はてなキーワード: 発症とは
4月は着任4日目から授業って、どうやればいんじゃと悶絶。
4月も中旬になると慣れてきて、何が合っても「まあいいか」とおおらかな気持ちで仕事ができるようになったよ。
4月が下旬になると、サボりかたを覚えてきた。学生よ、ごめんねダメな教員で。
GWが終わって絶賛5月病を発症中です。もう明日は授業やりたくない、天気が良いから休講にしたいぞい。
「高専というものは大学でも高校でもない」と言われていたが、まあ確かにそのとおりだ。
しかし、高専ってのは高専と大学の線型結合だ。つまり、全く新しい何かではなく
(高専) = 0.7 × (高校) + 0.3 × (大学)
って感じだよ。
学生は一様に都会への憧れを抱いていて、これじゃあ地方の未来はないよなあとため息が出る。
卒研はニコ動の「やってみた」(技術部)が許される雰囲気なので、研究テーマ考えるのが苦手な自分にはハードルが低くて良い。
レベル高い研究室は、学会発表くらいまで持っていけそうな雰囲気。学会で高専生が発表すると微妙な雰囲気になる理由がわかった。
高専に来て、間接的に「大学のクソみたいな教育でも大学生を育てているのだなあ」と感心し
高専の1年生だって、卒業までには大きく成長してますよ。ただ、ゴールが違うだけです。
数学を捨てたエンジニアに未来はあるのか? と思うほど学力崩壊してる。
就職率は高く、なんだかんだで卒業までに職を見つけているから社会的には許されるのだろう。
しかし、コレまで当たり前のようにしていた会話
(後輩)「めんどくさいから、級数解法でやってみたら傾向がみれていいんじゃないスカ」
こんな感じの会話ができないのは辛い。
学生は「こまけえこたぁいいんだよ!」なんて言わないが、いつも何も考えず装置を使ってる。
こういう大胆さってときに大発見につながるからちょっと羨ましい。
飲酒を注意したり、遅刻学生に声かけてみたり、チャリの乗り方にイチャモンつけたり
月に一度の看守ごっこしてみたり、体育祭を盛り上げてみたり...
正直、この方面はあまり興味がないのでテキトーにやって楽しむぞと思っている。
博士課程への進学を投資として捉えれば、たぶん生涯賃金では回収できないだろうと思う。
だけれど、上司からプレッシャーをかけられたり、追い詰められたりしないので良い。
残業代がデないという噂は本当だった、残業の付け方さえ教えてもらえなかった。
チョットでも準備をしようと思うと、帰宅時間が20時を超えてしまうので、終末に向けて疲労が貯まる。
土日は寝てるだけ。これはつまらん人生だな。もうすこし早く退勤する方法を検討中。
てか、システムが基本高校だから朝は勤怠管理されるし勝手に休講出来ないのがつらい。
職場の外では先生として見ないでください。学問の手本くらいにはなれますが、人生の手本にはなれません。反面教師です。
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これが「ヘルニアの変形は治ってないけど、腰痛は解消した」ってことならそうなるね
レントゲンのヘルニアも治ってたなら、「ヘルニアはほっといても治る」であって、「ヘルニアと腰痛に因果関係はない」とはならないと思う
大学時代うつ症状を発症してからここ10年程ずっと何事にもやる気のない日常が続いている。
正確に言うと、漫画を読みたいとかゲームしたいとか旅行に行きたいとかやりたいことはたくさんある。でもまずやらなければいけないことが手につかないのでそれらをやっても楽しめない。
大学も何とか卒業させてもらってそのころは景気も良かったから運よく就職もできたが、ずっとこんな感じなので休職を何度か繰り返したのち退職。その後、1年くらい何もしないで過ごしたのち、人手が足りない知り合いの会社にお世話になる。
ここでは2年間普通に通い続けることはできたが相変わらずの日々。
結局何も変わらずスキルもつかずに将来が不安になって一念発起して転職を決意。
幸い、ここでも運良く拾ってくれる会社があり今はそこで働かせてもらってる。
自ら行動を起こし環境が変われば何か変われるんじゃないかという希望があった。
昔カウンセラーに、「やる気がないときには休めばいい。時期にやる気は戻る」みたいなことを言われたけど、もうずっとその状態だけど一向に復活する気配がない。
どうしたらいいのかわからない。
<追記>
肝心なことを書いてませんでした。
今の状況はつらいです。
別に死にたいという感じでもないですけど生きるためには働いて生活費を稼がないといけない。
