はてなキーワード: リーズとは
とあるアニメシリーズの6作品目が異様に同人をやっている女性に食い付きがよかった。その作品で同人をやっていたツイッターアカウントはエロを垂れ流したりして頻繁に学級会が起こってたのと、途中から新規で入ってきた人が居心地悪いんじゃないかと思うくらい内輪ネタが多かった。
やがて、アニメが最終回目前になると制作会社やアニメーターに労いの差し入れ企画をやり始めていた。
ちゃんと制作会社に許可をとって市販の食べ物や応援メッセージ本差し入れしたようだけど、応援イラストも添付したとかしないとか。
二次創作は隠れてするものだと思っていたから、同人女が制作会社に直々に連絡して物を差し入れたりイラストを送り付けたりするのは当時相当驚いた。
中にはその作品でコミケで本やグッズを売っている人までいたから、そういう人達もイラストを描いて差し入れしたのだろうか。
制作会社やアニメーターが喜んだかどうかは分からないけど、同人女やオタクが公式に接触するのは見ていてヒヤヒヤする。
あと、差し入れした人達のどれくらいが公式から出ているグッズを買っていたのかも気になった。販促アニメなはずだから、メインのグッズを買って応援すればよかったんじゃなかいかとも。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
じゃあないんだよ
いるか?この部分
いらねえだろ
いうなれば、柳ヶ瀬とか、下通とか、騎射場とか、そういうレベルの話なんでしょ
そういうレベルの地名を出す?はてな匿名ダイアリーで?普通?
出すんだ
東京人は、往来でチンポも出すし、インターネットで市区町村未満の地名も出す
最低なんだ
どうして君たちは往来でチンポを出すんだ
そんなに誇らしいのか?自分たちのチンポが
あるいは、チンポ出して歩いてる人間が余りに多いので、特定されないっつう自信がある?
そうだよなあ ご立派なチンポだし、たしかに皆さんチンポをお出しになってるので、特定の一本を特定するのは不可能だ
でも不快なんだよこっちはよ
見たくねえんだ
見せないで欲しいんだ
ビコーズ・イッツ・ディスガスティング
ノ・メ・ムエストラス・トゥ・ペネ
ホラ、嫌じゃん
急に謎の表現、意味のない表現、不要な表現、不快な表現をされたら嫌だろ
そういうことなんですよ
みんなでチンポをしまいましょうよ!
何かある度に、「アメリカでは、日本で常識とされている~~がダメです!」みたいに言われるじゃん。
しかも大体、単に「へえ、アメリカではそうなんだね」じゃなくて「だから日本は遅れている!」みたいな言い方になるじゃん。
例えば家庭教育だと
「アメリカでは、子どもが×歳になったら親は子供と同じお風呂に入りません!」→「子どもと風呂に入る日本の文化は児童虐待!」
「アメリカでは、子どもから親が少し目を離しただけで捕まる!」→「日本もそうしよう!留守番やお使いは禁止!」
みたいな。
あとは
「アメリカでは、何でも裁判で解決する!」みたいな雑語りも、昔はやたらそれが良いことかの様に押されていたけど、
最近ではそれが富裕層に著しく優位な形でしかないことや、「刑務所社会」化を進めていることが分かってきた。
「へえ、アメリカではそうなんだね」で良いじゃん。多くの日本人にとっては子どもとお風呂に入るのが団らんの象徴です(話を繋げるなら「アメリカではどうですか?」)、で良いじゃん。
自分の文化は自分で考えるべきだ。仮に海外の文化を取り込むとしても、それは何十年と言うスパンで考えるべきことで、テレビの「ここがへんだよ日本人」とかSNSの多少のバズりとか「ポリコレ」とかで急変させるものじゃないんだよ。
蒸気機関車便利だねとかキリスト教進んでるねみたいなことを数年で急激に取り入れる様な明治維新の経験も意識されてるのかも知れないが、あれは例外的な物だし、当時の人々も非常に困惑してて「和魂洋才」とか実学偏重の教育問題とかに発展したわけだよな。
というかその「アメリカでは」「〇〇では」って何なの。どこの州のどういう集団のどの階層を差してるの。多分、一握りのWASPの第一印象だよな。絶対黒人とかヒスパニックの文化なんか参照してないだろ。
言ってる奴自体、生活の100%をそのどこかの「アメリカ」ナイズしてるわけでも無いしな。
じゃあ「アメリカでもやってるからハーグ条約にちゃんと従いましょう」っていうと、アメリカのMeTooを日本に取り入れようとしてる人たちは反対するだろうし。
