はてなキーワード: ダイバーシティとは
新型コロナで騒がれている中、会社の都合で退職を余儀なくされた。大学出て総合職で働いていたものの、病気の後遺症的なモノで障がい者になってしまい、障がい者枠で初めて働いていた会社である。その会社のグループはダイバーシティやSDGsを積極的にPRしていて、潰れない限りは大丈夫だと思っていた…
それが突如「障がい者雇用枠を撤廃して、地方の特例子会社へ一本化する」という親会社の一方的な理由でクビになったのである。しかも契約更新の前の月の末に突如宣告され、「最後の月の給料は出すから出勤しないで転職活動してくれ」という突っぱねぶり。最終出勤日に至っては部書内でかなり冷たく接しられ、お世話になった人へ感謝の気持ちを伝えられず定時で追い出された次第である。あまりにも唐突なことで今もフラッシュバックが起こってしまいそのたびに胸の内が苦しくてたまには怒りやうつや泣いて情緒不安定な状態で過ごしている。
そもそも、ダイバーシティとは「性別や国籍、障がいなどで差別せず平等に扱う」という意味。それなのに親会社はLGBTsの取組とか大体的にアピールしつつ、障がい者は特例子会社という日本独自の制度で排除するっておかしくないか?他の国内企業ではグループで特例子会社を持ちつつも独自で障がい者雇用をしているところがあるのに、ダイバーシティをあちこちでアピールしている親会社の行動はなんなんだろう?外部から見たらダイバーシティだろうけど(特例子会社はハロワ求人必須なのでサイトに企業名が出る程度)、内部がこれだと虚偽のアピールなので安易にダイバーシティ推進とか言わないでほしい。これが全国屈指の有名企業というから本当に笑えない。
現在は部長に紹介された障がい者就労移行施設に通所しながら転職活動をしている。移行施設には様々な障がいを抱えている人が日々訓練している。その中で会社都合で退職した人が放り込まれたら…パソコンができるだけで羨まれ、ファイリングなどを短時間でできることにスタッフが驚き、普通に電話対応している姿を入所までの背景を知らない他の人が見たら「なんであんなにできる人がここに?」と逆にプレッシャーを与えてしまいかねない。私だって本当は大学出て(病気で2年弱休んだけど)ずっと働いていたのだもの、支援施設のサポートはあまりいらないと思っていた。それでも部長の勧めと運悪くコロナの関係で求人が徐々にストップしている関係でやむなく通所している(なお現在は外出自粛要請のため在宅訓練)。「ブランクを施設通所にすれば相手ウケいいから」という施設側の責任者の言葉で渋々入所を決めてしまった。私みたいな人がいたら周りからみてプレッシャーだ。相手がそう思うか否かは別として、パソコン操作に苦しんでいる人とか軽作業で苦労している人とかを見ると申し訳ないと涙が出てしまう。今でも身勝手な理由で退職に追い込んだ会社を恨んでいる。
あまりにもひどい内情を知ってしまった以上、次は今までチェックしていなかった外資系に転職しようかと考えている。話によると外資系は本社のある国の基準で採用を行っているという。そうなれば特例子会社で障がい者枠排除という理不尽な退職をしなくて済みそうだ。コロナが落ち着いたら前の会社より給料も福利厚生も色々と優遇されている会社へ転職してやる。
そして、興味半分で自社のリクルートサイトを見たら、まだ障がい者枠採用のページが残っている。この内情を知らずに応募する障がい者の人がいると思うと心が痛む。はなから採用する気がないのに、応募書類を作って送る時点で無駄な労力だ。
最後に障がい者採用枠で仕事探している人へ。求人はハロワか民間の障がい者専用の就職サイト以外をろくに信じてはいけない。私のいた会社のようにハロワに怒られないようにただ求人だけ出している企業が少なからずあると思った方がいい。コロナが落ち着いたら安定して働ける会社で思う存分(でも無理しない範囲で)働こう。
結構前に路上で倒れて2週間ぐらいICUで意識不明をやっていた(コロナではない)。
気がついたら病院にいたわけだが、家族レベルの同年代の異性のことを「パートナー」と呼んでいたら反応にはかなりヴァリエーションがあった。
「今来ていたの誰ですか」や「医師からの説明の機会には誰が来ますか」等の質問に対して「パートナー」と答えていたのだが、人によってその言葉から連想される関係はだいぶ異なるようだ。
看護師さんには「ご主人は何している人なんですか?」と聞かれるようなことが恐らく一番多かった。二番目が婚約者。
しかし少し年配の看護師さんだと「彼氏さんが説明の時に来るんだっけ」と聞かれた。
こちらが「パートナー」と言った場合にそのまま「パートナー」呼びで返してくれるのは、意外と男性のお医者さんが多かった。
余談だが、昔から女性の労働力参加の場であった看護師という領域での「主人」呼び率は異常。患者の大多数を占める高齢者に合わせているんだろうか。
