精神科ではない)に行き薬を貰い、ある程度回復したが、それでもプレイをやめることはできなくなっていた。
やめなければまた病気が悪化するかもしれないという恐怖よりも体が勝手にゲームに向かってプレイするようになっていた。
薄々感じていたが、病気になってもプレイがやめられなかったことで
と思う様になった。
そもそも、そのゲームをプレイして楽しいという気持ちはそれほどなかったのである。
ただ、ウデマエをあげたいという気持ちだけでプレイを続けていた。
自分の意識の中でそのゲームは「勝った喜びよりも負けてイライラする方が遥かに大きいゲーム」という印象だったからだ。
イライラが大きいならやめればいいだけなのだが、なぜか続けてしまう。
もしかしたら大手ゲーム会社は皆このような「ハマる」ノウハウがあるのかもしれないが、頭ではデメリットを理解しつつもやめられないことが不思議だった。
世にある依存症といえば、酒・タバコ・ギャンブル・買い物・SNSなどだが、私はこれまでそれらを体験しても依存症レベルでハマるという段階にはいたらなかった。
スマホのソシャゲもプレイしたことはあるが、ガチャを含めて課金をしたこともなく、依存症というレベルにはならなかった。
だからこそ自分がゲーム依存になるなんて全く予想もしていなかった。
数ヶ月後、依存症を克服できるような状況の変化が起こった。
コントローラーが壊れたのだ。
私は面倒くさがりで節約家なので、コントローラーが壊れても買うのが面倒でもったいないと思い、プレイ自体をやめざるを得ない状況になった。(元々はゲームのハード機とソフトもある程度プレイしたら売るつもりだった)
そして私はゲームをやめることができたのだ。
コントローラーが壊れただけで、依存から抜け出すという何て滑稽な奴だと思われるかもしれないが、事実プレイをしなくなった。
ただ、コントローラーを買いたいという気持ちもわずかにあるので依存症から完全に抜け出せたのかわからないが、
現在はプレイをやめたことにより、なぜ私が依存状態になったのか冷静に振り返ることができるようになった。
これまでの人生、様々なゲームをプレイしたものの生活には影響が起きず、今回イカのゲームだけはやめられずに危険な状態になったのか。
依存は基本的に脳の報酬系への影響により起こると言われているところと、このゲームの仕様を合わせて推測すると
ゲームのスイッチをONにしてすぐオンライン対戦が始まり、勝敗も5分で出るという手軽さは今までハマったゲームにはなかった。
オンラインマッチングで4vs4のチーム戦という仕様で味方と会話もできないので、どんな味方とマッチングするか運で勝敗が大きく分かれる仕様になっていることで
→ 運良く強い味方が来たり、敵がたまたま弱くて勝利したときの脳内が、モバイルゲームのガチャでたまに当たりを引くのと同じ快楽が得られることで、やめられなくなったのかもしれない
→ ガチャを何度も引き続けてしまうのと同じ状況に陥っているのかもしれない。
→ 勝つために運よりも立ち回りやプレイ技術が必要なPUBGにハマらなかったのは運要素が小さいからかもしれない。
(PUBGでも物資やアンチの運という要素もあるが、ある程度立ち回りでカバーできるので今回ハマったゲームほど運要素は必要ない)
ガチャ要素の部分と似ているが、勝ち過ぎず負けすぎずというようにマッチングの調整を行っているように思える。
子供がターゲットのゲームなので飽きない様な仕組みを作れているとも言える。
ソシャゲの課金と同じでランクを上げたいという射幸心を煽られると人間はなかなかやめられない。
・自分には依存症になんてならないと思っていても依存する事はある、とても身近な病気であるということ
・一度患ってしまうと理性で依存から抜け出すのはかなり難しいということ
・依存症になったと思ったら病院へすぐに行ったり、環境を変えるべき
(自分はコントローラーが壊れるという外部環境の変化で運良く抜け出せたが、もし酒タバコギャンブルならそうもいかなかっただろう)