東南アジアに日本企業が続々進出してた時にも、東南アジアの人々は多少労働環境などの影響は受けただろうけど、何でも「日本流」にしなかったし、今でも何でも「中国流」にしてないだろ。
逆に、アメリカのルイジアナ州で、ハロウィーンの季節に日本人留学生が間違った家に遊びに行ってしまい「フリーズ!」と「プリーズ!」を聞き間違えて乗込んじゃって射殺されたって事件あったけど(うろ覚え)、その場合は大方仕方ないと思うよ。
(あとこの場合は留学生の遺族はアメリカのその州の裁判に則って争って、賠償金を得た。これは郷に従った正当性のあるやり方。)
雑に羅列すれば、日本には日本のそれぞれのポリコレがあるし、中国には中国のそれぞれのフェミニズムがあるし、韓国には韓国のそれぞれのエコロジーがあるし、ブラジルにはブラジルのそれぞれの家族があるし、エチオピアにはエチオピアのそれぞれの宗教がある。
それをアメリカ・西洋一色にする必要はない。(もちろん日本も、日本一色にすることを求めない。)
自分の身の回りの文化をしっかりと考えていない人間が、他国の文化についても語れる訳ないだろ。それも数年の留学とか、SNSの雑なブームとかで。そっからだよ。
サンクトペテルブルク検察庁はいくつかのアニメシリーズをロシアで禁止することを求め訴訟を起こしている。申請では、世界的に人気の日本アニメの1つ『デスノート』シリーズが上げられた。同様に禁止が指摘された作品として、『異種族レビュアーズ』『残響のテロル』『エルフェンリート』が上げられる。裁判所のプレスサービスによれば、検察庁は同様にアニメ『ナルト』の禁止を求めたという。
定期的に訪れる私の料理したい欲を
ジャンジャン煮てわしゃわしゃして作る
そう言った類いの鍋とか豚汁とか。
私にはそれが足りなかったのよ!
オリンピックまた始まるの?
毎年やってない?
誰が出るのかどの競技があるのか。
もぐもぐタイムだとか
はにゅーゆずるくんの
なぜか変換出来ない!
そのはにゅーゆずるくんの何回転ジャンプが何回転まで達成していくかの記録なのか。
まったくなんというか、
正直なところ世間の盛り上がりとはかけ離れて
そんな感じじゃないかしら?
私はそれよりも
こないだお店の前を通ってみたら
ラストオーダーに持ち込めるかと思ったけど、
お店の前というか中もお客さんであふれかえっていて、
いま!今食べなければ!って人たちでごった返していたわ。
そうなのよね。
だから
とてもじゃないけど
やっぱりここはいっちょ、
豚汁キットを買ってきて簡単平日お料理クッキングタイムキッチン居酒屋のオープンだよ!って
そう言えば、
あったら絶対に売れると思うんだけど、
私なら鍋持っていって豚汁たくさん買い込んで
豚汁飲みながらそこで初めてオリンピックが見れるってわけじゃない。
でも本当に私はオリンピックどころじゃなくって、
久しぶりにイカゲームってスプラトゥーンのことだと思ったら全然違ったことのように
スプラトゥーンもぜんぜん遊べてなかったの。
そんで久しぶりに遊んだら
やっぱり腕がヘボまっていて、
かなかな勝てなくてチームには迷惑掛けたなって。
じゃバイトでもすっかーって具合なのよ。
やっぱり私に足りなかったのは
この冬の鍋!豚汁!
あと一つ心に残っていて引っかかるものが会ったと思ったら
何だと思う?
そう!おでんよ!
でさー
おでんくんってたくさんテレビ放送されていてシーリーズ総刊数がディアゴスティーニかゴルゴサーティーンかこち亀かって勢いで、
私もドラゴンボール例えがしたいように、
いつかは
美味しんぼ例えも出来るようになりたいけど、
あれはあれでどのシリーズ、
どの巻から読んでいったら
会話の中で気の効いた美味しんぼ例えが出来るのかしら?って思うし、
そうよ
おでんくんは何巻も出ていたと思っていたけど、
2冊しか出てなくて、
私てっきりたくさん
でね、
知らなかったわー。
まあ、
私に足りなかったのは
今シーズンはなんとか
これ成し遂げたいわ。
うふふ。
カフェオレよ。
手抜きだわー
料理した意欲を満たしたいほど手抜きだわーって
冬はホッツ多めね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・記録
・1話みて2話みる途中
・何かフラッシュ風の絵柄だけどバチバチのアニメでかっこよくていい…
・ベイマックスアニメシリーズの波動を感じるけどスタッフさんとか同じなんかな
・好きだけど日本媚びっぽいアニメで日本猿ってこれ…は…?差別的なアレコレは…?ってよぎるけど考えすぎ…?
