はてなキーワード: フリーダムとは
フリーダムに書く。
「大体の人が好きなことは仕事にできない」
みたいな理屈をまあよく見るんだけどさ、
そういう考えはそれなり人生損してるなぁーと。
結論だけ言うと、仕事楽しくなくても、仕事していること自体を楽しめばいいのに。
人生の半分くらいの時間を使うものを楽しまないって・・・そりゃ勿体ねーわって思う。
何もね、今の会社から与えられた任務に心から真面目に取り組む必要無いし、
つかそれは洗脳だし、まあどこまでも行っても嘘よ。
仕事内容を楽しいと思い込むのではなくて、仕事する時間そのものにできるだけ多くの楽しみを見出すのよ。
重要なコツは、仕事で使う時間を「なにか自分の人生とは別の時間」のように考えないこと。
あのね、
どれだけやりたくないことだろうが、
それらに対して手を動かして考えるのは「自分」なのよ。
何が自由でどう楽しむかは人それぞれだけど。
例えば俺の場合は全ての数字を維持するゲームだと思って楽しんでる。
売上とか給料とか仕事の速度とかもちろん、後輩の機嫌とか、昼飯の旨さとか、
とにかく仕事行っている間の全ての事柄を数値化して、それをなるべく高く維持するゲームみたいに考えてる。
あと細かいことをいちいち楽しんでる。
タイピング早くなると楽しー。
電話に慣れると楽しー。
人を丸め込めると楽しー。
俺を怒ってる人を観察すると楽しー。
一番早く来るエレベータを的中させると楽しー。
あと、考え方として「楽しさ」と「仕事の内容」に直接的な関係がないっての重要。
会社の職種とか上司に依存しないんで、いつ職場を鞍替えしてもいい気楽さがある。
そもそも会社なんてどんな最悪なことが起きても、クビか倒産しかありません。
それがなんだっつうんでしょ?次の会社行けばいいだけじゃん?
そう気楽に構えれば上司のカミナリとか仕事上の大ミスとか、ゲームの臨時イベントクエストみたいなもんですよ。
まあこれは俺のやり方だけど、とにかくどんな楽しみ方も絶対にある。
「仕事内容がやりたいことではないので楽しめない」
って考えは間違いだし根拠がない、と俺は思う。
人は皿を落とさず回すという何の意味もない単純なことにすら楽しみを見いだせる。
人は災害や戦争などという意に反することの極致にすら楽しみを見いだせる。
銃弾も飛んでこないし、複雑さは皿回しの比ではない。
楽しみ方なんていくらでもあると思うんだ。
間違いなく言えるのは、
「仕事後と休日だけが自分の時間」みたいな考えで生きてたら人生あっという間に終わる。
か、人生つまらなすぎて20代で退職リタイアして労働が無意味にトラウマになる。
それか自殺。
実際そういう人らを見てきたし、
それは本当にもったいないと思う。
仕事に行くのも皿洗うのも風呂はいるのもシャンプー詰め替えるのも全部自分の人生の時間なんだから、
楽しみを見つけることはできるって。ゼッタイ。
逆に言うけど、
仕事(を含めた生活)に自分独自の楽しみを見つけようという姿勢もなく、
それである日突然「とくに自分がどうこうしなくても自動的に楽しくなれるようなこと」と出会える(それも仕事で!)、なんて思ってるほうがおめでたい。
「いまの職業や会社が楽しいかどうか」なんてどうでもいいんですよ。職業や会社なんて人生から見たら使い捨てなんですから。
「仕事している時間をどう楽しむか」を見つける(・・・というより作る)ことが超重要。
最後に、
人に与えられた楽しみに出口なんかない。
会社なんかは
みたいな感じで「こう楽しめ」と押し付けてくる。
まあそれはクソオブクソ。無視していい。
そしてそんな言葉の通り本当に「今の会社の自分の仕事」に対して心から取り組むようになったら、
「仕事を楽しめ」ではなくて、
そのためには「たとえ囚人ですら自分の意思で自由に動いていない時間など一秒もない」という事実に気づくことですなぁ。
※一応フォロー
以下の理由で、誰もがこれをできると俺も思っていません。
