はてなキーワード: 規則とは
そもそも保育園って
普通に働いて普通に家族持って普通に税金治めている真面目な一般人が、払っている税金に対して当然受けられてしかるべきごく普通の行政サービス
じゃないよね。
あくまで「保育に欠ける子」の為の「福祉」であって、誰でも受けられる行政サービスではない。
「本来は親が自力で保育を確保するべきなのが大前提だが、どうしてもそれが出来ない特殊な親の為のもの」なわけ。
本来の設立目的は児童保護施設と変わらないんだよね。児童保護施設は24時間365日ずっと滞在型だが、保育園は夜は家に帰るのが前提ってだけの違い。
だからかかる予算だの採算だのは度外視で、自己負担額は異常に低いのに受けられる保育のレベルは異常に高いわけ。
「保育園に入れてるなんてちょっとアレな家庭だろ」扱いだった。児童保護施設と同じだから。
「ガチで困窮している人しか使ってはならん」と言う利用規則を明確に設けるのではなく、国民の心理で利用制限するってのは日本がよくやるやり方だよね。
となると制度として明確に「ガチで困窮している人以下略」なんてものが定められている訳じゃないので
「別に共働きでなくても余裕で食えるし自力で保育買う財力もあるけど貰えるサービスは貰っとかなきゃ損」なんて人も平気で利用するようになった。
元増田のように「誰もが貰えて当然のサービス」と思う人まで出て来た。
例えるなら生活保護に「ガチ貧困者」と言う規定がない&「働こうと思えば働けるけど働きたくない人も当然受けられるサービス」と思ってる人が多数いるような状態。
児童保護施設だって保育園以上に便利な施設(何せ高校生までの子供の面倒を安い金で24時間365日見てくれるわけで)だし
離婚偽装とか虐待偽装とかすれば入れるわけだが、そうやって誰もが平気で使うようになったら破綻するだろ。
そうならないのは「児童保護施設を使うのは不名誉なこと」という意識が国民の間で徹底しているからなわけで。
破綻させない為には、最初から「ガチで困窮している人だけ」と明確に定めておくべきだったんだよ。世帯収入が貧困レベル以下だけ、とかね。
それなら利用希望者は減るだろうし、本来の「福祉」の目的にも沿う。
今では利用できない(利用出来ないのがおかしいんだが)ガチ困窮者が利用出来るようになり、子供の貧困率も多少は改善されるだろう。
高収入共働き夫婦は安い金で認可保育園を使えるけど、底辺シングルマザーは使えず高い認可外の託児料&生活費を稼ぐには水商売や風俗で働くしかない、なんて現状は狂ってるしね。
高収入共働き夫婦の為の民間保育サービスだって充実するだろうさ。
例えば利便性に拘らず環境の良い土地に広くて綺麗な園舎建てて、通園は各家庭まで送迎いたします、
教育ばっちりお受験対応、お子様に悪影響を与えるDQNな子なんていません、土日祝日盆正月も病児も対応、出張時には宿泊もできます、
そりゃ高くはなるだろうが、高い金払っても満員電車で子連れ出勤やらされてしょっちゅう休まされるよりそっちの方が良いと言う親は沢山いるんじゃないの?