・ゲーム、スマホなどのエンタメは脳から快楽物質を出させるので、今後もゲーム依存やネット依存はより社会的に問題になるだろう
セイバーメトリクスによって打線の常識は刻一刻と変化していく。
メタゲーム加速の本場サッカーにおいては20年前なら20年かかったレベルの変化が1年おきに起きているとさえ言われている。
しかしそれぞれが思い描く打線像がバベル崩壊した時代において、打線という概念を通してなにかをたとえた所で、それはお互いが背中合わせに壁打ちし合うテニスのようなものではないだろうか。
古代、人は決闘を通して正義を定める事を、「神に委ねる」と呼んだ。
それは各々が心に描く神・正義・世界観を、一定のルールある形に再度定めて争えるように再構成していたからその言葉が出たのだ。
打線は組めない。
組むことに意味がない。
誰かが組んだ打線を見て誰も「わかる」と言えない時代なのだから。
バベルは、崩れ去った。
だいほんえいはっぴょう
大本営発表は、太平洋戦争中に実施された大本営による公式発表。戦況が悪化するにつれ虚飾が著しく多かったことで悪名高く、「嘘だらけの公式発表」の代名詞と化した。
ところが、日本側の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚飾報道が著しくなり、末期になると勝敗が真逆の発表すら日常的に行われていた。
そのため「ある組織等が実態と幾分あるいは全く異なる情報を公表宣伝する」ことを「大本営発表」と皮肉る表現として用いられることが多い。
https://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6%E7%99%BA%E8%A1%A8
一般的に暗黒時代とも言えるポメラニアンの戦いの歴史に於いて、芸術が大きな発展を見せたことは看過できない。
ポメラニアンの戦いが始まると、一部のポメラニアンが反戦運動を起こした。
その波は瞬く間に芸術界に広まると、歴史から何も学べない、幾度となく繰り返す戦争の愚かさを芸術を通して表現したポメラニアンたちが現れた。
同族同士の戦いに於いて勝敗を決しようとする愚かなポメラニアンにアイロニックな観点からポメラニアンを唄ったのがポメラニアンのポメラニアンである。
静寂な湖畔に佇むポメラニアン
鳥の声に導かれ振り返れば越冬の小屋
暖炉にくべる薪は底をつく
ポメラニアンは泳げない
一匹のポメラニアンが静寂な湖畔に過去の幸せな生活に想いをよぎらせている。
MTGアリーナやって思ったけど、Magic:TheGatheringはランダム性の大半をライブラリーの中に押し込めている。
ライブラリー60枚に対して1ゲームで使用する枚数の比率が小さいからだ。
1ゲームで使用する枚数に対してライブラリー枚数が多いので、それだけでも十分にゲーム展開をランダムにできる。
それに対してHearthStoneはライブラリーが生み出すランダム性は低い。
ライブラリー30枚に対して1ゲームで使用する枚数の比率が大きく、さらにMTGと違って土地が存在しないので
そのためHearthStoneはライブラリーではなくカードそのものにランダム性を付与した。
結果として、
HearthStoneは「相手の運(ランダム効果の刺さり方)が良かったから負けた」
という感想を抱きがちになると思う。
あの、応援を目的にしたスポーツってのがなんかモヤっとするんだよな
まぁプロとかでハーフタイムにベンチにいないのに応援してどうすんの、という気にもなるし
仮に客席を盛り上げるためなんだったらスーパーボールみたいに歌でも歌ってりゃいいんじゃね?とは思う
それを始めたらチアの応援のチアが必要になってそのうちメモリがオーバーフローするがな
そりゃ応援される側は笑顔じゃ無いと元気出ないけど、それを採点するってなんかおかしくね?
笑顔って人それぞれなのに、笑顔が不細工だと減点されんのおかしくね?