こんなつらい状況を維持するために一生働き続けないといけないなら生きててもしょうがないなという気持ちにはなります。
それと働きたくないわけではないです。自分がやってる仕事の分野は好きです。
ただどうしようもなく気力がわかないんです。
鬱を患ってこれを読んでいる人もいるかもしれません
ただここで一つ強く言っておきたいのは個人個人によって適切な対処は違うと言うことです
ここに書かれていた対処をしたからと言ってうまくいかないこともあるでしょう
参考記録としてでも聞いてください
私は第一志望の大学に落ち、滑り止めに受けていた遠くの大学に進学します
初めての一人暮らしということもあり少し気持ちは浮ついていたような気がします
そこでは店長の理不尽な文句に腹を立てながらも同じバイトの人がいい人だったので続けていました
そんな中私の元彼女が、私と付き合っていた頃にすでに二股をしており、私を彼氏と笑い者にしていたことを知ります
よくわからない感情が込み上げてきて、テスト勉強をしていたにも関わらず1週間ほどあった期末試験を全て休みました
寝ようとするとどうしてもその元彼女のことが頭をよぎり眠れない日が続きます
起きているときは何か別のことを考え続けていればそのことから逃れられました
寝ようとして頭を空っぽにした瞬間そのよくわからない感情がわきあがってくるため、眠さの限界が来た時に気絶するように眠っていました
ご飯も食べる気が起きず、このままだと死ぬなぁ、それはやだなぁと思った時に食べるのみでした
3日に一回ぐらいの食事はとても疲れるもので、食べることが嫌いになりました
もともと吐きやすい体質だったのもあり、度々戻していましたが3日に一回しかない、苦労して飲み込んだ食事を吐き出してはいけないと思い、口腔まで上がって来たものをまた無理やり反芻してました
陰鬱な気分は当然心地いいものではなく、好きだったことをして気を紛らわせようとしますが、以前は大好きだったことがこの時はまったく楽しくありませんでした
高い学費を出してもらっている以上行かなきゃならないという義務感から講義開始から嫌々数日は通いました
自転車通学だったのですがペダルを漕ぐ足に鉛が乗ったかのように重くなり動かなくなります
そもそもろくに食べていなかったため当然だったのかもしれません
家に引きこもり、バイトの時だけ外出をし、ご飯もその時に買ってきたもので済ませていました
このままじゃいけないという思いと、それでも何をする気にもならないという思いがぶつかりあい続けていました
自殺願望もありましたが何をする気にもならないという気持ちにまだ押されていました
そんな中このままじゃだめだいつか死んでしまう、逃げようと思い、親に連絡を取ります
今から帰っていい?という私のなんとか涙まじりに絞り出した言葉にただならぬ気配を感じ取ったのか、理由も聞かず、良いよ、迎えに行ったほうがいい?と返答してくれました
その親の答えを聞いてもなお、他人に迷惑をできるだけかけたくないと思っていた私は自分で帰ると言います
バイト先に急用が入ったとだけ連絡し帰ると、駅まで親が迎えに来てくれていました
好きだった人に裏切られたこと
バイトが唯一自分を必要としてくれているように感じて、店長が嫌いでもやめられなかったこと
死のうと思ったこともあるが死ぬ気力も出ないこと
他の細かいことも伝えました
親は何も言わず相槌をうってました
違うところといえばかろうじて出て来たやる気をふり絞らずともご飯が三食出てくることでした
様々な検査を受けました
そこで自律神経失調症、それに付随する症状を診断されました
精神だけでなく、肉体にもガタが来ているとのことで入院措置を取られます
寝て起きて寝るを繰り返す私の生活自体は何も変わりませんでしたが、大学とバイトを休んでいるという罪悪感からは入院を理由づけすることで解き放たれた気がしました
退院した後は大学の学期が始まるまで実家で休み、始まってから自宅に戻りました
雨が降っているときや、大学に行かなきゃという義務感に駆られた時点で大学に行くのはやめ、大学に行こうという気になった時だけ行ってました
この頃にはカウンセリングや、すでにもう一年休んでいるのだからここで半年増えたところで変わらないという思いから、罪悪感なしに休んでいました
こうして時が経つにつれ大学に行こうと思う日も増え、今ではある程度通えています
私が今思い返してありがたかったのは、親が自分に特に何も言ってこなかったこと、しかし私から何か話しかけたときは手を止めて対応してくれていたことです
あなたは一辺があなたの身長よりちょっと大きいぐらいの立方体の中にいます
