はてなキーワード: マルチとは
なにやら数日前から「The StarUp」というブログを書いてジャーナリストを名乗ったり、ベンチャー企業のコンサルタントなどをなさっている梅木雄平氏が世間を賑わせている。世間っていうか、主にインターネッツ界隈で。主にっていうか、インターネッツ界隈だけだけど。詳細や経緯は以下。
http://matome.naver.jp/odai/2137758747868416401
基本的に、問題になった記事は「ランサーズって会社に圧力かけられたよ!」とインターネットに告げ口をしているようなものだから、Twitterなどでまったく利害の絡まない第三者に散々叩かれるのもやむをえないかとも思うが、なんだか一歩引いてみると、彼が気の毒で仕方ないような気がしてくるのである。
以下の記事は氏が27歳の頃に書かれたものだが、ひどく幼稚だなという印象も受ける一方で、会社員であるということからくる苦衷のようなものが感じられて切ない。
Essay #1 サステイナビリティへの近道は自分らしさを追求すること
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/09/essay-1.html
僕は3年以上のスパンで長期的に物事に取り組むのが苦手で
そして簡単に代わりが効かないことをすることを好む。
そう、時代は安藤ミッフィー氏登場前夜とはいえ、やれ起業だイットだ独立だIPOだフリーランスだノマドだキュレーションだという時代である。氏は周囲の優秀な人間が独立して成功する姿に大いに刺激を受けたのだろう。でもさぁ、起業して、氏のいう持続可能なモデルを構築することができる事業なんて一握りじゃんか。その辺のことは氏の目には入ってこなかったのだろうか。入ってこなかったんだろうな。
また、この辺なんか読むと、氏は非常に自己肯定的でもある。
Essay #3 地方出身者の方がライフスタイルセンスが良いという仮説
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/12/essay-3.html
現実を直視する力と自己を冷徹に見つめる能力(地方出身者の方がセンスがないという意味ではない)がやや欠けていると考える蓋然性が高い、そういう氏が、組織から独立して個の力((c)本田△)で生計を立てようとなさっておられて、その勇気は評価されてしかるべきだが、端的にいって不向きだったのではないすかねえ。いろんなこという人がいますけど、勤め人だからってクリエイティブじゃなくてゲスで貧乏とは限らないと思うんですがね。この話題は神学論争みたくなっちゃいますけど。まま、そんなわけで、氏は昨今のノマド幻想、起業幻想の犠牲者のような面もあると思うんですよ。
氏については、以下のような記事のときにもボヤがあって、嗚呼この御仁はいつか盛大な花火を打ち上げるだろうと思った。筆者の好きなところだけ引用しておきます。
http://thestartup.jp/?p=6943
一定の読者はThe Startupに中立性を期待したのかもしれない。
情報を正しく伝える。それは他の誰かに任せておけばいい。
件の記事の「言論統制」もここでの「編集権の独立」も、氏が力んで使う言葉はことごとく使い方が間違っていて、ほんとうに心が温まります。
実際宇多田ヒカルが世に出た時マネジメントしてたのはどちらかといえば彼女だったし、宇多田パパもバックアップしてた。
順風満帆に見えたのも束の間、アメリカ進出が失敗に終わって帰ってきたら娘は紀里谷氏と結婚し離婚。
その後は多方面でマルチに活躍してたと思うけど、それがお母さん藤圭子にとって負担だっただとか、宇多田パパこと前夫照實氏と確執があった等と言う噂もない。
そもそも関係者って誰?
NHKが独自に掴んだにしてもこの辺ははっきりして欲しい。
あるとすれば事務所の人かもしれないし。
過去にあった彼女に関する出来事で言えば、2006年のニューヨークの空港で麻薬関係の事件で取り調べにあったとかいう話があった。
確かその前後に前夫照實氏と離婚しているので、恐らくはそういう事なのか。
そういえば、先日チャゲ&飛鳥の飛鳥が麻薬を行っているという事で東京スポーツか週刊文春に取り沙汰されていたが、
実はもう一つZという人物についてネタが出てた。
まあシルエットから河村隆一だと判明していたが、ただ実はこれだけじゃなかったんじゃないか。
実は藤圭子も麻薬で警察にマークされていて、週刊誌などが報道する寸前だったのではないか?
