はてなキーワード: 自己破産とは
あー、ちょっとIQを誤解してるよ。「IQ が低い」のは問題だけど、「IQが高い」からと言って問題になることはないよ。そういう試験じゃないから。高IQでなんとかなったのは「モンティ・ホール問題の世界一のIQババア」だけど、それ以外には「世界一のIQだから」何かを発見したりしてないでしょ。だから、高IQに意味はない。それが世界ーであってもだ。
それはともかくとして、前頭葉が機能的に弱い人は ADHD として社会の数パーセント存在しているけど、彼らにメチルフェニデートかアンフェタミンを与えると、常人として振る舞える人がいるのね。彼らは脳の機能異常でそうなっているし、IQ も低くでちゃうので、多動性によりルールを守れずに犯罪傾向になるが、薬を使うと常人のパフォーマンスになるので、ちゃんと「低IQが原因の犯罪は起こる」のは事実だよ。 別の言い方をすれば、国家が介入すれば一部の低IQは治療されて、犯罪抑止にはなるよ。
ただし、薬物投与で IQ が上に変化するのは ADHD ぐらいで、それは IQ を下げる要素がある疾患で、学習障害やアスペルガーといった方向には無意味だというのが現状だ。歳をとったり、アルコールで低 IQ になるのはかんたんだけどね。
それで本題に戻るけど、みんなが高 IQ になれないなら「低IQ」の人は、そのIQを持ってして罪人にするのが犯罪抑止になるという主張は、現在の日本国には逮捕する術がないのだから「どうにもなんない」問題だと思いますし、その「低IQ」の人たちは立派に社会参加しているから、むしろ「低IQ」を根拠につまみだして福祉に頼らせろ、っていうのであれば知性で判断される「狂気」な世界になるわけで、それこそ「知性の監獄」が生まれるじゃないですか?
それも、多分に違うよ。一応は、高IQ の人が低IQを搾取する可能性もあるけど、現代日本において「いちどでも金融犯罪をしたら、まともに社会生活をできない」状態になってしまっているから、高IQが有意義に金融犯罪をしやすいとは思えんよ。ほら、特殊詐欺の加害者は「一生口座を持てない」って言われているじゃないか。クレカの自己破産とは、扱いが違うのよ。それに金融犯罪をすると、海外にまともに旅行できないし、911以降は反社会団体の資金洗浄がうるさいから、日本で詐欺すると世界中の金融ネットワークから爪弾きにされる。こんな状況下で、高IQが詐欺なんてするかね?
母親が借金で自己破産した上に父親残して蒸発して、という夫の身の上話
母親が使途不明の借金つくって蒸発って、ギャンブルか男にでも入れあげたか
いったいどんな母親だと思うし
そんな母親と血が繋がって何かしら似てるであろうということは、やっぱりうっすらと不安は残る
夫にしてみれば父親はずっと自分を育てた人で、母親は突然いなくなって音沙汰のない人間 そりゃ父親サイドでの判断をするだろう
離婚というか蒸発の原因は、家が貧乏だったから、と夫は言ってた
夫と会った時には義父も既に亡くなっていたし、義母はもはや生死もわからないというし
何をどう判断することもできないが
それにしても事実だけ聞くとなんともひどい話で
どうにも夫の性格と結びつかない
色々と言い訳するだろうけど、お前の主張は「飲食店で一時は成功したって本当?。だとしたら飲食業の人は一目をおくはずだが?」「本当は健常者が発達障害をたてに中枢神経刺激薬をコンサータを獲得するだけの言い訳に使ってないか?」「お前の ADHD は、医学的に総意を得た ADHD なのか?」「そもそも日本人の殆どは早稲田に受かんない頭脳だけど、お前がスペシャルであるだけなんじゃないの?」「俺の理論が正しい、何故なら『本が売れたから』というのは『正しさ』の証明にはなってなくね?」「早稲田に行って『飲食で成功する』ってのも変じゃないか?」という疑問はペンネームを使う以上は、消えない問題なんだよ。
「本当に早稲田なの?、ADHD なの?、成功したの?、再現性あるの?」というのはさ、「私は〇〇です」というリアルな名前があって一対一対応するわけじゃないですか。はやい話が発達障害を【カルタシス】に活用したビジネスを「借金玉というペンネームで匿名性を借りてやっている」のだったら、詐欺師と同じだと思うのですね。だから、貴方の主張をリアルと比較したい。それには借金玉という人の「本名」が必要なんです。この疑念は「私は〇〇です」といわない限り、消えることはありません。諦めてください。
あと「債権玉という人が本当にいて、借金玉が『免責される自己破産』を、自らの意思で返済した」のを美徳化するのは絶対にめてくれ。やり方がヤクザだ。日本国で自己破産を正しくされたら、貸した金は損金で帳消しされるのだ。資本主義社会というのは「債権主、貸し手、株主」はリスクを取ることで、利益を上げているのだから「債権玉は借金玉に投資した責任」をとらされるのは当然じゃないか。もし仮に「債権玉」という人がいたら、世間的には「会計・法的な根拠がなく、利益を受け取る受け取る自然人」がいることになるし、それを出版社が肯定したら「反社会的勢力」に認定されるのが、令和なんじゃないのか。
借金玉、俺はお前を信じたい。お前が「イケダハヤト」「与沢翼」のような早稲田に行った、昭和60年に生まれた「詐欺師」ではないのだと。お前には才能がある、と俺は確信している。お前が苦労したことは、やがて俺がやることになるし、今まではリアルで再現された。なぁ、「都会の荒波は、田舎者には眩しくて辛かったよな?」「東京に生まれたらセンター試験を受けないで済んだよな?」「コンサータを飲んだら、別人になったよな?」。なぁ?俺は、お前の主張を信じたい。だから、名乗り出てくれ。じゃないと、俺はお前を信じられなくなる。
あと、訴えないでねー♡。
弊社は昇給が年1回だ。賞与?そんなものはないし、インセンティブはあるらしいがもちろんそんなものも受け取った記憶はない。
年1回ということは当然の如く上がらなかった場合は来年までそのままということになる。
変化の激しい業界なので年1はどうかと思うのだが。
ざっくりどんな業界かと言えば、とあるサービスを運用しており、半年後のこともロクにわからないのに来期の目標は?と聞かれても、来期があるんですか?という感じの業界だ。
査定は年間通した評価になるはずもなく、流行語大賞よろしく直近の評価がメインになりがちになる。
