はてなキーワード: 無機物とは
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』
そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
ニーア・オートマタの2Bやペルソナ3のアイギスみたいなのじゃなく、メダロットのセーラーマルチやファイアボールのドロッセルのようなタイプだ。
近年だとソシャゲのワールドフリッパーに出てくるディアというキャラが性癖にドストライクだった。エッチすぎる。
さてそんなロボ/メカ娘が性癖である俺が慢性的に抱える悩みは、絶対的な供給量不足だ。
多種のメジャー性癖に比べ、書き手の数が圧倒的に少ない。これは個人的に親近感を覚えているケモナー諸氏よりも深刻である(ケモの供給は見かけは多くても各々のレンジが狭くて俺と同じ悩みがあるのかもしれないが)。
そこにきて現れたるはご存知Stable Diffusionである。
少し触って俺は確信した。「これだ」と。
理想に合致したモデルやプロンプトを見つけ出すことこそ苦労したが、いまでは理想に近いロボットのエッチな画像を生成できるようになった。
構図がワンパターンになりがちな弱点も、ControlNetの登場によってポーズも自由が利くようになって改善された。
生成AIの登場によって、供給量が極端に少ないオカズの、自家生成・自家発電が可能になったのである。
今後の展望として、Live2DやVRM形式の3Dモデルが手軽に吐き出せるようになったらVR系のエロゲと連携してさらにオナニーが捗るだろう。
ChatGPTのようなLLMと組み合わせれば、夢にまで見たロボットとのVRセックスが実現できるかもしれない。
なんなら生成AI自体がロボットみたいなものだと考えるとより陰茎に血液が集中していく。
映画観に行って寝て帰ってきた
・良いとか悪い以前によくわからないから「お、おう」ってやり過ごす所が多すぎて気づいたら意識が飛んでた
・見たかったもの→白人のシュッとした男性を無機物・有機物で孕ませるの大好き監督による観てて「ハ、ハワワ〜」ってさせられるようなスポンサーの財力を作って作成された濃厚なフェチ動画
・見たもの→主人公おじいさんage会話 ようわからんけど意味深そうな言葉のやりとり
・エイジズムではないけど嚥下機能が難しいくらいご高齢のお爺さまがそこらの美女にモテるわけないだろ…普通に同じ年頃の同じ位の顔面偏差値の男かひとふたまわり年上のお金持ち男性あたりとくっつくだろ…
・いちいち禍々しい家具
・地方の映画館で封切りからどんだけ経っての公開だよこれだから地方の「文化」はよぉ〜とかスネねてたけどこれを公開しようと判断してくれた、それだけで感謝
いつからは忘れたけれど、服屋のオンラインショップを見ているとムラっとくる感覚がある。
元々服が好きだった。地方に住んでいるので、都内にしかないブランドは通販で買うことが多く、オンラインショップを一週間に三度ほどは見ていた。今でもインターネットを開けば服屋のサイトを見ている。そのたびにムラっとする感覚がある。
原因は全くわからないし、服屋のオンラインショップを見ているときにだけその感覚がある。pixivでエロ絵を見ても「かわいいね~」とか「このイラストいいね~」という感情はあるけれど、ムラっとする感覚はないし、AVを見ていてもエロ絵と同じでなにも思わない。小説も同じ。人間に対してもそうだった。服屋のオンラインショップ以外でムラっとしたことはない。
ただ、服屋のオンラインショップを見ているときだけムラっとくる。ムラっとくるのは服屋のオンラインショップだけで、実店舗ではそんなことにはならない。もしかしてモデルに対しての感覚かも、と思ったけれど、モデルのいない中古ブランドサイトに対しても起こるから多分服に対しての感覚だと思う。けれどそのシステムが全くわからない。
朝井リョウの「正欲」を読んで無機物に対して感情がある人のことを知ったけれど、自分ではその感覚はないと思っている。オタクで腐女子で、男性でも女性でもいいけれど恋愛対象は人間。服と結婚したいという感情はないし、ましてや服に対して行為をしたいという気持ちはない。ムラっとした服を相手に着せてみたいという感情もない。ムラっとした感覚を抱えたまま人間との行為を望んでいるわけではない。ただ、オンラインショップを見ているとムラっとくるだけだ。