・俺は技術職なのでそもそも会社なんぞ使い捨ての乗り物であるという考えがあります
・俺は人間関係の状態や質にプラス/マイナスの影響を1mmも受けない人です
・俺は会社における立ち振舞(「お疲れさまです」とかね)はロールプレイだと考えることができます。軍隊の敬礼といっしょでしょあんなもん。
・全ての評価軸が自己満足なので、他人に怒られても全く心的ダメージ受けないですし、褒められても全く心的プラスはありません。
この間座談会に出席した。
「私のひそやかな楽しみ」というテーマで一人一人喋る場面があり、そこで「ひとりで回転寿司に行く」という回答がダブったのが今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。という前置き。
週に何度も通る駅への道。傍らで開店している回転寿司屋。(これは開店と回転をかけたギャグです)
しかしけしてひとりでは通らない。脳の裏側でひとりで回転寿司という文字というか概念が二重になって輝く。その色数 1680万色。
ゲーム脳と誹りたければそーしろ。私の脳は青色 LED が発明される前に生成されたので燃費悪いよ。
三人揃えば高速増殖炉となり高速で寿司を回転させていただくことも可能だけれども、条件がまず揃わない。
幻の三人目は西野カナではない。よって揃わない。
真剣に悩み、突き詰めた結果、私はいくらが食べたいということが判明した。
実のとこ真剣に悩む前からいくらが好きだったのだけど、意識してしまうと慕情が止まらなくてぼじょーて漏れまくる。(これは慕情とぼじょーをかけたギャグです)
定期的に五人で食事会を開く。揃いも揃ってる。夕食で休日で緊張で震える。六割方揃ってる。
五芒星パワーで毎度寿司が召喚される。いくらもいる。いくらも…いるんだよ。いくらは…存在するんだよ、手を伸ばせばすぐそこに。
でもそれらいくらはすべて私ではない人が食べる。いっぱい食べる君がすきだから…。いくらよりすきだから…。
人を食らった原生生物を探窟家が食べてふたたび私たちの力になるのって旨の話をリコちゃんがしてた気がするんだけど、いくらを取り込むことによりより私に好かれまくってってる気がする、私のいくらを食べる人。私のいくらを、食べる人。私の、いくらを食べる人。
でも失ったいくらはもう食べられない。私の口でいくらがはじける日は来ない。
もう何億年もいくら食べてない感覚持ってる。カンブリア紀には寒鰤が獲れてたはずなんだから鮭くらい余裕でいるっしょ。そこは心配してない。
これらが満たされないと人はいずれ死ぬ。私ももう長くはない。もって八十年というところか…。
近所のスーパーでいくら丼やいくら軍艦に値引きシールがつくことがある。
多少高くても値引きシールが貼られているのならお買い得だねという気持ちに包まれる我が家のローカルルールである。
しかし値引きシールが貼られるとき、そこに私はいない。眠ってなんか…いない!(本当です)
たとえ私がそこにいても、夕食前なのだ。家族で団らんなのだ。一人前のいくらなんて持ち込めないのだ。ぼくぽろりなのだ。
もし持ち込めたとしても速攻でいくらバキュームが発動して私の口には下のごはんとか海苔とかしか入らない。
そんな日々がかれこれずっと、ながくながらくながらがわく続いていた。
しかしある日、転機が訪れた。いくらバキュームの君が、遅ればせながら習い事を開始したのである。
なんとびっくり、夕方近くの単独行動可能時間帯という副産物が小一時間ほど発生するようになった。
ひょー!たん!こまっ!(これは瓢箪から駒が出ている様子を表現したオノマトペです)
いやそれより前から通うもんはあったけど、基本ガラスの向こう側で私もじっと手に汗握って見守る系のやつで、そんなフリーダムなもんがこの世に存在するという発想がなかった。
人は自由を手にしたとき何を為すか…答えは当然、近所のスーパーに赴きのんびり自分のペースでお買い物、である。
