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はてなキーワード: 中学生とは

2023-08-04

中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

悪友5人で集まって近所のショッピングセンター野球場図書館などの施設に行き、ミニスカート若い女エスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ

リーダーのS君はボットン便所市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた

研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ

俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本付録CD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)

そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった

彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ

メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった

小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない

ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる

その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした

関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた

S君は変わらず熱心だった

靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処から調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた

俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた

良くないことだという認識はあった

しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎落ちこぼれ中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ

その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった

S君が亡くなったのだ

S君は父親運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ

その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった

いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった

そのまま関係自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった

俺とJ君は自転車で合流したものエロ画像パンチラの話しかしたことがないかほとんど無言で市営住宅に向かった

父親とS君がいなくなった市営住宅はしんとしていた

俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると

「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった

話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、

「これ、要るでしょ」

といって段ボール箱をかかえて戻ってきた

そこにはS君のコレクション田んぼで拾ったエロ本盗撮写真データが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ手鏡、巨大なノートパソコンパンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた

パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」

と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった

5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない

もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた

遺品はJ君がほとんど引き取った

自転車にカゴが付いていたからだ

俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った

しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった

充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った

帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した

J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた

「ずっと残しとく。大人になってもずっと。増田も忘れんなよ」

その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている

家にあるケーブルでなんとか充電できないか悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた

これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学写真学科に進んだ

一方J君は地元高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西大学編入

J君もS君の遺品のノートパソコン勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる

彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした

俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない

Jは卒業すると地元の有名企業になんとかコネ就職

まもなく中学時代同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した

噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかからない

俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた

しか写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンション写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた

仕事中、高級タワマンエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた

S君ならこのポジションをどう評価するだろう?って

父親が病を得たのをきっかけに俺は地元に戻った

地方カメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規警備員をやっている

施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る

彼らもまたパンチラハンターなのだろう

「お前ら、バレバレだぞ」

いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく

そう

俺はもうジジイになってしまった

J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている

調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない

今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた

女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚たから」と照れくさそうに言っていた

J君はバツが悪そうに視線彷徨わせていた

こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった

証拠見せようか? ほら」

彼女はそう言ってあのデジカメを見せてきた

最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う

液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた

しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている

この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う

「そうだよ。確かめてみな」

目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した

昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう

しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった

ただこれだけは言っておかねばならない

パンチラハンター支配され、パンチラハンターとして人生を終える増田もいる、ということを…

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230802232542

このブクマカの反応がきつすぎる

いやだってさ、ブクマカ社会人かどうかなんて実際どうでもいいと誰でも思うし言わせておけばいいんじゃね?って感じだよね

そこを必死になって叩いてるってことは、いかにも田舎チンピラって感じがして寒気がする

こんな底辺サービス利用者徒党を組んでヤンキーみたいな反応をしているのは普通にきつい

中には「なんでそんなに他人のことを気にするのか」というコメント散見されるが、それはそのままブクマカに通ずるじゃん

他人日記ツイートに反応して気にしすぎてるじゃん

自分たちのことを嘲っていたらついつい反応してるじゃん

全員中学生かよ

なんていうか、ブクマカ煽りに対する免疫のなさというのが見えて、真面目に元増田の話が真実味を帯びてる気がする

2023-08-03

anond:20230803181902

それも自演反応か小学生中学生だろ

ゴミ箱のぞいてゴミがあったって話を増田にまで輸入すんな

日本高校野球の歪な点

日本高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員であると思う。


周知のように現在は超少子化時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーバスケはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校のほとんどは、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。


その結果として何が起こっているか想像の通り。地元では有名だった中学生野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退である一方、その選手地元公立校部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。


2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校は全国各地に増殖し、甲子園出場校の多数派を占めつつある。はっきり言って、野球衰退の序曲と断言していいと思う。

中学生の弟

お小遣いを貯めて10万のゲーミングPCを買うと言っていて微笑ましいのだが、10万のスペックでapexくらいの容量のゲームって問題なくできるもんなんですか

親がド貧乏で私も正直余裕がないのでお年玉誕生日クリスマスでもらえるものを全て現金にしてもらってずっとコツコツ貯めてせっかく買えたのにスペック不足でした〜はあまり可哀想で…