本人は私がICUに入った初期に婚約者と名乗ったらしいが、こちらとしてはプロポーズを受けた覚えはないし、これからされる気もしない。いつ治るか分からない病人だし。
というか意識取り戻して朦朧としていた頃に、「婚約者さん今日の夜も来てくれるそうですよ〜」とか言われて、はて私に婚約者なぞいたっけかと大分混乱に拍車がかかったので多分今後も許さん。
今も頑なに「パートナー」と呼んでいるのは、私がLGBTとかジェンダーとかダイバーシティとかに配慮している先進的な人間だからじゃない。
きっと誰かがもう考えてることだと思うけど、人の心もエントロピー増大させようとしてるのでは?
エントロピーって「乱雑さ」と捉える事が多いけど、言い換えれば「偏りなく平均化されているか」みたいなこととも言える(よね?調べたら情報系だと平均情報量をエントロピーというらしい。関係あるか知らんけど)
人類はどんどん住むところを広げて、今は世界中あらゆるところに住んでいる。
ダイバーシティであらゆるタイプの人達が活躍できる世の中にしようとしている。
情報を広げる手段はどんどん発達して、インターネットで世界中に発信できるようになり情報の偏りができにくくなった。
生物が本能で子孫を残そうとするのは、原初の生き物の元になった分子が自己複製の性質を持っていたからだという説があると聞いたことがある。大元の分子が持っていた性質が本能として残っている。
エントロピーだって、物理法則で「エントロピー増大の法則」があるんだから、生物の本能として残っていたっておかしくない。
生き物自体がエントロピーを減らしている存在ではあるけれど(いろんな分子・原子が機能を持つために無理やりその形を取らされている)、もしかしたら分子原子だけではない概念としてエントロピーが増大できるように最適化されているのかもしれない。
人は集落を作り固まって住む性質があるけどそれは生存本能とのトレードオフの結果そちらが採用されているだけで、もし生きるのに支障がなければあらゆるところに偏在して固まることなく孤独に生きたほうが落ち着くのかも。
現代になり生活が楽になるにつれ、核家族化など小クラスタ化して単独で生きる人が増えているのは自然な変化なんじゃないだろうか。
伝統的に「夫婦」と呼ばれてきている関係性について、事実婚や同性婚、ステップファミリーからポリアモリーに至るまで、あらゆる多様性を社会的に是認すべきとの意識が──おそらくは電博の広告代理店がらみであろう──逆に「多様性を認めなければならない同調圧力」とも受け取れる風潮にまで高まるにつれ、最近では夫を「旦那(さん)」「(ご)主人」「亭主」、妻を「奥さま」「家内」などと呼ぶことも憚られると聞く。なんでも、知り合いの知り合いのアメリカ帰りのフェミニストによれば、それらには主従関係が含意されているから、代替として日本でも「パートナー」と呼ぶべき、と提唱しているらしい。
確かに、男尊女卑は良くないし、近代の女性解放運動や婦人参政権運動には敬意を抱きつつも、だかしかし現実の我が国の日常会話で唐突に「ところでお宅のおパートナーさん最近お見かけしないわねえ」などと切り出そうものなら、日米パートナーシップ協定のことなのか夫婦関係のことなのか混同されるリスクも相まって、こちらの気が触れたのではないかと勘繰られても文句は言えまい。
どうせ横文字を使うならdarlingとhoneyぐらいが洒落っ気もあって妥当な線だと思うが、何でもアメリカにならえではどうも釈然としない。第一、文化的多元度が高く、発した単語が一人歩きしがちなアメリカと違って、ここはハイコンテクストな日本社会なのだ、仮に字面に「主」が現れていようと、特定の宗教に語源があろうと、そこに女性を蔑む意図のない文脈であればどんな呼称を用いようが受容できる社会こそダイバーシティだろうに、とは個人的な偏見だろうか。
とはいえ、今後「ご主人」「旦那さん」「奥さま」などと呼ばれることに拒否反応を示す人が増えることも見込まれる。試みに類語辞典で検索をかけてみると、男性には「宿六」がヒットしたが、女性側に主従関係から独立したフラットな呼称は見当たらなかった。もっとも、男女の区別をしている時点でまだまだ私もフェミニストの標的になりかねないので、以後、男女問わず「宿六」の呼称を用いて行くべきかとも思う。
北欧はモンゴロイドの血が入っていることが多いことをご存知ないのは非常にアレだなと思いました
寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
陸続きなんで当たり前っちゃ当たり前なんですがそう思い至らない人たちもいらっしゃるようで
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして食べますし、なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