現実世界で誰にも言えないので困っている。オンラインショップを見なければいいのだけれど、普通に服が好きなので新作確認をしたい。ツイッターでも服の画像を見るとこの感覚がたまにある。原因がわからない。
数年前に新しい趣味として絵を描き始めた。
版権絵は描かないしそんなに上手くないので絵は全然伸びなかったけど、それでもたまに絵が好きですと言ってくれる人や上手いと言ってくれる人がいた。
私は成人してから描き始めたんだけど、本当に上手い人と比べるとそうでもないが描いてる年数や時間の割には上手いとは思う。多分元々絵に向いてるんだと思う。このまま練習を続けてたらネットでもそこそこ上手い方の絵描きになれると思う。でも飽きたので多分もう描かない。
絵って結局「勉強して、資料を元にしっかり観察しながら描く」の繰り返しなんだよね。人間、動物、無機物と対象が変わってもやることはずっとこれなので飽きてしまった。
絵描きとして有名になりたいみたいな欲もないから、それ目的のモチベーションも特にないし、絵を褒められるのは嬉しいけどそれ目的で描こうみたいな気持ちにもならない。
最果タヒさんの詩集『死んでしまう系のぼくらに』『夜景座生まれ』と、あとは図書館で数冊をパラ読みした。著作が映画化されているらしいが、見てない。本しか触れてない。
否定的な感想なのでブログには投稿するか悩んで、結局、こちらに持ってきた。ただの感想。
まとめ
最果タヒさんの詩はあまりに散文的で、これは本当に詩なのか、日記じゃないのか、小説と変わらないんじゃないのかとすら思う。実際、同作者の小説『十代に共感する奴はみんな嘘つき』も少し読んだけど、境が曖昧だと感じた。これなら全部小説でも良いじゃんと思うけど、当事者からすると違うのかもしれない。
詩そのものについては、単純に口調とテンポが私に合わない。あんまり真摯な感じがしない……と感じる。でも私が思う真摯な感じとこの人の真摯さが違うだけかもしれないし、この方に真摯なつもりなんてないだけかもしれない。
使われている言葉は、それっぽい言葉を並べてるだけに見える。色んな言葉が出てくるけど、そのひとつひとつの定義って、なんなんだろう? どういう意味で使ってるんだろう? そういうのが見えてこない。だから真摯には感じない。急に言葉が連想ゲームみたいに飛ぶのも、え? 寝ぼけてんの? って感じ。
あと、わざと間違った/厳密に間違いではないけどまず使わない言葉使いや組み合わせ、漢字の開き(ひらがな)が多用されてると、絞れ!になる。そういうのはアクセントに使うのがいいのであって、多用されると醒めるし、詩全体がぼやけてしまう。
これがぼやけたことを狙っている詩や短い詩ならまだ良いけど、長くて散文的だから、ただぼやける。何を言ってるのか分からない。批評を色々読んだけど、「わからなさ」を評価されている面もあり、それでいいのか、じゃあ私に合わないだけか、となる。
ちなみにこの「わからなさ」とは「共感できなさ」のことではない、と言い添えておく。
また、死にたい、殺されたい、の表明が素直球すぎて上滑りしてる。死にたさについて、現実世界の死について、空想上の死について、犯罪について殺人についてを描いている部分があるが、それはただの比喩なのかもしれない。(以下、長いので略してます、ごめんなさい。詩を引用する時に略すのってどうなんだろ……。よくないかも。)
❝(前略)今日も、撃ち殺されなかったと泣きながら眠る夜はただ一人で、(後略)❞
❝あいされたい
それはべつに深刻ではなく。ころされたい、でもいい。❞
❝せめて他殺で。惨殺で。❞
確かに、「死にたい」「あの人に殺されたい」「今日も死ねなかった」と思う人はたくさんいるだろうし、私にもそういう欲求はあるが、なんでだかこの直球ぐあいは合わなかった。反対に、この表現がいい!と思う人もいるでしょう。軽くなんてない、という人もいれば、軽くて何が悪い、という人もいるでしょう。
例えば『死んでしまう系のぼくらに』p.23「線香の詩」から1行目❝大切なものが死んだあとの大地はすこし甘い匂いがする❞のっっっってなんでなんですか!?