2023-08-02

anond:20230802084407

中学生彼女ができてるエリート自分を比べない方がいいよ。

つらくなるだけだから

全く別物の人生から気にしない方がいい。

音楽を好きだと思ってた そうじゃなかった

増田

29歳 男 既婚

社会人7年目

自分小学生の頃から何らかのかたちで音楽をやってきた。

小学生中学生の頃は吹奏楽部チューバ演奏していた。

友達に誘われて始めた吹奏楽だったけど、みんなと合奏するのは一体感があって楽しかったのを覚えてる。

中学校からギターを始めて、高校大学軽音楽部でギターボーカル担当した。

まり器用な方ではないし、上手な方ではなかったけど文化祭大勢の前で演奏した時はアドレナリンが出て、これ以上楽しいことってないと思えた。

今思えば、大学では学部友達はいなかったけど、サークルがあったおかげであまり話すのが得意ではない自分にも彼女ができた。

楽器が弾けたり、歌えたりすることが自分アイデンティティ構成していた。

しかし、社会人になってからは好きだった音楽をやりたいと思わなくなった。

つの間にはフェンダーテレキャスターには誇りが被って、手にもつこともなくなった。

仕事中心の生活になった。結婚して今度子供生まれる。

音楽自分にとってプレイするものではなくなってしまった。

なくてはならないものではなくなってしまった。

自分音楽が好きだったんじゃなくて、音楽を通してこんな自分でも人と話せて、コミュニティに属せるのが嬉しかったんだな。

今はもう自分音楽はいらない。

俺は大人になった。

母「トイレ行ってくるね」

年頃の中学生

そんなんいちいち言わなくてもいい!っていって理由がわからない様子

君のせいや

anond:20230802101953

その中学生は、その店のオーナーの息子で、8人の雇い主。

8人はボディガードなので、中学生そばを離れることは許されない。

anond:20230802101953

その中学生強化人間

肉体の強化と安定のためにその店で特製フォー提供されている

周りの大人研究員と護衛

anond:20230802101953

9人はネットゲームオフ会メンバー

大人8人は既に食事を終えていて、最年少メンバーである中学生は、下校したばかりでまだ食事をしていなかった。

そこで、メンバーの一人が知り合いのフォーの店で中学生食事をさせた。

知り合いの人に、店の外で待っていた方が良いか?と尋ねたら、店内に居ても構わないと言われたので、待った。

店内には、オフ会メンバーを訝しげに見つめる増田がおり、

食事もしないのに席に座って談笑したらトラブルになりかねないと思い、席には座らなかった。

案の定、あの増田は、さっそく監視していた状況を投稿していた。

anond:20230802101953

男女9人はベトナム人の親戚関係

大人8人は既に食事を終えていて、そこに中学生が下校してきて合流した。

中学生がまだ食事を取ってないとのことだったので、フォーの店に連れて行った。

大人8人は注文する気はないので、席に座らない。

ちなみに、ベトナム現地のお店では閑散としている時間限定で、店主から座ってていいよと案内があると座って良いことになっていて、

実際、何も食べないのに店で座って談笑している風景はよくある。

中学生食事を終えたら、みんなでどこかに遊びに行ったんだと思う。


https://d13jio720g7qcs.cloudfront.net/images/guides/origin/58f86829de098.jpg

https://gekiuma.asia/wp-content/uploads/2016/08/IMG_5263.jpg

ホーチミンでの一般的外食風景

日本人ならテーブルが店内にあって店外で待つという発想になるが、

ベトナムではテーブルが既に店外にあり、店内店外という感覚希薄なのだ

誰かこの謎を解いてほしい

ちょっと前にベトナム料理店にいったとき不思議体験をしたので聞いてほしい。というか謎を解いてほしい。

その店は地域では評判で特にフォーが美味しいんですよ。

で、私もその店のランチフォーを食べていたんだけど、そこに集団の客が入ってきた。

20~30代の男女が8人くらいで、中学生くらいの男の子が1人。

その店には大きめのテーブル席もあって、全員余裕で座れる広さがある。

なので、当然そこに座るのかと思っていた。

しかし、彼らは店に入ってきてもなぜか席につかず、たがいに談笑しているだけなんですよ。

ただ、男の子けが1人席について、料理をオーダーして食べている。

男女8人は男の子を見つめながらテーブルの周りに立って談笑するばかりで、誰も席につかない。もちろん料理も頼まない。

雰囲気は楽しげだったけど、本当に異様な光景だった。

そして男の子が食べ終わると、彼らは笑い合いながら全員店の外に出ていった。

これ、どういう状況だと解釈したらいいの?