まぁ剣道で一瞬早いほうが勝つ、ってのがもはや剣術とはかけ離れた競技になってるってのと似てるかもしれんけど
なんかモヤっとする
誰が競技にしようとか言い出したんだろうか
結果、俺のいるAチームは負けた。
勝敗は内野の残り人数で決まったんだけど、Aチームは俺1人で、Bチームは2人だった。
「うーん、惜しかったね」
俺たちは、それに気のない返事をする。
「……そうだね」
そう、僅差だった。
不平不満を垂れ流して味方チームの士気を下げつつ、パスで敵に易々とボールを渡し、避けるそぶりすらせずやられたブリー君をだ。
もちろん、俺たちのプレイに何の落ち度もなかったわけじゃない。
最も悪目立ちしたのがブリー君というだけだ。
でも、ブリー君が文句をブツブツ言わなければ、パスくらい最低限できれば、避けるのをもう少し頑張ってくれれば……。
そのどれか一つだけでも多少できれば、マシだったなら勝てたゲームだ。
極端な話、ブリー君がAチームではなくBチームにいれば……いや、ブリー君がいなければ勝てたに違いない。
僅差で負けたという結果は、そんな鬱屈とした思いを大きくさせた。
だけど、そんな俺たちのことなんてブリー君は知ったこっちゃない。
「やっぱり戦術不足が敗因だと思う。もう少し対策を練るべきじゃないかな」
「外野も、もっとパスを回して相手を動かして、体勢が調わなくなったら足元を狙えばいいんだよ」
まあ実際のところ、ブリー君の言っていること自体は的外れってわけじゃない。
言ってる本人がまるで出来ていない点を除けば、一理ある指摘だ。
だけど「ブリー君が足を引っ張ったから」という指摘の方が、何理もあるのは変わらない。
そのことを言わないよう気を遣う俺たちと、その可能性を1ミリも考えないブリー君。
俺たちはそう言いながらブリー君に背を向け、小走りでその場を後にした。
ブリー君が後ろからまだ何か言っていたが、自分たちの会話でそれをかき消す。
それは、良いやり方ではなかったけれど、それが俺たちの精一杯だった。
あの時、ブリー君の顔を見たり、声を聞いたりする余裕が俺たちにはなかったんだ。
本心からくる心ない言動が、いつ表に出てくるか分からなかったんだから。
「私、女だけど、ああいうのと上手くやっていける気がしないわ」
俺たちにだけ聞こえる声量で、誰かがそう呟く。
仲間のタオナケだ。
「自分の言っていることが周りにどう思われるか、まるで考えていないんだもの。すごく無神経で、そのことに無自覚で、自分のことを客観的に見ようともしない」
タオナケの言うことには同感だ。
「タオナケ。そういうことは出来る限り声に出さない方がいい。ロクなことにならない」
「私、オカルトは好きだけど、言霊だとか本気で信じちゃいないわよ」
「そういう話じゃあない。言いたいことを言うのに慣れてしまったら、いずれ歯止めが利かなくなっていくと思うんだよ。そうなったら俺たちはブリー君と同じだ」
俺たちはクラスメートとして、否が応にもブリー君と接していかなければならない。
毎回、苛立ちを言葉にしていたら身が持たないんだ。
「無理して仲良くする必要もないけど、だからといってトラブルも望まないだろう?」
「私、その理屈は分かるけど、何だか不服だわ。こっちが一方的に我慢を強いられてるみたいじゃないの。ねえ、ミミセン?」
タオナケが仲間のミミセンに話を振るが、反応は鈍い。
「おい、ミミセン」
俺はミミセンを軽く小突いた。
「……あ、ごめんタオナケ。聴こえてなかった」
雑音を嫌うミミセンは、その名が示す通り耳栓をよくしている。
それでも普段は近くの会話くらいは聞こえるんだけど、その時は耳当てまでつけて音を防御していた。
しかも、その耳当てを手で押さえつけた状態で、小さい呻き声まであげているのだから聴こえるわけがない。
「私、戸惑ってるんだけど、ミミセンどうしちゃったの?」
「どうもブリー君の声が、だいぶ耳に“くる”みたいなんだ。声質とか、喋る時の抑揚とか、色んなものが相性悪いみたいで……」
ミミセンの反応は極端なパターンだけど、この時点でクラスの皆が精神をすり減らしていたのは事実だ。
幼少期の教育を受けることによって自らのうちに多様な価値観を培うことができることは、のちの人生の幸福度に大きな影響を与えると思う。
幸福度を感じるには自らが価値を見出せるものをいかに多く手に入れられるかによる。
もし価値を見出せるものが少ないと他者との競争が激しくなり、勝ち続けることができれば良いのだが、現実上には上がいるし、そもそも競争自体がストレスとなる。