そして… ""知って"" しまうのである…その時間帯からおあつらえ向きに値引きシールが貼られ始めることを…。
はじめてソロ活動中にいくら丼 550円 20% 引きという文字列を確認したときのあの心の躍動を忘れない。
そう、私の心は、躍った。網膜を通し脳裏に燦然と貼られる値引きシールを翻し、かろやかに、はじけ飛ぶように、そうまるでいくらの如くはじけ飛ぶように!なんかうまいこといった!とにかくまあ躍った。
しかし冷静になって考えると、私は夕食とは別に、家族に内緒で、475.2円のものをかっ食らおうとしている。
事が済んだらその容器をごみ箱の深淵へ誘い、上から別のごみを殉葬して、素知らぬ顔で自分のごはんをふーんわーりエアリーに盛って、何食わぬ、当然いくらも食わぬ顔で家族と夕食を取ろうとしている…。
強烈な背徳感が私を襲う。
人を欺こうなどと大それたことはせず、馬鹿がつく系の正直に、不器用に生きてきた。
そんな私がこんな倫理に反するようなことを想像し、あわよくば実行しようとするなんて…!
自分すら知らなかった自分の一面に恐れおののき打ち震えた。私単体だと結構震えてるんだな。
倫にあらず。すなわち不倫。
今まで誰にも言ったことがなくて増田初公開情報なのだけれど、私は不倫というか不倫をして悲劇のヒロイン気分に浸ってる女性というのがどうにも苦手で、とにかく不倫にまつわる様々なものを遠ざける傾向にあった。
それでまあ、そう思った瞬間一気にハードル高くなって、未だいくら買えてない。食べてない。目の前で食べ尽くされるのは見た。
代わりと言っては何だけど、そのスーパーで売ってる冷凍タピオカ買ってココアとかミルクティーとかに突っ込んで百均のぶっといストローでずぼぼぼぼぼってしてる。少し満たされる。
タピオカ飲料に使われるストローのあの鋭利な斜め加工は、上部にシーリングされたフィルムをえいやっとつんざくためだけではなく、タピオカをストロー内に導くためにも必要だということが、百均の無加工ストローによって判明したのでよき教訓となった。
飲む前にキッチンばさみでちょんと切って斜めにしてる。
それはそれとしていくらを諦めた訳ではない。
生協のカタログでちょっとお高いやつならたまに見かけるから、もうちょい手が出せる価格帯での販売もして欲しい。
なんかいくらのこと考えだしたら廃人みたいになってしまったんだけど、いくらのこと想いながらキーボード打ち殴ってったら少し落ち着いた。
殴るほどの威力かけてはいないけど、なんか打撃が頭蓋のツボにヒットしてしまった人っぽい文が書けたね。
私はいくらがすきです。
思いのほか人に読まれることとなったので、「これから日記を書いてください、ただしこれは確実に人に読まれます」て言われたら↑の RAW 文とりあえず書くだけ書いた後↓の文にコンバートするだろうな、みたいなやつも今書いてきました、併記しときます。多分↓だけ読めば伝わりオッケーだと思う。
以前知人が「ひとりで回転寿司に行くのがひそかな楽しみ」という旨のことを話してくれた。
それ以来私も一度はひとりで回転寿司に行きたいと願っていたが、家庭の事情もありなかなか叶わない。
自問自答して問題の切り分けをした結果、願いのサイズを「いくらを食べたい」というところまでミニマルにできた。
そんな中、値引きシールの貼られたいくら丼を家族に内緒で買って食べるチャンスが回ってきた。
しかしこれは倫理に反する、つまり不倫だ、と私の心が判断して、不倫にまつわるものが苦手なあまりそのチャンスすら手放してしまった。
せめていくらがもう少し安く売られていたらなあ。
【bot、暴走中!】「Slackは福利厚生」と言い切る、ドワンゴ流・Slackの超活用術とは
https://seleck.cc/1063
上記の記事で取り上げられているように、ドワンゴのslack文化はおそらく社外にいる人間が予想するより遥かにフリーダムである。
そしてその自由さが何をもたらしたかといえば、一部雑談チャンネルの2ch化だ。