次に蝉が出てくるので夏だろう、じゃあスイカやかき氷を食べた庭かな? 大切なもの……有機物か?無機物か?ペット火?人か? 人じゃなければ何かを土に埋めて、それがなんらかの作用で甘い匂いをさせてるのかな?
って、そんなことは考えても考えなくても良くて、まあ私は考えるほうが好きだが、まあとにかくこういうのがなくてもいいけどとにかく「説得力」が足りない。
読んでて、否応なしに「そうなのか」となる、もしくは「そんなわけないだろ」と言えるのがさ、好きなんだよな。「そんなわけないだろ」すら言えずに、「意味わかんねーよ」じゃ、ちょっと良いとは言えない。
例えば宮沢賢治の「やまなし」は詩じゃなくて小説(童話)だけど、❝『クラムボンはかぷかぷわらったよ』❞って説得力えぐいでしょ。「クラムボンは、かぷかぷ、笑う」んだよ。まあこれも好みの問題かもだ。
私は作品の批評で、「分からない」からいい、分からないのがいいんだ、みたいなのは嫌だ。
感想においては「気づかせてくれる」とか「感性が素晴らしい」とかって、何も考えないで生きてるのかよ!と叫びたくなる。もちろん、詩歌(詩、短歌、俳句)って「新しい視点」が評価されるし、私もそういう作品は好きなんだけど、どうしてか嫌だ。単純に感性が素晴らしいって褒め言葉が嫌いなだけかもしれない。私がそう言われると、「感性は、普通ですよ。思ったことを表現するために、頑張ったんですよ」と思うからかもしれない。私の話じゃん。私の話だよ。
この記事は、最果タヒの詩について、否定的感想をあまり見つけられなかったので、公開しました。「最果タヒ 批評/感想」とかで調べるとね、いくつかは出てきますしリンク貼らないけどめちゃくちゃ良い記事もありました。でも、ほとんど見つけられなかった。なので公開しました。私のこの記事はただの感想で、うまい批評なんかじゃないし分析もできてないけど。
でも詩でこんだけ売れてて若者人気もあるってすごいよね、は本音で、昨今は詩歌の中では短歌ブームらしくて色んな本が出たり特集が組まれてるけど、現代詩もそういうふうに盛り上がると嬉しいなとは思います。
読んでくれた方、ありがとうございました。
この記事に対する反論も良いですが、おすすめの現代詩あったら教えてください。読むので。
現代より前の詩……工藤直子/金子みすゞ/谷川俊太郎とか、中原中也/島崎藤村/室生犀星/萩原朔太郎とかは既読なので、それ以外の「現代詩」のおすすめが、知りたいです。よろしくお願いします。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2187796
伊藤弘了氏がアイスボックスの広告に対して「露骨にコード化されたエロティシズムと戯れている」と言って炎上した件、はてブでは「表現の自由戦士ガー」といって盛り上がっているが
その表現の自由戦士からの目線としては「規制派と反規制派がバチバチしとるTwitterで、そのツイートしたら燃えるのはしょうがないんじゃねーか」と思ってしまった。
あらゆる表現をエロ要素の有無で考えら場合、ざっくりと三種類に分けられると思う。
が、実際は1番目の「エロ要素は無い」は動物や無機物に対してもエロを感じる人がいるので存在しないんじゃないかと思っている。
今回の問題なったツイートでもヤシの木や花にはエロ要素のコードがある、という内容があったし。
が、Twitterで昨今のイラスト周りでの炎上案件で抗議側の意見を見ていると、以下のような分類をしているように見える。
なので、抗議側に対して「このエロは問題ないだろ」といっても「エロがある! 公開停止しろ!」と騒がれるだけなので、
反規制側は無理にでも「(表現規制するほどの)エロ要素は無い」と主張するしかない。
そんな状況であの広告にはエロティシズムがあると『だけ』言われると困るのである。
そんなわけねーだろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/907153
2015年12月の時点で「女子学生が(男根のメタファーである)吹奏楽器を口で加える。これは西洋人の目には児童ポルノに見える」というとんでもない放火があったことを忘れてないか?