ストレス耐性がある人は一辺が身長より割と長いかもしれませんし、ストレス耐性がない人は身長ギリギリかもしれません
この中に何か嫌なことがあるたびに水がたまっていきます
定期的に排水もされますが、これも人によって期間や量が異なってます
排水がうまくされなかったり、排水よりも速いペースで水がたまって足首まできました
ここまでならまだ普段と運動能力も変わらず自由に動ける気がします
じゃあまだ大丈夫だと思っているうちに水位が膝まできました
運動能力は制限され、水がない状態と比べ動くのに体力を使います
胸まで来るといよいよ動くのが難しくなってきます
水によって体温が奪われて行くという、不安によって不安が生まれる悪循環も発生します
口元まで来るといよいよ水で立方体がいっぱいになるのも近いです
頭まで水が来ても顔を上にあげて立ち泳ぎをすればまだギリギリ息はできるかもしれません
しかしこうなったら体力が尽きるのが先か、水で満たされるのが先か、酸素がなくなるのが先かという状況になってしまっており、どうにか排水をするしかありません
逃げて別の方向に進むことで私はどうにかなった気がします
本当はなってないのかもしれません
ここ数か月、時間も精神的にも余裕があるのにどういうわけか家事がほとんどできてない。
本当の自分はライバルがいないと燃えないし、絶対超えてやるって思うから努力できる。
でも今は。自分的にそこそこで落ち着いた今は何もない。
穏やかな生活より、ボロボロでもやる気があった頃の方が生きてる実感があった。
どっちが幸せかって聞かれたら、今の方が幸せだってはっきり言い切れるのに。
病院帰りに寄ったスーパーで、ピザポテトが販売休止になるのを思い出して初めて買ってみた。
もう手に入らないかもって思うと、要らなくても欲しくなるんだよな。
1986年以前ははちみつを乳児与えてはいけないなんて言われてねえんだよ
じゃあ1986年以前は乳児がボツリヌス症でボコボコ死んだのか?
残念ながら大騒ぎするほど死んでねえんだよ
本来なら無視できる僅かなリスクをあたかも高リスクのように騒ぐお前らがバカなの
小麦だって卵だってある日突然アレルギーが発症してアナフィラキシーショックで死ぬ場合がある
乳児がアナフィラキシーショックで死ぬケースとはちみつで死ぬケースどっちが多いと思ってる?
はちみつで大騒ぎするならアレルギー発症前にもしかしたら発症するかもしれないって理由で卵や小麦粉食わせない過剰な防衛が正しいってことになるぞ
かつて「乳児に蜂蜜を与えるのが常識」だった時代があるからです。
事故から私たちが学ぶべきは「育児の常識は日々変化する」ということだと思います。
祖父母世代とは子育ての常識が大きく異なります。トラブルの代表例には
などがあります。件の事故(生後3ヶ月のあかちゃんに蜂蜜を混ぜたジュースを一日2度与えた)は
これら3つの悪魔合体に見えます。祖父母世代からのアドバイスがあったのかもしれません。
誰も悪意はなかったでしょうに、痛ましい話です。
[site:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170407-00050121-yom-soci]
男児は今年1月から、ジュースに市販のはちみつを混ぜたものを1日平均2回ほど家族から与えられていた。2月16日にせきなどの症状が出て、同20日に病院に搬送されたが、3月30日に死亡した。
例の事故は ジュースを与えられていた時点で生後3~4ヶ月なので離乳食開始前です。
また、問題として例に挙げられていたレシピは大人用アレンジ、もしくは1歳〜1歳半(ぱくぱく期)のレシピで、多くは「離乳食完了期」と記載があります。
「注意書きがないと間違えて与えてしまう人がいる」とコメントされている方がいらっしゃいましたが、ぱくぱく期のレシピをごっくん期(5~6ヶ月) やもぐもぐ期(7~8ヶ月) に与えることはないでしょう。仮に無理矢理食べさせても、噛み砕くことも飲み込むこともできません。
月例が2ヶ月違う赤ちゃんは別の生き物です。
「らしい」「かもしれない」「週刊誌によると」「うろ覚えだが」とか、あやふやな記述が多すぎ。
ちゃんと調べてから書けよ。
こんな馬鹿を奥さんにするような男だからうだつが上がらないんじゃ、って思われるだけだよ。
あと休日なし長時間労働してる人がみんなうつ病を発症するかのように書いてるけど、それ間違いだから。
そりゃ素因を持ってる人は発症リスクは上がるだろうけど、それは過労であれば、うつ病に限らずどんな病気だって同じだろ?