それだわ。
セクハラかどうかが、少数派か多数派かで決まってしまうのなら、
「萌え絵廃絶」を叫ぶ同じ口で「ダイバーシティ(多様性)」とか言わないでほしいんだよなぁ。
他の人たちも楽しんでいるかな、って思ってプレイ動画を探してみたわけ。
そしたらVTuberが何人かプレイしているので、それを何本か見てみたのよ。
月ノ美兎っての?人気のVっぽいから見てみたんだけど、口調が完全にヤンキーやん。
黒髪で丁寧語つかって清楚装っているけど、態度はヤンキーそのものなのよ。
そしてそれを楽しむ視聴者。褒めたり煽ったりしながらキャッキャやってるわけさ。
でもやってるのはヤンキーの集団のそれじゃねって思ったわけよ。
コミュニティの中でワイワイやる、
自分の崇拝する神(この場合はVの者)を批判されたら、劣化のごとく怒ってカチコミする。
別にVの話だけじゃなくて、声優オタが声優のアカウントや関係ないところに突撃リプライしたり、
自分の好きなエロ絵が批判されたら「表現の自由だ!」の一点張りで、自分のことを正当化するし。
なんかそういうオタクを名乗る奴に限って「俺はヤンキーや一般人と違ってわきまえたオタクであり、そして被害者です」みたいな感じのやつ多いのよ。
思うわけさ。
口ではイジメ反対とか俺たちはイジメの被害者だみたいなことを言うオタクたち。
彼らが望んでいるのは、いじめのない世界じゃなくて、別の誰かをイジメることができる世界だったんじゃないかって。
その別の誰かが「アニメをしらないニワカ」だったり「エロ絵を批判してくるうざいフェミニスト」だったんじゃないのかと。
イジメの無い世界を目指す為には、ダイバーシティとか多様性に対する許容が求められるわけで、
相手のことを知り、自分のことを知り、自分と他人の境界線をはっきりして、尊重しあう態度が求められると思うのよ。
でもイキるオタクは、自分は被害者だと言い続け、他の人のことを考えず自分が大好きなエロ絵をリツイートして、
アニメの人気を自分の手柄のように誇りだして、他人にマウントとってイジメるわけよ。
要するに不勉強なのよ。
暗い気持ちになるよね。
アニマルウェルフェアをサステイナブルなものにするために、環境エンリッチメントにフォーカスし、ダイバーシティとインクルーシブをサムズアップしよう。
小島秀夫も絶賛していたらしい、スウェーデンの映画『ボーダー (Gräns)』
取り替え子 (Changeling)・・・トロールなどの子どもと人間の子どもが交換されるヨーロッパの伝承をモチーフにした話で
森で暮らすヒロインがすごーーく醜いって設定
たぶん増田もはてなもミニシアター映画は観ないと思うので以下完全にネタバレ
ヒロインのティーナは不美人だが、人間の感情を嗅ぎ取り読み取ることが出来る特殊な能力を持つ
彼女は税関職員としてその力を遺憾なく発揮し、日々密輸やその他の悪事を完璧に摘発する
醜い容姿から、幼少期は虐められ、大人になり職を得た現在も不躾な視線は一向に無くならず、
疲れ果て、森の自宅へ戻っても、いるのは働かない上に浮気を隠す気がない同居人と襲いかかってくる犬
父親を見舞いに行けば「あの家はお前のものなんだぞ」とは言われるものの、
「彼は優しい。わたしは一緒にいてくれる人が欲しいだけ」と彼女は答えるしかない
そんなある日、税関で自分と似たような外見と不可解な匂いのする大男を見つける
それどころか、どうみても大男なのに女性器を持ち更には手術痕すらないという
なんやかんやあったのち彼女は自分と似たような男(?)ヴォーレを森の自宅の離れに住まわす
働かない上に浮気を隠す気がない同居人は『シリアルキラーかあいつは?なぜ僕に無断で決めたんだ』とおこだったがティーナはシカトした
そしてなんやかんやあったのち、自分は人間ではなくトロールであったことを知る
醜かったわけではなく単純に種族が違っただけだったのだ。彼女は生まれながらに完璧で出来損ないなんかではなかったのだ
人間の世界では疎外感を感じるのでヴォーレと一緒にトロールの同族を探し、同族と共に暮らすと申し出るも、
「キミは人間の世界に適応出来ている。辞めとけ」と言われてしまう
税関で児童ポルノビデオを摘発した能力を買われ、児童ポルノビデオを制作している住所を探し出して欲しいと依頼される
ヴォーレは人間の赤ちゃんを攫っては自分の生み落とした赤ちゃん(無精で出産出来る)と交換し、
人間の赤ちゃんは児童ポルノなど闇組織に売り払い、人間たちへの復讐とフィンランドにいるらしいトロールの同族探しの資金としていたのだ
ティーナはトロールが人間にどんな目にあわされたかはヴォーレから聞いている
トロールは人体実験をされ刻まれ精神病院へ閉じ込められ、その殆どは生き残ることは出来なかった