上がればハッピーでもあるがそれ以上もない。減ったら絶望だし、そのままというのも軽く絶望だ。
なにせ1年変わらないのだ。来年は上げるぞというやる気を1年維持しないといけない。この変化の激しい業界でだ。
過去の経験として、査定時の面談で来期はこうこう頑張ります。という目標を立て、査定を終えた。
3か月後、運用停止決定。異動。あっという間に1年が経ち。評価する人物も変わり。
「異動もあったから評価はそんなにできない。給与はそのままだ。」
貴重な1年を無駄にした感じだ。
そこでだ。
積極的に動かなかったお前のせいだ。
場に流され、それをよしとしたのは私だ。
今年の査定もひどかった。
私は所謂、指示待ち人間に属する。いや、自分的には積極的な指示待ち人間だと思うのだが。
自発的に提案もする。バッターボックスに立てと言われればやる。言われなければ完全に動かない。ではなく、動いている方の作業者だと。思いたい。
そう。思いたい。
作業者はいらない。よく言われる言葉だ。今回の査定でも言われた。
が、私は作業者なのだ。作業者が気質に合っているし作業者としての能力なら結構高い。
すぐ手順覚えるし、効率化するし、ミス少ないし、作業は早い。これは結構自身がある。
が。表立って言えない自身なのだ。なにせ作業者はいらないのだから。
言ってしまったら逆に評価が下がるのだ。「そんなもの誰にでもできるから」「それは自信とは言わない」
つまりはそこだ。
社会とはそういうとこらしい。
そこだ。
私にはお金がいる。借金がある。借金があるくせに節制しない。できない。したくない。
人はどの程度変われるのだろうか。違う。変わると思っていない。違う。変えたくない。違う。面倒くさいのだ。
私は本当に何に対しても面倒くさいのだ。楽して金が手に入るならそれがいい。本当にそう思う。
仕事も面倒くさい。人付き合いも面倒くさい。勉強することも面倒くさい。変わることだって面倒くさいと思うのは当たり前だ。
楽がしたい。楽をするためにどうこうではなく、いとも簡単に楽を手に入れたい。まさに5000兆円ほしい。
まさにぴったりの言葉だ。
本当にガワは相当真面目に見える。酒は飲めない。タバコも吸わない。仕事は休まないし遅刻もしない。
コミュ障で陰キャは隠せてないが。誰にでもできる仕事はできるがリーダーシップはない。ザ・一般人
よくある話だ。あれだけ真面目に過ごしてきた自分が今こんなんだ。
これより「上」というやつに行くには自分でなくなる必要がある。自分を保ったまま「上」に行けるとは思っていない。
何度考えても自分がリーダーシップを発揮して部下を従えバリバリ働いている姿を自分だと思えない。
増える責任。のしかかる重圧。とても面倒くさい。それとの対価が給与として反映される。わかる。そんな社会の常識ともいえる構図なんで今更わかりきってる。
これがあと10歳若かったら。
まだ違ったかもしれない。いや、10年前ですら面倒くさいと思っての今なのだ。
まぁあの時メンタルをやられてなければギャンブル依存症にはならなかったとは思う。
家庭とかそういうものをつくる。
いや、借金抱えた病人を好きになる人がいるか?もはや諦めてる。
趣味を見つける。
金がないのだ。むしろギャンブルが趣味と言っていい。依存症だから。
ギャンブルをやめる。
思考回路が壊れていると思ってもらっていい。
金がないからギャンブルをするのだ。単に取り返すという意味で捉えてもらってもいい。
気分を紛らわし、金が増える返ってくる可能性がある。からやってるのだ。
もしロト6で3億当たったら6億だっけ?
今抱えてる悩みは全て解決すると断言する。
が、買う金がない。その1000円すら惜しい。パチンコのサンドには余裕で諭吉を入れるのにだ。
余裕がない。とも言えるのかもしれない。全ては借金のせいだと。
が、その原因を作ったのは自分だ。誰のせいでもない。
それが嫌なら変えなければならない。
嫌だとは思う。が、変えるのが面倒くさい。
今のままではよくないと思う。が、変えるのが面倒くさい。
もうどうしようもないのだ。
どんな啓発的なことを言われても響かないし、クソみたいな言葉を投げつけられたらムカつく。
自分の感情が第一であり、何においても優先される。面倒くさい。節制するのはやだ。
今のまま借金肩代わりしてくれるあしながおじさんでも出てこないか。まじで。
何かが変わったというのなら。いまこれを書こうと思ったことが変わったことだ。
その些細な変化がとか言う人。絶対出てくるんだ。俺は詳しいんだ。
だが、何ということはない。変わらないよ。断言できる。
一時の気の迷いだ。過去にもよくあった。続かないんだ。面倒くさいから。
もうダメなんだよ。本当に。
何度変わろうと思っても変わらないのだ。変える努力もしていない。
面倒くさいという言葉で片付けている。それをよしとしている。
本当に変わりたいと思うのなら。そうだ。変わりたくないのだ。
なぜ?怖い。不安。だから変わりたくない。不安になりたくない。だから考えないようにしている。
でも変わらないと。知ってる。でもどうしても嫌なのだ。不安に押しつぶされ行き場をなくしたら。変わるのに失敗したら。
そこを跳ね除けて進む強さも自信もない。1歩踏み出す勇気とか。なぜそれが必要なのか。
それができてこそ「上」にいけるというのも知っているが、失敗したら責任はまた自分に帰ってくるのだ。当たり前だ。
その失敗は経験になるには時を逸しすぎている。遅すぎという言葉はないとかいいこと言われたって、経験を活かして成功するまであと何回チャレンジできるのか。
成功してどうするのか。50、60になって成功したらその後どうするのか。意味はあるのか。性欲もなにもかも衰えたその時に人生の絶頂期がきて何ができるのか。せいぜい旅行とかだろう。
辛いなら逃げてもいいというが、逃げて成功できるほど人生は甘くない。嫌というほど知ってる。それで成功してる人は逃亡先で頑張っているのだ。
私は頑張れない。どこにいても辛い。辛いなら逃げていいというのなら。逃げ続けてもいいのではないか。
人それぞれだ。私は「金を稼ぐ」=「成功」なのだ。もうそれしかない。返さなきゃいけないものがある。
自己破産?債務整理?そんなの嫌だね。世間体が。そんなこと言ってられないとかではない。真面目系クズを舐めないでほしい。