変なとこだけ断言して、ちゃんと調べなきゃいけないところはあやふや。
この春で夫が歯科技工士を辞めた。
歯科技工士は就職一年目での離職率が高い。6割だったか8割だったか。
夫の離職理由もこれに当たる。
(在職中にやれと言われるかもしれないけど、長時間労働だから平日に面接受けるなんて無理)
歯科技工士が低賃金なのは、歯科医師(歯科医院)を経由しないと注文を取れないから。
歯科医師に高額のマージンを取られるから歯科技工士の取り分が減るのだ。
外国には「デンチュリスト」という歯科技工士の資格を設けている国が多い。
「デンチュリスト」の資格を持った歯科技工士は患者を診察して直接患者から注文を取れる。
だから歯科医師にマージンを払わずに労働に見合った報酬を受け取ることができるらしい。
ないと注文が取れない。
「もっとマージンを下げて下さい」と歯科医師に頼めばいいと思う方もいるだろう。
しかし、歯科医師と歯科技工士は対等でないどころか、圧倒的な力の差が存在する。
週刊誌で読んだ話だが、ある歯科技工士が歯科医師に「報酬の取り分を歯科医師5:歯科技工士5にして下さい」(これは『厚生大臣公告』の内容。公告なので強制力はゼロ)と頼んだら、周囲の歯科医師全員から取引を断られた。
業界から干されてしまったその歯科技工士は妻子を残して自殺してしまった、という話だった。
歯科技工士は、取引先の歯科医師に適正な技工料を頼んだら干される。
そういう仕事。
技工料が低いため、歯科技工士は大量の注文を取る。
歯科技工士の平均年収は400万円らしいが、これは人口の多いベテラン歯科技工士の稼ぎが高いからだろう。
20代30代
夫も年収は多い時で(20代の時)300万円を越えた程度だった。
年収200万円台は、20代30代の歯科技工士には普通にあり得る。
本当かよと思うならネットで東京の歯科技工士の求人を調べてみて下さい。
15時間後なんて日もよくあった。
夫は体力と忍耐力があったから長く続いた方だと思う。
しかしそういう男性でも、働いているうちに疲れ目や頭痛を起こす。
夫はまだ大丈夫だけど、座り仕事だからいつ腰痛を発症するかも分か
らない。
歯科技工士以外の職業にも言えることだけど、長時間労働が続きろくに休息や休日も取れないと、いずれうつ病になる。
夫はうつ病になる前に辞めた。
しばらくは働かずに体調回復に専念して欲しい。
夫によれば総入れ歯の技工士の報酬は5000円、銀歯の報酬は1300円らしい。
「作るのに時間がかかるのにこの報酬じゃ割りに合わない」と夫が言っていたのは確か。
現職の歯科技工士の人口は減り続けている上、歯科技工士の養成所(専門学校や大学)に入学する学生数も減っているらしい。
無理もない。私は夫の過労を隣で見てきたから、未来ある若者に歯科技工士は勧められないもの。
実際には夫よりも更に長時間働かざるを得ない技工士もいるらしい。
「1日12時間労働なんてどうってことない」と言う人もいるだろうが、1日何時間働けるかは人による。
12時間でもOKという人もいれば8時間でも辛いという人もいる。
体力的には12時間労働OKでも家族と過ごす時間を持ちたいからという理由で、1日6時間労働で済ませたい人もいる。
10年後、20年後に日本から歯科技工士がいなくなっていてもおかしくない。
歯科技工士の得る技工料が安すぎる現状、
歯科医師との圧倒的な力の差、
歯科技工士は保育や介護同様、人材不足の職業であるにも関わらずマスコミが取り上げることすらない。
夫は、マスコミが過酷な労働実態を取り上げたりネットで話題になったりするぶん介護や保育の方がマシに見えると言っていた。
日本から歯科技工士がいなくなったら、入れ歯も銀歯も矯正ワイヤーも外国からの輸入に頼ることになる。
外国産が悪いとは言わないけど、日本の歯科技工士の技術力の高さは海外から高い評価を受けている。
ブラックな労働環境をこのまま放置すれば、世界から高い技術力が一つ失われることになる。
だから歯科医院は競争が激しい事、技工物から高いマージンを取らないと経営がやっていけない事は想像がつく。
しかし、低賃金で長時間労働というブラックな労働環境に耐えかねて他職種に転職する歯科技工士が相次ぐ現状、これが続けば歯科医院の経営も危うくなるだろう。
外国産の技工物で医療の質や患者の満足度を維持できればいいが、そうでなかったらどうなるか?