その中で最も参加人数の多い雑談チャンネルは、なぜかは知らないが入社時に予めjoinされた状態であてがわれる。
全社的なお知らせをbotが拾って流してたりもするので、一見全員参加の情報共有チャンネルなのかなと思うのだが、そこで話されていることは9割型業務とは無関係な話である。
まあそれでもほのぼのとした世間話が行われてるだけなら無害なのだが、時折Publicという意味を理解できないクレイジーな連中が登場して場が荒れる。
ということもあってかこの雑談チャンネルから真っ当な大人は抜けるようになってきた。
結局、ルールのないネットのコミュニケーションは同じ末路を辿る。
現職エントリ - 毎日わんわん
https://mi111.hatenablog.com/entry/2019/11/01/013545
この現職ブログがslackに対する無理解について叩かれているが、slackを業務連絡チャットとしてのみ利用している部署にとって、自分の業務外のチャンネルで目につくのはそういうところである。
そういう雑談に常駐してるのはほぼ同じメンツのエンジニアなので、彼らがいつ仕事してるのかと感じてしまうのは無理はない。
むしろこのブログ主は、開発現場を振り回しがちな番組制作者が多い中では、開発側に常に敬意を持って接している貴重な人だと思っている。
さて件の退職ブログであるが、あれが各論には同意できる部分があるのにも関わらず、一部の現職から強い反感を買っているのはこの投稿主の人となりにある。
この投稿主はmtgにしろslackにしろ、とにかく意見の異なる他人を罵倒することで有名だった。
あの記事では一切そういう面を出していないので同情が集まっているようだが、彼のtwitterの過去ログを辿ればその断片は垣間見れると思う。
あたかもニコニコの不遇と自分の境遇をシンクロさせてヒロイックに語ってはいるが、彼の場合は他の退職ブログと同列に受け取れないもやりがある。
むしろドワンゴというゆるゆるな環境の中でこれまで許されてきた振る舞いが、体制が変わって許されなくなっただけなのではないか(それでも一般的な会社に比べれば十分ゆるいが)。
今回の記事も含めてドワンゴは大企業病になったと評されることがあるようだが、個人的にはむしろ事業規模に応じてちゃんと大企業になれなかった会社だと思っている。
川上はそういうことに興味がなかった。それでも金のあるうちはなんとかなってしまったのだ。
夏野になって良くも悪くもドワンゴは普通の会社になりつつある。
それがニコニコにとって終わりに見えるのならば、そもそも終わる宿命だったのだろう。
最近ubereats 関連の話題が多いので配達員目線で色々書いてみようと思う。
始めた経緯:自転車を買ったタイミングでダイエットにもなるしお金もらえるならええやんと思い登録。会社員の傍、土日に気が向いたらやってる。
始め方
webで登録をしたらパートナーセンターというところで最初の説明を受ける。受けるのはバックの説明と配達員が使うアプリの説明のみ(15分程度)。特にマナーや対応については何も言われない。
ubereatsのスタッフとコミュニケーションを取るのはこれが最初で最後。
配達の仕組み
・アプリを起動してオンラインにすると、近場の店から配達依頼がくる。
商品を受け取って受け取ったボタンを押すとアプリに配達先の住所が表示される。届けたら配達完了のボタンを押して終了。最初に戻る。
やってみて気づいたこと
・配達員の稼働が少ない日はクエスト(15回配達したら+4200円)というにんじんぶら下げて働かされる。
普段は時給1600くらいだが、これによって時給2000くらいまで上がる。
・ある裏技を使うと時給が2500くらいまで上がる。
・土日のランチタイムどきは11時から3時のみ配達してクエスト込みで1万円くらい。
・配達員はユーザーや店からの評価によって店から呼ばれる確率やクエストの確率が変化する。つまり、評価によって淘汰される仕組み。