その成功を収めるためにしなければならないこと、それをしたくないと思うこと、そこに板挟みになって精神をすり減らして病んで、悲劇のヒロイン(♂)を気取っている。
クズだという自覚も十分ある。じゃあお前はクズだと指摘されればムカつく。
将来何がしたい。どうなりたい。知らん。いまのままでいい。金くれ。給料上げろ。
楽になりたい。
それはそうだろう。もはや生きている意味=借金を返すことなのだから。
こればかりは面倒くさいと言ってられないのだ。真面目系クズの名にかけて。
が、できない。一瞬でも痛いのが嫌というものあるが
「あいつ自殺したんだってよ」「やっぱりな」「だっさ」「やったぜ」
自分の死後に言われるであろうありとあらゆることが許せない。どうせありもしないことも言われるだろうし。
悲しんでくれる人もいるのは知っている。普通に坦々に目立ちもしない真面目を装ってきたんだ。
そうすれば私は「可哀そうな死を遂げた人」として確立するのだ。
何と素晴らしいことかと思う。
(続き)
といった問屋関係の逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋も小売店もメーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会と二次問屋は、問屋の本分である「日本全国に適正量の在庫のゲームソフトを流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。
ここで注意をしておきたいのが、「任天堂や初心会が、一方的にサードパーティや小売店から利益を吸い上げている」という既存の論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期の不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。
小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジン・メガドライブの有力ソフトをスーパーファミコンに移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。
市場が拡大している間はそれでもよかった。しかしスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋が小売店と二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフトを投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店に負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。
衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わず、ソニーが直接小売店にものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せで仕入れるしかなかった(違法? しったことか!)からだ。
こんなことが可能なのはプレイステーションがCD-ROMを採用しているからだった。リピート生産がROMほど時間がかからない。お金も自前の工場だからさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫にメーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せも心配いらない。
ROMカセットを採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガもサターンでCD-ROMを採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革は現在すべて崩壊している)
一方、任天堂はROMカセットの採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したことの経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場のリセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンのワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲームの投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティのソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代にトイザらスが日本進出をしてきたとき、任天堂や各大手メーカーに直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長はファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会にハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債は初心会が被り、さらにその負債は小売店に押し付けられた構図だ。)
しかしそれでも、初心会と二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。
スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2も結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会にアナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェアを公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったか)スクウェアは夏休みに入ってしまったので、小売店は真相を確認することができず業界の一大事が起きたのではないかとパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会に危機感は全くなかった。