(しかし夫から最近聞いた話によると、歯科医師がCADや3Dプリンターを使って医院で銀歯や入れ歯を作れるようになるかもしれないらしい。
歯列矯正のワイヤーはそれではまだ作れないらしいけど。
機械で済むようになったら歯科技工士という職業は日本においては絶滅寸前になるかもしれない)
歯科技工士の労働問題は、立場の違いをこえて考えて欲しい事ですし、マスコミによってもっと全国に知らされるべきとも思っています。
実は増田を使うのは初めてであったため(増田の意もさっきググって知った)、このような反応を貰える場所ではなく、投げっぱの便所の落書きLikeと誤解していた。
しかし実際は僕がここ数日間血眼で見続けていた「デート ドタキャン インフルエンザor機会があれば」を見ているより余程心の助けになるのーべるな内容であったことには違いない為、そして安易な承認欲を満たす為、ここに感謝の意を表します。
前日思いの丈を綴り、女系家族のカースト最下位たる僕は風呂が愚妹に占拠されていることを確認した後、羽毛布団に頭のみを突っ込み永久に自己を下げる発言と承認欲を捨てよと続けジタバタしていた。
聞く曲はやさしくなりたい、Shadow behind,虹色バスである。Hikkiは復活後のも良いじゃんと友人と話していたことは忘れた。東京に行ったことはないがやはり東京NIGHTSが好きなのである。ADHDはすぐに話が脱線するのである。
見ざる聞かざる言わざるを念頭に復学後のラボ生活を送ってきた私は他者との関わりを最小限に留めるべく、周りの一つ下となった同期には目もくれずやっていたつもりであったが、だめであった。
彼らはとても良い子達であった。中でも妙に僕を気にかけてくれる彼女は気づいたらまあ勉学の妨げにはなっていた。
バタバタしている途中でそれを思い出し、残り湯の中でこの相手に対して依存的な思考は俺の考えるべき所ではなかったと思い直したのだった。
風邪、本当にごめんね、機会があれば誘ってやってくれ、そして文章の後ろに必ず付く三点リーダーの全てが僕を追い込んでいる。
今まで映画しか誘ってなかったくせに、あわよくば唾棄すべき鴨川等間隔男女女男に参列するつもりだなコイツとニュータイプばりに感じ取られたのか。
しかしまあ、時間的拘束が強まる前に決めてしまおうと言う邪な考えが不味かったんだろうと今では思えている。
当たり前なのだが、インフル発症でわざわざ出る阿呆なぞいない。移してはいけないと言う優しさをも汲み取れる。そういう当たり前の思考すら奪うのであるから末恐ろしい。
NGワードが出た次に行けとはやはり皆さん仰るが、僕だってNGワードな事くらいは分かっておりますとも。
しかしもう一度誘っても構わんだろう、病気だったのだから来れなかったのだ。
わしが若い頃はドライブデートで決めたなどと言うジジイ達の妄言を無視するが如くスルーさせて頂く。そもそも僕は二輪乗りである。
休学中に世話になっていた厨房の裏で君はまだ本当に愛せる子と出会っていないのだなあとバツイチの昔はイケメンだったろうおっちゃんが僕のタバコを吸いながらしみじみと言っていたのも思い出すわけである。
週が明けたら調子はどうですかくらい送ろうと思う、やっぱ歩き回るコースはしんどいから辞めた僕は谷六にあるバーに行きたいのだと言うのである。決めにかかるのも延長だ。また手が繋げればそれで良い。
春からの生活はとっても不安定で、どうしようもなく不安なのだが、恐らく元気になりました!と一言来れば全て忘れるに違いない。
普段は根が鈍感なので、嫌味を言われても違和感は感じつつもそれが嫌味だったと理解するのに数ヶ月かかったりするような感じで生きている。
ただトロいだけなのだが、一応よく言えば寛大な人というキャラを演じている。(別にそんなに善良でも寛容でもないと自分では思う)