・これは工夫次第でどうにでもなるのでハックできる。受け取ったタイミングでメッセージ送るとか、渡すときに必要以上にへり下るとか、どんなにプロセスで雑であっても、客さえ不快にしなければそれでいい。
・万が一客にキレられてもuber eatsに電話してくださいといえば運営がケムに巻いてくれる。罰則もなし。(店の段階か、配達の段階かどのプロセスで問題が起きたのか特定ができないから)
・冬とか夏でなければバック背負ってなくても別に商品に影響ないので移動中にも小銭稼ぐことも可能。
結論をいうと
どんなやり方をしようと評価にさえ気をつければ誰にも何も言われず好きな時に時給2500円もらえるフリーダムなお仕事。
アニメ版ヘタリアの主題歌である「まるかいて地球」がいかに素晴らしいかを知ってほしい。是非、アルバム「まるかいてベスト」を最初から順番に聞いてほしい。
まず最初は、この物語の主人公であるイタリアだ。ヘタリアのイタリアらしい、明るく軽やかでころころしていて、それでいてどこか気が抜けたメロディーと歌詞。ヘタリアという作品を象徴するような歌である。
「イタリア」が歌うだけあり、歌詞にはいくつかのイタリア語が散りばめられている。冒頭の「papa」「mamma」は、まだ分かる。日本語でも馴染みのある「パパ」と「ママ」。しかしCメロでは、耳馴染みのないイタリア語が怒涛のように畳み掛けてくる。はっきり言ってよくわからないままCメロは終わる。それでも、イタリアがイタリア語でイタリアらしい歌を歌っているなあ、流石国擬人化作品だ、と素直に感心して終わる。
次は、イタリアの相棒であるドイツ。「ドイツだし、ワインのところはやっぱりビールだよね」「やっぱりヴルストかー」日本人がドイツに抱くステレオタイプを外さない改変。「ドイツ語ではパパの事をファターと言うんだ!」といった発見もある。低音のドラムによるサウンドがドイツのむきむき感を喚起させ、ヘタリアのキャラクターとしてのドイツのイメージも十分。でもCメロは、やはりよく分からない。
続けて日本。我が母国である。ここで、Cメロが日本語で歌われることによって、よく分からなかったイタリア語、ドイツ語の意味がやっと分かる。「ああ、お兄さん、お姉さん、お爺さん、赤ちゃんに呼びかけるシーンだったんだ」言われてみれば、先の大戦を生きたであろうお爺さんに平和を誓う、未来を生きる赤ん坊の為に…なんといい歌詞ではないか!3曲めにして、やっと歌詞の全貌を理解することができる。ここで前2曲を聴き返してみたりもする。
2巻の特典である日本、イギリス辺りからは、よりその国の民族音楽を意識したアレンジが施されるようになってくる。和楽器やお囃子をふんだんに使った日本、ブリティッシュロックのギター音がカッコいいイギリス、おしゃれなシャンソンアレンジとゆったりした感想がなんともらしいフランス、そして原曲を留めない激しいフリーダムさが持ち味のアメリカ。この辺は、日本人にも馴染みの深い国々だから、歌詞の改変も「あー成る程ね!」と唸りながら楽しむことができる。ちょっと捻った表現の多いイギリスとか、凝ってて楽しい。
ロシア語は全く分からない、という人が多いだろう。しかし、ここまで順番に聞いてきた人なら、ロシア語は分からなくても歌詞の意味は全て分かっているので、Cメロも難なく理解できる。ロシア民族音楽らしい、すこしマイナー音の多いアレンジ、そして間奏は誰もが知っているテトリスのテーマ。ここに来てさらにクオリティを上げるか、といった感じ。
一期のラストは中国。どこか切なさを感じるロシアver.と打って変わって、明るく温かみのある曲調。ヘタリアの中国は独特のイントネーションによる協和語を喋る、まさに日本人の想像しがちな中国のステレオタイプそのものみたいなキャラである。歌の出だしから雰囲気は十二分。