その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会とエニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会の予測は250万本。エニックスの予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまり、エニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックスは二次出荷を行った。
最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋にメーカーは価値を見出すだろうか?
そして、ついに、終わりのときは訪れた。
1997年2月21日。任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長が宣言した。
幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散は任天堂山内社長と、初心会河田会長のトップ会談で秘密裏に行われた。今後一切の取引は商品ごと個別に行われ、しかも初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフトを投機的に扱って儲けを吸っていた会社は任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。
任天堂はスーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり、予測のノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋は不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。かつての山内社長の言葉だが、流通のプロがプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。
実はこの流通改革に前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアがプレイステーションに参入する条件として、コンビニに自分たちで卸すデジキューブをSCEに許可させた。
もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店に流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアはSCEを通さず自前で流通させるという。
このあたりを詳しく解説する。SCEはソフトメーカーと協議し、ゲームソフトの初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。
SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋も使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合はSCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。
と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカーが営業をしかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEがOKを出さない場合、本当にそのソフトは流通しなくなる。実際に飯野賢治がプレイステーション版Dの食卓で自分たちで在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治はセガ陣営への鞍替えをしたことがあった。
ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂もSCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂は初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかしスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCEは流通に関わらず、スクウェアが直接小売店とコンビニにゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。
いったいどういうことだ、SCEはロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである。
コナミはSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミはSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスクや小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通が完璧というわけではない。結果的に大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。
プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的に任天堂に要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂は簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界の流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミ、カプコン、コーエー、スクウェア、エニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり元初心会の問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。
解体された初心会はボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店と取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。