今後の報道に注目したい。
>無理矢理買わない
確かに、エンドユーザーは自由に買うかもしれない
でも、加盟店は重点商品と称して仕入れる量本部に決められ、
陳列する量も重点商品は強制的に置かれる。
ただ、それでもマルチより買い込みしないのでその点、マシかもしれんが
?ブラウザの動き?
自分がMacでナントカしろよ、と思うのはメニューバー/タイトルバー/Dockかな。
どのアプリ起動してるかを見たりSkypeの着信とか見るのにDockを常時表示しないといけない
(Dockを表示しないで良いようにThunderbirdからMailへ移行したんだけど(Mailにはメニューバーに表示するアプリがあったので)
Skypeがどうにもならん。誰か知らん?)
Dockで余計にスペース取られる上、メニューバーも必ず必要。
Windowsのタスクバーみたくまとめてもらいたい(Dockのランチャー機能がいいなら独立させてもらいたい)
メニューバーが上固定なので怠い。マルチウィンドウにした時なんてもう意味不明(だからBTTでopt-spaceで出すようにしているけど)
この辺、Macとwindowsの区別のため変更するつもりは無いんだけど、惜しいところだな、とは思う。
WindowsはPowerShellとかくだらないもの導入する暇あったらもっと完璧なUnixライクな環境導入できる様努力しろ、とは思う。
今、日本を舞台にしたSLGを作っているのだが、
改めて思うのは、日本列島をゲームにした時のMAPの完成度の高さだ。
舞台の中央に大きな島があり、
マップの端に大・中・小の島が1つずつというバランスの良い配置。
このおかげで、ゲームの初心者は四国の小さなマップスタートから慣れてもらい、
徐々に大きな島へとステップアップしていってもらう事が出来る。
そして一番大きな本州の形は円形ではなく、南北に細長い形状になっていて、
比較的何処からスタートしても生産地(注:敵に触れていない土地くらいの軽い意味合いです)が作りやすい。
この形ならば、若干の有利不利はあるかもしれないが、
201年劉備や、Civマルチプレイパンゲアど真ん中のような
圧倒的な不利な状況にはなりにくい。
しいて言えば長野・岐阜・滋賀・奈良あたりが
地形上厳しそうに見えるが、
長野・岐阜は周りの山岳が、滋賀は琵琶湖がトリッキーな防波堤になるため、
下手な関東の平野よりも守りやすかったりする。
トリッキーと言えば、その豊富な地形変化も大きい。
こんな狭い島の中に富士山という高い山があり、琵琶湖という大きな湖があり、
瀬戸内海という内海があり、平野もあれば、樹海もある。
それが自然な形で配置されており、非常にバリエーションに富んだ舞台を作成してくれている。
自然という事でいうならば気候の変化もそう。
南北に長い為、北は大雪、南は台風と、舞台によって気を配る事が違ってくる。
さらに時系列でいっても夏に責めるのが有利な地域、冬に責めるのが有利な地域と変化が出て、
自分のスタート地点によって千差万別の戦略が必要になってくる。
しいて言えば、マップサイズにもよるが、
北海道・九州・四国の位置がさほど本州と離れていない為、
海戦の重要さが薄いマップになってしまいがちだが、
まあ、これもマップサイズを大きくすれば、問題は解決する。
このように、日本列島はゲームの舞台としては
驚きの完成度を秘めているのだが、この地形が自然に出来たのだから恐ろしい。
マップデザイナーが四苦八苦して作るマップよりも変化に富んで
バランスの取れたマップがすでに私たちの足元にあるのだ。
きっと神様は相当なゲーマーだったに違いない。
http://www.justanswer.jp/consumer-protection-law/7kkb5-nnnnnn.html
弁護士です。
マルチの可能性が高いですね。
一刻も早く解約に向けて動くべきだと考えます。
息子さんが友人等を巻き込んでしまうと、取り返しがつかなくなってしまいます。
マルチは人を巻き込まないと、もうけが出ないようになっていますから心配です。
ここで、クーリングオフのことが触れられていなかったり、十分な説明がない場合には、
いつでも解約可能です。
悪質な業者になると、
「本契約はクーリングオフできません。」となっていますが、そんな条項は無効ですから、
気にしないようにしてください。
解約の意思表示と既に支払った金銭の返還を求めることになるでしょう。
契約した日付、契約名、解除した旨、すぐに金銭を返還すること、返還しない場合には民事訴訟・刑事告訴すること
を明記してください。
不安でしたら弁護士等に頼むといいでしょう。作成だけなら3~5万円ですし、
弁護士から書面が届くというのは相手にとってプレッシャーが強いものです。
注意が要るのは、
息子さんは成人しており、法律上、親が勝手に代理することはできないということです。
最終的には、息子さんが解約したいという意思を持たないと、解約はできません。
JavaScriptを殺せなかった(Ajaxで生きながらえさせてしまった)のは
今世紀最大の失敗だったと思うわ
TojiCode: A Tale of two Web Technologies
http://blog.tojicode.com/2013/06/a-tale-of-two-web-technologies.html
コメント欄など見てると、もう駄目だよこれ\(^o^)/オワタ
JavaScriptの置き換えも改善も期待しないほうがいい。
DartもPNaClも政治で潰される。asm.jsはどう考えてもLLVM→asm.jsの変換時間やマルチスレッド対応で躓く。
ウェブはJavaScriptと心中だ。
つかBrendan Eichの老害っぷりがぱない
というより、あれこれ理由をかこつけて自分が作ったJavaScriptを守りたいだけなんだろうけどさ。
JavaScriptやasm.jsに疑義を呈するブログやツイートに片っ端から突撃してくる必死っぷりが心底うざいw
そろそろHTML/CSS/JavaScript全部スクラップにして
第二のウェブを作ることを考え始めてもいい頃合いではないかと思う。
野心ある人はもう取り組んでいるかもしれん。
[更新]新型MacBook Airと旧型MacBook Airを徹底比較!気になる性能は? | ガジェット速報
http://ggsoku.com/2013/06/macbook-air-2012-2013/
新しいMacBook AirはあろうことかGeekBenchスコアが低下(6128→6013)
私達はこういう時代に生きているのだということを
よくよく考えなければならないのだけどね。ほんとに(´・ω・`)
※以下、言語というくくりでの話ではなくて漠然とPC用プログラム作成環境全体を指して言っていると思っていただきたい
基本的には.Netが好きだ。
Webを最初から意識して作られているし、標準ライブラリでカバーされてる範囲が広いおかげでVisual Studio入れるだけでサクサクかける処理が多いので再発明を強いられる事態に陥りにくいのが感涙ものだ。
C++/CLIもやりたいことが割とリーズナブルなコストでできるのでありがたい存在だ。
VB6は嫌いだ。
いろいろ拡張してくれた結果なのは知っているが、結局大事なところはダメ言語のままでMSから匙を投げられた存在という認識だ。
MFCも嫌いだ。