AIに聞いてみたら「男の子撮影するスタッフじゃね?」だって

しかし、それだったら普通スタッフも一緒に食事をとるはずだ。

彼らはお腹が減っていなかったから?予算関係でそうなった?

自然でしょ。

男の子わがままで食べさせることにしたとしても、全員店に入る必要はないよね?

食事の様子を撮影することもなかったし。

考えてもわからない!そして気になる・・・

誰か、この謎を解いてください。

釣りでもネタでも流行りに乗ったわけでもないです。

本当に悩んでいるからここに書いているんだよー。

ちなみに8人のうちの1人が店の人と挨拶していたかちょっとした知り合いっぽい。

ユーレイでもないっぽい。

あと見た感じ全員日本人に見えたけどなあ。

イギリス同調圧力は異常

https://twitter.com/HiroshiSukagawa/status/1685748930212966401

須賀川TBS Television🇯🇵 中東特派員 Hiroshi Sukagawa

@HiroshiSukagawa

最近、とても驚いたことがありました。イギリスの私の自宅の大家さん、とっても仲の良い家族なんです。ところが、実は1年半くらい前に家族同士で会った時、娘さん(当時中学生)がいきなり坊主頭になり・・・

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ダボダボジーンズ金色の極太チェーンアクセサセリーをジャラジャラと身に着けていて、両親とも言葉少ない感じで、ちょっと距離感もあり。

別にそのファッションNGとかそういうわけではなく、ただあまりイメージチェンジに、「思春期は色々なことがあるんだろうね」くらいに思っていました。

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ところが…つい最近彼女のお母さんと話しをしたら、なんと学校の「peer pressure」でそういう恰好をしていた、ということが判明。

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どういうことかというと当時、彼女学校では、女の子たちが「男の子」になることがファッショナブル!?)で、みんな she/her ではなく he/him にならないとイジメられてしまっていたそうなんです。

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で、娘さんもある日突然、丸刈りにして帰ってきて「俺はきょうからジョーだ」と。何の予兆もなかったこともあり、お母さんはびっくりして泣いてしまったそう。ファッションの度を超している…

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ただ、お母さんは娘の変化や行動を否定肯定もせず、考える時間をしっかりと与えて普段通り接していたら、数か月ふさぎ込んだあと突然、「私間違っていた」と言ってきたそう。

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今、日本では特にLGBTQの権利話題です。私は同性婚含め、権利拡大には大賛成。でも、その「多様性」を強要されることはあってはならない。

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彼女学校で、どういった会話がなされ、どういった教育がなされていたか分かりませんが、女の子たちが「男の子」にならないとイジメられる、そんな状況は極めて限定的であってほしいと願っています

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彼女とその後も直接何度も会ってますが、さすがにこの事については本人も触れられて問題ない部分かわからないので、聞いていません。

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ただ、何よりも素晴らしいなと思ったのが、子供の変化をむやみに否定肯定もせず、普段通り向き合ってあげたお母さんの行動です。

LGBTQの話題が出てきたとき、極端な例や事案を持ち出して罵倒しあったり批判しあうのではなく、建設的な議論に繋がるとよいなとつくづく思いました。

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LGBTQをめぐる話題は、同性婚だけではもちろんありませんが、最後に何度も話題になったニュージーランド議員スピーチを載せておきますね。

https://twitter.com/Bulldog_noh8/status/934357403851558912

2023-08-01

鬱病になった話とその後(追記

追記)予想以上に多くの人に見ていただいてびっくりしています最後の方にコメントで寄せられていることについて一部回答と説明を追加しました。

【本文】

初めての投稿

増田プロフィール

30代男性

身長173cm

体重76kg

高専

工場勤務

拙い文章なので読みづらかったらごめんなさい。

増田高専卒業して適当に決めた地方工場就職した。一応大企業工場なので給料はそこそこ良くて、交代勤務ということもあり比較自由時間が多い職場だった。学生時代は専ら夜型人間毎日来る日も来る日も、メタルギアオンラインをやって夜ふかしして授業中にうとうとするような生活をしていた。いつも寝不足気味だけど少し寝れば動けたため自分はあまり寝なくても大丈夫人間なんだと思っていた。就職してからもはじめのうちはそんな生活を続けていた。