しかも任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングはバンダイ系列のハピネットに買収された。石川玩具はタカラへ事業譲渡した。松葉屋はラスコムに事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz)
そしてジェスネットは任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会が解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂が流通するようになった。
こうして初心会は歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法に市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会が市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定なものであり、なおかつ悪行も任天堂の山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。
悪徳の町、ソドムとゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。
参考文献
東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会を抜き打ち解散した山内・任天堂 焦りの流通改革
平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH
大森田不可止 @omorita
ちょっと前、子供がゲームに夢中になりすぎてルールを破るから、そのゲーム機を子供の前でぶっ壊すことを誇らしげに書いた新聞記事があった。
ああ、うちの親と同じことしてるな〜とその時は思ったが、私の感覚でいうとそれは虐待で、いつかきっと大人になってから、その傷はなにかしらの結果をもたらすんだろうなとなんとなく思っていた。
思っていたが……まさか、兄が統合失調症からの躁鬱、そして障害者施設行きになるとは想像もしていなかった。
子供の頃のことで覚えているのは、父の怒鳴り声、兄を吹き飛ばすようにぶんなぐる姿。
それが生死に関わるようだったら児童相談所の出番かもしれないけれども、数ヶ月に1〜2回ぐらいだと見逃されがちだ。
父の機嫌がよいときは、そこまでひどいことはないのだ。
だから私も、子供心に「時々怖いことあるけど、これがふつーなんだ」と思ってきた。
でもあれは虐待だったのだ。
そしてゲーム機の話である。「しつけのため。お前の将来のためなんだ。お前のためを思ってやってるんだ」と言って、父親は泣き叫ぶ兄の目の前で、愛機のゲームをぶっ壊した。
父が去ってから部屋の中ですすりなく声、部屋の扉を裂ける寸前まで蹴る音などが聞こえてきて怖かったのを覚えている。
そして母親がそんな兄をかわいそうがって、何度も買い与えていたが、そのたびに「お前のためを思って」と父親がぶっ壊した。
結果、何が起こったか。
兄はゲームをしなくなり、何もしなくなったのだ。
父親の前では「反省しました」と言っているものの、ぼんやりしていることが増えていったのだ。
父親にあれをしろ、これをしろと言われたらするものの、どこか中身のない感じで動いていたように思う。
そして父親の言われるままに医師になることを強く言われ、三浪してやっと私立の医学部に入った。
なぜそんな父親の言いなりなんだ、と聞いたら、「別におれ、もうやりたいことねえもん」とぽつんと言っていたのを覚えている。
そうして大学生になった兄は、今までおとなしかったのが嘘のように凶暴になった。
怒鳴り散らし、ものを壊し、それでも父親の前では押し黙っている。
何にそんなにいらついているのかはわからないが、母親がその八つ当たりの対象になった。
そもそも私立の医学部に行かせるような家庭ではなかったのに、父親がどうしてもときかなかった。
案の定金策につまり、親戚中に借金をしてなんとか卒業にまでもっていくありさま。
連絡先も住まいも教えず、家を出て数年。
何をしたかといえば、車がびゅんびゅん通る車道に自分の車をとめて、何か叫び散らしながらコンビニに行き、公衆電話(当時は設置されていた)で110番したのだそうだ。
「命を狙われている」
完全に統合失調症の症状だった。
警察官がかけつけた時、兄は電源のきれた携帯に向かって必死に何かをしゃべっていたそうだ。
そうして留置場でも「殺される!」と叫び散らし、強制入院となった。
この時、初めて家族は、兄の数年の有様を知ることができたのである。
数百万の借金をして、ほうぼうから督促の電話がかかり、仕事にはろくにいかず、家はごみため状態。
そもそも実家にいる時から、家事掃除などは一切できなかったが、一人暮らししてもしなかったらしい。
玄関にカップラーメンの汁が飛び散り、土足で入らなければならないほどの床のよごれよう。
家賃滞納。
入院後、見舞いの時は両親に対して「少し調子が悪かったんだ。病院に入院するほどじゃない」などと気丈に言っていた。
兄は母親には八つ当たりするが、父親には決して逆らわなかった。
「早く退院してがんばれ」という父親に、兄は「うん」とうなずいただけだった。
そうして退院した兄は、自己破産をして一から医師をやり直した。
薬のせいで数十キロふえた兄は大学生のころの面影はなく、老けて五十代のようにも見えた。
そうしてまた兄は失踪した。
それが数年前。
そうして今年。
「俺、障害者施設に入ることにしたよ」と電話がかかってきたのだ。
躁鬱病の薬を飲みながらつとめていた病院は辞め、今は働いておらず家にじっとしているのだという。
「どうして」と母親は言った。「大事に守り育ててきたはずなのに」そう言って泣き崩れた。
彼女には虐待の感覚はなかったんだろう。父親の行為はしつけなのだと思っていたんだろう。
でも今ならわかる。あれは虐待だったのだ。
死ぬ寸前とかあざだらけとか、そういうものは保護され表沙汰になりやすいが、たとえば私の家のように、数ヶ月に1〜2回だったらどうだろうか?