追加
何でも子なしと書けばいいと思うの止めてくれないかな。子ありだよ。
んでそれは自治体による。
「母子家庭優先」より「『保育に欠けている(=親が働いている)』子優先」の方が強い、という所もあるから
無職のシングルマザーより高収入共働き夫婦が優先される場合もある。
偽装離婚ってのは母親も既に正社員として働いている場合に効果があるんだよ。それなら「正社員フルタイム勤務」+「シングルマザー」のダブル得点で入園確実だからね。
でも「正社員フルタイム勤務」がないなら当然優先順位は下がる。
まあシングルマザー云々言うなと言うのなら、こう言い換えてもいいよ。
「高収入共働き夫婦は安い金で認可保育園を使えるけど、夫底辺妻専業主婦という名の失業中だと認可保育園が使えず
夫の給料だけで生活費が足りなければ妻が高い認可外保育料&生活費を稼ぐために水商売や風俗で働くしかない、なんて現状は狂ってるしね」。
あと水商売や風俗とまでは行かなくても、夫と入れ替わりで妻が深夜や土日にパートに出るって話はよく聞くね。
妻は昼間は育児やって夫が帰ってきたら働きに出て深夜帰宅、勿論朝も夫の出勤と同時に起きなければならない、夫が休みの土日も働きに出て過労死寸前だけど
そうしないと食べていけない家庭は世の中沢山ある。
それでも十分に「狂ってる」と思うよ。
マジレスすっと、日本語と英語の言語構造が違いすぎて特に音が根本的にショボショボなのが日本語なので超厳しいよ。
英語(やその他ラテン系、ゲルマン系言語)の音の豊富さと比べると、日本語は飛車角落ちどころか香車と桂馬も落としてるくらいの貧弱さだよ。
表音文字の日本語の感覚からすると英語の規則性もへったくれもあったもんじゃないスペルと音の対応も厳しいしね。
あとそれゆえに英語教師の英語力が低すぎてお話にならないレベルなので、あんなのに長時間教わっても英語できるようになんてなるわけないよ。
今を楽しめないからそんなくだらないことを考えてるだけですよ。
そして貴方が今を楽しめないのは疲れているか他人の目を気にしすぎているかのどっちかです。
焦る気持ちを抑えてまずは規則正しくてよく食べてよく眠って他人に心を開く生活をして人間として健康すぎるぐらいの状態を目指しましょう。
そもそも人生の意味や目標なんて「1人の生物として健康な状態になる」が達成できていれば半分終わりですよ。
逆に言えばまずこれを達成できてなければ次の半分を達成するような段階に来ていません。
まずは健康になりましょう。
不健康な生活の中で夢を追う物語に人はつい心を惹かれてしまいますがそれはまやかしだと思ったほうがいいです。
彼らは既に健康な人間として夢を追い続けてそれであとほんの数歩の所まで来るか夢を叶えたあとに勢いを残したままで不健康な生活をしてるから上手くいくんです。
まず健康になりましょう。
難しくありません。
食事はバランスのいい物を取るかビタミン錠剤や牛乳などで誤魔化す。
運動は歩くだけでも十分だけどストレッチと筋トレは毎日数分ずつでいいからやる。
これだけです。
シフト勤務の関係で今日は休みだったのが、昼頃、隣の部屋に誰か来て、なんどもピンポン押してたと思ったら
ドアをなんどかノックして、「○○さん! ○○さん!」などと呼びかけている。
といっても、威圧的な感じでもなく、どちらかといえば心配そうに。
ゲス心を起こして、通路側の窓をほんの少しだけ開けて聞き耳立てると、
「いろいろ、ご事情はあると思いますけど、まずはお話しませんか?」
「お留守なんですか?」
などと呼びかけている。
何があったんだ?
結局、訪ねてきたおっさんは
「お手紙、おいておきますから、是非連絡をお願いします」といって去っていったようだ。
隣人は、三十代後半?くらいの、まあパッとしない男性(オレに言われたくはないだろうが)なんだが、
正直、交流は皆無で、ごくたまに廊下か、洗濯物を干したり取り入れるタイミングが合うと
俺より先に住んでいるから、すくなくとも2年以上いるはずだが。
そういえば、このところ洗濯物もろくにていなかったような気がする。
でも、たしか昨日深夜、寝入るころに、帰ってきてドアを閉めたような音がしたんだよなあ。
部屋の配置の都合で、通路側の壁に沿ってベッドおいているんで、そこそこ聞こえるんよ。
以前から、早朝に出かけたり、深夜に帰ってきたりで、忙しいんだか、不規則な勤務なんだかしらないが
大変そうだなあとは思ってたんだけど。
なんだろ? 気になる・・・。
失職してそのまま引きこもりとか?