三年目になって責任のある仕事を任され始めたときに、苦手な人が自分上司になった。

その人はとにかく揚げ足をとったり重箱の隅を突くようなことを言うことで有名だった。増田は無事その上司からロックオンされてしまい、それから3年間は地獄のような生活だった。交代勤務による不規則生活に加えて、上司からストレスで眠たいのに寝れない状態が続いた。眠れないかゲームをする。更に眠れなくなる悪循環に陥っていたと思う。ゲームをやめろよって思うかもしれないけど、その時は日々のストレスの捌け口がゲームしかなかったから辞められなかった。

いよいよ夜勤明けでも寝られなくなってきたので、休みの日はマック2セットと酒をどか食いして気絶するように無理やり寝ていた。おかしくなる前の1ヶ月は、2日間徹夜は当たり前、3日間徹夜することもあった。

そんなある日2回連続遅刻した。一回目はその日の記憶があまりない。あとから聞いたら、結構重要仕事をとんでもなく雑にこなして周りに迷惑かけたうえに、時間になると次直に交代してすぐに消えたらしい。

二日目はっきり覚えている。職場から電話で起きた。時間は朝10時。遅刻だ。しかも、なにやら頭の感覚おかしい。とりあえず目を覚まそうと浴室にいき、シャワーを浴びる。シャワーから出たとき時計10:40になっていた。体感5分ほどしか浴室にいなかったのに時間が経ちすぎている。浴室内での記憶がなくなっていた。とにかく会社に行こうと車に乗った。また記憶がなくなるのはヤバいと思ったのでしっかり目を見開いて信号の色を声に出して運転したが、最初信号以降の記憶がなく気がついたら会社制服を着てロッカールームにいた。仕事場に行き上司に一通り怒られたあと、夜勤明けの後輩と引き継ぎを行った。その後輩の日本語が何も聞き取れなかった。正確には、聞き取れてはいるんだけど意味理解する前に記憶から消えていく感覚だった。これはちょっと面白かったのを覚えている。もう一つ、引継書に書いている文字が浮き上がって踊っていた。これはうつ病だったり統合失調症の症状で聞いたことがあったので、あ〜これかーって感じだった。認めたくなかったが、その光景を見て多分だめだなって思った。その後仕事で使う設計図見ても何も意味わからんし、そんな状態仕事などできるわけもなく、上司ギブアップし頭の病院に行くことを伝えた。

診断は双極性障害。心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。この3年間で貯金を含めて1000万くらい無駄遣いしていた。決まって散財するのは冬だ。車を買い替えること3回、友達に30〜50万あげたこともあった。趣味の道具で部屋は埋まっていた。これは躁状態によるものだったのだそうだ。

斯くして精神病院への通院と薬の服用が始まった。抗精神薬と睡眠薬を処方された。睡眠薬発明した人はすごいと思う。あんなに寝られなかったのに飲んで15分で7時間寝ることが出来た。抗精神薬は正直よくわからなかったが今良くなってるから効いているのだろう。会社休職すると辞めてしまいそうだったので、保健室通学みたいに会議室へ出勤して雑用をちょこちょこやるのを半年続けて、だいぶ頭がはっきりしてきた頃、友達に進められてやったマッチングアプリ出会った女の子と付き合うことになった。

これが本当に良かった。彼女のお陰で生活リズムは整い、部屋は片付き、風呂に入るようになった。やっと人間に戻れた気がした。

それから回復は早かった。その後交代勤務には戻らなかったが日勤として仕事ができるようになり、その彼女結婚した。子供はいないけど仲良く暮らしててあの頃を考えると、今は最高に幸せな日々を送っている。

双極性障害を経て、かなり人格が変わったと思う。

まず1つはプライドがなくなった事。自分をよく見せようとか、理想自分でなきゃいけないっていう強迫観念から開放された。いい意味プライドを捨ててありのまま自分でいられるようになったと思う。

2つ目は人にやさしくできるようになったこと。増田は元々冷たい人間だと言われていたが、本当に辛いとき彼女や先輩、後輩にかなり救われ、今までの自分があまりに醜く自己中心的だったことを思い知った。同時に自分のような人間を救いたいと思うようになった。