運良く生き延びられたティーナも尻尾を切られ、人間から酷い虐めを受け、今もなお不躾な視線を向けられ続けているし、
森の家を残してくれた父親にしたって、本当の両親(トロール)のことについて尋ねれば、人間の犯した罪と向き合わず、怒鳴り散らすだけだ
先日摘発した児童ポルノ制作の犯人たちにしたって普通の人間の夫婦で一見はまともなご家庭風だった
ティーナはトロールの同族探しの旅への同行は断り、ヴォーレに警察を差し向ける
ヴォーレは武装した警察官に囲まれるとフェリーから飛び降り夜の海へ消えた
浮気を隠すつもりも働くつもりも襲う犬を躾ける気も無いがとりあえずティーナと一緒にはいてくれた同居人は追い出したし、
トロールの同族だったヴォーレは外道だった上に海に消えたしで、
森の自宅でひとりで過ごすティーナの元に老人ホームから父親がやってくる
トロールの人体実験を行なっていた精神病院に警備員として勤めていた父親は子宝に恵まれず子を欲していた
もちろん、トロールの夫婦は多くのトロールと同様に人体実験の末、病院の裏に人知れず埋められたが、
しかし父親はティーナの本当の名を伝えてもなおトロールの名で彼女を呼ばず、人間がしてきたこと自分が傍観してきたことに向き合わない
完全にひとりになったティーナの元に小包みが届く。その中にはトロールの赤ちゃんとフィンランドの絵葉書が
あるぞ
ヒロインはトロール故に人間の美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど
あと、人間との違い(不気味さ)を出す演出に『虫』を食べるがあったが、
北欧って怖いところだなって思いました、まる
陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが
ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ
(なお、差別は国や特定の人種では無く、個人のパーソナリティだと予め書いておきます。
奴隷解放宣言前の19世紀に教会の宗派まで変えてジョン万次郎を受け入れてくれたホイットフィールド船長然り、
同じく、奴隷解放前に、白人でないばかりか結合双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟(シャムの双子)を受け入れた人たち然り、
厳しい時代においても差別しない人は差別しません。その逆にダイバーシティを謳う時代でも差別する人は残念ながらいます)
人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、
北欧/北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます
これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです
そうして起こることは、A:見るからにコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからにモンゴロイド、この3パターンの出現です
Aは問題無いでしょう、
Bは微妙なラインですがビョークやサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、
どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます
おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります
この『なにか』が残念なことに、ブクマカの言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする
たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドのカースト然り珍しいことではありませんが、
ダイバーシティな現代において、北欧発で今さらあんなものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想です
あと虫を食べるのは奇異な行動ではありません。不気味さ(人間ではない)演出に使わないでください
東南アジアでは近代化されてもなお伝統食や風変わりなスナックとして虫を食べますし、
なんだったら食料危機を救う食材として研究もされてます(もちろん現代的でクリーンな環境で培養/養殖されたもの)
トリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形した少年が主人公の児童文学『ワンダー 君は太陽 (原題:Wonder)』の方が
100億倍正しいと思いました。感動ポルノとか言われてるけどね
あのさ、
紛らわしいわね。
始まる前に見に行ってみたいけどね!