とりあえず、今夜足音が聞こえたら、様子のぞいてみるかなあ。。。
うちは一人だけだが、様子はわかる。だけど「顔色を伺って、先回りしてご機嫌をとって」というのがわからん。うちの運用は次のとおり。
・希望や不満を口にするのは構わない。それはお主の意見として承っておく。
・しかしそれがいつも通るとは限らない。通らない時は理由を言ってきかせる。
男の子でも3~4歳くらいになったら大人との駆け引きをわかってやってるから、「自分の意見の表明」と「相手がそれに従うかどうか」は全く別のことである、というのは根気よく教えればわかるよ。
どうせ子供なんていつか親を乗り越えてゆくんだから、自立して生きていけるようにするのがこっちの役割で、親を否定しようが肯定しようがそりゃ子供の勝手だしな。
延長した育児休業も、残りわずか。今年4月、遅くとも5月には仕事復帰しなければならない。
ここ半年くらい、育児そのものより、毎日、「時間」と「食事」について考えている。
新生児の頃、3時間おきにミルクをあげていた時は、たった5分、10分の遅れが号泣につながり、手際の悪さを呪った。
離乳食を始め、試行錯誤の結果、だんだん授乳間隔が空き、精神的にラクになった反面、離乳食の準備や掃除に時間を取られ、身体的な負荷は高くなった。
疲労の要因は、家事スキルの不足・不器用と、夫と食の好みが合わず、1日3回、子ども、自分、夫が別の時間帯にそれぞれ別のものを食べているせいだろう。
毎日、時計を見ながら分刻みで行動している。それでも、全体的に後ろ倒しになり、1歳を過ぎた子どもの起床/就寝時刻は、30分~1時間程度ずれ込んだ。
育児本に書かれている乳幼児の理想的な生活リズム「朝6~7時に起床し、夜は20~21時に就寝する」通りにも関わらず、日中も夜も、ほとんど自由な時間がない。
日々の生活は、やるべきこと(家事・世話)、やりたいこと(仕事・趣味)の積み重ねだと気づいた。その日、やるべきこと=パーツの組み合わせで回っている。
食の好み・生活リズムが合わないカップルは、子どもを育てられない。夫婦で協力し合うことが不可能だからだ。
子育ての資格は、早寝早起きの規則正しい生活リズム。長時間労働、偏食、趣味最優先の大人は、独身/子なしを貫くべきだった。
いまの一番の望みは、時を気にせずのんびりすること。日帰り温泉に行って休憩所で寝たりマンガを読んだりしたい。
アニメやドラマをリアルタイムで見て、気に入った作品を繰り返し見たい。
子どもが食事を自分で作って食べられるようになるまで、少なくともあと10年は叶わないと思うと絶望する。今さら後悔しても遅い。
特定の校則が存在する理由とか存在意義とかって基本全く教えてくれないじゃん?
人によって校則の存在理由って全然違う感じになるイメージなんだけど、
っていうの。ゲームの持ち込みみたいな直接授業に支障が出そうなものならともかくとして、
「Q.何故水やお茶は良いのに学校にジュースを持ってきてはいけないの?」
「A.学校は勉強するところだから美味しいジュースを飲むのは禁止」
「Q.何故眉毛を整えられないの?芋臭い眉毛でいなきゃいけないの?」
なんだこれ、どんな意味ない規則にも理由がつけられる魔法の言葉かよ。
いや、その規則に存在理由がちゃんとあるにしても流石にそれはないだろ。
規則に意味がないからこそこの魔法の言葉くらいしか思い浮かばないってことないのか?
学校の校則は理不尽の予行演習であって校則自体に意味はないし理不尽なのは当然」
っていうの。キチガイかよ。
あ、こういうことって言う人間の年齢で印象が変わったりするけど
あと2時間で仕事納めだ。そのあと忘年会があるけれど(会費に4,000円もとられる)。
明日から友達と御岳山だ。彼は成し遂げた。卒論も提出して、規定単位もこなした。心身を削りながら執念の卒業(逆説的だが今年一年で彼は30kgも体重を増やした。ストレスだ)。中退した私は感心する。
「朝起きて、電車に乗って、仕事して、家に帰って寝る。それを1年以上続けている増田はすごい」
と友達は言う。
村上春樹が河合隼雄との対談の中で、「この社会のおおよその人が普通にしている規則正しい生活――朝起きて、会社へ行って――と馴染めない我々としては(笑)」と語るくだりがあったけれど、こういうのもやっぱひとつの才能なんだろうね。
ともあれ、私はこの一年を働き抜いた。つまらない仕事だけれど、それだけは素直に誇りたい(そうでもしないとやるせない)。
明日はビールを買い込んで山に登ろう。下界で起きたことは忘れて、年を越したい。
みなさんもよいお年を。
はてなブックマーク - 新元素に自国の名前をつけることはおかしいことなのか?(&元素の名前の由来を学ぼう) - Togetterまとめ
うわあ最悪…ジャポニウムとか、またくだらない日本人の国威()の発露が始ま..