この時は無理筋だったのでボヤ程度で終わったが、今回の件もボヤで収まると言い切れるのか? そもそも「エロ要素がある」時点で抗議側が許すと思っているのか?
簡単である。ツイート内に「この広告は出しても問題ない」と記載すればよかったのである。少なくとも今の規模の炎上にはならなかっただろう。
もしくは逆に「エロ要素のあるこの広告は出すべきではない」と言い切ってもよい。炎上はするが、もう少し建設的な議論が出来た可能性がある。
でもどっちもせず、現在進行形で燃えている案件に至近距離で斧投げて「議論が深まっ太郎」してたら、そりゃ自分にも引火しますよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1878983
というか、月曜日のたわわ(2022年4月)の時に「ロゴに仄めかしがありますよね。あっ、規制に関しては興味ないです」という似たようなムーブしてるんだよな
丁寧にじっくりとは言え限度があるんじゃないか
文句言うな読むなって言う人ら出るけど君ら大満足なんか…?100点中の100点、譲って90点ぐらい心から付けられる?
さぁーすがに来月、二ノ宮過去編なんてことはないだろうけど、ないよね?
月刊誌・季刊誌の漫画にはそれなりの毎回満足させる書き方があって、と文句を言いたくなると病気で週刊誌から移ったことを指摘されるでしょ。でも週刊誌での書き方としてもどうよ。今週のジャンプで戦える内容なのか?
俺は漫画は作者のもので作者の自由に書ける権利があるなんて100%賛同しないし。競争あってこそ読者に受け入れられてこそだし。自由に書ける環境でも読者を喜ばせてもらわなかなわへんわ。
本気で今月もみんなが楽しんでくれた漫画が書けたと思ってるんだろうか。
セリフのひとつひとつをとって深い考えが~キャラの関係性が~っていうファンはウゾウゾ居るけど、そいつらもう何食わせても機械的に喜ぶ無機物だよ。楽しみたい人を楽しませる漫画を書いてくれ。作者がやりたい何かが多少なり削れようとも、普通、そういうものだろ?今までそういうものだったろ?
嫁を愛し方が分からなくなって、昨年別居を始めた。
結局のところ自分が変わらないと嫁をちゃんと愛せないんだろうと思ったりした
いろんな事を我慢して家事や手伝いをして空いた時間で自分のことをやってたつもりだったが、周りからは好きな事をやってる自由な人という認識されてた。
今年上半期、コミュニケーションで仕事がうまく行かなかった。コミュニケーションについて学ぼうと調べたり知識を身につけなんとか繋ごうとしたが、結局のところクビ宣告された。昨日の事だった。
今の自分には仕事の事で頭がいっぱいだったが、今日は嫁と話をする予定になっていた。
半年前は関係を修繕したいと言っていた嫁が今日は別れを切り出した「あなたが今苦しいなら一度別れた方が良い」と言われた
帰り道で「あれだけ愛されながら、何故自分は愛で返せないのか」とずっと考えてたが、答えが出なかった。
自分は人と話すことが向いてない、または他人に自分が考えてることを話さない.