・予告の耳なし芳一状態の相撲取りが最高だったからそこまではみたい
・10話全部みた
・時々入るボーカル曲が軒並いい…
・特に8話が好き
・おじさんが最後まで二流暗殺者なのがよかった 猿が死ぬほど天才だけどそれはそれとして2人がいいよね!ニコッ
・最後の「グスッ…」のとこ!ウルっときつつネットミームの雰囲気でちょっとじわる
・最後のわちゃわちゃバトル、キャラ自身でも「もうハチャメチャだな」的な言及があったのでそれ以上考えないことにした
・「想いは告げなかったけど思い出さない日はなかった」のとこ
・バディ感出してくるのは遅め
https://anond.hatelabo.jp/20220125183017 が何か盛り上がっていたので思いつくままに追記...しようと思ったのですが、私の話より先に、いただいた「やりたいこと」をまとめさせてください。
たくさんのコメントありがとうございます。拾えてなかったらすみません。
いただいたものを眺めつつ、この週末に新しいリストを作ってみようと思います。
私のリストは、結構個人的なものも含むのでそのうち整理して、気が向いたら公開します。
...とは書きましたが、だからといって不幸な気分ではありません。
たとえばクイズのバラエティ番組を見てて、世界遺産とか地域の名物がクイズの答えになってて、そこに行った思い出の話を楽しんだりとか、普通にあります。行ったことがない観光地が紹介されていて、行ってみたいなーと思うこともありますし、実際に行くこともあります。ただ、それは「死ぬまでに絶対に行きたい」から行ったというよりは、暇だしまあいいか、という感じです。そういう細々としたやりたいことはたくさんあるので、それほど不幸でもないし退屈でもありません。
ブックマークで「子供がいたら、無限にやりたいことは出てくるはず」というコメント(ブックマークはコメントなの?わからん。)を多数いただきましたが、全く同感です。ただ、年齢的に子供はいませんし予定もありません。少し羨ましく思います。
それから「奥さんと幸せな老後を暮らす、という項目はないの?」というコメントもいただきました。項目にはありませんでしたが、そうなるといいなとは思っています。
122個目をやるときの気持ちを知りたい。「やったるで!」という感じだったのか、「アカン終わってまう…」という気持ちだったのか
粛々と...という感じでしたね。やり終わった時は感慨深かったです。ものすごい達成感を味わいました。
じゃあ死んだら?
この話と少しリンクすると思うんだけど、
って持論がある。
その中でどのコンテンツを消費するのか取捨選択していると思うんだけど、
話題にはなっているけれどnot for meな作品を選択してしまって時間を潰してしまうのは悲しいよね。
そういう不幸を無くすために人気のあるアニメシリーズなんかだったら2期から見るといいよ、って話。
例えば、「このすば」こと「この素晴らしい世界に祝福を!」という
ものすごく面白いアニメ、シュチエーションコメディがあるんだけど、
このすばが本格的に面白くなり始めるのって
流石のこのすばでも第一話の導入部分はタルい、
丁寧になろう系の導入をやっている。
2期から見ましょうよ、って話。
2期から見ても十分面白いんよ、というか2期から見るほうが面白いかも。
でも鬼滅の刃なんかでも真ん中から見たほうが面白いとかあるんじゃないかな?
逆に真ん中から見始めて面白くないと感じたらその作品は合わないんだと思う。
でも以前ワンピース見ようかなって思ってた時期あったの、
でもでも偶然たまたま見た鹿、チョッピーかチョッパーかが仲間になるかならないかくらいのところで
鹿の泣き落とし(視聴者をなかそうとしている)シーンが始まって
ああ、これは自分には絶対あわんわ、って判断してワンピースとは関わらない人生を選択した。
多分、この判断は間違っていないと思う。
おそらく鹿が仲間になるかならないか、ってところはワンピースが好きな人はすごく好きな回だよね?