でもちょっと前に言ったときランチした有頭エビの海老フライが美味しくて忘れられないわ!
ああいうお洒落な頭まで付いてる海老フライが東京っ!って感じなのよね。
地方に送るってなると、
探したけど一向になくて、
ああここじゃないんだわって早々に諦めて帰ったところよ。
でさ、
またこんな時間になっちゃったからウーバーイーツで出前取ろうと思ったけど、
知ってるお店の注文って値段分かってるから、
うーんそれならまだ今のうちに雨降ってないし、
行って良しとのことで、
いったんお昼を挟んだんだけど、
ここのところのまた午前中の立て込みっぷりにはいつもマイルドだわ。
あーあもっと優雅に仕事が出来ないかしら?って思ったところに、
1階のお局様が珍しく4階に上がってきたので、
「あら珍しいわね」って言ってやったわよ。
言っただけだけど。
私は知ってるの、
そのお局のいるフロアの冷蔵庫にはハーゲンダッツがたくさん入ってて
1つぐらいちょろまかして持って行って食べてもバレないし、
内線の置いてある電話機の引き出しの上から3番目にお菓子がいっぱい入ってるのは、
透明なボックスの引き出しから丸見えよ!って教えてあげたいわ。
そのお菓子だってちょろまかして持って行って食べても分かりゃしないのよ。
冷蔵庫にハーゲンダッツ持って行くべからずって貼り紙してあるけど無意味ね。
やかましーわー!
上手い具合にオチたところで
うふふ。
一体何時まで目覚ましのスヌーズやってればいいのという無限目覚ましをいい加減に止めて真面目に起きます。
苺パックが休めに売っていたので、
ブルーベリーもいいんだけど、
あれは他の果物と比べると皮が厚いし、
見た目だけねって感じよ。
いれたら可愛くなるけどね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
異種族レビュアーズは「共生」「多様性」の物語だ。そういうと笑われる風潮があるようだが、私はそう思う。単行本をキンドルで一気買いして、感動すら覚えた。
あらすじを軽く説明すると、人間・エルフ・獣人・天使が、各種族のサキュ嬢(風俗嬢)についてレビューするというもの。
私が一番好きな登場人物の台詞は、「この世界にはパネマジ(※)が必要ない、絶対にどこかの種族が気に入ってくれるから」だ。
パネマジとは言わずもがなパネルマジックのことで、現実世界での風俗用語。嬢が自分を良く見せるために紹介画像では加工しまくりで、実際に会うとガッカリするというアレだ。この世界にはそれがない。なぜなら、あまりにも多様な価値観があるから。
象徴的なエピソードとして出てくるのが、人間は500歳のエルフが好き、エルフは50歳の人間が好き、というやつ。「若さ」ということが基準にはなっているのだが、その尺度が全く違うのである。いうて「若さ」を基準にしてるんだろ?それが現実世界のミソジニーとどう違うんだよ?と言われてみれば、全然違う。「若さ」が一本の定規で計られる世界と、百本の定規で計れる世界ではまるで違うじゃないか。百本の定規で計れる「若さ」なら、誰か特定の人を抑圧したりしないだろう。
私が特に好きなエピソードがある。単眼娘の回だ。単眼の村では、目が大きければ大きいほど美しく、価値があるとされていた。そのために、目が小さい(しかし「人間」という種族からすると普通)の娘は、自分に非常にコンプレックスを抱いていたのだ。そして、異種族レビュアーズに、匿名で、単眼娘の店をレビューしてくれるよう依頼する。そこで彼女は学ぶ。「目が大きい」だけが唯一の価値基準ではないことを。単眼娘は「異種族は目の小ささを気にしないというのは本当だったのですね!?」と喜んで飛び跳ねる。「好きな人間に告白する勇気が出ました!」と。
「“違う”ことは救いなんだよ」というのが物語を通底するテーマなのだ。ある集団においてもし無価値とみなされても、違う集団では全然違う見方をする人がいる。はてなー大好き「ある場所で無能扱いでも転職したら大活躍」なダイバーシティだ。