はてなブックマーク - 日本初の新元素、国際認定へ 理研に113番の命名権、「ジャポニウム」有力(1/2ページ) - 産経ニュース
当初は発見したチームリーダー森田さんの名にちなみモリタニウムと騒がれたが、森田さんは生きているので却下
どうやら人物名は亡くなった偉人でなければならないらしい
偉人なら、加速器を造り理研を科学者の楽園に変え朝永湯川を育てた「仁科 芳雄(にしなよしお)」がピッタリだろう
森田さんたちの所属していた仁科加速器研究センターの名前にもなっている
次にリケニウムだと騒がれたが、理研は地名ではないのでこちらも微妙
こんなかんじだろうか? こちらもゴロが悪いね
結局「ジャポニウム」が一番無難に思える
(ちなみに「ニッポニウム」はすでに申請され却下されているので使えない様子)
しかし、名前を叩くよりも、その発見がどのようになされたのか、研究の意義、科学への影響について知った方が有意義だと思うけれどな
<彼女いない歴=年齢>
今年はダイエットが結構うまくいって、85キロ→74キロとだんだん普通体系に近づいてきた。ファッションも『最速でおしゃれに見せる方法』って奴で多少ましになったが、体型の変化が強すぎてまたダサくなった。
出会いを増やそうとクラブやイベント、習い事を始めたがイマイチ。もう少し色々な角度から女性と出会えるイベントを狙ったほうがよかった。
来年は、無駄毛処理、引き続きダイエット、出会いを増やす(pairsとか、イベント参加)を増やす。髪を伸ばしてハゲをごまかす。シークレットブーツや体型にあわせた服を買いなおす。
<健康>
風邪引くことが多かった。無理なダイエットが多かったし、キツイことが多かった。
来年は日常生活にもう少し規則正しさや家事能力向上を求めていこう。
<趣味>
料理は今年30品目くらい新しいの覚えた。将棋のほうも2級→初段だし、戦法自体も増えた。映画もたくさんみた。しかし、ニコニコ動画を見る時間が長すぎる。
来年はもう少しニコニコを規制しよう。余りにもニコニコに時間注ぎすぎてる。あと、もう少しアウトドアってか、知らないところに行ってみるとかを増やして他人と関わる趣味増やそう。
料理も、もうちょい工夫したい。低炭水化物ダイエット用食品ばかり覚えてるけど、基本的な料理でもう少しバリエーションや工夫を増やそう。難しい料理は来年もパスだな。
<仕事>
勉強方法は今年もレベルアップした。ストレス管理や時間管理もうまくいったし。資格も取れた。なにより、時間のマネジメントが少しうまくなった
来年はもうちょい暗記に強くなる。英語もできれば勉強したいかな。朝が強くなりたい。
<人間性>
今年も何も変わらなかった。変わり方や、目標となる人物像が無い。すべてうそ臭く感じる。
古典とか読んで、本当にすばらしい人の思考回路を学ぶのがいいんじゃないかと思うので、本当にすばらしい人の思考を学びたい。
哲学や文学だとイマイチ人間不信になるから無駄だったし、どっちかっつーと俺はパスカルみたいな昔の哲学者そっくりの考え方らしい。
スタンダートを変化させるって大げさな話じゃなくて、ごく自然にそうなるだろうって思うんだよ。
どうしてもサザエさんの話はしてもらえないみたいだけど、タラちゃんの保育園の保母さんはサザエさん一家をフグ太一家と認識し、波平さんをフグ太さんのおじいちゃんと呼ぶだろ。カツオの学校の先生はサザエさん一家を磯野一家と認識し、マスオさんを磯野君のお兄さんと呼ぶだろ。そういうシステムを規則で作らなくても、自然にそうしてるだろ。
全く同じだよ。山田太郎さんの同僚は山田-鈴木夫婦を山田一家と認識し、花子さんを山田さんの奥さんと呼ぶ。鈴木花子さんの同僚は山田-鈴木夫妻を鈴木一家と認識し、太郎さんを鈴木さんの旦那さんと呼ぶ。子供に山田姓をつけるなら、子供の先生は子供の家族を山田一家と認識し、鈴木花子さんを山田のお母さんと呼ぶだろう。誰に言われるまでもなくそうするだろ。事実婚状態の家庭では現在もそういうふうになってるだろ。
家族の呼称の運用として、何かシステムが変わってるところはある?