トロいのでそれはそれで困ることは多いのだが、それでも職場や交友関係の範囲では多少キツい言葉をかけられることがあっても、
気付かなかったり重大性が分かってなかったりして受け流しながら、なんとなく日々を過ごしているので、
当事者意識が低いとか危機感が乏しいとかの小言を言われることはあっても、そう大きな問題は発生していない。
ただ、稀に大きな声で怒鳴られると、語勢から攻撃を受けていると脳が判断してしまうためか、自動的に発狂スイッチがオンになってしまう。
日常では、いきなり他人を怒鳴るような人種と接触する機会は幸いにしてほとんどないし、たまにいてもそういった相手とはなるべく距離を置くようにしているので、
主に偶発的に遭遇した知らない人とか、普段接さない相手に対して発症することが多い。
発症すると「ナンドコラテメオラピェァァァァアアアアア!!!!?」といった奇声を発して何事かをまくしたてる。
さらに、地団駄、靴叩きつけ、腕振り回し、飛び跳ね、ドンキーコングが手で地面叩くモーション、回転、荒ぶる鷹のポーズ、
頭搔きむしり、カバディ的反復横跳びディフェンス、自分の顔殴り、服を脱ぎ捨てる などのうち複数の動作を伴う。
ノーモーションから即時発動かつフルオート、声もお前そんな声出せたの?って感じで普段と比べると無茶苦茶でかい。
完全に発狂状態なので、周囲から見ると俺の方が明らかにヤバい奴になる。いや実際ヤバいとは思う。お巡りさん俺です早く抑えてください。
ひとしきり発狂した後は「それは〇〇なのでできません。」などとこれまたスイッチが切れたように元の穏やかなトーンに戻るから余計不気味に感じるらしい。
昨夜コンビニの前で中高生くらいのヤンキー4人組に絡まれて道を塞がれ胸倉掴まれて「ナメとんかコラァ!」と怒鳴られた際に久々に発症してしまい、
「ンドコラチョケたクソガキ共が何インネンくれとんねんワレボケ俺ァ100円のオニギリ買うんじゃ通さんかいオラァアアアァァァァア!!!」
などと言いながら胸倉掴まれたまま暴れて腕を振り払い、しばらく回りながら跳ねまわったりカバディをしたりしてしまった。
息が切れて落ち着いてから「すいません、通してください」と言った際に「ど、どうぞ……スンマセンっした」と通してくれた彼らに変なトラウマを植え付けてしまったのではないかと心配。
それでも昨日はまだ自分が当事者なので、キチガイプレイでDQNを撃退した的な構図なので救いがあるのだけれど、
稀に他人から他人への怒鳴り声でスイッチが入って、全然関係ないのにそばにいた自分が突然発狂し始めてしまうことがあるのが本当に困る。
会社でのパワハラから鬱病を発症し、就労困難状態になって引きこもり、あっという間に貯金はゼロ。
見かねた保険衛生士が生活保護の受給を勧めてくれて、即受給(水際とかもなく福祉事務所の対応も早かった)。
5年くらい何もする気がせず、一日中寝ている生活をしていたが、徐々に回復して、医者と相談しつつ5年くらいかかって少しずつ働けるようになって、
去年の夏前から新しい職場で本格的に働きだした(とはいえ非常勤なので給料は安いが)。
半年働いて、自信がついたころ福祉事務所のCWが「もう大丈夫だね。でも体調が悪くなって働けなくなったらすぐ言ってきて。その時はまた支給するから」
と後押ししてくれて、とうとう今日、「廃止」と話し合いを持った。
最近取り沙汰される受給者叩きなんかまったくせず、気長に親身に自立を助けてくれた担当CWと上席の方に感謝。
そして生活保護は必要な人間には本当に大切なセーフティーネットだと思い知ったこの10年だった(あと、CWが任期付き職員で非正規雇用と言うところ
に闇を感じた)。
仕事頑張ろう。