例えば、明確であり、かつ競争することで手に入りやすい価値といえば、金・地位、だろう。
これらは、常に他者と勝ち負けを争わなければならないし、上には上がいるので足ることがない。
これらの価値観にのみ幸福度を感じることができないとしたら、そこには常に争いが産まれ、一部の勝者と多数の敗者(不幸と感じる人々)を産む。
しかし、多様な価値観を持つことができれば、勝ちか負けしかない争いから脱することができるのではないだろうか。
例えば
一日何回人に笑顔を向けられるか数えること
どこのコーヒーショップのカプチーノの泡が一番細かいのか調査すること
そんなことに幸せを感じることができたとしたら、その瞬間人は誰かと比較し勝ったり負けたりする争いから解き放たれるのではないだろうか。
冒頭に教育を受けることが多様な価値観を持つにあたって重要であると書いたのは
教育を受けることがないとどうしてもわかりやすい勝敗(金と地位)に巻き込まれるからだ。つまり搾取される標的にされてしまうということだ。
eスポーツが嫌い! 肉体を酷使するスポーツはスゴい! と喚くだけの増田。
こんなツッコミ所の多い主張、まともな人間はアホらしくなって相手しないだけ。
釣り、もしくはスポーツ信者の怪文書だが、まともに相手してやろう。
現代のスポーツも、仕事のストレスを解消する役割を担っており、「遊び⇔労働」の関係にある。
スポーツが仕事のプロでもない限り、どれだけハードなトレーニングをしようが、遊びの域を出ないわけ。
財やサービスを生産する行為でなければ、ビデオゲームもフィジカルスポーツも遊びということ。
そして、ゲームの試合で価値を生み出すゲーマーは、遊びの域を超えてプロ・ゲーマーになる。
流行に明るい奴なら、eスポーツが「競技」を意味することは知っているだろう。
運の要素が高い、またはPay to Win(課金額で勝敗が決まる)のゲームは、練習量が重要ではない。
遊びだ。
この増田は「ゲームの練習=判断力の低下と眼精疲労なだけ」などと抜かしているが、
ソフトウェアの仕様をいかに早く把握するか? という点でも相当な個人差が生まれる。
ヒプノシスマイク、略してヒプマイ。今女オタクの界隈でちょっとした騒ぎになってる作品。
名前だけは知ってる人いるんじゃないかなとは思うんだけど、知らない人にどんなジャンルか説明するとコラボドリンクでドンペリのシャンパンタワーが歌舞伎町に建てられるジャンルです。
ドンペリのシャンパンタワーが歌舞伎町で建てられるジャンル(大事なことなので2度言う)
私も例に漏れず立てた。なんなら2回立てたし1度に3台立ててもらったので店員さんには「3台ですか??」って何回か聞き返されたのもいい思い出。シャンパンタワー担当者ってなかなかなワード、後にも先にも聞く事はない気がする。
ちなみに私はシブヤの女、だけどシャンパンタワー狂ったように立てまくってたから身内にはいまだにシンジュクの女と思われている。違う、私はポ女である。
ヒプマイって新宿・池袋・渋谷・横浜の4チームがラップでバトルしてるジャンルなんですけども、その新宿のチームに歌舞伎町No1ホストがいるんすよね。伊弉冉一二三、笑顔の素敵な一分将棋の神様と同じ名を持つ男。
私が一二三一二三連呼してたら、「いつから棋聖ジャンルに行ったんだ」と真剣な顔して心配されたのがなつかしい。
ちなみに私の推しは初見の時から乱数です。飴村乱数、彼の名前だけでもいいから覚えてくれ、よろしくな。
それが今ちょっとやいのやいの荒れてるわけなんですけども、公式との解釈違いだとかミソジニーだとかフェミがどうたらとかすごい意識高い内容でバカな私は「原作者そこまで考えてないと思うよ」って感じなんですけども、作品全体を叩くブログに対して対立意見を出すブログもあって流石ラップで白黒つけるジャンルはちげぇぜ!!!!とほどほどのぬるま湯から敬意を見つめております。
ヒップホップ外でのラップバトルはライムじゃなくてキーボードの打鍵音を刻むんだなしらんけど。
今回荒れまくってるのって純金のトロフィー騒動からのコミカライズの期待外れ感で不満が爆発した、って感じだと思うんですけども、体感battle seasonから入ってきた人達がキレてるんだろうなーという感じでして、今も残る初期からのオタクたちは「ま~たやってら」って感じで見てます。私の周りは、って話なので全体からみると私たちの方が少ないのかもしれん。わからん。