割とワンピースの魅力みたいなものが詰め込まれてるところだと睨んでる。
その部分が好きに馴れそうにない自分にとってはワンピースはnot for meなんだと思ってる。
とまあ、こんな感じの運用の仕方です。
四の五の言わずに、さっさと見たほうが早いという考え方もあるとは思いますがわたしはこんな感じです。
ストーリーはさておいて
メインキャラクター以外に、いろんな人がサブのキャラクターデザインを請け負っていて、故みなもと太郎キャラデザなんてのもいてさ
顔のカタチはもちろん、等身サイズまでバラバラな登場人物が同じ画面に収まってるのが好きだったんだよね
ゲストキャラクターが主人公たちとキャラクターデザインの等身から顔のサイズから全く違うのはよくあることで
(主人公の顔かたちすら話数によって違うのもよくあることで)
そこに違和感を感じることもなかった
それからしばらくして、21世紀にオタク文化がメジャーカルチャーみたいな顔するようになって以降なんだけども、
たぶん作画崩壊をネットで叩く文化が蔓延したあたりからじゃないかと思うんだけども
ひとつのアニメシリーズの中で、ある一定の整合性でキャラクターデザインを統一し整えるのが当たり前、それが進歩、それが進化、
それこそがアニメ・コミックの技術の成熟、みたいな論調が、気がつけば自明視されるようになってたんだよね
メインキャラクターたちとは全く異なる、みなもと太郎キャラなんかが当たり前のように同一画面内に並んでてさ、すごく嬉しかったのよ
俺はこういう、リアルもデフォルメもごった煮の「マンガ」が好きなんだよなって
大江戸ロケットにしたって、メインキャラクターは流行りの絵柄なわけだけど、
サブキャラクターとの差によって「差別」が生じてるのかといえば、そんなこたないんだ
それぞれの方法でそれぞれのキャラクターの自己主張がデザインに込められてる
キャラデザってそういうもんだよって染み入ったりしてたんだよ、当時
俺みたいのからするとね、「リアルなデザインのオッサンの絵」と「典型的な美少女の絵」って、並列の存在なんだよ
(もっと言えば、様々な方向にデフォルメきいたキャラデザが混ざってても全くアリなのよ)
「美少女はもっとリアルに寄せるべき」とか言われると、「は? なんでそんな<絵の多様性を奪う>こと言うの?」 ってなるのよ
今の「典型的な美少女の絵」ですら10年もしたら全く違う絵に変化してるのに
そのキャラクターデザインのバリエーションの多様さを奪ってまで「写実的」じゃなきゃいけないってなんなの?
じゃあ実写見とけよ
俺は、いろんな作家の、いろんなキャラクターデザインの、それぞれの感性による、多種多様な「美少女」を見たいよ
アイツらってすぐに「俺は大卒の奴らが遊んでいる間この業界で経験積んだのに舐められてるんすよね~~~まっ、学歴社会に反旗翻したトリーズナーじゃん、今の社会じゃとりまルーザーちゃんちゃん」みたいなこと言い出す。
取引先の人が学歴とか明かすと飲み会の場で「大卒が遊んで4年、院卒が引きこも6年、その間延々、俺身につけた魔法の数々、経験の差見せるぜガツガツ」みたいな対抗心燃やしてくる。
つうか日頃から「俺、実力の割にいつも舐められペロリン、だけどそれさえメラメラガソリン、俺は魔術師さながらマーリン」みたいな態度取りまくってイキってるのがヤバイ。
あのな。
た・か・が・数・年・や・ぞ?
それでよくそこまでイキりちらせるもんだな、と。
結局ね、高卒って何がアレってコンプレックスの塊になっちゃってそこから変な方向に伸びちゃうことなんだよね。
つうか高校卒業してすぐ社会に出るから、どうしても大卒と比べて「俺、天才じゃなかった……俺……下から数えたほうが早いかも……」みたいな経験の積み具合がたりんのよね。
いきなり社会でイキりまくって、それで一回思いっきり折れて、その傷を癒やしながら力をつけた頃に、同い年で自分より経験が少ない大卒が来ちゃうからさ、どうしてもそこで「経験の差ぁ!」でイキることが勝利の法則だと信じちゃうんだろうな。
悲しい生き物だな。
でも悪いのは高卒じゃねえんだよな。