敢えて言うなら、せいぜい従来のシステムの自然な拡張じゃない? サザエさんで混乱しないなら、山田-鈴木夫妻が混乱を起こすことはないと思うんだが。
これは 退学 Advent Calendar 2015 12/18 の記事です。
勢いで登録したものの1週間近く過ぎてしまったこと自体が、2回も退学するような人間であることをよく表しています。
てきとうなブログスペースがないのでここに書き殴ります。なるだけ時系列順で。
物心ついたときからなぜか勉強ができたというか、テストの点数だけは良かった。
小学生時代は(客観的に本当にそうだったのかわからないが)イジメられるような人間で、
それがイヤになって公立の中学を避けて、中学受験をして私立の学校に進学した。
ここがいわゆる進学校的なところで、中高一貫校の利点を活かして中学のうちから高校の授業をするようなところだった。
模試なんかも1学年上の模試を受けさせられたりしていて、自分にはそのような先取りの学習スタイルが合っており、
中学を卒業する頃には高校の理科系の科目については教科書の内容を終えていた。
中1からギターを始め、まわりの友達に楽器を教えてバンドを組んで、
自分たちで企画してライブハウスを借りて同級生を集めてライブイベントを開いたりしていた。
音楽にドップリはまって、東京に行ってミュージシャンになりたいと思い始めた。
また、当時流行していたモーニング娘。にも衝撃を受けて、後藤真希に激ハマリ。
「自分は上京して音楽家として売れて後藤真希と結婚するのだ」と強く思い込むようになった。
すでに高校の学習内容を終えていた自分にとって、学校はひどくつまらなかった。
拘束のキツい進学校で、朝課外・夜課外というものが必須で組み込まれており、
7:30-18:00 という長時間、わかりきった授業を受けるのが耐えられなくなった。
こうなることはだいたい予想できていたので、別の高校の受験も検討していたが、
その学校には「他の高校を受験してはいけない」という規則があったため叶わなかった。
そのうち学校に行かなくなって、自宅で将来を空想して過ごすことが多くなった。
この頃インターネットにハマって、アイドルのファンページや 2ch を見始めた。
「スムーズに上京してミュージシャンになるにはどうしたらいいか」を考えた結果、
アルバイトをして音楽機材を買い、東京大学に合格して上京しようと思い始めた。
しかしながら、いくら試験の点数が良くても授業に出なければ卒業はできない。
(が、もともと通学できてないのだ。新聞配達をして寝るようになった。)
周囲の大人にだいぶ迷惑をかけた。
「今辞めたら大検を2回受けられる」というのを切り札にして退学した。
(が、大検会場が田舎でめちゃめちゃ遠かったので、結局1日目しか行かなかった)
「音楽機材を買い集めること」と「東京大学に合格すること」だった。
平日深夜はコンビニ、土日昼は結婚式のアルバイトという具合で、
昼夜も逆転しているため勉強どころではなかった。
当時一番つらかったことは、「実は高校を中退していない」という悪夢を繰り返し見続けることだった。
この時点で自分はただの中卒のフリーター。大学に合格しなければただのドロップアウト。未来はないだろう。
それが自分には受け入れられなかった。もともと「高校を辞めたい」と思って辞めたわけじゃない。
「つまらない教育制度が悪い」と思って辞めた。より高等な学問を勉強したかった。
「自分で勉強すればいい」には「つまらない授業のために教室にいられない」と答えるし(学費も私立なので高い)、
「海外で飛び級すればいい」には「そこまでの度胸はない」と答えていた。
(アイドルにハマっていたというのも大きいが)
このように、「本来の自分(と思っているもの)」と「現実の自分」とのギャップの大きさに耐え切れず、
「本当は高校中退してないよ、お前はマトモだよ」という甘い夢を見続けることになる。
(現実は甘くない。そしてこの夢は大学に入ってからも数年続いた)
バイトに通う道すがら、制服を着た学生を見かけると思わず身を隠すぐらいこわかった。
ろくに1、2年勉強しなかったのでさすがにハードルを上げすぎたなと後悔した。
しかし、努力が長続きするタイプでもないし、勉強机に何時間も向き合える性格でもない。
当時は枕元にバイトで買った Mac のディスプレイを置いて大学受験板、大学生活板、モー娘。板などを見ながら
寝そべった体勢で受験勉強していた。
直前の模試では良い結果は出なかった。
「これはヤバイ」「人生終わったか?」と不安になったが、実際にはなんとか現役で合格できた。