なんというかフェミとかジェンダーとか、論じられなければならないとは思うしフィクションでもそのあたり気にしないといけないんだろうなってのはわかるんですけども、お前らフィクションと現実の違いもわからんのか?????というのは前提としてはあるんですけども、地域一のアホ校出身であるアホのサラブレッドな私からすると、みんな難しい事考えながら趣味やってんだな(鼻ホジ)という感じで毎日勉強させていただいております。
ミソジニーって言葉初めて目にして、最初は「三十路に喧嘩売ってんのか?え?そういう描写あった?」と首を捻ったのが懐かしいです。ggりました。日本語で言ってくれ。
個人的には正直battleシーズンから入ってきた金を落としまくってくれる太客のオタクに離れてほしくはないので公式にはそのあたりうまくやってほしいな~とは思ってるんですけども、インターネッツ特有の「キチガイが残りまともな奴が去っていく」状況なんだろなと思っています。次のバトルシーズン始まったら今回と同じ額動くんだろうか。(単純計算5億近くの金がCD売り上げだけで動きました)
ま~~~~流石に優勝Div発表される前に出た、マ〇イのシャンパンには公式ないわ~~~~ってなりましたが。
そう、公式グッズでシャンパンとグラスのセットが出るんですよ。何言ってるかわかんないでしょ?ヒプマイってそういうジャンル。
そのシャンパンっつーのがCDに封入されていた投票券の得票数で勝敗を争っていたんだけど、その勝者側の柄でシャンパン作るよー!って発表したわけですよ。それで一部オタクがキレた。
ここで思い出して欲しい、この記事の書き出しを。そう、コラボドリンクでドンペリのシャンパンタワーが歌舞伎町で立つジャンルだという事を。
シャンパンって文字だけ見ると勝者に捧げられる物、って事でなんの違和感もないと思うんだけど、最初にも書いたように歌舞伎町No.1ホストがこの作品にはいる。シャンパン=新宿を思い浮かべるのは自然で、彼らと争っていた横浜は負けるとでもいうようなソレにジュクの女以外がキレた。ちなみに優勝を争っていたのは新宿と横浜なので、言わずもがな。
私も「シャンパンは新宿で欲しい~~~~!!!!!けど新宿はぜってぇ負かす」と毎日のように叫びながら暴れていたらジュクの女にブロックされた、かなしい。
そんなこんなで結構短期間の間に誰かしらイラっとさせられる事が続いたのでこんな風にやんやしてんだろうなという感じで初期からゆるゆる追いかけているオタクは思うわけです。
新宿が優勝してから、ハマのキャスト達が新宿を讃えてたから私たちもそれに従わなきゃ!みたいなキャッキャウフフしてた数週間前が懐かしい。純金のトロフィーとか、あの雑な扱いと女性が片手で持ててた事から一部純金とかいうアレだと思ってるんですが実際どうなんすかね。まぁ時期が時期なんで純金でも税金対策かぁ~~~~!!!と思わなくもない。これもしらんけど。
とりあえず何が言いたいかと言うと「次は新宿ぜってぇ潰すからな」という気持ちを抱いたまま次のバトルシーズンの開幕を待ってます。
ただまぁ今回みたいな投票券スタイルはCDの山を前に虚無心を抱いてしまうので投票券だけの販売アリとかの楽な方向にしてほしい。脚本家を下ろせとかそういう活動してる人、まず先にこっちを公式にご意見してくれないか…。
投資会社である親会社が、事業会社である子会社 を上場させることの意味を捉える必要があった
投資会社が事業会社の株を売るということは、その事業に投資妙味がないことを端的に示す
資金が必要なら親会社に頼めばよいだけなのだ(なんせ親会社は投資会社なのだから)。それをせずに、市場から資金を集めるということは・・・そういうことだ。
CNBC のキャプチャで見たのだが、ファンダメンタルズで分析すると1000円の価値もない株に 1500円の公募価格を付けた
SB は高値で売りたいだろうが、証券会社がそれに歯止めをかける役割があっただろう。
(結果として市場で評価される価値よりもはるかに)高い価格で子会社の一部を売りさばけた親会社が大勝利。孫さんの投資判断が絶妙であったといえる。
子会社も数年の運転資金を目論見通り得られた点で、勝者といってよいだろう。
何とか、引き受け株を捌けた証券会社もまあ、手数料程度は儲けた。
敗者は、9割にものぼるといわれる個人投資家。食われるのは弱きものだ。そして、この舞台での獲物は彼らだった。勝敗は今日の9時にはすでに決していたのだ。あとは個人投資家同士で損を押し付けるゲームというわけだ。
初日から公募価格以下で株を売るなら、初めから買わなければよいはずだ。なぜそんな不合理な行動をするのか?