そしてこの中国ver.、他の曲よりコードが若干高い。サウンドも非常に華やかで、Cメロはなんとも嬉しそうな甲斐田さんによる歌唱も相まって涙が出そうになる程盛り上がる。最後は、原曲と同じく「ヘタリア」で終わる。最後まで美しく、華やかに、盛り上がって終わる。「ああ、世界一周旅行のフィナーレだ…」なんとも言えない高揚感と満足感を味わうことができる。
そう、イタリア〜中国を通しで聴くことにより、世界の色々な国をすこしずつ体験したような気分になれるのだ。これは何と言っても、我々が各国へ抱くイメージを完璧に再現した編曲の妙である。
そして、曲の歌詞があくまで「ヘタリアの〇〇」ではなく、「〇〇国と言えば!」に徹しているのも重要なポイントだ。国擬人化たる彼らが、ヘタリアのキャラクターとして与えられた人格を封じ、彼ら自身たる国であろうとする歌詞が、ヘタリアのキャラクターを、単なる記号化されたキャラクター以上の何かに引き上げている。
これが2期の8カ国だとダメなんだ。国ではなく、ただのヘタリアのキャラクターになってしまっている。1期はキャラソンを超えた感動があったのに、2期はただのキャラソンでしかない。
後に発表されたスペインver.は、1期の路線にだいぶん寄せてあり、そこそこ良かった。でもCメロで変にキャラを出してしまっているからやっぱり惜しい。模式をなぞっているからこそ、各国の違いが鮮明になり、国体験ソングとしてのまるかいて地球が成立していたのに。
結びとして、1期8カ国だけでいいので是非順番に聞いてほしい。聞けば分かるさこの感動。それ以外は、そのキャラが好きなら聞けば良い。
性に関すること以外についてもだけど、基本的にマイノリティへの対処は受け入れ側の問題なんだ。
受け入れ側がどこまでの許容を見せることが出来るか、という問題。
・女性として生まれ、女性の見た目をしているけど心が男性で周囲の女性に内心欲情していて、表面には出さずとも帰ってオナる奴
・男性として生まれて工事もホルモンもしていないけど心は女性でその診断を受けている
・男性として生まれて工事もホルモンも診断も受けていないけど自称女性
・男性として生まれて性自認も男性だが、欲情する対象が男性である
・男性として生まれて性自認も男性で、欲情する対象は女性であるが、男性のいる空間で裸になることに強烈な嫌悪感をもつ変わった人
どこまでを許すんですか?企業や自治体などが個別に判断すればいいことでしょ。
その判断の結果、
例えば、VTuberがコントをやる動画はたいてい台本をつくってるはず。
しかし、VTuberのような少人数・短時間の動画ではメリットより、デメリットのほうが多いのではないだろうか。
・話の流れがはっきりする
・ジェスチャーや声のトーンなどが台本に載せづらいし、台本を書いてもノンバーバルなおもしろさは予測しづらい
・台本を書くのが面倒(台本をつくるコストがないVTuberは多い)
・台本によって演技が固くなる。演技力が必要になる(台本がないほうが自然な演技ができる)
・即興を入れづらい(話を自由に広げるときのほうがVTuberの個性や素の部分を出しやすい)
・新しい面白さ・アイデアを本筋とは無関係なところで発見したときには、台本があるため修正しづらくなる(台本のサンクコストが足をひっぱる)
VTuberのトークのライブ感と台本はあまり相性がよくない。
台本と配信の折衷案というか、台本のデメリットを解消するために、台本は大まかな流れだけにしている場合がある。
例えば、次のヒメヒナの動画は基本的な台本があるように見えるが、フリーダムに話を進めていて面白い。
Twitterなんかで虐待の経験や怖さについて(旦那さんを通して)話してくれている、フリーダム嫁さんと呼ばれている方が「ブスは浮気されても仕方ない(大意/特に見た目に関して努力しないブスを指している?)」とブログで発言したことで、大きい反響があったようだ。
でも、本人や旦那さんに自覚があるかどうかわからないけど、これも虐待の爪痕の一部なんじゃないか?という感想を持った。