(合格発表の現場に行く勇気はなかったため、インターネットで番号を見つけて喜んだ)
このとき一番うれしかったのは何といっても「憧れの東京で一人暮らしできる」ということだった。
とにかく何でもできる気がしていた。今まで辛い思いをした分、ここからはバラ色の人生をつかむのだ。
大学なんてどうとでもなるだろう、問題はどうやって人気者になって成功するかだ。本気でそう考えていた。
今思うとまったく甘い考えであるが、結果、大きな挫折にぶちあたることになった。
まず、朝起きれない。武道館で行われる大学の入学式に遅刻した。(入場できたかどうか覚えてない)
親が記念に購入したアルバムに自分が写っておらず、ひどくガッカリさせてしまった。
(また、自分が在学していた証拠が残らないという結果にもなった)
どこに行けば授業が受けられるのかすらわからない。
いつのまにか試験の時期が来たが、試験の受け方もやはりわからない。
結局何もわからないまま、2年が経過した。
単位は1つも取れず、それどころか1点も取ったことはない。
(この頃も「高校辞めてないよ、大学行けてるよ」という悪夢を見続けて辛かった)
入学させてくれた親との折り合いも付かず、往生際も悪く、結局5年も在籍して、1度も進級できなかった。
つまり、タイムアップである。(8年在籍できるが、もう卒業の見込みがない)
通常であればここで実家へ戻るのであろうが、
上京前からのインターネットの知り合いから仕事を紹介してもらって、
なんとか東京に残りたいと説得した。
しかし、それも束の間。
アルバイトのような仕事を転々とした後、家賃を滞納して強制退去。親に泣きつくことになる。
ルームシェアしていた友人の家に転がり込んだ。
いろいろあって25才くらいだったと思うが、当時は自分が正社員になることなんて絶対に無理だと思っていたので、
今でも、どうにかこうにか東京にいることができている。
10代のあの頃、自分がこんな人生を送るとはまったく想像していなかった。
ひとえに、まわりの大人・先輩方のおかげとしかいいようがない。
(ちなみに大学の友人は一人もいない)
うっかり長文になってしまった。
振り返って思うのは、(よく誤解されるのだけど)僕は退学したいと思って退学したわけではない。
なんとかまわりの人に助けていただいたということが大きい。
とはいえ、もう1度人生をやり直せたとしても、自分は退学することしかできなかっただろうなと思う。
今は、N高等学校 のような取り組みもあるし、
今後も、自分のような平均的でない人間であっても苦しまなくていいような柔軟な教育体制になっていってほしいと心から思っている。
パターナリズムっていうのは、他人が自己の責任において選択すれば良いだけのものを、端からいやそうしたらこうなる心配があるから俺が決めてやる(道を踏み外さないような規則を作ってやる)ってやいのやいの言うことを指してる。権力構造を伴うお節介って感じ。各人が自分の判断で「面倒だから慣習に従っておくか」って決めるならそれはそれで構わない。(パターナリズムのpaterは父親が語源。パターンじゃないよ)
覚悟の上で、っていうのは、例えば「男/女らしい服装」っていう文化があるところで、そこからはずれた服を着ることって、全く個人の選択の問題ではあるけれど、とやかく言う人がいるだろうってことは予想できるでしょ。選択の重みは同じであるべき、って理想ではそうかもしれないけど、やっぱり既存の観念と違うことをしようとすると逆風があることは覚悟しないとならない。その程度の意味。
そこで、「男が女の恰好したり女が男の恰好してたらいろいろ言われるだろうから、ルールで異性装を禁止しよう」って言い出したら、それは余計なお節介というものでしょう。それと似た感じを受けるんだよな。「別姓で揉める可能性があるから禁止しとこう」っていう意見には。
揉める家は揉めるだろう。夫の実家側が押し切ることもあるだろうし、夫婦側が押し切ることもあるだろう。そんなの家族それぞれ、違いがありすぎて一概には論じられない。好きなようにすればいいし、名前でなくたって揉める時は揉めるんだからそれぞれの家族が解決してゆくしかなかろう。
規則で強制したら揉めなかったのに、強制を外したら揉めるようになった、ってケースがあるなら、それは規則があったときにはどっちかが我慢してたってことだろ。火種に蓋をしただけで解決にはなってないと思うんだが。
まあそんなに心配しないでも大抵の人はそこまでこだわりを持ってないから、規則で縛らなくたってそこそこの妥協点を見つけるよ。