愛情も返せない。なにも向いてない
望んで子ども作ったのに妄言吐いてるひと、養育不適格者は、よく考えてはその通りなんだけど、
そもそも動物はいつでも発情も子作りもしてないから(義務教育で習います)
多くの動物は子孫残せるタイミングでしか交尾しないので交尾の時期と回数に厳格(義務教育で習います)
あと、ChatGPTちゃんにかわりに聞いておきました
- 生物の多様性と進化: 生物の世界は非常に多様であり、子孫を残す方法も多様です。一部の生物は子孫を残すことを主な目的とする社会的な仕組みを持っていますが、それだけが生物の存在理由ではありません。生物は進化のプロセスを通じて、さまざまな形態や生態的戦略を発展させてきました。
- 生物の目的の多様性: 生物は単に子孫を残すだけでなく、さまざまな目的や生活戦略を持っています。食物の摂取、環境への適応、社会的な相互作用、自己保護など、生物はさまざまな目的を追求しています。子孫を残すことは生物の一部の目的の一つであると言えますが、全てではありません。
- 社会的な生物の例: 蟻や蜂、狼などの社会的な生物は、集団での生活や子孫の繁殖において特化した戦略を持っています。ただし、社会的な生物でなくても、個体単独で子孫を残す生物も存在します。たとえば、単為生殖を行う生物やクローンを作る生物もいます。生物の多様性を通じて、生殖戦略は様々な形態を取っていることが示されています。
- 自己組織化と無機物の例: 生物に限らず、無機物の世界でも自己組織化という概念があります。例えば、結晶の成長や物理的なシステムの秩序形成など、無機物の中でも自己組織化現象が観察されます。生物の子孫を残すことに焦点を当てる一方で、自然界全体を見渡すと、さまざまな自己組織化現象が存在することを認識することが重要です。
- 生物の多様性と進化: 生物の世界は非常に多様であり、子孫を残す方法も多様です。一部の生物は子孫を残すことを主な目的とする社会的な仕組みを持っていますが、それだけが生物の存在理由ではありません。生物は進化のプロセスを通じて、さまざまな形態や生態的戦略を発展させてきました。
- 生物の目的の多様性: 生物は単に子孫を残すだけでなく、さまざまな目的や生活戦略を持っています。食物の摂取、環境への適応、社会的な相互作用、自己保護など、生物はさまざまな目的を追求しています。子孫を残すことは生物の一部の目的の一つであると言えますが、全てではありません。
- 社会的な生物の例: 蟻や蜂、狼などの社会的な生物は、集団での生活や子孫の繁殖において特化した戦略を持っています。ただし、社会的な生物でなくても、個体単独で子孫を残す生物も存在します。たとえば、単為生殖を行う生物やクローンを作る生物もいます。生物の多様性を通じて、生殖戦略は様々な形態を取っていることが示されています。
- 自己組織化と無機物の例: 生物に限らず、無機物の世界でも自己組織化という概念があります。例えば、結晶の成長や物理的なシステムの秩序形成など、無機物の中でも自己組織化現象が観察されます。生物の子孫を残すことに焦点を当てる一方で、自然界全体を見渡すと、さまざまな自己組織化現象が存在することを認識することが重要です。
https://anond.hatelabo.jp/20230203105121
https://anond.hatelabo.jp/20230203103841
https://anond.hatelabo.jp/20230203110859
いずれ必ず現れるロボットなどの無機物との結婚や、ペットなどとの動物婚も織り込んでおくべきだ
やりすぎという意見も分かる
が、そもそもたかだか同性婚ですら、法律上認めるためにここまで時間がかかっているのだ
そう遠くない未来にロボットとの婚姻を望むものが現れるのは想像に難くないし、
なんなら初音ミクと結婚した奴もすでにいるわけで、動物との正式な婚姻を願う声も前々から海外である
どうせ法を大きく変える必要があるのなら、今の段階で未来を見据えて準備をしないのは、
同性婚が認められずに精神的に苦しんだ人々の過ごしてきたような年月を、意識的に将来世代で再生産する行為に近い
仮に今、同性婚だけが認められたとしても、他の多種多様な関係性も認められたいと願う人は絶対に増えていくし、
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。