ひたすら面倒いし、出来たコードのメンテナンス性も・・・。メリットが今となっては動作の軽さだけだし(昔はむしろ逆の立ち位置だったんだろうが)。
だが、VB.Netは好きだ。
MSILを作るための道具であるがゆえに、VB6の痛い所が根こそぎ取り払われていると感じる。
C#でもいいのだろうが、セミコロンはなくても良いじゃない(あっても良いけど)。あと、オブジェクトを変数宣言しつつ初期化するとき、"クラス名 変数名 = new クラス名()"になるのが
クラス名をSystem.XXXから書いているときには耐えられない。As New万歳。
しかし悲しいかな、VB.NetはC#に押されて絶滅危惧種だ。
TypeOfを使わなくちゃいけない時にはVB.Netが恨めしく感じるけど、そんなに頻繁じゃない。
他のデメリットにしても、表記がウザくなるだけで書けない処理があるわけじゃない(このへんがVB6と決定的に違うところ)
xboxliveに上納金7年(北米ゴールド3年分)納めてきたカモである俺が言えること。
何がきっかけかはわからないけどずーっと粘着したりするようなカスのフィルタとしては機能しない。
アレって隠せないからプレイヤーの自宅にいる時間帯がバレバレなんだよね。
集計しちゃうと自宅にいる可能性が高い時間帯が洗い出せちゃってストーカーの格好のエサ。
今はトロフィーの同期を絶対にしないっていう対策しか取れない。
今までは無料サービスだからいいだろ、でよかったけど金取ったらそうはいかないよね。
スマホ向けのブラゲとかネイティブアプリ作ってるんだが、圧倒的に人が足りないッス。
もう絶望的に足りない。
一人で幾つコンテンツ抱えさせるの?馬鹿なの?死ぬの?ってレベル。
ディレクターで入ったのに何で俺がコーディングとかしてんの?って思うわけ。
そんなマルチな才能持った100人に1人しかいないような人材じゃなくていいから
「ここに合うようなファンタジーっぽい金色の見出し作って」「あいあいさー!」で出てきたもんがパクリ全開でもいいよ
WEBデザは普通のWEB制作会社行くし、絵かきはまた路線が違うし、
http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。
影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人の自伝だ。
「名人に香車を引いた男」は昭和の将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝。羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。
生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。
「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中は戦闘機の設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作がきっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。
升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。
「記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士の自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。
この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonのレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。
こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから、志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。
「弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選に立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか。
決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分は法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法そのものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。
気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。
この本は学生時代に講義で先生がおすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。
高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者にインタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。
元のブログでは物事には多様な見方や解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。
ニュース番組や新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画の台詞の反対で、むしろ事件は会議室でしか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。
自分は単行本(ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)
堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。
著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。
デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)
厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。
今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。
この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前(ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。
この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイや世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。
冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。
全体として、椎名さんが書く紀行文は自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。