久しぶりに会う友達からは同じ人間じゃないくらい変ったと言われる。

双極性障害を、経験して人間的には成長できたと思う。精神疾患も悪いことばかりじゃないと今は前向きに捉えている。

追記

結構批判とかくるかなと思ってビクビクしてましたが、思いの外暖かいコメント、励ましのコメントが多くて皆さんの優しさを感じました。

回答するコメント

◯結局「理解ある彼女」の話じゃん

読み返してみたら確かに理解ある彼女」がすべてを解決してハッピーエンドになりました!って内容ですね。

実際、彼女のお陰で生活を立て直せたのでその認識で間違いはないです。

ただ後出し申し訳ないですが、元々増田は、中学生の時以来彼女はおらず、女といるより一人で趣味謳歌していたほうが楽しいじゃん、と思ってるタイプでした。コミュニケーションの取り方も自分の考えをまずバーっと喋ってあなたはどう思ってるの?みたいな、一般的女性からすると苦手なタイプだったと思います。はっきりしているので男友達はそれなりにいましたが。

そんな性格でしたが、うつ状態に苦しみ、自信とプライドが地に落ちていく中で導き出した結論は「悩みの答えは自分の中にはない」ということでした。自分理論ではうつ状態から抜け出せない事がわかったので、とにかく人の話を聞いて、その人が話す言葉の背景を想像して、色々な価値観否定せずに、様々な可能性に目を向ける癖をつけました。

多分その結果、タイミングよく「理解ある彼女」と巡り会えたのだと思っています

あと、嘘くさくなってしまうので入れませんでしたが、うつ状態真っ盛りのとき父親交通事故でなくなったことも、心境の変化のポイントだったと思います。ただ色々重なって職場ではとんでもなく不幸なやつだと思われてました(笑)

タイトル鬱病ではなく双極性障害だろ

これもたしかにそうですが、わざと鬱病という表現しました。諸兄には不要だったかもしれないですが、双極性障害より鬱病って書いたほうがイメージやすいかなと思ったためです。変更はしませんが、これで迷惑がかかってしまった人がいたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。

プロフィール身長体重いるか

全面的同意です。全く必要のない情報でした。(笑)

ハラスメント上司のその後

実は増田が苦しんだ3年間のうち最初の2年間だけその上司の下で働きました。ある時その上司言動限界を感じて所属長に直を変えてくれと懇願して移籍することができました。しかし1度起きた双極性障害の波はどんどん大きくなり3年目で破綻しました。その上司ステップアップして今も私と同じ職場で働いています特に何のお咎めも無いですが、増田上司を恨んでいません。その人はその人で家庭や仕事問題を抱えていて苦しんでいるようなのでお互い出会ったタイミングが悪かったと思っています。間接的ではありますが、その上司がいなければ妻と出会えなかったと考えるとむしろ感謝しています

最後

これを見て増田と同じような症状や悩みがある方は勇気を出して病院に行ってみることも一つの解決方法だと思います病院に行けば治るとは言いませんが、病名がついたことでホッとした自分がいました。仕事人間関係がうまく行かないのは自分能力が低いからだと自分を責め続けていましたが、病気のせいだとわかって少しだけ自分を許すことができました。だめな自分を許していく道のりの最初の足掛かりとなりました。死のうかと思うこともありましたが、今では生きててよかったと思えています。どうかあきらめないで自分を許す道を進んでください。

目には目を、歯には歯をという思想

毎日エッセイ

バービー原爆コラボ問題で、「それならばこっちも911不謹慎ネタやったるで〜」というツイートがそれなりに見かけられた。

https://twitter.com/7pp2htgnjw3ar5r/status/1686148678875222016?s=46&t=OJDaJlFKcT4_ATwV-leoQQ

これはそのひとつで、まあツイッターだし(X……?)不謹慎ネタもありだろうとしか思っていなかったが、どうやらこのツイ主はハンムラビ法典に従って絶対にやり返してやるという強い意志でこのツイートをしたらしい。

 

私はこのツリーを見て、20歳にもなり、現代日本でこの思想を振りかざしている人間が心底可哀想に思えてきた。目には目を、という思想は確かにわかりやすく、そして合理性もあるように思われる。にも関わらず、この思想を実際に運用しているコミュニティは大規模であればあるほど存在しない。その理由は教えられるものではなく、自分で考え、さまざまな経験を通して身につけるもので、多くの人間直感的に理解しているだろう。例えば無限に続く復讐や、金持ち貧乏人の非対称性などいくらでも反例は思いつきそうなものだが、この思想否定するにはこれらを自分で考え、自分で納得しなければならない。

ふつう、おそらくは、極論じみた考えに染まり自分の中でのコンフリクトを通じてこういった考えを克服するということを中学生高校生部活人間関係を通じて学ぶものであろう。しかし、その時期を過ぎてなおSNSの心地よいエコーチェンバーの中では克服しえないそれを掲げた人間の行く先はどうなるのか。哀れに思えてならない。

