はてなキーワード: い抜き言葉とは
「い抜き」言葉、つまり「やっている」を「やってる」と言ったり書いたりする例は、文法的には間違いとされて(い)ますよね。こういうことは先に話すことのなかで起こるのでしょうか?
つまり、動詞の終止形を連体形と同じ形で書くのはもともと文法的には間違いだったわけですが、これが正しいとなる過程のなかでは、連体形と同じ形で表現することは、書くことにおいてではなく話すことにおいて先に始まったのでしょうか?
それで話しの中での使われ方に押されて、書くときにも使われるようになり、なし崩し的にそっちの方が文法的に正しいということになっていったということなのでしょうか?
い抜き言葉が話し言葉の中でいくら多数派になったとしても、それだけでは文法的に正しいということにはなりませんか?必ず書き言葉の世界でも圧倒的に多数派になる必要があるのですか?
どうにも「文法的に正しい」という表現自体が腑に落ちないのです。誰かなんの権限でもってなにを基準に正しいとか誤りとか断じられるのかと思ってしまうわけです。
文法=母語話者の表現のなかに見いだされる法則、なら、「い抜き」言葉はすでに法則と呼べるレベルに通用してると思うのですが。それを「いや、文法に即していない」といえる根拠ってなんなのでしょうか?たぶんその根拠に立つと、終止形を連体形で表すことだって「文法に即してない」ということになるように思えるのですが…。
なんちゃら抜き言葉、と呼ばれる概念は色々あるんだが、それらの根本的原因は何かと考えると、これは言葉のリズム感の変化なんじゃないか、って思うわけよ。
つまり省略された言葉というものに耳もしくは脳が慣れちゃった。これは適応と言ってもいいかもしれない。
たかが一音が抜けただけで細かい奴だなあ、と思われるだろうか。だけどリズムの世界において、「一つズレる」のはとても重要な変化なのではないか。
言葉が持つリズムが変化する時、その瞬間に生じる歪みに気付くか、気付かないか。そのセンサーがすなわち感性、リズム感というものだろう。審美感と言い換えてもよいが、時代と共に人のそれが変わりつつあるように思う。
メディアへの露出も多く、仮想通貨ブロガーの看板的な扱いを受けることも多いseiya氏。
しかし、氏のブログの記事を見ていると、その文章力には疑問を覚える。
https://seiyablog.com/crypto-blog
この記事などは特に奇妙な言い回し(不自然な読点や脈絡のない結語など)がほぼ全文に渡って見受けられる。
「本当はもっと紹介したい方がいらっしゃりますので、随時更新します。」はブログ記事としては不自然極まりない謙譲語だし、締めの「すでに有名な方だと紹介するまでもないので、もっと読まれるべき記事を書いてる方をピックアップしていきたいですね。」と言う文章も、必要のない倒置法と冗長な言い回しによって意図が伝わりづらいものになっている。
必要のない謙譲語を使う割には『い抜き言葉』とそうでないものが混在していると言うチグハグさも目立つ。
氏はTwitter上で『馬事雑言』と言う謎の四字熟語を使ったりするなど、根本的に日本語に対しての理解が浅いとしか思えないのだが、氏のブログがGoogle検索の上位に表示されやすいのも事実。
『あえて杜撰な文章で記事を書き上げることにより違和感を与えて滞在時間を伸ばす』と言う新手のSEO対策である可能性も否定は出来ない。
もしくは、『氏の文章に違和感を覚えない層』でセグメントを切ることにより、アフィリエイトのCVRを底上げしているのかも知れない。
日本語の読解力が低い層の方が、ギャンブル的な投資に魅力を感じやすい気はする。
真偽はともあれ、Twitter上で度々読書の重要性を訴えているからには、真っ当な日本語も書けると言うところを見せて欲しいものである。