冬から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバーの装幀が自分にはしっくりくる。
カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。
その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本や世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。
カナダのユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。
犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)
著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)
小さな女の子が主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子にピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。
あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。
「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい。
中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学の月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。
数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校や中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学のプロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)
そんな風にだんだんと一般人は数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学や算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。
この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学のドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。
同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。
元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)
この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳は山崎淳さん。
この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。
Amazonのレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。
この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものだからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。
著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本の大学を卒業されたあとにインドで民衆のグループのリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請で東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)
こういう日本人って(自分が不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。
ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。
外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。
そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。
著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。
生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊をほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素なものだ。
本のはじめに藤本研さんの歩行ルートが日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しい。たんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。
たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。
自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。
(まだつづく、かも。)
Java 使ってるプログラマは駄目だ、Java は時代遅れだ、とか言ってる人が沢山いるけど、そう言ってる人のうち一体何人がマトモに Java 書けるんだよ。
勿論言語としては他の言語に劣っているのは間違いないんだけど、ムカつくのは「俺は Java なんて卒業したぜ、イケてるプログラマなんだぜ」ってポジショントークのために Java と Java プログラマを DIS ってる奴らが居ることで、見てて痛々しいし、実際 Java 使ってる身からすると不快に感じるし止めて欲しい。そりゃ Java プログラマの平均レベルは低いかもしれないけど、裾野が広いだけにそうじゃない人達も沢山居るんだよ。それを知らずに十把一絡げに「Java 使ってる奴らはダサい」みたいなイメージを広めるのってすげー嫌なんだよね。
最初から Web プログラマとしてデビューしました、みたいな Java を使ったことの無い人は、そもそも多分 Java をマトモに使えないくせに DIS るの止めて欲しい。Web サービスを運用する人達やミドルウェアをつくってる人達は凄いと思うけど、Web のプログラミング部分なんて超簡単じゃん。こいつらのうちの何人がマルチスレッドプログラミングまともに出来るのか聞いてみたい(どうせ出来ないんだけど)。おまえら多分 DIS るほどの実力なんてねーよ、使ってる言語が自分の実力だと勘違いするんじゃねーよと言いたい。動的型付けの言語でクソみたいな文字列処理のプログラムぐらいしか書けないんだろーが。大体 Web プログラミングやってる奴らなんてオブジェクト指向すら分かってないことが多いぜ?