外国人差別するな。爆破してやる」埼玉川口市商業施設煙幕花火投げつけ 営業妨害疑いでトルコ人男子中学生逮捕

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/636528

あーあ始まったぞ

そのうち暴動が起きて店や車が焼かれるようになる

アニメ漫画自分たちが出てこないのは差別だと言われてトルコ人を必ず出さないといけないようになる

そして参政権を得られないのは差別だと言われてトルコ人首相誕生することになる

もう終わりだよ

もう止められない

↓こいつらはいつか後悔するだろう、俺は知ったこっちゃないけどな

日本で働く外国人増加「賛成」が70% NHK世論調査

https://www3.nhk.or.jp/news/special/izon/20200607yoronzouka.html

2023-07-30

anond:20230729184026

悪が滅びてなんの問題が?

必要悪という中学生御用達ワードを用いず200字以内で回答せよ

田舎出身音楽に打ち込みたかったが不遇な日々を送った話

地方文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。

特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。


昭和末期に地方山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般特に演奏作曲に強い興味があり、

自分作曲した曲を五線譜に書いて小学校音楽先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカ演奏したりしていた。

しかし周囲にクラシック音楽理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。

まだネットなどもなかった時代である


やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。

その中学校では全生徒が何らかの部活動強制加入させられたが、選択肢運動部数種類と吹奏楽部しかなく、

かつ吹奏楽部男子部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。


しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。

教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。

しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。

自体レベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。


音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。

しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。

小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。

幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれ音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。

音大ではないにも関わらず、そこの楽団からプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。


俺は初めて、自分環境面で恵まれていなかったことを実感した。

これは住む場所問題だけではなく、家庭環境問題でもあるだろう。しか小学生のうちから子供バイオリンやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、

俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎格差であった。


結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。

今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。


もし俺が打ち込もうとしたのが、地元伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方アドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。

ただ、俺の興味の対象と、住んでいる場所の相性が悪すぎたのだ。

田舎者がクラシック音楽に興味を持つのが不相応だったのか、もっと別のことに興味を持つべきだったのか、それは分からない。

最近性欲がやばい

小学生の頃からオナニーが大好きだった。なんとなくきもちよかったのが、中学生の時初めてクリでいってからは、オーガズムの虜になった。

その頃に初めて彼氏ができて、ただコンドームは入手できなかったから(コンビニもない田舎)、互いに性器を触り合っていかせあった。

地元から離れた少し都会の高校に進学し、1年生のときに、他校の仲がいい先輩と、付き合うでもなく初めてをした。

もう少し初めては大事にすべきだったかなと思わないでもないが、とても楽しかった、幸せな思い出だからこれはこれで大切。

社会に出てからは奔放に遊びまくった。彼氏もいたけど、性欲が噛み合わなくて、別れて色んな人と遊んだ

28歳の時知り合った今の彼氏とは、性欲がすごく噛み合って、馬鹿みたいにセックスして過ごした2年間。

 

わたしは30になって、彼氏は34になった。交際期間が長くなってきたのもあるだろうし、同棲したのもあるだろうし、彼氏の加齢もあるだろうが、セックスの頻度は落ちた。週に3回くらい。

 

だけどわたし人生史上最強に性欲が上がっている。

もうムラムラしてしかたない。仕事中もたまに、座ってんのが辛いくらいムラムラすることもある。

わたしのように若いから性欲が強い女は、別に30になっても変わらないんじゃないかと思ってたけど、全然違う。

性欲の質が変わった。イったら満足、みたいなのではなくなった。ドロドロに溶け合って無くなりたい、セックスしか味わえない感覚が愛しくて欲しくて仕方ない。

あとは変態プレイもっとしたい。

緊縛ロウソクなんかは経験があったけど、もっと露出とか撮影とかそういうのもしてみたい。

この彼氏とならできると思ってたんだけどな。いろんなこと。

彼氏は2年間がうそだったみたいに落ち着いてしまった。

彼氏が大切だから浮気しようとか無理強いしようとかは思ってない。

だけど、彼氏とのプレイをこっそり撮影して、SNSにアップしたり、昔のセフレに送ったりはしてる。

見てほしい、わたし乳首性器わたし彼氏のまぐわい。

彼氏のが、わたしの中で、わたしのと混ざって、ドロドロになって溢れてくるところ、世界中の人に見てほしい。

2023-07-29

ジャスコの思い出

ゲームの話ばっかりですな。

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