少しでも親の思い通りにならないと虐げられてしまうような状態を子どもの頃継続して経験していると、「○○じゃないから愛されないんだ」→「○○じゃないと愛されなくても仕方ない」といった思考回路が身につく。過激な虐待ゆえ、あまりにもそれが当たり前すぎて、他人に対してもそういう印象を持つようになったんじゃないかなあ。
実際のところ、少なくとも日本じゃ民法上不倫は認められてないんだから、原因はどうあれ不倫はされないのが前提、されたら傷つく、順序がきちんとしていない限り不倫した側に非があるって考え方が一般的に認められてると思う。みんながみんな見た目綺麗なまま/かっこいいままじゃいられないしね。
それを「いや、傷つけられた方がちゃんとしてなければ、ちゃんとしてもらえなくても仕方ない」って、理屈を曲げてまで傷つけられた側の責任を問うようになってしまうことこそ、虐待の爪痕だなあと思った。
フリーダム嫁さんが受けた虐待の酷さとはかけ離れてるとはいえ、何をしてもこれだからお前はだめなんだ(要約)と言われて育った私も比較的近い考えになってしまいがちなのでよくわかる。最近私も結婚して、うっかり腹丸出しで寝ちゃったり、うっかりおならが出ちゃっても好きと言われて初めは「こんなに駄目なのになぜ!?!?」と思っていた。
でもこの頃は自分自身も、配偶者の鼻毛が出ていても、とりあえず何でもいいから元気でいてほしいなあと感じるようになり、ありのままでも愛される権利は失われないのかもしれないと思うようになった。
上からっぽい目線?マウンティング?っぽくなってしまうけど、程度は違うといえ、同じ親から認めてもらえなかった経験を持つ人間として、頑張ってばかりでいなくても、時に可愛く/かっこよくなくても、愛される権利が自分にも他人にもあるってフリーダム嫁さんが思えるようになったらいいなと思った。まあ、本人達が幸せなら、そんな考え方だってただの押し付けになっちゃうけど。あー、虐待の後遺症の一部だと思うから、あまり叩かれないといいなっていう話だったんだけどなんか論点がずれてしまった。
※筆者はアダルトチルドレンや、虐待を受けた経験のある大人の心理に関して全く専門的な知識を持っておらず、自分の経験のみに照らして書いているため、意識して「感想」「思った」「思う」を連発しています。また、不倫されたら傷つくのが一般的なのではないか、○○なら浮気されても(傷つけられても)仕方ないという思考回路は虐待経験によるものかもしれないという考え方について、私の中で男女に差はありません。
プログラミング覚えろよ捗るぞってよくいうけどその時勧めるのがPHPやpython、rubyとかだけど違うよね
not開発職に必要なデータ加工は大概できるし何より何もインストールしなくていい環境フリーダムっぷりが最高である
両親の監視下なのにクラスメートの分のおにぎりを作ることができたのですね。余計な食材を使って咎められなかったのでしょうか。
八頭身で巨乳だそうですが小学生のころから八頭身で巨乳だったのでしょうか。満足な食事も与えられていない栄養失調状態で成長に問題はなかったのでしょうか。
バイト代全額親に取られてもラバーソールは買えたのですね。こっそり買っても目立つ靴ですしラバーソールを買ったことでひどい目に合わなかったか心配です。
結構ゲームやってますね。ゲームボーイや64などで遊ぶことはできたのでしょうか。
1日2本見ても1年で730本、1万本に到達するには10年以上かかりますね。実家を離れてから映画に目覚めて狂ったように見まくったのでしょうか。
嫁垢のかまってちゃんっぷり見るとよくあるメンヘラの虚言癖真に受けちゃったやつじゃ
⚡️ "嫁が生きてきた壮絶な16年間"
全編をまとめました。良かったら見て下さい #虐待https://t.co/tXcHHdDCRq— フリーダム嫁の旦那@4コマ👾 (@freeyomekan) 2019年5月17日