最近のオタク文化にとって、声優という存在は切っても切り離せないものになってきた。
「○○の△△っていうキャラクターが好き!」という話をすると、「声かっこいいよね!」という返しがくることも多いし、声優からそのジャンルを知り、キャラクターを好きになる人だってたくさんいる。
別段それは悪いことでも何でもないし、むしろそのおかげでジャンル自体が盛り上がり、売上が伸びることはいいことだと思う。
ただ個人的に思うのは、最近あまりにもキャラクターと声優を同一視する人が多くないか?ということだ。
おそらくこれはSNSやラジオやリアルライブなどで声優本人のことを見て、知る機会が増えたことによるのだろうが、二次創作のみに限らず果ては原作にまで、声優の行動や人格がキャラクターに逆輸入されたりファン内での暗黙の了解となったりしている場面をよく見る。
私にとって声優というのはあくまでキャラクターの一部であり、キャラクターの人格や設定というのは声優のそれとは独立した存在であったため、正直なところ初めてそれに遭遇したときは戸惑った。
さらに言えばアニメとはあくまでも原作の付属品、あってもなくてもいいものであって、ノーコストで見れるものでもない(これは私が地方民のため、購入もしくはレンタルの必要性があるためである)。
漫画など声のつかないものが原作の場合、自然と声優という存在は必須のものではなかった。
勿論アニメが嫌いなわけでもないし、原作よりもアニメのほうが好きなシーンだってある。このキャラクターのこの台詞の言い方がいいな、と感じることも多々あった。
それでもそのキャラクターの話をしているときにまるでそのキャラクターの魅力の大部分が声優であるかのように、または声優が面白い方だからといってそのキャラクターまでネタキャラのように話をされるのはどうしても不快に感じてしまう。
私自身リアルライブのあるジャンルにいて、ライブ参加をしたこともある。
けれどもそれは、推しの歌を聞きたくて行っているだけであって、声優を見に行っているわけではなかったし、当然推しと声優を重ね合わせるなんてしなかった。
踊りながら歌うなんて相当な努力がないとできないし、少しでも私達ファンに楽しんでもらおうとしているのがダイレクトに伝わってきた。もちろん応援はするし、感動だってする。
それでも私は、声優のリアルライブよりも、たとえ薄っぺらでもステージ上の画面に映された私の推しが踊っているライブのほうがきっと魅力的に感じただろう。
ぼやかしても察してしまう人がいるかもしれないが、例えば、最近SNSで「このキャラのほうが明らかに歌が上手いのに、こっちのほうが歌バトルで負けるのが納得がいかない」「歌の上手さでは勝ってるのに人気差で勝敗がつくのが悔しい」という意見を見た。
どうやら投票によって勝敗をつける企画があったらしく、歌の技術的には勝っているチームが負けたらしい。
広く拡散された意見だったが、私としてはあまり賛同できなかった。
技術面ってそれ、キャラクター同士の勝負じゃなくて声優同士の勝負じゃないのか?
技術面だけで勝負するんだったらそのキャラクターはいらないのではないか?
個人的には人気差のほうがキャラクターの見た目、性格、生い立ち、色々なものが組み合わさって、きちんとそのキャラクターを見てくれているように思える。
公式から明確なステータス差も出ていないのに、声優の能力だけでキャラクターのステータスまで決まってしまう方がおかしいのではないか。
別に歌が上手い声優が当てられたからと言ってキャラクターまで歌が上手いわけではないし、逆に下手な声優が当てられたからと言ってキャラクターが下手なわけではない。
公式からのキャラクターのステータスが出ていない以上、そこから技術の良し悪しを推測するのはあまりにも残酷ではないだろうか。
声優というのは、魅力の一つにはなるであろうがそれだけが魅力ではない。
それだけを考慮して結果を決めるとなれば、『声優のおかげ』だけならまだしも、『声優のせい』になってしまうこともある。
こうして長々と声優とキャラクターの同一視に苦言を申してきたが、私自身声優とキャラクターを結びつけてしまったこともある。
自分のジャンルで声を当てている声優が、自分のファンへ後ろ足で砂をかけるような発言をした。
そのキャラクターは特に推しという訳ではなかったが、それでもその発言を知ったときはかなり衝撃的で、そして何より悲しかった。