元々 Java 使ってたけど最近 Scala とか Ruby 覚えたので DIS ってる人達。私見ではちゃんと書ける人達は DIS ってない。DIS ってるのは SIer から飛び出たような人達が主なんだけど、良く考えてみた方が良い。SIer なんてさー、確かに平凡な技術者が多いわけだけど、少なくとも実力があればちゃんと評価されるし好き放題働けるわけなんだよ。ここから出ていかないといけないような人達って大体実力が無くて評価されなかったから不満を覚えて辞めていく人達なんだよね。ごく一部に例外はあるとしても、大体はそんなもん。そりゃ周りには「もっと刺激のある環境を求めて」とか言うけどさ、現実は「実力不足で評価されない」「ガキ過ぎて使えない」のどっちかなんだよね。つまり元々大したスキルなんて無かったわけですよこの人達は。そんな奴らが DIS ってるのは滑稽だしホント見てて鬱陶しいわ。
今日も「Rubyist は Java 脳より Scala の理解が早い」とか言ってる奴が居たけど、馬鹿かよ。そんなハズねーだろーが。そりゃプログラマの平均値とったら Rubyist の方が実力高いのかもしれないけど、互いの上位層を比較したら断然 Java プログラマの方が Ruby プログラマより優秀に決まってるだろーが。マトモな Java プログラマは Haskell だって Scala だって普通に使えるし静的型付けについてもちゃんと理解してるし Rubyist より Scala の理解が遅いなんてことありえねーよ。こういう発言して Java プログラマ全体の地位を貶めようとする奴ってホント馬鹿だしガキだしもうちょっと周りのこと考えろよって思う。
ここまで書いてて思ったんだけど、結局の今の日本の Java プログラマに対する空気ってのは
みたいなところから醸成されてるのかなと思った。
とりあえず:
PS3の設計がそもそもの混乱の始まりだね。いくらデバイスハブ構想があっても、まず本体を普及させないとダメ。そして本体普及させるのに必要なのはゲーム。Cellはあまりに扱いにくいし、本体価格などもあって、PS3は思うように売れなかった。PS2時代はPS2にだけソフトを供給すれば良かったけど、海外だとXbox360の方が売れたし、日本だとPS3の方が売れてるから海外でも売ろうとするとマルチにするしかない。すると、PS3のCellアーキテクチャはただの足枷。しかもWiiの方がさらに売れたから、Wiiをハブってたサードはさらに苦境になってる。その結果としてソーシャル(笑)に逃げてしまってますますゲームが作れない悲惨なことになってる。PS4はその反省をふまえて作りやすいゲーム機にしたけど、もうダメだね。ソニーがなくなるのがゲーム業界を救う一番の方法だな。
原文は英語。随員、メモは無し。バイではなく、数カ国の人達とのマルチ。 【くれぐれも、妄想ですから、まじにしないでちょ。】
YK:K委員、お会い出来て光栄です。この度の◯川大地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。我が国と致しましても、最大限の支援を致します。どうぞ何なりとお申し付け下さい。
KY:Kさん、こちらこそお会い出来て光栄です。お心遣い、本当に有難うございます。 ただし、先日の貴国の総理と副総理のY国神社は本当に残念です。我が国として、看過出来ません! 厳重に抗議します!
YK:お言葉ですがY委員、あれは図らずも命を落とした若者たちに哀悼の意を捧げているだけなのです。戦争指導者を崇敬しているのではありません。是非、ご理解を賜りたいです。 しかし、お言葉はお伝えしておきます。
友人が、仕事で知り合った人に食事に招かれたらしい。
どうやらその行商中に知り合ったとのこと。
「仕事中に出会った人に食事に誘われた」とか言ってるから、どうせマルチとかだろとか思ったら案の定ア○ウェイだった。
「どうせマルチかなんかの人でしょ?」って言ったら、「ア○ウェイはやばくないでしょ?」って。
元々世間知らずというか一般常識があまりないやつなので、今の仕事するって言ったときも不安だったが、更に輪をかけて今度はア○ウェイ。
「マルチは駄目でしょ」
「ア○ウェイはやばくないでしょ?」
「下のやつは売るの大変だし、簡単に上にあがれるもんじゃないよ。」
「けど、俺もの売るのは得意だし、いいと思うんだよね。マルチはよくないけど、別に俺がもの売るだけだからよくね?」
「友達なくすぞ。」
「なんで?」
「あれやってるやつって、どんどん普段もモノ売るとか、向上心がー見たいな感じで言動がちょっと怪しくなるから、周りの人がひいてくよ。」
「・・・。」
普段から自己啓発書読みまくったり、会社の研修だかで妙なポジティブさを捩じ込まれてるやつだけど、まさかこんなにころっと靡くとは思わなかった。
そして、ア○ウェイはやめとけと説得する俺の語彙の少なさ。
このままだと本当にア○ウェイ始めちゃいそうだ。
どうにかしないとな…。
感動ドキュメンタリーとして放送されていた登山家の栗城史多さんが、
「七大陸最高峰の無酸素単独登頂」をウリに登山をライブ中継するも、
http://pbs.twimg.com/media/BH9AkqXCcAAdtaQ.jpg
BLACKザ・タブーvol8という本だそうです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4813067581
ここまでぼろくそに叩かれるほどのアレなのでしょうか。
栗城さんを擁護してる人はいないんですか。