買春がテーマだけれど、そのような職業を本人たちも全く卑下することがないし、男たちもサキュ嬢を蔑むことは全くしない。そういう意味で、現実世界の買春・売春とはまるで違うのだ。
「○○が作者なんだから、そんなこと考えるだけムダ」「お察し」という意見もある。しかし作品が作者の意図を超えうることが、そのような解釈を許容しうることが物語の醍醐味だ。物語を「作者の意図」なんていう狭い場所に閉じ込めておく必要はどこにもない。
たしかに私も、ヒロインのメイドリーちゃんへのセクハラが酷いなど、部分部分で気になる場所はある。主人公のみなさん、風俗嬢に向けるのと同じだけの真摯さをヒロインにも向けてよ!とさえ思っちゃう。(しかしこのツッコミもおかしい)
今後、出てきたら嬉しいのは、サキュ嬢達からの逆レビューだろうか。「この種族の客は嬉しい」「この種族は嫌」みたいな。たしかに「評価するもの/されるもの」という非対称性は気になるところだが、そのような荒・欠点は多々ありつつも、これは「共生」と「多様性」を謳った物語だ。
他の人たちも楽しんでいるかな、って思ってプレイ動画を探してみたわけ。
そしたらVTuberが何人かプレイしているので、それを何本か見てみたのよ。
月ノ美兎っての?人気のVっぽいから見てみたんだけど、口調が完全にヤンキーやん。
黒髪で丁寧語つかって清楚装っているけど、態度はヤンキーそのものなのよ。
そしてそれを楽しむ視聴者。褒めたり煽ったりしながらキャッキャやってるわけさ。
でもやってるのはヤンキーの集団のそれじゃねって思ったわけよ。
コミュニティの中でワイワイやる、
自分の崇拝する神(この場合はVの者)を批判されたら、劣化のごとく怒ってカチコミする。
別にVの話だけじゃなくて、声優オタが声優のアカウントや関係ないところに突撃リプライしたり、
自分の好きなエロ絵が批判されたら「表現の自由だ!」の一点張りで、自分のことを正当化するし。
なんかそういうオタクを名乗る奴に限って「俺はヤンキーや一般人と違ってわきまえたオタクであり、そして被害者です」みたいな感じのやつ多いのよ。
思うわけさ。
口ではイジメ反対とか俺たちはイジメの被害者だみたいなことを言うオタクたち。
彼らが望んでいるのは、いじめのない世界じゃなくて、別の誰かをイジメることができる世界だったんじゃないかって。
その別の誰かが「アニメをしらないニワカ」だったり「エロ絵を批判してくるうざいフェミニスト」だったんじゃないのかと。
イジメの無い世界を目指す為には、ダイバーシティとか多様性に対する許容が求められるわけで、
相手のことを知り、自分のことを知り、自分と他人の境界線をはっきりして、尊重しあう態度が求められると思うのよ。
でもイキるオタクは、自分は被害者だと言い続け、他の人のことを考えず自分が大好きなエロ絵をリツイートして、
アニメの人気を自分の手柄のように誇りだして、他人にマウントとってイジメるわけよ。
要するに不勉強なのよ。
暗い気持ちになるよね。
就労支援の会社も使えんなぁ。自分の売り方も利用者に教えないのか
IT系のダイバーシティのアピールしたいですの会社へ行けばええやん
狭き門ではあるがMSはMSインフラなら任せとけレベルには資格含めてさせてくれるで
ワイが1番精神系の人で心配をしているのは仕事の出来不出来とか休むかとかではなくて
健常者でもそれらが非常に不得意な人がおるからな
精神が弱ってるとか病むほど超内向きな人に果たしてそれができるかどうか
ワイが思うに最初から誰かを養おうとはせず、なんだったら自分1人ですらも厳しいくらいの給与でもいいと思うのよね
謎の無力感から解放されるし、ワンチャン職場に友達もできるかも知れんし
そういうのが大事よ
職場にそういう縁がなくとも、精神で就職に悩んでる人とか謎の無力感で悩んでる人の希望になれたら、
それからでいいと思うのよね