私の知るそのジャンルは、そのキャラクターにかかわらず、すべてのキャラクターがファンを大事にする子たちだった。
先述したとおり、リアルライブを行うそのジャンルでは、一見してその声優は一生懸命だった。
私はてっきり声優もそのキャラクターのことを好きだと思っていたし、必死に応援だってした。
声優の行動は当然そのジャンルの評判に関わる。これは同一視があるからとかそういう問題ではないのはわかるだろう。
ファンのことを思って一生懸命頑張っている声優が大多数だろうとは思う。
それでも彼は仕事だからやってただけだったんだなあとぼんやり感じて、私はそのジャンルから離れてしまった。
それでもそのキャラクターも好きだったし、そのキャラクターを見るたび声優を思い浮かべてしまう自分が何よりも嫌だった。
そのキャラクターの魅力はたくさんあるのに、その世界の彼とは無関係な声優のやったことで、そのキャラクターを評価してしまう自分が嫌だった。
もうこんな思いはしたくないと思ったし、どのジャンルであってもリアルライブには二度と参加しないだろう。
今でもそのジャンルは好きだし、例のキャラクターだって好きだ。
いつか本当に私がその声優とキャラクターとを同一視しなくなることができるようになったら、そのキャラクターそのものを見ることができたら、その時は再びそこに戻れることを願っている。
私にも好きな声優がいる。
そして、その数以上に好きなキャラクターがいる。
未だ『声のついていない』大好きなキャラクターたちにとってマイナスにならない声優がついて、そして、声のみでなく彼ら・彼女ら自身を見てくれるファンが増えることを願っている。
びっくりするくらい力が抜けている……
投票の中間結果を見ていた時からやたらと力が抜けると思っていたのだけどこう…なんか違うのだ。
私はポッセも好きバスブロも好き、キャラクター的にはハマを最推しかも?だけどディビジョン的にはシンジュクだなぁといういわゆる箱推しライト目ユーザーなので、音源は出れば発売日に買うしニコ生も会員登録してるしライビュも申し込む(席はご用意されないんだけども)
応援はするけど勝敗は見守るのみという参加の仕方だったけど……何か力がすっごい抜けてしまうのだ。
力が抜けるという言い方はたくさん応援してる方々にはとても言えないからライトにしているのだけど。
だからそういう方はあまりこれを見ない方がいいと思うのだけど。
こういう切り口は乱暴だけど同じ作品のファン同士がお金と時間で殴り合う勝敗結果に。
音楽で殴り合う作品のはずだというのに同じCDを何枚も何枚も買って殴り合うことに違和感を感じてしまう。
ヒプマイが大好きで応援したくて何枚も買うのはいいと思うのだ。
公式にお金をかけられる人がちゃんとお金を払うのはコンテンツ保持にめちゃめちゃ大事な事だから、そういう人がたくさん応援したくてたくさん買うのはいいのだ。
でもそれでファン同士が殴り合って消耗するのを見てると箱推し民としてなんか違う気がするのだ。
キャラ同士が真剣に戦って公式さんがちゃんと筋書きを作ってくれるのがいいなぁなどと思ってしまう。
そのうえで推しキャラが悔しがったり喜んだりしてくれることが個人的には一番望んでる事なのだけど、コンテンツ的に難しい事はわかってる。
だからせめてCD買った人とかがそのコードで一日一回投票できるとか、なんかそういう方が情熱に対して平等に票が入るし、ヒリヒリした負けへの余分な焦燥感とかが無くていいなぁと。そう思ってしまう。
システム的に難しいのかな?そういう事もあるのかもしれない。
でももやしだけ食べてでも推しに勝ってほしいからお金つぎ込んだけど、これ以上は捻っても跳ねてもお金が出てこないから推しに投票できなくて涙を飲むとかなんかそういう焦燥感は味あわなくて済む方法が、いいなぁ。個人的にだけど。
大事な事だからもっかい言うけど、公式に出せる人がお金を出すのは、本当に大事。
でもコンテンツを長く、変な消耗をせず楽しみたいので、なんかこう…人によっては疲れすぎちゃったり、ライバルディビジョンを余分に敵対心をもって見ちゃったりする方もいると思うので…勝っても変な疲弊してたりしない、相手の楽曲と技術と迫力を認めて「めちゃめちゃ悔しいけどそっちの曲もめちゃめちゃよかったわ!!!!ちくしょ~~~~!!!次勝つ!!!!!」ってなれるような勝敗の決め方がうれしいな。