虐待は恒常的に行われるものと、間欠的に行われるものがあることを知ってほしい。
そして間欠的に行われるものは死ぬこともなく保護されることもなく、深い傷をもって子供は成長し大人になるのだ。
ゲームをぶっ壊しただけでは精神に支障をきたすことはないかもしれない。
が、子供の大切に思ってるものをぶっ壊す、ような行為をするその家庭の教育の「方針」は、あらゆるところで子供の心を深く傷つけているんではないだろうか。
そうしてその心の傷は、数十年後、兄のように四十代に近くなってからあらわれることもあるのだ。
子供の頃、優しく活発で明るかった兄のことを思い出して泣いている。泣きながらこの日記を書いている。
言葉が溢れて止まらないという表現があるが、こんなに絶望し失望し悲しい時に出るものなのだと初めて知った。
子供をもつ親が、子供の大事にしているものをぶっ壊すような教育方針でありませんように、世界のすべての親が、そうでありますように。
そう祈ることしかできない。
本が好きで積読していたり、旅先の様子を撮影すべくカメラやレンズを買いそろえたのだけど、すべてに興味とやる気ががなくなった。本はどんどん断捨離をしていっている。
うつ病は大体1年ぐらいで快方に向かうらしいけど、どんどん悪くなっていっている。
今は一人暮らしをしているが、抗うつ剤を朝ごはんにして出社しているので、そろそろ限界。実家に帰りたい。(実家からも通える職場)
しかし、異性関係で借金を抱えた子どもなど、両親にとっても荷が重いだろう。
この歳で借金ある男となんて誰も結婚してくれないだろうし、将来は下流老人になるのが目に見えている。
友人何人かは心配してくれているのはありがたいが、しかしこんな俺に生きる価値があるのだろうか。
だからこそ、生きる意味ってあるのだろうか、と日々思っている。
追記:
日記への反応ありがとうございます。弁護士にも相談しましたが、一度ハンコをついたら覆すのは難しいみたいです。残された方法は自己破産か債務整理と言われました。何の借金か詳しくは言えません。すみません。
信用情報機関は自己破産、割賦払いやクレジットカードの滞納をしたりすると記録される訳で、基本的には「こいつヤベェやつかどうか」を参照する目的に使われていると思う。
一応、クレジットカードの請求があってしっかり収めましたみたいな記録もあるみたいだけどそれが評価されることはない気がする。
家賃も(保証会社によっては)滞納すると記録されるわけだけどもしっかり収めても何も記録されない。
これを、家賃もクレジットカードも割賦払いも基本的には請求があって問題なくと収めましたという記録を基本的に記録し審査のときにはこれを活用してほしい。
個人的には金額まではいらないと思う。金額をいれてしまうと強い信用スコアリングの要素ができてしまう気がするから。
イメージとしては自動車保険のノンフリート等級のように問題のない人はリスクが低いとみなして審査や保証料の割引をしやすい構造になってほしい。
なぜこれを書こうかと思ったかというと職種上移動が多いので移動する度に審査で職場に電話されたり、家賃1ヶ月分〜0.5ヶ月分の保証料を収める必要があり
これって個人の信用リスクがある程度鮮明になればクリアできるのではないかと思ったからだ。先日の連帯保証人がいないから家を借りれないという状況も改善するだろう。
とはいえ、個人の信用スコアリングは過剰にやると中国のような事になってしまいかねないしその線引が難しいと思っている。そこで既存の信用情報機関の活用はどうかと思ったわけだ。
他にいいアイディアはないだろうか。